C58型蒸気機関車 1938~1947の間に427両製造 全国に53両保存 全機を紹介します。
主要諸元
全長 18.2m 全高 3.90m 総重量 100.2t 水槽 17? 石炭庫 6.t 先・従輪径 860mm 動輪径 1520mm 最大出力 1.097ps
最高速度 85km/h
製造所 川崎重工兵庫工場・汽車製造大阪工場
C58-217号機 場所 千葉県旭市口 中央児童公園内
車暦 1940川崎車輌 1941千葉~1945佐倉~1964新小岩~1969佐倉~1970廃車・保存開始
状態 塗装は普通 後部プレート欠 他の外装諸装備良好 屋根付きの鳥籠状態で保存されており、運転室内は未確認 網目が細かく写真撮影も不向きで、状態
が把握できないが外見では保存状態は良好かと思われる。撮影日2007/10/21
* 市を通じて保存会の方にお願いしておりましたら、当日に合わせて保存会の方が整備活動をされておられました。菅谷(屋?)会長さんをはじめ本機を
運転されていた機関士の方その御家族も参加されておられました。全体的な写真は撮影不可能でしたが各部位は撮影できました。運転室内部は諸計器類
・操作系統機器も完全に揃っており、可動可能な状態で整備されていました。メイン・サイドロッド、主軸・ピストン部にも油が拭かれ、全国C58型機保存機の
中でベスト3に位置づけられる良い状態でした。 * 再訪 2009/05/04
* 再再訪しました。変わらない状態で保存されており安心しました。左右リターンクランクに刻印が微かに残っていました。撮影日2011/02/26
* 本機が1957(S32)年当時、千葉機関区に所属し内房線・外房線で活躍していた頃、僚機にはC58-13・101・183・218291・396号機も所属していた。
同機関区には8620型機8両・C12型機2両・C57型機6両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-160号機が静態保存
されている。
* 本機が1969(S44)年当時、佐倉機関区に所属し総武本線・成田線・鹿島線で活躍していた頃、僚機にはC58-4・150・156・157・166・167・176・179
・289・297・305・308号機も所属していた。また、8620型機4両・C57型機9両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどるが、静態保
存されたのは本機以外では58683号機が佐倉機関区の所在した千葉県佐倉市に保存されている。た。
C58-228号機 場所 宮城県石巻市中里2丁目 北上公園内
車暦 1940川崎車輌 1940稲沢~1942多治見~1945美濃太田~1967高山~1968敦賀第一~1971小牛田~1974廃車・保存開始
状態 塗装は全体的に剥離・錆び・腐食進行 煙室扉ハンドル欠 前後ライト? 外装諸装備装着 運転室内は柵内にあるため未確認 双眼鏡で覗く限り諸計器類
も無く荒廃状態 屋外保存であり早急の対策が必要で荒廃状態である。 撮影日2007/09/13
* 私が訪問後、石巻市に整備の事を問いかけておきましたが、2009年には再塗装された模様です。
* 北上公園は震災後被災された老人ホームの臨時施設になり柵に沿ってプレハブが建設されています。再塗装された機体は変わらない状態でした。
撮影日 2011/10/29
* 本機が1955(S30)年当時、美濃太田機関区に所属し高山本線・太多線で活躍していた頃、僚機にはC58-185・230・250・252・280・318・326・364
・366号機も所属していた。同機関区にはC10型機4両・C11型機3両・C50型機4両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-
280号機が岐阜県美濃加茂市で、C50-96号機が静岡県焼津市で静態保存されている。
* 本機が1969(S44)年当時、敦賀第一機関区に所属して小浜線で活躍していた頃、僚機にはC58-24・75・109・171・195・・248・250・252・278・294
・300・322・337号機も所属していた。しかしDL化は開始されており、その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどるが、C58-171号機は福井県小浜市で、
322号機は静岡県三島市で静態保存されている。
* 本機は1973(S48)年4/24に陸羽東線、小牛田~新庄間の「さよなら列車」を牽引した。
C58-231号機 場所 山形県上山市河崎1丁目 市民公園内
車暦 1940川崎車輌 1940竜華~1945紀伊田辺~1955和歌山~1956紀伊田辺~1972亀山~小牛田~1973会津若松~1974廃車・保存開始
状態 塗装は普通 ヘッドライト球・ガラス・後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類は全て装着するがブレーキ圧力計以外針欠
両水面計も中芯ガラス管欠 他の操作系統機器・電気系統機器は完備 屋外に屋根・プラットホーム付きで保存されており、保存状態は普通である。(缶上
部に重油タンク装着) 撮影日2007/09/16
* 再・再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。 撮影日 2010/05/03・2011/10/29
* 本機が1955(S30)年当時、和歌山機関区に所属し紀勢本線・和歌山線で活躍していた頃、僚機にはC58-11・32・36・120・141・180・219・232・234
・288・327・328・361号機も所属していた。同機関区には8620型機4両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-36号機が
山口県美祢市、328号機は福島県田村郡三春町で静態保存されていたが、2009/3に突然解体されてしまった。
* 本機が1972(S47)年当時、亀山機関区に移動し関西本線や草津線・参宮線で活躍していた頃、僚機にはC58-51・66・240・353・359号機も所属していた
。C50-75・109・154号機、C57-110・148・198号機などが所属していた。1972年以降順次廃車となったが、C58-66号機は大阪市中央区、353号機
は和歌山県那智勝浦町、359号機は三重県亀山市で静態保存されている。また、C50-75・164・C57-110・148号機も各地で静態保存されている。
C58-239号機 場所 岩手県盛岡市青山4丁目 交通公園内(現在はSL銀河として運行中)
車暦 1940川崎車輌 1941奈良~1949宮古~1971盛岡~1972八戸 廃車・保存開始
状態 塗装は普通 後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類完備 屋外に屋根付きで保存されており、足回りも整備されている。保存状態は良好
である。 * テンダーに重油タンク装置装着 撮影日2007/09/14
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。動輪・ロッド等が磨き出され油が塗布されていました。テンダー後部の大きな重油タンクが特
徴です。機体が僅かに左に傾いている。 撮影日 2010/05/02
* 再再訪しましたが相変わらずきれいな状態でした。保存会以外に少年クラブが定期的に清掃整備をしているそうで、動輪やロッド等に多量のグリスが塗
られていました。これなら冬場の寒風や風説にも耐えられるかと思います。刻印では他機からの転用以外では、左右の前踏み板に溶接棒による手書きの機
番号がありますが、右側は漢数字でした。左右漢数字は大崎市のC58-356号機に見られますが、本機の形態もも保存機の中では唯一のものです。右ビッ
