79642号機 整備記録1
この度八幡浜市建設課より本機の整備依頼を受けましたので整備をお引き受けしました。本来は昨年度開催された愛媛国体のソフトボール会場の「王子の森球
場」の拡張工事に先立ち、本機を旧保存場所より約20m西に移動し同時に本機を整備する計画を建設課として予算計上をされていたのですが、諸般の事情で児
童公園設備やプラットホームの再建築や機体の移動を先に行い、機体整備は国体終了後という事に計画が変更されておりました。この度予定通り機体の整備予算
が計上され実施の運びとなりました。
その間に私事で恐縮ですが48650号機整備中に今までの無理な姿勢での作業が災いしたのか、脊椎間狭窄症の手術を受けリハビリを継続中でした。体調が何
とか復活しましたので無理をしない程度で、48650号機の整備継続~井笠コッペル1号機~宇部D51-18号機~直方D51-10号機と周囲のメンバーにはご迷
惑をお掛けしましたが、座り込んだり椅子での届く範囲での整備をさせていただきました。
今回も高所での作業は足の踏ん張りが利きませんので、ランボードから上の機体やテンダーは塗装業者が再塗装(私の指導・監督の元でケレン~錆止め剤塗布
後本塗装)をし、機体先頭部や主要装備・動輪や足回り・運転室内は私が整備する分担作業形態を取らさせて頂きました。
機体の塗装に関しては梅雨明けから塗装業者が行い、その後私が整備を行いますので私の作業開始は8月初旬から11月にかけて実施する予定にしております。
建設課の承諾を頂き、既に運転室内の天井部のケレンや計器類・細管の一部磨き出し、火室内の清掃や高圧洗浄、主・副灯の復元LED化は進めております。整備
作業が本格的に始まりましたら、一週間単位で整備状況を報告させて頂く予定にしております。
* 現時点における整備の現況
* 本日は八幡浜市建設課に出向き、八幡浜市長さん宛の79642号機整備計画書を提出してきました。これで本機の整備が正式に発動される事になります。
塗装業者の入札があり決定次第作業が始まりますので、塗装に支障が出ないように各装備部位やナンバープレートに、ナイロン袋やマスキングテープで目張り
をして戻りました。私の整備開始は恐らく8月初旬の予定です。 2018/05/11
* 梅雨の晴れ間を利用して事前整備をしてきました。先ず本機の腐食箇所は意外と少なく、左デフレクター下部と左缶胴被キャブ前の小穴の二か所でデフ下
の方が被害が大きく修復が必要でした。本機が北海道に渡ってから苗穂工場で所謂「切り詰めデフ」に改装されたのですが、右デフは何の異常も無く左デフ下
部の腐食は著しく、材質の違いなのか運用上の障害なのか??です。C12-231号機で使用したアルミパテが残っていましたのでそれを使い、元塗り~仕上げ
塗り~仮研磨を、次にテンダー後灯(LP42)本体を除去し、缶胴被左右の細銅管の止めを全て外し塗装がし易いように浮かしておきました。これでいつでも塗
装業者が作業が出来る状態になりました。ついでに左右給水管の水コックを外して研磨・調整の為に自宅に持ち帰りました。 2018/06/01
* 磨きが終了しEM活性溶液を塗布し乾燥後にEMセラミックEM粉末剤を添加した錆止め剤を塗布し、作業的にはLED化~本塗りを残しています。取り外した
後灯は今後何かに応用できる事もありますのでお預かりしておきます。後灯LP42はC57-44号機の整備の際に大変お世話になりました岩見沢市の嶋田正
樹氏にまたもや無理なお願いをし、入手できる見込みとなっております。準備段階として機体の塗装の事が気になっております。79642号機の高山~追分時
代の写真はWEB上に公開されている写真は10数枚でカラー写真は49648号機と並んだ名寄機関庫のテンダーの警戒色写真のみかと思われます。白黒写
真ですが色調の違いから白・黒の識別は何とか読み取れますので一覧表にしてみました。
部 位 | 現状 | 1976保存時 | 1975追分 | 1974名寄 | 1972名寄 | 1968稲沢 | 1967高山 | 1967猪谷 |
前・自動連結器 | 黒 | 白 | 黒 | 黒 | 黒 | 黒 | 黒 | 黒 |
前端梁 | 黒 | 黒 | ? | 警戒色塗装 | 黒 | 黒 | 黒 | 黒 |
先端・左右直棒 | 銀 | 白 | 白 | 白 | 白 | 白 | 黒 | 黒 |
先端手すり | 銀(鷹・浜様式) | 白(鷹・浜様式) | 黒(鷹・浜様式) | 黒(鷹・浜様式) | 黒(鷹・浜様式) | 黒(鷹・浜様式) | 無し | 無し |
煙室ドアハンドル | 銀 | 白 | 黒 | 黒 | 黒 | 黒 | 黒 | 黒 |
煙室扉周回手すり | 銀 | 白 | 黒 | 黒 | 黒 | 黒 | 黒 | 黒 |
主灯火 | LP403 | LP403 | LP403 | LP403 | LP403 | シールドビーム | シールドビーム | シールドビーム |
副灯火 | シールドビーム | シールドビーム | シールドビーム | シールドビーム | シールドビーム | 無し | 無し | 無し |
デフレクター | 切り詰めデフ | 切り詰めデフ | 切り詰めデフ | 切り詰めデフ | 切り詰めデフ | 無し | 無し | 無し |
デフ縁 | 銀 | 銀 | 白 | 黒 | 無塗装 | |||
回転火の粉 | 銀線・2本 | 白線・2本 | 黒 | 黒 | 黒 | 黒 | 黒 | 黒 |
ランボード | 平行(フラット) | 平行(フラット) | 平行(フラット) | 平行(フラット) | 平行(フラット) | 段違い | 段違い | 段違い |
空気溜 | ランボード上 | ランボード上 | ランボード上 | ランボード上 | ランボード上 | ランボード下 | ランボード下 | ランボード上 |
ランボード下側縁 | 銀 | 白 | 白 | 黒 | 無塗装 | 白 | 無塗装 | 黒 |
シリンダー空気弁 | 黒 | 白 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 |
スライドバー凹部 | 銀 | 赤 | 赤 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 |
クロスヘッド | 黒 | 黒 | 磨き? | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 |
ロッド | 銀 | 白 | 磨き? | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 |
メインロッド凹部 | 銀 | 赤 | 赤 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 |
各・動輪タイヤ | 銀 | 白 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 |
キャブ左回転窓枠縁 | 銀 | 白 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 通常型・無塗装 | 通常型・無塗装 | 通常型・無塗装 |
キャブ右窓枠縁 | 銀 | 白 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 |
タブレット | 北海道型 | 北海道型 | 北海道型 | 北海道型 | 北海道型 | 無し | 無し | 無し |
テンダー左右上端 | 銀 | 白 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 |
テンダー後端面 | ゼブラ塗装 | 警戒色塗装 | 警戒色塗装 | 警戒色塗装 | 警戒色塗装 | 無塗装 | 無塗装 | 無塗装 |
ネズミ返し | 警戒色塗装 | 警戒色塗装 | 警戒色塗装 | 警戒色塗装 | 警戒色塗装 | ? | ? | ? |
テンダー後灯火 | LP42 | LP42 | LP42 | LP42 | LP42 | ? | ? | ? |
* 全国の保存機も保存される際に展示を意識して、実機が稼働していた頃と比較するに様々な部位が化粧され、美しい綺麗な状態で当初は保存されてい
た号機が大半です。しかし保存後の経年経過により、磨き出された部位は錆が生じてくすみ、塗料は退色したり剥がれ落ち結果として無残な状態になってい
るのが現実です。もちろんOB会や保存会の方々が定期的に整備・塗装を継続され美しい状態を保っている号機もありますが、それは数少ない希な事例と言
えます。保存当初の趣旨や目的が忘れ去られ維持管理費の捻出に事欠く事態が発生し、行政のお荷物となり放置され無残な状態をさらし最後には解体され
る号機が最近増加している事も事実です。
本機は1975年の追分機関区時代の状態を基本としており、スライドバー・メインロッド凹部の赤・テンダーの黄色・黒の警戒色塗装が特徴かと思われます。
保存開始から6年後の1982(昭和57)年まではその状態であった事は、四国鉄道OB会の写真資料で判明しております。しかし、その後再塗装されて白色
塗装部が全て銀色塗装に、警戒色塗装も白・黒色の「ゼブラ塗装」に変貌し現在に至っているかと思われます。四国は最初にSLが消えた地域であり警戒色塗
装が当然の北海道や九州地区のように馴染みが無かった事がゼブラ塗装になった理由かとも思われます。整備する者の立場としては最後は北海道を走行し
ていた本機ですから、追分・名寄時代の本来の警戒色塗装に戻すべきかと考えております。最終的には八幡浜市当局と協議して決定したいと思います。 2018/06/12
* 先週の大雨の中79642号機下部の高圧洗浄を行って来ました。保存地は児童公園内にあり土日は当然ながら普段の日も多くの親子連れで賑わいます。
雨の日ならば訪問者も無く気兼ねなく洗浄が出来るという次第でして未洗浄のテンダー台枠内部迄洗い落としました。ついでにテンダー後部のゼブラ塗装を
高圧で吹き飛ばしますと、やはり名寄~追分時代の一般的な警戒色塗装がかなり露呈しました。合わせて機体前端梁を注意深く高圧をかけますと、やはり
警戒色のスライド塗装が露呈しました。写真資料に残る通り前後とも警戒色迷彩塗装であった事が改めて判明しました。先端梁の方は名寄時代は確認でき
ていますが、最終の追分時代では未確認でありどなたがご存知の方がいらっしゃいましたらご教示頂きたいと存じます。
* 主灯・副灯火の最終仕上げをしておりますが、どちらも(後灯・LP42も)100V対応にいたします。主灯の蓋下部が意図的に損傷しており、左デフ下部修
復残りのアルミパテで対応しました。18・300メンバーならご存知の知る人ぞ知るHS工場方式(ガムテープ使用)・・何度も驚かされました。・・・で裏打ちをし
て修復いたしました。ガラスは完成時には入れますが、損壊防止の為に灯火類は常時はアクリル円板5mm×2枚でカバーしておきたいと思います。 2016/06/23
* 一応事前の準備調査・簡易整備は終えましたが、時間があれば運転室内の修復をしておきたいと思います。私の本格的な整備開始は予定通り8月初旬
を予定しておりますが、梅雨の関係で塗装業者の分担作業が早く終われば前倒しになるかとも思いますので変更があれば当ページでご連絡いたします。なお
、現地へのご案内をさせていただきます。松山方面からは二系統ございます。途中内子町のC12-231号機をご覧になられる場合は、国道56号伊予市向
井原から直進し山間部へ(中山~内子~大洲市北只から197号へ)~JR八幡浜駅から400mの4つ目の信号左折(スーパーフジが目印)国道378号へ~
800m三叉路交差点(左宇和・右舌間)を左折(ローソンが目印)~100mの点滅信号(JAコープが目印)を右折~細い道を50mで駐車場(7台)もしくは点
滅信号を30m直進し右折(王子が森公園駐車場入口の案内板あり)し駐車場へ30台程駐車可能です。)球場に沿って右へお越しください。
二系統目は先程の伊予市向井原から右折し国道378号へ海岸通りの風光明媚な伊予灘をご覧になり大洲市長浜~八幡浜市保内町へ、三崎からの国道
197号と合流し八幡浜市内へ~(八西無料自動車道トンネルが近道)トンネルを降りきり大平交差点を左折(直進は八幡浜港)し愛宕トンネルへ~トンネル通
過二つ目の信号を直進(上記のスーパーフジの信号・左折が松山・右折が八幡浜港)~以下上述の通りです。松山からの距離はほぼ同じですが海岸周りの方
が道路環境も良く時間的には短縮です。お気をつけてお越しくださいませ。なお、一人での整備作業をしておりますので説明は出来かねますが、ご自由にご覧
くださいませ。
* 塗装業者さんの足場・囲いが07末に完成する見通しなので、晴雨に関わらず08/01AM9:00から本機の整備を開始いたします。 2018/07/03
* 07/29は台風12号が接近中でしたが、整備資・器材を搬入しました。07/31には機体を覆う足場も完成しいよいよ明日から整備を開始します。私の作
業はリハビリの関係で水~日に行います。HPへの更新は毎月曜日を予定しております。左の3枚は29日・右の4枚は31日の現状です。足場・覆いが取り払
われるのは12月になろうかと思います。その間、機体全体を伺う事はできませんがHPで細部の整備進行状態をお伝えしたいと考えております。 次回の更新は2018/08/07です
* 08/01AM9:00 79642号機の整備を始めました。その前に整備に関心のある方や自分も始めようかと思っておられる方に、私流の整備の方法をご
説明しておきたいと思います。作業者の安全と作業効率の確保のために足場の建設・環境に対する配慮の為に機体全体をメッシュで覆う事は大前提です。先
ずケレン(旧塗装を剥がし鉄の地肌を露呈さす)ですが、昭和40年代の塗料には人体に影響を及ぼす鉛成分が含まれております。それをディスクペーパーを
使いサンダーで研磨する事は人体・環境面に悪影響を与える可能性は大であり、極力避けるべきと考えます。従って旧来は手打ちで打刻・特殊バーナーで焼
取り剥がす方法でしたが、剥がす道具の進歩で現在はエアーハンマーで塗料の大半をハツリ落とし、錆を含む鉄地肌はサンダーで研磨しています。鉄紛の粉
塵も凄まじいですがその飛散は塗料片飛散より重たく覆い内に落ちる事になります。もちろん送風機と防塵マスクは不可欠です。
地肌を出した磨いた鉄の表面に錆止め剤を塗布するのが当然ですが、私は以下の処理を行っいます。錆止め剤の前に地肌にEM活性溶液1を噴霧します。
すると研磨したはずの表面に短時間で錆が浮き上がります。再度軽く研磨した後にEM活性溶液2を噴霧します。2は錆を押さえ閉じ込める役割をします。所
謂錆止め剤の役割を果たします。次に錆止め剤にEMセラミック粉剤を混ぜ吹付(手塗り)します。本塗装までに時間がかかる場合は再度吹き付けた後に本塗
装をしますが、本塗装剤にもEMセラミック粉剤を混ぜて吹付(手塗り)しますが二度塗りを原則としております。今回も一人作業ですので本塗りまでに時間がか
かりますので最近注目されているサビ転換剤液も併用して作業を進める予定です。
* 煙室扉上部からケレンを始めましたがナンバープレート左下部から黄色の塗料が見えましたのでエアーハンマー作業を止め、サンダーにブラシを装着し
慎重に削りますと明らかに警戒色塗装の状況が確認できました。おそらくV字の警戒色塗装が煙室扉にも存在した事が判明しました。96型の警戒色塗装に
関しては別記の資料をご覧ください。写真記録後ケレンを再開し終了後EM活性溶液1を噴霧し本日の作業を終了しました。テンダー後部には警戒色塗装(現
在は白・黒)があり、今回煙室扉にまた先端梁にも黄色塗料が確認されており、本機は警戒色満載の機体であった事が初日に判明した成果です。缶胴被先
端下部の中央部(先輪の位置)に小ドームがあり、内部には巨大なピンが存在します。これは9600型機独特の装置と思われます。先輪の従台車に付随す
る復元装置の部位かと思われるのですが、歴然とせずこういう際は神頼みで何でもご存知の私には師匠である「やまてつ」さんに問いますと9600型の独特
のリンク式に関わる「中心ピン」であるとご教示いただきました。ピン上部にはB3413J・側部にはCR 271の打ち出し刻印がありました。内部構造について
