「SL整備記録 NO-2 大山正風」

        D51-827号機の整備 NO-1(機体・刻印等)


場所 愛知県あま市甚目寺町畦田 (個人所有)

車歴 1943国鉄浜松工場~配置 米原~1946中津川~1973中央西線で「さよなら列車」を牽引後中津川機関区で廃車。

    全走行距離2,155,875km。1974年旧甚目寺町の故山田泰平氏の敷地内で保存され現在に至る。
    
 本機は1973(昭和48)年7月9日に中央西線で「さよなら列車」を牽引後、11月22日に中津川機関区において廃車となった。その後山田氏に有価売却されたも

のであり完全なる個人所有である。中津川機関区在籍各機の中で昭和21年に中津川機関区に配属された最古参機であり、特に機関区員の思い入れも強く状態の

良い本機が選択された。中津川機関区在籍27年間に数多くの人々とその思いや希望を、さらにあまたの物資を運び続けた本機は、廃車後は貨物として稲沢駅まで

回送されて、陸路を当時としては最新の輸送技術を駆使して甚目寺町まで搬送された。

 静態保存後上屋が建設され、現在に至っている。静態保存初期は訪れるファンに快く開放されていたが、盗難に遭う事が発生し以後門外不出の扱いとなり、数あ

る中津川機関区在籍の保存機関車の中では「幻の機関車」と言われていた。

* 本題に入る前にエピソードを、デフレクターの鷲マークと言えばD51-470号機が厚狭機関区で1971~73にかけて、デフ両サイドにエンブレムとして装着して

いたのが有名で、梅林公園の470号機には復元され取り付けられている。この鷲マークが827号機にも存在していた。827号機の昔の写真で確認すると当初は存

在しないが1972~73年にかけての写真では右デフに鷲マークが存在している。しかし、写真拡大での確認であるが正式なエンブレムでは無く、厚狭機関区のそれ

と比較すると微妙に翼の大きさや足の表現が異なり手書きによるマーキングと判断できる。おそらく、厚狭機関区の鷲マークの事を聞きつけて中津川機関区の絵ご

ころのある方が描かれたのでは無いかと推察する。なお、本機と470号機の接点は無い、また本機の左サイドには無かったようである。

資料1 中津川機関区 在籍機関車 一覧表
機種・番号 製造年 製造所 在籍年 廃車年・機関区 備      考
C11-17 1932 日立笠戸 1947~1949 1962・後藤寺
C12-42 1933 日本車両 1955~1962 1972・中津川 1971~再配置
C12-67 1933 日立笠戸 1972~1973 1973・中津川 保存・長野県ちの市茅野駅前
C12-69 1934 日本車両 1972~1974 1974・中津川 保存・愛知県安城市総合運動公園
C12-74 1934 三菱重工 1950~1972 1972・中津川 保存・岐阜県恵那市生活文化センター
C12-209 1939 日本車両 1955~1972 1972・中津川
C12-230 1939 日本車両 1972~1973 1974・木曽福島 保存・愛知県西尾市西尾公園
C12-242 1940 日立笠戸 1966~1968 1970・稲沢一
C12-244 1940 日立笠戸 1969~1973 1973・中津川
D50-142 1926 日本車両 1933~1955 1968・福井
D50-146 1926 日本車両 1933~1955 1964・糸魚川
D50-147 1926 日本車両 1933~1955 1966・稲沢一
D51-2 1936 川崎重工 1950~1955 1971・稲沢一 保存・大阪市交通科学博物館
D51-4 1936 川崎重工 1955~1966 1975・追分
D51-5 1936 川崎重工 1955~1957 1968・稲沢一
D51-101 1938 汽車製造 1972~1973 1973・中津川 保存・静岡県島田市中央公園
D51-121 1938 日立笠戸 1955~1957 1967・水戸
D51-122 1938 日立笠戸 1955~1969 1969・中津川
D51-123 1938 日立笠戸 1955~1958 1968・大宮
D51-125 1938 日立笠戸 1949~1973 1974・長門 保存・千葉県船橋市郷土資料館
D51-139 1938 日本車両 1968~1969 1969・中津川
D51-155 1939 日本車両 1970~1973 1973・中津川
D51-171 1938 日本車両 1955~1971 1971・中津川