グエンド油壷にはD58の刻印があり、明確にDであり誤刻印かD番号の元印が存在したのかもしれません。左第一動輪にはC58238の刻印があります。
C58-238号機は1949年に紀伊田辺機関区で廃車になっています。本機が1949年に宮古機関区に移動する直前に転用されたのでしょうか。左 合併テ
コにはC58245の元印があります。C58-245号機は1969年に高崎第一機関区で廃車ですが同機は1960年まで宮古機関区に配属されていましたので、
その間に転用されたのでしょう。左 加減リンク体にはC58343の元印があります。C58-343号機は1949年に宮古機関区で廃車になっていますので、廃
車後に転用されたのでしょう。左右の釣りリンクにはC5823の刻印があります。C58-23号機は1968年に多度津機関区で廃車になっていますが、1964
年まで小牛田機関区に所属していましたので、この間に転用されたのでしょうか。右先輪にはC58344の刻印があります。C58-344号機は1969年に小松
島機関区で廃車になっていますが、1955年まで宮古機関区に配属されていますのでこの間に転用されたのでしょうか。右合併テコにはC58342の元印があ
ります。C58-342号機は1974年に八戸機関区で廃車になっていますが1957年から宮古機関区に所属していましたのでその間に転用されたのでしょう。
4年前と比較して機体が左に傾いているのは震災の影響でしょうか 撮影日 2011/10/30
* その後本機はSL銀河として運用するために全般検査同様にオーバーホールされ、2014/04から釜石線で運行している。震災で被災を受け解体され
た同型機のC58-16号機の代わりに震災地に希望と夢を託され頑張っています。 2014/05
* 本機が1955(S30)年当時、宮古機関区に所属し山田線・岩泉線・三陸線で活躍していた頃、僚機にはC58-15・90・107128・181・203・227・245・283
・330・340・341・346・349・356・362号機も所属していた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-356号機が宮城県大崎市で静態保存さ
れている。
* 本機が1967(S42)年になると、僚機ははC58-90・330・360号機に交代所属していた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどり、宮古
機関区も廃止となった。
* 本機は1970(S45)2/28、山田線の「さよなら列車」を牽引した後、八戸機関区に配属された。
* 本機が1972(S47)年に廃車となる直前の八戸機関区に所属し、東北本線や八戸線で活躍していた頃、八戸機関区にはC58-239・244・342号機も僚機として
所属していた。DL化によって用途を終えて廃車となったが、C58-103号機は岩手県一ノ関市で、C58-244号機は福島県南会津郡只見町で、C58-342
号機は岩手県北上市で静態保存されている。
* 本機は1972(S47)年10/27~30に八戸線の「さよなら列車」を牽引した後、廃車となり当地に保存された。
C58-244号機 場所 福島県南会津郡只見町 只見総合開発センター
車暦 1940川崎車輌 1941岡山~1945一関~1969盛岡~1971尻内~1972八戸 廃車・保存開始
状態 塗装は退色し各所に錆び・腐食進行 外装諸装備完備 運転室窓ガラス欠 室内諸計器は装着するも全針欠 両水面計はガラス管欠 他の操作系統機器・
電気系統機器は完備 屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は普通である。 撮影日2007/09/12
* 再訪してみました。退色していた機体もきれいに再塗装されていました。これは坂下町の森川 卓氏らのボランティア活動で塗られたそうで、再訪した時
に森川さんや役場産業振興課の梁取さんらが、前哨灯の2シールドビーム・後部灯・運転室内の照明等の点灯作業をされておられ、お話を聞くこともできま
した。点灯されたシールドビームは昼間にも関わらず明るく前を照らしておりました。連休中は夜間に点灯されると言う事でした。撮影日 2010/05/01
* 刻印は目視では判別できないのは写真判定で確認しましたが、本機の機番号で他機の刻印はありませんでした。 2012/05/12
* 本機が1955(S30)年当時、一ノ関機関区に所属し東北本線・大船渡線で活躍していた頃、僚機にはC58-103・111・145・162・163・206・220・251
・270・289・297・302・303・304・305・306・307号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・D51型機20両も配属されていた。その後各機は各地
に転配属された。本機以外ではC58-103号機が岩手県一関市、304号機が山形県新庄市で、またD51-101・103・718・737号機が各地で静態保
存されている。
* 本機が1972(S47)年に廃車となる直前の八戸機関区に所属し、東北本線や八戸線で活躍していた頃、八戸機関区にはC58-103・239・342号機も僚機とし
て所属していた。DL化によって用途を終えて廃車となったが、C58-239号機は岩手県盛岡市で、C58-342号機は岩手県北上市で静態保存されている。
C58-275号機 場所 茨城県笠間市石井 武道館前
車暦 1941汽車製造 1941宮古~1949盛岡~1953新庄~1956黒沢尻~1964新庄~1974鹿児島~1975志布志 廃車 1977保存開始
状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 足回りも整備され屋外に屋根付きで保存状態は良好である。 撮影日2007/10/20
*再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。右結びリンクにC58161の刻印がありました。C58-161号機は1971年に小牛田機関区で
廃車になっています。本機が宮古機関区に配属されていた間に転用されたのでしょう。 撮影日 2011/09/25
* 本機が1955(S30)年当時、新庄機関区に所属し奥羽本線・陸羽東西線で活躍していた頃、僚機にはC58-182・274・296号機も所属していた。同機関区
には9600型機4両・C51型機10両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。
* 本機が1971(S46)年には、僚機にはC58-163・206・282・363・401・402号機に交代所属していた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどり、
本機は志布志機関区へ移動した。
* 本機が1974(S49)年当時、志布志機関区に所属し志布志線や日南線で活躍していた頃、僚機のC58-20・112・277の各機も所属していた。C58-112
号機は志布志機関区の所在した鹿児島県志布志市で、C58-277号機は宮崎県小林市で、それぞれ静態保存されている。またC11型機が10両所属していた
が、C11-189・195・200号機が各地で静態保存されている。
* 本機は1975(S50)/1/19に下記のC58-277号機と共に志布志線の「SLさよなら列車」を重連運転で牽引をした後、廃車となった。その後1977に静態保存
されたが由縁の無い当地への保存経緯は不詳である。
C58-277号機 場所 宮崎県小林市細野 坂元緑ヶ丘公園内
車暦 1941汽車製造 1941金沢~1945門司~豊後森~1950大分~1972志布志~1975廃車 1977保存開始
状態 塗装は普通だが汽笛・安全弁・車輪まで黒塗り状態 前・後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類の大半を損失し、室内