は後日先輪内部に潜り込みますのでその際に報告します。
9600型機 警戒色塗装各機一覧表
機 番 | 部 位 | 形 状 | 部 位 | 形 状 | 機関区 | 年 代 |
9633 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | 小樽 | |
9654 | 煙室扉 | V1 | 先端梁 | V1 | ||
9667 | 先端梁 | V2 | 青森 | |||
19609 | 先端梁 | V1 | ||||
19616 | 先端梁 | V1 | ||||
19630 | 煙室扉 | 逆V2 | ||||
19640 | テンダー・デフ | V4・V3 | 先端梁 | V1 | ||
19650 | 煙室扉 | V1 | 先端梁 | V1 | ||
19654 | 先端梁 | V2 | ||||
19661 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | ||
19673 | 煙室扉 | V1特殊 | ||||
29601 | 煙室扉・テンダー | V2・V4 | 先端梁 | V1 | ||
29607 | 煙室扉 | V1 | 先端梁 | V1 | ||
29613 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | ||
29622 | 先端梁 | V1 | ||||
29643 | 先端梁 | V1 | 稲沢 | |||
29652 | 先端梁 | 逆V2 | 長町 | |||
29657 | 煙室扉 | V1 | 先端梁 | V1 | 稲沢以降 | |
29675 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | 小樽 | |
29677 | 先端梁 | 逆V2 | ||||
29681 | テンダー | V4・V3 | 遠軽 | |||
29685 | 先端梁 | V1 | 稲沢 | 1972 | ||
29694 | 先端梁 | V1 | ||||
39600 | 先端梁 | V1 | ||||
39612 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | 小樽 | 1972 |
39615 | テンダー・側面 | V5・斜8 | 小樽 | |||
39619 | 先端梁 | 逆V2 | 仙台 | |||
39631 | 先端梁 | V1 | ||||
39634 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | ||
39635 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | ||
39647 | 煙室扉 | 逆V3 | 先端梁 | 逆V2 | ||
39655 | 先端梁 | V1 | 稚内 | 1975 | ||
39655 | 先端梁 | 逆V4 | 五稜郭 | |||
39667 | 先端梁 | V1 | ||||
39670 | 先端梁 | V1 | 帯広 | 1971 | ||
39679 | 煙室扉 | V4 | 先端梁 | V2 | 追分以前 | 名寄 |
テンダー後部 | V4 | 類似 | ||||
先端梁 | V1 | |||||
39685 | 先端梁 | V1 | 米沢以降 | 1967 | ||
39696 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | 深川 | 1971 |
39697 | 煙室扉 | V3 | ||||
煙室扉 | V4 | 先端梁 | V1 | 新津 | 1971 | |
49600 | 煙室扉・デフV3 | V2 | 先端梁 | V1 | ||
49601 | 先端梁 | V1・V3 | ||||
49603 | 先端梁 | V1 | 五稜郭 | |||
49604 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | ||
49607 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | 酒田以降 | |
49608 | 先端梁 | V2 | 稲沢 | |||
49612 | テンダー | V4 | ||||
49615 | 煙室扉 | V3 | 先端梁 | V1 | ||
49616 | 先端梁 | V1 | ||||
49626 | 煙室扉 | V3 | 先端梁 | V1 | ||
49634 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V2 | 遠軽以前 | 1971 |
49644 | 先端梁 | V1 | ||||
49648 | テンダー後部 | V4 類似 | 先端梁 | V1 | 名寄 | 1975 |
49651 | 先端梁 | V1 | ||||
49652 | 先端梁 | V2 | 稲沢 | |||
49658 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | ||
49666 | 煙室扉 | V3 | 先端梁 | V2 | 遠軽 | 1971 |
49671 | 先端梁 | V3 | 五稜郭 | |||
49673 | 煙室扉 | V3 | 先端梁 | V1 | 遠軽 | |
49690 | 煙室扉 | V3 | 先端梁 | V1 | 新津以降 | |
49698 | 先端梁 | V3 | 五稜郭 | |||
49699 | 先端梁 | V1 | 追分 | |||
59601 | 先端梁 | V1 | ||||
59609 | 先端梁 | V1 | 岩見沢 | 1971 | ||
59613 | 煙室扉 | V2 | テンダ-横 | 斜8 | 滝川 | |
59614 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | 深川 | |
59652 | 煙室扉 | 逆V3 | 先端梁 | 逆V2 | 岡山 | |
59657 | 先端梁 | V1 | ||||
59658 | テンダー後下部 | V5 | ||||
59659 | 先端梁 | V1 | ||||
59669 | テンダー後部・側 | V4・斜8 | 大宮以降 | |||
59691 | 先端梁 | V1 | ||||
59694 | 先端梁 | V1 | ||||
69614 | デフ先端 | 斜2 | ||||
69620 | 煙室扉 | V3 | 先端梁 | V1 | 遠軽 | 1971 |
69624 | 煙室扉 | V2~4 | 先端梁 | V2 | 釧路 | |
69625 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | ||
69633 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | ||
69637 | 先端梁 | V2 | ||||
69644 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | ||
69653 | 煙室扉 | 逆V3 | 先端梁 | 逆V3 | 岡山 | 1969 |
79616 | 煙室扉 | V2 | 先端梁 | V1 | ||
79638 | 先端梁 | V1 | 稲沢 | |||
79642 | 煙室扉・テンダー | V2・V4 | 先端梁 | V1 | 名寄 | 1975 |
79667 | 先端梁 | V1 |
* 写真で確認する限り名寄機関区で同僚機であった49648号機とは類似しているように思えます。一覧表での資料での感想はテンダー後部の写真数
が少ないので何とも言えませんが、警戒色の基本部位は先端梁が優位であり煙室扉部への警戒色塗装頻度は少ないように思えます。岡山機関区のよう
に逆V字の塗装も見られます。本機の先端梁はV1であった事は名寄機関区時代の写真で解ります。
* 08/02は煙室扉周囲や缶胴被先端部の同様の作業、及び昨日のEM1活性溶液噴霧後の錆取り作業、及びEM2活性溶液の噴霧作業
* 08/03はテラス右と中央部の同様の作業。08/04は中央部・缶胴被最先端下部の作業。08/05はテラス左と大型手摺部の作業。08/08からは上
記部位へのサビ転換剤の噴霧と前部自動連結器・先端梁のケレン作業を行います。 次回の更新は2018/08/13の予定です。
* 08/08は6・7と休んでいる間に機体上部を担当している「宮本防水塗装店」の宮本さんを始め従業員4名の方が作業を開始されていました。6日には
テンダー全体のケレンを終了し、7日には前部缶胴被上部をケレンされていました。いずれも私の指摘した通りの作業内容でして流石にプロ集団の素早い仕
事でした。8日私は前端梁右部位から警戒色塗装を確認した後、自動連結器までのケレン作業を行いました。警戒色塗装は名寄時代の明確なV1スタイルは
確認できず、左側を含む全面黄色であった可能性が高いので、名寄時代に塗り替えれられ追分時代に黒普通塗装に上塗りされた可能性が高いと思われま
す塗装店の方々は缶胴被上部のケレン継続・砂ドームとテンダーの錆止め剤塗装を行いました。
9日は終日私単独の作業で自動連結器~前端梁左部位・解放テコのケレンしました。自動連結器座上部には 23 住友ロゴ 7-2-123が同右側面上部に
は 住友ロゴ シ42-37-2-123 同右側面下部には 住友ロゴ シ42-3 7-2-130 自動連結器錠揚げ前には B143B 8 ロゴ 12 住友ロゴ ナックルピン
には Y 566 ナックル上部にはNH シ40-11 星ロゴ 住友ロゴの刻印がそれぞれありました。
10日は上記部位のサビ転換剤の塗布・煙室扉部位の同剤二度塗りを行うと共に、台枠先端下部~先輪車軸迄ケレンしました11日は教え子の還暦同窓会
に出席・12日は西条市C57-44号機の「シゴナナ・ぷらす」で作業は休みます。15日から作業は再開の予定です。次回の更新は2018/08/20の予定です。
*08/15日は左先輪部のケレンを行いました。先輪ボスには3か所にR、軸ツバには2310 174 シ24-3の刻印がありましたが機番を示す刻印はありま
せんでした。タイヤには住友ロゴ N13155 シ36-10 W68 NHシ37-9の刻印がありました。プラットホームとの距離が無いために先輪全体を撮影す
る事ができませんでした。左サイドの動輪に関しても部分的撮影になる事をご理解ください。
16日は続いて尻棒サヤ・尻棒案内・気筒安全弁・シリンダー前蓋・蒸気室前蓋をケレンしました。尻棒案内のにはL 79642 HMの刻印が、気筒安全弁の
基盤ナットにはL1 79642の刻印がありました。また蒸気室前蓋弁心棒サヤにもL 79642の刻印がありました。
17日は先端梁裏側と台枠先頭部左側・テラス天井部・蒸気室前扉・シリンダー前壁をケレンしました。弁心棒サヤにはL 79642の刻印がありました。先端
梁裏側や台枠との接合部分は粉塵に覆われナットが判らない程の粉塵の堆積が認められました。
18日はシリンダー被とシリンダー排水弁・同開閉棒を続いて弁心棒案内・シリンダー後蓋をケレンしました。排水弁開閉棒にはL 79642Lの刻印がありま
した。続いてシリンダー後蓋・弁心棒案内をケレンしました。シリンダー後蓋にはL 79642の刻印が、弁心棒案内にもL 79642の刻印が、気筒安全弁のナ
ットには???42の刻印がありました。
19日は引き続きシリンダー後壁・第一動輪部までの台枠・コンプレッサー基部底・左第一動輪制輪子釣・頭をケレンし今週の作業を終えました。進行方向裏
側の油煙と粉塵の塊は尋常ではありませんでしたがエアーハンマーのお蔭で作業は順調に進んでいます。西条のC57-44の時はタガネを金づちで叩きなが
ら作業で除去に手間取りましたが、作業工具も日進月歩しており整備者には有難い事です。今週の大発見は左第一動輪制輪子釣にL1 29601の刻印があ
りました。29601号機は1976年に滝川機関区で廃車になっていますが、1945年以降ずっと苗穂工場管轄下の機関区に配属されていますので本機が名寄
機関区に配属された1969年以降に苗穂工場で転用されたと考えられます。
* 次回は08/22から作業再開です。次回は「宮本防水塗装店」推奨の橋梁用の強力な錆止め剤を手配して頂き、それにEMセラミック粉剤を混入しケレン
済みの部位に塗装する予定です。ケレン作業としては左台枠・先輪・第一~第四動輪部・~テンダー台枠・従輪部を第一工程、右台・先輪・第一~第四動輪
部・缶胴被下部~テンダー水槽下部・台枠内部・従輪内部を第二行程、右台枠・先輪・第一動輪~第四動輪・テンダー台枠・従輪部を第三行程、左右のピス
トン・クロスヘッド~メイン・サイドロッドを第四行程、テンダー背後と機体各部位の銅細管磨きを第五行程、運転室内を第六行程と考えております。ケレン終
了部位から徐々に錆止め剤を塗布し、「宮本防水塗装店」の本塗り進捗状況に併せて本塗りが可能な部位を塗装する予定です。 動輪のカウンターやピスト
ン・クロスヘッドやリターンクランク・メイン・各サイドロッドをどのように塗装・処理するかは決定しておりません。 次回の更新は08/27を予定しています。
* 08/22作業再開、20~21日で機体上部等のケレンと錆止め剤の塗布が行われていました。刻印の事を宮本社長さんにお話ししておりましたら従業員
の方々も慎重にケレンして頂き、左逆転棒の前方でF79642の刻印をまた右煙室内の反射板操作ハンドルに79642の刻印を見つけて頂きました。作業中
も若い方が「これ何やろうか」とタガネによる作業印を聞いてきたりして関心をもって貰い有難い事です。私はコンプレッサー下部・第一動輪部台枠・第一動輪
上部をケレンしました。左第一動輪タイヤには住友ロゴ W91565D シ44-4 (NH) 45-5の刻印がありました。
* 08/23 宮本社長さん達は運転室左右・天井、テンダー石炭庫口等をケレン、私は引き続き左第一動輪下部~加減リンク受け梁の前壁をケレンしまし
た。ロッド等は後で全体的にケレンする予定ですが、作業手順と刻印の確認研磨は実施しております。左第一サイドロッド油壷にはL1 79642が、第一サ
イドロッド油壷曲面にはHM 36.6 9600 1L22の刻印ありました。またクロスヘッド部のソケットにはL79642 45.5.29 NH(OM)がコッターにはL
79642の刻印がありましたが42の下に41の元印が確認されました。
これが事実とするならば79641号機は本機と共に1924年に汽車製造大阪工場で製造され共に名古屋管内に配属され、1937年に陸軍に供出されて
います。1933年には41号機は稲沢機関区・42号機は上諏訪に所属しており、このあたりで転用されたのでは無いかと想像されます。いずれにしろ796
41号機の部品が引き継がれていたとするならば、貴重な遺物とも言えます。結びリンクにはL79642がありました。左第一動輪軸ツバにはシ45-4の刻
印がありましたがボスに本機を示す刻印はありませんでした。
* 08/24 宮本社長さんたちは、本日もケレン済みの部位に錆止め剤を終日塗られ機体の大半が赤茶色に染まりました。私は加減リンク受け梁の前壁
・加減リンク・後壁・第二動輪部台枠をケレンしました。昨日の作業中にテンダー前部右に溶接してある火格子揺り棒に漢数字で一九六五一の刻印を見つ
けてくれました。19651号機は1974年に鷲別機関区で廃車になっていますが、1933年以降名寄機関区等に配属されていましたので本機が名寄機関区
に配属された1969年以降に苗穂工場で転用されたと考えられます。火格子揺り棒の漢数字表記は三次市の48650号機にもありましたが、火格子揺り棒
の検出例が少なくこれも貴重な発見例となりました。加減リンク受け梁前壁にはCR 271 Lカ?の打ち出し刻印が、さらに受け梁外端には住友ロゴ 13.
