C58型蒸気機関車 1938~1947の間に427両製造 全国に54両保存 全機を紹介します

主要諸元

 全長 18.2m 全高 3.90m 総重量 100.2t 水槽 17? 石炭庫 6.t 先・従輪径 860mm 動輪径 1520mm 最大出力 1.097ps 

 最高速度 85km/h

 製造所 川崎重工兵庫工場・汽車製造大阪工場



C58-1号機  場所 京都府京都市下京区 京都鉄道博物館

車暦 1938汽車製造 1938新鶴見~1949千葉~1950北見~1972梅小路~1986廃車 保存開始?

状態 塗装は良好 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類完備 室内良好 常時整備されて扇形展示場の定位置に、お召しマークを装着

    して良好な状態で保存されている。                                            撮影日 2007/05/18

* C55-1が外に展示されたので右側面が撮影できました。                   撮影日 2008/9/10・2009/3/24・2010/01/30

* 右シリンダー部前蓋部にはC58415の刻印が確認されます。C58415号機は1973年に苗穂機関区で廃車になっています。本機が1950年以降

北見機関区に所属し1972年に梅小路機関区に移動する間に転用されたと考えられます。 撮影日 2011/11/17

* 本機が1955(S30)年当時、北見機関区に所属し石北本線で活躍していた頃、僚機にはC58-2・82・83・98・126・173334・389・390・391・392・395

・417号機も所属していた。同機関区には8620型機5両・9600型機4両・D51型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58

-82号機
北海道網走郡美幌町389号機が静岡県浜松市、390号機が京都府与謝郡与謝野町、395号機が東京都羽村市で、また49643号機、

D51-157
312号機が各地で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年になると、僚機はC58-82・173・331・390・391・392・395号機に交代所属していた。また、同機関区には9600型機6両・D51型

機7両も配属されていた。その後各機はDL化に伴い転配属、廃車解体の経過をたどった。廃車後本機以外では49671号機・D51-398号機が各地で静態保存さ

れている。


* 本機は1972(S47)年9/12に釧網本線、標茶~釧路間で「さよなら運転」を行なった後、梅小路機関区に移動し現在にいたっている。 









C58-5号機  場所 栃木県下都賀郡壬生町「とちぎわんぱく公園」

車暦 1938汽車製造・・東京局・・1941新鶴見~1945千葉~1949高崎~1968廃車 1969保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備完備 運転室内は立ち入り禁止のため未確認(上部4圧力計は確認) 屋外に屋根付きで保存されており、足回りも整備され良好

    な状態である。                                                             撮影日2007/10/20

* 再訪してみました。許可をいただき運転室の内部を確認しましたが、目視では各種圧力計・操作系統機器・電気系統機器等すべて完備していました。

運転室が透明強化アクリルで遮断されているので全体的な写真撮影はできませんでした。前回もそうでしたが、ロッド・車輪も金色でとそうされており子供

ランドであり夢はありますが、純粋なSLファンにとっては、やはり??としか言えない状況です。全体としては確実に整備されており贅沢は言えないと思い

ます。度重なる塗装により確認できた刻印はありませんでした。                              撮影日 2010/05/04

* 「コバQ」さんが2017/07に訪問された際の状況です。

* 本機が1955(S30)年当時、高崎第一機関区に所属し信越本線・八高線で活躍していた頃、僚機にはC58-7・30・35・202・309・394号機も所属していた。

同機関区には9600型機6両・D50型機7両・D51型機6両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された
本機以外ではD51-238・470号機が静態

保存されている。

* 本機が1967(S42)年には、僚機はC58-6・7・30・202・394号機に交代所属していた。また同機関区にはD51型機12両も配属されていた。その後各機は

DL化に伴いさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD51-745号機が群馬県利JR水上駅で静態保存されている。









C58-12号機  香川県高松市番町2丁目 番町2丁目公園内

車暦 1938川崎車輌・・門司局・・1941熊本~出水~1942津山~1945高知~1955高松~1969小松島~1970廃車 1971保存開始

状態 塗装は普通 後部ライト欠 左プレートはレプリカで取り付け位置が下に移動 他の外装諸装備良好 運転室窓枠・ガラス欠 全ての窓は細鉄格子で保護

    運転室鉄格子遮断 室内暖房用圧力計・右水面計欠 他の計器類は損失 屋外に屋根付きで保存され足回りも整備されており保存状態は普通である。 

* 本機の特色は運転席の前が出窓のように改装されている事で、同様の改装形態は福知山市のC58-56号機・和歌山市のC57-119号機にも見られる。


* 集煙装置と重油タンクを装着しているC58型保存機は本機のみ
である。 (国鉄鷹取工場式集煙装置装着) 撮影日 2007/05/24・2008/11/11

* 本機が1955(S30)年当時、高松機関区に所属し、予讃線・高徳線等で活躍していた頃、僚機にはC58-9・28・97・104・178・259・279・295・299・344

・367号機も所属していた。同機関区には9600型機23両も配属されていた。その後各機は転配属された。本機以外ではC58-295号機が香川県坂出市で静態

保存されている。

* 本機が1969(S44)年当時、小松島機関区に所属し徳島線・高徳線・牟岐線で活躍していた頃、僚機にはC58-143・295・333号機も所属していた。同機関区

には58623・58685・68692号機も配属されていた。その後DL化に伴い、各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-333号機は香川県

多度津町
で、また8620型機もすべて各地で静態保存されている。







C58-16号機  場所  宮城県本吉郡南三陸町 松原公園内

車暦 1938川崎重工 1938野付牛~1940釧路~1943岩見沢~1944宮古~1946紀伊田辺~1953王子~1961奈良~1964亀山~1967小郡~1972会津若松

    ~1975廃車 1978保存開始

状態 塗装は普通だがやや退色気味である。安全弁や汽笛まで黒塗り状態、後部プレートは木製、煙突カバーが外れているが他の外装諸装備は良好 運転室

    内の諸計器類もほぼ良好な状態で、屋外に保存されているが状態は普通である。しかし海が間近であり今後の塩害が心配される。撮影日2009/08/09

* 本機は2011/03/11に発生した「東北大震災」の津波により現地より300m程流され、瓦礫と共に傾いたまま放置された。2012/07解体

* 本機が1955(S30)年当時、王子機関区に所属し関西本線・和歌山線で活躍していた頃、僚機にはC58-66・121・135・190・204・224・226・329・353

・355・357・358・359号機も所属していた。同機関区には8620型機3両も配属されていた。その後各機は転配属された。本機以外ではC58-66号機が大阪市

中央
区、353号機が和歌山県那智郡勝浦町359号機が三重県亀山市で静態保存されている。

* 本機が1965(S40)年当時、亀山機関区に所属し関西本線で活躍していた頃、僚機にはC58-51・353号機も所属していた。同機関区にはC11型機2両・C50

