「SL整備記録 NO-16 大山正風」
48650号機整備状況 NO-2
* 2015/10/19
10/17は到着後、先ずテンダー右第一従輪担バネ部のケレンをしました。W氏到着後二人で塗装作業開始、W氏は運転室天井部の塗装、私は台枠内
部の前端梁裏から~先輪~シリンダー被内部~第一動輪部~第二動輪部~第三動輪部までの第一次黒塗り作業をしました。終日狭い空間でほぼ仰向
けで作業をしましたので、首・肩の痛みとシンナーの臭いに悩まされた一日でした。
10/18は引き続き運転室下部~ブレーキシリンダー~右先輪~シリンダー被~第一・第二・第三動輪部~運転室下部~後端梁までの塗装作業、W氏
は運転室右前扉・側面~ランボードの塗装作業をしました。今本さんが来られテンダー右側面のケレン作業、午後からはW氏も参加し右側面はケレン終
了しました。薄い塗装ですので思いのほか作業が進みました。テンダー右後端部との曲面に刻印がありました。修理・継ぎはぎ鋼板に刻印があるのも珍し
く刻印は部品番号かと思われます。夕刻に中国新聞社の記者さんが久しぶりに来られました。11月の保存会としてのイベントについてW氏とともに説明を
しておきました。参加型で操作系統機器に触れたり、ケレン作業をする楽しいイベントを企画しております。まだ確定ではありませんが以下の内容を予定し
ております。(逆転ハンドルの操作・ブレーキ弁の操作<実際に操作音>・汽笛鳴らし・タービン・ATS両発電機の作動・主灯・後灯・標識灯のスイッチによ
る点灯・ATS受信器操作<警報音>・煙室扉開閉・できれば煙を出したいと考えております。)
次回は2015/10/26の予定です。
* 2015/10/26
10/24は到着後テンダー右側面を後部からケレン開始、やはり右側面も一部を除いて塗装は一層のみでありサンダーによるケレンを作業を終日行い、
最後にテンダー石炭庫と給水部を高圧洗浄して作業終了。W氏はデフレクタ―内側周辺の穴をアルミパテで修復作業。
10/25私はテンダー右側面の錆止め剤塗布、W氏は右側面を塗布。多木氏が来られ、回転窓のモ―タ―のブラシ部を新しく入手調整され、可動可能
な状態になりました。運転室内の全ての電気系統の整備は多木氏の御助力によるもので、スイッチ操作板で前燈・標識灯、後燈・標識灯、室内灯が点灯
し、ATS受信ランプ点灯、同警報音・ブザーが鳴り、今回回転窓が高速回転します。これで11/22のイベントは逆転ハンドル・ブレーキ操作・タービン・AT
S両発電機作動・汽笛音と楽しんで頂けるようになりました。
最後にテンダー台枠内部を後部からケレンを開始し第三従輪部付近を取りかかりました。さてテンダー左右側面をケレンした段階で左19箇所・右8箇
所の鉄板修復した箇所が確認できました。左右の側面の状態が違う事もそうですが、これだけ多くの修理箇所があるテンダーは全国的にも珍しいので
はないでしょうか、私は全国の470両近くの動・静態蒸気機関車を撮影しておりますが、その殆どのテンダーは奇麗な側面でした。いかにこのテンダー
が長く使用された証拠ではないでしょうか。また各軸ツバを磨き出しますと第一従輪左軸ツバR3 58646にはGT(後藤工場)シ16の点検刻印がありま
した。また第一~第三従輪の左右担バネ胴締にはHS 42 5と8の最後の点検刻印が残されてました。また、本体先輪・動輪に比較してテンダー従輪の
タイヤは長期の使用によりすり減った状態で今後の整備で装着年が解るかもしれません。 回転窓の作動状況を併せて紹介します。
次回は2015/11/1の予定です。
*2015/11/4
11/1~3間連続で整備にあたりました。1日はW氏は31日に引き続きテンダー石炭庫のケレン作業です。もうもうたる粉塵が舞いあがりますので運転
室入口部をブルーシートで遮断しての作業です。私はいよいよテンダー台枠部のケレン作業に入ります。風向きを考慮して後部の自動連結器下部~第三
従輪~第二~第一と進めたいと思います。本体の台枠内部よりは若干高さがありますがやはり窮屈な姿勢での作業になります。
テンダーの作業において最大の関心事は台枠内に本機(48650)の刻印が存在するかです。確かにテンダー後部に48650のプレートは存在しますが、
左右の第一~第三に従輪軸ツバは全て他機の番号である事は既に述べておりますが、その事を踏まえてケレン作業を行いたいと思います。
ケレン開始早々に第三従輪左制輪子釣り後端面にL1 69613の刻印がありました。69613号機は所謂96型機であり、1974年に後藤寺機関区で
廃車になっております。本機は1971年の廃車ですから転用は当然それ以前ですが、本機との接点は全くありませんし69613号機は九州から他管内に
出た記録はありません。制輪子にはKK 甲24の押型印がありました。またスポーク内側には住友マーク11・3(昭和11年3月)と1275Uの刻印があり
ました。本体の先輪が昭和32年製ですから、さらに古い製造記録になります。輪体内側には2T 14の刻印がありました。右制輪子釣り後端面は数字らし
き文字が薄く存在しますが判読不能です。制輪子にはやはりKK 甲24があります。スポーク内側にはやはり住友マーク11・3とA128Uの刻印、また輪
体内側には2T 13の刻印がありました。
左右第二~第三担バネ間のイコライザーの外側には刻印はありませんでしたが、左の内側前部にはR78628の刻印がありました。78628号機は19
50年に人吉機関区で廃車になっており本機との接点は全くありません。廃車後どこかで転用されたものと思われます。右の内側後部には58645の刻印
がありました。58645号機は1963年に吉松機関区で廃車になっておりますが、これまた本機との接点はありませんし両機とも九州管内のみの運用でし
たので、どこで転用されたのかは不明です。
また、ケレンの途中ですが第二従輪左制輪子釣り後端面にはL3 48621の刻印があります。48621号機は1963年に小郡機関区で廃車になってお
りますので、これは廃車後に広島工場で転用されたのでしょう。ブレーキ引棒頭にはHS 38.9.17の作業刻印が残っていました。今後作業が進めばさら
に刻印が確認されると思いますが、現時点では48650号機の刻印は見当たりません。 次回は2015/11/9日の予定です。
* テンダーの転用部品の刻印関係がほぼ判明しつつありますので改めて一覧いたします。順次追加いたします。2015/12/15時点
号機 部位 廃車年・機関区 備考
18971号機 右 第二従輪軸箱下梁 1958・鹿児島 改番 C51-72号機
38920号機 左 第二従輪軸箱下梁 1963・早岐 改番 C51-221号機
38635号機 右 第二従輪軸箱横梁 1968・弘前 1920~45大分機関区所属
38681号機 左 第二従輪軸ツバ 1971・鳥栖 L2 9-5 6496 7・3・T
38681号機 右 第二従輪軸ツバ 1971・鳥栖 R2
48621号機 左右 第二従輪制輪子釣り後端部 1963・小郡
58645号機 左 第一従輪軸ツバ 1963・吉松 R3 10-9 17910 シ16.10.9
58645号機 右 第一従輪軸ツバ 1963・吉松 L3 10-9 17910
58667号機 左 第三従輪軸ツバ 1960・三次 L3 11-6 22356 シ27-5(HS)80T
58667号機 右 第三従輪軸ツバ 1960・三次 R1 11-6 22356
68645号機 右 担バネ間イコライザー内側 1963・吉松
78628号機 左 担バネ間イコライザー内側 1950・人吉
88651号機 左 第二従輪軸箱横梁 1970・五能線管理所 1955~1970三次機関区所属
9694号機 右 第一従輪制輪子釣り後端部 1960・後藤寺
19633号機 右 第二従輪軸箱横梁 1973・若松
69613号機 左 第三従輪制輪釣り後端部 1974・後藤寺
C5044号機 右 第三従輪軸箱 1960・行橋
さらに数箇所に86・96の判読不能の刻印がありますが、現時点では48650の刻印はありません。
* テンダーの台枠前部を残していますが、ケレンの結果本機に残されている刻印の全容が大体明らかになりましたので、一覧表で紹介いたします。
今後発見され次第追加記入いたします。 赤文字は他機の番号です。2015/12/15日時点
部 位 | 刻 印 | 備 考 |
前 自動連結器 ナックル | シ32-2 E12538 | |
前哨灯 (白光舎工業KK) | LP405 Z01-39 41.7 | シールド |
左 先輪 | 9386 | 製品番号 |
左 先輪タイヤ | 住友ロゴ ワN72129 シ32-12 | |
左 先輪スポーク | 住友ロゴ 9.3 | |
左 先輪軸ツバ | 9-3 28699 90158 | 廃1967・和歌山 |
左 先輪軸箱守控 | L 48650 | |
左 先輪担バネバネ受け | L 48650 | |
左 シリンダー後扉 | L 48650 | |
左 排水弁開閉棒作用腕 | L 48650 | |
左 結びリンク | L 48650 | |
左 クロスヘッド ソケット | L HS 48650 | 広島工場 |
左 クロスヘッド コッター | L 48650 | |
左 クロスヘッド クランク | L 48650 | |
左 クロスヘッド クランク | L 18622 元印 | 廃・1960岡山 |
左 クロスヘッド菊座ナット | L 48650 | |
左 心向棒 | L 78692 | 廃・1959遠江二俣 |
左 心向棒 | L 48650 | |
左 合併テコ | L 48650 | |
左 合併テコ | L 78694 | 廃・1961三次 |
左 偏心棒 | L 48650 | |