4 B3520Jロゴ 加減リンク受け梁外側にはCR 271 ロゴ? L79642 B345 J住友ロゴが内側にもCR 271ロゴがありますが、ロゴの判読は打ち
出し印が不鮮明で解りませんでした。加減リンク体にはL 79642が、受け梁後壁には79642の刻印がありました。
*08/24 宮本社長さんたちはテンダー部から本塗装を始めました。見る見る間に二液エキシポ系の漆黒の機体が蘇ってきました。私も午後から左先輪
のスポークに174?(A)の打ち出し刻印を確認後今までケレンしてきた部位(先端・先端梁裏・先輪部・シリンダー被・第一動輪部等)を錆止め剤で塗装しま
した。また左第二動輪部のケレンを始めました。
* 08/26 左第二動輪部ランボード裏・第二動輪担バネ・台枠・第二動輪をケレンしました。第二動輪のカウンターウェイトは第一動輪に比べると凹凸が
激しく、サンダー泣かせの表面でした。タイヤには摩耗が激しく読み取れ難く、多分住友ロゴ W5152? D シ44-4 T139 (NH) シ45-5と読めます。
第二動輪軸ツバ・ボスには現時点では本機を示す刻印はありませんでした。
* 今週は宮本班も作業人員を増やされて作業されたので機体上部の80%が本塗りを終えています。恐らく27・28で完成・仕上げと思われます。29日が
楽しみです。
* 08/29 28日に宮本班が作業をされており、ランボードより上部の機体の大半が本塗りを終えており左右の空気溜りを残すのみとなっています。本日
は左第二動輪ボス・軸ツバの再ケレンと缶胴被のケレンに追われました。 軸ツバには(NH)シ21-? シ22-9の刻印がありました。
* 08/30 本日は左第三動輪部台枠・ランボード下・第三動輪のケレンを終日行いました。動輪ボスに本機を示す刻印は認められませんでした。またタ
イヤには住友ロゴ W91703 D シ44-2 T109 (NH)シ44-4の刻印がありました。ロッド等の最終研磨は屋根もありますので磨き出しアクリル処理
を考えており、最終行程で実施する予定ですが、刻印は事前に確認しておりますので報告しておきたいと思います。メインロッド油壷曲面にはHM 37 6
9600 6が、第二サイドロッド油壷曲面にはHM 30 6 9600 2L 355がありました。
* 08/31 本日は左第四動輪部・台枠・外火室側板等のケレンに追われました。第一動輪制輪子同様に第四動輪制輪子にもL4 29601の刻印があり
ました。
* 09/01 本日は左第四動輪及び速度計第一ギアボックス等のケレンを行いました。やはり動輪ボスには本機を示す刻印は見当たりませんでした。軸ツ
バにはシ42-12 NH1361の刻印が、第一ギアボックスには形式9600 17:36の表示が、第三サイドロッド油壷曲面にはNN、38、8、 9600、3L、
40、1、の刻印が、タイヤには住友ロゴW91379 D シ44-3 T107 (NH)シ45-5の刻印がありました。
* 09/02 本日は先週・今週でケレンした箇所に錆止め剤を塗布して作業を終了しました。来週からは運転室下部のブレーキシリンダー等の部位のケレ
ンに取り掛かり、続いてテンダー左各従輪部を行う予定です。 次回の更新は09/10の予定です。
* 09/05 本日は機体左側最後部のブレーキシリンダーや機関士座席下・分配弁空気筒などをケレンしましたが、配管等が交差しており、サンダーが届
かない部位も多くありました。ケレン出来ない箇所はせめて粉塵だけでもハツリで除去を試みましたが床直下にはハツリも届か無い状態で残してしまいまし
た。速度計第二ギアボックス底部には、9600形式 39-04 17:36の表示板がありました。左ブレーキシリンダー筒の底部には12 CT427の打ち出し
刻印が、筒前後にはシリンダーの大きさを示す305×250の表記がありました。また渦巻塵取りにはT10?80の表示がありました。 ケレンし難い箇所で
あり時間を取られた割には粉塵や旧塗装が除去できず残念です。
* 09/06 本日からテンダー左 台枠部のケレンを開始しました。機体本体の粉塵よりその不着度合いが多くやはりテンダーは余程の事が無い限り全般
検査でも分解清掃される事無く点検で終えられた感があります。できるだけケレンしますがエアーハンマーによる打刻(ハツリ)で終えざるを得ない箇所も増加
しそうです。左第一従輪担バネバネ鞍には061 MT40-3 C41-4 HM45-6の刻印がありました。貴重な記録としてはMT(松任工場)の記載がある事で、
本機は1955年~1968年1月20日迄高山機関区に配属されておりその間高山線を日本海側まで走行したことも多々有った事と思われます。本来ならば浜
松工場での各検査を受ける筈なのですが、ヤードの関係で、松任工場で全検・中間検査を受けたのでは無いかと思われます。従輪スポークには61の打ち出
し刻印があり従輪軸ツバにはL3 19603 T75 ISW 1916-2-63353の刻印がありました。19603号機は1976年に岩見沢第一機関区で廃車になっ
ていますが、1947年に岩見沢機関区に配属されて室蘭機関区時代もありましたが大半を岩見沢機関区で活躍していました。従って本機が1969/06に名寄
機関区に配属された以降に苗穂工場で転用されたものと考えられます。
* 09/07 今週末から四国地方は雨天が続きそうですので、サビ転換剤を塗っている煙室扉等の前方部を二液式の黒本塗装を午前中に塗り、午後からは
テンダー左第二従輪部のケレンに取り掛かりました。機体の先頭部~機体上部~機体左右~テンダーと黒塗り本塗装(部分的には今後二度目の塗装が必要)
が終わり、機関車の漆黒の輝きが戻ってきました。見に来られた方々から「わあ~こんなになるんですか!」と驚いておられました。作業はまだまだで砲金製の
汽笛や安全弁部位・ロッドが磨き上げられたらさらに驚かれる事かと思います。
テンダーについて判明している事をお伝えしたいと思います。本機のテンダーは標準Aタイプのテンダーで全体の形状には変わった事は無いのですが、前方
から3分2辺りで特徴のリベットがありません。事前調査で一部ケレンした部分で溶接してつなぎ合わせた箇所が検出されておりましたが、宮本班が丁寧にケレ
ンして頂きその全貌が明確にありました。前方部の縦鋲3列も削平されており特殊な鋲形態となっています。整備が始まる前の5月に高圧洗浄中に本機を訪れ
られた方がおられます。岐阜県高山市からお越しのHP通称名「高山キューロク」さんで、高山駅の歴史を調べたり高山機関区に所属した各機を訪問され資料と
しHPに公開されておられ、「高山機関区製作ブログ」本機を訪れられました。いろいろとお話しや情報交換をして頂きました。その節は有難うございました。後日
同氏から高山機関区在籍時代の本機の資料を送付して頂きました。その写真で確認する限り高山~稲沢時代は標準Aタイプそのものであり、本機が北海道
(名寄)に転属以降、時期は判然としませんが、苗穂工場で別の96型テンダーと溶接接合したテンダーでは無いかと想像されます。この二つのテンダーの合体
は特殊な例と思われますが、私は広島県三次市の「48650号機」でテンダー台枠前部3分の1が9600型・後部3分の2が8600型であり、台枠内部に鋼板を
あてがいボルト・リベットで止め外側を溶接という大工事を行っている個所を検出しております。テンダー水槽部ですからさほどの作業では無いにしろ、水槽接合
という特殊な形が伺われます。
* 09/08 昨日に続きテンダー左第一従輪部~第二従輪部を終日ケレンし、一部第三従輪部までを行い作業終了しました。
テンダー左第二従輪担バネ・バネ鞍にはC14 NH38-3 NH39-11 NH45-6の刻印がありました。また第二従輪タイヤには住ロゴ W11884 シ46-6
T78 (NH)シ46-10の刻印がさらに第二従輪軸ツバにはシ35-2 12ロゴ 74969-43の刻印がありました。
* 09/09 本日は作業現場に出向きテンダー左第三従輪部のケレンを行う予定でしたが、八幡浜地方は大雨で屋根からの飛沫が酷く作業にならず、雨天
時のケレンは禁物であり雨対策をしてから松山に戻り休養させていただきました。来週は同部位をケレン後、いよいよ機体本体下部を先頭部から潜り込みケ
レンする予定です。 次回の更新は09/17を予定しています。
* 09/12 本日はテンダー左第三従輪部・同水槽底部のケレンを行い、更に機体先頭部から潜り混み先輪内側と同台枠等をケレンしました。機体下部で
すが第一~第四動輪間のブレーキ制動梁と路床との高さが無く、(動輪直径1.25mが影響)第四~運転室下部~テンダーは進入可能)届く範囲でのケレン
が余儀なくされます。(C12やD51は1.4mなので15cmの差)
第三従輪担バネ・バネ鞍にはNH45 6 223 NH33 10の刻印がありました。NH33は1958年であり、本機が名寄配属はシ44・1969年であり、バネ
鞍は本機以外の流用と考えられます。またスポークには3920の打ち出し刻印がありました。
* 09/13 本日は運転室下部~テンダー左従輪部の錆止め剤を塗布しました。その後右前端梁内側等のケレンを行いました。
* 09/14 本日は左サイドの黒本塗り(一回目)を行いました。タイヤ・ボス・各ロッド・各銅細管は後日磨き出しや別塗装の予定です。
* 09/14~15 右先輪部のケレンを行いました。先輪輪体・軸ツバには本機を示す刻印はありませんでした。輪体にL 177の刻印が、タイヤには住ロ
ゴ N13155 シ36-10 T68 O(NH)シ37-9の刻印が、スポークには177の打ち出し刻印がさらに別スポークには標識板(金帯)があり、NH 159の
刻印がありました。先台車バネ釣にはR 79642がありました。左側はスポークと重なり7と2しか確認できませんでしたが、これで明確に両サイドの刻印が
確認できました。尻棒案内油壷下部にはR 79642 HMの刻印が左サイド同様にありました。蒸気室前蓋サヤにもR79642の刻印がありました。
09/06にテンダー第一従輪バネ鞍にMT(松任工場)40-10の事を記載しましたが、「高山キューロク」さんから浜松工場はS37・1962から新幹線体制
に移行しているので名古屋管内の各機はMT(松任)・NN(長野)に振り分けらていたというご教示を頂きました。有り難うございました。これは私のロッドに関
するHM・NN考と合致しております。尻棒案内には左右ともHMの刻印がある事から尻棒案内は特殊部位なので、浜松工場に製造割り当てされていたものか、
あるいはS37・1962以前に(稲沢機関区~高山機関区)浜松工場で取り付けれられたと考えられます。名寄機関区以降は当然NH(苗穂)の表記が当然で
すのでこれも他機刻印と共に貴重な経緯と思われます。右ステップには下請け鉄鋼会社の略表記がありますが読み取れませんでした。
* 一応左サイドの塗装を終えていますので、動輪関係を記載しておきたいと思います。10/28に一覧表として転載しております。
* 次週は右シリンダー被~第一動輪部のケレンを予定しております。 次回更新は2018/09/24を予定しています。
* 09/19 右シリンダー被部位のケレン作業、シリンダー被を外して見ました。D51-10号機の様に気筒に製造年月日があるのではと期待していました
が、残念ながら無印でした。その代わりに大量の鉄サビと粉塵が堆積していました。気がかりな「座布団アスベスト」は既に除去されていました。シリンダー
被は下部まで腐食は見られず、きれいな状態で特に下部は磨くと材質の良さが表れ輝きを増しました。下部の排水弁開閉棒にはR79642Rの刻印がありました。
* 09/20 シリンダー部後壁・弁心棒案内・シリンダー後蓋のケレン作業を行いました。後壁と台枠との接合部は特に粉塵の堆積が凄まじく、ボルトも粉塵
の塊で隠れていました。弁心棒案内油壷下部・シリンダー後蓋にはR79642の刻印が、後蓋基部にはB3503J 住ロゴ 134の刻印がありました。
* 09/21 シリンダー後壁・シリンダー後蓋・第一動輪部台枠のケレン作業を行いました。右第一動輪制輪子釣には左同様に?R1 29601の刻印があ
りました。
* 09/22 昨晩北九州市より、直方汽車倶楽部のメンバーである入江氏が来訪され22・23・24と手伝って頂く事になりました。左足の不具合で高所の作
業に難のある私には強力な「助っ人」であり感激・感謝に耐えない次第です。早速汽笛・安全弁のケレン~磨き出しに終日取り掛かって頂きました。私は第一
動輪のケレン作業に終始。第一動輪タイヤには住ロゴ W91178 D シ44-3 T109 (NH)シ45-5の刻印がありました。
* 09/23 昨晩は入江氏と二人が関わったD51-300・18・10号機の整備中やその後の様子、全国の保存機の情報談義や本機の今後の整備等の話
で時間を忘れておりました。本日は入江氏には最初にテンダープレート、次に先頭のメインプレートのケレン・磨き出しをお願いしました。私は第一動輪~同
部ランボード下等のケレン作業を行いました。逆転軸腕受け梁にはCR271 ネ(ロゴ) 加減リンク部前壁にもCR271 R カ(ロゴ)の打ち出し刻印が読み
取れました。
* 09/24 入江氏は左右のプレートのケレンと磨き出しをお願いし、私は第一動輪部の細部のケレン仕上げを行いましたが、結局汽笛・安全弁・4枚のナ
ンバープレートの全てを入江氏にお願いする事になりました。入江氏のお蔭で本機のメイン部位が光輝きを取り戻し、祭日で「王子が森公園」で遊ばれている
親子ずれにプレートを披露しますと、皆さん口を揃えて美しい・綺麗・感激と言葉が続きました。一重に入江氏の卓越した技量のなせる業であり、本当に感謝
いたします。有り難うございました、そしてお疲れ様でございました。私も機会がありましたら再びD51-10号機のお手伝いに参りたいと思います。
* 第一動輪部のケレンが終了しましたが、ロッド等は別磨きを行程に入れておりますので、現状のままですが刻印の確認はいたしております。第一動輪
ボス・軸ツバは隠れておりますが、他動輪同様本機を示す刻印は無いものかと思われます。合併テコ・結びリンク・第一サイドロッド軸ツバ・同油壷・同曲面
・クロスヘッド部のコッター・ソケットにはいずれもR79642の刻印が存在しておりますが、ロッド等磨き出しの段階で写真と共に正式にお伝えしたいと思いま
す。以下第二~第四動輪部に関しても同様にいたします。(磨き出しをしない機体本体・台枠・制輪子等については検出次第紹介いたします。)
* 次回は09/27より作業を再開します。次回の更新は10/01を予定しております。
* 09/27 右先輪~第一動輪部位の錆止め剤を塗布し、第二動輪部缶胴被等のケレン作業、缶胴被は手の届く範囲でケレンを実施。加減リンク受け梁
後壁には左同様79642の刻印が、第一動担バネバネ鞍にはC281 NH 33-7の刻印が検出されました。
* 09/28 引き続き右第二動輪部位のケレン作業を実施、左同様受け梁外端には住ロゴ 13.3 ロゴ B358が、受け梁内側にはロゴ CR271が外
