「SL整備記録 NO-5 大山正風」
                       C57-44号機整備記録 NO-2

2013/11/4
 昨日は作業を休み、雲南市木次公民館敷地内のC56-108号機の整備完成お披露目会に出向きました。地域おこしのイベントもありあいにくの

雨天でしたが多くの地元の方々(特にミニSLの運転があるので子供さんが)が来られていました式典の後、汽笛を鳴らしたりスモーク発生装置(春

日井のツバメさん持参)で煙突から煙を出したりして楽しんでいました。東京の「やまてつ」さん・岐阜の「春日井のツバメ」さんをはじめSLの整備に

関わる皆さんが参加されていました。詳しくは後日私のHPのC56型Aで紹介します。

 整備に関しては実車に近いカーボンブラックで塗装されて、あの錆と汚濁雫に覆われた機体はきれいに整備されていました。惜しむらくは動輪・ロッ

ド廻りは元の塗装をケレンされず、上塗りを重ねていましたので、微かに残り判読出来ていた各部位の刻印は完全に隠れてしまいました。刻印ファン

には残念な結果となっていますが、屋外保存であるが故に致し方ないかと思われます。

 本機は動輪・ロッド等は完全に磨きだし処理を行い、アクリル樹脂で保護する方法を取りますので刻印は完全に判読できます。なお運転室内も含

め機体本体のあらゆる砲金製の部品や細配管等も全て磨き出し保護剤処理を行います。

 本日は自動連結器・解放テコ・前端梁をケレンし鉄地肌を出しました。塗装を剥がしますと座の右側上部には42-10(42年10月) 2-349の

刻印が、同じく右側下部にはシ43-6(43年6月) 8-102の刻印、ナックルピンにはY-188の刻印、連結器胴上部にはE6722PKの刻印が

それぞれありました。これらは再塗装しますと確認できなくなるかもしれません。

2013/11/06
 昨日は給水温め器・前照灯・副灯をケレンしました。前照灯はLP403型で森尾電機製で昭和38年9月製造・製造番号842番でした。本日はデフレ

