C12型蒸気機関車 1932~1947の間に293両製造 全国に32両保存 32両を紹介します。
主要諸元
全長 11.35m 全高 3.9m 総重量 50.t 水槽 5.5㎥ 石炭庫 1.5t 先・従輪径 860mm 動輪径 1400mm
最大出力 505ps 最高速度 65km/h
製造所 川崎重工兵庫工場・汽車製造大阪工場・日本車両名古屋工場・日立製作所笠戸工場・三菱重工業三原工場
C12-2号機 場所 北海道三笠市幌内町 三笠鉄道記念館
車暦 1932汽車製造 1933一ノ関~1941旭川~1945苫小牧~1955苗穂工場~1969 廃車 1970保存開始 1986~三笠鉄道記念館
状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内は速度計欠 他は完備 良好な状態で館内に保存されている。
* 再訪して見ました。右側はプラットホームのため撮影は不可です。刻印は確認できた範囲では本機のものでした。 撮影日2007/07/14・2009/08/14・2011/07/22
* 本機が1949(S24)年当時、苫小牧機関区に所属し日高線・千歳線等で活躍していた頃、僚機のC12-5・7・14号機も所属していた。本機は1955に苗穂
工場に移動し工場内で駐機し廃車になるまで、ほぼ本線での運用は無かった模様である。その後C12-5号機は各地を転配属した後廃車となり、山梨県韮崎
市で静態保存されている。
C12-5号機 場所 山梨県韮山市藤井町中央公園 陸上競技場南
車暦 1932汽車製造 1933宇都宮~1934桐生~1937苗穂~1938遠軽~1941中湧別~1945苫小牧~小樽築港~1955軽井沢~1969横川~1970廃車・
保存開始・・・・ 2000~現地保存
状態 塗装は普通だが各所に錆び・腐食進行 外装諸装備良好 運転室内圧力計欠 屋外保存であるが整備を受けておらず荒廃気味である。
*撮影後日再塗装され外観はきれいになっている。 撮影日2007/8/18
* 再訪してみました。きれいに塗装され木々の緑に調和していました。腐食の穴はそのままでした。これでもかという塗装ですので確認できた刻印は
皆無でした。しばらくは現状を保つでしょう。 撮影日 2011/05/27
* 本機は1955(S30)年~1969(S44)年当時、横川機関区に所属し軽井沢駅に常駐していた頃、僚機にはC12-7号機も所属していた。その後本機は甲府
機関区に移動し、1970(S45)年/4/18 甲府~塩山間のさよなら列車(信玄号)をC12-280号機と背中合わせの重連で牽引する栄誉を果たした後廃車とな
り、当初は甲府城跡の舞鶴公園に静態保存された。なお僚機の280号機は遠く離れた徳島県小松島市で静態保存されている。当時の甲府機関区にはC12-
8・249・286号機も配属されていた。C12-7号機は東京都品川区で静態保存されていたが、1996年に解体処分された。
C12-6号機 場所 北海道小樽市手宮1丁目 小樽交通記念館
車暦 1933汽車製造 1933名古屋~1941函館~1945標茶~1953小樽築港~1973廃車 1976保存開始
状態 塗装は退色 外装諸装備完備 運転室内諸計器類完備・操作・電気系統機器も完備 屋外保存であり保存状態は普通である。
* 右下の写真は 1969/03/22 小樽築港機関区にて 藤田憲一氏撮影
* 再訪して見ました。変わらない状態でしたが塗装がやや退色気味でした。 撮影日 2007/07/14・2009/08/14
* ロッド等も錆が浮き上がり、薄い刻印は確認が難しい状態になっています。C55-50号機で述べましたが客から入場料金を取る以上最高の状態で
見せるべきと思いますが運営上の問題でしょうか。右スベリ棒後端部にキ528もしくは523の刻印がありますが、除雪車キ500系に使用されたもの
なのでしょうか、私には解りませんので、除雪車に詳しい方のご教示をいただきたいと思います。 撮影日 2011/7/28
* 本機が1955(S30)年当時、小樽築港機関区に所属し函館本線等で活躍していた頃、僚機にはC12-36・64号機も所属していた。同機関区には8620型
機2両・9600型機10両・C51型機5両・C57型機13両・D51型機19両も配属されていた。その後各機端各地に転配属された。本機以外ではC12-36号機
が大阪市住之江区、64号機は遠く宮崎県都城市で、また9633号機、C57-57・135・201号機、D51-483・943号機が各地で静態保存されてい
る。
* 本機が1973(S48)年当時、小樽築港機関区に所属して廃車を迎えようとしていた頃、僚機にはC12-38・64・225号機も所属していた。既にDD化され用途
廃止になった9600型(9681・1950・2961・29675・39612・39615)6両・D51型機29両・C62-3号機も機関区内に駐機している状態であったが、その
後DL化に伴い各機は廃車・解体の経過をたどり、D51-59・70・231・916・943・1149号機が各地で静態保存されている。その後小樽築港機関区は廃