側には同じくロゴ CR271 B3438J R79642の刻印がありました。第二動輪タイヤは不鮮明ですが住ロゴ D71080 シ44-1 T107 (NH) シ45-5
の刻印が、ボス・軸ツバには本機を示す刻印はありませんでしたが、軸ツバにはR2 (NH) シ23-6 10?の刻印がありました。この軸ツバに関しては本機
が北海道配属前の年号であり、他機の転用と考えるのが妥当かと思います。右第二動輪制輪子釣にはR? ?9601の刻印がありますが、左第一・第四同
様に29601の可能性が高いと思われます。
台風24号接近の為夕刻に宮本班が安全対策として覆いのメッシュの結束作業を行いましたので、自動的に作業停止となりました。同時に下部に堆積する
ケレンによる粉塵や凝固塊等の一時除去を行いました。45L入りの土嚢で30袋の量でした。足場だけの状態になりましたので現況を撮影しました。一見綺
麗に見えますが、私の下からのケレン作業の粉塵の巻き上げで機体は薄汚れてはいますが、通りがががった皆さんからは「もう完成ですか?綺麗ですね」と
言われ、台風対策ですとお答えしますと「頑張ってくださいと」激励されました。よく遊びに来る子供達からは八幡浜特産の「みかん」の差し入れもあり、地域の
方々に温かく見守られている本機です。台風通過まで作業は休止し、私も松山に戻ります。
* 10/03 台風24号の影響も雨だけだったようです。再び覆いが戻りましたが、機体右サイドには屋根の覆いが浅くかなり機体に雨がかかっていました。
03は右第三動輪部上の缶胴被・台枠・ランボード下部等のケレンをしましたが、夕刻からは早くも台風25号の影響を受けて雨が降り始めました。雨はケレン
には不向きでして湿気が多いとEM2活性溶液の効果も出ないので、右サイドの進捗は天候に左右されます。04も雨模様で雨対策をして松山に引き上げまし
た。台風通過まで右サイドの作業は延期いたします。今後も秋雨前線の影響を受けるようでしたら、作業工程を変更し第四動輪内部・運転席下・テンダー台
枠内部・運転室等の作業に変更せざるを得無いかと思われます。写真は次回に合わせて紹介いたします。 次回の作業は10/08からを予定しております
* 10/06 台風が秋雨前線を刺激したので雨が05も降り続きましたが、06は晴れそうなので現場へ。雨対策はしていたのですが強雨の為にケレン済み
の右第二動輪部は錆が出始めていましたので午前中は再度サンダーで錆を除去し午後から右第三動輪部のケレンに取り掛かりました。
* 10/07 午前中にケレン終了し午後からは第二・第三動輪部のサビ止め剤を塗装しました。右加減リンクの受け梁内側には外側同様CR271の刻印が
ありました。第二動輪のリムには二か所の修理痕跡が、第三動輪のスポークにも修理痕跡がありました。 部品の供給が出来ない時期に差し掛かっていたの
か、修理可能な状態だったのかは解りませんが左動輪には見当たらなかったので珍しいかなと思います。第三動輪タイヤには住友ロゴ W91178 Dシ44-
3 Y169 (NH)シ44-5の刻印がありました。今回は錆止め塗装のタイミングが取れず一週間近く雨の影響を受けた為に第二動輪は再度研磨せざるを得ま
せんでした。二重手間であり今後はハツリの状態で揃えておき、一気にケレン・研磨が効率的と判断し第四動輪部から旧塗装・粉塵除去で止め、天候を予測
してケレン~研磨~錆止めを行うように作業変更し、雨天時はテンダー台枠内・運転室内の作業に変更します。
* 10/10 本日も当地は雨模様なので、第四動輪部の整備はハツリ・手金鎚による旧塗装・粉塵の除去を行いました。11日も小雨が続きブレーキシリ
ンダー部まで同様の作業に追われました。
* 10/12 やっと天候が回復しましたので、ハツリで止めていた部位を一気にサンダーでケレンに移り、作業的な遅れを取り返しました。右第四動輪制
輪子釣にはR?2960?の刻印がありますが0の次にYが被さっており、定かではありませんが、左右第一動輪同部位・左第四動輪同部位の29601の可
能性が大と思われます。第四動輪タイヤには住友ロゴW 91175 D シ44-3 T 109 (NH) シ44-5の刻印が認められました。 軸ツバにはロゴ 7
2031-21・ロゴ シ 42-5の刻印が、右ブレーキシリンダ-ボックス底部には12CT427 XXの刻印がありました。
* 10/13 昨日ケレン完了した部位に錆止め剤を塗布しました。明日は西条市C57-44の「シゴナナプラス」がありますので作業は休止します。水曜日
天候がよければ、右先輪~第四動輪部まで黒本塗り一回目を行いたいと思います。
* 10/17 好天に恵まれましたので終日右先輪~第四動輪までの黒塗りを行いました。以下が作業状況です。
* 10/18~19 運転室下部残りとテンダー右ステップ~第二従輪部までのケレンを行いました。テンダー右ステップの下段にはCARNEGIE・・USの
文字がありましたが第二従輪上部の台枠と水槽下部の充鋼の・・ARNE・・・USAの文字からCARNEGIEロゴUSAという事が判明しましたが、アメリカの鉄鋼
メーカーなのでしょうか?私には解りません。第一従輪部に関してはタイヤには住友ロゴ W ?1765 シ44-5 T78 (NH)45-5の刻印が、軸ツバには
シ10-? O38 R3 19603の刻印がありました。19603号機は1976年に岩見沢第一機関区で廃車になっています。本機が1966年に名寄機関区に
配属後転用されたのでしょう。また軸箱の下部受け梁にはL 39679の刻印がありました。39679号機は1976年に岩見沢第一機関区で廃車になってい
ます。やはり本機が名寄機関区に配属以降に苗穂工場で転用されたのでしょう。
さて問題へのバネ鞍ですが左第一従輪バネ鞍同様にNH45-6 O38 MT39-12の刻印がありました。左右にMT(松任工場)を示すことから本機の部品
と考えたいのですが確定が出来ません。東海・北陸地域から本機のみが配属されているのなら100%確定ですが、29657号機も1964~65年に福井機
関区、1966高山・1968稲沢機関区と本機の後を追うように1971年に旭川機関区に配属されていますので、どちらかの部品と考えざるを得ません。
第二従輪部に関しては、担バネバネ鞍にはNH45-6 軸ツバにはシ35-5 NH668の刻印が、タイヤには住友ロゴ W71964 シ44-6 T78 (NH)
46-10の刻印がありました。
* 10/20 本日は第一従輪~第二従輪部位の錆止め剤塗装作業行いました。以下が作業状況です。
* 10/21 第三従輪部の途中までケレンをしました。途中経過ですが判明した事をお伝えしたいと思います。バネ鞍にはNH39-11 NH45-6の刻印が、
軸ツバには シ41-4NH198の刻印が確認されました。09/07でテンダー側板のリベットの有無から別テンダーとの溶接の件を記載しております。実は左
台枠第三従輪部にも溶接の箇所があり。台枠バネ鞍部にL 1???1の刻印を確認はしておりましたが、右サイドにケレン待ちで確定するつもりでした。同
部位をケレンしますと同様に溶接痕と明確にR 19611の刻印が検出されましたので左も19611であり、テンダー台枠後部は19611号機の台枠である
事が判明しました。19611号機は1968年に稚内機関区で廃車になっています。本機が名寄機関区に配属後か同機が廃車後に苗穂工場で溶接作業が行
われたかと思われます。三次市の48650号機は前3分の1を96型・後3分の2を86型で溶接してありました。台枠裏側に鋼板を充てボルトで固定しさらに
溶接という形状でしたが、本機の場合は同じ96型同士なのか自重の構造上からなのか溶接だけで済ましている違いは明らかです。水槽側板の溶接・リベット
の違い・台枠の溶接・バネ鞍のMTの存在など79642号機は興味深い事実が多く見られます。
* 次週は第三従輪部残りとテンダー後部下部のケレンを予定しています。次回更新は10/29の予定です。
* 10/24 本日午前中は第三動輪部のケレン継続、午後からはテンダー後端梁右側のケレンを行いました。第三従輪タイヤには住友ロゴ?3875 シ
45-6 T78 (NH)シ46-10 の刻印が、リムにはNS 8の打ち出し刻印がありました。最後部の排障器受け梁にはR 19611の刻印がありました。これ
でテンダー台枠後部は19611号機である事が確定出来たのでは無いかと思います。テンダー後端梁のケレンでは名寄・追分時代の警戒色塗装(黄色)が
残存していましたが42年の歳月を経て完全にケレンさせて頂きました。
* 10/25 終日テンダー後端梁・自動連結器部位等のケレン作業を行いました。自動連結器胴にはシ46-11 BIFロゴの刻印が、ナックルピンにはY
191、ナックルにはシ44-10 496126 ロゴ・底部にはF75の刻印がそれぞれありました。
* 10/26 午前中に後端梁左・梯子部位をケレンし後端梁ケレン終了、さらに左右第三従輪制輪子部位をケレンしました。左右制輪子にはNH 24の刻印
が、右制輪子釣りにはR1 29633の刻印がありました。29633号機は1974年に池田機関区で廃車になっています。本機が1969年に名寄機関区配属
後に苗穂工場で転用されたのでしょう。左制輪子釣りにはR1 29634の刻印がありました。刻印が明瞭でないので写真では29684とも読み取れるのです
が、29684号機は高崎機関区所属しており、1936年に陸軍に供出されています。本機は1933年には上諏訪機関区に配属されており管轄工場は長野、
29684号機の管轄工場は大宮であり、先ずこの段階での転用は考えられ難いと思われます。29634号機は1971年に旭川機関区で廃車になっています。
やはり本機が名寄機関区配属後転用されたと思います。午後からは第三従輪部・テンダー後端に錆止め剤を塗布しました。
* 10/27 午前中にテンダーステップ~第一~第三従輪~後端梁の本黒塗り(一回目)を行いました。次に電源・エアホースの配置転換を行い右第二空
気溜・繰り出管のケレンを行いました。
* 10/28 午前中に第二空気溜・繰出管後部をケレンし、午後からはタービン・ATS発電機部位をケレン終了しました。タービン発電機には修理表示板が
あり、昭和30年修理・修理番号1042・東京 三鷹車両機製作の記載がありました。タービン発電機にはA679、ATS発電機には7266の刻印が上部にあ
りましたが。製造名盤では無いので部品番号と思われます。(ATS部品番号写真の7260は7266の間違いです。後日訂正いたします。)
* 次週は左コンプレッサー等のケレンに移ります。次回更新は11/05の予定です。左右の先輪~従輪のケレンが終了しましたのでタイヤ関係を一覧表に
しました。
* 79642号機 タイヤ関係一覧表 ケレン時は刻印の彫りが甘く判読不明の刻印もありましたが、全体的に調整確認と他のタイヤとの関連性から一部写
真紹介と異なておりますが、こちらの方が正しいかと思われます。
刻印 | タイヤ厚 | 部位 | 刻印 | タイヤ厚 |
住ロゴ N13155 シ36-101 T68 O(NH)シ37-9 | 4.8cm | 先輪 | 住ロゴ N13155 シ36-7 T68 O(NH)シ37-9 | 4.8cm |
住ロゴ W91565 D シ44-4 T109(NH)シ45-5 | 5.0cm | 第一動輪 | 住ロゴ W91178 D シ44-3 T109(NH)シ45-5 | 5.2cm |
住ロゴ W5152? D シ44-4 T139(NH)シ45-5 | 5.8cm | 第二動輪 | 住ロゴ W71080 D シ44-1 T107(NH)シ45-5 | 5.7cm |
住ロゴ W91703 D シ44-4 T109(NH)シ44-5 | 5.2cm | 第三動輪 | 住ロゴ W91178 D シ44-3 T109(NH)シ45-5 | 5.1cm |
住ロゴ W91379 D シ44-2 T107(NH)シ45-5 | 5.8cm | 第四動輪 | 住ロゴ W91175 D シ44-3 T107(NH)シ45-5 | 5.7cm |
6.3cm | 第一従輪 | 住ロゴ W?1765 シ44-5 T78(NH)シ45-5 | 6.3cm | |
住ロゴ W1184 シ46-6 T78 (NH)シ46-10 | 7.0cm | 第二従輪 | 住ロゴ W71964 シ44-6 T78(NH)シ46-10 | 7.0cm |
7.0cm | 第三従輪 | 住ロゴ W?3875 シ45-6 T78(NH)シ46-10 | 7.0cm |
* このデータから想定できる事を述べたいと思います。先ず先輪ですが本機はシ44-6に名寄機関区に配属されていますので、先輪のO(NH)シ37-9取
り付けから、本機の先輪では無く他機の先輪の転用と考えられます(NH)の前のOの意味が不明です。次に各動輪ともシ45-5名寄配属1年後に取り付けら
れています。左右の摩耗の差は若干違いますが順当かと思われますが、追分機関区廃車のシ51-3の約6年間の走行の割には消耗が少なく、名寄後半に
はその迷彩塗装の関連からも構内入れ替え等に従事していた可能性は高いと思われます。同じシ45-5にテンダー右第一従輪が取り付けられていますが摩
耗には最大1.3cmの差があり、動輪と従輪との重圧関係を証明しているかとも思います。テンダー右第二・第三従輪はシ46-10に取り付けられておりタイヤ
では最後の交換がなされています。廃車までの5年間の走行とは思えない程摩耗は少なく新品同様であり、これも運用が少なかった事に比例しているのかあ
るいはテンダーを最後に取り換えた可能性があり、水槽後部や台枠後部の19611号機との溶接とも関連しているのかも知れません。以上私見を述べさせて
いただきました。これらの御事情をご存知の方のご指導をよろしくお願いいたします。2018/10/29 大山
* 10/31 終日コンプレッサー部位のケレン作業に従事、上部にHM604 KR390の刻印が、側面プレートにはNH108の刻印がありました。
* 11/01 終日、 左第一空気溜部位のケレン作業。第一は修理した為にリベットがありケレンに難点がありました。
* 11/02 終日、先週ケレン下タービン・ATS発電機・右第二空気溜・コンプレッサー・左第一空気溜りの各部位に錆止め剤を塗布しました。両発電機とコ
ンプレッサーには煙室扉で使用した錆転換剤が余っていたので使用しました。
* 11/03 終日、錆止め剤を塗布していたテンダー後端梁・自動連結器、昨日錆止め剤を塗布した部位の黒本塗り(一回目)を行いました。テンダー後
部に関しては本機が現地に保存されて以後白黒のゼブラ塗装(警戒色塗装とは異なる)にされていました。元より警戒色塗装では無いのでそのように復元
する事は考えておりませんでした。先頭部前端梁や煙室扉をケレン中に同部位にも本来の警戒色塗装がなされていた事が判明し、名寄時代は前後共に警
戒色塗装、追分時代はテンダーのみであり、本来の名寄時代に戻すのも一理かとも思いましたが、構内入れ替え用を主たる業務とする国鉄最終時期の機
関車の姿は本線を疾走するイメージと合いません。高山~稲沢~名寄初期の本来の姿が最も相応しいかと思い、市当局と話し合った結果、本来の黒塗りと
