「SL整備記録 NO-15 大山正風」
48650号機整備状況 NO-1
48650号機 場所 広島県三次市三次町 文化会館
車暦 1921汽車製造・・名古屋局・・1933金沢~1947津和野~1949下関~1965三次~1971芸備線管理所廃車 1972保存開始
状態 塗装は退色し各所に錆び進行 後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室内は給水用・暖房用圧力計を欠くが、その他の諸計器類・操作系統機器は装着
しており、室内は良好。 屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は普通であるが、最近の整備はされてない模様である。 走行距離2.518.953.4Km 撮影日2007/07/25
* 再訪してみました。やはり塗装の退色が徐々に進んでいるようです。 撮影日 2010/04/03
* 数か所に刻印が残されていました。左右の先輪軸ツバには28699の刻印がありました。28699号機は1967年に和歌山機関区で廃車になってい
ますが、本機との接点が無く転用の経緯は不詳です。 撮影日 2011/06/12
* 2014/12/28 安芸高田市在住(以前は三次市在住)のW氏が一人で本機を整備しておられるという情報を得ました。私の知見では塗装の退色と
錆は見られるものの、腐食は殆ど見られず、急いで整備する必要は無い筈で有り、優先的にも整備するなら広島県内では尾道市のD51-422号機が
最優先される機体であり、整備開始に関しては不可解な面もありましたがD51-300号機の応援整備も終わり、内子町のC12-231号機も12/22に
無事お披露目会が終了しましたので状況を拝見させて頂く事にしました。
既に10月から作業を開始されており、テンダー後部と缶胴先端の一部に錆止めが塗布されてありました。同氏によれば常々本機には関心が有り時々
状況を見に来られていたそうです。長年三次市の文化活動の拠点であった三次文化会館が閉鎖される事になり、同地に静態保存されている本機の動向
が不鮮明であり(管理する三次市教育員会はどこかに移転保存をする意向のようですが具体的には進展は無く、会館撤去と共に本機が解体される可能
性もあり)三次市民の方も本機の動向は把握されていない現状が浮き彫りになりました。
同氏は土日に作業をされるそうですがそのペースであると一年以上かかるのは歴然であり、私も一人で毎日作業しても西条市のC57-44号機は7
カ月・内子町C12-231号機は3カ月以上かかりましたのでその大変さは十二分に理解できます。また同氏は整備作業の経験も少ないと申されており、
やはり数人の手伝いが必要であり私も日にちを調整してお手伝いする事を申し出て同氏の了解を得ましたので、今回は整備状況として報告する事にし
ました。
同日から早速デフレクター左外側旧塗装をバーナーで剥ぎ取りケレン作業をしました。笠戸の「D51-592を燦かせる会」の会長・光市の奈良山氏
も来られ3人で作業を続け、煙室扉までをケレン・錆止め剤を塗布し本日の作業を終了しました。作業中に中国新聞社三次支局の記者さんが取材に見え
たので、W氏と私が整備と今後の課題に関して様々な観点から予測できる事をお話いたしました。何よりも三次市民の方々に本機の置かれている現状・
整備作業の現状・保存に関する今後の動向が知られていない事が最大の問題点である事を理解して頂き、三次市・教育委員会にも取材を掛ける事を確
約していただきました。一人でも多くの方に本機の整備に関するご理解とご協力が得られ、ボランティア活動に参加いただければ嬉しい限りです。
2010年は柵外から、2011年は許可を頂き柵内部で撮影しましたがロッド等は分厚い塗装で覆われ刻印の確認は完全ではありませんでした。今回は
気になる箇所の確認ができました。第一は異常に分厚い各動輪のタイヤに関してですが、作業終了後金槌で叩き分厚い塗装膜を剥離すると(HS)広島工
場シ45-8の刻印が露呈しました。本機は昭和46-3に廃車となっていますから、8カ月の運行でありタイヤは殆ど摩耗してない事が証明されました。次
にテンダーの各車輪軸箱を開けると軸ツバに刻印がありましたが本機の刻印はありませんでしたのでさらに疑問が派生しました。第一は58645・第二は
38681・第三は58667であり、58667号機以外は接点が無く、第一・第二は九州の機関区配属であり、テンダーをそっくり交換した可能性が出てきまし
た。今後整備が続けばこの問題も解決出来るかと思われます。今後は訪問する度に整備状況を掲載したいと思います。2015/01/01 次回は未定です。
* 現在の整備作業の現状をお伝えして皆さまのご協力を得たいと思います。私は自分自身が主として整備をボランティア活動で行ったケースや、整備仲
間がやはりボランティア活動で整備を行っている各地に手伝い・応援に出向いておりますが、活動の基盤として電源・水の確保は最低条件でありSLを管理
する行政当局等に要請し確保して頂いております。しかし、今回の48650号機整備に関しましては三次市文化センター閉鎖の影響を受け、電源・水の供給
が断たれております。管理責任者である三次市教育委員会も積極的な支援の体制は見られません。整備開始前にどのような協議が整備者のW氏との間で
行われたのかその経緯は定かではありませんが、三次市行政当局は市今後如何なる対応をしていただけるのでしょうか?大変気になる問題点と思われます。
最近各地の仲間の応援を得て急遽整備した山口県新山陽市厚狭のD51ー300号機の場合も、最初は市当局は冷淡そのものでしたが、地域や市民の方
々の応援を得て整備を終える事ができ、「お披露目会」には市長も参列し感謝の意を表しておりました。三次市の場合、市民の方々は整備をしている事も三
次市の対応もご存じないのが現状であり、その中でW氏が孤軍奮闘している状態であります。私が整備した西条市C57-44号機・内子町C12-231号機は
行政当局からの要請により整備したケースであり、作業効率・安全面・環境面から作業上屋の設置・障害保険の加入・原材料・消耗品費等の支出等を得てお
りますので、一人作業でも時間さえ頂ければ整備が可能でした。本機の場合全く何も無い状況でスタートしておりますので、個人的作業には限界を生じる可能
性が大であり、ここに協力して頂ける方々の参加応援をお願いいたします。素人の方でも金槌での塗装剥がしや再塗装の作業は十分可能です。
48650号機を皆さんの手で蘇らせませんか。一度作業現場にお越し願えませんでしょうか。作業は基本的に土・日に行っております。
どうかよろしくお願いいたします。 愛媛のkaze 大山
*2015/01/19
01/17松山を早朝出発時は星空でしたが、尾道道を過ぎると雪模様になり世羅~吉舎~三次と雪が降り続きました。一日中降りしきる雪の中での作業
でした。W氏が前端梁・デフ内側のケレンを一部終了されており、確認したい部位が少しづつケレンされてありました。デフ内側~デフ右外側のケレンを終了
しました。先日取材を受けた中国新聞社の記事が本日掲載されましたので、三次市民の方々にも周知していただけるのでは無いかと思います。午後からは
奈良山氏も来られ作業はかなり進展しました。来週の土曜日は笠戸のD51-592号機の方へお邪魔する予定です。01/18は缶胴被の煙突~蒸気ドーム
前半分・前自動連結器をケレン後、昨日分を含め錆止め剤を塗布し作業を終了しました。好天に恵まれ昨日報道された事もあってか10人を越す方々が見物
に来られました。親子連れの方にはスポーク動輪の塗装を金槌で剥離する作業や塗装の一部を手伝っていただき、SLに対する関心を高めていただきました。
一般の方々のご参加は大歓迎です誰にでも出来る作業はあります。(来週も子供たちは来てくれるそうです。)作業環境の問題点はあります。電源と水の供
給が断たれているために発電機を四六時中使わざるをえません。そのため近隣にお住まいの方々には作業音を含めご迷惑をおかけする事になりますが、そ
ういう事に対する三次市の支援・配慮は現時点ではありませんので、今後様々な障害が発生するかもしれない事を予測しながらの作業です。近隣にお住まい
の皆さまや三次市民の皆さんのご協力とご理解を改めてお願いいたします。
左右の第一動輪の軸ツバに78632の刻印がありました。78632号機は主に山陰線で運用され1961年に鳥取機関区で廃車になっております。同じ中国
地方ですので廃車後後藤工場から広島工場で転用されたのでしょう。他に自動連結器のナックル・ピン部位にそれぞれ製造番号がありました。左右第三動輪
の軸ツバですが、第一・第二動輪の軸ツバと比較すると違和感を感じます。 次回は2015/01/26の予定です。
*2015/01/25
本日は水源用の100Lポリタンクと水を運び入れ作業開始です。蒸気ドーム後部・缶胴被第一帯~第二帯・左右の加減リンクボックス・右油ポンプボック
スをケレンした後、錆止め剤を塗布しました。途中で光市の奈良山氏も参加され作業は捗りました。三次市内で塗装関係の会社を営まれる小畠さんが現場