荒廃状態 屋外に屋根付きで保存され状態は普通である。*門鉄デフレクターK7型装着・1957?国鉄小倉工場 撮影日 2007/09/05・2009/02/06
* 分厚い塗装のために確認できた刻印は皆無でした。荒廃が進み運転室内の全ての計器類は失われ、火室内部もゴミ溜めと化していました。機本体は
そこそこ現状を保っていますので、整備される事を願うばかりです 撮影日 2011/04/28
* 本機が1955(S30)年当時、大分機関区に所属し日豊本線・九大本線・豊肥線で活躍していた頃、僚機のC58-21・33・3447・48・59・80・105・112・115
・276・350・351・420・423・424・426・428号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・C55型機23両・D60型機10両も配属されていた。その後各機
は各地に転配属された。本機以外ではC58-33号機が北海道斜里郡清里町、48号機が京都市右京区、112号機が鹿児島県志布志市で、またC55-52・
53号機・D60-61号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1974(S49)年当時、志布志機関区に所属し志布志線や日南線で活躍していた頃、僚機のC58-20・112・153号機も所属していた。しかしDL化は目前
であり、その後各機は廃車・解体の経過をたどった。廃車後本機以外ではC58-275号機は遠く茨城県笠間市で、静態保存されている。またC11型機が10機所
属していたが、C11-189・195・200号機が各地で静態保存されている。
* 本機は1975(S50)1/19の志布志線「SLさよなら列車」運転の牽引を、僚機のC58-275号機とともに重連運転で果たした後廃車となり、現地に静態保存され
た幸運機である。
C58-280号機 場所 岐阜県美濃加茂市本郷町 古井小学校内
車暦 1941汽車製造・・?・・1945美濃太田~1969廃車 1970保存開始
状態 塗装は良好 煙室扉ハンドル? 外装諸装備良好 運転室内速度計針・左水面計外枠欠 他の計器類良好 操作・電気系統機器は良好 室内良好 足回り
も整備され屋外に屋根付きで良好な状態で保存されている。 撮影日2007/03/22
* 再訪しました。保存会の方が整備点検された直後でしたので粉塵等は無くきれいな状態でした。ただ、分厚い塗装も劣化し錆により浮き上がり各部位
の刻印はかなり判読が難しい状態になりつつあります。塗装を一度落とし磨き出せば本来の姿に戻るのですが、現状維持がやっとであり全国の保存機も
改めて整備というのは難しいのが現況です。確認できた範囲では本機の刻印でしたが塗装の下に別機の刻印の可能性はあります。コンプレッサーに
D50131の刻印があります。D50131号機は1968年に米原機関区で廃車になっています。本機との接点が無く廃車直後に転用されたのでしょうか。
右サイドは撮影が困難でした。 撮影日 2011/05/27
* 本機が1965(S40)年当時美濃太田機関区に所属し、高山本線・太田線で活躍していた頃、僚機にはC58-194・195228・250・318・326・364号機も所属
していた。また同機関区にはC11型機2両・C50型機6両も配属されていた。その後DL化により各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-
228号機が宮城県石巻市、C50-96号機が静岡県焼津市で静態保存されている。 廃車となった1969(S44)年には318・364・368号機に減少していた。
C58-295号機 場所 香川県坂出市御供所 御供所公園内
車暦 1941川崎車輌・・?・・1945宮古~盛岡~1949多度津~1957高松~1964松山~1969小松島~1971廃車・保存開始
状態 塗装はやや退色 ヘッドライト球・ガラス・後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類は給水用圧力計欠 他の計器は装着す
るも文字盤のみや針欠 両水面計のみ完備 制動弁・ブレーキハンドル欠 室内は粉塵も堆積し荒廃状態 屋外に屋根・プラットホーム付きで保存されており、
状態は普通である。 *重油タンク装着 撮影日 2007/11/06
* 分厚い塗装のために動輪・各ロッドには刻印は確認できませんでしたが、数か所に刻印が残っていました。右クロスヘッドの油壺にはC5833の刻印が
ありました。C58-33号機は1975年に北見機関区で廃車後、清里町で静態保存されています。1956年から高松機関区に所属していましたので1967年
に釧路機関区に配属される間に多度津工場で転用されたのでしょう。左公式サイドはプラットホームのため撮影は不可能でした。撮影日 2011/06/05
* 本機が1955(S30)年当時、高松機関区に所属し、予讃線・高徳線等で活躍していた頃、僚機にはC58-9・28・97・104・178・259・279・295・299・344
・367号機も所属していた。同機関区には9600型機23両も配属されていた。その後各機は転配属された。本機以外ではC58-12号機が香川県高松市で静態
保存されている。
* 本機が1969(S44)年当時、小松島機関区に所属し徳島線・高徳線・牟岐線で活躍していた頃、僚機にはC58-12・143・333号機も所属していた。同機関区
には58623・58685・68692号機も配属されていた。その後DL化に伴い、各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-333号機が
香川県丸亀市で、また8620型機もすべて各地で静態保存されている。
* 本機は1969(S44)9/30に高徳線の「さよならSL列車」の牽引をした後、廃車となり現地に静態保存された。
C58-304号機 場所 山形県新庄市若葉町 旧金沢交通公園内
車暦 1941川崎車輌・・?・・1945一関~1968横手~酒田~新庄~1971横手 廃車 保存開始
状態 塗装は退色し各所に錆び・剥離・腐食進行 前後プレート・ヘッドライト球・ガラス・後部ライト欠 他の外装諸装備装着運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類の
大半が欠損し、座席損壊 室内荒廃状態 屋外に屋根付きで保存されるものの、全体的には完全な荒廃状態であり、早急に対策が急がれる機である。 撮影日2007/09/16
* 再訪してみました。相変わらずの状態でしたが落書き等は消されていました。 撮影日 2010/05/03・2011/10/29
* 各部位に錆や腐食が目立ち始めています。荒廃が進む本機ですが本来刻印は各部位に存在していたと思われますが、塗装の繰り返しにより明確な刻
印は確認しづらい状況です。右クロスヘッド上蓋部にはC58301の刻印があります。左の同部位や他の部位の刻印の形状から4では無く1と判断しました。
C58-301号機は1968年に敦賀第一機関区で廃車になっており廃車後の転用でしょうか 撮影日 2011/10/29
* 本機が1955(S30)年当時、一ノ関機関区に所属し東北本線・大船渡線で活躍していた頃、僚機にはC58-103・111・145・162・163・206・220・244・251
・270・289・297・302・303・305・306・307号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・D51型機20両も配属されていた。その後各機は各地に転配属さ
れた。本機以外ではC58-103号機が岩手県一関市、244号機が福島県南会津郡只見町で、またD51-101・103・718・737号機が各地で静態保存され