D51-192 1939 国鉄大宮工場 1970~1973 1973・中津川 保存後解体 三重県長島町
D51-200 1938 国鉄浜松工場 1950~1972 保存・京都市梅小路蒸気機関車館 動態
D51-201 1938 国鉄大宮工場 1969~1973 1973・中津川 保存・愛知県蒲郡市郷土資料館
D51-209 1938 国鉄浜松工場 1972~1973 1973・中津川 保存・長野県伊那市伊那児童公園
D51-238 1939 国鉄苗穂工場 1972~1973 1973・中津川 保存・長野県木祖村藪原村民センター
D51-245 1939 国鉄浜松工場 1966~1973 1973・中津川 保存・長野県坂城町文化センター
D51-249 1939 国鉄浜松工場 1966~1970 1970・稲沢一
D51-265 1939 川崎重工 1949~1971 1974・長門
D51-266 1939 川崎重工 1949~1971 1971・中津川 保存・岐阜県中津川市遊歩道公園
D51-267 1939 川崎重工 1949~1971 1971・中津川
D51-274 1939 川崎重工 1955~1970 1970・中津川
D51-279 1939 川崎重工 1949~1971 1971・中津川
D51-323 1939 日立笠戸 1965~1965 1968・金沢
D51-389 1939 日本車両 1955~1958 1968・国府津
D51-402 1940 日本車両 1958~1972 1972・中津川 保存・長野県飯田市南常盤町児童公園
D51-435 1940 日本車両 1972~1973 1974・長門
D51-450 1940 汽車製造 1969~1970 1970・中津川
D51-522 1940 国鉄浜松工場 1968~1973 1973・中津川 保存・石川県金沢市西部緑地公園
D51-549 1940 国鉄長野工場 1954~1973 1973・中津川 保存・長野市後町小学校
D51-630 1941 日本車両 1968~1968 1968・中津川
D51-636 1941 三菱重工 1968~1969 1970・稲沢一
D51-640 1941 三菱重工 1958~1960 1971・留萌 1960国鉄浜松工場でD61-1に改造
D51-688 1942 国鉄浜松工場 1971~1973 1973・中津川 愛知県岡崎市南交通公園
D51-689 1942 国鉄浜松工場 1966~1968 1972・亀山
D51-698 1942 日立笠戸 1970~1973 1973・中津川
D51-707 1943 日立笠戸 1969~1971 1971・中津川
D51-740 1943 日本車両 1957~1968 1971・福井
D51-747 1943 日本車両 1959~1968 1968・中津川
D51-771 1943 川崎重工 1955~1970 1970・厚狭
D51-772 1943 川崎重工 1956~1968 1970・稲沢一
D51-777 1942 汽車製造 1959~1972 1972・中津川 愛知県刈谷市交通児童遊園
D51-792 1942 三菱重工 1949~1973 1973・中津川 保存・愛知県春日井市交通児童公園
D51-820 1942 国鉄浜松工場 1946~1950 1969・富山一 中央線・十二兼~三留野間で脱線転落
D51-825 1943 国鉄浜松工場 1968~1969 1969・中津川
D51-826 1943 国鉄浜松工場 1966~1968 1969・福井
D51-827 1943 国鉄浜松工場 1946~1973 1973・中津川 保存・愛知県あま市甚目寺町(個人)
D51-849 1943 国鉄浜松工場 1971~1972 1972・中津川 保存・愛知県豊田市交通公園
D51-851 1943 国鉄浜松工場 1948~1971 1971・中津川
D51-903 1944 三菱重工 1972~1972 1972・中津川
D51-1018 1944 三菱重工 1946~1949 1971・福知山
D51-1079 1944 日本車両 1946~1949 1972・人吉
D51-1080 1944 日本車両 1948~1949 1973・長門
D51-1126 1944 日本車両 1948~1949 1972・横手
D51-1127 1944 日本車両 1948~1949 1976追分
D60-34 1926 日本車両 1933~1933 1972・直方