型機2両・C57型機10両・D51型機6両も配属されていた。その後各機はDL化に伴い各地に転配属された。本機以外ではC58-51号機が三重県松阪市で、C50

-75
号機・C57-7・26・110・148号機が各地で静態保存されている。


* 本機が1972(S47)年当時、小郡機関区に所属し山口線・宇部線で活躍していた頃、僚機にはC58-10・36・64・99・122149・299・345号機も所属していた。

同機関区にはD51型機3両も配属されていたが、DE10型機も6両配置されていた。その後DL化に伴い各機は各地に転配属・解体の経過をたどった。本機はその後遠

く会津若松機関区に配属され、1975まで活躍しその後当地に静態保存された。本機以外ではC58-36号機が山口県美祢市122号機が宮城県栗原市に静態

保存されていたが2008/03
解体された。D51-813号機が山口県山口市小郡町に静態保存されている。







C58-19号機  場所 宮城県大崎市古川新堀 JR西古川駅前

車暦 1938川崎車輌・・大阪局・・1941福知山~1945仙台~1964小牛田~陸石線管理所~1973小牛田 廃車 1974保存開始

状態 塗装は普通だが汽笛・安全弁まで黒塗り 部分的に錆び プレートはレプリカ 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類損失多く室内荒廃気味 屋外

     保存であり保存状態は普通である。

* 再訪してみました。公園が整備され立木が剪定されて撮影がし易くなっていましたが、前部のプレートに続き後部プレートの19が剥奪されていました。

また塗装の退色や錆が進行しており、今後の成り行きが懸念される機体です。           撮影日2007/09/13・2010/05/03

* 各部位に汚濁雫や錆・腐食が目立ち始めています。特に左右のシリンダー下部は腐食が激しく、右給水ポンプの下部はめくれて破損気味になって

おり、全体的に整備が必要な状況下におかれています。                                  撮影日 2011/10/29

* 本機が1955(S30)年当時、仙台機関区に所属し東北本線・仙山線・仙石線で活躍していた頃、僚機にはC58-22・41・342・363・401・402号機も所属し

ていた。同機関区にはC11型機16両・C57型機5両・C60型機10両・C61型機15両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58

-342号機
岩手県北上市363号機が埼玉県秩父市秩父鉄道で動態保存、またC11-217・218号機、C61-2・20号機が各地で静態保存されて

いる。

* 本機が1971(S46)年当時、陸東石巻線管理所に所属して陸羽東線で活躍していた頃、僚機にはC58-14・50・60・114161・302・309・364号機も所属

していた。また石巻線担当のC11型機7両も所属していた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-114号機

が宮城県大
崎市、C11-367号機が宮城県遠田郡美里町368号機が東京都中野区で静態保存されている。








C58-33号機  場所 北海道斜里郡清里町羽衣南 羽衣児童公園内

車暦 1938川崎車輌・・?・・1941熊本~1949宮地~1955大分~1961松山~1964小松島~1967釧路~1968五稜郭~1971釧路~1974北見~1975廃車 

    1976保存開始

状態 塗装は普通 前後ライト球・ガラス・清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備装着 運転室内の諸計器類の大半が欠損室内荒廃気味 屋外に保存されている

    が保存状態は全体的には荒廃気味である。(後藤デフレクターG2装着)   撮影日2007/07/16

* 再訪してみました。変わらない状態で屋根の下で保存されています。運転室は蜘蛛の住み家になっているようでした。遠目ですが給水・暖房用圧力

  計は確認できました。                                                        撮影日2009/08/12

* ロッド等は黒色塗装されていますが各部位に本機の刻印が残されていました。先輪にC58277の刻印があります。C58-277号機は1975年に志

布志機関区で廃車後小林市で静態保存されています。1955年から本機とともに大分機関区に配属されています。本機が1961年に松山機関区に移動

する間に転用されたのでしょう。運転室内は荒廃状態で給水・暖房用圧力計のみ文字盤が残されています。火室の中がゴミ箱状態になっているのが残念

です。本機の後藤デフは
C58-385号機が米子機関区時代に装着していたもので、1973年に釧路機関区で廃車後本機に転用されています。                                                                                    撮影日 2011/07/25

* C58-33号機の特色は後部灯にあります。普通はテンダー後部の中央に取り付けられていますが、本機は石炭庫後部隔壁中央上端に取り付けられています。

同様に82・106・119・139の各機にも見られます。各機とも北海道内の機関区で活躍しており、国鉄苗穂工場での改装ではないでしょうか。 この疑問に対して

(やまてつ)さんからは苗穂・釧路工場での改装でしょうというご教示を得ました。(2008/11/9)

* さらに大きな特色はデフレクターでしょう。一見門鉄デフに見えますがその支柱の取り付け方向が異なり、この形式は米子鉄道管理局内の後藤工場式と言われ

ています。しかし、本機は山陰地方に配属された経歴は無く、時期的には釧路・五稜郭機関区の時代が想定され、国鉄釧路・苗穂のどちらかで装着されたと思われ

る。同様に後藤式デフレクターを装着していたC58型機はC58-175・314・385号機である。記録ではG2デフは385号機より1972年には移設されている。同

じ後藤工場式のデフレクターは三重県津市で保存のD51-499号機にも装着されている。(少し形態が異なる)


* 本機が1955(S30)年当時、大分機関区に所属し九大本線・豊肥線・日豊本線で活躍していた頃、僚機にはC58-21・34・47・48・59・80・105・112・115

・276・277・350・351・420・423・424・426・427号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・9600型機1両・D60型機10両・C51型機1両・C55型

機23両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-48号機が京都市右京区112号機が鹿児島県志布志市277号機が

宮崎県小林市
で、またC55-52・53号機D60-61号機が各地で静態保存されている。


* 本機が1965(S40)年当時、小松島機関区に所属し高徳線・池田線・牟岐線で活躍していた頃、僚機にはC58-23・46・59・121・243・253・256・351号

機も所属していた。同機関区には8620型機5両・C11型機2両・C12型機2両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外では58623・58

685・68692号機
が各地で静態保存されている。


* 本機が1973(S48)年当時、釧路機関区に所属し釧路本線で活躍していた頃、僚機にはC58-48・98・119・139・197348・335・408・410・412・413・

418号機も所属していた。また標津線担当のC11型機6両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどるが、C58-98号機は北海道深川

119号機は北海道北見市、139号機は北海道紋別郡湧別町、418号機は三重県熊野市でそれぞれ静態保存されている。

* 本機が1974(S49)年当時、北見機関区に所属し石北本線などで活躍していた頃、僚機にはC58-98・331・390・395418・D51-444・943・1008・1150

号機らも所属していた。その後1975年に相次いで廃車となったが、D51-444号機は道内北見市で静態保存されている。









C58-36号機  場所 山口県美祢市吉則 市民会館


車暦 1938川崎車輌・・札幌局・・1941釧路~1945釜石~1946和歌山~1958小山~1965水戸~1967厚狭~1972小郡~1973廃車・保存開始

状態 塗装は普通だがカラフル 各所で剥離・錆び・腐食進行 外装諸装備完備 運転室内両水面計・速度計針欠 他の計器類良好屋外保存であり保存状態

は普通である。                                                            撮影日2007/05/19・2008/10/7