左 釣りリンク外 | L 48650 | |
左 釣りリンク内 | L 48650 | |
左 加減リンク | L 48650 | |
左 加減リンク滑り子 | 38? 9 | |
左 リターンクランク | L 48650 | |
左 リターンクランク | R 88636 元印 | 廃・1965芸備管 |
左 メインロッド | 16 5 | 昭和16 5? |
左 第一サイドロッド | HM 34 10 8620 1L 128 | 浜松工場 |
左 第一サイドロッド | HS,35,8.17 | 広島工場 |
左 第一サイドロッド油壷(右) | L 48650 | |
左 第一動輪タイヤ | W9198 D シ44-6 T144 HSシ45-8 | 広工・46.3に廃車 |
左 第一動輪軸ツバ | L1 78632 8854 | 廃・1961鳥取 |
左 第一動輪制輪子釣り | L? 486?? | |
左 第一動輪軸箱 | L1 48650 | |
左 第一動輪軸箱守控 | L1 48650 | |
左 第一動輪軸箱クサビ | L 48650 | |
左 第一動輪担バネ胴締外 | C869 TT 42 6 Z | 鷹取工場 |
左 第一動輪担バネ胴締内 | 0 8586 TT 42.6 | 鷹取工場 |
左 第二動輪タイヤ | W9198 D シ44-6 T144 HSシ45-8 | 広工・46.3に廃車 |
左 第二動輪軸ツバ | シ31-7 住61538-18 | |
左 第二動輪制輪子釣り | L2 78654 | 廃・1948米子 |
左 第二動輪軸箱 | L2 48650 | |
左 第二動輪軸箱守控 | L2 48650 | |
左 第二動輪軸箱クサビ | L 48650 | |
左 第二動輪担バネ胴締外 | C58 GT38-5 39-5 40-5 | 後藤工場 |
左 第二動輪担バネ胴締内 | 1 48 TT 42-12 | 鷹取工場 |
左 第二サイドロッド右油壷 | L 48650 | |
左 第三動輪タイヤ | W9198 D シ44-6 T144 HSシ45-8 | 広工・46.3に廃車 |
左 第三動輪軸ツバ | シ.27.5{kk}L3 | 小倉工場 |
左 第三動輪軸箱 | L3 48650 | |
左 第三動輪軸箱守控 | L3 48650 | |
左 第三動輪軸箱クサビ | L3 48650 | |
左 第三動輪担バネ胴締外 | ||
左 第三動輪担バネ胴締内 | HS 42 8 | 広島工場 |
左 ブレーキシリンダー | 三菱マーク 254X250 | |
左 逆転棒 軸受け | 38625 | 廃・1959厚狭 |
左 コンプレッサー | TT 111 | |
同 プレート 広工NO 842 | 42-7-1 43-5-7 44-5-9 44-8-11 45-8-12 | |
左 調圧器 | 広工 NO 657 | |
左 第一空気溜 | 34 ?? HS | 白文字 |
ATS発電機プレート | 8201 ・9.3 | |
左 分配弁 | 6549 KY198 | |
部 位 | 刻 印 | 備 考 |
右 先輪 スポーク | 住友ロゴ 9.3 | |
右 先輪タイヤ | 住友ロゴ ワN72129 シ32-12 | |
右 先輪軸ツバ | 9-3 28699 90158 | 廃1960・津山 |
右 先輪軸箱守控 | R 48650 | |
右 先輪担バネ胴締内側 | HS 42 8 180 T?3?6 TT35-3 | 鷹取・広島工場 |
右 先輪担バネバネ受け | R 48650 | |
右 シリンダー被第一覗穴蓋 | L 68697 | 廃・1970下関 |
右 尻棒案内上部 | R 48650 | |
右 尻棒案内油壷 | プレート45 48650 | |
右 排水弁開閉棒作用腕 | R 8667 | 廃・1956下関 |
右 排水弁開閉棒 | 48650 | 逆さ刻印 |
右 結びリンク | R 48650 | |
右 結びリンク 裏面 | H.S.30.10 | 広島工場 |
右 クロスヘッド ソケット | R HS 48650 | 広島工場 |
右 クロスヘッド クランク | R 48650 | |
右 クロスヘッド菊座ナット | R 48650 | |
右 心向棒 | R 48650 | |
右 心向棒 | R 48650 | |
右 合併テコ | R 48650 | |
右 合併テコ | R 78694 元印 | 廃・1961三次 |
右 偏心棒 | R 48650 | |
右 釣りリンク外 | R 48650 | |
右 釣りリンク内 | R 48650 | |
右 加減リンク側板 | R 48650 | |
右 加減リンク滑り子 | 48650 | |
右 リターンクランク | R 48650 | |
右 リターンクランク | R 48627 元印 | 廃・1966吉塚 |
右 リターンクランク 軸ツバ | 検 シ32-9(HS) | 広島工場 |
右 ビッグエンド 油壷 | R 48650 | |
右 メインロッド | 7 3 186 | 昭和7 3? |
右 第一サイドロッド | HM 29 5 86220RT | 浜松工場 |
右 第一サイドロッド | HS,30,2,4 | 広島工場 |
右 第一サイドロッド油壷(右) | R 8623 | |
右 第一動輪タイヤ | W9198 D シ44-6 T144 HSシ45-8 | 広工・46.3に廃車 |
右 第一動輪軸箱 | R1 48650 | |
右 第一動輪軸箱守控 | R1 48650 | |
右 第一動輪軸箱クサビ | R 48650 | |
右 第一動輪担バネ胴締外 | ||
右 第一動輪担バネ胴締内 | HS 42-8 | 広島工場 |
右 第一動輪軸ツバ | R1 78632 | 廃・1961鳥取 |
右 第二動輪タイヤ | W9198 D シ44-6 T144 HSシ45-8 | 広工・46.3に廃車 |
右 第二動輪軸ツバ | 検シ32-9(HS)111 | 広島工場 |
右 第二動輪制輪子釣り | R? 68693 | 廃・1966芸備管 |
右 第二動輪軸箱 | R2 48650 | |
右 第二動輪軸箱守控 | R2 48650 | |
右 第二動輪軸箱クサビ | R 48650 | |
右 第二動輪担バネ胴締外 | ||
右 第二動輪担バネ胴締内 | 0 31016 TT 42 12 | 鷹取工場 |
右 第二サイドロッド油壷 (左) | R 48650 | |
右 第三動輪タイヤ | W9198 D シ44-6 T144 HSシ45-8 | 広工・46.3に廃車 |
右 第三動輪軸ツバ | ||
右 第三動輪クランク(速度) | L 48650 | |
右 第三動輪制輪子釣り | R2 48628 | 廃・1965芸備管 |
右 第三動輪軸箱 | R3 48650 | |
右 第三動輪軸箱守控 | R3 48650 | |
右 第三動輪軸箱クサビ | R3 ?8650 | |
右 第三動輪担バネ胴締外 | ||
右 第三動輪担バネ胴締内 | C52 C42 HS34 1 35-12 38-2 | 広島工場 |
右 ブレーキシリンダー | 254X250 | |
右 油ポンプ扉内 | 37 9 25 丙 | 白文字 |
右 第二空気溜 | 34? ?? HS | 白文字 |
部 位 | 刻 印 | 備 考 |
運転室内 火格子揺り棒 | 五八六六七 漢数字 | 廃・1960三次 |
運転室内 左 水面計外枠 | L 48650 | |
運転室内 右 水面計外枠 | R 48650 | |
運転室内 ブレーキ制動筒 | HE6 40 8 0M 65880 | |
運転室内 ATS確認ボタン | Y120456 39 11 日本信号KK | |
運転室内 ATS表示機 | Y68069 39 9 日本信号KK | |
運転室内 ATS警報機 | Y151712 4? 1 日本信号KK | 209A型 |
運転室内 ATS復帰スイッチ | Y1204641 39 12 日本信号KK | |
運転室内 SH押スイッチ | 7875 26 7 小糸製作所 | |
運転室内 SH押スイッチ | 5901 40 3 三信電気製作所 | 切替スイッチ |
運転室内 警報機 | 227893 44 2 京三製作所 | BZ21形 |
運転室下部後端梁 ATSプレート | Y67701 昭和39 9 日本信号株式会社 | ATS S型接続箱 |
部 位 | 刻 印 | 備 考 |
テンダー前端 ATS プレート | Y118487 昭和39 11日本信号株式会社 | ATS S型接続箱 |
テンダー左 標識灯プレート | 形式A05 製作年月 28.5 | 小糸製作所 |
テンダー左第一従輪担バネ胴締 | HS 42 5 ?489 | 広島工場 |
テンダー左第一従輪軸箱蓋 | L1 48650 | 黄色筆書き |
テンダー左第一従輪軸ツバ | R3 58645 10-9 GTシ.16.10.9 | 廃・1963吉松 |
テンダー左第一従輪制輪子釣後端 | L2 ?868? | |
テンダー左第一従輪制輪子 | KK 甲24 | 小倉工場 |
テンダー左第二従輪担バネ胴締 | HS 42 8 HS?? | 広島工場 |
テンダー左第二従輪担バネ胴締頭 | 水 C20 HS 28-6 水の意味? | 広島工場 |
テンダー左第二従輪軸箱蓋 | L2 48650 | 黄色筆書き |
テンダー左第二従輪軸箱蓋横梁 | 8865? おそらく88650 | 廃・1966鳥栖 |
テンダー左第二従輪軸箱蓋下梁 | L2 38920 改番後C51-221 | 廃・1963早岐 |
