D51-541号機訪問記


D51-541号機  場所 宮崎県日向市本町 本町児童公園内

車暦 1940鉄道省小倉工場 1940鳥栖~1945出水~1970南延岡~1974廃車 1977保存開始

状態 塗装は普通だがカラフル・各所に錆び ヘッドライトガラス・後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類はシリンダー圧力計欠 他の計器類は装着するも

  針欠 両水面計欠 制動・操作系統機器も一部欠 室内は荒廃状態 屋外保存であるが足回りは整備されている。全体的な保存状態は普通である。

* 本機は現地に静態保存されて42年を迎えている。その間に数度機体等の上塗り塗装整備が行われていた模様であるが、この最近において本格的な保存整備は行われて

 おらず、塗装は退色・劣化しており運転室内の計器類にも損失が認められる。また、静態保存機の塗装としては奇異な塗装状態がみられる。このような現状に染田通明氏会長

 の「日向市SL保存会」が結成され、2018/10~本機の本格的な整備活動が展開されている。

* 整備活動は後部のテンダーからケレン~さび止め~本塗の作業工程が継続され、2019/02には煙室扉部位まで作業は進展し03/24には上部構造整備完了披露式典が

 挙行される予定である。

* 79642号機の完成披露式典が01/26に挙行され、事後の諸整備と整備報告書の提出を終えたので、02/10に現地を訪問し染田会長さんをはじめ「日向SL保存会」の皆

 さん方と情報交換をして参りました。今回はその整備活動状況をお伝えしたいと思います。02/10時点では運転室・動輪部位~各ロッドは未着手であり、左記部位は04以降に

 整備再開と伺いました。03/24式典には私も伺い、今後の整備の方針・予定等を伺いお手伝いが出来うる様でしたら、04以降月に一度お伺いしたいと考えております。

* 79642号機が私の一人整備の終了であり、体力の限界もありまして今後は私の出来うる範囲で各地のSLの整備活動に参加させて頂きたいと思っております。
                                                                                   
    以下02/10の状況です。

* 03/24式典当日には動輪~各ロッド等は仮塗装を行い、04以降整備再開の手順とお聞きしております。04以降お手伝いが可能であればその都度整備状況を報告する予定です。

 現時点でD51-79・544の他機刻印が検出されている模様で、次回に報告できればと思います。




* 03/23 23日午後から翌日の式典の事前準備の手伝いに伺いました。機体上部は本塗装はランボード側部の白線と式典当日のイベントとして富高小学校の児童の皆さんが塗

 るテンダー右下を除いて完成していました。染田会長さんを初め保存会の皆さんのご努力とご苦労が随所に現れており綺麗に塗りあがった機体が春の日差しに輝いていました。紅

 白の式幕張り等のお手伝いをして翌日に備えました。前部・自動連結器胴上部にはシ37-7 TW1007の刻印・同ナックル上部にはシ36-1 OR・6760・9の刻印がありました。

 また、左尻棒案内部位にはL D5179の刻印が、同右尻棒案内部位にはL D51544の刻印がありました。(現時点では左は塗装の下に隠れていますが、「日向SL保存市民の会

 」のFBの和田氏の撮影写真で確認) D51-79号機は1971年に熊本機関区で廃車になっていますが、1951年から出水機関区に配属されており本機が1945年に出水機関区

 に配属以降に鹿児島工場で転用されたと考えられます。またD51-544号機は1968年に長門機関区で廃車になっていますが、1945~1961間は出水機関区に配属されてお

 り、やはり本機が出水機関区に配属され、544号機が1961に転属するまでの間に鹿児島工場で同様に転用されたと考えられます。左右尻棒案内が一緒もしくは別々に転用され

 たかは不明です。

下写真は和田氏写真を転載させていただいています。

* 03/24 快晴の天気に恵まれた式典当日です。541号機も紅白幕に覆われ周辺環境整備も整い、日向市役所の完成披露式典等のイベントが先行され多くの市民の方々が市

 役所周囲に集まって来られました。市関係のイベントが終わり、その流れで本機の完成披露式が少し遅れて11:40過ぎから開催されました。それに先立ち富高小学校の児童によ

 る最後の塗装が行われ、交代しながら緊張と楽しさの合い混じった表情でローラーを滑らせていました。

  最初に染田会長さんより挨拶と、保存・修理の経緯の説明があり整備に関する謝辞とともに今後の活動に対する市民の方々に対するご協力依頼の言葉がありました。本機が南

 延岡機関区在籍時代から関わって来られた染田会長さんには万感の思いがあり、お言葉を聞くと胸が熱くなりました。会長さんの元に参集され活動された会員皆さんのお気持ちも

 同様であった思います。その思いに整備を続けている私も同感であり、今後の整備活動に参加させていただく所存です。

  式典はその後、土屋(とや)日向市長さんの祝辞・日向駅長さんの祝辞と続き、機体全面・右側面を覆った紅白幕が引き落とされ、同時に祝いの汽笛が鳴り響き観覧されていた

 300人を超す市民の方々の歓声とどよめきの中、D51-541号機の姿が太陽の日差し受け誇らしく登場しました。「うわーきれいやな~・凄いな~」の声を受け誇らしげでもあり

 ました。その後記念バッジが参加者に配られたり「入江」氏持参の汽笛を市長さんに鳴らしていただき、多くの子供たちが汽笛の轟音を楽しみました。汽笛鳴らしのお手伝いをして

 いると、子供たちから「小父さん!運転室の中にはまだ入れないの?」という何人もの声を聴きました。やはり子供たちの関心は閉ざされた運転室にあり、染田会長さん言われる


 通り遊べる機関車が待たれているようです。八幡浜市79642号機のように常時オープンで、自由に触って遊べる運転室の整備が今後の課題になりますので、私の出番もあるか

 なと思います。

                             中段 3~5・下段 2・3・7は「日向SL保存市民の会」FBに写真投稿された坂本・和田・入江各氏の写真を転載させていただきました。

  二日間保存市民の会の皆さんとも整備に関して情報交換をさせていただきました。本当に皆さん方のお力がなければここまで出来なかった訳であり、ご苦労様でしたそしてお疲

 れさまでした。しっかりお休みをされ英気を養ってください。今後の整備に関しても指導された入江氏とも常時情報交換をしながら、整備に協力する事を皆さんにお約束して日向を