* 再再訪してみました。機体はきれいに塗装されており見違えました。運転室内も整備されており赤いバルブが銀色に変わり、速度計に針が装着され

上部の各圧力計の針の位置が微妙に変化していました。全体的には本来の姿の状態に近づいてると感じました。整備に当たられた皆さん大変ご苦労様

でした。動輪は分厚く塗装されていますので刻印の確認は難しく、唯一、左第二動輪に
C58310の刻印がありました。C58-310号機は1967年に小郡

機関区で廃車になっており、廃車後本機に転用されたのでしょう。また左クロスヘッドのソケットには
C58286と判読できます。C68286号機は1958年

から本機と共に小山機関区に配属されており、その間に転用されたのでしょうか。さらに下部には
58?19と読み取れる元印があります。右ソケットは車歴

表から推測すると
C58219と判断されます。C58219号機は1973年に志布志機関区で廃車になっていますが、1945年から和歌山機関区に所属して

おり、本機も同時期に配属されていますのでこの間に転用されたのでしょうか?その他の部位の刻印は確認できた範囲では本機の番号でした。        
                                                                           撮影日2010/12/18

* 本機は2017/03~04にかけて、塗装を上塗りする形態で整備が行われました。 但し上塗りを重ねておりますので微かに見えていた刻印は隠れ

てしまった場所が多くなっていました。 2017/08

* 本機が1955(S30)年当時、和歌山機関区に所属し紀勢本線・和歌山線で活躍していた頃、僚機にはC58-11・32・120141・180・219・231・232・234

・288・327・328・361号機も所属していた。同機関区には8620型機4両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-231号機

が山形県上山市
で、328号機が福島県田村郡三春町で静態保存されていたが、2009/3に
突然解体されてしまった。

* 本機が1965(S40)年当時、小山機関区に所属し東北本線・水戸線・両毛線で活躍していた頃、僚機のC58-15・18・85・145・211・220・237・245・271

・292・310・311・388・397・398・400・423号機も所属していた。またC12型機2両・C50型機8両も配属されていた。その後DL/電化に伴い各機は転配属、廃

車・解体の経過をたどった。本機以外ではC50-123・125・154号機が各地で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、厚狭機関区宇部港駐泊所に所属し宇部線・小野田線で活躍していた頃、僚機にはC58-21・3465・144・323号機も所属してい

た。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-65号機が山口県光市で静態保存されていたがその後
解体された








C58-48号機  場所 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺 嵯峨野鉄道19世紀記念館

車暦 1938川崎車輌・・広島局・・1941直方~1945豊後森~1955大分~1961厚狭~1972釧路 1974廃車 保存開始?

状態 塗装は良好 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類良好 常時整備されて館内に良好な状態で保存されている。                                                                                          撮影日20080/6/13
* 2011/4から館内展示ブースへは500円の入場料が必要です。本機の運転室へは入れますが写真撮影は禁止ですので御留意ください。

* 再訪してみました。ロッド類は磨かれていますが余りにも研磨されすぎて刻印が判別し難い状況です。ハロゲンライトの為に黄金食に映り出されます。

先輪には
C12245の刻印があります。C12-245号機は1968年に後藤工場で廃車になっていますが、本機との接点は無く転用の経緯は不明です。右

先輪は不鮮明ですが
D51758と判読できます。D51-758号機は中国地方で活躍し1974年に米子機関区で廃車ですが、本機と同一地域に所属した記

録はありません。右結びリンクには
C5834の刻印があります。C58-34号機は1974年に厚狭機関区で廃車になっていますが1945~55年にかけて

本機と共に豊後森機関区に所属しており、その当時に転用されたのでしょう。右リターンクランクには
C584の刻印があります。8が削り取られた可能性も

ありますが、
C58-4号機は1969年に佐倉機関区で廃車になっており、本機との接点は無く転用の経緯は不詳です。撮影日2010/06/12・2011/06/18

* デフレクター先端部カット・コの字型先端部手すり・大型前後ライトLP403型装着 (国鉄釧路工場改装)

* 本機が1955(S30)年当時、大分機関区に所属し日豊本線・九大本線・豊肥線で活躍していた頃、僚機のC58-21・33・3447・59・80・105・112・115・276

・277・350・351・420・423・424・426・428号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・C55型機23両・D60型機10両も配属されていた。その後各機

は各地に転配属された。本機以外ではC58-33号機が北海道斜里郡清里町112号機が鹿児島県志布志市277号機が宮崎県小林市C55-52・53号

機・D60-61号機
が各地で静態保存されている。

* 本機が1973(S48)年当時、釧路機関区に所属し釧路本線で活躍していた頃、僚機にはC58-33・98・119・139・197348・335・408・410・412・413・

418号機も所属していた。また標津線担当のC11型機6両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどるが、C58-98号機は北海道深川

市、119号機は北海道北見市、139号機は北海道紋別郡湧別町、418号機は三重県熊野市
でそれぞれ静態保存されている。

* 19世紀ホール内外には、廃車となって解体されたC11-89・146・C57-49・52号機の動輪と、D51-603号機の前頭部が保存展示されている。








C58-49号機  場所 静岡県掛川市中央1丁目 中央公園内

車暦 1938川崎車輌・・仙台局・・1941長岡~1945正明市~1949十日市~1955三次~1970敦賀~1971廃車・保存開始

状態 塗装は厚塗りで汽笛・安全弁・車輪まで黒塗り状態 前後ライト球・ガラス欠 他の外装備装着 運転室窓枠・ガラス欠室内諸計器類の損失多く荒廃状態

    屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は普通である。撮影日2007/08/29

* 再訪してみました。刻印は分厚い塗装のため一か所のみ確認できました。 撮影日 2009/05/052010/02/27

* 本機が1955(S30)年当時、三次機関区に所属し芸備線・三江線・福塩線で活躍していた頃、僚機にはC58-27・60・6163・64・92・146・147・196・257

・323・345号機も所属していた。同機関区には8620型機18両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外では78675号機が静態保存され

ている

* 本機が1966年(S41)年では、僚機はC58-27・34・60・61・63・64・92・146・147・196・226・257・323・345・399号機に交代所属していた。その後各

地に転籍となり1970以降廃車・解体の道をたどり、幸運にも保存されたのは同期の三次機関区所属のC58型機のなかでは唯一、本機だけである。また同機関区には

28638・28683・48650・58622・78633・78675・88651の7機も配属されて活躍していた。48650号機は広島県三次市で、78675号機は奈良県五條市

で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、敦賀第一機関区に所属し、北陸本線・小浜線・湖西線で活躍していた頃、僚機にはC58-109・171・195・228・248・250・252

・278・322・365号機も所属していた。DL化に伴いその後各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外では、C58-171号機が福井県小浜市