を見に来られ、塗装や塗料に関する援助を申し出られました。何の援助も無く電源も水も断たれた状態で自力で作業をしている状況なので、有り難いお話を
頂きW氏と共に感謝!感謝!の気持ちで一杯です。右油ポンプンの扉内側の第一塗装の下にペンキの白文字が現れました。数字や絵文字が並んでおり、
左側はポンプのハンドル位置を示すものと思われますが、右側は37・9・25丙といくつかの数字は判読できましたが、絵文字等は判読できませんでした。こ
れが何を示すのか御存知の方がいらっしゃいましたらご教示願いたいと思います。 次回は2015/02/16の予定です。
*2015/02/16
14日は左側蒸気ドーム~コンプレッサー間のケレンを行いました。WK氏が煙室内の清掃をされており内部は意図的に薄緑色に塗装されており、火室の
模擬石炭と併せて説明会の為の造作と考えられます。ポンプ室観音扉内側の文字に関してはお近くにお住まいの本機の元機関士であられた升田さんによる
と、検査にも甲・乙・丙(現在では1級~3級)がありその丙種検査を示すものとの見解をいただきました。4月5日に近くの「尾関山公園」で「桜まつり」が開か
れるので、その際に機関車に関する説明をして貰いたいとの申し出があり、作業行程を変更し運転室内の整備をする事になり、各バルブ・ブレーキ弁・逆転
ハンドル・加減弁テコ等の可動を目指し各部位の整備を始めましたが、溶接や錆びでビクともしない状態でありかなり厳しい状況です。
15日は右側蒸気ドーム以下をケレンするとともに、運転室内の整備に取り掛かり火室内に大量に投入された模擬石炭の石塊も今後除去する事にしました。
両サイドに錆止め剤を塗布して作業を終了しました。ATS用発電機のブラシ部蓋を開け内部を確認しましたが、油も引かれており奇麗な状態でした。左リター
ンクランクには48650の刻印が有りますが、字間と大きさが不揃いで在り4の下には8が5の下には3が確認できます。しかし88の次の6も字体が合わず6
と3の間は不自然であり確定はできておりません。4個の標識灯と両水面計カバーを整備の為に持ち帰りました。 次回は2015/02/23の予定です。
本機の前後の標識灯ですが現在は整備の為に取り外しております。前方は左に赤灯・右に白灯、後部は左に白灯・右に赤灯火が装着されていました。
一般的に標識灯は後退時に蓋を回転させ赤色フィルターを合わせて使用していますが、本機の標識灯は昭和40年代以前の標識灯と思われ本来内部の
赤色ガラスの回転装置がありますが、それが破損したために赤ガラスをはめ込み固定したのではと思われます、後退時に片方の赤灯火のみ点灯して走
行していたものと思われます。標識灯で唯一プレートが残るN01には形式A405 製作年月28・5 小糸製作所とありました。内部構造については4灯と
もLED仕上げにするため分解しますので、その時点で紹介いたします。
ちなみに、全国の8620型機の動態・静態保存機の中で前後・左右共に同一形式の標識灯(昭和40年以前)を装着しているのは本機のみです。4864
7号機はテンダー埋め込み式・人吉号で知られる58654号機は何故か前端梁に装着していますが新しい形式とテンダー埋め込み式・部品どりで小倉工場
に送られた(多分解体)58689号機はテンダー埋め込み式・78675号機は前端梁左は本機と同形式ですがガラス欠、テンダー左は新形式・8862号機
はテンダー右が埋め込み式であり、外観上4個揃えて装着しているのは本機のみであり、私も旧タイプの標識灯は整備した経験が無いので、慎重に対応し
たいと思います。赤色ガラス交換ハンドルの付いているNo1・No3の整備が楽しみであります。水面計外枠下部にはL・R48650の刻印がありましたが左
右の製作時期は微妙に形態が異なり時期が違うように思われます。
*2015/02/17
標識灯をケレン・整備した結果、No4以外はA405形式でありNo1同様小糸製作所製と思われます。最も状態が良いのがNo1(装着時テンダー左)で内部
のソケット基部や赤灯回転装置も正常に可動しました。No3(装着時前方右)は赤色ガラスは欠損でしたが回転装置は可動します。No2(装着時テンダー右)
はソケット基盤も改造されており、赤灯回転装置の取り付け痕跡はありました。No4は側板引き上げ部が無く上蓋方式ですが、赤ガラスの色が異なります。形
態としては405に準ずる物と思われます。内部に赤灯回転装置の一部が残存しておりました。4個ともLEDによる点灯を試みますのでソケット基盤等は除去い
たしますが赤灯回転装置は非常に珍しい物ですのでそのままにしておきます。
*2015/02/18
LEDによる点灯ですが垂直に取り付けますと光が上向きの放射角度になるのと、ガラスの中心より上部に光源が位置しますので、ガラスにほぼ直角に
なるように作り変えました。No1・No3の白灯標識灯は当初は40Wを付けましたが明るく輝き過ぎなので30Wに変換しました。赤灯標識灯のNo2はガラ
ス色が橙色であり、No4の赤色とは点灯時に色調が明らかに異なります。NO2の標識灯のガラスが本来のA405形式のものと思われます。No4はガラ
ス取り付け部が正規の形態では無くパテで固めて固定しており後で造作したと考えられます。整備後はNo1・No3を前方部にNo2・No4をテンダーに装着
する予定です。 次回は2015/02/23の予定です。
* 2015/02/23
21日は下松市笠戸のD51ー592号機の運転室の整備に伺い、22日のみの活動となりました。最初に持参した両水面計外カバーの装着、前後の標識
灯を装着し点灯させました。雰囲気が一変し味わいのある姿となりました。8620型保存機で動態機以外で4灯とも点灯出来るのは本機のみです。前方左
が取り付け金具と合わないので金具を削平調整しました。次に前照灯のシールドビームの点灯をバッテリーで試みましたが点灯せず、やはり内部のシール
ドが断線している模様ですので同寸の自動車用ヘッドライトを流用する事にしました。
次にタービン発電機の左右の蓋を開け内部を確認しました。左右とも奇麗な状態でしたがブラシ部の内部は微細な粉末が付着し、左ブラシは変形してお
りました。その後奈良山氏が来られたので左右の缶胴被の運転室前までをケレンし、4/5の「桜まつり」様に左第二動輪とリターンクランク・ロッドの荒磨き
出しを行いました。最後にビクともしなかった逆転ハンドルの可動化ですが、加減弁テコと同様に正式な動作ではありませんが、支点ピンを抜く事である程
度前後に可動出来るように調整しました。今回の作業で運転席周りの逆転ハンドル・作用コック・両ブレーキハンドル・加減弁テコが可動状態になりました。
汽笛ペダルもスプリングを付ければ正常に可動します。当日は小畠氏が塗装用の塗料等を持参していただきました。私のコンプレッサーでは限界がある事
をお話しますと。強力なコンプレッサーを貸して頂けるとの事で本当に有り難い事です。また、本機の実状を市会議員の方や有志の方々にお話し頂き「保存
会」の立ち上げを計画していただいております。これで本機は三次市(管理は教育委員会)の撤去の方針・解体の危機を脱したのでは無いかと思われます。
今日も点灯している標識灯を見つけられ市民の方が見に来られました。少しずつ市民の方々の関心も高まっています。
次回は2015/03/02の予定です。
* 2015/03/02
02/28は晴天に恵まれました。最初にシールドビームに代り私の旧愛車のジムニ―のヘッドライトが取り付け枠に合致しましたので、100V⇒12V変圧
器を使用して点灯させました。4個の標識灯や運転室内の室内灯も含め全て100V対応で整備する事にしました。WK氏は缶胴被と冷却管のケレンを引き
続き行い、小畠氏も来られジェット・タガネで第二動輪部のシャーシーをケレンしていただきました。私は第二動輪のボス・メインと第一・第二サイドロッド・リ
ターンクランク・偏心棒を「桜まつり」用の紹介部位としてケレン・磨き出し・アクリル処理を行いました。本日は県会議員さん・前市長さん等がお見えになり現
状を説明させていただきました。他にも多くの方が見学に来られ本機の状況が認識されつつあると感じました。
03/01は朝から雨天でしたが次の作業まで2週間空きますので錆止め剤塗布をWK氏が、私は石炭庫の石炭取出炉の開放を試みました。二か所の溶接
を除去し注油後人力では動かないので二基のジャッキで上に強制的に押し上げロックピンを差し込みました。これでテンダー石炭庫への移動が可能になり
ました。次に火室内に堆積している石塊の除去に取り組みました。焚き口炉を開けるとこぼれ落ちそうまでに詰め込まれた石塊の数々本当にレンガアーチ
の下方奥まで、推定2tの石また石そして投げ込まれた瓶・缶・紙類等のゴミ、草削り鎌と自作の引きよせ鎌・スコップ等で処理作業を開始、お昼まで続けまし
たが一向に減らずバテてしまいました。午後から親子連れの方が来られたので協力をいただきバトンタッチ、1時間ほどお手伝いいただきほぼ半分を排出し
ました。ここまで詰め込まれた石は模擬石炭以外の目的があったのか・・・整備泣かせの石塊で残りは14・15で処理する予定です。