することに決定しました。
* 本日で錆止め剤を塗布した機体各部位の本塗装(一回目)は終了しました。錆止め剤の細かい隙間部位への付着は、本塗装(二回目)の際にエアスプレ
ーガンで塗りつぶします。
機体全体をメッシュ幕で覆っていますので、その粉塵の量が夥しく今後の作業に支障を来しますので来週からの運転室内のケレン・ロッド等ケレンが終了
次第、一度高圧洗浄をする予定です。作業行程としては運転室内のケレン・塗装と部品装着整備~ロッド磨き出し~銅配管磨き出し~テンダー後部内部ケ
レン~機体内部第四動輪部・運転室下ケレン~灯火取り付けを予定しております。より細かく手間のかかる部位の作業ですので整備終了を12月末と見込ん
でおりましたが、来年1月末とする方向で市当局と調整しております。
* 11/07~11 いずれの日も終日運転席内のケレン作業に終始しました。入口部後壁~天井~機関士席部位~室内天井部~焚口炉を含む釜全体~
機関助士席部位の一部までを行いましたが、96型は天井部との間が狭く特に速度計より前上部はサンダーの届く範囲が限られ、また各銅管・細管が交差
している為と私の技量不足でハツリが精一杯の箇所もあり、改めて96型の整備の難しさを知らされました。来週も運転室内のケレンをしますが、手作のケレ
ン棒等で何とか対応したいと思います。
機関士席前の回転式丸窓ですが表示プレートがありましたので紹介しておきます。旋回窓 形式CK300 製造番号 557 2 重量6kg センターレス工
業株式会社 昭和40年5月と判読されます。岩見沢市の嶋田様から送られてきた後灯「LP42」と本機の同残骸を組み合わせて後灯の復元を試みておりま
す。西条市のC57-44号機も同様でしたが、完品の「LP402」を送って頂きましたので不要となりしばらく館内で展示した後、三次市の48650に仮設してお
りましたが、現在は宇部市のD51-18号機に安住の地を得ております。44号機と同じく北海道を走行していた本機が北海道の灯火を装着できるのも幸運と
言えます。
私も各機の整備をさせて頂いておりますが、本機も火室内の火格子上に最後に走行した際の石炭の燃焼カスが残存しており珍しいのですが、残念ながら
後から石隗が投げ込まれ現位置を保っておりませんでした。44号機の場合はそのままの状態でした。今回の驚きの発見は機関助士席の上の天井部にヒュ
ーズを格納する小ソケットがありますが、その中にヒューズ管が存在していた事です。ケレンするまで気づきませんでした後日精査したいと思います。
* 11/14~16 運転室内の各部位のケレン作業を16日の午前中まで行いましたが、速度計より前方はサンダーの届く範囲になってしまいました。また
左上天井部は手作りのケレン棒で可能な限り剥ぎ取りましたが、高圧洗浄でも残存した完全な塗装には歯が立ちませんでしたのでそのまま上塗りをいたし
ます。機関士席左の盗難損失している砂巻きハンドルの下にはカバーは欠損していますが、電磁給排弁装置があり表示プレートが残存していました。午後
は錆止め剤を塗装しました。以下の状況です。
* 11/17 東京からK氏が来訪されました。整備の状況をご説明した後来訪記念に後灯LP42の塗装をしていただきました。K氏にはホームページにK氏
の撮影された写真の多くを引用させて頂いております。完成したら再び当地にお越しとの事でした。今日は朝から晴天に恵まれテンダーのナンバープレート
が朝日に輝いていました。午後からはテンダー内第三従輪部位のケレンに取り掛かりました。
* 11/18 終日テンダー内第三従輪部のケレンを行いました。台枠溶接接合部の確認をしました。私は48650号機のテンダーが96型と86型の溶接
接合を確認しておりますが、今回も台枠の溶接接合を確認するという整備する者としては貴重な体験をさせていただきました。48650号機は比較写真の
如く溶接接合のみで無く、内部に鋼鈑を充てボルトで固定するという方法でした。本機の場合は単に溶接をしているに過ぎません。48650号機の場合96
型と86型の台枠溶接という事と、場所がテンダー前部であり積載過重の影響を考慮しての接合であったかと思われます。本機の場合は同じ96型の196
11号機のテンダーであり、場所も後部であり積載荷重は余り掛からないために斜め接合で済ましているかと思えます。(自動連結器胴の写真が反転してお
ります。後日修整いたします。)
* 11/21~23 終日左側第一~第四迄のロッド等の第一次ケレン(塗装幕剥離)を行い、24は運転室下部下部・テンダー内第三従輪部~運転室内の
第一次塗装を行いました。25は右第一・クロスヘッド部の第一次ケレンを行いました。左側では合併テコ・結びリンク・ソケット・コッター・第二サイドロッド軸
ツバ・釣りリンク両側・逆転軸腕・第二サイドロッド右油壷・ビッグエンド油壷・同受金・第三サイドロッド油壷にそれぞれL79642の刻印がりました。またメイ
ン・第一~第三ロッドには取り付け表示刻印が、さらにメインロッド凹部には製造刻印がありました。
* 11/28 天気予報通りの雨天でしたので、公園への訪問者も無くて終日高圧洗浄で積りに積もった分厚い粉塵を除去しました。8月以来ですので中々
手強く単に高圧だけでは完全に洗い落とす事は出来ず。次回の洗浄はロッドや銅管・細管・運転室内等の磨き出しで金属粉が再び付着しますので、高圧と
共にモップ掛けをして落とします。完成直前に最後の洗浄をと考えています。
29~12/1は左サイドの第一~第四動輪にかけてのロッド等の鏡面仕上げを終日行い、1日午後には右第一の一部の鏡面仕上げをして今週は終了しま
した。各部位にそれぞれ79642の刻印が認められましたが、左第二サイドロッド側面にはシ30.6.8の刻印が、左エキセントリックに7966?の刻印が微か
に残留していましたので、リターンクランクと共に来週に時間をかけて精査する予定です。八幡浜新聞社の松井記者さんから1976(昭和51)年4月11の八
幡浜新聞に本機が到着した記事と保存式典の様子を報じる記事のコピーを頂きましたので紹介しておきます。
日曜日は運転室の完全な整備をしたいと思いますので、「直方汽車倶楽部」江口代表の承諾を得て本機と同型の59647号機の写真撮影に参りますの
で作業は休止しました。なお、12/09は西条市の「シゴナナぷらす」がありますので二週連続日曜日は休止となります。次週は引き続き右サイドのロッド等
の鏡面処理を行う予定です。
* 12/05 本日は雨天の為運転室内の銅配管や注水ポンプ部位等の磨き出し処理を終日行いました。06~08はいずれも右クロスヘッド・メインロッド
・第一サイドロッド・第二サイドロッド・ビッグエンド・リターンクランクまでの鏡面処理を行いました。作業の結果以下の刻印が検出されました。第一サイドロッ
ド油壷・軸ツバ・右釣りリンク内外・加減リンク下部・リターンクランク・ビッグエンドクサビ・同受け金にはいずれもR79642でした。メインロッド凹部には30
10 5 第二サイドロッドにはシ30、6、8の刻印がありました。
エキセントリックロッドには79630と読み取れるのですが、疑問点が生じました。一つは96の刻印だけが字体も大きく、7は微かなので7であるとの確証
はもてません。その7と30は同じ字体も大きさも同じです。かりに79630号機としても1933に陸軍に供出されており、それ以前は仙台局管内ですので本
機との接点がありません。7は考えずに9630号機とした場合1950年に後藤寺機関区で廃車になっており、本機は上諏訪~高山機関区時代であり、九州
の後藤寺機関区からの提供とは考え難い状況です。どちらでも無いとすれば96の字体の大きさから後から打ち直されたと理解するのがもっともかと思われ
ます。そうすると7・・30は78630以外は該当しませんが、これも本機とは全く接点が無く、現時点でこの刻印に関しては私にはお手上げです。どなたかの
御教示を頂きたいと思います。
来週は右サイドの続きと各動輪等の塗装を考えておりますが、雨天時は運転室内の作業に切り替えます。
* 12/12~16の作業内容は、引き続き右各サイドロッド等の鏡面処理仕上げと砲金部位・各銅配管の磨き出しを行いました。右第一動輪のボスには
15の刻印は確認しておりましたが、サンダーが届かず回転棒ブラシで磨くと(NH)シ14-3 T115の刻印が確認されました。本機が名寄機関区に配属さ
れる以前の年号であり、右一第動輪ボスは他機のボスを後年転用した事が判明しました。また右先輪軸ツバの刻印は非常に薄く柔らかいブラシで磨きま
すと、(NH)シ27-7の刻印が確認されました。これも同様に他機の軸ツバである事が判明しました。また右第三サイドロッド油壷にはR4 79642の刻印が
ありますがその下部に49669の刻印が認められました。49669号機は1969年に名寄機関区で廃車になっています。本機が名寄機関区に配属後か同
機が廃車後苗穂工場で転用されたと思われます。
各動輪ボスはカウンターウエイトと共に黒色を考えていたのですが、直方汽車倶楽部の59647号機の様に磨き出しが望ましいかと判断しロッド同様に鏡
面処理仕上げとしました。砲金製部位は特に問題は無いのですが、銅管(特に細管)はサンダーの研磨摩擦により表面の温度が高くなり、冷えない段階でア
クリル処理を行いますと白色に表面が変化し、さらにアクリル落としには時間がかかりますので銅管の処理に時間を費やしました。右サイドはタイヤの塗装も
終わりましたので一部を除きほぼ終了段階になりました。15は右サイドの各動輪タイヤの塗装を行いコンプレッサーの銅帯や砲金部位・銅細管の磨き出しに
かかりました。16は午前中に各動輪タイヤの塗装を行いましたが、昼から雨模様となりましたので第一・第二動輪ボスの鏡面処理磨き出しを行い終了しまし
た。どうしても粉塵対策で送風機を回しますと湿った空気を呼び込みサンダーの回転で水滴が生じますので、雨天時の磨き出し・鏡面処理は禁物です。
来週は引き続きこの作業を行い年内で機体下部はほぼ完成になります。ロッド等の裏面・下部・繋ぎ・ジョイント部は銀メタリック・サビ転換剤(銀)を塗る予定
です。
来年1月26日(荒天順延)の歓声披露式の時間等が決まりました。午前10時~11時です。大城八幡浜市長をお迎えし、地元神山小学校の児童会長さん
と除幕をして頂き、引き続き御来賓・児童有志による主灯・副灯・後灯の点灯式、さらに大音響の汽笛音を楽しんで頂きます。運転室内はほぼ(流行り言葉?
)復元しております。各部位も可動します、また火室内は照明をし内部には最後の走行時(1975/05/06名寄~上興部)の石炭燃焼カスを展示しております。
後半は私が本機について歴史や特徴・整備して判明したことを簡単に説明いたします。
午後1時からは地元神山公民館による一般の方も含めた「機関車講座を」行います。式典同様に操作をして頂き、HOゲージやピストン・ボイラーの模型を使
用して分かりやすく説明したいと思います。本年で終了した西条の「シゴナナぷらす」の再来です。興味・関心を持たれている方はどうぞお越しくださいませ、大
歓迎ですが寒い1月ですので防寒対策をしてお越しください。
* 18~23の作業ですが、雨天や急に雨模様になる日が多くテンダー従輪の塗装・左第三~第四ボスの鏡面仕上げ、雨天時は運転室内の磨き出しや左
サイドの各銅管の磨き出し、砂巻き器の磨き出しと天候の状況に合わせて作業を行いました。左右とも動輪のカウンターウエイトを除いて塗装は終了してお
ります。運転室内は左注水器の磨き出しと5月に事前に磨き出ししていた左水面計も再度磨き出しを行い、運転室内の銅細管も数本磨き出しを行いました。
金・土は天候に恵まれたので左サイドの各銅配管を磨き出しました。砂巻き器は管内に噴出し分の砂が残存していました。左第三動輪軸ツバの精査では20
703 15/16 2 L ICCT シ22-9の刻印が、第四動輪軸ツバにはシ42-12 NH1361の刻印が認められました。左注水器の上部には逆ですがL2
22の刻印がありました。
* 26~28の作業内容は26・27で右砂まき装置、缶胴被上・動輪周りの左右銅細管の磨き出しを終了し機体に関しては、各ロッドの裏と下部にシルバ
ーのサビ転換剤の塗布を残すのみとなりました。28は運転室内右注水器部位の5月のテスト磨きを削除し改めて磨き出しを行い本年の作業を終了しまし
た。煙室扉のハンドルに八幡浜地方の正月しめ飾りを付けて小雪の舞う八幡浜から松山に戻りました。新年は4日から作業再開で運展室内を集中的に整
備する予定です。皆様良いお年をお迎えくださいませ。 2018/12/28
* 04~06の作業内容は連日運転席内の各部位・銅細管等の磨き出しを行い、一部を除き終了段階にこぎつけました。次週からは銅粉塵をエアー・洗浄
で取り除き天井部や配管等の塗装を行う予定です。
* 09~11の作業内容は引き続き運転室内の各部位の磨き出し仕上げと、天井部の塗装作業を行いました。岩見沢市の嶋田様から送られてきた後灯LP
42と本機の同残骸と組み合わせて復元した後部火を装着し点灯しましたが淡い独特な光が浮かび上がりました。また運転室後部に四国では装着しない寒
冷地特有の風雪遮断(遮蔽)幕を取り付けました。12は雨天のため作業を中断し仕上げ部品購入の為に松山に戻りました。天候が回復次第塗装作業を行い、
15には盗難防止の為に各部位の溶接作業を地元中野鉄工所さんにお願いしております。
* いよいよ作業も終盤を迎えており、順調に進めば現状では26日に完成披露を迎えます。最終段階に来ておりますので松山に戻りませんので、次回は完
成状況や披露式典・神山公民館主催の「機関車講座」等の様子をお知らせしたいと思います。次回の最終報告は01/28を予定しております。
* 01/20 別件で急遽松山に戻りましたので、本日までの状況をお知らせしたいと思います。運転室内を集中的に作業を行っております。速度計の文字盤
を磨きましたが不鮮明な箇所もあり、別の文字盤を重ねて修復しております。旧文字盤は株式会社工進精工所 23 10 NO2875でした。各圧力計も装着
し盗難防止の為に中野鉄工所さんにバルブ等も含めて溶接作業をお願いしました。子供たちの運転室からの転落防止の為に、右入口部に3列の鎖を溶接し
ていただきました。主・副・後灯もナット部を溶接しております。一つ残念な事は岩見沢市の嶋田正樹氏のお手配で逆転ハンドルを入手できたのですが、本体
とハンドルが外せない為に輸送手段・北海道が大雪による荒天の為に該当店から発送はされたのですが、整備・取り付けは間に合わないかと思われます。他
の部品と共に後日作業を行う事で八幡浜市の了解を頂いております。
全ての窓も無事入り運転室らしくなりました。残りは機体銅細管等の元の位置への取り付け、塗装の再確認、子供達が遊びによく来ますので煙室扉下部と
運転席内に滑り止めのマットを敷き、以前に作成していた入口の階段をセットすれば全ての整備作業は終わり、披露式典に向けて各部位の表示ラミネートを
張り、電気関係の配線をすれば全て完了となります。週末の好天を期待するばかりです。HPアップして八幡浜へ戻ります。次回は上記の通り最終報告となり
ます。