228号機が宮城県石巻市、322号機が静岡県三島市、365号機が宮城県宮城郡利府町
でそれぞれ静態保存されている。

*由縁の薄い同地に何故保存となったのかその経緯は不詳である。







C58-51号機  場所 三重県松阪市立野町 中部台公園駐車場

車暦 1939川崎車輌 1941奈良~1945王寺~1955奈良~1964亀山~1971廃車・保存開始

状態 塗装は退色し各所に剥離・錆び・腐食進行 汽笛欠 他の外装諸装備良好 運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類大半が損失し荒廃状態 屋外に屋根

    付きで保存されているが、荒廃状態である。                                              撮影日2007/11/10

* 再訪してみました。荒廃していた状態から見事に蘇えって輝いていました。塗装も再塗装され運転室内の諸計器類も水面計を除き大半の計器類が補修

・復元されていました。ロッドや主軸も磨きあげられ油が塗布され、刻印も読み取れました。おそらく整備には国鉄OBの方や保存会の皆さんのご苦労が有っ

たと思われますが、荒廃から蘇えらせた行政側のご尽力が根底に存在すると思われます。同じ三重県熊野市のC58-413号機が無残にも解体された事

を思いますとSLファンにとっては嬉しい限りです。
                                             撮影日2010/02/20

* 本機の整備に私財を投じて活動されておられる、東京都在住の杉山牧夫氏からお便りをいただきました。月1回の活動に松坂市のボランティアの皆さ

んの応援を得て整備を続けられておられるそうです。1日違いで残念ながらお会いすることができませんでした。皆さんのご努力で本機が蘇えり輝きを取り

戻していました。その活動は地元のCATV局が取材して放送しています。 Webサイトで「杉山牧夫」を検索--(くろすけの修復にご協力を)で流れています。

* また、C58-51号機の整備の状況はホームページで逐一報告されています。 http://c5851.bbs.fc2.com/

* 各刻印を観察するに、左第二・第三動輪には明らかにC58285?の上に51を打ち直した痕跡が認められるが、旧番は明確には読み取れない。285

とするならば
C58-285号機は1969年に竜華機関区で廃車になっており、両機は同時期に隣接する奈良・竜華・亀山機関区で活動しており、この間に鷹

取工場で転用された可能性が高い。また他の動輪にも打ち直した痕跡があり、他機の動輪を転用している可能性は高い。

* 本機が1955(S30)年当時、奈良機関区に所属し関西本線・奈良線で活躍していた頃、僚機にはC58-212・352・354号機も所属していた。同機関区には

8620型機3両・C11型機7両・C51型機9両・C57型機6両・D51型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-212号機

が福井県敦賀市、354号機が宮城県宮城郡利府町で、またC51-5号機、C57-56・148号機、D51-211・691号機
が各地で静態保存されている。


* 本機が1971(S46)年当時、亀山機関区に所属し関西本線・参宮線で活躍していた頃、僚機にはC58-267・353号機も所属していた。また同機関区にはC50

型機2両・C57型機7両・D51型機11両も配属されていた。その後各機はDL化に伴いさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外では、C58-353号

機が和歌山県那智勝浦町で、C50-154号機・C57-26・110・148号機・D51-718号機
が各地で静態保存されている。









C58-56号機  場所 京都府福知山市下新町 福知山鉄道館


車暦 1939川崎車輌 1941奈良~1945新見~1955浜田~1961福知山~1970廃車・保存開始

状態 塗装は良好 ヘッドライト球・ガラス欠 他の外装諸装備良好 運転室内速度計針欠 他の諸計器類良好 室内良好 狭い館内であるが、足回りも整備され

    て良好な状態で保存されている。                                                撮影日2008/04/22

* 再訪してみました。相変わらず良好な状態で保存されていました。今回は時間に余裕があったので細部を撮影する事ができました。 刻印によりかなり

の転用箇所がありました。先ず先輪ですが、左右とも
C58260の刻印があり、左には抹消されたD511145の刻印が認められました。C58-260号機

1974年に志布志機関区で、
D51-1145号機は1971年に吹田第一機関区で廃車になっています。右先輪はC58-260号機が1945年~新見~紀伊

田辺機関区に所属してい間に転用、左先輪は同期間に先ずD51-1145号機が1953年~奈良機関区に所属している間に転用され、その後1964年~浜

田機関区に所属している間に本機に転用したと思われます。C58260の刻印の大きさが異なる事もその理由でしょうか。クロスヘッドソケットの左は

C58190があります。C58-190号機は1971年に奈良機関区で廃車、右はC5858と読めますし車歴からはC58-58号機が該当します。C58-58号

機は1969年に福知山機関区で廃車になっていますが、1955年から本機と同じ浜田機関区に所属しています。また右上蓋部には
C5828?とありますが、

車歴からは
C58-281号機が該当します。C58-281号機は1945年に新見機関区に配属され1971年に廃車になっています。C58-190・281号機は

隣接する機関区でありその間に転用されたのでしょうか。                                    撮影日 2010/07/18

* 本機が1955(S30)年当時、浜田機関区に所属し山陰本線・三江線で活躍していた頃、僚機にはC58-10・23・57・58・72・86・87・129・148・258・316

号機も所属していた。同機関区にはC12型機5両・D50型機2両・D51型機6両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-139

号機が北海道紋別郡湧別
町で静態保存されている。


 * 本機が1969(S44)年当時、福知山機関区に所属し舞鶴線で活躍していた頃、僚機にはC58-57・169号機も所属していたまた、山陰本線を担当するC57

型機4両・D51型機14両・構内作業担当のC11型機3両も配属されていた。各機はその後転配属廃車・解体の経過をたどるが、本機以外ではC11-40・C57-

128・D51-25・66・499・860・895号機
が各地で静態保存されている。









C58-65号機  場所 山口県光市新町 市民会館

車暦 1939川崎車輌  1941米子~1945王子~1946新宮~1969宇部港~1973厚狭 廃車・保存開始

状態 塗装は退色し各所に剥離・錆び・腐食進行 前後ライト球・ガラス欠 他の外装諸装備装着 運転室窓枠・ガラス欠室内の大半の計器類損失し荒廃状態 

    屋外保存であるが近年の整備も受けておらず荒廃状態である。保存機ワースト候補であり、早急の対策が必要な機である。 撮影日2007/05/19 

* 再訪して見ました。相変わらずの状態でさらに各所の劣化が進行していました。    撮影日 2009/10/18


* 分厚い塗装と錆びの為確認できる刻印はありません。崩れ落ちた箇所もあり厚狭のD51-300号機と共に早急の
 対策が必要です。                                        撮影日 2010/12/18
* 市民に何の説明もなく突然解体処分が決まり、10月中旬から解体作業が始まったようです。荒廃する同機の整備
 をすることなく放置し荒廃の現況をだけを示し、突然解体する手法は行政側の常套手段・手法であり、怒りを禁じえま
 せん。                                                     2011/10/22


* 本機が1960(S35)年当時、新宮機関区に所属し紀勢本線で活躍していた頃、僚機のC58-89・141・144・189・191・205・265号機も所属していた。同機

関区にはC11型機2両も配属されていた。その後DL化により各機は転配属された


* 本機が1971(S46)年当時、厚狭機関区宇部港駐泊所に所属し宇部線・小野田線で活躍していた頃、僚機にはC58-21・34・36・144・323号機も所属してい

た。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-36号機が山口県美祢市で静態保存されている。









C58-66号機  場所 大阪府大阪市中央区 大阪城公園「つどい」内

車暦 1939川崎車輌 1941米子~1945王寺~1961竜華~1964奈良~1972亀山~1974廃車 保存開始?