ている。
* 本機が1967(S42)年当時、一ノ関機関区に所属し東北本線・大船渡線で活躍していた頃、僚機にはC58-71・103・117・163・306・307号機も所属していた
。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機は新庄機関区の所在した当地に保存された。
* 本機が1968(S43)当時、横手機関区で活躍していた頃、同型のC58-303号機も所属していた。
C58-322号機 場所 静岡県三島市一番町楽寿園 市立郷土館前
車暦 1942汽車製造 1945富山~1955敦賀~1961遠江二俣~敦賀第一~1971廃車・保存開始
状態 塗装は良好だが汽笛や車輪も黒塗り状態。後部プレート・ライト球・ガラス欠 他の外装諸装備は良好 運転室内は両水面計・給水ポンプ用圧力計を除き欠
操作系統も一部欠 室内やや荒廃気味である。最近塗装等の整備を受けた模様である。屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は普通である。 撮影日 2008/09/17
* 右サイドは見学デッキのため撮影が困難でした。分厚い塗装のため刻印確認は皆無でした。撮影日2011/02/26
* 本機が1955(S30)年当時、敦賀機関区に所属し北陸本線・小浜線で活躍していた頃、僚機にはC58-24・74・75・152・171・248・278・294・300・301
・317・337号機も所属していた。同機関区には8620型機5両・D51型機37両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-171
号機が福井県小浜市で、D51-245・349・930号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1969(S44)年当時、敦賀第一機関区に所属して小浜線で活躍していた頃、僚機にはC58-24・75・109・171・195・228・248・250・252・278・
294・300・337号機も所属していた。しかしDL化は開始されており、その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどるが、C58-228号機は宮城県石巻市で、静
態保存されている。当地に由縁の薄い本機が保存された経緯は不詳である。
C58-328号機 場所 福島県田村郡三春町上舞木 「かんのや」構内
車暦 1942汽車製造 1942竜華~1944和歌山~1972小牛田~1974会津若松~1975廃車・保存開始
状態 塗装は普通だが部分的に剥離・錆び 外装諸装備完備 運転室内諸計器類良好 屋外に保存されており、保存状態は普通である。 撮影日2007/09/12
* 本機が1955(S30)年当時、和歌山機関区に所属し紀勢本線・和歌山線で活躍していた頃、僚機にはC58-11・32・36・120・141・180・219・231・232
・234・288・327・361号機も所属していた。同機関区には8620型機4両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-231号機
が山形県上山市で保存されている。
* 本機が1965(S40)年当時、和歌山機関区に所属し紀勢本線・和歌山線で活躍していた頃、僚機のC58-110・180・214・222・224・226・327・361号機
も所属していた。同機関区には8620型機・C11型機各1両、C50型機3両・C57型機6両も配属されていた。その後各機は転配属となり、1971(S46)年当時にな
ると僚機はC58-361号機のみになり、78675号機・C11-279・324・C57-6・119・147号機が配属されていたが、DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解
体の経過をたどった。廃車後、本機以外では78675号機が奈良県五條市、C57-119号機が和歌山県和歌山市で静態保存されている。
* 2009/3/9~突然本機は解体処分されてしまいました。2007/9に撮影した時点ではさしたる劣化状態には無く、手入れを続ければ今後も保存には支
障は無い状態に思えましたが、・・・解体の理由は何だったのでしょうか? また一つ保存蒸気機関車が姿を消してしまいました。実に残念な事です。
C58-333号機 場所 香川県仲多度郡多度津町 JR多度津工場
車暦 1943川崎車輌 1945高知~1955多度津~1969小松島~1970廃車 1971保存開始
状態 塗装は良好 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類完備 室内良好 屋外保存であるが、
足回りもきれいに整備され良好な状態で保存されている。*国鉄鷹取工場式集煙装置装着 撮影日 2007/11/16
* 多度津工場の公開記念日に再度訪問しました。係の方から運転室内は整備されていないので公開出来ないとの事で、階段からの撮影も断られました。
公式サイドも建物に接しているので撮影は出来ず、刻印も分厚い塗装の為確認はできませんでした。JR関係の施設の静態保存機としては??の状態かと
言えます。
* 本機が1955(S30)年当時、多度津機関区に所属し予讃線・土讃線で活躍していた頃、僚機のC58-113・123・155・197・198242・243・253・254・255
・256・313・319・321号機も所属していた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-113号機が京都府舞鶴市で静
態保存されている。
* 本機が1969(S44)年当時、小松島機関区に所属し徳島線・高徳線・牟岐線で活躍していた頃、僚機にはC58-12・143・295号機も所属していた。同機関区に
は58623・58685・68692号機も配属されていた。その後DL化に伴い、各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-12号機は香川県高松
市、295号機は香川県坂出市で、また8620型機もすべて各地で静態保存されている。
* 本機は1969(S44)10/30 高徳線の「さよならSL列車」の牽引をした後、廃車となり国鉄多度津工場に四国管内準鉄道記念物の指定を受け静態保存された。
C58-335号機 場所 高知県高知市比島町 比島交通センター内
車暦 1943川崎車輌 1945高知~1969廃車 1970保存開始
状態 塗装は最近再塗装され良好 煙室扉ハンドル・前後ライト球・ガラス欠 他の外装諸装備良好 運転室窓枠・ガラス欠室内左水面計以外欠損し荒廃状態 屋外
に屋根付きで保存されているが、荒廃気味である。 *国鉄鷹取工場式集煙装置装着 撮影日 2007/11/06
* 再訪しました。状況にさしたる変化は無いようです。分厚い塗装の繰り返しで確認できる刻印はありません。上部構造物に近づけますので、集煙装置・
重油タンク・汽笛の撮影ができました。 撮影日 2011/01/23
* 本機が1955(S30)年当時、高知機関区に所属し土讃線で活躍していた頃、僚機にはC58-73・143・246・267・320・332・336・339号機も所属していた。
同機関区には8620型機7両・D51型機10両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。
* 本機が1965(S40)年当時では僚機はC58-246・320・322・336号機に交代所属していた。廃車となる1969(S44)年にはC58-242・332・336号機に
交代していた。
*本機は1969/1/12にお別れ運転をして最後の華を飾った後、高知機関区の所在した当地に静態保存された幸運機である。