テンダー左第二従輪軸ツバ | L2 38681 9-5 6496 7.3.T | 廃・1971鳥栖 |
テンダー左第二従輪制輪子釣後端 | L3 48621 | 廃・1963小郡 |
テンダー左第二従輪制輪子 | KK 甲24 | |
テンダー左第三従輪担バネ胴締 | HS 42 8 C75 HS80-3 | 広島工場 |
テンダー左第三従輪軸箱蓋 | L3 48650 アクリル処理 | 黄色筆書き |
テンダー左第三従輪軸ツバ | L3 58667 11-6 シ27-5(HS)80T検 | 廃・1960三次 |
テンダー左第三従輪制輪子釣後端 | L1 69613 96型 | 廃・1974後藤寺 |
テンダー左第三従輪制輪子 | KK 甲24 | 小倉工場 |
テンダー左第三従輪スポーク内側 | 住友ロゴ 11.3 | |
テンダー左第三従輪スポーク内側 | 1275U | |
テンダー左第三従輪・輪体 | 2T 14 | |
テンダー左担バネ間イコライザー内 | R 78628 | 廃・1950人吉 |
テンダー右第一従輪担バネ胴締 | HS 42 8 C155 | 広島工場 |
テンダー右第一従輪軸箱蓋 | R1 48650 | 黄色筆書き |
テンダー右第一従輪軸ツバ | R3 58645 10 9 S 17910 | 廃・1963吉松 |
テンダー右第一従輪制輪子釣後端 | 9694 96型 | 廃・1960後藤寺 |
テンダー右第一従輪制輪子 | KK 甲24 | 小倉工場 |
テンダー右第二従輪担バネ胴締 | TT42 6 C220 | 鷹取工場 |
テンダー右第二従輪軸箱蓋 | R2 48650 | 黄色筆書き |
テンダー右第二従輪軸箱下梁 | R4 18971 改番後C51-72 | 廃・1958鹿児島 |
テンダー右第二従輪軸箱横梁 | 38635 1920~45大分機関区所属 | 廃・1968弘前 |
テンダー右第二従輪軸箱横梁 | 19633 | 廃・1973若松 |
テンダー右第二従輪軸ツバ | R2 38681 77 T | 廃・1971鳥栖 |
テンダー右第二従輪制輪子釣後端 | R1 48621 | 廃・1963小郡 |
テンダー右第二従輪制輪子 | KK 甲24 | 小倉工場 |
テンダー右第三従輪担バネ胴締 | HS 42 8 | 広島工場 |
テンダー右第三従輪軸箱蓋 | R3 48650 アクリル処理 | 黄色筆書き |
テンダー右第三従輪軸ツバ | R1 58667 11-6シ27-5(HS)80T検 | 廃・1960三次 |
テンダー右第三従輪軸箱上部 | L1 C50 44 1960・10・15廃車 | 廃・1960行橋 |
テンダー右第三従輪スポーク内側 | 住友ロゴ 11.3 | |
テンダー右第三従輪スポーク内側 | A128U | |
テンダー右第三従輪・輪体 | 2T 13 | |
テンダー右第三従輪制輪子釣後端 | R2 8?6 | |
テンダー右第三従輪制輪子 | KK 甲24 | 小倉工場 |
テンダー右担バネ間イコライザー内 | L?58645 | 廃・1963吉松 |
テンダーブレーキ引棒後部左 | HS 38.9.17重要意味のある刻印 | 1963・広島工場 |
テンダーブレーキ引棒後部右 | HS.38.9.17重要意味のある刻印 | 1963・広島工場 |
テンダー右後部局面(修理部) | S 8374 L2933 | 部品番号? |
この結果、本機に残された刻印から最も古い年代と考えられるのは、先輪左右軸ツバの9-3が大正9年3月を示すのなら最古となります。次がテンダ
ー左右第三従輪スポークに残された11.3が大正11年3月になります。(両者とも昭和かもしれませんが)最も新しい年号が左右第一~第三動輪タイヤに
残されたHSシ45-8で広島工場昭和45年8月を示します。本機は昭和46年3月に廃車となっていますので、このタイヤは僅か7ヶ月走行しただけの新
品のタイヤのまま廃車になった事になります。(タイヤの分厚さがそれを証明しております。)
次に工場マークですが当然本機は広島工場の管轄下ですからHS(広島工場)が最も多く認められますが、他にはTT(鷹取工場)・GT(後藤工場)・KK
(小倉工場)・HM(浜松工場)があります。しかし刻印の年号時に本機はこの工場管轄下の機関区に所属した記録はありませんので、工場間の部品のや
り取りが十分に考えられます。本機が名古屋管内に在籍していたのも1933年までですので、HM29.5は該当しません。しかし左第三動輪軸ツバのKK
シ27.5に関しては本機が下関機関区に配属されていましたから、テンダーに残る多くの他機の番号は九州在籍の86・96達ですので、何かの事情で小倉
工場での点検整備があったのではないかという疑問は残ります。
* 2015/11/09
07日、早朝に到着し整備の準備をしていると堺市の竹内氏来訪、昨年9月の厚狭300以来の再会で48650号機の事や整備の話でしばらく歓談、そ
の後北九州市の入江氏も到着し早速手伝って頂く事になりました。お二人はテンダー下部右台枠外側を担当・W氏は引き続き石炭庫内・私は相変わらず
テンダー台枠内と分担、上から中から外からケレンの音で賑やかでした。幸い近隣の方々はお出掛でしたので遠慮なく音が出せ作業が進みました。お二
人のお蔭で右サイドは完全なケレン状態になりました。また、竹内氏が右第三従輪軸箱で貴重な決定的な刻印を見つけていただき、私の仮説は実証の
方向が見えて来ました。その夜は「三次SL保存会」の小畠氏も加わり、48650の整備や今後のあり方・各地の情報交換等で時間の経過を忘れて楽しい
ひと時を過ごしました。
08日、竹内氏は若狭鉄道へ、W氏は本日は長男の家庭サービス日、入江氏と二人でケレン作業継続、一日雨模様でしたが無事作業終了。台枠内から
も新しく刻印が確認できました。刻印一覧表に追加しておきましたが。左右第一~第三従輪制輪子には全て、kk(小倉)甲24の打ち出し刻印が認められ
ました。各制輪子釣後端部に関しては、左第一にはL2 ?868? 右第一には9694が、左第二にはL3 48621 右第二にはR1 48621が、左第
三にはL1 69613 右第三にはR2 8?6?3がありましたが、刻印が薄く写真でも判読できない数字があり?は確定出来ないものです。9694号機は
1960年に後藤寺機関区で廃車、48621号機は1963年に小郡機関区で廃車、69613号機は1974年に後藤寺機関区で廃車になっています。右第三
従輪軸箱上部に竹内氏がC5044の刻印を検出しました。C5044号機は1960年に行橋機関区で廃車になっています。
ここでテンダーの刻印から考えられる事を整理しますと。最初の基準がイコライザー左の78628で78628号機は1950年に人吉機関区で廃車になり
それを転用していますので1950年以降の作業であり、最後の基準が左第三制輪子釣後端部の69613で69613号機は1974年に後藤寺機関区廃車
です。本機は1971年の廃車ですから、廃車時の転用はあり得ない事で有ります。
9694号機は1933年以降、また69613号機・C5044号機・38681号機・58645号機・78628号機は一度も九州管内から外へは配属されていませ
んから、広島工場での転用作業は先ずあり得ない事になり、各号機が九州に配属されている間の転用になります。これらの部品を広島工場が集める事は
物理的にも不可能かと思いますし、それが出来る工場は小倉工場と云う事になります。
先述の本機が下関機関区に配属された1949年~1965年間に全検か修理を小倉工場でしたのでは無いかという疑問の答えが出そうです。38681号
機は1955年に吉松機関区所属・58645は西唐津機関区所属・69613は直方機関区に所属しており9694は1960年2月に後藤寺機関区・C5044も
1960年10月15日に行橋機関区で廃車になっています。制輪子全てにkk甲24がある事やテンダーブレーキ引棒の左右にHS 38.9.17(1963年)
の整備点検日付けが残されている事から、1960年10月以降~1963年9月以前の頃に小倉工場で少なくともテンダー台枠は様々な部品を寄せ集めて、
修理と云うよりは製造・作り直した可能性が高いと思われます。それは台枠の第一従輪部の所で溶接され繋ぎ合わされている事やテンダー後部のブレーキ
ホース四点保持のスタイルも九州の86・96の共通点でもあり、本体先頭部の右片方の解放テコも九州型の特色であり、これらを考え併せると48650号機
は多分に九州の影響(小倉工場の造作)を受けていると判断されます。文面では解り難いかと思いますので、下記の転用部位の一覧表をご覧いただければ
テンダー台枠に関する疑問が明らかになるかと思います。台枠の繋ぎ合わせに関しては次回に触れたいと思います。 次回は2015/11/16日の予定です。
* 転用部位一覧表
番号 | 本体部位 | 廃車年・機関区 | 転用の経緯 整備工場 |
8623 | 右 第一サイドロッド油壷 | 1959・三次 | 廃車後転用 |
8667 | 右・排水開閉棒作用腕 | 1956・下関 | 本機が下関機関区配属中に転用 広島工場 |
18622 | 左・クロスヘッドクランク | 1960・岡山 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 広島工場? |
28699 | 左右・先輪軸ツバ | 1967・和歌山 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 広島工場? |
38625 | 左・逆転棒軸受 | 1959・厚狭 | 本機が三次機関区配属後に転用 広島工場 |