クター左外側をケレンしたのですが、塗装が二層「再塗装黒~錆止め剤~カーボン黒~下地(戦時中のカーキ色)に分厚く塗られており、サンダーで

も手こずりガスバーナーで焼きながら削りましたので4分3しか剥がせませんでした。

2013/11/8
 昨日は左デフ外側の残りと内側を、本日は右デフ外側と内側3分2をケレンしました。いずれもバーナーで二重塗装を出来るだけ削り取った後、サン

ダーでさらに研磨するため時間がかかりました。機関車先頭部の顔の一部ですので綺麗に仕上げたいと思います。今日の作業で新たな事実が判明

しました。右デフの最下部がめくれた状態で押し込まれていましたが余り気にせずにおりました。研磨した結果左デフの鋼板は3枚仕上げですが、右

デフ鋼板はランボード延長線で繋ぐ2枚仕上げになっていました。明日内側下部がどうなっているか確認いたします。この下部は戦前の下地・塗装が

無く戦後の錆止めと上塗りだけである事が解りました。

 おそらく戦後のいずれかの時期に右デフを作り換えたか交換したのでは無いかと思われます。サイズが合わず無理に押し込んだのがめくれた原因

のようでした。整備をしていると思わぬ新たな事例が見つかり、44号機の歴史が一つ解明できて嬉しい限りです。

2013/11/10
 作業内容を報告する前に大変感激する事がありました。このHPを北海道岩見沢市の嶋田正樹様が見てくださっており、前照灯のガラスはどうされる

のですかと言うメールをいただきました。実はガラス工房を営んでいる知人に制作を依頼していたのですが、できるかどうか「やってみないと解らない」

という状態で完成は未知数でありました。メールのやり取りで嶋田様様から所持しているから57-44に使ってもらっても良いという、本当にありがたい

お話がありました。さらに探していた作用コックハンドルの他に蒸気箱用のミニプレート・各部位のプレート・岩見沢機関区を示す「岩」の表示板等を譲っ

ていただく事になりました。嶋田様のお父上は昔岩見沢第一機関区で機関士をさらに研修係をされておられたそうで、本機も運転された事があるとお聞

きしました。またC62ニセコ号復活にも大きく関与された方でした。

 44号機の本当の故郷は岩見沢市ですから、その岩見沢機関区に関係のある方から各部品を譲り受ける事が出来るとは奇遇であり、44号機もおそら

く嬉しく喜び感謝していると思います。岩見沢市の方々には突然消えた本機、それも走行した事のない四国へ、それでも44号機の事に御配慮いただい

た事に厚く御礼申し上げます。改めて心して整備させていただきたいと決意を新たにいたしております。

 昨日は煙室扉をケレンしました。塗装はしっかりしておりそのまま重ね塗りでも構わない状態ですが、やはり顔ですから新しく塗りなおす事にしました。

上部は亀裂が入っていますので地肌まで研磨し、他の場所は前回の錆止め塗装を利用する事にしました。デフとのステイを研磨し、運転室左窓を防御

していた鉄格子を除去し風受け板を本来の姿・形に戻しました。今日はこれまでの研磨作業で送風機を使用してはいますが、かなり機体前部が汚れま

したので高圧洗浄機で洗い流し、ついでに剥離できる部位をできるだけ吹き飛ばす作業を午前中に、午後から運転室右窓の防御鉄格子を除去し、左同

様に風受け板を正常な状態に戻しました。左シリンダー被の3分2のケレンし上下の窓から複式バイパス弁・気筒上部を洗浄後ケレンしましたが、今日は

曇天・雨天の状況が続きライトを点けての作業でしたので奥・細部が未了です。
左第一覗き穴蓋に刻印がありそうですが明日確認します。

2013/11/12
 昨日は左シリンダー被の仕上げで下部の両シリンダー排水弁・蒸気室排水弁・排水弁開閉棒までケレンし午前中で作業を終了しました。本日は左

蒸気室前蓋・尻棒案内各部位・除雪スカート内側・前端梁内側・シャーシー先頭部外側・ブレーキ管・コック・第一先輪(軸ツバ・スポーク)をケレンしま

した。蒸気室前蓋にはLD51-243の刻印がありましたが、右蒸気室前蓋の結果で判断したいと思います。尻棒案内の尻棒支えにはE-442の刻印、

第一先輪には(NH)シ45-Zの刻印がありました。シリンダー被の空気弁と両覗き穴蓋には結局刻印はありませんでした。またブレーキ管のコックは

珍しく溶接されておらず、油を吹き付けるとスムーズに開閉しました。前端梁の内側や蒸気室前蓋・尻棒案内部の内側には長年の走行による飛抹し

た細砂と油の固形物が凝固しており、室蘭本線あるいは東北本線での運用時のものかとも思われる。

2013/11/14
 11/12夕刻、地元のTV愛媛朝日放送で本機の整備の事が放送されました。継続的に取材するとの事でしたので地元の方々に知っていただく機会が

増え有り難い事です。昨日は左シリンダー被下部の内側をケレンしましたが、内側上部には凝固した粘質土がかなり付着しており除去に時間を費やしま

した。右シリンダー被下部と比較するとその量は2倍程でした。左シリンダー被下部の蒸気室弁からの銅細管が欠損しているのが原因かもしれません。

(静態保存後に欠損した可能性もあり)続いて右シリンダー被のケレンをしました。左右の開閉棒は上下に僅かに動きますので後日溶接個所を外し可動

を試みます。左蒸気室前蓋基部にLD51243の刻印がありますが、右蒸気室弁心棒覆いにD51・・の刻印がある事が解っていましたので、研磨して確

認しましたが、全く別の刻印が現れました。右は下3ケタが打ち消されており残存文字からD51?67の可能性が高いと思われます。
D51243号機

1974年に長門機関区で廃車ですが、1939年に大宮機関区に配属され1944年まで所属していました。それ以後は中国地方で稼働しており、1939年

以降に本機が高崎機関区に配属されている間に大宮工場で転用された可能性が高いと思われます。右D51?67から車歴で確認する限り
D51-367

・467
の両機の可能性が考えられます。

 本日は右尻棒案内~蒸気室前蓋~前端梁内側を研磨し始めましたが明日へ残りました。隣が児童館なので小さいお子さんを連れたヤングママに「TV