止された。C12-225号機は鹿児島県霧島市で静態保存されていたが2007/5に解体された。(JR九州・鹿児島工場?が解体作業か?未確認情報)
C12-29号機 場所 埼玉県さいたま市大宮区下町 山丸児童公園内
車暦 1933日立笠戸工場 1933出雲三成~1941滝川~1949渚骨~1955横浜~1959大宮工場~1969廃車 1970保存開始
状態 塗装は普通 汽笛欠 前後プレートはレプリカ 他の外装諸装備良好 運転室内未確認(上部圧力計は確認) 屋外保存であり、保存状態は普通である。 撮影日2008/5/12
* 再訪してみました。公園が整備中で左サイドは撮影ができませんでした。左右共に刻印は確認できませんでした。撮影日 2011/9/27
* 本機が1957(S32)年当時、横浜機関区に所属し根岸線等で活躍していた頃、僚機のC12-18・247号機も所属していた。当時の横浜機関区には8620型
機17両・C56型機6両・C58型機7両も配属されていた。その後各機はDL・電化に伴い各地に転配属された。その後本機は大宮工場にに移動し工場内で駐機し
ており、本線での運用は無かった模様である。本機以外ではC56-160号機がその後京都市鉄道博物館で動態保存されている。
C12-38号機 場所 大阪府大阪市住之江区南港5丁目 共栄興業株式会社
車暦 1939日立笠戸工場 1933名古屋~1941苗穂~1945滝川~1949標茶~1954小樽築港~1974 廃車 保存開始?
状態 塗装は極上で各所磨き上げ 外装諸装備完備 運転室内諸計器類・操作・電気系統機器も完備 C12型保存機の中では最良の状態で保存されている。 撮影日2007/11/9
* 再訪してみました。今回は時間に余裕があったので足回りと運転室内部が撮影できました。 左合併テコには刻印が重なっており、C622と判読でき
るのと、C1222と解釈できるかもしれません。C62-2号機は1957年から小樽築港機関区に所属しており、交換転用の可能性は高いのですが、私に
は合併テコの長さがC12とC62では転用可能なのか解りません。C12-22号機は1968年に土崎工場で廃車を迎えています。東北を中心に活動して
いますので交換の場所が存在したか不明です。また、左後輪にはC1264の刻印があります。C12-64号機は本機と共に1954年に小樽築港機関区
に配属されていますので、苗穂工場で交換転用されたのでしょう。それ以外は確認できた範囲では本機のものでした。また、先輪の左右が反対に取り付
けられていました。 撮影日2010/3/27
* 本機が1955(S30)年当時、小樽築港機関区に所属し函館本線等で活躍していた頃、僚機にはC12-6・64号機も所属していた。同機関区には8620型機
2両・9600型機10両・C51型機5両・C57型機13両・D51型機19両も配属されていた。その後各機端各地に転配属された。本機以外ではC12-6号機が北
海道小樽市、64号機は遠く宮崎県都城市で、また9633号機、C57-57・135・201号機、D51-483・943号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時、小樽築港機関区に所属して廃車を迎えようとしていた頃、僚機にはC12-6・64・225号機も所属していた。既にDL化され用途廃
止になった9600型(9681・1950・2961・29675・39612・39615)6両・D51型機29両・C62-3号機も機関区内に駐機している状態であったが、その後各
機は廃車・解体の経過をたどり、D51-59・70・231・916・943・1149号機も各地で静態保存されている。その後小樽築港機関区は廃止された。C12-
225号機は鹿児島県霧島市で静態保存されていたが2007/5に解体処分された。
C12-49号機 場所 群馬県桐生市宮本町 桐生ケ丘公園遊園地内
車暦 1934川崎車輌 1934桐生~1968高崎第一 廃車 1970保存開始
状態 塗装は良好 外装諸装備完備 運転室内水面計欠 他の諸計器類良好 屋外に屋根付きで保存されており、足回りも整備を受け良好な状態である。
* 再訪しました。変わらない状態で保存されていますが明確に確認できた刻印は数か所のみでした。 撮影日 2007/10/19・2011/09/24
* 本機が1955(S30)年当時、桐生機関区に所属し両毛線で活躍していた頃、僚機にはC12-23・46・47・48・92・255・279号機も所属していた。その後
各機は各地に転配属された。
* 本機が1967(S42)年当時では僚機はC12-41・47号機に交代所属していた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどり保存され
たのは本機のみである。
C12-60号機 場所 福島県伊達郡飯野町 飯野福祉センター
車暦 1934汽車製造・・?・・1941宮原~1943西舞鶴~1955出雲今市~米子~1961西舞鶴~1972会津若松 廃車・保存開始