48627 | 右・リターンクランク | 1966・吉塚 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 |
48628 | 右・第三制輪子釣 | 1965・芸備管 | 1955三次配属以降か廃車後に転用 広島工場 |
58667 | 運転室・火格子揺り棒 | 1960・三次 | 1955三次配属以降か廃車後に転用 広島工場 |
68693 | 右・第二動輪制輪子釣 | 1966・芸備管 | 1955三次配属以降か廃車後に転用 広島工場 |
68697 | 右・シリンダー被第一覗き穴蓋 | 1970・下関 | 本機が下関機関区配属中に転用 広島工場 |
78632 | 左右・第一動輪軸ツバ | 1961・鳥取 | 廃車後、後藤工場経由か 広島工場 |
78654 | 左・第二動輪制輪子釣 | 1948・米子 | 廃車後、後藤工場経由か 広島工場 |
78692 | 左・心向棒 | 1959・遠江二俣 | 1933福井所属、同年本機金沢所属、 松任工場? |
78694 | 左右・合併テコ・左第一制輪釣 | 1961・三次 | 1955三次配属以降か廃車後に転用 広島工場 |
88636 | 左・リターンクランク | 1965・芸備管 | 1955三次配属以降か廃車後に転用 広島工場 |
番号 | テンダー部位 | 廃車年・機関区 | 転用の経緯 整備工場 |
18971 | 右・第二従輪軸箱・下梁 | 1958・鹿児島 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 改番C51-72 |
38920 | 左・第二従輪軸箱・下梁 | 1963・早岐 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 改番C51-221 |
38635 | 右 第二従輪軸箱横梁 | 1968・弘前 | 1920~1945大分機関区所属 本機との接点無し |
38681 | 左右・第二従輪軸ツバ | 1966・吉松 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 |
48621 | 左右・第二従輪制輪子釣後端 | 1963・小郡 | 1955小郡配属以降か廃車後に転用 広島工場 |
58645 | 左右・第一従輪軸ツバ | 1971・鳥栖 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 |
58645 | 右・担バネ間イコライザー内側 | 1971・鳥栖 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 |
58667 | 左右・第三従輪軸ツバ | 1960・三次 | 1955三次配属以降か廃車後に転用 広島工場 |
78628 | 左・担バネ間イコライザー内側 | 1950・人吉 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 |
88650 | 左・第二従輪軸箱横梁 | 1966・鳥栖 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 |
9694 | 右・第一従輪制輪子釣後端 | 1960・後藤寺 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 1960.2.26廃車 |
19633 | 右・第二従輪軸箱横梁 | 1973・若松 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 |
69613 | 左・第三従輪制輪子釣後端 | 1974・後藤寺 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 |
C5044 | 右・第三従輪軸箱 | 1960・行橋 | 本機との接点が無く転用の経緯は不詳 1960.10.15廃車 |
* 3枚の写真を紹介します。これは右第二従輪部の担バネと軸箱の拡大写真です。第二従輪部の担バネ胴締下部は第一・第二と比較すると滑り子装置
が異なり、横梁(稜)が二枚あります。その面に196?3と反転38635の刻印が微かに読み取れます。これがそのままですと、19603~19693が該当
し23・43・93は陸軍供出されており、残りで九州管内は19633号機のみとなります。19633号機は1955年以降若松機関区に所属し1973年に廃車
後若松駅前で静態保存されています。また38635号機は1920年に大分機関区に配属され1945年まで所属後、竜華~郡山~弘前と転属し1968年に
廃車になっています。この二つの刻印は確定では有りませんが、可能性は高いと考えています。
* 2015/11/16
11/14日は先週入江・竹内両氏がケレンされたテンダー右台枠の錆止め剤を塗る予定でしたが、その後の雨と霧の為に錆が浮いてしまいましたので
再度ケレンと調整仕上げを行い、私は台枠内第一従輪部のケレン作業を終日行いました。清原さんも来られ22日の打ち合わせ等を行い午後には地元
ケーブルTVの取材を受けました。イベント前の20日に放映されるそうで、三次市民の方が一人でも多く訪れられる事を期待しております。
台枠の第一~第三軸箱ですが、その形態が微妙に異なっており、台枠接合の事もありますが小倉工場で寄せ集めの軸箱を使用したと思われます。第二
軸箱下部の稜にはR4 18971の刻印がありました。18971は部品番号と思われますが、問題はR4でして96・D50・D60・D51の右第四動輪軸箱守
控等の部品を使用しているのでは無いかと思われます。
11/15日は引き続き台枠内のケレンでしたが、左右の台枠接合当板の部位は初めてであり、当時の工場の仕様がよく解りました。W氏は右台枠の錆止
め剤塗布・左側面の第一次黒塗装を行い、左公式サイドはテンダー台枠を除き黒塗装になりました。また22日にかけての準備作業を行いました。夕刻中
国新聞社の松本氏が来訪され22日のイベント内容について話をしました。いよいよ22日は「三次SL保存会」主催のイベントで、運転手模擬体験をメイン
にこれまでの整備の成果を見て・触って、体験していただきます。また、旧三次文化会館の正面でHOゲージ等による走行も楽しんでいただきます。芸備線
・福塩線・三江線に関わる86型・C56型・C58型等が運転されます。一人でも多くの方の御来場をお待ちしております。 次回は2015/11/24の予定です。
* テンダー台枠に関して2015/11/9日現在で判明した事を紹介したいと思います。台枠が小倉工場で製作されたのではという疑問点がありましたが
、種々の観点から本機が1921年に汽車製造大阪工場で製造された際のテンダーでは無い事は、台枠の繋ぎ合わせから明白になりました。先ず国鉄工
場の事から触れてまいります。当時の国鉄各工場は北から釧路・苗穂・五稜郭・土崎・盛岡・仙台・郡山・新津・大宮・大井・長野・浜松・松任・名古屋・吹
田・鷹取・後藤・広島・幡生・多度津・小倉・鹿児島がありましたが、これらの工場では管轄内に所属する蒸気機関車の中間検査・定期検査(全検)・簡単
な修理・修繕、部品の交換等を行っており、工場で検査が重なり整備ヤードが一杯の場合は連絡を取り合い近くの他の工場で検査等を行っていたそうで
す。この工場の中でも苗穂・土崎・郡山・大宮・長野・浜松・鷹取・小倉工場は基幹工場として大規模な改造・修理をおこなっていました。小倉工場では19
18年に9600型の29638~29652号機を製造していました。また各基幹工場では1938年~1940年にかけて多くのD51型機を製造しております。
それでは本題に入ります。本機が修理を必要としたのは炭水庫後端・右曲面に50cm×100cm大の修理痕がありS83741・L2933の部品刻印が残
されていました。これは曲面が損壊したので修理した事が伺えます。他の修理箇所(多分水漏れ)とは異なりかなり厚手の鋼板が使用されています。という
事はその下の台枠最後部も損害を受け損傷あるいは歪みを生じて第三従輪辺りまで影響を受けたのでは無いでしょうか、本線走行上の事故記録はありま
せんが、駅構内での後進中に何かが発生した可能性は否定できません。その修理となると管轄の広島工場では扱える状態では無く、中国筋からですと鷹
取工場が管轄になりますが(実際に鷹取を示すTTの刻印は5箇所に存在します。)何らかの事情で小倉工場に送られたのでしょう。
では、損壊・歪んだ台枠を小倉工場はどのように修理(新たに製造)したのでしょうか? 台枠ですが8620型は台枠先端~第一従輪軸までが1.184
cm・第一~第二従輪軸間が1.829cm・第二~第三従輪軸間が1.829cm・第三従輪軸間~台枠後端までが743cmで、全長5.585cmになります。
同時期に製造された9600型機は台枠先端~第一従輪軸までが1.124cmであとは同じ数値ですので全長5.525cmで6cm短い事になり、全体として
は大差はありません。しかし細部の造作に関しては炭水庫を支える梁の位置・第一横梁の止めボルトの数・覗き枠の大きさ(高さが異なる)など異なる形
状が見られます。繋ぎ合わせが炭水庫の関係で決まったのか検証してみました。本機の現炭水庫の長さは5.250cmですので、厳密には86・96のどち
らでも据え付けは可能で石炭取り出し口の長さが自動的に変わる位と判断できます。実際に採寸します台枠先端~第一従輪軸までが1.177cm・第一
~第二間1.829cm・第二~第三間1.829cm・第三~台枠後端まで740cmで全長5.575となり8630型とほぼ同数値になります。台枠先端から