気分を変えて第二動輪部の仕上げと刻印の確認作業をしました。逆転棒中間部の棒受け基部には38625の刻印がありました。38625号機は1959年
に厚狭機関区で廃車になっていますので廃車後広島工場で本機に転用されたのでしょう。左心向棒には78692の刻印がありました。78692号機は195
9年に遠江二俣機関区で廃車になっていますが、本機との接点は1933年から福井機関区に所属しており、本機は同年には金沢機関区に所属していますの
で早い段階で松任工場で転用されていたのでしょうか。さらに左第二動輪制輪子釣には78654の刻印がありました。78654号機は8620型機としては少
し早く1948年に米子機関区で廃車になっています。後藤工場から広島工場に引き継がれ本機が三次機関区配属後転用されたのでしょう。さらに合併テコに
も本機の48650の0の下に4とかが隠れており、後日明白にしたいと思います。
次週は西条市の「C57プラス」の会がありますのでお休みをいただき、次回は03/16の予定です。
* 2015/03/16
先週は西条市の「C57プラス」の会の為お休みしました。その間WK・小畠の両氏が作業を続行され、前方歩み傾斜板のケレン・第二動輪部錆止め塗
装、煙室扉と煙突部の第一次塗装がなされました。03/14は私は引き続き火室内の石塊の除去と運転室内の各機器のスムーズな可動に向けての諸整
備を行いました。ほぼ一日石塊の排出作業を行いましたが目安では残り3分の1が残りました。石塊の中には大きな漬物石クラスもありましたが、計器類
のカバーやバルブの半分等も出て来ました。体力をかなり消耗した一日でした。WK氏は左右デフレクター両側との缶胴被・蒸気ドームまでの第一次塗装
を行いました。
03/15はWK氏は引き続き缶胴被の砂ドームまでと前端梁部・第二動輪部の第一次塗装を行いました。私は左先輪部の打刻ケレンと運転室内の焚き
口炉下の火格子作用腕のカバーと火格子揺り棒の溶接を外し、装着できるようにしました。可動に向けて今後整備したいと思います。取り外した火格子揺
り棒には溶接棒による漢数字で五八六六七がありました。58667号機は1960年に三次機関区で廃車になっていますので、本機が1965年に三次機関
区に配属後広島工場で転用されたのでしょう。
本日はWK氏の友人の多木氏が福山から応援に来られ、単独では点灯させていましたが運転室から集中制御できるように配線作業をしていただきました。
また鳥取県日南町の池田氏も来られて整備を手伝っていただきました。午後からは東広島市の今本智博・千恵ご夫妻が息子の康大君と一緒に来られ前回
に引き続き、私が残した残りの石塊を排出していただきました。諦めていた火室の石塊が残り「てみ」で10杯ぐらいまでになりました。本当に有り難うござい
ました力仕事をさせてしまい申し訳なく思います。今度お越しの際はケレンや磨き等の作業をお子さんと共に楽しんで頂きます。また、新見市や三次市内の
ご家族連れも来られ賑やかな一日でした。4/5の「桜まつり」に向けての準備が整いつつあります。 次回は2015/03/23の予定です。
*2015/03/23
21日は少し早く到着しましたので、~04/05迄開催される「桜まつり」のメイン会場である尾関山公園に登ってみました。頂上からは三次盆地が遠望で
きる筈でしたが、生憎の朝霧で全く見えませんでした。しかし、朝霧は本日が晴天である前触れであり春らしい陽気が期待されます。ここで尾関山公園に
ついて紹介したいと思います。尾関山は三次文化会館から南西に500mに位置し、標高202mの小高い山の真下に「尾関山トンネル」がありJR三江線
が走っています。
近世に尾関山は600m北方の比熊山城を拠点とした三吉氏の出城であったとされており、1601年に福島正則が広島に配属された際に尾関石見守正
勝が入場してから「尾関山」と呼ばれるようになりました。1632年に浅野長治が三次藩主として入府すると下屋敷が置かれました。一応城としての所謂
縄張りや防備の構えを巡らしおり比熊本城への通路や空堀等が残存しているコンパクトな山城の体裁を維持しています。公園内の各所には桜や紅葉が植
えられており、春秋を問わず三次市民の憩いの場となっています。午後作業の合間に再び展望台に登り本機を遠望しました。夕刻には三度登り本機の前
照灯・標識灯を確認しました。作業的には火室内に残存する最後の石塊を手掴み・手作業で除去し火格子に挟まった石以外(推定2tの石塊)の全てを除
去した後高圧洗浄で火室内を洗いました。WK氏は右先輪部を私は左先輪~シリンダー被部のケレンを続行しました。今日も近くの小学生が手伝ってくれ
ました。また中国新聞の松本記者が再訪され本機の整備の変化に驚いておられました。
22日は左右先輪~シリンダー被部のケレンと錆止め剤を塗布しました。左右の先輪軸ツバに28699 9-3の刻印が存在する事は以前から解ってい
ましたが、先輪全てをケレンすると分厚い塗装の下から隠れていた各刻印等が現れました。左右共に輪枠全周に鋳造の際スムーズに抜き取る為の型痕
跡がある事から古いタイプの先輪である事が予想されました。次にこれも左右共にNo・住友金属ロゴ・9-3の文字が、さらにスポークに住友金属ロゴ・
9-3の刻印がありました。この結果左右とも大正9年3月製造で28699号機の先輪である事が確実になりました。またタイヤは住友 ワ N721128
シ32-12 ? の製造である事が判明しましたが広島工場での取り付け刻印はありませんでした。しかし他機の装着例から製造後1年~2年以内に装
着されていますのとタイヤの摩耗から昭和33~34年と想定されます。左先輪の軸面近くに9386の製造番号刻印がありましたがこれも珍しい事例かと思
われます。左先輪の転用時期ですが本機が1947年に津和野機関区に配属後は広島工場の管轄下ですから転用の可能性はありますが、28699号機が
廃車になった1960年以降が妥当かと思われます。
次に右尻棒案内の上部と油壷下部・排水弁開閉弁に本機の刻印がありました。さらに排水弁開閉棒作用腕にR8667の刻印がありました。8667号機
は1956年に下関機関区で廃車になっていますので、本機が1955年に下関機関区に配属された以降に同機の廃車後広島工場で本機に転用されたの
でしょう。当日はお手伝い頂いている小畠さんや三次市観光協会の花本さんもこられ、しばし「桜まつり」の準備について歓談しました。
次回は 2015/03/30の予定です。
*2015/03/30
二日とも好天に恵まれすっかり春めき尾関山の桜も開花し始めたことが遠目にも解りました。29日は右先輪部・前端梁裏側のケレン及び錆止め剤塗布
、
W氏は左右第一動輪の上部カバーをケレン~錆止め剤を塗布しました。また運転室内の汽笛引き棒にスプリングを取り付けて可動するようにしました。
その後運転室左側面をバーナーで焼き塗装を剥ぎ取りました。(ケレンは未実施)これで04/05の「三次桜まつり」では第一次黒塗装・錆止め剤塗布・塗
装剥ぎ取り・ロッド等磨き出し・未整備部分の各状態を見て頂く事ができるようになりました。先週は尾関山からの夜景遠望でしたが、今日は機体前方に
照明を二基タイマーセットし前方を照らし出す工夫をしました。照明関係は前照灯・前部標識灯・後部標識灯・運転室内灯を4日夜から点灯いたします。
30日はW氏は前・左右プレートの仮磨き出しを行い、私は左第一空気溜をハンマーの打刻ケレンを行いました。中央部に点検文字が微かに残存してお
りましたが、重なっており下段のHS(広島工場)と上段の34は何とか判読できましたが以降の月・日は不明です。火室内石塊除去の功労者である、東広
島市の今本一家が来訪されましたので、今日は後部のプレートを研磨し磨き出しをお願いしました。4枚のプレート・名盤がピッカピカに光り輝いており、こ
れも来られた方が驚かれる事でしょう。当日は旧文化会館の敷地は各自動車販売会社の自動車展示場となり、多くの方々が来場される見込みですので、
本機の状態を一人でも多くの方々に見て、触って体験していただく絶好の機会であると思われます。一日中二人で運転室内とシリンダー被~第二動輪部
で運転操作と蒸気機関車の仕組みを説明させて頂きます。また全国の8620型保存機・広島県内の保存機・整備前後の比較・保存状態の悪い保存機の
各写真紹介する予定です。
私たちも「桜まつり」で本機の様子を知って頂く為に整備の作業行程を変更し準備いたしました。三次市内は元より広島県内及び隣県内外の皆さまどうか
04/05には三次市旧三次文化会館敷地にお越しくださいますようご案内申し上げます。 次回は2015/04/06の予定です。
* 2015/04/06
04/04 今日はW氏は出勤日なので私一人の作業でした。先ず作業的にはピンを外した逆転軸腕をジャッキで前方に動かす事を試みましたが1cm以上
は動かせませんでした。関連部位の錆と凝固も一因ですが86型の特徴である右サイドの推定20kg以上のウエイトが上がらない事が最大の問題と思われま
す。小畠さんがチェンブロックをお持ちなので後日お借りして加減弁テコの引き抜きも同時に行いたいと考えております。次に缶上部の安全弁(前)と汽笛を研