* 01/21 八幡浜市建設課に待ち望んだ逆転ハンドル部位が到着しました。本体約90kgもあり建設課長さんら3人がかりで中野鉄工所に運び込み、ハン
ドル外しをお願いしました。その日の内にハンドルは外れ本機の本体に合わせて見ましたが、20mmネジのピッチが合わず本体の内部迄ねじ込む事が出来
ませんでした。96型のハンドルでは無い模様で(恐らくC58型用か)取り付けに苦慮しましたが、まがりなりにも回れば子供たちは楽しみますので、軸を少し研
磨しワッシャーを5枚挟みねじ止めし空転状態にしました。これなら幼稚園児でも軽く回すことができますので機関士席前が賑やかになりました。
22日には左注水器ハンドル・砂巻きコック軸の溶接も終わり、機体・運転室内の整備作業は全て完了しましたので今までに判明し本機の刻印を一覧で示した
いと思います。
79642号機 刻印一覧表
機体 本体・台枠・動輪・ロッド等 | ||
部位 | ||
23 住友ロゴ 7-2-123 | 自動連結器座上部 | |
住友ロゴ シ42-3 7-2-123 | 同 右側面上部 | |
住友ロゴ シ42-3 7-2-130 | 同 右側面下部 | |
B143B 8 ロゴ 12 住友ロゴ | 自動連結器胴 錠揚げ前 | |
住友ロゴ K | 錠揚げ左側面 | |
Y 566 | 自動連結器 ナックルピン上面 | |
NH シ40-11 星ロゴ 6098 | 自動連結器 ナックル上面 | |
B3413J CR 271 | 先台車復元装置中心ピン | |
製造番号1074 製造年月 39-9 | 主灯 LP403 | 森尾電機株式会社 |
名盤無し | 副灯火・シールドビームLP405 | |
174?(A) | 先輪・スポーク | 177の打ち出し刻印 |
先輪・スポーク標識帯 | NH 159 | |
2310 174 シ24-3 | 先輪・輪体・軸ツバ | L 177 (NH)シ27-7 |
住ロゴ N13155 シ36-10 Y68 O(NH)シ37-9 | 先輪・タイヤ | 住ロゴ N13155 シ36-10 T68 O(NH)シ37-9 |
L 79642 | 先輪・先台車バネ釣 | R 79642 |
L 79642 HM | 尻棒案内・油壷 | R 79642 HM 浜松工場 |
L 79642 | 蒸気室前蓋サヤ | R 79642 |
L1 79642 | 気筒安全弁・基盤前後ナット | |
L 79642L | シリンダー排水弁開閉棒 | R 79642R |
L 79642 | シリンダー後扉 | R 79642 基部 B3503J 住ロゴ134 |
L 79642 | 弁心棒案内 | R 79642 |
L 79642 45.5.29 NH(OM) | クロスヘッド部・ソケット | R 79642 45.5.29 NH(OM) 大宮工場製 |
L 79642 42の下に41の元印 | クロスヘッド部・コッター | R 79642R |
L 79642 | 合併テコ | R 79642 |
L 79642 | 結びリンク | R 79642 |
7966? | 偏心棒 | |
L 79642 | 加減リンク | R 79642 |
L 79642 | 釣りリンク内側 | R 79642 |
L 79642 | 釣りリンク外側 | R 79642 |
釣りリンク・腕 | ||
L 79642 | 逆転軸腕・軸座 | R 79642 |
(NH)シ14-3 T115 | 第一動輪・ボス | (NH)シ14-3 T115 |
シ45-4 | 第一動輪・軸ツバ | |
住ロゴ W91565 D シ44-4 T109(NH)シ45-5 | 第一動輪・タイヤ | 住ロゴ W91178 D シ44-3 T109(NH) シ45-5 |
F 79642 | 逆転棒 | |
反射板テコ | 79642 | |
L1 29601 | 第一動輪・制輪子釣り | R1 29601 |
HM 36.6 9600 1L 22 | 第一サイドロッド油壷曲面 | |
第一サイドロッド・軸ツバ | R 79642 | |
L1 79642 | 第一サイドロッド・油壷 | R 79642 |
第一サイドロッド・軸ツバ | R1 79642 | |
CR271 Lカ(?)文字かロゴか? | 加減リンク受け梁前壁 | CR271 R カ(ロゴ?) |
逆転軸腕受け梁 | CR271 R ネ(ロゴ?) | |
(NH)シ21-? シ22-9 | 第二動輪・軸ツバ | R2 (NH)シ23-6 10? 他機転用 |
住ロゴ W5152? D シ44-4T139 (NH)シ45-5 | 第二動輪・タイヤ | 住ロゴ D71080 D シ44-1 T107(NH)シ45-5 |
第二動輪・制輪子釣 | R? ?9601 恐らく29601 | |
住ロゴ 13.4 B3520Jロゴ | 同 受け梁外端 | 住ロゴ 13.3 ロゴ B358 |
CR271 ロゴ? L79642 B345 | 同 受け梁外側 | CR271 ロゴ R79642 B3438J |
CR271 ロゴ? | 同 受け梁内側 | CR271 ロゴ |
79642 | 加減リンク受け梁後壁 | 79642 |
L 79642 | 加減リンク体 | R 79642 |
シ 30.6.8 | 第二サイドロッド | シ 30.6.8 |
HM 30 6 9600 2L 355 | 第二サイドロッド・油壷曲面 | HM 29 1 1 321 R2 9600 |
L 79642 | 第二サイドロッド軸ツバ | |
L3 79642 | 第二サイドロッド油壷 | R3 79642 |
L 79666または79667 | エキセントリック・ロッド | R 79630? |
シ 37.7.1 | メインロッド凹部 | 30 10.5 |
HM 37 6 9600 6 | メインロッド・油壷曲面 | |
L 79642 | メインロッド・ビッグエンド油壷 | R 79642 |
ビッグエンド・クサビ | R 79642 | |
L 79642 | ビッグエンド・受け金 | R 79642 |
L 79642 | リターンクランク | R 79642 |
20703 15/16 2 ICTT シ22-9 | 第三動輪・軸ツバ | |
住ロゴ W91703 D シ44-2 T109 (NH)シ44-4 | 第三動輪・タイヤ | |
NN、38,8、9600、3L、40,1 | 第三サイドロッド・油壷曲面 | HM 35 7 9600 3R 33 |
L4 79642 | 第三サイドロッド・油壷 | R4 79642 元印49669 |
49-10苗穂 | 第一・第二空気溜り | 49-10苗穂 |
シ42-12 NH1361 | 第四動輪・軸ツバ | ロゴ 72031-21 rロゴ 42-5 |
住ロゴ W91379 D シ44-3 T107 (NH)シ45-5 | 第四動輪・タイヤ | 住ロゴW91175 D シ44-3 T107 (NH)シ45-5 |
L4 29601 | 第四動輪・制輪子 | R? 2960? 恐らく29601 |
形式9600 17:36 | 速度計第一ギアボックス | |
形式9600 39 4 04 17:36 | 速度計第二ギアボックス | |
前側面 305×250 | ブレーキシリンダー筒 | |
後側面 305×250 | 同 | |
底部 12 CT 427 | 同 | 底部 12 CT 427XX |
T10?80 | 渦巻塵取り | |
タービン発電機 | 昭和30年 修理番号1042 東京三鷹車両機製作 | |
ATS発電機 | 7266 | |
4? 苗穂 39 浜松 | 運転室側面 全検表示 | 49-10苗穂 |
上部正面 逆L222 | 運転室内・注水器 | 上部左側面1352 中部に14ロゴ170 |
株式会社工進精工所 548 23 10 NO2875 | 速度計文字盤 | |
運転室内電気系統機器 | ||
NO528831 形式s-1 昭和39年11月製造 | ATS確認押ボタン | 株式会社 京三製作所 |
NO49/8/0 形式JSK-B 昭和39年5月製造 | S型車内警報表示器 | 株式会社 京三製作所 |
NO484427 形式JSA-62M 昭和39年6月 | S型車内警報器 | 株式会社 京三製作所 |
製造番号 Y200312 製造年月 S43・11 | BZ21型警報器 | 日本信号株式会社 |
電磁給排弁 昭和40年8月 製造番号400989 | 電磁給排弁装置 | 三菱電機株式会社 |
VM14形電磁弁 定格電圧24V 製造番号44675 | 昭和39年5月 | 三菱電機株式会社 |
製造番号 5709 昭和44年5月 | ブレーキ筒カムスイッチ | 日本エヤーブレーキ株式会社 |
HE6 40 9 OM 72 | ブレーキ筒 | |
NO439380 形式JSXB-63 昭和39年7月 | 運転室左後部S型接続箱B | 株式会社 京三製作所 L15218-4 |
テンダー給炭部右 火格子揺り棒 | 漢数字 一九六五一 | |
テンダー 従台車・従輪・自動連結器 | ||
NO439390 形式JXSB-62 昭和39年6月 | S型接続箱B | 株式会社 京三製作所 L15216-A |
NO478932 形式JSR-63 昭和37年7月 | S型車内警報受信箱 | 株式会社 京三製作所 4474 NH49・10 |
NO495750 形式JXSA-62 昭和39年7月 | ATS-S型接続箱A | 株式会社 京三製作所 L1522-3 |
O64 MT40-3 NH45-6 (C414) | 第一従輪バネ鞍 | O38 MT39-12 NH45-6 松任工場 |
61の打ち出し刻印 | 第一従輪スポーク | |
L3 19603 T75 ISW 1916-2-63353 | 第一従輪軸ツバ | R3 19603 85T |
住ロゴ W1184 シ46-6 T78(NH)シ46-10 | 第二従輪タイヤ | |
C 1 4 NH38-3 NH39-11 NH 45-6 | 第二従輪バネ鞍 | NH 45-6 |
シ35-2 12ロゴ 74969-43 | 第二従輪軸ツバ | シ35-5 NH668 |
L 1・・・1 | 第三従輪部台枠 | R 19611 |
NH33-10 6 223 NH 45-6 | 第三従輪バネ鞍 | NH 39-11 NH 45-6 |
第三従輪タイヤ | 住友ロゴ ?? 3875 シ45-6 T78(NH)シ46-10 | |
3920の打ち出し刻印 | 第三従輪スポーク | |
シ39-4 ロゴ68351-102 | 第三従輪軸ツバ | シ41-4 NH198 |
NH 24 | 第三従輪制輪子 | NH 24 |
R1 29634 | 第三従輪制輪子釣 | R1 29633 |
排障器受け梁 | R 19611 | |
名盤無し | 後灯LP42 | |
シ44-10 493216L | 自動連結器ナックル | |
シ46-11 B 1 E | 自動連結器胴上部 | |
Y 191 | 同 ナックルピン | |
OM 43 1 大宮工場製? | 自動連結器胴下部 |
01/23は塗装箇所の再点検と補修塗装・スライドバーとメインロッド凹部の赤塗り、火室外壁の赤黒色塗装、鏡面処理部位へのアクリル噴霧を行い塗装
関係も作業終了。テンダー石炭庫内の高圧洗浄と機体の拭き取り作業を行いました。
01/24は午前中に機体を覆っていたメッツシュ幕と足場の撤去があり、完成した機体が日差しを浴び漆黒の機体が輝いていました。午後からは建設課職
員と部位名のラミネート貼りをした後、先端部の白布・ブルーシートで再び機体を覆いました。各灯火配線点灯・音響テスト完了。
01/25は先頭テラス部位の簡易マット敷き・火室内の石炭殻配置・運転室内のマットを敷き、以前に作成していた子供用階段を装着して全ての作業を終了
し明日に備えました。明日の天候は不安定で雪模様の恐れですが、予定通り式典は挙行される予定です。
01/26 79642号機完成披露式典当日
早朝に借家の窓から見上げると青空が見えていました。気温は4度で寒い朝ですが式典は可能と判断されました。王子の森公園では八幡浜建設課の皆
さんが式典の準備に取り掛かっていましたが、午前8時を過ぎると曇り空になり小雪が舞い始めました。八幡浜地方の変りやすい天候で私も作業を手伝いな
がら、木下神山公民館長さんと79642は最後に北海道を走行していたので、「雪を呼んだのでしょう」と話していました。次第に雪模様が強くなりましたが挙
行と決定されました。午後から神山公民館の「機関車講座」がありますのでブルーシートに潜り込み、二か所の区名札の説明の為に「追」・追分 「岩」・岩見
沢をセットしました。実際には岩見沢へ貸し出された事は無いようですが、室蘭本線追分機関区の持ち場(岩見沢~長万部)のデモンストレーションとして表
記しました。79642号機は喜んでくれるでしょうか?見栄えは最高です。
式典開始が近づくと神山小学校の児童会の役員さんも来てくれましたので、除幕と点灯スイッチの方法を説明していますと、整備でお世話になった北九州
市の入江氏(直方汽車倶楽部主要メンバー)が到着、早速写真撮影をお願いいたしました。また遠く横浜市から佐藤氏が到着(佐藤氏とは内子のC12-2
31以来の懐かしい再会です。) 大城八幡浜市長・橋本副市長・新宮八幡浜市議会議長さん等を来賓に迎え建設課宮下課長の進行で式典は開始されました。
最初に大城市長から挨拶と説明があり、続いて来賓と児童会の小学生が二方向から正面の白布を紅白の祝い綱で引き除幕~機関車全体のブルーシート
が課員の方々で引き落とされ、漆黒の機体全体が露出されました。子供達や散会の皆さんから「オー!綺麗や」の歓声と拍手が起こりました。続いて大城市
長から本機と整備の説明があり、イベントとして神山小学校の児童会の役員さんによる「主灯~副灯~後灯」の点灯、大城市長・児童会長による「汽笛音」が
鳴らされました。そして私に大城市長から感謝状を頂戴いたしました。続いて私から整備と機関車の簡単な説明を行い、最後にこれからもこの機関車を大切
にしてくださいとお願いし、さあ機関車にどうぞと締めくくりますと参会の子供達が一斉に運転室やテンダーに向かい歓声とテンダー石炭庫内で飛び跳ねる音
で機関車が包まれました。小雪の舞う中での式典の様子でした。
午後からは神山公民館の神山塾野外「機関車講座」を行いました。地元の五反田地域を中心にお集まりいただいた方々に、本機が頑丈な国産第一号の
機体である事、整備して判明したテンダー石炭庫の溶接痕、テンダー台車の後部が別の機関車19611号機のものである事、火室内から見るボイラー円管
や運転室内に残存した1975年最後の走行時の石炭殻の説明、運転操作を簡単に説明しました。皆さん関心を持たれて触っておられました。午後からも親
子連れが訪れていました。午後4時で本日のお披露目式を終了しました。横浜の佐藤氏は宇和島市まで行かれた後戻って来られ、最後の撤収の仕事までお
手伝い頂きました。松山から夜行バスで戻られるとか、本当に有難うございました。またどこかでお会いしたいですね。最後に逆転ハンドル・両ブレーキハンド