C58-342号機 場所 岩手県北上市立花14地割 展勝地公園内
車暦 1943汽車製造 1943宮古~1949仙台~1957宮古~1971尻内→八戸~1974廃車・保存開始
状態 塗装は良好 外装諸装備完備 運転室内は柵内のため未確認(上部4圧力計は確認) 屋外に屋根付きで保存されているが、足回りも整備されて、良好な
状態である。 撮影日2007/09/14
*再訪 2009/05/03
* 前回、柵内部には入れなかったので「桜祭り」の公開日に合わせて再訪しました。運転室内部の諸計器類は完備しており、操作系統機器も完全で全て
可動し、電気系統の細かい部品も完備していました。足回りも油が注入・拭かれており丁寧な整備が行われておりました。全国のC58型保存機の中では最
良の状態ではないでしょうか。今後の整備活動の参考に大いになりました。長時間の運転の疲れも忘れて見入りました。
* 再再訪しました。右第一サイドロッド油壷(右・左)にがC58303の刻印がありました。C58303号機は1971年に横手機関区で廃車になっていますが、
1945年から一関機関区に配属されており、その間か廃車後に転用されたのでしょうか。他の部位には確認できた範囲で本機の刻印でした。
撮影日 2011/10/30
* 本機が1955(S30)年当時、仙台機関区に所属し東北本線・仙山線・仙石線で活躍していた頃、僚機にはC58-19・22・41・363・401・402号機も所属して
いた。同機関区にはC11型機16両・C57型機5両・C60型機10両・C61型機15両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-
19号機が宮城県大崎市、363号機が埼玉県秩父市秩父鉄道で動態保存、またC11-217・218号機、C61-2・20号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1972(S47)年に廃車となる直前の八戸機関区に所属し、東北本線や八戸線で活躍していた頃、八戸機関区にはC58-239・244・342号機も僚機とし
て所属していた。DL化によって用途を終えて廃車となったが、C58-103号機は岩手県一ノ関市で、C58-239号機は岩手県盛岡市で、C58-244号機
は福島県南会津郡只見町で静態保存されている。
C58-353号機 場所 和歌山県東牟婁郡智勝浦町築地7丁目 築地公園内
車暦 1944川崎車輌 1945王寺~1964亀山~1972廃車 1974保存開始
状態 塗装は退色し各所で剥離・錆び・腐食進行 前後ライト球・ガラス・後部プレート欠 他の外装諸装備装着 運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類の大半が
損失(速度計・給水・暖房用圧力計は文字盤を残す) 操作・電気系統機器も残欠するが全て錆に覆われている室内荒廃状態 屋外に屋根付きで保存さ
れているが、海が近いための塩害も加わり、目も当てられない荒廃状態である。保存蒸気機関車ワースト5に位置し、早急の整備対策が必要な機である。
撮影日 2007/11/10
*再訪してみました。相変わらずの錆にまみれ荒廃した状態でした。 撮影日 2010/02/20
* 本機は2012/07~12にかけて整備・修復作業が行われ、上記掲載の状態から漆黒の機体に蘇っております。私もこの整備活動に参加しました。詳し
くは「C58-353号機・整備状況」をご覧ください。2013/02/14
* 本機が1955(S30)年当時、王寺機関区に所属し関西本線・和歌山線で活躍していた頃、僚機にはC58-16・66・121・135・190・204・224・226・329・
355・357・358・359号機も所属していた。同機関区には8620型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-359号機が
三重県亀山市で静態保存されている。
* 本機が1972(S47)年当時、亀山機関区に移動し関西本線や草津線・参宮線で活躍していた頃、僚機にはC58-51・66・231・240・359号機も所属していた。
C50-75・109・154号機、C57-110・148・198号機などが所属していた。1972年以降順次廃車となったが、C58-66号機は大阪市中央区、231号機は
山形県上野山市で、359号機は三重県亀山市で静態保存されている。また、C50-75・164・C57-110・148号機も各地で静態保存されている。
C58-354号機 場所 宮城県宮城郡利府町森郷 森郷児童公園内
車暦 1944川崎車輌 1945和歌山~1955奈良~1967竜華~1972会津若松~1974廃車 1975保存開始
状態 塗装は普通だが各所に汚濁雫・錆び 外装諸装備完備 運転室は金網で遮断 窓枠・ガラス欠 給水ポンプ圧力計欠 他の計器類は良好屋外保存であり、
保存状態は普通である。 撮影日2007/09/13
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていますが塗装の劣化と錆が進行していました。 撮影日 2010/05/03・2011/10/29
* 各部位に錆や腐食が目立ち始めています。早急に整備しなくてはならない状況になっています。 2011/10/29
* 本機が1955(S30)年当時、奈良機関区に所属し関西本線・奈良線で活躍していた頃、僚機にはC58-51・212・352号機も所属していた。同機関区には8620
型機3両・C11型機7両・C51型機9両・C57型機6両・D51型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-51号機が三重県
松阪市、212号機が福井県敦賀市、で、またC51-5号機、C57-56・148号機、D51-211・691号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1968(S43)年当時、竜華機関区に所属し、関西本線等で活躍していた頃、僚機にはC58-233・234・285・312・号機も所属しており、8620型機7両・
D51型機7両も配属されていた。その後各機はDL化に伴いさらに各地に転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-312号機が愛媛県喜多郡内子
町で静態保存されていたが、2007/5に残念ながら解体されてしまった。
* 本機が1973(S48)年当時、会津若松機関区に所属し会津線・只見線で活躍していた頃、僚機にはC58-16号機も所属していた。また只見線・日中線担当のC11
型機12両も配属されていた。その後各機は廃車となったが、C58-16号機は宮城県本吉郡三陸町で静態保存されていたが東北大震災で被災し、その後解体された。
C58-356号機 場所 宮城県大崎市鳴子温泉 JR中山平温泉駅前
車暦 1944川崎車輌 1945王寺~1954宮古~1964盛岡~1971尻内~1972小牛田~1973廃車 1974保存開始
状態 塗装は退色し各所に錆び・腐食進行 ヘッドライト損壊 後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室窓枠・ガラス欠 室内速度計欠 他の計器類良好 座席
は損壊 室内全体が粉塵に覆われている。屋外保存であるがやや荒廃気味であり、今後の保存の状態が気がかりである。 撮影日2007/09/13
* 再訪してみました。塗装の劣化と腐食が進行していました。運転室内は床が抜けおちそうでした。撮影日 2010/05/03
* 各部位に錆や腐食が目立ち始めており、左右のシリンダー下部の腐食は酷くなっており早急の整備が必要な状態になっています。左右の前踏み板に
溶接棒による手書きの機番号がありますが、漢数字の機番号は全国の保存機の中で、私の知る限り本機のみと思います。左第一動輪にC586の刻印が