状態 塗装は良好 外装諸装備完備 運転室内はガラス張りの建物内にあり接近できず未確認 全体的には良好な状態で

  保存されている模様。                                              撮影日2008/4/12

* 再訪してみました。今回は時間に余裕があったのでガラス越しですが、足回りを撮影しました。お店の方に伺いますと年に二回程、保存会(OBの方?)

が整備に来られているとの事でした。車体・運転室内は完全な状態で保存されており、タブレッツトもそのまま掛けてありました。ガラス越しなのでお見苦し

い点はご容赦ください。                                                  撮影日 2010/03/27

* 「つどい」前には廃車となり解体された68660号機の動輪が保存展示されている。

* 本機が1955(S30)年当時、王寺機関区に所属し関西本線・和歌山線で活躍していた頃、僚機にはC58-16・121・135190・204・224・226・329・353

・355・357・358・359号機も所属していた。同機関区には8620型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-353号機

が和歌山県那智勝浦町で、359号機が三重県亀山市
で静態保存されている。


* 本機が1969(S44)年当時、奈良運転所に所属し関西本線・奈良線・片町線・桜井線で活躍していた頃、僚機にはC58ー120・135・190・191・329・352・

355・357・358号機も所属していた。また8620型機1両・C11型機4両・C12型機1両・D51型機16両も配属されていた。各機はその後DL化に伴いさらに転配属

、廃車・解体の経過をたどり、静態保存されたのは本機以外ではD51-211・403・691・882・885号機が各地で静態保存されている。

* 本機が1972(S47)年当時、亀山機関区に移動し関西本線や草津線・参宮線で活躍していた頃、僚機にはC58-51・231・240・353・359号機も所属していた。

C50-75・109・154号機、C57-110・148・198号機などが所属していた。1972年以降順次廃車となったが、C58-231号機は山形県上野山市で、C50

-75・16
4・C57-110・148号機も各地で静態保存されている。









C58-82号機  場所 北海道網走郡美幌町西一条南 美幌柏ヶ丘公園内

車暦 1938汽車製造・・?・・1941釧路~1947苗穂~1955北見~1973廃車 1974保存開始

状態 塗装は退色気味で剥離・錆び 清缶剤挿入装置・右プレート欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類の多数が損失し、室内荒廃状態 屋外に屋根

    付きで保存されており、保存状態は普通である。                                     撮影日2007/07/16

* 4年ぶりの再訪です。塗装が全体的に退色し各部位に錆や汚濁雫が目立ち始めました。そろそろ再塗装等の整備が必要になっています。刻印は確認

できた範囲では本機の番号でした。                                              撮影日 2011/07/25

* 北海道型各機の共通であるデフレクター先端部がカットされており、コの字型の手すりが先頭部に取り付けられている。また、前後に大型ライトのLP403型が

装着されているのも特徴であり、いわゆる北海道型であり国鉄釧路工場での改装であろう
コの字型手すりを左右に装着しているのが釧路工場、左側のみの装

着が苗穂工場での改装の相違点である。

* 本機が1955(S30)年当時、北見機関区に所属し石北本線で活躍していた頃、僚機にはC58-1・2・83・98・126・173334・389・390・391・392・395

・417号機も所属していた。同機関区には8620型機5両・9600型機4両・D51型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外では

C58-1号機が京都鉄道博物館、389号機が静岡県浜松市、390号機が京都府与謝郡与謝野町、395号機が東京都羽村市で、また49643号機、

D51-157・312号機
が各地で静態保存されている。

* 本機が1973(S48)年当時、北見機関区に所属し石北本線・池北線で活躍していた頃、僚機にはC58-173・331・390・392・395号機も所属していた。

また、9600型機7両・D51型機7両も配属されていた。しかし、DL化の直前でありその後各機は廃車・解体の経過をたどった。29657・49671、D51-157・

312号機
が各地で静態保存されている。








C58-98号機  場所 北海道深川市一巳町 桜山遊園地内

車暦 1938汽車製造・・東京局・・1941千葉~1946高島~1949北見~1961釧路~1975北見 廃車・保存開始

状態 塗装は普通だが錆び・剥離進行 清缶剤挿入装置・左・後部プレート欠 他の外装諸装備装着 運転室内ブレーキ圧力計以外の諸計器類損失し、室内の

    錆び劣化が進み荒廃状態 屋外保存であり保存状態は普通である。テンダー部に古タイヤがあり、後部ライト未確認  撮影日2007/07/14

* 再訪して見ました。再塗装され黒く塗られ良好な状態でしたが、現状は変わってはいません。            撮影日 2009/8/10

* 左サイドは撮影スペースが無くて部分的な撮影になりました。C58型機の刻印は全体的に薄い刻印が大半で、本機も同様でかつ分厚い塗装のため

に明確な刻印は僅かでした。左釣りリンク腕軸座ピンツバに
D51710の刻印があります。D51-710号機は1976年に追分機関区で廃車になっていま

す。本機が1949年に北見機関区配属後に転用されたのでしょう。左心向棒軸座ピンツバには
D51575の刻印があります。D51-575号機は1971年

に滝川機関区で廃車になっています。同機が廃車後か本機の北見機関区配属後に転用されたのでしょう。   撮影日 2011/07/27

* 「コバQ」さんが2013/05に訪問された際の状況です

* デフレクター先端カット・先端部コの字型手すり、大型ライト・煙突ステーに特徴あり。(国鉄釧路工場改装)

* 本機が1955(S30)年当時、北見機関区に所属し石北本線で活躍していた頃、僚機にはC58-1・2・82・83・126・173334・389・390・391・392・395・

417号機も所属していた。同機関区には8620型機5両・9600型機4両・D51型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58

-1号機が京都鉄道博物館、82号機が北海道網走郡美幌町、389号機が静岡県浜松市、390号機が京都府与謝郡与謝野町、395号機が東京都羽村

で、また49643号機、D51-157・312号機が各地で静態保存されている。

* 本機が1973(S48)年当時、釧路機関区に所属し釧路本線で活躍していた頃、僚機にはC58-33・48・119・139・197348・335・408・410・412・413・

418号機も所属していた。また標津線担当のC11型機6両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどるが、C58-33号機は北海道斜里

郡清里町、48号機は京都市右京区、119号機は北海道北見市、139号機は北海道紋別郡湧別町、418号機は三重県熊野市
でそれぞれ静態保存されて

いる。


* 本機が1974(S49)年当時北見機関区に所属し石北本線などで活躍していた頃、僚機にはC58-33・331・390・395418・D51-444・943・1008・1150号