磨し磨き出し処理をおこないました。さらに運転室内の各部位の表示を付け整備作業の諸道具類をテンダー部に移動させ明日の公開に向けた準備を行いま
した。以前のイベントに使用されたSLみよし号のプレートを前方に付け、受付と資料紹介のテント2張りも用意され、夕刻WK氏も到着しライトアップをタイマー
セットした夕刻より大雨になり明日の公開が危ぶまれる天気となりましたが準備作業を終えました。遠く神奈川県から本機を見に来られた方がおられしばし歓
談しました。
04/05 「三次さくらまつり」当日です早朝から小雨状態でしたが開会のAM10時前からSLには家族連れが訪れられ始めました。W氏・奈良山氏・私で分担
し機体の説明を行い小畠さんと会社の若いスタッフ二人が受付をしていただきました。テンダーからはスピーカーで汽笛や走行音を流し臨場感を出しました。
開会時に各ブースの説明案内を私もさせていただき、公開開始です。若い親子連れからお年を召したご夫婦・SLファンの県外の方・「三次SL保存会」の面々
などなどが切れ間無く次々に来られ、用意したパンフレッツト(一家族一部)250が手渡され、推定700人以上の方々が本機をご覧になられました。受付も説
明役の三人も休む間もない程でしたが、多くの方々に本機の操作体験や整備状況を見て頂き確実に本機の存在が改めて認識された画期的な一日となりまし
た。これで48650号機は安泰と思われます。
さて、貴重な珍しい資料をW氏が入手されていましたので紹介したいと思います。それはある方が昭和20年1月1日と4月7日に津和野庫(当時は小郡機関
庫津和野支区)で本機を描写したスケッチ画です。このスケッチは本機の状態を克明に描かれており当時の姿を表すとともに、知り得ない状況が判明しました。
先ず車歴では1947~津和野とあるが既に1945年1月1日には津和野機関区に在籍していた事が伺えます。次にデフレクターの無い本来の機体であり、煙
突が化粧煙突である事。フロントデッキに四角い形の温水温め器がある事。(後のC55型やC57型機には丸型の給水温め器が付くがスケッチは四角い長方
型の様であり特殊な例と思われます。本来86型の給水温め器は缶胴被で覆われています。)また第一動輪部に本来86型の砂まき管が設置されている事。さ
らに右サイドに形態としてのスケッチにはやや疑問が残りますが配管から本省式給水ポンプの可能性があります。(似た事例としてはD50型機の初期製造機・
写真資料ではD50-61・74号機に設置)本来86型機は運転室内の二つの注水器を使用しますのでこれも異例かと思われます。本機の現状ではこの部位の
缶胴被が他の部位と比較すると新しく溶接されており、撤去したための造作の結果とも思われます。もちろんATS用発電機は装着しておりません。本機の前進
用砂まき管の第二動輪設置改造は広島工場管轄機に見られる特徴です。(18680・28683・38662号機など)
フロントデッキの四角いおそらく長方形の物体ですがこれは本省式給水温め器(本来はテンダーの前部に取り付ける)で実験的にフロントデッキに取り付けて
いたのでは無いかと想像できます。他に実験的に取り付けた仕様例がありますので、本機もおそらくその実験例として使用されていたと考えられます。その装着
時期は本機が名古屋局管内に配置されていた1921~1933の金沢機関区配属迄の間と考えられます。いずれにしろ本機の貴重な時代を反映する第一級の
資料と判断いたします。
04/12は西条市の「C57プラス」の学習会・04/18は下松市笠戸のD51-592号機の整備に出向きますので、次回は2015/04/20の予定です。
* 2015/04/19
先週はW氏ひとりでの作業であり運転室左側の錆止め剤塗布がされていました。また福山市の多木さんが来られスイッチボックス内の各スイッチを分解
・磨き作業をして頂きました。また東広島市の今本さんも来られ左クロスヘッド部のケレンをしていただいていました。その結果クロスヘッドの菊座ナットと
シリンダー後蓋下部に本機の刻印がありました。左合併テコには48650の下に78694の刻印がありました。78694号機は1961年に三次機関区で
廃車になっております。本機は既に下関機関区に配属されており同機の1955年三次機関区配属後か廃車後に広島工場で転用されたと考えられます。
クロスヘッドクランクには18622と判読できます。18622号機は1960年に岡山機関区で廃車になっていますが、本機との関連・転用は不詳です。
また、左リターンクランクには小さいR・大きいL・大きく薄いRが読み取れ本機が三度めの転用が伺えます。再研磨の結果下の刻印は88636と判読でき
ました。88636号機は1955年から三次機関区に配属され1965年に廃車になっており、転用されたのでしょう。しかし、一番最初の小さいRに関わる刻
印は確認できませんでした。本日は私は第一動輪部の打刻ケレンと左配管のケレン・W氏は第三動輪部の打刻ケレン・今週も来て頂いた福山市の多木さ
んはスイッチボックスの操作で前灯・前後標識灯・室内灯が点灯出来るようにしていただきました。先週の整備でスイッチは実に軽く作動しており数ある静
態保存機で実機同様に点灯出来るのは本機のみと思われます。また一つ可動環境が増え感動ものです。11月に旧文化会館の取り壊し作業が始まります
と「電源」の供給が断たれますが、それまでの間の整備期間中はなるべく灯火類は点灯させておきたいと思います。是非運転席から操作して体験されてく
ださい。 次回は2015/04/27の予定です。
* 2015/04/27
25日は私一人の作業でした。午前中は先ず左右先輪ボス・軸ツバの最終的なケレンと磨き出し処理をし、先週ケレンした左配管(前部)が降雨の影響
で錆が浮きましたので再ケレンし、続いて後部を更に左第一空気溜をケレンしました。午後からは運転室左側面のケレン未了部をケレンし、第一動輪部の
スポーク部を引き続きケレンしました。
26日はW氏は第一空気溜と配管・運転室側面上部と窓枠の錆止め剤塗布、私は左第一動輪部のシャーシー外側をケレンしました。左第一動輪の制輪
子釣りには本機の刻印がありました。左心向棒(ラジアス・ロッド)の中央部には78692の刻印がある事は以前にご紹介しましたが、後部加減リンクとの
接合部に本機の刻印がありました。左第一動輪部のケレンは一応終了しました。続いて前端梁下部~両先輪内側のケレンに取り掛かりましたが来週に持
ち越しました。本日は今本さん家族が来訪され引き続き左第三動輪部のケレンをお子さん・奥さんと共にしていただき、ほぼ完了に近い状態にしていただ
きました。W氏は27日から6日にかけて不連続で作業を行い今本さんも手伝って頂けるそうです。私は2日に訪問する予定です。 作業終了後新潟市新津
鉄道資料館の見学に参りますので 次回は2015/05/4の予定です。
* 2015/05/04
04/28/28/30でW氏・今本さん達によって、左第三動輪部・第一空気溜・配管・運転室左側面・テンダー後部の第一次黒塗り塗装が行われておりま
した。05/02私は引く続き先輪内側~胴軸箱守~フロントステップ内側の打刻ケレンを行いました。以前に触れましたように機関車がその機関車である
第一の証明は各製造工場が機体に取り付けている製造表示名盤が直接ですが、それが無い場合や取り換えられているケースもあります。車歴台帳が現
存しない以上機体の刻印が検証の必要不可欠な条件となります。本機の場合ロッド等の部位には48650の刻印が存在しますが、最も決めてとなる各動
輪ボス部位には残念ながら本機の刻印は今のところ確認できておりません
。
機体上部・動輪・シャーシが別物である可能性も残されています。残すはシャーシ(台枠)内部の基盤となる部位に本機の刻印の存在が決め手になりま
す。私が整備しました西条市のC57-44は4枚のプレートは当然ですが、各動輪各部位~シャーシ内部に確実にC57-44の刻印が存在しました。早く
確認したいのは山々でしたが作業行程上やっと内部のケレンに着手できました。
左右の先輪の軸箱守控をケレンしますとそこには48650の刻印がありました。第二動輪部をケレンしているWK氏に同部位のケレンをしてもらいますと、
やはり本機の刻印が存在しました。この事実から間違いなく本機は48650号機である事が検証出来ました。残りはテンダーでして全ての従輪軸ツバには
他機の刻印がある事から、テンダーは48650号機のテンダーでは無いのではという疑問が解決されておりませんが、いずれテンダー内部のケレン作業で
判明すると思われます。(こういう楽しみは後に取っておくと作業の励みになります。) 次回は2014/05/11の予定です。
05/02は別件で富山県~新潟県へ参りました。新潟市秋葉区の新津鉄道資料館に移転されたC57-19号機が保存されていますので見学にまいりまし
た。その様子は私のHP内のC57Aのページで紹介させていただいております。整備に関する問題提起になったかと思われます。
*2015/05/11
09は体調不良で伺えず10日のみ訪問しました。8/9とWK氏は一人で第二動輪部内側やシャーシ等のケレンをされていました。10日は私は先週に続き