 後にしました。今後新年度の整備活動が始まりましたらその状況は引き続き本ページ上で報告いたします。                         2019/03/25  大山


 * 入江氏から当日撮影された写真が送られて来ましたので、コメントを付け加え掲載させていただきました。(ありがとうございました。)

* 05/18・19 新年度最初の作業日が19日でしたが、私の勝手な希望で18・19と作業をさせて頂きました。当日は宮崎県地方は雨天が予想されましたので前日に三樹氏のお

 手配
で運転室上部にブルーシートを掛けて頂いておりました。二日とも予報通りの大雨でしたがお陰様で作業は順調に行うことができました。改めてご配慮感謝申し上げます。

 また、18
日は黒木聖治に19日は染田会長にお手伝いを頂き、予定通り運転室内の操作系統機器・圧力計等大半を取り外すことが出来ました。お二人ともご苦労様でございまし

 た。

  取り外しました機器等は自宅に持ち帰り、今後順に復元整備・磨きだし作業を行い完成後持参する予定です。作業状況は逐一掲載紹介いたします。取り外した諸機器類は、作用

 コックハンドル・シリンダー排水弁コック・逆転ハンドル・単弁・自動ブレーキ弁・缶圧力計・給水ポンプ圧力計・暖房用圧力計・両水面計カバー等で、同時作業として各バルブや諸コ

 ックには油を注入し少しでも可動するように調整を行い、全バルブは可動になりました。閉じた状態の焚口炉はほぼ開放の状態に調節しておきました。

  また、今後の整備のケレン参考として右クロスヘッドのソケット・コッター、結びリンクとメイン・第二サイドロッドの油壷曲面を便宜的にケレンしましたが、ソケットと結びリンクには

 D51541の刻印が、コッターにはD51485の刻印が認められました。メイン・第二サイドロッドにはHM 37 3の刻印があり、今後のケレンの参考にさせて頂きたいと思います。

 便宜ケレン個所はアクリル樹脂で養生しておきました。D51485号機は本機と同じく1974年に南延岡機関区で廃車になっております。1945年以降出水機関区に所属し、同僚

 機として共に稼働しており、鹿児島工場での全検の際に転用されたと思われます。廃車後延岡市の大瀬町児童公園に静態保存されており、これも奇遇であろうかと思われます。  

  以下は両日の作業内容です。                                                                            2019/05/20

* 05/22 以下が取りはずした機器・計器類の現状です。機器等の磨き出しにはさほど問題は無いかと思われますが、計器類は打撃による損壊が激しく復元にはかなり日数が

 かかるかと思われます。左空気圧力計の裏側には手書きのC1148の白文字が存在しました。C1148号機は1974年に行橋機関区で廃車になっておりますが、1933人吉~
 
 1955佐賀~1962鳥栖~1964門司~1968熊本~1974行橋の在籍経歴を持っており、本機が出水機関区での1970/03/25の最終全検時には熊本機関区に配属してお

 り鹿児島工場での全検時に転用されたのでは無いかと思われます。修復・復元の行程上で逐次紹介させていただきます。

* 05/22追記 先程、逆転ハンドルを磨いておりましたら興味深い刻印が検出されましたのでご紹介いたします。ハンドル中央部寄りに縦方向にC5910?の刻印が検出されま

 した。?部は凹部で文字の上半分は消滅しており下部の字体から3・5・8が該当します。C59-103号機の場合、1964/12/05に広島機関区で廃車になっており、本機への
 
 転用は無いかと思われます。C59-105号機の場合、1946岡山~1949糸崎~1965休車小倉工場~1965/10/02熊本機関区廃車であり、C59-108号機の場合、19

 46梅小路~1958姫路第二~1960門司~1962休車~1963/02/01門司港機関区廃車ですので、105号機か108号機のどちらかと言う事になります。熊本機関区廃車の

 105号機の可能性が高いのですが、私には今一つ刻印の字体では判断出来かねますので、後日接写写真を掲載いたしますのでそれで、あるいは現物をご覧になってご判断頂け

 れば幸いに存じます。                                                                以上追加記載です。05/22/PM17:00

* 05/26 圧力計以外の諸機器の磨き出し等が終了しましたので紹介いたします。逆転ハンドルの刻印は上記で触れましたが、接写写真で字体を比較検討した結果C59105

 判断しました。また水面計右カバーの下部に非常に珍しく奇異な刻印が確認されました。D511132の刻印です。D511132号機は1944酒田機関区~1955山形機関区~秋

 田~1972年に秋田機関区で廃車になっています。東北地方日本海側で稼働していた機関車であり九州地方の在籍は確認されておりません。また本機も東北地方への配属記録

 はなく何の接点も無いのですが、何故か本機に転用されています。右水面計カバーは刻印通りならばD51型の水面計カバーでしょう。左は細かい点で造作が異なりガラス管破損

 飛散防止のカバーも装着しておりますし、作りそのものが強固で磨いていても同じ砲金製の輝きでは無く、C57型機以降の大型機の水面計カバーと思われます。

  部品の転用に関しては同一機関区内の機関車同士が全検時等において、同時に点検を受けていた他機の同部位が、あるいは工場にストックされていた廃車機関車の同部位が

 使用されるのが大半で、工場に在庫等が無い場合は近隣の工場(鹿児島=小倉)・(広島=後藤)・(多度津=鷹取)から取り寄せていますが、今回のように東北の土崎工場からで

 すと非常に珍しいケースかと思われます。1972年以降蒸気機関車の廃車が相次ぎ部品の入手が困難な時期での転用かとも思われますが、余り例が無く奇異にも感じます。

  次に諸計器類の復元整備に取り掛かりますが、損傷が激しくしばらく時間がかかりそうです。復元できましたら紹介いたします。

* 06/03 取り外した5個の圧力計の修復・復元作業が終了しました。磨き出しも梅雨を迎えますと巧く磨き切れずアクリル処理も曇りますので何とか間に合いました。どの計器も

 損傷が激しく特に両ブレーキ圧力計の外側カバーや文字盤部の損傷は著しく、柔らかい材質故に完全な修復には至らず他の製品との交換も考慮しましたが、故意の損傷の復元が

 難しい事を知って頂く事も今後の本機の静態保存の在り方の問題提起になるかと思いますので現状に留めております。本来のガラスは破損時の怪我を考慮し全てアクリル板に換

 えております。両水面計のガラス・芯管も同様の措置を取らせて頂きます。本機の圧力計は盗難防止のために特殊な溶接をされていました。それが故に本体部を残し無残な状態で

 あったとも思われます。SLを愛さない心無い者の行動に怒りを禁じえません。さらに気室(シリンダー)圧力計は接続銅管から切断され根こそぎ盗難に遭っております。今回修復に