状態 塗装は普通だが各所に錆び・汚濁雫・腐食進行 外装諸装備完備 運転室内速度計欠 圧力計針欠 両水面計は外枠のみ室内やや荒廃気味 屋外保存で
あるが、最近の整備は受けておらず荒廃状態である。
* 再訪してみました。塗装の退色と錆が進行していました。 撮影日 2007/09/12・2010/05/1320
* 錆や腐食がさらに進行しており早急の整備が必要な状態になっています。機体と柵間が狭いので動輪等の撮影が難しい状態です。唯一右クロスヘッ
ドソケットに本機の刻印が残っています。 撮影日 2011/10/28
* 本機が1955(S30)年当時、出雲今市(出雲)機関区に所属し大社線で活躍していた頃、僚機のC12-201号機も所属していた。その後各機は各地に転配
属された。
* 本機が1971(S46)年当時、西舞鶴機関区に所属していた頃、僚機にはC12-32・51・215・244号機も所属していたが、宮津線での運用も無く構内入れ
替えを担当していた。また、29625・29680・29698・69653号機、C58-113・170・204号機も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過
をたどった。本機以外ではC12-244号機が岐阜県恵那市で、C58-113・170号機も各地で静態保存されている。
* 本機は1972(S47)5/14に川俣線で行なわれた「さよならSL列車」を、僚機のC12-66号機と重連で牽引する栄誉を果たした後、廃車・静態保存となり5/1
5には現地に搬入され保存が開始された。僚機のC12-66号機は今も真岡鉄道で現役で活躍している。
C12-64号機 場所 宮崎県都城市今町 鉄道記念公園内
車暦 1934汽車製造 1934長万部~1941函館~1945標茶~1949北見~1954小樽築港~1974吉松~1975廃車・保存開始
状態 塗装は普通でカラフル 外装諸装備完備 運転室は柵内のため未確認(缶圧力計は確認) 屋外に保存されており保存状態は普通であるが、全体的に汚れ
が出始めている。 撮影日2007/09/12
* 左公式サイドは柵内とプラットホームのため撮影できませんでした。右先輪にC11177の刻印がありました。C11-177号機は1973年に苗穂機関
区で廃車になっており、廃車後本機に転用され本機は吉松機関区に配属されたと思われます。 撮影日 2011/04/28
* 本機が1955(S30)年当時、小樽築港機関区に所属し函館本線等で活躍していた頃、僚機にはC12-6・36号機も所属していた。同機関区には8620型
機2両・9600型機10両・C51型機5両・C57型機13両・D51型機19両も配属されていた。その後各機端各地に転配属された。本機以外ではC12-6号機
が北海道小樽市、36号機が大阪市住之江区で、また9633号機、C57-57・135・201号機、D51-483・943号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時、小樽築港機関区に所属していた頃、僚機にはC12-6・38・225号機も所属していたが、構内入れ替え業務を担当していた。既
にDL化され用途廃止になった9600型(9681・1950・2961・29675・39612・39615)6両・D51型機29両・C62-3号機も機関区内に駐機している状態
であったが、その後各機は廃車・解体の経過をたどり、D51-59・70・231・916・943・1149号機が各地で静態保存されている。
C12-66号機 場所 栃木県芳賀郡茂木町 真岡鉄道茂木駅
車暦 1933日立笠戸工場 1933鹿児島~1937小牛田~1938宮古~1939釜石~1939弘前~1944上諏訪~
1972会津若松・廃車 1991真岡鉄道~1994運転開始~~
状態 塗装は良好 外装諸装備完備 運転室内諸計器類完備 室内良好 完全に整備されており、現在も動態保存で営業運転を続けている。最良の状態で保存
されている。 撮影日 2008/9/14
* 左サイドの刻印が撮影できました。おそらく右サイドの同部位にも刻印があると思われます。左第一サイドロッド油壷にはC1252の刻印があります。
C12-52号機は1969年に直江津機関区で廃車になっています。廃車後本機に転用されたのでしょう。また左リターンクランクにはC5697の元印が
あります。C56-97号機は1972年に七尾機関区で廃車になっています。1964年以降信濃大町~上諏訪機関区に配属されており、本機が上諏訪機
関区に配属されている間に長野工場で転用されたのでしょう。 撮影日 2011/9/25
茂木駅到着 2008/09/14撮影 茂木町道の駅付近 2008/09/14撮影
* 本機が1955(S30)年当時、上諏訪機関区に所属し中央本線(東)等で活躍していた頃、僚機にはC12-34・171号機も所属していた。同機関区にはD50型
機2両・D51型機14両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC12-171号機が長野県諏訪郡下諏訪町で、またD51-1・