フロントデッキ下部~先輪内側~シリンダー被内側~担バネバネ受け等のケレンを行いました。左右の担バネバネ釣りの受け部には本機の刻印がありまし
た。受け部に刻印が有るのは大変珍しいかと思われます。W氏のケレン作業で第一動輪軸箱守控・第一・第二動輪部担バネ胴締内側にも工場点検・部品番
号刻印が存在している事が判明していますが、詳細は来週の作業段階で紹介いたします。来週はV型心向棒~第一動輪部へと進む予定です。
次回は2015/05/18の予定です。
*2015/05/11追記
突然ですが体調不良の為一月程?、治療・療養を余儀なくされましたので、しばらく三次訪問ができなくなりました。体調が快復次第再び整備状況をお伝
えしたいと思います。本機の整備状況については、W氏のブログhttp://ameblo.jp/hotaka0715/「蒸気機関車48650保存活動日誌」、またはフェイスブック
http:www.facebook.com/sl48650「蒸気機関車48650(ハチロク)保存活動」をご覧頂ければ幸いです。それでは6月中旬以降に再びお伝えいたす予定です。
*2015/05/24
本日は入院前なのですが薬で抑える事が出来たので行動できました。先ず西条市の鉄道南館へ写真資料を持参しました。C57-44号機・C12-231号
機の整備前後の写真・私が2007年から3年間で全国の静態保存の蒸気機関車の現状を撮影した485枚の写真集です。南館で自由に閲覧していただける
ようになっております。解体されてしまった号機の貴重な写真もありますので御希望の方はスタッフにお申し出ください。
その後三次市に向かい整備活動はできませんでしたが2時間ほどお邪魔しました。今本さん親子も来られており分配弁や第三動輪のフランジ自動給油機部
をケレンされていました。W氏は先週までに左尻棒案内のカバーを外し尻棒を磨き出していました。また、合併テコ~結びリンク~心向棒の各ピンを抜きグリ
スアップし、外しておいた逆転棒と逆転軸腕のピンを入れ逆転ハンドルを強く前進に回すと回転がスムーズに動き、ほぼ逆転ハンドルは前・後進共にフルレン
ジ状態が可能になりました。前回チェンブロックで右ウエイトを釣り揚げし可動を試みましたが僅かに動いただけでしたが、その後WK氏が左右共に地道にグリ
スアップした効果が見事にでました。
各部位に本機の刻印が認められましたが、右シリンダー被第一覗き穴蓋には68697の刻印がありました。68697号機は1970年に下関機関区で廃車に
なっていますが1955年から下関機関区に配属されており、本機も下関機関区に配属されておりましたが、いずれにしろ広島工場管轄下ですので転用された
のでしょう。今回左右の覗き穴から内部を撮影しました。C57-44号機も中を覗きましたが内部は汚れていました。本機のピストン弁は輝いていました。
その後作業行程や活動に関してWK・小畠両氏と歓談して三次を後にしました。入院・手術・療養・リハビリの為に私の復帰は7月中旬かと思われます。快復
次第整備戦線に復帰します。しばらく猶予のほどご了解ください。
次回は7月中旬の予定です。その間は前記のW氏のブログをご覧ください。
*2015/09/14
09/12は整備現場に到着後、前回の課題である第三動輪制輪子釣の刻印部を精査しました。刻印の外枠がありやはり右に一文字ありブラシで擦りま
したが制輪子があり鮮明にはできませんでしたが、4が確認できやはり48628でした。48628号機は1955年から三次機関区に所属しており1965年
に廃車になっていますので、その間か廃車後本機に転用されたと思われます。この日は多木さんも来られテンダー後端の差し金具の場所に台座を製作し、
私が提供しました後灯を取り付けました。点灯しますとやはり雰囲気が変わりました。次に蒸気ドームを外し蒸気溜を露出させ確認をしました。ドームを外
す事も余り無いので三人とも興味津々でした。この日も私は先輪~第一動輪部内部の台枠・缶胴被下部のケレン作業を行いました。
09/13は今本さんが来られ右第二動輪部のケレンをしていただきほぼ終了しました。第一~第二動輪部は今本さんの奮闘で奇麗に仕上がりました。三
人作業をしていますので汽笛の再調整をしました。汽笛は鳴りますが低音の響きが今一であり、私が汽笛の笛ベルと笛蓋の調整・W氏が引き棒役で短音と
長音:今本さんが音の聞き役で何度か調整してかなり重厚な汽笛が鳴り始めました。次に先週タービン発電機の回転を試みましたが残念ながら回転せず、
主軸等に注油をして浸透を待ちました。圧搾空気を注入しますとATS発電機と異なり独特の重たい回転音を響かせ回転し、また一つ可動箇所が増えました。
次は運転席前の回転丸窓の可動をと考えております。台枠のケレンをしておりますのでシャーシ内部に前方から仰向けで潜り込む姿勢で低部位は粉塵ま
みれになりながらケレンをしております。第二動輪部までケレンを終了しました。
第二動輪の内側軸箱下部には左右とも48650の刻印が認められており、同部位は既に錆止め剤が塗布されております。また第一動輪の同部位にも撮
影は不可能ですが目視で、やはり48650の刻印が確認できます。第三動輪同部位に関しては未確認であり次の課題ですが恐らく同様に存在すると思わ
れます。動輪やボスには結局48650の刻印は認められませんでしたが、動輪軸箱に存在する事とその他の各部位に他機の刻印は認められるものの圧
倒的に48650の刻印が点在しており、本機本体は48650号機で有ると断定して差支えないかと思われます。テンダー従輪の軸ツバは全て九州各地で
活躍した各機の刻印が有る事は確認しております。テンダーが廃車直前には現在のテンダーである事は現存する写真で証明されておりますが、テンダー
台枠と上部(石炭庫・水槽)は別である可能性が残されており、本機にまつわる最大の課題であり、10月以降テンダー部の整備が待ち遠しいものです。 次は2015/09/20を予定しています。
* テンダー後灯に関して
8620型機テンダーライトはLP42型であり、その取り付け位置はテンダーの若干の形状差により石炭庫後端中央部に位置するものと、テンダー後端
中央部に位置するものに大別されるようです。本機の場合はテンダー後端中央部の取り付け金具(差し込み)に設置されていたもようで、台座を取り付け
て固定していたのが一般的と言われます。今回設置したLP42型は差し込みに対応していない為に、差し込み金具に台座を自作し固定して設置しており
ます。
このLP42ライトは本来愛媛県西条市のC57-44号機のテンダーライトでした。整備前は本体外側のみで点灯設備・ガラス・止め金具を欠損して修復
が難しい状態でした。北海道岩見沢市の嶋田さんより44号機に使用して頂きたいとお申し出があり、損傷はあるが御自身がお持ちのLP42ライトを送付
いただきました。そこで、両者を分解・合体させ100VLED点灯方式に改造しました。44号機の整備が終わりを迎えた時点で、岩見沢のC57型各機は
本来LP403を装着していたのだからと、北海道内で探していただき新たにLP403を送付していただき、それをテンダーに取り付けました。
私は余ったLP42の利用に関しては同じ愛媛県八幡浜市の79642号機の整備があるのなら、同じ北海道追分機関区の機関車ですから再利用をと考
えておりました。実際の79642号機のLP42は修復は可能かと判断しております。(具体的な79642号機の修復・整備は未定です。)79642号機の事
もありますが、48650号機のテンダー灯が当初の予定と異なり入手できないのであれば、暫時提供しておきたいと思い今回の措置を取った次第です。
(*2016/07で提供終了し、現在このLP42は宇部市のD51-18号機に取り付けております。)
* 機体右サイドのロッド等のケレンは完了しておりませんが、本体のケレンはほぼ終了していますので現時点における他機からの転用部品をまとめて
紹介したいと思います。以後新しく発見次第追加いたします。
号機 転用部位 廃車年・機関区 備考
8667 右 排水弁開閉棒作用腕 1956 下関 本機が下関機関区に配属中か廃車後の転用
18622 左 クロスヘッドクランク 1960 岡山
28699 左右 先輪軸ツバ 1960 津山
38625 逆転棒棒受け基部 1961 鳥取
48627 右 リターンクランク 1966 吉塚
48628 右 第三動輪制輪子釣 1965 芸備線管理所(三次)
58667 火格子揺すり棒 1960 三次 溶接棒による漢数字表記
68693 右 第二動輪制輪子釣 1966 芸備線管理所(三次)
68697 右 シリンダー被第一覗き穴蓋 1970 下関 1955年以降に転用(本機の下関配属以降)
78632 左右 第一動輪軸ツバ 1961 鳥取
78654 左 第二動輪制輪子釣 1948 米子
78692 左 心向棒 1959 遠江二俣 1933年本機が金沢機関区在籍時代か
78694 左右 合併テコ・左第一制輪子釣 1961 三次
88636 左 リターンクランク 1965 芸備線管理所(三次)
現在のところ16箇所に他機の部品の転用が認められます。やはり三次機関区で最後まで運用されていた機体ですので、定期・中間検査の都度転用され