機らも所属していた。その後1975年に相次いで廃車となったが、D51-444号機は道内北見市で静態保存されている。








C58-103号機  場所 岩手県一関市大手町2丁目 一関文化センター

車暦 1938汽車製造・・仙台局・・1941会津若松~1945宮古~1955一関~1971尻内~1972八戸 廃車・保存開始

状態 塗装は普通 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備完備 運転室内諸計器類完備 室内良好 建物に接して屋根付きで保存され、足回りも整備され良好な

    状態で保存されている。                                                                撮影日2007/09/14

* 4年ぶりの再訪です。変わらず良い状態で保存されています。確認できた範囲で刻印は本機の番号でした。運転室の隙間から内部を撮影しましたが、

両水面計が外枠を失ない芯のみ以外、各操作系統機器・速度計や圧力計機器・電気系統機器は全て揃っていました。  撮影日 2011/10/30

* 本機が1955(S30)年当時、一ノ関機関区に所属し東北本線・大船渡線で活躍していた頃、僚機にはC58-111・145・162・163・206・220・244・251・

270・289・297・302・303・304・305・306・307号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・D51型機20両も配属されていた。その後各機は各地に

転配属された。本機以外ではC58-244号機が福島県南会津郡只見町、304号機が山形県新庄市で、またD51-101・103・718・737号機が各地で

静態保存されている。

* 本機が1967(S42)年当時では、僚機はC58-71・117・163・304・306・307号機も所属していた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。

本機は一ノ関機関区の所在した当地に保存された。

* 本機が1972(S47)年に廃車となる直前の八戸機関区に所属し、東北本線や八戸線で活躍していた頃、八戸機関区にはC58-239・244・342号機も僚機と

して所属していた。DL化によって用途を終えて廃車となったが、C58-239号機は岩手県盛岡市で、C58-342号機は岩手県北上市で静態保存されている。









C58-106号機  場所 北海道釧路市幸町 幸町公園内


車暦 1939汽車製造・・札幌局・・1941室蘭~1945釧路~1972廃車・保存開始

状態 塗装は良好 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類完備 メイン・サイドロッド・主軸等の足回りに油が注され、屋外に屋根付き

    の下、良好な状態で保存されている。                                           撮影日2007/07/16・2009/08/13

* 微かに本機の刻印を残す箇所が数か所ありました。 撮影日 2011/07/24

* デフレクター先端カット・先端部コの字型手すり、大型ライトLP403型前後装着 (国鉄釧路工場改装)

* 本機が1955(S30)年当時、釧路機関区に所属し根室本線・釧網本線で活躍していた頃、僚機にはC58-62・84・119・127・331・348・383・408・409

・410・412・413・418・419号機も所属していた。同機関区には8620型機9両・9600型機2両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外

ではC58-119号機が北海道北見市、418号機が三重県熊野市で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時では僚機はC58-62・84・98・119・127・139・197・348・385・404・408・409・410・412・413・418号機に交代所属して

おり、機関区のC58型機保有数としては最大であった。しかし、DD・DL化は目前に迫っており、かなりの機が休車扱いを受けていた。同機関区にはC11型機7両・D51

型機2両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-98号機が北海道深川市139号機が北海道紋別郡湧別

で静態保存されている。

* 本機は1972(S47)年8/5・6に根室本線、釧路~帯広・池田~釧路間で行なわれた「さよなら運転」に僚機のC58-33号機と重連運転で客車を牽引した後、廃

車となり釧路機関区の所在した当地に保存された。









C58-112号機  場所 鹿児島県志布志市3丁目 志布志公園内

車暦 1939汽車製造 1939稲沢~金沢~1940稲沢~1941直方~1941鹿児島~1945豊後森~1955大分~1975廃車・保存開始

状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室内給水ポンプ圧力計欠 他の計器類良好 屋外に屋根・プラットホーム付きで保存されており、保存状態は普通

である。*門鉄デフレクターK9型装着・1962国鉄小倉工場  撮影日 2007/09/06

* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。 撮影日 2010/04/24・2011/04/28

* 本機が1955(S30)年当時、大分機関区に所属し日豊本線・九大本線・豊肥線で活躍していた頃、僚機のC58-21・33・3447・48・59・80・105・115・276

・277・350・351・420・423・424・426・428号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・C55型機23両・D60型機10両も配属されていた。その後各機

は各地に転配属された。本機以外ではC58-33号機が北海道斜里郡清里町、48号機が京都市右京区で、277号機が宮崎県小林市C55-52・53号機・

D60-61号
機が各地で静態保存されている。

* 本機が1974(S49)年当時、志布志機関区に所属し志布志線や日南線で活躍していた頃、僚機のC58-20・153・275・277の各機も所属していた。廃車後

C58-275号機は遠く茨城県笠間市で、静態保存されている。
またC11型機が10両所属していたが、C11-189・195・200号機が各地で静態保存され

ている。
本機は志布志機関区の所在した当地に保存されている。








C58-113号機  場所 京都府舞鶴市余部下 中舞鶴公園内

車暦 1939汽車製造 1941福知山~1945高知~1955多度津~1961津山~1970西舞鶴~1971廃車・保存開始

状態 塗装は普通 汽笛・清缶剤挿入装置欠 後部ライト欠 プレートは模造品 運転室窓枠・ガラス欠 室内の諸計器類は欠操作系統機器も欠 座席損壊し室内

    荒廃状態 屋外に屋根付きで保存されているが、荒廃状態である。          撮影日2007/07/12・2010/01/30

* 分厚い塗装のために確認できた刻印は僅かでしたが、左クロスヘッド油壷にC58313の刻印があります。C58-313号機は1974年に厚狭機関区

で廃車になっています。1945年から多度津機関区に配属されており、本機も1955~61年まで多度津機関区に配属されていましたので、この間に多度

津工場で転用されたのでしょう。また他に例が無いのですが左右の従輪部のイコライザー部にも本機刻印があり珍しいです。 撮影日 2011/07/20

* 本機が1955(S30)年当時、多度津機関区に所属し予讃線・土讃線で活躍していた頃、僚機のC58-123・155・197・198242・243・253・254・255・256

・313・319・321・333号機も所属していた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-333号機が香川県JR多度

津工場
で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、西舞鶴機関区に所属し舞鶴線・小浜線で活躍していた頃、僚機にはC58-170・204号機も所属していた。同機関区には9600型

機4両・宮津線担当のC12型機5両も配属されていた。DL化に伴いその後各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-170号機が兵