 あたり手元にある別の大型圧力計の各部位を組み合わせて、1個復元しましたので次回の整備時に合わせて持参いたします。今後は別の方法で盗難防止策を取りたいと思います。

 * 修復段階で判明したことは缶圧力計の背面上部にD522の刻印が認められましたが、これが製造番号を示すのか機種番号刻印を示すかの判断ができておりません。機種番号

  刻印を示すとしてもD52-2号機の九州在籍記録は無いので転用経緯は不明です。ブレーキ圧力計の左肩には1393の製造番号。空気溜り圧力計の左肩には1328の製造番

  号が、また背面には手書きのC1148があることは以前に紹介しました。給水ポンプ圧力計の上部には14-11の製造番号が、暖房用圧力計の上部肩には12-4・665の製造

  番号が認められました。復元にあたり検査円証は車歴表の記載から最終全般検査である、昭和45年3月25日鹿児島工場を全ての圧力計に張り付けております。


 * 06/15 保存会の整備作業は雨天予報のために中止となりましたが、私は修復した計器類の搬送と整備再開に向けて確認する事項が多々ありましたので、前日松山を出発し

  「道の駅で」車中泊しておりました。予報通り雨風は激しく、運転室内といえど雨合羽着用を覚悟していました、目覚めると曇天で青空も見え始めましたので現場に向かいました。

  本日の作業は加減弁テコ・逆転ハンドル可動の両措置が最大課題でした。加減弁第一引き棒と第二引き棒のクランクとテコを緩めてフリー状態にすれば可動しますので作業に取

  り掛かりました。蒸気ドームのクランクの留めねじを緩め全体をガスバーナーであぶりながらオイルを吹き付ける作業を繰り返しましたが、40数年の放置状態は全体が固くしまり

  悪戦苦闘中に前回もお手伝いいただいた黒木さんが来られたので、クランク開放回転をお願いし、私は第一と第二をつなぐテコ部位の作業に取り掛かりました。これまた非常に難

  しく割ピンを抜き火あぶりとオイルの噴射を繰り返しましたがびくともせず午前中は終了でした。
 
   黒木さんのご努力でクランクは軽々と回転するようになり第一課題は解決しました。テコ部位は作業上ピンを抜き引き棒を上にあげてからテコの回転化をしたいのですが、そのた

  めのピン抜きが何度挑戦してもできず、黒木さんに大きなハンマーを持ってきていただき、打ち込みましたが全く反応せず「焼き付き」の状態でした。その理由がテコ部位全体が僅
 
  かですが傾いていることが原因と判明し、作業は中断せざるを得ませんでした。私が整備に関わったD5110・18・300の同部位は直立しておりましたので、搬送時のワイヤ掛け

  か何らかの事情で同部位が傾いたかと思われます。私が整備した西条市のC57-44は逆にクランクの回転が出来ず、テコは簡単にピンが抜けたので、テコ部位で引き棒を滑ら

  せて疑似可動化をしておりますが、今回も本来の可動化が難しくなりました。染田会長さんの「子供たちに機関士席に座らせ、加減弁テコと逆転ハンドルを操作させたい。」と言わ

  れる願いを実現する為には、ピンが抜けない限り実現不能であり黒木さんとも相談しピンの切断をすることに決定しました。 慎重にテコの両側から切断作業に入り、その間に黒木

  さんには逆転棒と逆転軸腕をつなぐ止めピンの抜き取りをしていただきました。テコピン切断後引き棒を持ち上げテコの可動を試みましたが、ハンマーで何度衝撃を加えても左右に

  微動だにも動かず、テコ本体が焼き付いた状態であることが改めて判明し、テコピンの切断はやむを得なかったかと思います。テコピンの切断と逆転棒接続ピン抜きに時間を要しま

  したが、加減弁テコと逆転棒の可動を確認して一日の作業が何とか終了しました。(作業に集中しておりましたので撮影はしておりません。)(切断ピンの原状回復を今後求められた

  場合C5744のピンを入れます。)
 
 * 06/16 快晴で汗ばむ天気でした。本日は染田会長さんにお手伝いをして頂きました。私は午前中は昨日に続き先ずは加減弁テコの完全可動化作業を、逆転棒可動は次回に

  持ち越しました。まず整備した引き棒上の油壷(砲金製)にエンジンオイルを入れ、凝固した長年の油の付着物を除去しバーナーで長時間各止めピン等を熱し、潤滑油を吹き付け
 
  テコを引きますと重たいながらも最大引き度まで引き抜くことができました。テコ部の滑りも引き抜かない限り順調に可動しており、後は引き・戻しを滑らかに調整すれば子供たちの

 力でも十分可動可能である状態なると思います。その間会長さんには手打ち作業で焚口炉周辺の塗料を除去していただき、高熱による自然な炉焼けの状態に復旧していただくこと

 をお願いしました。加減弁テコを磨いていますと貴重な刻印が加減速目盛りの上部にありました。813(製品番号)14-8-18(製造年月日)であり、本機の製造時のまま現在に至

 っていることが判明し、まさに本機の歴史の証明であると思います。

  午後からは、保存会の皆さんのご努力で機体上部位は整備がほぼ完了状態ですが、下部位は上部位とは異なりサンダーで一律の粗削りではなく、手打ちやハツリ等かなり細かな

 作業と配慮を要しますし面倒な刻印の検出があります。あらかじめ本機右側の刻印が存在すると思われる部位をケレンし、その部位を参考に左側を整備していただければと思い、

 右側各部位の刻印存在個所を仮ケレンを行いその箇所は「錆転換剤」を塗布しておきました。時間も少なくすべては確認できませんでしたが以下の部位に刻印が認めれました。前方

 からシリンダー排水弁開閉棒・合併テコ・結びリンク・クロスヘッドソケット・逆転腕軸ツバ・釣りリンク・加減リンク体下部油壺・リターンクランク・第二サイドロッド油壷・には本機の刻印