155・172・824号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時になると、僚機はC12-67・171号機に交代所属していたが、本線での運用は無く、いずれも構内入れ替え業務を担当していた。
同機関区にはC50型機3両とC56型機6両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどり、C12-67号機は長野県茅野市、171号機
は長野県諏訪郡下諏訪町で静態保存されている。また、C56-94・96・101・126・160号機も各地で静態保存されている。
* 本機は1972(S47)/5/14に川俣線で僚機のC12-60号機と共に「さよならSL列車」を重連運転で牽引した。その後廃車となり、川俣町に静態保存されてい
たが、1991に真岡鉄道車両として現役復帰した経歴を持つ。
C12-67号機 場所 長野県茅野市仲町 JR茅野駅前
車暦 1933日立笠戸工場・・?・・~鹿児島~1941大町~1949松本~1955大町~1962松本~1965上諏訪~1972中津川~
1973廃車・保存開始
状態 塗装は極上 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 メイン・サイドロッド・主軸等の足回りに油が注がれ整備をされており、屋外保存のC12型の中
では最良の状態である。
* 再訪してみました。相変わらず良好な状態で保存されていました。綺麗に塗装されていますが、動輪・ロッドは分厚く繰り返し塗装されていますので刻
印の確認はできませんでした。唯一左先輪にはD5122の刻印がありました。D51-22号機は1968年に酒田機関区で廃車になっていますが、1955
年から上諏訪機関区に所属していましたのでその間か、廃車後に同機関区で本機に転用されたのでしょう。
撮影日 2007/08/16・2009/10/12・2010/12/11
* 本機が1955(S30)年当時、松本機関区信濃大町支区に所属し大糸線で活躍していた頃、僚機にはC12-70・192号機も所属していた。その後各機は各地
に転配属された。
* 本機が1971(S46)年当時、上諏訪機関区に所属していた頃僚機にはC12-67・171号機も所属していたが、本線での運用は無く、いずれも構内入れ替え業
務を担当していた。同機関区にはC50型機3両とC56型機6両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどり、C12-66号機は栃木県真
岡鉄道で動態保存、171号機は長野県諏訪郡下諏訪町で静態保存されている。また、C56-94・96・101・126・160号機も各地で静態保存されている。
C12-69号機 場所 愛知県安城市新田町池田 総合運動公園内
車暦 1934日本車輌 1934松本~1938金沢~1944飯山~1955糸魚川~1972中津川~1974 廃車・保存開始
状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室内は柵内のため未確認(缶・給水ポンプ圧力計は確認) 屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は良好である。
柵内見学は団体のみ可 撮影日2008/3/23
* 保存会の方が作業をされると伺いましたので出向きました。当日は鶴田雅彦保存会長さんをはじめ十数名の方が参加され熱心に手入れをされてお
られました。当時機関士をされておられた山内茂さんに「名古屋~大阪」間のダイヤ表を見せていただきました。また昭和54年5月、昭和天皇最後の
行幸である「蒲郡~新豊田」間の貴重な運行ダイヤも拝見しました。保存会の方々の活動で本機は今にも走り出しそうな状態で保存され続けており、
保存会の方々の熱意に改めて感嘆した次第です。細部まで撮影させていただきました。左右の先輪にはC1240の刻印がありました。C12-40号機
は1961年に東新潟港機関区で廃車になっていますが、本機が1955年に糸魚川機関区に所属していた頃に転用されたのでしょうか。従輪は左右が
反対に取り付けられていますが、両者ともC12248の刻印があります。C12-248号機は1969年に甲府機関区で廃車になっつていますが、本機と
の接点が無く廃車後転用されたのでしょう。 撮影日 2011/03/06
* 本機が1955(S30)年当時、糸魚川機関区に所属し大糸線で活躍していた頃、僚機のC12-1・88号機も所属していた。同機関区にはD50型機7両も配属
されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC12-88号機が新潟県糸魚川市で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時では僚機のC12-88号機も所属していた。担当する大糸線も既にDL化が進み両機とも休車扱いであった。また入れ替え業務担当