あります。C58-6号機は1972年に会津若松機関区で廃車になっていますが、1970年から陸石線管理事務所に配属されていますので、この間か廃車後
に本機に転用されたのでしょうか。 撮影日 2011/10/29
* 本機が1955(S30)年当時、宮古機関区に所属し山田線・岩泉線・三陸線で活躍していた頃、僚機にはC58-15・90・107128・181・203・227・239・245
・283・330・340・341・346・349・362号機も所属していた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-239号機が岩手県盛岡市で静態保存さ
れている。
* 本機が1971(S46)年当時、八戸機関区に所属し東北本線・八戸線で活躍してた頃、僚機にはC58-103・111・182・203241・330・342・393号機も所属し
ていた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-103号機が岩手県一関市、244号機が福島県南会津郡只
見町、342号機が岩手県北上市で静態保存されている。
C58-359号機 場所 三重県亀山市本丸町 ますみ児童公園内
車暦 1944川崎車輌 1945王寺~1961竜華~(1969宮古?)~1970竜華 廃車・保存開始
状態 塗装は普通 汽笛欠 他の外装諸装備良好 運転室内水面計欠 他の計器類良好 屋外に屋根・プラットホーム付きで保存されており、保存状態は普通である。
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。 撮影日 2007/08/28・2009/10/24
* 本機が1955(S30)年当時、王寺機関区に所属し関西本線・和歌山線で活躍していた頃、僚機にはC58-16・66・121・135・190・204・224・226・329
・355・357・358・359号機も所属していた。同機関区には8620型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-353号
機が和歌山県那智勝浦町で静態保存されている。
* 本機が1972(S47)年当時、亀山機関区に移動し関西本線や草津線・参宮線で活躍していた頃、僚機にはC58-51・66・231240・353号機も所属していた。
C50-75・109・154号機、C57-110・148・198号機などが所属していた。1972年以降順次廃車となったが、C58-66号機は大阪市中央区、231号機
は山形県上野山市で、C50-75・164・C57-110・148号機も各地で静態保存されている。
C58-363 場所 埼玉県秩父市荒川白久 秩父鉄道三峰口駅
車暦 1944川崎車輌 1945仙台~1961長町~1964郡山~1966新庄~1972廃車 1988?~秩父鉄道
状態 塗装は良好 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備は良好 運転室内諸計器類完備 室内良好 常時整備されて良好な状態で動態保存されており、土・日曜日
を中心に熊谷~三峰口間で運転している。 撮影日 2008/09/13
* 本機が1955(S30)年当時、仙台機関区に所属し東北本線・仙山線・仙石線で活躍していた頃、僚機にはC58-19・22・41342・401・402号機も所属してい
た。同機関区にはC11型機16両・C57型機5両・C60型機10両・C61型機15両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-19
号機が宮城県大崎市、342号機が岩手県北上市で、またC11-217・218号機、C61-2・20号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1968(S43)年当時、新庄機関区に所属し奥羽本線・陸羽線(東西)で活躍していた頃、僚機にはC58-282号機も所属していた。またC57型機2両・D51
型機9両も配属されていた。その後各機はDL化に伴い転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD51-370号機が秋田県秋田市で静態保存されている。
C58-365号機 場所 宮城県宮城郡利府町 JR東日本仙台車輌所
車暦 1944川崎車輌 1945美濃太田~1955稲沢第一~1967沼津~遠江二俣~1971敦賀第一~1972小牛田廃車 1976保存開始
状態 塗装は退色し各所に汚濁雫 外装諸装備完備 運転室内未確認(上部4圧力計は確認) 屋外保存であるが、最近の整備を受けた形跡は無く、車輌所の保存
としては放置に近い状態である。他の2機も同じ状態。 撮影日2007/09/13
* 再訪してみました。相変わらずの状態で退色と汚濁が進行していました。運転室内は三脚を使い撮影確認の結果、諸計器類は完備していました。JR関
係の施設であり現状の展示方法に改善の余地は無いのでしょうか? 撮影日 2010/05/03
* 本機の特徴は左側のデフレクターのみ先端がカットされている事である。本機は北海道に配属された記録は無く、どの時点で改装されたかは不明である。
* 本機が1955(S30)年当時、稲沢第一機関区に所属し東海道本線で活躍していた頃、僚機にはC58-25・69・142・169194・210号機も所属していた。同
機関区には8620型機3両・9600型機8両・C50型機5両・D50型機14両・D52型機9両・D62型機5両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。
* 本機が1971(S46)年当時、敦賀第一機関区に所属し、北陸本線・小浜線・湖西線で活躍していた頃、僚機にはC58-49・109・171・195・228・248・250
・252・278・322・号機も所属していた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外では、C58-49号機が静岡県掛川市、171号機が福井
県小浜市、228号機が宮城県石巻市、322号機が静岡県三島市でそれぞれ静態保存されている。
C58-389号機 場所 静岡県浜松市天竜区二俣町 阿蔵SL公園内
車暦 1946汽車製造 1946苗穂~1949野付牛~1955北見~1956高山~1969遠江二俣~1971廃車・保存開始
状態 塗装は普通 煙室扉ハンドル・前後ライト球・ガラス欠 運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類は外形を残すのみで荒廃状態 屋外に屋根付きで保存されている
が、全体的には荒廃状態に近い。 撮影日2007/8/29
* 状態は更に悪化しています。運転室内部の床が腐食していて危険です。撮影日 2007/08/29・2010/09/12
* 右 サイドはプラットホームに接しているので撮影はできませんでした。シリンダー部の後蓋や尻棒案内に刻印が残っているのはC58型機としては珍しい
ですね。 撮影日 2011/05/04
* 7月16・17・18に「やまてつ」さんやボランティアの方々で塗装整備がされました。私は北海道行きの準備があり参加できませんでした。また機会があれ
ば参加したいと思います。状況を示された数枚の写真の先輪に(左右は不明)D5154と読める刻印が磨き出されていました。白ペンキの下に存在していた
のです。本機が苗穂~函館機関区に所属していた頃D51-54号機も函館~旭川~名寄と配属されていますので、この間に転用されたのでしょうか。
* 機会がありましたので四度目の訪問をしました。7月に整備された後でしたのできれいな状態でした。古い塗装を剥がして再塗装されていましたので、5月