 が、クロスヘッドコッターにはD51485があることは以前に紹介しております。動輪関係では第一・第三・第四のタイヤにはそれぞれのメーカー刻印と取付時のKGシ46-10の刻印が

 存在しました。また第一~第四の輪体には製造年を示す刻印が存在しており、第一・第二は未確認ですが、第三は19-2 SL959・第四は19-2 SL978の刻印が明確に認めら

 れました。問題は軸ツバと輪心の刻印ですが軸ツバは4輪とも無刻印でした。輪心は第一・第二は時間切れで未確認で、第三は油壷が邪魔をし現時点では確認出来ておらず、第四

 も軽いケレン状態では何もなく輪心は無刻印かと思われました。最後に錆止め剤を塗り始めますと第四動輪に薄い刻印が浮かび上がりました。全くケレン時では気づかない薄さでし

 た。しかしこの刻印は不可思議な刻印でした。

  写真のごとく素直に読めばR4 D511541であり、これは存在しない刻印となります。(D51はD511166まで)よく見ると5の下に1が読み取れます。すなわち
D511141では無か

 ったのか、D51541は製造が1940(シ14)年であり、輪体の19-2と合致しません。D511141号機の製造年は1944-08(シ19-8)であり、輪体の19-2と合致します。以

 上の観点から第四動輪はD511141であり何故か1の上に5が打たれたと想定できます。ちなみにD511141号機は本機より早く1972年に南延岡機関区で廃車になっています。

 さすれば第三動輪の輪体も19-2ですから、本機の輪体では無い可能性が出てきました。

  ちなみにタイヤは消耗すれば交換は当然ですが、輪体の場合損傷が無い限り継続して使用されていたと思います。しかし昭和40年を過ぎると多くのSLは廃車・解体の方向に向か

 っており各工場にもストックしていた各部品も消耗していたのでしょう。本年1月に整備完了した愛媛県八幡浜市の79642号機の動輪には輪体のリム・スポークに修理溶接痕跡を数

 か所確認しております。このよう事例からも本機の第四動輪輪体に何らかの不具合が生じたので、D511141号機の廃車後本機に輪体が転用されたと考えられます。次回訪問時に

 改めて第一~第三動輪の輪体・輪心等を精査したいと思いますので、結論は次回に持ち越します。


  ロッド関係では第一サイドロッドにはNN 41 1  D51 13  40 189 1  41 5 KGの刻印が、第二サイドロッドにはHM 37 3  KG 37 11 D 51 8の刻印が、メイ

 ンロッドにはHM 37 3 KG 37 11 D51 111の刻印が、第三サイドロッドにはNN 43 8 D51 13 43 95 1 45 3 KGの刻印がありました。いずれもHM・NN工場製

 造日とKG工場での取り付けが明確に表記されています。特にHM(浜松工場)の37は浜松工場が新幹線体制に移行する最後の製造年を示す貴重な刻印であり、それ以降はNN長

 野工場にロッド関係の製造は移管されます。 以上が今回の訪問で判明した内容で、次回(来週)が開催されるようでしたら不明な個所の精査と逆転ハンドルの調整と保存会の皆さ

 んに説明と今後の整備の在り方に関してお話をする予定にしております。                                           2019/06/17

* 06/22 天候に恵まれ汗ばむ陽気でした。今回の参加者は染田会長・黒木(聖)さん・午後から黒木(清)さんと私の4名でした。私の今日の主作業は逆転ハンドルの可動化と各

 動輪刻印の精査でした。先週に逆転棒と逆転軸腕の接続ピンを黒木さんに抜き出して頂きましたが、逆転ハンドルは45年間の経過により全ての部位に錆と油の塊で凝固し、D51

 場合回転ネジ前部が運転室の外にあり本機の場合ボックスの天井部が損失しており、長年の風雨にさらされ完全に凝固しており、木製木槌で打撃を与えても微動だに動かない状態

 でした。回転ネジ前後の凝固を除去し、バーナーで焼き付けオイルを注油する事から始めました。昼前には少し左右に回転が認められましたので、作業を引き続き黒木さんにお願い

 し、私は各動輪刻印部位の精査にあたりました。
 
  右第四動輪にD511147刻印が先週確認されており、千桁の1はそのままで百けたの1は5に打ち換えられD51541を示していることは先述いたしましたが、不可思議な刻印で

 すので他動輪の精査が必要になりました。それに先立ちD511147号機ですが1944/08/21に川崎車両で製造され高崎第一~同第二~水戸と転属し1948/10/30に高崎第

 二所属中にC617に改造されています。この間同機が九州に在籍した経緯はありません。当然動輪は不要になったはずです。

  第四動輪を精査しますと1の上の5とは別に末尾の7が不正形でして細かく磨いてみますと7の上に1が打たれていることが判明しました。即ち第四動輪はD511147からD511

 141
に先ず転用されたと考えられます。D511141号機は1944/08/04に同じく川崎車両で製造され、早岐機関区~1948大分機関区~1955南延岡機関区~1972/08/

 02同機関区で廃車になっています。1147号機がC617に改造された以降ですから大分機関区~南延岡機関区の間に(小倉か鹿児島工場で)転用されたと判断されます。本機へ

 の最終転用は南延岡機関区時代か廃車後に本機に転用されたと考えるのが妥当と思われます。引き続き第三~第~動輪の輪心・ボス刻印を精査しますと次ぎの一覧表・(写真)の

 ごとくの刻印が確認されました。
 
 D51541号機右動輪刻印一覧表

右 第一動輪輪心    刻印
19--1 SL 9?0
右 第一動輪ボス 第一次刻印 第二次刻印 第三次刻印
R1 D511147  R1 D511141
右 第二動輪輪心    刻印
 19--? SL  720
右 第二動輪ボス 第一次刻印 第二次刻印 第三次刻印
R2 D511147 R2 D511141  R2 D511541
右 第三動輪輪心    刻印
19--2 SL 959
右 第三動輪ボス 第一次刻印 第二次刻印 第三次刻印
R3 D511147 R3 D511141  R3 D511541
右 第四動輪輪心    刻印
 19--2 SL 978
右 第四動輪輪心 第一次刻印 第二次刻印 第三次刻印
 R4 D511147 R4 D511141  R4 D511541

  精査の結果、第一~第二動輪の輪心にある製造刻印は今一つ明確ではありませんがいずれも昭和19年を示しており、11471号機の輪体と考えるのが妥当と思われます。194