1.535cm・台枠後端から4.040cmの所で溶接繋ぎ合わせが行われています。
次に台枠を詳細に検証しますとまず接合箇所より前部の第一従輪部~台枠先端にかけては小さい枠穴が開けられていますが、これは9600型の大きさ
で、第一受け梁(三角アングル)の止め(リベット)が右側(左サイドは左側)にあるのは第一担バネのバネ釣りとの間隔が狭く、右側に打たざるを得ない訳
であり、この点は9600型を示す重要な要素と思われます。先端~第一従輪軸間1.177cmの数値は8620型に近いのですが、この部位は9600型の
台枠と考えられます。
次に接合部より後部に関してですが、第一横梁の止めボルト数が3個であり、9600型は7個です。また枠穴ですが長さに関しては43.5cnと後部2穴
は43cmで同じですが、高さは8620型は24cm・9600型は30.5cmであり、24cmの数値から8620型台枠、さらに炭水庫を支える第二・第三梁の
位置が8620型を示しており、後部は8620型の台枠と考えられます。接合部の段差5mmも含め実際に多度津の58685号機と八幡浜の79642号機
のテンダー廻りの実寸測定と・形状を確認後、比較対照表を作成し後日最終判断を示したいと思います。
現時点での推定では、小倉工場にも8620型・9600型の全体の台枠が無かった為に、前部3分の1を9600型・後部3分の2を8620型で繋ぎ合わして
製造したと考えられます。このような台枠接合例は他に無いかと思います。小倉工場だからこそ成し得た技術と思います。
* 2015/11/24
11/21日の午前中はテンダー内部第二従輪部のケレンを完了し左スポークに162の浮き彫り番号・右に158の番号を確認しました。これは製品番
号かと思われます。RCC・TV放送福田三次支局長の取材を受けました。遠路静岡より玉井氏来訪、厚狭のD51-300より一年振りの再会で話しが
弾みました。早速ケレン作業を夕刻までしていただきました。私とW・小畠氏は明日の準備作業を行いイベントに必要な物品等を運び入れ作業終了。
C57-44号機用に西条市の加茂川で採取していた川砂も砂ドームに入れました。玉井氏が広島へ行かれるまで整備や情報交換で楽しい一時を得
ました。玉井氏は大型のライブスチームを作成する傍ら、SLの整備や保存活動もされており、他にも多彩な活動をしている方です。
11/22日「三次SL保存会」主催のイベント当日です。早朝から準備に取り掛かりました庄原の清原さん達はHO・Nゲージの走行ステージを準備して
いただきました。小畠さんは受付と総合案内をW氏は多木氏と交代しながら運転室内で(石炭投炭の模擬、石炭と燃え殻・火室の説明、計器類・バルブ
の操作、加減弁テコの操作、ブレーキ弁操作・ATS装置の操作、逆転ハンドルの操作、砂まきレバー操作、汽笛引き棒操作)説明しながら参加者に実
際に操作していただきました。やはり汽笛の操作が一番だったようで、怖々引くとスカ~シュ~と鳴らず、パット引くと86型の心地よい汽笛が鳴り響いて
いました。私は左サイドのシリンダー被の場所で模型を使いながら、蒸気が入りピストンが動く仕組みを説明、横の動きから動輪回転までの仕組みの説
明、逆転ハンドルの操作で可動する心向棒と覗き穴から弁心棒の動きを視認、発車時・砂まきレバー作動で砂ドームから砂が落ちるのを視認、前に移
動し、主灯・標識灯の役割説明、解放テコを使い自動連結器の操作説明、右サイドではピストンとリターンクランクの左との比較、ATS・タービン発電機
の操作、刻印の説明等を行いました。午前10時からの予定でしたが9時には早くも親子連れが来られ説明開始~次々と若い親子連れや親・子・孫の家
族連れ、若者のペア等等、三人とも昼食をとる暇も無く説明と操作に追われ、夕刻までに200人くらいの方が訪れました。盛況でした。成功です。
同じ事の繰り返しですが来られた方々は初めてなのですから、どうしても説明に時間がかかりお待たせしまったケースもあり申し訳なかったと思う次第
です。余興として防災用の白色発煙筒を火室で燃やし、煙室内で吐出管の代りに扇風機で吸い込んで巻き上げ煙突から煙を出しました。これも本当の
石炭の黒い煙では有りませんが、モクモクと8分間上がり好評でした。(3回実施)
HO・Nゲージの走行も子供たちには好評でなかなかステージを離れようとしませんでした。今回はお互いに説明をしていましたので状況を示す写真が
少ないのが心残りでしたが、昨日のRCCのテレビ放送を見たと、三次市三良坂の服部様が本機が文化会館に静態保存される為に三次機関区の扇形
車庫から出た所や尾関山駅でのクレーンでの吊り上げ作業の貴重な写真を保存会に寄贈していただきましたので紹介いたします。
今回の公開イベントでは新たに様々な方々との出会いがありました。もちろん整備に協力していただいている今本さんご夫婦もお子さんを連れて来ら
れ楽しんで頂きました。また岡山からは井倉洞前のD51-838号機を整備されている今川さん(那智勝浦のC58-353号機の整備で御一緒)も来られ、
5年振りの再会でした。一番心に残ったのは「杖を突かれたご高齢の男性」でした。私の拙い説明に何度も何度も大きく頷かれ、頬笑みながら見ておられ
ました。多分国鉄関形の方かと思い、後でWKさんに聞くと「三次機関区で機関士をされておられた方」で本機も運転しておられたとの事でした。、運転席に
座られ「何十年振りかのう」と言われ感慨深く運転室をさまざまと眺められ、ブレーキ弁にも触っておられたとの事でした。説明に追われこの方のお名前を
お伺いできず、誠に失礼いたしました。
私は、SLを知らない若い方や子供達に知って貰うのも大切ですが、お歳を召した方々は実際に蒸気機関車が牽く客車に乗り、その走行音や煙の臭い
やトンネル、汽笛の音は記憶に残っている筈であり、喜びも悲しみも、笑いや怒りも、様々な思いを運んだ蒸気機関車、それを運転しておられた機関士さ
ん・投炭と点検に追われた機関助手さんの思い等等・・・今回の整備で私が一番心に残ったのは、かの機関士さんがお越しになられてご自分が操縦して
いた運転席にお座りになられた事です。これで48650号機を整備した苦労は報われました。まだ整備完了ではありません私の整備人生の大きな励みと
なりました。今回のイベントにはたくさんの方々が来訪され大成功でした。写真パネルもHO・Nゲージも盛況でした。しかし、普段の整備騒音で御近所の
皆様にはご迷惑をおかけしておりますが、本日は少なくとも200回程汽笛を鳴らしてしまいました。ご迷惑をおかけしました事を本誌面をかりてお詫び申
し上げます。ご協力有り難うございました。
11/23日は午前中にテンダー内、第一従輪部の続きをケレンし、台枠繋ぎ目の裏充て板を始めて手で触ってその作りを確認しました。とても丁寧な
造作かと思いましたが、他に例が見当たらないのでどう表現したらよいのか戸惑っております。できれば28・29で第一従輪部を完了させたいと思いま
す。残すはテンダー台枠左側面だけになります。 次回は2015/11/30の予定です。
* テンダーの溶接、繋ぎ合わせに関して様々な後意見が飛び交っているようですので、最終的な判断を示したいと思い、8620型と9600型の比較対照
表を作成しました。48650号機と香川県多度津駅前の68685号機・愛媛県八幡浜市の79642号機を実際に計測し、かつ該当する部位の写真による形
状比較もいたしました。先ず対照表をご覧ください。
86・96部位計測・形状比較表 | |||||
48650 | 58685 | 79642 | 86 | 96 | |
石炭庫・水槽 全長 | 5260cm | 5260cm | 5260cm | ||
石炭庫・水槽 全幅 | 2515cm | 2520cm | 2575cm | ||
石炭庫・水槽 内幅 | 2470cm | 2460cm | 2520cm | ||
左テンダー最前~キャブ璧間 | 86cm | 81cm | 67cm | *80 | *70 |
右テンダー最前~キャブ璧間 | 85.5cm | 81.5cm | 67cm | ||
台枠全長 | 5575cm | 5578cm | 5528cm | 5585cm | 5525cm |
台枠 前端~第一従輪軸 | 1177cm | 1180cm | 1145cm | 1184cm | 1124cm |
台枠 第一従輪~第二従輪 | 1829cm | 1829cm | 1829cm | 1829cm | 1829cm |
台枠 第二従輪~第三従輪 | 1829cm | 1829cm | 1829cm | 1829cm | 1829cm |
台枠 第三従輪~後端 | 740cm | 740cm | 725cm | 743cm | 743cm |
台枠 高さ | 740cm | 740cm | 740cm | ||
台枠 第一枠穴 横×縦 | 17.5×20.5 | 12×19cm | 18×21cm | ||
台枠 第二枠穴 横×縦 | 45.6×24cm | 45.5×24cm | 45.5×30.5cm | ||
台枠 第三枠穴 横×縦 | 43×24cm | 43×24cm | 43×30.5cm | ||
台枠 第四枠穴 横×縦 | 43×24cm | 43×24cm | 43×30.5cm | ||
台枠 第一横梁ボルト | 3個 | 3個 | 7個 | 3個 | 7個 |
台枠 前端~第一底受け梁 | 54.0cm | 45.4cm | 52.3cn | ||
台枠 第一~第二底受け梁 | 136.0cm | 144.5cm | 152.5cm | ||
台枠 第二~第三底受け梁 | 182.0cm | 183.5cm | 181.5cm | ||
台枠 第三底受け梁~後端 | 182.5cm | 181.4cm | 163.5cm | ||