ル・区名札の除去、主・副灯のレンズをアクリル板に交換して全ての作業を終了しまし
た。夕闇に浮かぶ本機は今日の一日をどう感じてくれたのでしょうか・・・・喜んでくれているでしょうか・・・・
01/27 今日は昨日と一転して晴天の好天気でした。公園は多くの親子連れが訪れて賑やかでした。子供たちはもちろん自由に運転席に入りバルブを触
って回したり、缶胴被上部に登り入江氏の磨かれた汽笛を不思議そうに触って楽しんでいました。機関車も他の遊具と完全に一体化しています。これが「王
子の森公園」のSL79642号機の本来の姿で、全国的にも希少な静態保存と言えます。改めて本機の説明ラミネートを張った姿を紹介しておきます。新聞
記事は本日の愛媛新聞と1/30日の読売新聞の内容です。運転席左サイドの全般検査表示記録は、敢えて整備前の状態として残しアクリル処理で保護し
ています。39-?浜松工 49-10苗穂工 最初に来訪した時のこの表示に驚愕しました。間違いなく高山機関区時代の浜松工場と最後の追分機関区時
代の苗穂工場を示しており、いつかこの79642号機を整備したいと思った原点でした。最後に機関士席に座らせていただきました。またどこかでお会いいた
します。
全国の静態保存機の現状は大半の号機が柵に囲まれ自由に入る事は出来ない状態です。それでも侵入され心無い者に部品が盗まれ、荒廃した状態で
醜態をさらしています。保存機を旧国鉄から貸与された各自治体等もその現状維持に予算的措置を取れない状況が続き、保存と言うより放置の状態になっ
ております。理由の一つにJR関係を通すと驚愕の金額が提示される事も関連しています。それを解決したくて活動しているのがSL修理ボランティアの皆さん
で、私もその一員です。今回の79642号機の整備の話は5年前のC5744号機の整備中にありましたが、私の日程の都合で直ぐにお引き受けできなかっ
たのですが、諦めずに整備を希望された八幡浜市建設課の熱意が実現させたと思います。
今回の整備期間中には宮下課長様を始め課員の方々には数々のご配慮を頂きました、改めてお礼申し上げます。また宮本防水塗装株式会社・中野鉄工
所様にもご協力を頂きました。御礼申し上げます。今回もC5744に続き、岩見沢市の嶋田正樹様には損失部品のお手配をいただきました御礼を申し上げ
ます。北海道の皆様の本機を思うお心に応えられたか今一つ自信はございませんが有難うございました。
子供の遊ぶ公園内にある機関車が汚くて触っても動かないのでは意味がありません。それに応えるべく今回の整備をいたしました。某鉄道館のように敢え
て油まみれで触らせないような無意味な状態にはいたしておりません。子供さんが触られても油一つ付着する事はありません。運転室内の部位では加減弁
テコ(構造状の問題と一人での整備は不可能)以外は全て動く様に仕上げております。どうか以前の様にお子さんたちを遊ばせてください。と同時に機関車を
大切に、優しく扱い可愛がる事も教えて頂ければと整備者としてお願いして、79642号機整備記録を閉じさせて頂きます。 2019/01/31 整備者 大山正風
* 2019/02/04 委託業務としての整備活動が終了したので八幡浜市長あての「整備報告書を」建設課に提出し今回の整備委託業務の全てを終了し
た。資料として以下の他機刻印一覧表、また本機を整備して判明した事項を添付資料として提出した。
79642号機 他機刻印一覧 | ||
他機刻印 | 刻印部位 | 備考 |
19603 | テンダー左第一従輪軸ツバL3・右第一従輪軸ツバR3 | 1969以降 |
19611 | テンダー左右台枠後部 左は1?611 右後部排障器 | 1969以降 |
19651 | 火格子揺り棒 | 漢数字1969以降 |
29601 | 左 第一動輪制輪子釣り | 1969以降 |
29601 | 左 第一・第四動輪制輪子釣り 右 第二・第四動輪制輪子釣り | 1969以降 |
29633 | テンダー右 第三従輪制輪子釣り | 1969以降 |
29634 | テンダー左 第三従輪制輪子釣り | 1969以降 |
39679 | テンダー右 第一従輪軸箱受け梁 | 1969以降 |
49669 | 右 第三サイドロッド 油壺 | 1969以降 |
79641 | 左 クロスヘッド・コッター 2の下に1 字体が異なる | 1933~1936間? |
79630? | 右 エキセントリックロッド 刻印が同一字体大きさで無い | ? |
7966? | 左 エキセントリックロッド | ? |
テンダー左右第一従輪バネ鞍のMTは松任工場を示すが | ||
29657号機も1971に旭川機関区に配属されており、可能性あり |
本機について
1 残念ながら左右動輪ボス・軸ツバに本機を示す刻印は検出されなかったが、4枚のナンバープレート主要なロッド等の各部位に本機を示す79642の刻
印が確実に打たれており、機体は79642号機であると考えられる。
2 テンダー石炭庫に関しては稲沢機関区時代までは標準A型であったが、名寄機関区に配属された後に後部3分の2はリベットの無いA型を縦に溶接接合
している事。
3 テンダー台枠に関しては後部4分の1は斜めに溶接接合しており、刻印から19611号機である事が排障器と共に確認された。
4 テンダー台枠の前部左右第一従輪担バネバネ鞍にMT(松任工場)を示す刻印があり台枠前方は本機とも考えられるが、福井地方で走行していた296
57号機も1971年に旭川機関区に配属されており、29657号機の可能性を残している、テンダーにしろ台枠にしろいずれも他機のものを付けていた
可能性は大である。
* 席上建設課はこの度の整備の状態を保つため、(盗難防止の観点も含み)防犯カメラを設置する方向で予算措置を取られており、その設置個所にについ
て協議した。建設課の本機に対する御配慮に感謝し、今後も本機の整備に関する協力を申し出て承諾を得た。
以上で79642号機に関する記載は一応終了します。今後本機に関する新たな動きがあれば本ページを再開したします。最後までご覧頂き有難うございました。
2019/02/04 大山 正風
* その後の79642号機に関して
04/04に八幡浜市建設課より運転室内の部品が無くなっているという連絡があり急遽本機を訪れました。確かに運転室内左注水器の水コックハンドルが
無くなっていました。建設課宮本氏と公園管理人さんのお話では、管理人さんが通りかかると運転室内で物が落ちる音がしたので覗くと、子供たちが遊んで
おり足元に水コックハンドルが転がっていたという状況で、砲金製の同受座金と止めナットは見当たらなかったそうで、水コックハンドルは無事保管されてい
ました。要は誰かが止めナットと受座金を持ち去っており水コックハンドルは自由に持ち去られる状況が続いていたと言う事になります。
整備仕上げ段階では工具がなければ、とても開放出来ないように私が締め付けておりましたので、とても子供の手や力では外せない状況でした。奥の溢れ
コックハンドルも誰かが緩めた状態でしたが、ピッチの関係で取り外しが出来ないので諦めた模様でした。何とも不思議で・・・水コックハンドルは放置し、留
め金だけを持ち去るとは・・・これは子供の悪戯にあらずSLマニアの仕業と考えられます。私のHPを見て行動に及んだのでしょうか? 直ちに損失部位は修
復し従来の状況にしました。
本機の防犯カメラ工事は東京都在住のコバQさんが再訪された02/20に行っており、本格的な運用は03に入ってからとお聞きしています。防犯カメラは
3方向から本機を見守っており鮮明な画像と長時間記録可能な高性能カメラであり、運用前に盗難にあったものかと想像されます。今回の件で私は八幡浜
市の子供たちを褒めて上げたいですね、外す事が出来たのにそれをせずにただ遊んでいた・・・していけないことはしない・・・(部位表示ステッカーは一枚も
損失しておりません。)子供たちの良心が見事に表れています。それに引き換え座金を盗んだSLマニアの貴方は純心な子供たちの気持ちをあからさまに裏
切る身勝手な行動であり、真のSLマニアとは言えない卑劣な人間であることを断言・指摘させて頂きます。実に恥ずかしい愚かな行為ですね。返却されるこ
とを願います。
本機は旧場所に静態保存されてからも自由に運転室に入れ、自由に触れる機関車として市民の方々に親しまれてきました。子供たちの親御さんの世代も
さらに60代以上の方々も同様であり、ずっと本物の遊べる機関車「おもちゃ」だったのです。今回の整備はそれを踏襲しております。全国の静態保存機関車
の保存形態の状況は、館内・屋外屋根付き・屋外であれその大半は施錠された柵内・展示時間限定であり、運転室内の操作系統機器を自由に動かせる状
態の機関車は皆無に近く(京都鉄道博の3両・新津鉄道館の1両は触れますが館内展示のため時間制約)24時間開放的な公園内に存在するのはまさしく
本機のみであり、これは八幡浜市が誇れる財産と考えられます。
ただし、下の写真の如く自由に遊べますので子供の転落や怪我を負うことは予想されます。公園内の遊具と同様な扱い「本物のおもちゃ」ですから、少なく
ともその取扱いは子供自身の責任であり、保護者の責任義務の範囲であると思います。運転室左入り口には階段を・右側には転落防止の鎖を3条着けてお
りますが、機体上部からの転落防止までは防げません。保護者の方々にお願いしたいことは。「スマホ」やママ友との「楽しい会話」も結構ですが、お子さんの
行動にはご留意をお願いしたいと思います。
宮崎県日向市のD51-541号機も児童公園内にあり「日向市SL保存市民の会」会長染田通明氏のご意向では、やはり自由に触れる運転室にしたいとの
事でしたので、本機同様の仕上げをお手伝いしたいと考えております。詳細は今後の「D51-541号機訪問記」をご覧ください。 2019/04/05
* 2019/07/18 本機の整備完成披露から半年を経過しましたので、本機の高圧洗浄に伺いました。整備後防犯カメラの設置稼働しております。本機は
元々何の保護対策もせず、自由に出入りが可能な本物のオモチャでした。当然故意に損傷・盗難の憂き目に合い40数年を経過しておりました。全国の静
態保存機の大半が柵に囲まれ、機体上部や運転室内への立ち入りは規制・禁止されていましたが、その保存状態は燦燦たる状況であり私のHPの各機の
通りです。
さて、整備の本機の状況はどう変わったのか・・運転室内の諸計器類や装備等何一つ変化はありません。披露完成時のままです。整備の前に見られたゴ
ミや食べ柄は無く、トランポリン状態で子供たちが遊びゴミを巻き散らかしていた石炭庫上面は遊んでいた形跡はありますがゴミ一つありませんでした。今も
子供たちは自由、奔放に遊んでおります。もうすぐ夏休みですので今以上に子供たちは訪れます。建設課の宮本氏や公園管理人さんにお手伝い頂き、高圧
洗浄機でその泥や砂を吹き飛ばしふき取り作業を終えました。地元の神山公民館・小学校でも本機を大切に使う事で話し合いがもたれています。市民の皆さ
んの愛情で守られている本機です。
ロッド等のアクリル処理は野ざらしでは半年程度ですので、本機は屋根は付いてはおりますが右サイドは雨がかかりますので、整備最終段階の予定通りロッド
等のメタリック・クロム処理を来月初旬に行いたいと計画しております。 2019/07/18
* 2019/08/05・07 今回はロッド等のメタリック・クロム塗装を行いました。当初は鏡面磨き出し・アクリル処理を行っておりましたが、屋内保存では無く
屋根が付いていると言えども屋外ですので酸性雨の影響は避けがたくその影響は如実に表れ始めました。(特に右サイドはアクリルが曇り始めました。)
完成披露後半年を経過しましたので、市民皆さん方にも製造当初の状態はご理解いただけたかと思いますので、最終処理としてメタリック・クロムでの塗装
に切り替えました。稼働機の場合機関区での油拭きが整備の基本であり、鏡面処理後油拭きを継続され現状を保っている静態保存機(D51-18・5964
7号機等)もありますが、出来るならばひと月に一度の塗布が必要であり、保存会等の組織による定期的活動により現状が保たれているのが実情と思われ
ます。
本機の場合、保存会等の組織は未結成であるとともに(過去にはOB会が存在したと伺っております。)行政の組織的な関与は難しい状態であり、私の整備
の最終段階として今回の措置を行いました。メタリック・クロムと言えども2年後には退色は避けられず、再度の塗装は十二分に想定できますので4年先まで
の塗装経費等については、当初の予算に組み込んでおります。今後保存会等が結成され定期的な整備対応が可能な場合には、改めて磨き出しを行い油拭
きの体制に再度変更も考慮しております。
今回の整備をもって私の手掛けた79642号機の整備及び整備報告は終了させていただきます。 お読み頂き有難うございました。
なお、来る8月14日には王子の森公園内の球場グランド内において、当八幡浜市五反田地区の「柱祭り」・・(戦国時代に味方の誤射で不慮の死を遂げ
た山伏の霊を鎮める行事)・・高さ20mの柱の最上部に付けた籠に下から松明を投げ入れる・・燃えるまで・・<愛媛県無形民俗文化財指定> が行われ
ます。その時間帯に合わせて、主灯・副灯・後灯・火室・運転室の各灯火を点すようにしております。柱祭りと夜景の本機もぜひともご覧ください。駐車場は
神山小学校運動場です。祭りの様子は後日掲載します。
* 2019/08/14 台風10号がまさに愛媛県南部八幡浜市に接近中であり、降雨の状態も降ったり止んだりの状況でしたが、「柱祭り」は予定通りに行わ
れると連絡があり、午後から八幡浜へ出向き本機の主灯・副灯・後灯・運転室内・火室内の点灯準備と、先日メタリック・クロムで再塗装したロッド等の部位
表示を「建設課」宮本氏や管理人さんにお手伝い頂き再貼り付けを行いました。運転室内逆転ハンドル・両ブレーキ弁を取り付け、火室焚口炉を上部に開け
4時までに準備完了しました。天候は一定で無く薄日が射したり急に強い雨脚もありましたが、開始前には少雨になり風もほとんど吹かず、「柱祭りは」午後
7時から開催されました。祭りを見に来た中学生や家族連れに声を掛けて運転室内の説明を約20人程にしましたが、中学生はそのままテンダー後部から
祭り見学となりました。
「柱祭り」は神事から始まり、大城八幡浜市長の挨拶・前年度的の受け籠に松明を投げ入れた優勝者の紹介等が行われ、司会者から本日の本機の点灯
や運転室の操作可能を紹介して頂きました。午後8時過ぎから各地区代表の39名の選手(投擲手が高さ20mの柱の受け籠に松明を投げ入れ命中させる。
)が順番に開始し、投擲手から投げ放たれた松明が放物線を夜空に描き独特の雰囲気がありました。今年は開始10分という短い時間で、籠に松明が命中
し着火無事「柱祭り」は終了しました。終了後、紹介があったので県外から帰省されていた親子連れ3組が運転室を訪れられたので簡単に説明を行い、本日
の本機としての行事を終了しまた。
以後、本機の状況において著しい変化等がありましたら、本HPで紹介したいと思います。 2019/08/15 大山 正風
* 2020/04/04 2019/10/05に機体の高圧洗浄後半年振りの点検・整備・清掃に訪れました。年に二回、4月・10月の第一週に定期点検を実施し