 8年以降1141号機に転用され最後に541号機に転用されたと考えられます。しかし右第一動輪には541号機への転用刻印はありません。更に左側の各動輪を精査すればこの

 事実が再度確認されるかさらに新しい事実が出現することも十二分に考えれますので保存会の皆さんの整備の結果を待ちたいと思います。私の精査が今後も可能であれば一覧表

 に左動輪も追記したいと思います。現時点における本機の他機刻印は発見の度に記載してきましたが、一覧表で改めて紹介しておきます。以後新たな検出があれば追記します。

     *D51-541号機他機刻印一覧表            2019/07/09現在

転用部位 元機・機番 転用時期 所属機関区 転用工場 廃車時期
左尻棒案内 D51-79 1951~廃車時 出水 鹿児島 1971
右尻棒案内 D51-544 1945~1961 出水 鹿児島 1968
右コッター D51-485 1945以降 出水 鹿児島 1974
左空気圧力計 C11-48 1968以降 熊本 鹿児島 1974
逆転ハンドル C59-105 1965以降 熊本 鹿児島 1965
右水面計 D51-1132 秋田 1972
右 全動輪 D51-1147 1948 高崎第二 大宮 C61-7に改造
D51-1141 1948~1955 南延岡 小倉か鹿児島 1972
7の上に1
右 全動輪 D51-1141 1955~廃車時 南延岡 鹿児島 1972
1の上に5 541と表記 千番1は無修正
D51-1541 1541は無存在 D511166まで
 

* 動輪に関しては左第一~第四動輪も同様の状態であると考えられますが、今後の整備によって検出され次第他の部位刻印と共に追記したいと思います。


  私が各動輪を精査している間に黒木さんはバーナー焼き付けとオイルの注入・ハンドルの叩きを何十回となくされ、ネジの凝固が溶けハンドルの回転分ネジが回転するようになり

 ました。(黒木さん大変お疲れさまでした。)しかし、逆転棒の左先端がミッドレンジから前方に回すと逆転軸腕の受けに先端部が当たり回転が止まります。それで逆転棒左先と逆転

 軸腕受けの左側を両方とも5mmほどサンダーで削平し軸受けに収まるようにしますと、ハンドルはまだ重たいものの最後まで回転可能となりました。今後さらに注油し各ピン等の回

 転を滑らかにすれば子供達でも回転可能となります。これで加減弁テコと逆転ハンドルの操作は可動化十分可能であり最後に染田会長さんに確認していただき本日の作業を終了し

 ました。

 次回は今まではケレン・塗装作業の中心となって活躍された三樹さんの大型コンプレッサー等の機材を使用されておられましたが、本業の仕事に支障もでますので次回に私の小型

 コンプレッサーや諸道具類で対応したいと思います。三樹さんと私の小型コンプレッサーで作業は継続可能かと思います。次回は7月28日が予定されています。

* 07/27 晴天で猛暑の日向市です。本日も黒木(聖)さんにお手伝いいただきました。動輪が541号機のものでは無いことが判明しましたので、541の刻印確認のために黒木さん

 には右従輪~テンダー左右各従輪の軸箱蓋の溶接を剥がし軸ツバの確認作業をしていただきました。その間私は運転室内のブレーキ筒のケレンと先月に整備した加減弁テコ・逆転
 
 ハンドル部位へのグリス塗り、機関士側前面の天井部のケレン作業・先輪の輪体ケレン作業を行いました。右従輪軸箱蓋の溶接が剥がされると内部には大量の小石が投入されてお

 り、これが原因で他の軸箱蓋の溶接になったものと思われます。(子供の悪戯は責められないですね)
 
  先輪と各従輪の刻印確認は以下の一覧表に示しております。残念ながら541の刻印は存在しませんでしたが。テンダー従輪の軸ツバもD51-300号機であれば、主管工場である

 広島工場のHSの刻印がありましたが、本機の場合本来ならばKG(鹿児島)もしくはKK(小倉)なのですがそれも無く、左第一にはTZ(土崎)・右第三にはTD(多度津)・右第四には

 KY(郡山)の刻印があり、昭和45年以降は軸ツバすら全国から調達されていた事情が伺われます。TZ(土崎)の刻印から先述の右水面計のD51-1132も納得せざるを得ませ

 ん。

部位
未確認 先輪・輪体 RX 187
未確認 先輪・軸ツバ シ17-6 33915 シ18-9
--- 従輪・軸ツバ シ18-8 80508 シ1?-8
シ45-1 TZ 33 テンダー第一・軸ツバ シ44-10 12 44K94-30M
12 シ21-7 T5267B テンダー第二・軸ツバ 705
シ44-9 12 EE68 テンダー第三・軸ツバ シ44-12 TD 3020
シ39-11 12 39E2474-3B テンダー第四・軸ツバ シ40-8 KY 52

 * 左先輪部は後日ケレンされましたら追加記載します。

 * 07/28 本日も晴天で猛暑の日向市です。「日向市SL保存市民の会」としては新年度最初の整備日です。最初に市役所一階ホールで染田会長さんより本年度の整備の方針に

  ついて説明があり、私からは現時点までに判明した内容と運転室内の各機器の状況を説明させていただきました。その後炎天下の元暑さ対策で午前中は右サイド・午後からは左

  サイドの先輪~第一動輪部をエアーハツリ・金槌打刻によるケレン作業を6名の皆さんは汗をものともせず行われました。私は運転室前面左右の窓にアクリル板をはめる為に網目

  格子の溶接を剥がし、抑え蓋を取り外す作業を行いましたが炎天下の元ですので運転室内はサウナ同然であり、無料の減量が出来ました。休憩時間に皆さんにはグリス・油の浸

  透の為に、加減弁テコ・逆転ハンドルの操作を何度もしていただきました。以下が両日の作業状況です。自分の作業に追われ皆さんの作業光景を撮影紹介できず申し訳ありません

  でした。                                                                             次回は8月25日が予定されています。

* 08/24 曇り時々雨が降るかと思えば日差しが射すという一定しない天候でしたが、運転室内の作業には特に支障がなく先ず焚口炉と制動筒の錆止め剤を塗装しました。次に

 左右のアクリル(アクリル系の樹脂?)窓の除去に取り掛かりました。前の作業で止めボルトは除去していたのですが周囲がゴム樹脂系で接着されておりかなり手間取りましたが取