第一~第三 三角受け梁 | 厚み1cm | 厚み1cm | 厚み1cm | ||
第一受け梁 | 右折れ一体L型 | 左折れ一体L型 | 右折れ一体L型 | ||
第一受け梁・リベット数・位置 | 3・3右 | 4・3左 | 4・2右 | 96はバネ釣 | 間の関係で |
第一受け梁・底当て板 | 長方形 | 長方形 | 長方形 | ||
第二受け梁 | 左折れ一体L型 | 左折れ一体L型 | 両側・L型補強 | ||
第二受け梁・リベット数・位置 | 3・3左 | 3・3左 | 4・3両側 | ||
第二受け梁・底当て板 | 異形 | 異形 | 台形 | ||
第三受け梁 | 左折れ一体L型 | 左折れ一体L型 | 両側・L型補強 | ||
第三受け梁・リベット数・位置 | 3・3左 | 3・3左 | 4・3両側 | ||
第三受け梁・底当て板 | 異形 | 異形 | 台形 |
・台枠全長に関して
全長5.575cmを計測しており8620型の基準値より10cm短いですが、炭水庫を載せることへの問題は無いかと思います。逆に8620型より余裕
がある状態です。
・炭水部に関して
全長5.260cmですが、外幅と内幅から8620型の炭水庫と判断しています。なおテンダー前端とキャブ後壁間の測定値に関しては、本機が最長で
ある事も繋ぎ合わせの関係かと思われます。
・台枠繋ぎ合わせに関して
台枠後端から404cmの所で溶接繋ぎ合わせております。裏側にT字型の鋼板を補強に充て、両リベットで固定しています。段差が5mmありますが
作業行程上の範囲と理解しております。補強鋼板に関しては本日の写真でご確認ください。
・台枠長さに関して
台枠後端~第三従輪軸間740cm・第三従輪~第二従輪間1.829cm・第二従輪~第一従輪間1.829cm・第一従輪~台枠前端1.177cmで全
長5.575となり58685号機とは3cmの差異しかありませんが、8620型基準値とは7cmの違いがあります。
・台枠後部(3分の2)に関して
台枠後部が8620型の台枠で有る事は、側面の炭水庫を受ける三角形状の受け梁の形状と取り付け位置の違い、枠に穿たれた枠穴の大きさが異な
る事から判断出来ます。
8620型の第二梁は第二枠穴の中心部の直上に第三梁はイコライザー中心部の直上にあります。完全に9600型とは位置が違います。また枠穴の
幅は同じですが高さは9600型の方が30.5cmと大きく(8620型は24cm)、さらに梁の作り出しがリベット固定部を折り曲げた一体型である(9600
型はL字アングルで両側から補強)事とリベット数が異なります。また、炭水庫底を受ける天板の形状が9600型が台形であるのに対し、8620型は異
形な(底辺46cmから右周りに奥行き24cm・上辺18cm・斜辺36.5cm)形状をしています。このような部位の違いから後部3分の2は8620型の台
枠と判断しております。
・台枠前部(3分の1)に関して
台枠前部の第一従輪軸から台枠前端までの測定値は、1.177cmは8620型の基準値とは7cmの相違・9600型の基準値とは5,3cmの相違であ
りますがこの違いだけで9600型と断定するのは難しいかと思われます。やはり部位の取り付け箇所や形状比較を試みました。先ず前方の枠小穴です
が、形状と大きさは9600型に合致します。最大の決め手は第一梁の場所と取り付け方法であります。8620型の第一従輪担バネの前バネ釣り中心部
から第一梁までは15.5cmあり一体型アングルを取り付ける余裕があります。ですから折り曲げは左であり当然リベットは左側に打ちます。しかし、96
00型の第一従輪担バネバネ釣り中心部から第一梁までは8.5cmしかなく、さらに担バネがさらに梁に近く(3~4cm)一体型左折り梁を取り付ける事
はできません。当然一体型でも右折り梁を取り付ける事になります。8620型は同部位に15.5cmの余裕がありますので、左折り梁を使用しています。
この結果から前3分の1は9600型の台枠と考えられます。それでは次に上記を示す写真を紹介いたします。
* 台枠溶接継ぎ合わせに関しては先に述べましたように、本機に何らかの不具合が生じた為に小倉工場での新たな台枠製造になったのではと想像して
おります。本来は8620型の台枠があればそのまま炭水庫を載せれば良かった訳であり、9600型でも本質的には支障は無いのではと思いますが、96
00型の台枠も無かったので、状態の良い9600型にこれまた状態の良い8620型を繋ぎ合わせたものと結論を一応出しております。
第一従輪のタイヤが6cmであるのに対して、第二・第三従輪のタイヤは共に4cmであり、第三従輪担バネがかなり湾曲しているのも重量が後部にかか
っている結果であり、タイヤの厚みの違いも8620・9600のまま利用したのでしょうか。いずれにしろ両方の良いとこ取りをして出来上がったのが、本機
のテンダーと云う事になります。
* 三次市三良坂町の服部様から寄贈して頂きました写真の尾関山駅でのテンダー吊り上げ写真を拡大してみました。現在のテンダー左側には19箇所
もの継ぎ接ぎの修理箇所があります。特に下部に集中してありますが、移送時の写真(1972年)には全くありませんので、これらの修復は本機が現在地
に静態保存以降の措置と解りました。底部の腐食が原因と思われます。この事もTV放送を見て頂き写真を提供して頂いたからこそ判明した事実であり、
誠に有り難い事です。御礼申し上げます。鮮明な写真を入手できていなかった私どもは、余りにも修復箇所の多さからこのテンダーはテンダー以外の目
的で、取り外して利用されていたのではないのだろうか(例えば駅舎内の水槽)とも考えておりましたので疑問解決ができました。整備の事が三次市民の
方々に広がりつつありますので、今後もこのような写真をお持ちの方は拝見させていただくだけで結構でございますので、私どもにお見せいただければ有
り難いと思います。よろしくお願い申し上げます。
最後にテンダー繋ぎ合わせに関して諸説・異論を唱えられるのは結構でありますが、そういう方は実際にお越しになられて本機をご覧になり、かつ私が
示しましたような実測・形状写真を作成され自論を展開して頂ければ幸いに存じます。今後、第一従輪から前方のブレーキ軸・引き棒・前端梁・右台枠・担
バネ等の整備を残しております。その段階で9600型では無い事実が判明いたしましたら、直ちに新事実を紹介いたします。 2014/11/25
2015/11/30
11/28日、早朝松山出発、尾道からやまなみみ街道を北上し世羅町まで来ると山には昨日の残雪があり外気温は2度に、三次到着後は小雨になり温
度は上がらずテンダー内第一従輪部~ブレーキ軸をケレンする予定でしたが、粉塵対策の扇風機をかけるとその寒さが倍増し、手足は冷たく急遽テンダ
ー左台枠ケレンに予定変更。左側はコンコンと金槌での打刻ケレンにしました。その理由は台枠(9600)に関する何らかの情報の有無を確認したいので、
時間はかかりますがこの手法を選択しました。終日寒さに震えながら途中で靴内に「カイロ」を入れて作業をしました。例の接合繋ぎ目で明確に鉄の地肌
の違いが一目瞭然でした。これは鋼板の材質の違いと考えられます。(酸化によるものとは考え難い状態です。)
11/29日、昨日より天候回復し午後からは日差しを背中に受け作業は好調に進みました。W氏はロッド等の再ケレン等の作業(しばらくブルーシートで
機体を覆いますので)。右結びリンクの裏側にH.S.30.10の刻印がありました。HとSの間隔が余りににも長いのでS.は(昭和)かとも思いましたが、
単独Hの工場は存在しませんので、これも広島工場と判断します。右第一サイドロッド油壷(右)はケレンを後回しにしていたのですが、非常に薄い刻印が
現れました。肉眼では判読しがたく写真判定をしますと8623の刻印が読み取れました。8623号機は1955年から三次機関区に所属し、1959年に廃
車になっていますので、廃車後本機に転用されたのでしょう。テンダー左第二従輪軸箱守控(最下部)には38920 L2の刻印がありましたが、これは右
第二従輪軸箱下梁同様に部品番号かと思われます。同じく軸箱横梁には8865?の刻印がこれも微かに読み取れました。88650番台は50と51が国
内で運用され、52~59は樺太でソ連に接収されています。88650号機は1966年に鳥栖機関区で廃車になっていますが、長崎~鳥栖機関区配属間に
転用されたと考える方が妥当かと思います。(88651号機は1958~1970に三次機関区に所属していますが、転用部位が特種な場所ですので台枠再
生時に転用されたと考えるには難があるかと思います。)
午後からは今本さんご家族も来られ、ロッド等の錆落としとナンバープレートの再磨きをしていただきました。午後4時で作業を終了し整備機械・道具の片
づけ、周辺の清掃等を行いました。12月から旧三次文化会館の解体作業が始まりますと、本機周辺も含め敷地内が工事用フェンスに囲まれ、立ち入りが
出来なくなります。従いまして解体作業完了時まで48650号機の整備作業は一時休止となります。機体は解体業者さんの御配慮で粉塵対策として全体が
ブルーシートで覆われ見る事もできなくなります。業者さんの御好意で私どもの機材収納倉庫もお借りしております。作業再開は2016/4/初旬?と予想さ
れます。しばらくお休みをいたします。来春再び整備作業をお伝えできる事を信じて私どもも休養させていただきます。
三次市を後にして晩秋の黄昏に染まり暮れなずむ「やまなみ街道」・星空の「しまなみ海道」を走り松山に戻りました。次回は2016/04/?の予定です。
* 作業現場がブルーシートに覆われ来年4月まで休止となりましたので、本機のあれこれ疑問に思う箇所・部位について検証する時間が取れました。