 この度、所有者のお考えで本機をそれなりに整備したいというご希望があり、そのお手伝いを奇しくもさせていただく事になり、本機の姿を捉える事ができた。

 以下はその経緯である。所有者からの連絡を受けた久世氏が最初に現地に入り、周囲を山と積まれた荷物に囲まれた本機の様子を撮影し、機関車の整備に関わ

る者に連絡が回った。最初の整備(片付け)に先立ち、2013/04/28に所有者夫妻・久世氏・私で入口部から左先頭部までの荷物を片付け、05/06の作業に備え

前方機体上部の高圧洗浄を試した。

 2013/05/06には「やまてつ」氏・長縄氏・中澤氏・野呂氏・久世氏父子・私、さらに春日井市D51792保存会・岐阜市D51470保存会のメンバー等が参加し、

先頭部~左テンダー部~テンダー後部の荷物を除去した。翌05/07は私一人であったが、産廃業者の若者の力で夕刻には右側の4分3は除去できた。その後機

体上部安全弁より前方、左第二動輪までと運転室内部の高圧洗浄を試みた。

 05/09の段階で周囲の荷物類は完全に除去され、本機の姿が正しく登場した。機体は故人が希望した通り、完全な動態状態であり経年による粉塵の堆積と劣化

は若干見られるが、完全な状態で各部位とも油がまだにじみ出ている状況である。運転室内も取り外されている部位部品以外は可動状態である。加減弁テコもスム

ーズに動き、逆転ハンドルもかなり可動する。両ブレーキ弁もスムーズに可動し、各バルブ・電気系統スイッチ等も良好な状態であり、手動ブレーキも作動状態である。

確認した段階では速度計装置の左従台車からの回転棒と右第四動輪の第三サイドロッド軸ツバ取り付けの返りクランクが外されているくらいである。

 移設作業の行程で取り外されていた本機の正式プレート4枚(中津川青プレート)と準プレート1枚・上部各圧力計・速度回転棒・返りクランクや各コックやレバー等

がテンダーや機体下部から発見された。盗難を防ぐために運転室内の部品を撤去し第一回の作業は終了した。各部位の刻印等の撮影を一応行ったが、暗い状態で

あり完全な撮影状態では無い。 

 まず、足周り関係であるが、左右第三動輪にはD51331の刻印が認められる。D51-331号機は1973年に岩見沢機関区で廃車になっているが、1945年~

1947年まで長野機関区に所属しておりこの間に転用された事が伺える。また右第二サイドロッド油壷(左右)にはD51208の刻印がある。 D51-208号機

1968年に稲沢第一機関区で廃車になっており廃車後の転用であろうか。また左第二サイドロッド油壷(左)には確定はできないがD51825の元印がある。

D51-825号機は1969年に中津川機関区で廃車になっており、廃車後の転用であろうか。また右リターンクランクには元印があるが判読不能である。また左コン

プレッサーのプレートには9628の刻印がある。9628号機は1970年に富山第一機関区で 廃車になっているが、廃車後か同機が福井~富山機関区に所属して

いた間の可能性もある。なお、同機は富山市の「富山城公園」で静態保存されている。

以下は、D51-827号機NO-2へ

 

* 2017/04にアチハ(株)に譲渡された本機はその後圧縮空気による「エア動態」改造がなされ、2017/06/25に有田川鉄道線路(約200m)において最初の

走行が行われた。今後アチハ(株)では希望により各地で走行させる予定との事です。                        2017/06/27


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