 り外しました。新しく二枚窓の復元は会員の井上一希さんが担当しますが、枠の基底部がかなり腐食かつ底レールも腐食・欠損・湾曲しており現況では復元作業が難しく、全て除去

 し新しく木製の基底部から造作する事になりました。黒木(聖)さんが来られたので丸型速度計を取り外しました。九州型の丸型速度計の目盛り版のひな形を持ち合わせませんの以

 前に撮影していた矢岳のD51-170号機の速度計を参考に復元したいと思います。次に二人で左右の窓枠の基底部の削平・除去作業を行い何とか完了しましたが、腐食・凹凸部

 はグラスファイバー樹脂で固めて対応したいと思います。井上さんが来られたの除去・削平後の現状を説明し、窓の製作に関して私の製作経験や情報を交換しました。

* 08/25 小雨が降り続き午後からは雨脚が強くなりましたので、保存会としての作業は中止となりましたが私は運転室内の作業を継続し井上さんは窓の計測を行いました。運

 転室前方のケレン・天井の一部や鉄配管のケレン・ケレン後の各部位の錆止め剤を塗布しましたが、午後からは右各動輪のカウンターウェイト等がケレンされたままでしたが、こ

 れ以上放置すると錆が生じ再度ケレンせざるを得ませんので、同部位等に八幡浜の79642で使用した残りの錆転換剤を塗布しておきました。その後雨脚が強くなりましたので作

 業を終了しました。右第四動輪には旧塗装段階で輪体に修理痕跡が確認されてはいましたが、ケレンされたので明確な修理痕跡が二条明らかにされました。79642号機にも輪

 体修理痕跡は存在しましたが、右第四動輪のような大きな修理痕跡は珍しいのでは無いかと思われます。         
                                                              次回は私的な用事のため参加できませんので10月26・27に伺う予定です。


* 09/22 本日は保存会の作業日でしたが日向市は台風の影響で作業はされなかった模様です。私は8月に取り外し持ち帰りました前方左右窓の内抑板と速度計のケレン・修復

 ・磨き出し作業を行っております。

  斜格子網は溶接個所を除去しアクリル板をはめ込む状態にしております。速度計は下の回転軸から取り外し、さらに上部で外し本体を修復・復元・磨き出しを行いますが、ガラス

 ・針・文字盤(一部欠)を欠いており完全な修復は厳しい状態です。現状保存状態の良い矢岳のD51-170号機の速度計を参照に復元したいと思います。

  蒸気機関車の速度計は標準型(東京機器工業・東京計器製作所・岩崎計器工業・西計器製作所・工進精工所等)が主流ですが、九州地区の機関車の中には本機同様の丸型速

 度計(GS17A型)が装着されている機体もあります。今までに撮影している写真での確認ですが現在保存されている各型機体の中で86型・C55型・C56型・C57型・96型・D51型

 の17両に装着されています。その中で熊本県人吉市矢岳のD51-170号機は文字盤が若干変色していますが最良の状態で保存されており、次が鹿児島県湧水町吉松駅のC55

 -2号機ですが、その他は本機同様にガラス・指針や文字盤を完全に欠損しております。現在もその状態を保っておりますが、鹿児島市のD51-714号機は2015年に解体処分さ

 れており、山口県宇部市のD51-18号機(門司~熊本~出水~吉松機関区在籍)は私が最初に訪れた2007年~2010年12月までは丸型速度計を装着しておりましたが、整備

 に訪れた2016年には欠損(盗難)しており、標準型を復元して取り付けております。丸型速度計に関しては一覧表で示しておりますが、運転室内の写真撮影が出来なかった機体も

 ありもう少し増えるかと考えられます。同じ丸型速度計でも諫早市のC57-95号機と佐賀市のD51-205号機の速度計はGS17Aとは異なる形式の速度計と思われます。速度計

 等は10月の整備日に持参したいと思います。

               * 九州・丸型速度計装着機一覧表

機体・番号 形 式 製造・年 NO 現状・保存状態 保存場所
78626 GS17A 不明 不明 ガラス・文字盤・針欠 福岡県遠賀町総合運動公園内
C55-2 GS17A 40.7 2171 普通 鹿児島県沸水町吉松駅東
C55-53 GS17A 不明 不明 ガラス・文字盤・針欠 大分県大分市若草公園内
C56-99 GS17A 不明 不明 ガラス・文字盤・針欠 鹿児島出水市出水駅西
C57-95 不明 不明 不明 ガラス・針欠 長崎県諫早市県総合運動公園内
C57-151 GS17A 不明 不明 ガラス・針欠 鹿児島県鹿児島市平川動物園内
29611 GS17A 不明 不明 ガラス・文字盤・針欠 佐賀県大町町道の駅大町
D51-10 GS17A 不明 不明 ガラス・文字盤・針欠 福岡県直方市直方汽車倶楽部
D51-18 GS17A 不明 不明 ガラス欠 山口県宇部市常盤公園内
D51-170 GS17A 43.12 2411 良好 熊本県人吉市矢岳駅SL記念館
D51-206 不明 不明 不明 ガラス欠 佐賀県佐賀市庁前
D51-485 GS17A 不明 不明 ガラス・針欠 宮崎県延岡市大瀬町児童公園
D51-541 GS17A 42.4 2303 ガラス・針欠 宮崎県日向市役所前
D51-714 GS17A 不明 不明 ガラス欠 鹿児島市 2015・解体処分
D51-1032 GS17A 不明 不明 ガラス・針欠 大分県由布市岩下コレクション
D51-1142 GS17A 不明 不明 ガラス欠 長崎県佐世保市熊野町交通公園
D51-18は2010/12まで装着
C57-95・D51-206は同形式

*10/19 午前中は黒木(清)さんが来られましたので運転室内機関士席側の側壁部をケレンしていただきました。私は運転室前方部中央~右・機関助手席側の側壁部・天井部ス

 ライド扉等を終日ケレンしました。秋らしい風が吹き込み作業的には爽快でした。井上さんが左右の窓枠を製作し取り付けて頂いており、また一つ雰囲気が変わりました。また市に

 依頼しておりました運転室内床の欠落部やテンダーの破損部への鉄板の修理が行われており、運転室内は安心して作業ができる状態です。

*10/20 10月の作業日です。9時から定例会を開き今後の作業方針や、本町児童公園が都市公園との位置づけに変更になるそうで、それに伴う種々の問題点(屋根等)に関して
 