これは刻印の事でありますが実機は2両が大宮・梅小路に保存されているだけであり、実地検証ができないのであくまでも私の推定でありますので、詳
しい方々のご意見を得たいと思います。
テンダー左右第二従輪軸箱を台枠に取り付ける左右縦梁の下部に固定・補強を目的とした下梁があり、それぞれボルトで固定されています。その下梁
に左はL1(L2)・38920の刻印・右はR4・18971の刻印がありました。最初は右のR4・18971が検出されたので部品番号か96・D50・51・60の
動輪軸箱の部位かと判断していたのですが、左にも38920の刻印が検出されましたので改めて検証しますと私の勉強不足でした。これは1928年に
C51型に改番する前の18900型のテンダー従輪軸箱の刻印では無いかと判断いたしました。それならば右のR4は解決いたします。18971号機は
C5172号機に改番され1958年に鹿児島機関区で廃車になっています。また38920号機はC51221号機に改番され1963年に早岐機関区で廃車
になっております。両機とも九州各地で運用されていた機関車でありますので、これも小倉工場でテンダー再製造の際に転用されたと判断しております。
2015/12/15
* 整備責任者W氏より旧三次文化会館解体工事の進捗状況について連絡がありました。諸般の事情により解体工事が現在停止しており、再開後解体
終了は四月末にズレ込むとの事でした。整備再開は早くても五月初旬になりそうです。昨年の桜祭りのようなイベントは今年は残念ながら出来そうにもない
状況です。 2016/02/09
* 本日は別件で三次市を訪問しました。三次SL保存会のメンバーとも昨年12月以来の再会でした。小畠保存会代表から三次市が本機の整備に予算
を計上する事が決まったという嬉しいニュースと、会館解体工事がさらに遅れる見込みで整備再開は早くても7月頃という残念なニュースが伝えられました。
予算計上に関してはやっと三次市が重たい腰を上げた感じがありますが、今までの苦境から一歩前進であり、整備完了後の維持管理や今後の活用のあ
り方についてもそれなりにの見通しが付くのでは無いかと思われます。工事中(本日は休止)の会館に寄り、遠くからブルーシートに完全に覆われた本機
の現状を撮影して戻りました。 2016/03/05
* 2016/07/31
先日、4カ月振りに三次の現場に参りました。旧文化会館の取り壊し作業が殆ど完了し、48650号機の整備再開が目前に迫りました。本来は4月に再
開でしたが解体工事が種々の事情で遅れ再開が未だに確定しておりません。残念ながら私は整備とは別件の仕事が入る等の種々の事情により、これ以
上本機の整備には参加する事が出来なくなりましたので整備道具の撤収に伺いました。半年以上機体を覆っていたブルーシートは除去されていました。
やはり錆止め剤の未塗装部位を含め所所に錆が見られました。これも仕方ない事です。整備等に使用していた機材を積み込み、最後に未ケレンの左台
枠第三従輪軸箱下部をブラッシングして刻印の確認をしました。下梁部位にL3の刻印はありましたが、機番号を示す刻印は確認出来ませんでした。
これで私の整備活動は終了しました。三次市に別れを告げ、通いなれた「しまなみ海道」を渡り松山に戻りました。
* 本機の整備から去るに当たり、思う事がございます。色々申し上げておりますが、最後までお読み頂ければ幸いに存じます。
* テンダーに関して
実は今回の本機整備に私が参加する理由は二つございました。一つは一人で整備をされようとしている方がいる。私も一人でC57-44・C12-231
を整備した経験があるので想像以上に大変な作業である事は重々承知しておりますので、出来る範囲で協力をするという事と、整備メンバーからも言わ
れた事があり私も本機に関する疑問点を持っておりました。(それは2007/07/25の最初に訪問した際に九州在籍歴がないのに何故解放テコが片方
(右)でテンダーにブレーキ懸架装置が存在する所謂九州型なのか、さらにナンバープレートが緑なのも北九州各機関区にみられる特徴であり関連があ
るのか)この疑問が解決出来るかもしれない。この二点でした。
機体本体各部位をケレン中にはその疑問は解明できないままであり、本機が下関機関区に在籍した時期に定期検査が広島工場のヤードの関係等で管
轄外ではあるが近場の小倉工場で行われ、その際に片解放テコとブレーキ懸架装置が装置されたのかな?という程度でした。しかし、テンダー部のケレン
が進むにつれテンダー再製造の事実が明らかにになり、両者ともその時期に装着されたという確信に変わりました。
以前に先述しておりますが、本機テンダーの最大の特徴(恐らく日本で唯一の確認例)は前3分の1が9600型、後3分の2が8620型の台枠を溶接再
製造されているという事実が判明した事です。テンダー石炭庫後面に48650のナンバープレートと各従輪軸箱蓋部に黄色いペンキの手書き文字48650
は存在しますが、台枠・台車等に48650号機を示す刻印は一切存在いたしません。即ち炭水庫は元の48650号機・台枠・台車は共に再生された新テン
ダーと云う事になります。
何故かその要因として考えられる事は、先ず台枠・台車を取り換える必要が生じたと考えます。その原因の一つは老朽化、経年使用による金属疲労や亀
裂、二つ目は事故により台枠・従輪軸の損傷により使用不能が考えられます。テンダー右側面後部・後面右端曲面に50cm×100cm大の理跡があり、
S83741・L2933の部品番号刻印が認められます。この右後部曲面に修理痕跡(厚さは推定1cm)は衝突による修理と考えるのが妥当と思われます。
衝突の衝撃で台枠後部~第三従輪軸~台車に歪みが生じ、走行不能な状態になったかと想像されます。その時期は1955~下関機関区配属の間と推定
されます。
そこで、大規模修理(再製造)を手配したのですが、何故か管轄下の広島工場では無く小倉工場で実施された事が伺えます。広島工場よりも小倉工場の
方が基幹工場で有り9600型製造実績から、あるいは搬送に小倉工場の方が距離的に短かった。・・・ともかく小倉工場で実施された事は台枠・台車に残
る他機応用部位の多くが、九州各機関区在籍機関車の刻印を示しているという事実がそれを物語っております。その最大の決め手は全ての従輪制輪子
にKK(小倉)甲24の刻印が存在したことで、これが小倉工場製の確定要因になりました。しかし、8620型テンダー台枠そのものが小倉工場に無かった
可能性があり、良好な8620型台枠後部3分の2と良好な9600型台枠前部3分の1を接合溶接して一台分の台車を作成したのでしょう。第一従輪と第二
・第三従輪のタイヤの厚みが異なり、自重が後部に偏り第三従輪担バネの湾曲が大きいのもこれらの結果と考えます。
* テンダーの炭水庫と台枠に関して
両者が同時期に製造されたのでは無い事は、塗装関係からも伺われます。塗装は当然黒ですがその退色は台枠の方が進んでおり灰色に近く、炭水庫の
方は黒さを残している。また塗装は炭水庫は上塗り一層で殆ど下地塗りがされていませんでした。台枠は塗装は二層(上塗り~下地・上塗り~下地)でした
が、その強度の差から96と86との差も伺われました。サンダーは同回転で40番使用で同方向水平削平しますので、後は押圧の力加減で塗装の塗り状態
がわかります。左前(96部)は強、繋ぎ溶接部は弱、後部(86部)は中で鉄地肌が露出しております。この事からも炭水庫は明らかに別仕上げであり、台枠
製造完了後に広島工場で整備、あるいは再製造した可能性も考えられます。
* テンダーの刻印に関して
テンダー台枠の未ケレン部位の刻印も最終確認ができましたので、改めてテンダーに関して述べさせて頂きたいと思います。テンダーで確認された各刻印
を時系列で一覧表にしてみました。赤数字は九州地区各機関区在籍・青数字は中国地区各機関区在籍を示します。
部 位 | 刻 印 | 年号 | 備 考 | 1960~1963時 | ||
1 | 右 第二従輪軸箱蓋横梁 | 38635 | 廃車・弘前 1968/10/10 | 1920~1945大分機関区 | ||
2 | 左 担バネ間イコライザー内側 | R 78628 | 廃車・人吉 1950/06/29 | 鹿児島管内で稼動 | ||
3 | 右 第二従輪軸箱蓋下梁 | R4 18971 | 改C51-72 | 廃車・鹿児島 1958/03/10 | 鹿児島管内で稼動 | |
4 | 左 第二従輪担バネ胴締頭 | 水 C20 HS28 6 | 昭和28 | 1953 | 旧部品を応用 | |
5 | 右 第一従輪制輪子釣り後端 | 9694 | 廃車・後藤寺 1960/02/26 | 小倉管内で稼動 | ||
6 | 左 第三従輪軸ツバ | L3 58667 | 廃車・三次 1960/03/31 | 仙台・広島管内で稼動 | ||
7 | 右 第三従輪軸ツバ | R1 58667 | 廃車・三次 1960/03/31 | 仙台・広島管内で稼動 | ||
8 | 右 第三従輪軸箱上部 | L1 C50 44 | 廃車・行橋 1960/10/15 | 小倉管内で稼動 | * | |
9 | 左 第一従輪軸ツバ | R3 58645 | 昭和38 | 廃車・吉松 1963/08/05 | 小・鹿児島管内で稼動 | |
10 | 右 第一従輪軸ツバ | R3 58645 | 昭和38 | 廃車・吉松 1963/08/05 | 小・鹿児島管内で稼動 | |
11 | 右 担バネ間イコライザー内側 | L? 58645 | 廃車・吉松 1963/08/05 | 小・鹿児島管内で稼動 | ||
12 | 左右 ブレーキ引き棒後部 | HS 38.9.17 | 1963 | 広島工場 | * | |