見ました。頑張ってください。応援してます。」と言われました
整備に励みが出ます!。

21013/11/16
 昨日は右尻棒案内部・前端梁等をケレンし、左右の第一先輪を磨きだし実験として保護剤のアクリル樹脂を塗って見ました。次に運転室左右の明かり

とりの丸窓はガラスを欠いていますので、溶接の為外側の枠の止めボルトを切断し枠を外しました。本格的に缶の付随部位をケレンする事にしています

が、基本的に塗装の剥脱・剥離・亀裂箇所は地肌まで研磨し、以上の無い何所は表面を研磨し上塗りする事にしました。煙突~缶逆止バルブ~砂箱~

右汽笛までの通風管・缶摑み棒をケレンしました。運転室の火室焚口呂は前回できていませんでしたが、やっと全開できましたので改めて火格子・煙管

を確認しました。やはり最後の運転時の石炭カスが点在しており、煙管も清掃されないままの状態でした。運転室は作業行程では1月に予定しています

が、ケレンする必要性があり寒い時期に高圧洗浄機を使うより、少しでも暖かいうちにと予定を変更し洗浄を実施しました。もう一度実施してグラインダー

での処理を軽減したいと思います。本日はこれまでケレンした箇所に錆止めを塗布しました。まるで別の機関車の表情になりました。

2013/11/18
 昨日は運転室内の高圧洗浄を引き続き行いました。かなりの箇所の塗装を剥ぎ落とす事ができましたので、1月からの作業がスムーズに行えるか

と思います。今日は左右の缶摑み棒・繰出管・連結管・通風管・電気配管等をケレンしました。

2013/11/20
 昨日は銅配管以外の、ケレン済みの缶上部・左右の配管に錆止めを塗りました。急に寒さが襲来し日中でも7度で四国最高峰の石鎚山に連なる

西条市の山々も雪景色でした。四国としての積雪は例年より早く、早めに運転室を高圧洗浄したのが正解でした。今日は運転室前両入口部をケレン

し錆止めを塗りました。

2013/11/22
 昨日は前照灯・副灯錆止めを塗り、運転室左サイドをケレンし入口ドア窓の鉄格子を切断し正常な状態に戻しました。ガスバーナーで塗装を除去して

いると、札差の下部に42-5・苗穂工の文字が出てきました。さらに4の下に3、5の下に4の文字が判読できました。本機が小樽築港機関区に配属

された昭和33年以降に苗穂工場で整備、さらに昭和42年5月に整備されていた事が解ります。右側で再確認したいと思います。塗装も部分的に3層

存在しており整備の状況を裏付けるものかと思われます。これも珍しいので削らずにそのまま保護剤を塗る事にしました。前面・側面・ドアの各下部に

は腐食による穴が開いていましたのでパテで応急に塞ぎました。仕上げは後日します。

 本日は運転室右側をケレンしました。問題の全検表示文字ですがやはり札差の下にありました。残念ながら文字は5と工が明確に現れましたが他は

不鮮明でした。しかし左右で明確に42-5・苗穂工である事が明確になりました。またATS装着を示すSの文字がありました。また、プレートの下に本

来は名板で表示されるのですが、何故かペイントで重量換算積11.5 空8.0と記されていました。S文字とこれを残すかは後日判断したいと思います。

左ドア窓を保護していた鉄格子を除去し正常な状態に戻し、ドア下部と前下の穴をパテで塞ぎました。

2013/11/24
 昨日は運転室天井左側と右側のケレンできました。北九州市の入江氏が遠路はるばる来訪され、ケレンを手伝っていただきました。

本日は残りの運転室天窓部をケレンし、運転室左右・天井部に錆止めを塗りました。左札差下の苗穂工場の全検文字と右札差下のSマークを現状

の状態で残す事にしました。

2013/11/26
 昨日は運転室後部屋根と天窓を開いた状態でケレンし、後部壁を研磨しました。さらに逆転棒・左白マーカーライン・ブレーキ管をケレンしました。

逆転棒の基部に本機の刻印がありました。また新発見です。本日は右白マーカラインをケレンし、昨日の部位と併せて錆止め剤を塗りました。

2013/11/28
 昨日からランボード下部・缶下部・シャーシーのケレン作業に入りました。前端梁の所でかなり粘質の粉塵がありましたので予想はしていましたが、

クロスヘッド上部からもぐりこみますと正に37年前の走行していた当時のままであり厚みが1cm程ありました。、頑強な粘質の堆積土を除去しながら、

長万部~岩見沢間(室蘭支線を含む)を疾走していた本機を想像してみました。心配していた缶のカバー下部も腐食も無く軽い錆程度でした。さすが

に第二先輪の両油壷までは溶接されておりませんでした。狭い場所ですので整備道具を振り回す余地が少なく、限られた部位しかケレンできないと

は思いますが、手の届く範囲で整備したいと思います。弁心棒案内の2か所に本機の刻印がありました。

 本日は終日第二先輪の軸に座り上下左右のケレンをしましたが、排気膨張室の扉下部や本体とシャーシを結ぶナット付近は凝固した油煙含みの土

の固さが半端ではなく、スクレーパーでは歯が立たず木工用の鑿で削り取りました。排機膨張室・缶カバー下部・左弁心棒案内の内側が完了したぐら

いで、明日に持ち越しました。右第二先輪の軸油壷の蓋を取ると内部に潤滑油が僅かながら残存していました。潜り込まないと見られない排水弁作用

シリンダーも一応磨いておきました。

2013/11/29
 本日は、明日横浜で静態保存されているC56-139号機の掃除会がありますので参加する為に、午前中で作業を終了しました。C56-139号機は

元鉄道学園にあった機体で「横浜ポニークラブ」の方々が長年整備に携わられ、動態状態までにされた機体ですので44号機の整備の向学の為に見

学をさせて頂きたいとお願いしておりましたら、許可をいただきましたので土・日をお休みにします。12/2から作業を再開したしますのでC57-44号

機整備記録3でご覧ください。

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