 意見交換をしました。全国静態保存機の屋根保存の状態や保存措置上の立地等に関する資料を作成し染田会長さんに提出しております。本機同様に極端に狭い立地に屋根を取

 り付ける場合、現在は公園法が適用され簡単には屋根が建設されない場合があるようで、今後の行政側の対応にかかっている模様です。
 
  本日の会員参加者は、染田会長・和田氏・両黒木氏・三樹氏と私の6名でした。午前中に会長さん・黒木(聖)さんが天井部のスライド天窓をハンマーで調整し完全に締まるように

 されたので今後雨漏りの影響はなくなりました。また黒木(清)さんと三樹さんはテンダー修繕部の補足整備作業を、さらに会長さんは左先輪部・和田さん・黒木(青)さんは右加減リ

 ンク受け部をケレン後、私が持参した「錆転換剤シルバー」(八幡浜79642の余り)を塗布。私は揺り火格子作用腕部蓋をケレン後に昨日ケレンした部位への錆止め剤を塗装し本

 日の作業は終了しました。


  染田会長さんがケレンされた左先輪の輪体には深い彫りの刻印が存在しました。X188とLD51788が確認されましたが末尾の8の下には7が読み取れました。即ち元印787と

 現印788の存在です。両者とも541号機所属機関区には関係が無く、特に787は1943水戸~1954木曽福島~1971木曽福島廃車で788号機とも関連は認められません。元

 印7が間違いないか次回再精査を行いたいと思います。
 
  788号機は1943製造ですが1947までの所属は不明で、1947小郡~1947津和野~1956正明市(長門)~1971長門廃車で管轄工場は広島工場になります。あえて本機
 
 との関連性を求めるならば一つは本機が1945~出水機関区時代の1949/12/13~1950/01/08の間と1962/05/23~1962/09/29の間にいずれも門司機関区に貸し

 出されていた事で、この僅かな日付の中で本機が何らかの整備のために小倉工場に運ばれており、本来広島工場で整備するはずの788号機がこれ又何らかの事情で小倉工場に

 入場していて本機に転用されのたか、偶然の重なり以外考えられ無い事になろうかと思われます。
 
  二つ目は1971年代は蒸気機関車はかなり廃車数が増しており、各部位の保存状態も限られていた事情が認められます。787号機は木曽福島機関区で1971/04/17に廃車
 
 でありますので、左先輪の輪体を求めた広島工場が787号機を管轄する長野工場から入手し装着したが、同1971/08/10に長門機関区で廃車になります。次に左先輪を求めた

 541号機を管轄する鹿児島工場が広島工場から入手した。このどちらかが考えられます。なお左先輪タイヤの明確な刻印は未確認ですが末尾のKGシ46-1は確認しております。

  先に述べました動輪の1147~1141~541の経緯と今回の先輪787~788といい、刻印一つですが当時の各工場の整備の工夫や機関車の歴史の一端が伺い知れます。私

 の刻印への拘りはここにあり、実に興味深いものです。                                         次回の整備日は2019/11/17日が予定されています。

 

 *11/16 延岡市は快晴の一日でしたが、風が強く運転室内の送風機の風とあいまって厚めの作業服に風塵除けの薄手の雨合羽で対応しました。私一人の作業でしたが、運転

 室天井板の塗装剥離を終日行い全体の4分の3を終了しました。板材は塗装はかなり分厚いのですが45年を経過しておりますので、部分的に欠損・破損・腐食部が認められまし

 たが、全体としては良好な状態かと思われます。サンダーで削平しますと綺麗な柾目板が露出しました。

 *11/17 本日も晴天に恵まれ保存市民の会の作業日ですが、本日は皆さん本業の防災訓練や・儀式・競技、あるいは入院されておられる方もおられ、午前中に染田会長・午後

 からは佐々木さんが参加されました。会長さん終日は左先輪部の台枠と上部の担バネやバネ鞍等を、佐々木さんには右先輪部同部位をケレンしていただき、左右とも錆止め剤を

 塗って頂きました。 

  私は午前中で天井板の塗装剥がしを終了し、気温も下がり砲金や銅配管の磨き出し作業に適応しますので、次回の第一次磨き出しに備え運転室内の各バルブや注水機器や止

 めナット・ハンドル等・注水器等の砲金部位・接続銅管各種に関して、予備作業として緑青と銅管塗装被膜を除去して4時に作業を終えました。秋の日の釣瓶落としで日暮れが早く

 なり、ライトを点けても細部までは明瞭でなく強力なライトが必要になります。
                                次回は12/14・15を参加予定としております。


 *12/14 好天に恵まれましたが、風が強くさらに運転室内は二機の送風機で防寒服着用の作業となりました。黒木(清)さんと二人で、蒸気箱の主止弁をはじめ各バルブ等の磨

 き出しの本格的作業を行いました。荒め~細目~仕上げの1000番と順次行い、さらにバルブに繋がる蒸気銅管以外の銅管の磨き出しを行いました。午後からは私一人でしたので

 電気配管の黒塗り・加減弁テコの銀クロム塗装
非常時点火装置のステン磨き出しを行いました。

 *12/15 本日は保存会の作業日です。快晴で気温も上がり作業的には好条件でした。本日も黒木さんは午前中に昨日と同作業、保存会の皆さんもそれぞれの場所でケレン作

 業を行いました。本日は仕上げ行程の最後にアクリルの最初の吹き付けを行いましたが、気温が低いので銅管も恐らく定着するかと思います。蒸気箱も銀クロム処理を行い作業を

 終了しました。                                                        アクリル定着確認のため12/21に再度作業を行う予定です。

 * 12/21 午前中は日差しがありましたが、次第に曇天になり昼過ぎには霧雨~少雨状態になり、磨き出し・アクリル処理は不適切となりましので、午前中にアクリル不良個所