13 | 左 第二従輪軸箱蓋下梁 | L2 38920 | 改C51-221 | 廃車・早岐 1963/10/03 | 小倉管内で稼動 | 早岐機関区 |
14 | 左 第二従輪制輪子釣り後端 | L3 48621 | 廃車・小郡 1963/10/03 | 後藤・広島管内で稼動 | 小郡機関区 | |
15 | 右 第二従輪制輪子釣り後端 | R1 48621 | 廃車・小郡 1963/10/03 | 後藤・広島管内で稼動 | 小郡機関区 | |
16 | 前端 ATSプレート | Y118487 | 昭和39 | 1964 | ||
17 | 左 第二従輪軸箱蓋横梁 | 88650 | 廃車・鳥栖1966/06/25 | 小倉管内で稼動 | 鳥栖機関区 | |
18 | 左 第一従輪担バネ胴締 | HS42 5 ?489 | 昭和42 | 1967 | 広島工場 | |
19 | 右 第二従輪担バネ胴締 | TT42 6 | 昭和42 | 1967 | 鷹取工場 | |
20 | 左 第二従輪担バネ胴締 | HS42 8 HS? | 昭和42 | 1967 | 広島工場 | |
21 | 左 第三従輪担バネ胴締 | HS42 8 C75 | 昭和42 | 1967 | 広島工場 | |
22 | 右 第一従輪担バネ胴締 | HS42 8 C155 | 昭和42 | 1967 | 広島工場 | |
23 | 右 第三従輪担バネ胴締 | HS42 8 | 昭和42 | 1967 | 広島工場 | |
24 | 左 第二従輪軸ツバ | L2 38681 | 廃車・鳥栖 1971/08/17 | 小倉管内で稼動 | 西唐津機関区 | |
25 | 右 第二従輪軸ツバ | R2 38681 | 廃車・鳥栖 1971/08/17 | 小倉管内で稼動 | 西唐津機関区 | |
26 | 右 第二従輪軸箱蓋横梁 | 19633 | 廃車・若松 1973/03/04 | 名古屋・小倉管内可動 | 若松機関区 | |
27 | 左 第三従輪制輪子釣り後端 | L1 69613 | 廃車・後藤寺 1974/12/24 | 小・鹿児島管内で稼動 | 直方機関区 |
18箇所の刻印の内14箇所が九州地区機関区在籍で4箇所が中国地区機関区である事からも、時期が異なるにしろこれだけ多くの九州歴を持つ部品
を広島工場が所有していたとは考え難く、この点からも小倉工場で実施されたと判断されます。次に再製造時期でありますが、小倉工場での台枠再製造~
炭水庫修理・設置にどれだけの時間を費やすかですが、全体検査と比較するに一年位で完了するかと想像されます。そこで、刻印を確認しますと第三従
輪部の左右ブレーキ引き棒後部上面にHS 38.9.17の広島工場の点検刻印が存在しました。これを基準に考えますとS37.9(1962)には小倉工場
に入庫していたのではと考えられます。再製造時期は幅を持たせると時系列表の*~*の間が最も妥当な時期と考えられます。(C50-44の廃車時期
を考慮)
刻印時系列表の1は1945までの蓄財、2・3・5・8は廃車後の転用、6・7・14・15は廃車後の転用であるがテンダー再生後広島機関区復帰後に転用、
13・17・24・25・26・27は中間・定期検査時に再生中の本機に転用された可能性が高いと思われます。20~23の担バネ胴締のHS42 8は本機の
広島工場での最後の全体検査を意味すると考えていますが、19のTT(鷹取)42 6に関しては関連性が見いだせていません。
いずれにしろ、48650号機の再生テンダーは小倉工場で生産されたと結論付けても支障ないと考えます。 このテンダー再生に関する他の見聞例も小倉
工場での再生記録資料も存在せず、確かめようが無いのが現状であり「お前の想像で独り合点だろう」と言われても反論はできません。是非、機関車等の
製造や修理関係に詳しい方々の御意見を頂きたいと思います。よろしくお願いいたします。
* ナンバープレートに関して
本機の整備活動から去るに当たり、本機の貴重なナンバープレートについて触れておきたいと思います。形式表示はありませんが本物です。本機のナン
バープレートは基盤色が緑の所謂緑プレートであり、8620型保存機で緑は本機のみであり、これも珍しいと思われます。ナンバープレートの色は基本的に
黒が主流で、赤・橙・水・青・緑等が確認されており、かつては機関区で色が固定されており米原機関区は緑、中津川機関区は青で有ったが、当然移動もあ
りその後各機関区で様々な色のプレートが取り付けられたようです。中国地区では福知山機関区・米子機関区でも緑色が使用され、倉吉市のC11-75号機
も緑です。また存在するプレートから九州各地の機関区でも緑が使用されています。(39688・49693・69634・C11-74・C11-285・C55-54・C57-48等)
確認できる数としては九州地区が多いので、本機のプレートが緑である事からテンダー改造に関連するのかも知れません。しかし、C62-29号機は広島機
関区時代は緑プレートであったので、本機が緑プレートであっても問題は無く、装着した経緯がはっきりしない以上現装着に問題や違和感があるようには思
えません。1933~金沢時代・1947~津和野時代・1949~下関時代は写真資料が無く解りませんでした。テンダーが小倉工場で再製造された時期は19
60~1963の頃と推定しております。この時期に方右解放テコ・テンダーブレーキ懸架装置と共に4枚のプレートも九州仕様に緑色プレートに変えられたの
でしょうか、そして1965~三次機関区配属後は現状だったのは確認できていますので、三次市民の方々や芸備線・福塩線の沿線の方々にも見なれたプレ
ートは現状のプレートと言う事になります。
ところが整備再開すると整備責任者W氏はプレートを本来の黒に塗り変えるとツイッタ―で発表しています。(その後文面は削除されていましたが、やりか
ねないと私は危惧しております。)これは何を根拠としているのか?1933~金沢機関区時代が黒だったからか?あるいは小倉改装を想像されるのを否定
したいのか?いずれにしろ黒プレート変更の意義が理解しがたく、整備に1年以上関わった者として絶対に反対を表明したいと思います。
機体を、動輪を、台枠をケレンしたり、汽笛を鳴らす、操作系統を動かす事も整備活動では重要で意義があると私も思います。それに費やす時間は膨大で
あり、プレートの塗り替えは一枚僅か30分で終了します。しかし塗り替えてはならないのはプレートです。機関車の顔(私たちの家の顔・表札)です。仮に、本
機を保存する時に緑に塗り替えたとしても、それはその当時の本機に関わった方々の意識の象徴であり、何らかの意味が存在している筈であり、保存時に
関わられた方も御存命で有り、ずっと眺め続けられておられる筈です。三次市民の方々も保存後本機の緑プレートに慣れ親しんで現在に至っており、現在整
備する者が勝手な判断で塗り替える事はしてはならない行為と私は考えます。
* 今後の48650号機に関して
改めて48650号機の整備をさせて頂いた事には感謝したいと思います。特にテンダー台枠(9600型と8620型の接合・溶接)という再製造行程や部品
の転用箇所をケレンし確認できたことは、私の整備歴に大変貴重な経験を加えさせていただきました。その反面整備中も終始疑問に思っていた事は現在も
私は解決出来ておりません。それは
1 「三次市は本48650号機を本当に解体すると決定していたのだろうか?いわゆる緊急事態だったのか?」
*市からはそういう決定事項は市当局・議会共に決定した記録は無いという事が後日当方からの公開質問で判明いたしました。
2 「普通の市民運動の保存活動で解体は阻止できたのではないのだろうか?」
3 「殆ど正常な状態の本機を整備する必要性はあったのだろうか?」 広島県内で早急に整備が必要な機関車は尾道市のD51-422号機なのですが?
4 「三次市行政当局と整備者側は本当に整備に関する詳細な協議を整備前・整備中にしていたのか?」 私は最後まで知らされないままでしたが?
5 「整備の原点が個人的な整備をして見たいという発想からならば、三次市当局もマスメディアも個人に振り回された事になるのでは?」
6 「整備をすることで三次市民の方々に関心を持って頂いたことは是と判断したい。」
私のHPを通じてSLファンの方々を始め、多くの方々に知って頂きたい事は、機関車の整備をするには整備前・中・後に様々な問題がございます。
整備本来の目的・理由・方法は異なるにしろ、機関車を管理する諸団体・行政当局と事前に綿密な協議を経て、正式な委託契約後整備開始となり、整備中
も緊密な連絡を取り合って種々の問題解決、事後の処理・環境問題等に対する対策があるという事を御理解いただけたらと存じます。私共はそういう正規の
手続きを経て整備活動をいたしております。整備したいから・・・軽い考えで適う仕事ではございません。様々なリスクも背負う事になり、整備した者の責任は
機体が消滅するまで続きます。
全国で私共整備ボランティア(無報酬で労働力や技能等提供)はそれぞれ活動しております。どうか精神的な応援を頂くとともに、やみくもに管理者を批判す
るのではなく、どうしたら解決出来るのか・・・ご一緒に1両でも整備により保存期間が延び、多くの人々に愛され続く機関車を増やしてまいりませんか、今後も
私たちの活動を見守って、応援して頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます。
以上で、私の48650号機整備状況は終了いたします。 ご覧いただき有り難うございました。 2016/07/31 愛媛のKAZE 大山 正風
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