本機にその姿を残す結果となり、廃車になった各機が本機に語り継いでいるように思えます。これも貴重な転用例と考えます。これとは別にテンダーの各従
輪の軸ツバには本機とは別の刻印が存在し、いずれも九州各地で活躍した86型の刻印ですので、石炭庫・水槽の上部と台枠は別である可能性があります。
* 次に、三次機関区(後には芸備線管理所)に在籍した8620型機の動向は以下の状況が伺えます。
号機 所属期間 廃車・移動等 年度別配属機数
8621 1955/08/01~1962/06/13 三次機関区で廃車 1955年度 17両
8623 1955/08/01~1955/12/21 三次機関区で廃車 1960年度 11両
8637 1955/08/01~1958/03/10 三次機関区で廃車 1965年度 9両
8649 ?~1955/04/~門司 1960/05/04佐々機関区廃車 1970年度 2両
8671 1955/08/01~1959/12/21 三次機関区で廃車
28638 1955/08/01~1966/10/17 三次機関区で廃車
28647 1955/08/01~1958/03/10 三次機関区で廃車
28665 1955/08/01~1960/03/10 三次機関区で廃車
28683 1964/04/01~1970/03/19~五能線管理所~1973弘前機関区で廃車
48628 1955/08/01~1965/07/09 芸備線管理所で廃車 右 第三動輪制輪子釣を48650号機に転用
48650 1965/02/01~1971/03/08 芸備線管理所で廃車 三次市文化会館で静態保存~現在に至る。
48651 1964/04/01~1965/12/17 芸備線管理所で廃車
58620 1955/08/01~1959/02/20 三次機関区で廃車
58622 1955/08/01~1967/10/22 芸備線管理所で廃車
58628 1955/08/01~1959/12/21 三次機関区で廃車
58667 1955/08/01~1960/03/31 三次機関区で廃車 火格子揺すり棒を48650号機に転用
68693 1955/08/01~1966/03/16 芸備線管理所で廃車 右 第二制輪子釣を48650号機に転用
78650 1955/08/01~1961/10/14 三次機関区で廃車
78675 1955/08/01~1965? 1970和歌山機関区~1972廃車 奈良県五条市で静態保存
78694 1955/08/01~1961/10/14 三次機関区で廃車 左右 合併テコを48650号機に転用
88636 1955/08/01~1965/07/09 芸備線管理所で廃車 左 リターンクランクを48650号機に転用
上記の如き配置動向が判明していますが、DD化の波は年度別の推移を顕著に表しています。最も長く芸備線で活躍してたのは8671・68693号機で11
年間在籍していました。78675号機の和歌山機関区への移動が1970年ならば15年間活躍した事になりますが、移動時期が判然としません。
本機は最も遅く配属され最後まで活躍した1両と言う事が言えます。28683号機は本機の廃車1年前に五能線管理所(青森)に移動しており1973年度に
弘前機関区で廃車になり、78675号機は和歌山機関区に移動し、1972年5月に廃車になりその後奈良県五条市で静態保存されており、現在も良好な状
態で保存活用されています。本機が芸備線最後の蒸気機関車として保存されたのも、このような経緯があったものと推察されます。
*2015/09/20
19日は早朝にフエリーで伊保田経由で笠戸島へ行き、整備に提供していた私の発電機を積み込み昼前に三次到着、午後から整備作業をしました。整備
人数が増えると容量の関係で文化会館のヒューズが落ち作業が出来なくなる事が生じましたので、これで安心して作業が出来る事になりました。
今日も今本さんが参加されており右第二動輪部の仕上げ作業です。テンダー後部の自動連結器が黒く塗られており、持参したブレーキホースを所定の掛
け部に装着しました。有るべき物がある・・それだけで雰囲気が変わり当時のテンダー廻りが完成に近づきました。私はその後台枠内部のケレン作業を続け
ほぼ完了しました。次回は錆止め剤を塗布する予定です。今本さんが第ニ動輪制輪子釣に68693の刻印を見つけました。68693号機は1966年に芸備
線管理所で廃車になっており、廃車後の転用かと思います。 次回は2015/09/24の予定です。
* ブレーキホース取り付け金具に関して
テンダー後部右ステップと後端璧に4箇所の金具を設け、ブレーキホースの予備を逆U字に装着するのはタンク式(C10・11・12)以外の大型機関車に
見られる特徴です。8620型全672両の内で私の手元にある8620型の写真は378枚で、テンダー後部が写されている写真資料は静態保存機を含め
37枚です。(機関車の撮影の場合正面や斜め前方からが大半であり、背後からの写真は数が少ないです。)その内17両に装着金具があり、14両が九
州各地の機関区に配属されている共通点があります。ちなみに9600型全770両の内手元の写真は564枚でテンダー後部写真は46両あり、その内
19両に装着金具がありやはり17両が九州各地の機関区に配属されているという共通点があります。C57・C58・D51型では全国の各工場で装着されて
いるようです。付記します一覧表をご覧ください。(ブレーキホース取り付け金具に関する基本的なデータが少なく、断定するには問題があろうかと思いま
す。この件について御存知の方がおられましたらご教示いただければ幸いです。)
8620型・9600型テンダー右ステップの予備ホース掛け金具の一覧表
機番号 | 金具・形態 | 製作年 | 製造所 | 1955機関区 | 廃車年・機関区 | 保存等 | 備考 |
8620 | 無し | 1914 | 汽車製造 | 松山 | 1958・松山 | 静態保存・青梅市 | |
8630 | 無し | 1914 | 汽車製造 | 平 | 1979・梅小路 | 動態保存・梅小路 | |
28627 | 4点保持 | 1919 | 汽車製造 | 吉塚 | 1974・若松 | 写真資料 | |
28651 | 無し | 1919 | 汽車製造 | 多治見 | 1973・福井 | 静態保存・大野市 | |
28683 | 4点保持 | 1920 | 汽車製造 | 出水 | 1973・弘前 | 1964・三次 | 写真資料 |
28688 | 無し | 1920 | 汽車製造 | 東能代 | 1960・東能代 | 写真資料 | |
39636 | 無し | 1920 | 汽車製造 | 尻内 | 1968・一ノ関 | 写真資料 | |
38650 | 4点保持 | 1921 | 日立笠戸 | 若松 | 1968・鳥栖 | 写真資料 | |
48624 | 無し | 1921 | 川崎重工 | 帯広 | 1963・帯広 | 静態保存・音更町 | |
48640 | 無し | 1921 | 汽車製造 | 盛岡 | 1973・弘前 | 静態保存・弘前市 | |
48647 | 4点保持 | 1921 | 汽車製造 | 伊万里 | 1973・人吉 | 静態保存・高千穂 | |
48648 | 無し | 1921 | 汽車製造 | 金沢 | 1968・金沢 | 写真資料 | |
48650 | 4点保持 | 1921 | 汽車製造 | 下関 | 1971・三次 | 静態保存・三次市 | |
48674 | 無し | 1922 | 汽車製造 | 鹿児島 | 1972・鹿児島 | 写真資料 | |
48677 | 無し | 1922 | 汽車製造 | 小郡 | 1969・梅小路 | 写真資料 | |
48693 | 4点保持 | 1921 | 日立笠戸 | 南延岡 | 1971・南延岡 | 写真資料 | |
48696 | 4点保持 | 1922 | 日立笠戸 | 鹿児島 | 1971・鹿児島 | 静態保存・大牟田市 | |
58623 | 無し | 1922 | 日本車両 | 松山 | 1970・小松島 | 静態保存・豊川市 | |
58625 | 4点保持 | 1922 | 日本車両 | 豊後森 | 1971・豊後森 | 写真資料 | |
58629 | 無し | 1922 | 日立笠戸 | 中湧別 | 1959・中湧別 | 保存後・解体羽幌町 | |
58654 | 4点保持 | 1922 | 日立笠戸 | 西唐津 | 1975・人吉 | 動態保存・熊本市 | |
58660 | 無し | 1922 | 汽車製造 | 平 | 1970・平 | 写真資料 | |
58680 | 4点保持 | 1922 | 汽車製造 | 佐倉 | 1971・福井 | 静態保存・茂原市 | |
58683 | 4点保持 | 1922 | 汽車製造 | 佐倉 | 1969・佐倉 | 静態保存・佐倉市 | |
58685 | 無し | 1922 | 汽車製造 | 小松島 | 1969・小松島 | 静態保存・多度津町 | |