庫県豊岡市
C12-60号機が福島県伊達郡飯野町244号機が岐阜県恵那市で静態保存されている。

* 本機は1971(S46)9/15小浜線の「さよなら列車」の牽引をした後、廃車となり現地に静態保存された。








C58-114号機  場所 宮城県大崎市岩出山城山 岩出山公園内

車暦 1939汽車製造 1941紀伊田辺~1945仙台~1955小牛田~1961陸石線管理~1973小牛田 廃車・保存開始

状態 塗装は普通だが各所に汚濁雫・錆び 後部ライト球・ガラス欠 前プレートはレプリカ?・煙室扉ハンドル? 他の外装諸装備装着 運転室内諸計器類

    完備 屋外保存であるが保存状態は普通である。        撮影日2007/08/13

* 再訪してみました。公園の桜が満開で花びらが機体に舞い散り風情のある情景でした。撮影日2010/05/03

* 左先輪にC58161の刻印があります。C58-161号機は本機と同じく1955年から小牛田機関区に配属され1971年に廃車になっていますので、

その間か廃車後に本機に転用されたのでしょう。                                        撮影日 2011/10/29


* 本機が1955(S30)年当時、小牛田機関区に所属し東北本線・陸羽東線・石巻線で活躍していた頃、僚機にはC58-14・2650・110・117・118・144・

161・271・282号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・C11型機5両・C12型機2両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機

以外ではC11-367・368号機が静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、陸東石巻線管理所に所属して陸羽東線で活躍していた頃、僚機にはC58-14・19・50・60・161・302・309・364号機も所

属していた。また石巻線担当のC11型機7両も所属していた。DL化に伴いその後各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-19号

機が宮城県大崎市、C11-367号機が宮城県遠田郡美里町、368号機が東京都中野区
で静態保存されている。









C58-119号機  場所  北海道北見市北進町4丁目 SL広場

車暦 1939汽車製造 1939新潟~直江津~1943釧路~1974北見~1975廃車 1976保存開始

状態 塗装は普通 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内は未確認(上部4圧力計は確認) 屋外保存であるが保存状態は普通である。

                                  *後部にD51-444号機
                          撮影日2007/07/16

* 4年ぶりの再訪です。屋外ですが変わらない状態で保存されています。分厚い塗装のために本機を示す明確な刻印は僅かでした。左リターンクラン

クには
C58418の刻印があります。C58-418号機は1975年に北見機関区で廃車後熊野市で静態保存されていましたが、残念ながら2010/2に

解体処分されてしましました。本機にその歴史を託す事になりました。1949年に釧路機関区に配属後本機に転用されたのでしょう。
                                                                       撮影日 2011/7/25

* デフレクター先端カット・先端部コの字型手すり・大型ライトLP403型前後装着 煙突ステー特徴(国鉄釧路工場改装)

* 本機が1955(S30)年当時、釧路機関区に所属し根室本線・釧網本線で活躍していた頃、僚機にはC58-62・84・106・127・331・348・383・408・409

・410・412・413・418・419号機も所属していた。同機関区には8620型機9両・9600型機2両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外

ではC58-106号機が北海道釧路市418号機が三重県熊野市で静態保存されていたが
解体処分された。。

* 本機が1973(S48)年当時では、僚機はC58-33・48・98・139・197・348・335・408・410・412・413・418号機も所属していた。また標津線担当のC11

型機6両も配属されていた。DL化に伴いその後各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどるが、C58-33号機は北海道斜里郡清里町、48号機は京都市右

京区
98号機は北海道深川市、139号機は北海道紋別郡湧別町でそれぞれ静態保存されている。

* 本機が1974(S49)当時、北見機関区で活躍していた頃に配属されていたC58同型機は、C58-33・139・197・390・391・418の各機であったが、1975年

に廃車後静態保存されたのは本機と加悦鉄道に移動した390号機であった。


* 本機は1975/7/17に網走~北見間の1528レを牽引した。これが石北本線における最終の蒸気機関車運転であった。その後、廃車となり北見機関区の所在し

た当地に静態保存された。









C58-122号機  場所 宮城県栗原市築館薬師台 児童公園内

車暦 1939汽車製造 1939米子~1943稲沢~1945長門~1972小郡~小牛田~1973廃車 1974保存開始
                    (1945七尾~1955正明市~1964長門~)
状態 塗装は完全に剥脱し全体が錆びに覆われ、各所に腐食進行 後部プレート欠 他の外装諸装備良好 運転室内は荒廃状態 屋外保存というよりは放置

    され無残な状態であり、保存の頃の経緯が忘却された不運な機でしょうか!! 撮影日2007/09/13

*2008/3以降 行政側の都合で解体処分されてしまい、現在はその姿は見られない。残念である!!

* 本機が1955(S30)年当時、正明市(長門)機関区に所属し山陰本線で活躍していた頃、僚機にはC58-76・79・137・338号機も所属していた。同機関区

には8620型機4両・D51型機15両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-243号機が静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、長門機関区に所属し山陰本線で活躍していた頃、僚機にはC58-10・76・338号機も所属していた。また、同機関区には本線

貨物担当のD51型機22両も配属されていた。その後各機はDL化に伴い各地に転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD51-243静岡県伊豆市

で静態保存されている。








C58-139号機  場所 北海道紋別郡湧別町 計呂地交通公園内

車暦 1939汽車製造 1939多治見~1941美濃太田~1945新鶴見~1949新見~1955浜田~1959米子~1960釧路~斜里~1974北見~1975廃車 1976保存開始

状態 塗装は普通 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類良好 足回りも整備され屋外の線路上に、屋根・プラットホーム付きで良好な

    状態で保存されている。                                                           撮影日2007/7/15

* 再訪しました。相変わらず綺麗な状態でした。管理人さんに内部を見せていただきました。 撮影日2009/08/12・2011/07/15

* 分厚い塗装のために明確な本機の刻印は僅かでした。右(左も?)先輪にはC1285の刻印がありました。C12-85号機は1969年に大宮工場で廃

車後、和光市で静態保存されています。本機が1945年から新鶴見機関区に配属されていた間か廃車後に転用されたのでしょう。右リターンクランクには

C58173の刻印があります。C58-173号機は1955年に北見機関区に配属され1974に廃車になっています。本機が1960年に釧路機関区に配属後

釧路工場で転用されたのでしょう。                                                  撮影日 2011/07/25

* デフレクター先端カット・先端部コの字型手すり・大型ライトLP403型前後装着・煙突ステー (国鉄釧路工場改装)

* 本機が1955(S30)年当時、浜田機関区に所属し山陰本線で活躍していた頃、僚機のC58-10・23・56・57・58・72・86・87・148・258・316号機も所属し

ていた。同機関区にはC12型機5両・D50型機2両・D51型機6両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外で

C58-56号機が京都府福知山市で静態保存されている。


* 本機が1973(S48)年当時、釧路機関区に所属し釧路本線で活躍していた頃、僚機にはC58-33・48・98・119・197・348・335・408・410・412・413・

418号機も所属していた。また標津線担当のC11型機6両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどるが、C58-33号機は北海道斜里

郡清里町
48号機は京都市右京区、98号機は北海道深川市、119号機は北海道北見市418号機は三重県熊野市で静態保存されていたがその後
解体

された。








C58-170号機  場所 兵庫県豊岡市日高町宵田 日高小学校内

車暦 1939汽車製造 1939金沢~1940七尾~金沢~1943七尾~1945新見~1952岡山~1955新見~1964津山~1970西舞鶴~1971廃車・保存開始