には確認できなかった刻印が各所に見られました。日没を過ぎていたので照明撮影となりましたので判然としない写真がありますがご了承ください。5月撮影
分と合わせて再構成しました。左右先輪にはやはりD5154の刻印がありました。左ビッグエンド油壷にはC58317の刻印があります。C58-317号機は
1971年に沼津機関区で廃車になっています。1969年に同機関区に配属後に転用されたのでしょうか。また下部に旧印があるようですが判読不能でした。
右第二サイドロッド油壷にはC58284の元印があります。C58-284号機は1970年に遠江二俣機関区で廃車ですが、1959年に同機関区に配属されて
おり、本機が1969年に同機関区に配属後に転用されたのでしょう。左第二サイドロッド油壷もおそらくC58284と思われます。 撮影日 2011/09/28
* 本機が1955(S30)年当時、北見機関区に所属し石北本線で活躍していた頃、僚機にはC58-1・2・82・83・98・126・173・334・390・391・392・395
・417号機も所属していた。同機関区には8620型機5両・9600型機4両・D51型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58
-1号機が京都鉄道博物館、82号機が北海道網走郡美幌町、390号機が京都府与謝郡与謝野町、395号機が東京都羽村市で、また49643号機、D5
1-157・312号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1967(S42)年当時、高山機関区に所属し高山線本線で活躍していた頃、僚機にはC58-109・216・266・368号機も所属していた。また、9600型機
4両・D51型機3両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外では19648号機が岐阜県高山市、D51-201
号機が愛知県蒲郡市、522号機が石川県金沢市で静態保存されている。
* 本機は1969(S44)年10/1に高山本線、高山~飛騨古川間の「さよなら列車」を牽引した後、遠江二俣機関区に移動した。
* 本機が1971(S46)年当時、遠江二俣機関区に所属し浜名湖線で活躍していた頃、僚機にはC58-20・153・200号機も所属していた。その後各機は転配属、
廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-215号機が福島県鹿沼郡会津坂下町で静態保存されている。
* 本機は1971/3/30・31の二俣線、豊橋~遠江二俣間の「さよなら蒸気機関車号」を僚機のC58-200号機と重連牽引する栄誉を果たした後廃車となり、その後現
地に静態保存された幸運機である。僚機のC58-200号機はその後廃車となり、解体されてしまったが、動輪と煙室扉・プレートが公園南の天竜二俣駅東の引込み線に保
存展示されている。
C58-390号機 場所 京都府与謝郡与謝野町滝 加悦SL広場
車暦 1946汽車製造 1946苗穂~1949野付牛~1955北見~1975廃車・保存開始
状態 塗装は退色し各所に剥離・錆び・汚濁雫・腐食進行 後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室内は暖房用圧力計欠 他の計器類は完備 制御弁・ブレーキ
ハンドル欠 他の操作・電気系統機器は良好 屋外保存であるが整備を受けた形跡は無く、荒廃状態である。 撮影日2007/07/12
* 再訪してみました。外観は再塗装されてきれいになっていましたが、運転席内の床の風化が激しく危険な場所もありました。撮影日 2010/01/30
* 機体は再塗装されていますが、動輪やロッド類は以前のままで特にロッド等は錆が浮き上がり、刻印は各部位にあるのですが確実にC58390と確認で
きた刻印は僅かでした。できればロッド等の磨きだしを願いたいです。左第二サイドロッド油壷にはC58391の刻印が認められます。C58-391号機は19
74年に北見機関区で廃車になっていますが、当初から本機と常に同じ機関区を移動しておりその間に転用されたのでしょう。右第二サイドロッド油壷には別
の刻印がありますが判読不能でした。また左釣りリンクにはC58348の刻印と末梢線があります。C58-348号機は1974年に釧路機関区で廃車になって
います。本機が北見機関区に配属されていた頃に転用されたのでしょう。 撮影日2011/07/20
* デフレクター先端カット・コの字型先端部手すり・大型ライトLP403型装着 北見機関区時代に国鉄釧路工場改装
* 本機が1955(S30)年当時、北見機関区に所属し石北本線で活躍していた頃、僚機にはC58-1・2・82・83・98・126・173・334・389・391・392・395・
417号機も所属していた。同機関区には8620型機5両・9600型機4両・D51型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-
1号機が京都鉄道博物館、82号機が北海道網走郡美幌町、389号機が静岡県浜松市、395号機が東京都羽村市で、また49643号機、D51-157・
312号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時、北見機関区に所属し石北本線・池北線で活躍していた頃、僚機にはC58-82・173・331・392・395号機も所属していた。また、
9600型機7両・D51型機7両も配属されていた。しかし、DL化の直前でありその後各機は廃車・解体の経過をたどった。29657・49671、D51-157・312号機が
各地で静態保存されている。
C58-395号機 場所 東京都羽村市羽 市立動物公園内
車暦 1946汽車製造 1946茅ヶ崎~1948佐倉~1949北見~1975廃車・保存開始
状態 塗装は退色し各所に錆び・汚濁雫 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類は全欠 操作・電気系統機器も欠 室内
荒廃状態 屋外保存されているが、整備をされた形跡も無く荒廃状態に近い。 撮影日2007/10/18
* 再訪してみました。相変わらずの状態でした。 撮影日 2010/05/05
* デフレクター先端カット コの字型先端部手すり・大型ライトLP403型装着、北見機関区時代に国鉄釧路工場で改装
* 本機が1955(S30)年当時、北見機関区に所属し石北本線で活躍していた頃、僚機にはC58-1・2・82・83・98・126・173・334・389・390・391・392・
417号機も所属していた。同機関区には8620型機5両・9600型機4両・D51型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58
-1号機が京都鉄道博物館、82号機が北海道網走郡美幌町、389号機が静岡県浜松市、390号機が京都府与謝郡与謝野町で、また49643号機、D51
-157・312号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時、北見機関区に所属し石北本線・池北線で活躍していた頃、僚機にはC58-82・173・331・390・392・号機も所属していた。また、
9600型機7両・D51型機7両も配属されていた。しかし、DL化の直前でありその後各機は廃車・解体の経過をたどった。29657・49671、D51-157・312号機
が各地で静態保存されている。当地に由縁の薄い本機が保存された経緯は不詳である。
C58-407号機 場所 東京都豊島区南大塚3丁目 大塚台公園内
車暦 1946汽車製造 1945苗穂~1956函館~1961木古内~1964五稜郭~1973苗穂~1974廃車 保存開始?