58689 | 4点保持 | 1922 | 汽車製造 | 鹿児島 | 1972・大分 | 2112解体 小倉 | 写真資料 |
68623 | 4点保持 | 1923 | 川崎重工 | 豊後森 | 1973・鳥栖 | 写真資料 | |
68660 | 4点保持 | 1923 | 日本車両 | 大分 | 1973・若松 | 写真資料 | |
68691 | 無し | 1923 | 日立笠戸 | 弘前 | 1969・大館 | 静態保存・山形市 | |
68692 | 無し | 1923 | 日立笠戸 | 松山 | 1970・小松島 | 静態保存・徳島市 | |
78626 | 4点保持 | 1923 | 川崎重工 | 西唐津 | 1974・南延岡 | 静態保存・遠賀町 | |
78653 | 無し | 1924 | 日立笠戸 | 日立大子 | 1970・水戸 | 静態保存・深浦町 | |
78658 | 無し | 1924 | 日立笠戸 | 東灘 | 1968・竜華 | 写真資料 | |
78667 | 無し | 1924 | 日本車両 | 大館 | 1973・弘前 | 写真資料 | |
78674 | 無し | 1925 | 川崎重工 | 竜華 | 1968・岡山 | 写真資料 | |
78675 | 4点保持 | 1925 | 川崎重工 | 三次 | 1972・和歌山 | 静態保存・五条 | |
88662 | 4点保持 | 1926 | 汽車製造 | 千葉 | 1974・若松 | 静態保存・壱岐市 | |
機番号 | 金具・形態 | 製作年 | 製造所 | 1955機関区 | 廃車年・機関区 | 保存等 | 備考 |
9608 | 無し | 1914 | 川崎重工 | 吹田 | 1962・大宮 | 静態保存・青梅市 | |
9625 | 無し | 1914 | 川崎重工 | 青森 | 1973・青森 | 静態保存・宮古市 | 写真資料 |
9628 | 無し | 1914 | 川崎重工 | 富山 | 1970・富山一 | 静態保存・富山市 | |
9633 | 無し | 1914 | 川崎重工 | 小樽築港 | 1979・梅小路 | 静態保存・梅小路 | |
9634 | 無し | 1914 | 川崎重工 | 長町 | 1972・米沢 | 写真資料 | |
9642 | 無し | 1914 | 川崎重工 | 吹田 | 1969・竜華 | 写真資料 | |
9643 | 無し | 1914 | 川崎重工 | ーー | 1949日曹炭鉱 | 静態保存・札幌市 | |
9645 | 無し | 1914 | 川崎重工 | 函館 | 1971北炭真谷 | 静態保存・深川市 | |
9646 | 無し | 1914 | 川崎重工 | 直江津 | 1972・長野 | 静態保存・豊野町 | 写真資料 |
9648 | 無し | 1914 | 川崎重工 | 直江津 | 1969・直江津 | 写真資料 | |
9667 | 無し | 1915 | 川崎重工 | 青森 | 1971・青森 | 静態保存・高萩市 | |
9687 | 4点保持 | 1915 | 川崎重工 | 五稜郭 | 1969・大宮 | 静態保存・川口市 | |
19633 | 4点保持 | 1917 | 川崎重工 | 若松 | 1973・若松 | 静態保存・北九州 | |
19648 | 無し | 1917 | 川崎重工 | 富山 | 1970・富山一 | 静態保存・高山市 | 写真資料 |
19661 | 無し | 1918 | 川崎重工 | 北見 | 1975・稚内 | 写真資料 | |
19671 | 無し | 1918 | 川崎重工 | 追分 | 1975・帯広 | 静態保存・帯広市 | |
19673 | 無し | 1918 | 川崎重工 | 追分 | 1975・追分 | 写真資料 | |
29601 | 無し | 1918 | 汽車製造 | 函館 | 1976・滝川 | 写真資料 | |
29602 | 無し | 1918 | 汽車製造 | 御藤寺 | 1973・御藤寺 | 写真資料 | |
29609 | 無し | 1918 | 汽車製造 | 平 | 1970・平 | 写真資料 | |
29611 | 4点保持 | 1918 | 汽車製造 | 直方 | 1974・後藤寺 | 静態保存・大町町 | |
29612 | 4点保持 | 1918 | 汽車製造 | 西唐津 | 1974・行橋 | 静態保存・玖珠町 | |
29617 | 無し | 1918 | 川崎重工 | 平 | 1967・平 | 写真資料 | |
29622 | 無し | 1918 | 川崎重工 | 長野 | 1976・岩見沢一 | 静態保存・新潟市 | |
29625 | 無し | 1918 | 川崎重工 | 姫路一 | 1971・西舞鶴 | 写真資料 | |
29638 | 無し | 1917 | 国鉄小倉 | 倶知安 | 1969・名寄 | 静態保存・旭川市 | |
29651 | 無し | 1918 | 国鉄小倉 | 御藤寺 | 1972・直方 | 写真資料 | |
29657 | 無し | 1919 | 川崎重工 | 鹿児島 | 1976・滝川 | 静態保存・魚沼市 | |
29669 | 無し | 1919 | 川崎重工 | 新鶴見 | 1975・旭川 | 写真資料 | |
29685 | 無し | 1919 | 川崎重工 | 稲沢 | 1972・秋田 | 写真資料 | |
29695 | 無し | 1919 | 川崎重工 | 直方 | 1974・後藤寺 | 写真資料 | |
29698 | 無し | 1919 | 川崎重工 | 新庄 | 1971・西舞鶴 | 写真資料 | |
39615 | 無し | 1919 | 汽車製造 | 岩見沢 | 1973・小樽築港 | 写真資料 | |
39620 | 4点保持 | 1919 | 汽車製造 | 直方 | 1974・直方 | 写真資料 | |
39621 | 無し | 1919 | 汽車製造 | 米沢 | 1968・米沢 | 写真資料 | |
39625 | 4点保持 | 1919 | 汽車製造 | 直方 | 1971・直方 | 写真資料 | |
39659 | 4点保持 | 1919 | 川崎重工 | 直方 | 1974・後藤寺 | 写真資料 | |
39663 | 無し | 1919 | 川崎重工 | 青森 | 1971・青森 | 写真資料 | |
39668 | 4点保持 | 1919 | 川崎重工 | 門司 | 1972・門司 | 写真資料 | |
39682 | 4点保持 | 1920 | 川崎重工 | 大分 | 1974・行橋 | 写真資料 | |
39685 | 無し | 1920 | 川崎重工 | 行橋 | 1971・坂町 | 静保存・さいたま市 | |
49600 | 無し | 1920 | 川崎重工 | 深川 | 1975・遠軽 | 静態保存・美瑛町 | |
49612 | 無し | 1920 | 川崎重工 | 帯広 | 1976・滝川 | 写真資料 | |
49615 | 無し | 1920 | 川崎重工 | 岩見沢 | 1976・岩見沢一 | 写真資料 | |
49616 | 無し | 1920 | 川崎重工 | 岩見沢 | 1976・岩見沢一 | 保存・大井川千頭駅 | |
49627 | 無し | 1920 | 川崎重工 | 直方 | 1968・御藤寺 | 静態保存・福岡市 | 写真資料 |
49634 | 無し | 1920 | 川崎重工 | 北見 | 1973・遠軽 | 写真資料 | |
49643 | 無し | 1920 | 川崎重工 | 北見 | 1970・北見 | 静態保存・網走市 | |
49648 | 無し | 1920 | 川崎重工 | 名寄 | 1976・追分 | 静態保存・中頓別町 | |
49652 | 無し | 1920 | 川崎重工 | 小樽築港 | 1969・室蘭 | 写真資料 | |
49654 | 4点保持 | 1920 | 川崎重工 | 鹿児島 | 1974・後藤寺 | 写真資料 | |
49671 | 無し | 1920 | 川崎重工 | 五稜郭 | 1971・名寄 | 静態保存・真岡市 | |
49679 | 4点保持 | 1921 | 川崎重工 | 鳥栖 | 1974・後藤寺 | 写真資料 | |
49694 | 無し | 1921 | 川崎重工 | 鷲別 | 1961・鷲別 | 静態保存・長沼町 | |
59601 | 無し | 1921 | 川崎重工 | 名寄 | 1972・名寄 | 静態保存・名寄市 | |
59611 | 無し | 1921 | 川崎重工 | 鷲別 | 1975・帯広 | 静態保存・大樹町 | |
59614 | 無し | 1921 | 川崎重工 | 深川 | 1976・滝川 | 静態保存・小樽市 | |
59634 | 4点保持* | 1922 | 川崎重工 | 山形 | 1974・後藤寺 | 静態保存・北九州市 | 中央保持 |