でC56-115・125・130号機も配属されていた。その後各機は転配属、廃車の経過をたどった。
C12-74号機 場所 岐阜県恵那市長島町 恵那市中央図書館西
車暦 1934三菱重工・・?・・1941釜石~1949小牛田~1950中津川~1972廃車・保存開始
状態 塗装は厚塗り状態 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 建物に接して屋根付きで保存されており、保存状態は良好である。 撮影日2007/8/17
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。動輪や足回りのロッド等は分厚く塗装されているため、刻印の判読は不能でした。 撮影日 2010/10/17
* 本機が1955(S30)年当時、中津川機関区に所属し明知線で活躍していた頃、僚機にはC12-42・166・203・209号機も所属していた。同機関区には
D51型機17両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-125200・266・549・792号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年になると、僚機はC12-42・209・244号機に交代所属していた。明知線以外では構内入れ替え業務も担当していた、中央本線(西)
は中津川駅以東は未電化であり、主力となるD51型機が24両配属されていた。その後各機はDL化に伴い転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外では
C12-244号機が同じく岐阜県恵那市で、D51-125・155・200・245・266・402・522・549・777・792・849号機が各地で静態保存されている。
C12-85号機 場所 埼玉県和光市諏訪町3丁目 第四小学校内
車暦 1934汽車製造 1934木更津~千葉~1954浜川崎~1955国府津~飯田町~1958大宮工場~1969廃車・保存開始
状態 塗装は退色し各所に錆び・腐食進行 ヘッドライト球・ガラス欠・同損壊 プレートはレプリカ 他の外装諸装備良好 運転室内未確認 先生のお話ではか
なりの計器類が失われており、荒れているとのこと。屋外保存であり全体的には荒廃状態である。 撮影日2008/5/15
* 再訪しましたところ、整備活動がされており、動輪の一部が磨き出されている状況でした。 撮影日2011/9/27
* 2012に保存会が結成され、計画的に整備修復作業が行われ綺麗な状態で保存されています。
* 本機が1955(S30)年当時、国府津機関区に所属していた頃、僚機のC12-24・33・36・54号機も所属していた。また同機関区には御殿場線担当のD52型
機7両も配属されていた。既に電化は始まっており各機はその後転配属した。本機以外ではD52-70号機が神奈川県JR山北駅、72号機が静岡県御殿場市
で静態保存されている。1958以降大宮工場内に駐機しており、本線での運用は無かった模様である。本機に関しては1969/5/5に大宮工場内でのさよなら運転
の記録が残っている。
C12-88号機 場所 新潟県糸魚川市中央1丁目 糸魚川小学校内
車暦 1934汽車製造 1935糸魚川~1972廃車 1973保存開始
状態 塗装は厚塗りだが、シリンダー・ボディ下部が腐食 前面プレートのみイミテーション、他の外装諸装備完備 運転室内諸
計器類良好 室内良好 屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は普通である。 撮影日2007/0911・2009/05/02
* 再再訪しましたが、それまで小学校の正面玄関前に屋根付きで保存されていましたが、教育委員会や学校の方針でしょうか運動場の隅に移動
しており、状況から屋根の設置は無さそうで今後の保存の状況が危惧されます。本機を示す刻印は皆無でした。 撮影日 2011/11/2
* 本機が1955(S30)年当時、糸魚川機関区に所属し大糸線で活躍していた頃、僚機のC12-1・69号機も所属していた。同機関区にはD50型機7両も配
属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC12-69号機が愛知県安城市で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時では僚機のC12-69号機も所属していた。担当する大糸線も既にDL化が進み両機とも休車扱いであった。また入れ替え業務
担当でC56-115・125・130号機も配属されていた。その後各機は転配属、廃車の経過をたどったが、本機は糸魚川機関区に配属され37年間走り続け、
そのまま最後に廃車を向かえており、糸魚川機関区の所在した当地で幸運な静態保存をされている。
トップページへ C12型Bへ