 の再研磨・再吹付を行い、自宅に持ち帰り整備した注水器の水繰り出し弁・銅管の取り付けをました。また緊急時の信号炎管の点火装置を再研磨しました。底部位の薄い基板に

 僅かに刻印の存在を確認しましたが、刻印が弱く汚れもあり次回に慎重に確認したいと思います。

  午後からは各警報機等の電気機器部位の塗装、ブレーキ筒・焚口炉の自動開閉シリンダー部・手動テコ・火格子作用腕上部蓋・汽笛引き腕等の塗装を行い、私の令和元年の

 541号機の整備を終えました。   次回の報告は未定です。

 * 現時点での運転室内の未整備部位は以下の部位となっています。機関士席前面・側面の作用コック銅細管の磨き出し・助士席前の給水ハンドルの可動化・天井右後部の天板

 補強と全面防腐剤塗装・運転室天井の本塗装・前面と側面窓のアクリル板装着・制動筒~ブレーキ圧力計銅細管の磨き出し・各バルブ~前方部の各蒸気管・銅細管の磨き出し・外

 火室後板の再塗装・室内床面の塗装・各計器類の正式装着等が残されていますが、完成前の各計器類装着を除けば後3日程度の作業でほほ完了かと思われます。私は別件の作

 業予定が既に入っており、保存会の作業日と重なっており今後の訪問が確定出来ませんので、継続的な報告が出来かねません事をご了承ください。   2020/02/06

 * 2020令和二年に入り、1月の整備に関しては別件が入り伺えませんでした。残り3日程度で運転室内は完了の見通しであり、2月・3月で終了する予定でしたが、会長さんから

 市当局が新年度に新たに本機の整備予算(当初予算)を作成するために現況調査をするので、運転室が完成状態では予算配分の関係で支障?を来たすので中止して頂けないかと

 いう申し出があり私としては4月以降は既に土・日のスケジュールはほぼ埋まっているので3月完成を目標に整備をさせて頂いていたのですが・・・理解に苦しむ申し出でありましたが

 ご指示の通り中止しております。今後の未整備な部位・作業工程は以下の通りで作業日数は3日程度と見ております。材料・溶剤等は全て確保している状態で停止しております。
 
 1 作用コックハンドル・シリンダー排水弁に繋がる各圧力銅細管のケレン~磨き出し~アクリル処理。

 2 空気圧力計(ブレーキ・空気溜り)~制動筒に繋がる各圧力銅細管のケレン~磨き出し~アクリル処理。

 3 両水面計に繋がる圧力銅細管のケレン~磨き出し~アクリル処理。

 4 蒸気箱各バルブに繋がる各銅蒸気管・圧力銅細管のケレン~磨き出し~アクリル処理。

 5 給水ポンプハンドルの可動化(唯一凝固し可動しない)。

 6 運転室内右後部の天井板(3枚)の復元と天井全体の防腐剤塗布と本塗装(D51標準か九州色)。

 7 外火室後板部(アスベスト吹き付け部)と黒色再塗装。

 8 運転室前面窓・左右の窓のガラス(アクリル)装着。

 9 運転室床面のケレン~錆止め剤~本塗装仕上げ。

10 全ての計器類・操作系統機器等の装着・両水面計の芯棒(アクリル管)の装着・・・全体完成の直前でも良い。

 * 四月以降ですが、愛媛県県下の私が整備した3両のSLの定期保全と経年による補修が(整備後5年経過)入っており、別件の建築関係の仕事上土日は雨天時の振り替え作業日

 になることが確定しており、今までの様に土日に伺う事は限りなく難しい状態となりました。そこで会長さんに一緒に整備をして頂いた黒木さんを中心に仕上げて頂くか、5・7・9の連休

 (別件の振り替え作業該当外)に私が仕上げるかの提案をさせて頂いております。しかし、要望が無い限り動くことは辞退させて頂きたいと考えております。私の整備が再開されます様

 でしたら引き続き本HPにおいて紹介させて頂きます。このような現状であります事をご理解くださいませ。

 いずれにしろ四月から当方の作業が始まりますので3月28日に、発電機やコンプレッサー等の当方の整備機器材を撤収に伺いまして、整備の現況を拝見してまいりました。


 * 03/28 運転室内に大きな変化は在りませんでしたが、前後左右の窓ガラスが入っておりませんし、雨の雫の影響は如何ともし難く、アクリル処理を強めに処理はしておりました

 が一部影響を受けている個所もあり、再処理の必要性は認められました。

  機体右サイドの第一~第三動輪は2月の段階でケレンされ錆止め剤を塗られた状態でした。但しロッド等に関しては未ケレンの状態でした。機体左サイドの各動輪は輪体・ボスを中

 心に部分的にケレンが行われていましたが、塗装剥がしが中心であり研磨状態ではありませんでした。その状況から合併テコ・結びリンク・ソケット・コッター・第一サイドロッド油壷には

 D51541の刻印が検出されていました。左第一動輪はロッドエンドに隠れ確認できない状態でしたが、第二・第四動輪のボスには右動輪同様にD511147(第一装着機)~D51114

 (第二装着機)~D51541(本機)の刻印が明確に存在しておりました。特筆すべき事は左第三動輪ボスにはL3 D511140(第一装着機)とD511541(本機 千番台はそのまま

 未処理)・百番台の1は5を重ね・十番台はそのまま・0番台は1を重ね)の刻印が、また、軸ツバには257 シ37-11 KGの刻印がありました。D511140が間違い無い場合同機は

 車歴表によれば1948年に仙台局管内で缶爆発事故を起こし1949年に廃車となり同年土崎工場で解体された記録が残存します。さすれば1949年以降土崎工場から本機が所属し

 ていた機関区管轄工場である小倉か鹿児島工場で転用された事になります。水面計右カバーは前述の如くD511132の刻印があり、1972年廃車以降の転用が想定されいずれも土

 崎工場とのやり取りがあったことが改めて伺える貴重な刻印資料となります。整備を長らくさせて頂き刻印の確認は努めてしておりますが、改めて機関車の歴史や変遷を知ることが出

 来ました。本機動輪のD511147(改造されC617)~D511141~D51541という動輪の再転用は特に珍しくかつ貴重な存在と言えます。


 * 今後、保存会の皆さんが運転室内を完成されますならば、私の出番は無いかと存じます。また5・7・9の連休で私が継続させていただけるのなら、その時点で引き続き本HPにて紹

 介させて頂きますが、あくまでも予定であり一応今回で終了させて頂きます。今回も色々と勉強させて頂きました。特に動輪の本機装着迄の経緯は蒸気機関車の歴史そのものであり、

 それを解明出来た事に喜びを感じております。改めて本機を整備をさせて頂きましたことに感謝申し上げます。                     2020/03/30 大山 正風                                                   

                                                   HPトップページへ