59647 | 4点保持 | 1922 | 川崎重工 | 行橋 | 1974・後藤寺 | 保存・直方汽車倶 | |
59658 | 無し | 1922 | 川崎重工 | 木古内 | 1968・五稜郭 | 写真資料 | |
59669 | 無し | 1922 | 川崎重工 | 田端 | 1975・滝川 | 写真資料 | |
59672 | 無し | 1922 | 川崎重工 | 池田 | 1975・帯広 | 静態保存・新得町 | |
59683 | 無し | 1922 | 川崎重工 | 滝川 | 1975・帯広 | 静態保存・斜里町 | |
59684 | 4点保持 | 1922 | 川崎重工 | 行橋 | 1974・行橋 | 静態保存・田川市 | |
59694 | 無し | 1922 | 川崎重工 | 滝川 | 1975・旭川 | 写真資料 | |
69616 | 4点保持 | 1922 | 川崎重工 | 宮地 | 1973・熊本 | 写真資料 | |
69624 | 無し | 1922 | 川崎重工 | 倶知安 | 1975・北見 | 写真資料 | |
69625 | 無し | 1922 | 川崎重工 | 遠軽 | 1975・遠軽 | 写真資料 | |
69633 | 無し | 1922 | 川崎重工 | 長岡一 | 1975・池田 | 写真資料 | |
69638 | 4点保持* | 1922 | 川崎重工 | 門司 | 1972・直方 | 写真資料 | |
69644 | 無し | 1922 | 川崎重工 | 遠軽 | 1975・遠軽 | 静態保存・紋別市 | |
69659 | 無し | 1922 | 川崎重工 | 直方 | 1967・直方 | 写真資料 | |
69665 | 無し | 1923 | 川崎重工 | 宮地 | 1973・熊本 | 静態保存・熊本市 | |
69686 | 無し | 1923 | 川崎重工 | 宮地 | 1973・後藤寺 | 写真資料 | |
79601 | 4点保持 | 1923 | 川崎重工 | 門司 | 1973・西唐津 | 写真資料 | |
79613 | 無し | 1924 | 川崎重工 | 伊達紋別 | 1973・倶知安 | 写真資料 | |
79615 | 無し | 1924 | 川崎重工 | 伊達紋別 | 1974・小樽築港 | 静態保存・倶知安町 | |
79616 | 無し | 1924 | 川崎重工 | 伊達紋別 | 1976・追分 | 静態保存・日高町 | |
79635 | 無し | 1925 | 川崎重工 | 直方 | 1972・直方 | 写真資料 | |
79642 | 無し | 1924 | 川崎重工 | 高山 | 1976・追分 | 静態保存・八幡浜市 | |
79657 | 4点保持 | 1924 | 汽車製造 | 行橋 | 1974・行橋 | 写真資料 | |
79668 | 4点保持 | 1926 | 汽車製造 | 若松 | 1974・行橋 | 写真資料 |
このテンダー後部右ステップのホース掛け金具装置は、8620型機で九州以外の機関区に所属した機関車にはほとんど見受けられませんので、小倉・
鹿児島工場で取り付けた(九州型)ものと考えても差し支えないのではと思われます。本機の金具も同様でありますが車歴では1955年時に九州ではあり
ませんが下関機関区に所属しています。テンダー第一従輪の軸ツバには58645の刻印があり1955年時西唐津機関区所属~1971鳥栖機関区廃車、
第二従輪軸ツバには38681の刻印があり、1955年時吉松機関区所属~1963年同機関区廃車ですので、本来は広島工場での点検・整備するのが何
らかの事情で小倉工場でなされた可能性があり、テンダー台枠が別物ではという考えの理由であります。
* 2015/09/24
09/22・23はWさんは休養日で僕ちゃんとノンビリ・・私は缶胴被下部~台枠内部~第二・第一動輪部内部~シリンダー被内部の錆止め剤を塗布しまし
た。窮屈な台枠内部を仰向けや不自由な姿勢で一日塗装作業しましたので、夕方には首や肩が凝りましたが何とか吹き付け終了です。
09/23は第一動輪部~第二動輪部~第二空気溜に錆止め剤の吹き付け作業を行いました。右加減リンク受けにNと?の白文字がありましたが鮮明で無
く判読不能であり、写真で記録しておきました。第二動輪の担バネ胴締にはC58 GT 38-5・39-5・40-5の刻印がありました。GTは後藤工場(米子
市)の略称であり本機は広島工場(HS)の管轄下ですので、この担バネ胴締も他機の転用と考えられる。また第二動輪軸ツバには検シ32-9(HS)111の
刻印がありましたが、残念ながらボスに本機の刻印はありませんでした。 次回は2015/09/28の予定です。
* 2015/09/28
09/26は午前中は私と今本さんで作業開始、今本さんは右ロッドの塗料落し(サンダー掛けの前段階)作業、私は右第三動輪部~運転室下部のケレン
作業、午後からはW・今本両氏は運転室天井部のケレンと穴埋め等の修復作業を行いました。天井部は鉄板が薄く損傷箇所が多数あるために慎重な作業
でした。私は午前中のケレン部位の錆止め剤塗布作業を行いました。
09/27はW氏は天井部の修復作業の継続、私は台枠後部の火室風炉・灰炉~両ブレーキシリンダー~台枠後端梁のケレン作業を午前中に行い、午後
からは同部位の錆止め剤塗布作業を行いました。左ブレーキシリンダーには三菱マーク・254Х250の表示・右ブレーキシリンダーには同数字がありまし
た。台枠部で残りは最も作業が困難な第三動輪部内側のみとなりました。来週で台枠部位の作業を終了の予定です。
次回は2015/10/04の予定です。
* 2015/10/04
10/03は日帰りの作業でした。到着後ケレンが最後に残っていた前灰炉~第三動輪内側~車軸~軸箱~担バネ~後灰炉までを午前中に作業しまし
た。制動梁や制動棒があるので線路床に敷いたコンパネに仰向けの姿勢でしたが何とか作業完了でした。第三動輪の軸箱下部・軸箱守控・軸箱クサビ
には左右とも48650の刻印が残されていました。これで第一~第三の動輪軸箱にはそれぞれ48650の刻印が丁寧に穿ってありました。また担バネ左
胴締にはHS42 8(広島工場 昭和42年8月)の刻印が、また右担バネ胴締には部品番号のC52・C42の刻印 さらにHS34 1・35-12 ・38-2
の点検刻印がありました。テンダー従輪の担バネ胴締にもHS 42-8の刻印があります。本機は昭和46年に廃車ですのでその4年前の最後の点検(全
検)年月かと思われます。
午後からは運転室右側面のケレン作業を行いました。WK氏は午前中に引き続き運転室天井部のケレン作業を行いました。次の10日に天井部~右側
面の錆止め剤を塗布し、17~18日で前端梁裏~台枠内~動輪内側~後端梁~運転室天井・右側面の第一次黒塗装をする予定です。これで本機の本体
がほぼ終了になります。(運転室内・ロッドや細管の磨き出しは最終段階での作業になります。) 次回は2015/10/11の予定です。
* 2015/10/11
10/10は翌日に西条市のC57-44号機の「C57プラス」の会がありますので日帰りの作業となりました。早朝現場に到着しましたが三次盆地特有の濃
い霧に覆われ、白い太陽が11時頃に姿を見せ昼過ぎにやっと日差しが当たりました。これからはこういう気象状況が続きます。ヘッド・標識灯が霧の中で
光りそれなりに味わいがありました。
先ず、運転室天井部の粉塵を圧縮空気で吹き飛ばし、錆止め剤を塗布しました。続いて助手席前入口扉部~運転室右側までを午前中に完了し、午後か
らはテンダー右側面をケレンしました。ケレンしますといとも簡単に塗装がはげ落ちました。機体の缶胴被や台枠・動輪・ロッド等は少なくとも下塗り後二層
の塗装が(部分的には三層)されていますが、テンダー側面は下塗りも無く薄い被膜で吹きつけられています。テンダー台枠や担バネ等は少なとも二層の
かなり分厚い塗装幕がありますので、上下の塗装の違いからも別物の疑惑が改めて浮上しました。従輪軸箱蓋の表層を叩き落すと手書きのR1・多分48
650の文字が微かに浮かびあがりました。他の軸箱蓋にもある模様なので後日確認します。来週に台枠~右サイド~天井を第一次黒塗りをするために、
高圧洗浄で粉塵を洗い流して作業を終了しました。
先週に今本さんたちが右ロッド等の第一次磨き出しをしました。右サイドの刻印が明確になっていますので紹介しておきます。右合併テコには左同様に
78694の刻印があり、右リターンクランクには48627の刻印が認められます。元印は非常に薄いのと重なっていますので断定はできませんが、5の下に
2・0の下に7が読み取れます。48627号機は1966年に吉塚機関区(福岡)で廃車になっています。本機との接点はありませんが、本機が1949年から
下関機関区に配属されていた機関に何らかの理由で小倉工場で点検整備をした可能性が考えられます。テンダーの軸ツバの件と併せて考えると興味ある
転用かと思われます。 次回は2015/10/19の予定です
* 作業がテンダー部に移行しましたので今後はテンダー~運転室等の整備内容はN0-2で公開致します。