状態 塗装は退色し剥離進行 外装諸装備良好 プレートはレプリカ ロッド・クロスヘッドにも錆が浮き 運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類の大半が損失し、室内
荒廃状態 屋外に屋根付きで保存されているが、荒廃状態である。 撮影日 2008/05/13
* 再訪してみました。相変わらず荒廃した状態です。塗装の退色と錆びが進行しています。右サイドは撮影不能です。東京都23区内の静態保存機の状態
は荒廃に近い機体が多く、首都東京の鉄道文化の保存の在り方としては疑問を抱かざるをえません。各機が蘇る事を念ずるばかりです。
撮影日 2010/11/21
* デフレクター先端部カット・コの字型先端部手すり(左のみ)・大型ライトLP403型装着 国鉄苗穂工場改装
* 本機が1955(S30)年当時、苗穂機関区に所属し函館本線等で活躍していた頃、僚機にはC58-405・406.411・414415・416・421・422・425号機も
所属していた。同機関区にはC11型機7両・C12型機2両・C51型機4両・C56型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58
-414号機が三重県度会郡玉城町で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、五稜郭機関区に所属し函館本線・江差線で活躍していた頃、僚機にはC58-33・126・148・213・406・411・417号機も所属し
ていた。同機関区にはD51型機6両と配置としては数少なくなったD52型機10両が配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外で
はD52-468号機が京都鉄道博物館で静態保存されている。
C58-414号機 場所 三重県度会郡玉城町田丸 庁舎北公園内
車暦 1947汽車製造 1947苗穂~1973廃車・保存開始
状態 塗装は良好 清缶剤挿入装置・後部プレート欠 他の外装諸装備良好 運転室内は速度計文字盤・両水面計のガラス管を除いて全欠 制御弁・ブレーキハンド
ル欠 他の電気系統機器も一部欠 室内は荒廃状態 外観との差がありすぎる。 撮影日2007/11/10
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。 撮影日 2009/10/24
* 分厚い塗装の為明確な刻印は確認できませんでした。左弁心棒案内油壷にC58273?の刻印が読み取れますが、78・93・98の可能性があります。
本機は1947年製造後苗穂機関区に配属されそのまま廃車になり、北海道外の所属はありません。78~98は本州の機関車であり、C58-73号機は
1966~釧路機関区に配属され、1967年に廃車になっていますので、苗穂工場で転用されたと思われます。 2012/07/17
* 「コバQ」さんが2014/03に訪問された際の状況です。
* デフレクター先端部カット・コの字型先端部手すり(左のみ)・大型前後ライトLP403型装着 (国鉄苗穂工場改装)
* 本機が1955(S30)年当時、苗穂機関区に所属し函館本線等で活躍していた頃、僚機にはC58-405・406.411・414415・416・421・422・425号機も所
属していた。同機関区にはC11型機7両・C12型機2両・C51型機4両・C56型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-
407号機が東京都豊島区で静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時、苗穂機関区に所属し千歳線・札沼線で活躍していた頃、僚機にはC58-393・415・416・419421・425号機も所属していた。また
、C11-99・177号機、C57-6・57・87・91・147号機も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどるが、本機以外ではC57-57号機が静
態保存されている。本機が由縁の薄い当地に保存された経緯は不詳である。
C58-418号機 場所 三重県熊野市井戸町 下平公園
車暦 1947汽車製造 1947室蘭~1949釧路~1974北見~1975廃車 1976保存開始
状態 塗装は完全に剥離し各所に錆び・腐食進行 汽笛・清缶剤挿入装置・全プレート・煙室扉ハンドル・ヘッドライト球・ガラス・後部ライト欠 運転室窓枠・ガラス欠
室内は速度計・給水ポンプ圧力計以外の諸計器・操作機器は損失し、室内荒廃状態
* 屋外に屋根付きで保存されるものの、もはや保存ではなく放置であり、悲惨な状態である。福岡のD60-27号機とともに私が撮影した保存機の中では
ワーストNO1であろう。見る者を悲しくさせ実に残念である。保存に対する行政側の施策は見込めないのであろうか。保存を!整備を!と訴えるとそれを
機会に解体処分されている例も最近2例あり、(栗原市C58-122号機・霧島市C12-225号機)今後の成り行きが心配される機である。撮影日2007/11/10
* デフレクター先端部カット・コの字型先端部手すり・大型前後ライトLP403型装着 (国鉄釧路工場改装)
* 本機が1955(S30)年当時、釧路機関区に所属し根室本線・釧網本線で活躍していた頃、僚機にはC58-62・84・119・127・331・348・383・408・409・
410・412・413・419号機も所属していた。同機関区には8620型機9両・9600型機2両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58
-106号機が北海道釧路市、119号機が北海道北見市で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時では、僚機はC58-62・84・98・106・119・127・139・197・348・385・404・408・409・410・412・413・418号機も所属して
おり、機関区のC58型機保有数としては最大であった。しかし、DD・DL化は目前に迫っており、かなりの機が休車扱いを受けていた。同機関区にはC11型機7両・D51
型機2両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-98号機が北海道深川市、139号機が北海道紋別郡湧別町
で静態保存されている。
* 本機は1974(S49)年7/21に釧網本線、釧路~弟子屈間の「さよなら列車」を牽引した後、北見機関区に移動した。
* 本機は北見機関区に移動後の1975(S50)年5/31に石北本線、北見~網走間の「さよなら列車」を牽引した後廃車となった。なお石北本線における最終蒸気機関
車運転は1975/7/17にC58-119号機の網走~北見間1528レであった。
* 本機は蒸気機関車稼働最終期に二度も「さよなら運転」を行った栄誉ある機である。それが故にも現状の荒廃ぶりが嘆かわしく思える。SL最終期の歴史を
証明する機であり、是非整備・修復を強く願うものである。
* 本機の所在する下平公園の整備が市議会で取り沙汰されており、解体処分が検討されているという情報もあり、今後の成り行きが懸念されます。
* 結局、何の対応策も無いまま本機は解体処分され、残念な結果となりました。2010/02/21
* 解体の報を聞きつけ駆けつけたときにはこのような無残な有様でした。この熊野市の措置は同様な無残な状態をさらしている和歌山県那智勝浦町の
C58-353に影響を与えるのではと危惧した、松阪市在住の野呂氏の働きかけでC58-353号機がボランティアによる整備が行われる事になったのは、
せめての救いであった様に思います。
三井芦別鉄道C58-2号機 場所 北海道旭川市高砂台 ホテルニュー温泉内
車暦 1948汽車製造 1948~1966三井芦別鉄道専用線で石炭及び旅客運送に従事した。1971廃車・保存開始?
状態 塗装は機関車本体は良好であるがテンダーは退色し錆が露呈している。後部ライト・プレート欠 他の外装諸装備は良好であり、運転室内も国鉄機と若干諸計器
類の配置は異なるが良好な状態である。温泉内に保存されているという珍しい状態であるが、本機の写真や歴史が解る展示もされている。保存状態はまずまず
の状態である。 撮影日2009/08/10
* 再訪しました。温泉施設内ですので変化無く良い状態で保存されています。動輪の刻印は普通ですが、ロッド等の部位の刻印にはC58-2のように形式
と車番の間に-が打ってあり、私鉄専用製造機の特徴でしょうか。 撮影日2011/07/26