状態 塗装は普通 清缶剤挿入装置・後部プレート欠 他の外装諸装備良好 運転室内缶圧力計・左水面計欠 他の計器類良好 屋外に屋根付きで保存され

    ており、保存状態は普通である。                                               撮影日2007/07/12・2009/01/05

* 分厚い塗装のために確認できた刻印は数か所のみでした。 撮影日 2010/07/20

* 本機が1955(S30)年当時、新見機関区に所属し伯備線・芸備線・姫新線で活躍していた頃、僚機にはC58-124・164・172・174・175・186・199・200

・201・208・236・247・262・281・290・298・314・315・360・403号機も所属していた。同機関区には8620型機5両・D51型機9両も配属されていた。新見

機関区は福知山機関区以西の拠点機関区であり、21両のC58型機を配備していた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-409・838号機

静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、西舞鶴機関区に所属し舞鶴線・小浜線で活躍していた頃、僚機にはC58-113・204号機も所属していた。同機関区には9600型

機4両・宮津線担当のC12型機5両も配属されていた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-113号機が京

都府舞鶴市
C12-60号機が福島県伊達郡飯野町、244号機が岐阜県恵那市で静態保存されている。









C58-171号機  場所 福井県小浜市大手町 中央児童公園内

車暦 1939汽車製造 1941金沢~1945敦賀~1971敦賀第一 廃車・保存開始

状態 塗装は普通 煙室扉ハンドル欠 後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類は外形・外枠を残すのみで荒廃状態 屋外に

    屋根付きで保存されているが、保存状態は荒廃状態である。                             撮影日2007/09/11

* 再訪してみました。分厚い塗装のため確認できた刻印は僅かであり明確なのは左ビッツぐエンドの受け金だけでした。
                                                            撮影日 2009/05/2・2011/07/20

* 本機が1955(S30)年当時、奈良機関区に所属し関西本線・奈良線で活躍していた頃、僚機にはC58-51・352・354号機も所属していた。同機関区には

8620型機3両・C11型機7両・C51型機9両・C57型機6両・D51型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-51号

機が三重県松阪市、354号機が宮城県宮城郡利府町
で、またC51-5号機、C57-56・148号機、D51-211・691号機が各地で静態保存されている。

* 本機が1969(S44)年当時、八王子機関区に所属し中央本線・八高線・横浜線で活躍していた頃、僚機にはC58-6・177号機も所属していた。またD51型機

7両も配属されていたが、DL化・電化は目前であり、各機はその後転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD51-515号機が茨城県水戸市で静態

保存されている。


* 本機は1969(S44)年10/13に横浜線、八王子~小机間の「さよなら列車」を牽引した後、七尾機関区に移動した。

* 本機が1971(S46)年に七尾機関区で廃車となった時期には、僚機にC58-140・159・202・263・325・368号機も所属しており、C11型機2両・C56型機

4両も配属されていたが、各機はその後廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-140号機が石川県羽咋市で静態保存されていたが、1995/7に残念

ながら
解体されてしまった。その後2008/4に第二動輪がJR金沢駅構内で展示保存されている。また、325号機は石川県かほく市で静態保存されていたが1989

年にこれもまた
解体されてしまっている。






C58-212号機  場所 福井県敦賀市本町2丁目 本町第三公園内

車暦 1940川崎車輌 1940梅小路~1945紀伊田辺~1955奈良~1962八王子~1969高崎第一~1970七尾~1971敦賀第一廃車 1972保存開始

状態 塗装は普通 清缶剤挿入装置・後部ライト球・ガラス欠 他の外装諸装備良好 運転室内速度計は完備・各圧力計針欠 両水面計欠 屋外に屋根付きで

    保存されており、保存状態は普通である。                                     撮影日2007/09/11/・2009/05/02

* 機体と金網との距離が狭く、看板もあり撮影がしずらい状況でした。分厚い塗装が繰り返されており確認できた刻印は皆無でした。運転室内は両水面計

を欠いており、速度計以外の各圧力計は針を欠いていますが、状態としてはまずまずと言う所でしょうか。         撮影日 2011/07/20

* 本機が1955(S30)年当時、奈良機関区に所属し関西本線・奈良線で活躍していた頃、僚機にはC58-51・352・354号機も所属していた。同機関区には862

0型機3両・C11型機7両・C51型機9両・C57型機6両・D51型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC58-51号機が三重

県松阪市
354号機が宮城県宮城郡利府町で、またC51-5号機、C57-56・148号機、D51-211・691号機が各地で静態保存されている。

* 本機が1969(S44)年当時、八王子機関区に所属し中央本線・八高線・横浜線で活躍していた頃、僚機にはC58-6・177号機も所属していた。またD51型機7

両も配属されていたが、DL化・電化は目前であり、各機はその後転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD51-515号機が茨城県水戸市で静態保存

されている。


* 本機は1969(S44)年10/13に横浜線、八王子~小机間の「さよなら列車」を牽引した後、七尾機関区に移動した。

* 本機が1971(S46)年に七尾機関区で廃車となった時期には、僚機にC58-140・159・202・263・325・368号機も所属しており、C11型機2両・C56型機

4両も配属されていたが、各機はその後廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-140号機が石川県羽咋市で静態保存されていたが、1995/7に残念

ながら
解体されてしまった。その後2008/4に第二動輪がJR金沢駅構内で展示保存されている。また、325号機は石川県かほく市で静態保存されていたが1989

年にこれもまた
解体されてしまっている。



C58-215号機  場所 福島県鹿沼郡会津坂下町 坂下小学校横

車暦 1940川崎車輌 1941稲沢~1945高山~1966遠江二俣~1971小牛田~1973 廃車・保存開始

状態 塗装は全体的に剥離・錆び・腐食進行 後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室内は荒廃状態 屋外に保存されているが、保存状態は荒廃状態であり、

    保存機ワースト候補機である。                                                    撮影日2007/09/12



 *きれいになったC58-215号機 これは坂下町の森川卓氏らのグループにより整備されたものです

* 森川卓さんのグループが荒れ果てていた本機を整備されています。本体の塗装は一応済まされていますがロッド等の磨き出しはこれからで、特に右

サイドは油膜と粉塵の塊や錆に覆われておりなかなか困難な状況です、私も手伝いたい気持ちは山々ですが、四国からの出向きは難しく紙面で応援する

しか無いかと悶々としております。お近くでお手伝いできる方がおられましたら、森川さんまでご連絡ください。刻印の下に元印がありそうですが確認できま

せんでした。 撮影日 2011/10/28

* 本機が1955(S30)年当時、高山機関区に所属し高山本線で活躍していた頃、僚機にはC58-108・109・116・153・216266・368号機も所属していた。

同機関区には9600型機12両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。

* 本機が1971(S46)年当時、遠江二俣機関区に所属し浜名湖線で活躍していた当時、僚機にはC58-20・153・200・389号機も所属していた。その後各機

はDL化に伴いさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC58-389号機が静岡県浜松市二俣町で静態保存されている。

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