ておりますが、前回は特には報告すべき事も無かったので割愛しておりました。半年の経過でやはり粉塵と本機は開放型の生態保存機ですので、子供さ
んは自由に本体上部に上がり遊びますので、砂がかなり各所に見受けられます。全て高圧洗浄機で洗い流しモップで吹き上げております。テンダー後部の
架線注意の表示が欠損している以外異常はありませんでした。
運転室内のバルブは潤滑油切れで回転が固くなっていましたので各バルブ軸をバーナー炙り潤滑油を注油しておきました。銅管のアクリルが鈍ってきた
以外は異常は無く子供たちは自由にバルブを回し遊んでおります。来週中に再度訪問しロッドのメタリッククロム塗装にムラが生じている個所がありました
ので、再吹付しておきたいと算段しております。
一つ問題が発生しておりまして、開放型の静態保存機の宿命でありますが、本機は旧保存個所に静態保存されて以来子供たちの自由な遊び場であり、規
制はされておりませんでしたから今の幼児の父親や祖父の時代から本機は「おもちゃ」で有った訳で、今回もそれを踏襲した整備をしております。危険防止の
ために運転室入り口に階段や右サイドには転落防止の鎖を設置したぐらいでした。先般機体上部で遊んでいた4歳児が降りる際に缶胴被と手摺との間に両
足が挟まり、抜けなくなり大騒ぎとなり消防署のレスキューにお世話になったそうです。以来「機体の上には上がら無いでください」という注意書きは市当局よ
り表示しておりますが、今日も子供たちは自由に上がっておりました。保護者の責任において判断して頂ければ有難いのですが、公園管理者が常時見ている
事は不可能であり今後も起こりうる事かと懸念されます。
* 2020/04/09 本日は先週の高圧洗浄に引き続き、機体各部位の再塗装を中心に整備を行いました。右サイドのロッドは屋根が浅いために雨の影
響を受けやすく、磨き出しアクリル処理からメタリッククロムに変更しておりましたが、雨の影響も強く半年で酸化・退色傾向が見られますので、その都度上
塗りや再塗装の手間が求められます。また子供たちが自由に登り降りする各ステップは黒色塗料は剥げ落ち錆止め剤(赤・錆転換剤は銀)が露呈しており、
部分的な再塗装をせざるを得ません。現時点において強力な錆転換剤を使用しておりますので錆が浮いて出る個所は殆ど見受けられない状況ですが、塗
料故に何年現状維持が出来るかは未知数と言えます。機体本体に使用した黒色橋脚用塗料に関しては直射日光が当たる部位も含めて退色は見られませ
ん。今回は左右のロッド等の手直し作業を行いました。次回は運転室内外の砲金部位・銅管等の再磨き出しを中心に10月第一週を予定しております。愛媛
県内の桜の開花は例年より遅く、海岸周りの松山~八幡浜間は国道沿いや山間部に染井吉野や山桜が多く見られ、海風に吹かれ桜吹雪の行き帰りでした。
* 2021/06/28 コロナ禍の影響で愛媛県下の移動も制約され、本機の定期整備も出来ないまま、1年2か月ぶりに本機を訪れました。予想通り機体上
部・各所には粉塵が堆積しており、左サイドのロッドの数個所に錆が浮き上がり、メタリック・クロムもやや色あせを感じました。本体・運転室の砲金製部位
は輝きを保っていましたが、各銅配管は成分の違いが退色の状態に明確に現れており、入江氏が一日を費やして磨かれた光り輝いていた汽笛・安全弁も
三者三様の反応を示しておりました。運転室内の各バルブは軽く回転していたものが、油切れで固く回りはしますがお子さんには無理な状態となっていました。
先ず、高圧洗浄機で各部位の堆積している粉塵から落として行きましたが、機体に最初に付着した粉塵は高圧洗浄機の水圧でも完全には落ち切らず、モ
ップやブラシで擦り落とし、再度高圧洗浄をかけました。本機の黒色塗装は「橋梁用」の特殊な塗料で塗装しておりますので、洗浄後は当初の黒光りする黒
色に戻りました。テンダー部の棒等で擦った個所(擦り傷)以外は剥げ落ちた個所も無く問題はありませんでした。
左右の動輪・ロッド等は最初は鏡面処理を行い、アクリル・クリアで表面を覆い空気と遮断し、いずれも顔が映る状態であり、本機が国鉄に納車された新車
の状態を知って頂くための塗装でした。機関車が「黒くて煤煙で汚れた汚い鉄の塊」というイメージを八幡浜市民の皆さんに払拭していただくための処理でした。
本来は鏡面処理の後は。機械油やグリス等で定期的に磨き作業を続ける必要があり、「・・・保存会」のような組織の無い個所では維持が難しいのも選択の一
つでした。アクリル・クリア処理の効果はもって1年であり、手触りの油・PM2.5や鉄鋼内部からの影響で曇りが生じて来て、最終的には黄色の薄いプラスチ
ック状に変わり最終的には剥げ落ちます。それでメタリック・クロム塗装は2019/08に行っております。今回はメタリック・クロム塗装の退色が激しければ、
全国の保存機機関車のロッド等に使用されている。油性シルバーに塗装替えする予定でした。
高圧洗浄を掛けますと粉塵が綺麗に除去され、塗装面も高圧に耐えきれず剥げ落ちる事も無く、光沢も意外と維持しておりましたので整備計画を変更し、
次回の10月かそれ以降までロッド等の塗装は現状維持を保ち、錆の浮いている個所のみの補修にする事にしました。夏場の銅管・砲金製の部位は磨き出
しは可能ですが、アクリル処理を行うには、気温が高過ぎ、空気遮断が最終的に微小な気泡が災いして輝きを保てない事は解っておりますので「夏場の銅管
・砲金磨きは厳禁」、次回以降に延期し運転室内のバルブ回転・真鍮色塗装等の部分的修復・整備に留める事にします。以上の事を八幡浜市建設課と07/
01に協議し確定の予定です。
* 2021/07/02 八幡浜市都市整備課課長・建設課管理係長と保内庁舎で協議させて頂いた結果、高圧洗浄の結果、アクリルクロムの銀色の退色は
予想した範囲内の現状を保っており、最終塗装予定の油性銀色の塗装は必要は無く、左サイドの部分的な錆浮きの個所の処理で済み、現状にアクリル・
クロムの再噴霧塗装で更に、最終塗装の時期はかなり後に延ばせると判断した事を協議し、汽笛・安全弁・ナンバープレート等の砲金・各銅管は再度磨き
出しが必要であるが、夏場の高温時期の研磨・アクリル樹脂吹付は不適切であり、今回予定していた生活動は時期を遅らせ、本年10月以降に順延する事
で合意していただいた。今回は運転室内の各バルブの回転が固くなっている軸に潤滑油を吹き付ける作業と左サイドの銅配管の一部が失われていたのを
復原していた個所が、損害欠損しており再度復元作業を7月中に行う事にした。完成後の3年間の整備計画でで当方が事前に保有している、アクリル樹脂
(クリア)・アクリルクロムが不足しており、その補充をお願いし協議を終えた。正式な整備活動は秋の気温の低下を見越し10月中旬以降に行う予定です。
*上記の決定事項から時を経ずコロナ禍の渦が全国的に拡散し、私達の機関車整備仲間も県外への異動は自粛を余儀なくされ、愛媛県下も同様に他市町
村への異動は憚れたが、これ以上放置すると整備の手順が大幅に遅れる事になり、万全の対応と予防措置を取り、2022/04/08・09に前回予定してい
た整備を行った。やはり予想を超えた錆が各所に見られた。公園内であり平日は児童・親子連れの姿は少ないので平日作業を基本とした。
2022/04/08・09の作業内容は以下の状態です。
79642号機整備活動2(防犯カメラ作動中)
2022/04/11・12の作業内容は以下の状態です。
2022/04/20・21・28 05/02の作業は以下の状況です。
2022/05/09・10 05/16・17の作業は以下の状況です。運転室内の磨き出しは時間がかかります。17はロッド等の塗装準備でした。
2022/05/19・20の作業は以下の状況です。前後・副灯の蓋塗装終了・左右各動輪・ロッド等の塗装準備終了、運転室内80%磨き出し終了
し缶胴被の各銅配管の磨き出しに取り掛かっております。梅雨までにテンダー部や各塗装が終われば宜しいのですが、天候次第です。
2022/05/23・24・25の作業は以下の状況です。23は目張りを終えた左右各動輪部のメタリック銀色第一次塗装を行い、24は砂ドームまでの
左各銅管の磨き出し、25は右各銅管の磨き出しを行いましたが、25日分は日没のため撮影は次回に行います。梅雨が迫ってきており時間との戦
いになりそうです。
2022/05/27・28の作業は以下の状況です。右缶胴被上部・側部・下部の磨き出しに時間を費やしました。右サイドは屋根が浅いために風雨の
影響を強く受けており、かなりアクリルクリア樹脂を吹き付けておきましたが、暗茶~褐色に変色しており一からやり直しに時間をかけました。恐らく
二年後には同じ状態で光沢を失う可能性は高いかと思われます。銅管も細い銅管程変色が激しく、中型~砲金部は輝きは残しておりますが左側や
室内とはその差は益然としており、今後の処理の課題かと思われます。
2022/05/30・31の作業は動輪・ロッド等の二回目の吹付作業に終始しましたので写真はありません。溶剤に余裕が出れば局所的に三回目の塗
布作業・アクリル樹脂吹付を行う予定です。またランボード以下の銅配管等の再磨き出しを行いました。
2022/06/03・04の作業は運転室内注水器裏側・バルブ・右サイド銅配管の再磨き出し作業。主・副・後灯の塗装が完了しました。運転席前の回
転窓の部分的磨き出しも行い、完成時には時間的に終われ未整備の個所を今回が最後の整備と心得、極力微細な個所にも手を加えております。本
機は長らく旧保存個所に位置していた頃から子供たちの自由な遊び場所でありましたので、若干の問題は抱えておりました。現位置に移動し整備後も
缶上部への立ち入りに関しては「市当局」の注意書きもあり、防犯カメラも設置しておりますが、子供が上り右サイドへの転落は避けたいものです。整
備完成後子供さんが缶掴み棒と缶胴被の隙間に足を踏み込み、自力で抜け出す事が出来ず泣き叫ぶ声に駆け付けた母親の力でも引き出せず、消
防署のレスキュー隊に救出される事例もありました。一番の課題は「架線注意」の表示個所が大小・6個所ありますが、過去のペンキ標記の上にステッ
カーを貼っているだけなので剥がして持ち帰る事例が多発し、今回の整備で持ち帰られない対応をしたいと、子供たちの悪戯に頭を痛めております。
2022/06/7・8の作業は終始黒色塗装で終わりました。子供を疑うべきでは無いのでしょうがやはり道具類(バット等)の擦り傷・打痕跡・靴底の擦過跡
は明確に毎回残存しており、整備をする立場としては一言学校現場に(私も元学校長でしたので)子供らへの喚起を促して頂きたいと思います。完成時の
代表児童の自分たちも大切にと言う言葉が虚しく残ります。一応傷跡等は全て正常化しております。塗装した個所(傷痕跡)はテンダー左右・後部・前端陵
・左右デフに及び、コロナ禍で半年毎のメンテナンスの遅れが作業量を増やしております。パテ処理・研磨・元色の上に被せております。更なる傷跡が出な
い事を願うばかりです。
作業的には塗装面は大半が終了しており、10・11が好天であれば全て終了しますが、粉塵の堆積は尋常でなく高圧洗浄機で一度掛けたぐらいでは除
去出来ず手洗いの後で高圧洗浄すれば更に塗装剥げや錆痕跡が現れる確率が高く、梅雨を逆利用して洗浄を行い晴れ間での再塗装に成らざるを得な
いかと思われます。以前の整備では今後の補正整備を含めた予算措置を取らせていただいておりましたが、今回で各塗装・消耗品類も使い切りましたの
で今後の私のボランティア活動での整備は体力もかなり消耗しており、見通しは絶ちません。八幡浜市当局とはその点についても協議を重ねる予定です。
2022/06/10・11以下の作業内容は以下の状態です。報告が事情によりおくれました。 2022/07/01
両日ともに好天に恵まれ、高圧洗浄機による粉塵の除去を行いましたが、コロナ禍の影響で半年毎の洗浄・点検等が行われて居ませんでしたので、洗
浄も運転席天井のような平坦で各部品の無い個所は一度の洗浄とモップ拭きで元の光沢を取り戻しましたが、缶上部の各部品や各銅配管に覆われた個
所は粉塵が(PM2.5)固着し、高圧洗浄の効果は殆ど得ず、散水をしながらブラシ等での手洗いを試みましたが、塗装の表面に凝り固まった粉塵の除去は
完全に落とせず、水滴を布でふき取り乾燥を待ちますと、橋梁用の特殊塗装でも粉塵の影響を受けており、元の黒色と輝きが西風を受ける各部品等では
退色が見られましたので、予定を変更し塗料店から補正用に保管していた当初の黒色塗料を手塗りで行う作業を急遽せざるを得ず、作業予定が大幅に遅
れました。室内保存でない限り屋根がついていても、定期的な保守・整備を怠ると同様な状態が見られます。西条市のC57-44号機は室内と言えども、密閉
構造も無く、整備予算も計上されず、私が整備から手を引いた現在では各所に錆が浮き上がり、整備当初の輝きはありません。内子町のC12-231号機は
屋外保存ですから、退色は一段と早く、両行政担当の予算措置も無く今後は他県の屋外保存機同様の状態になるのは必然です。八幡浜市の本機は向う2
年間の整備に関する消耗品を当初予算で確保していただいていたので今回の整備が可能でしたが、今回で使い果たしましたので今後の整備の在り方に関
しては行政当局とは再協議を行い、最低限度のメンテナンスが行われますことを提案させて頂く予定です。
私事で恐縮ですが脊椎間狭窄症の後遺症もあり、今回の機関車への登り降り・膝をついての手作業は右膝を痛めまして、作業の工程が大幅に遅れており
ます。別件の仕事も入り報告が遅くなりました。
塗装に関しましては動輪~ロッドに関しては錆止め後に三回のメタリック・クロムを、テンダー各従輪は二回の同様な処理を行いました。クロムの方が水滴
を弾くので最終的には梅雨の晴れ間か梅雨明けにメタリッツク・シルバーを噴霧しアクリル透明で保護して作業を終了する予定です。
機体の各所には「架線注意」の表示板があります。表示板はベースの白と黄・黒の斜線警戒色以外は赤色の手書き仕上げですが、同型・同寸でも字体が
「汽車製造」時から浜松~盛岡~苗穂の各工場で異なっています。小型の「架線注意」の表示板は蒐集マニアに好材料で、各地の保存期機もその被害に在
っており、本機はテンダー後部のが表示板毎盗難にあっております。その他ではシール貼り付けていたようですがそれも剝ぎ取られて元の歳月を経た状態に
なっております。そこで各表示板の作製を試しております。パソコン写真紙で複製し(大型はコピー紙)アクリル透明液を何度も吹付便宜的にガラス化し、紫・
赤外線の影響が出るかを見ます。
運転室の気室計器盤文字も当初印刷紙をそのまま貼り付けていたのですが、日差しの影響を受け黒文字が赤色化しております。中央の缶計器盤は異状
はありませんの。表示板・2枚アクリル板に両面テープ接着し周囲を協力接着剤で固め、表が変色すれば裏面を使う事にしました。表示板雛型は建設課の
方にお渡ししておきます。防犯カメラの設置もあり、運転室内外共に盗難にあっている部品は現状においてはありません。
2022/06/30迄の作業内容です。残りは各塗装部の微調整とメタリッククロムからメタリックシルバー~アクリル透明仕上げを残すのみです。