C11型蒸気機関車 1932~1947の間に381両製造 全国に50両保存 全機を紹介します。
主要諸元
全長 12.65m 全高 3.9m 総重量 66.8t 水槽 6.8? 石炭庫 3.0t 先・従輪径 860mm 動輪径 1520mm 最大出力 783ps
最高速度 85km/h
製造所 川崎重工兵庫工場・汽車製造大阪工場・日本車両名古屋工場・日立製作所笠戸工場
C11型機 C11-217号機~372号機を紹介します。
C11-217号機 場所 富山県高岡市古城 高岡市民体育館前
車暦 1941日本車輌 1941多治見~1947名古屋~1961七尾~1969 廃車・保存開始
状態 塗装は普通だが錆が浮き始めている。外装諸装備完備 運転室内は缶圧力計・両水面計内芯欠 他の諸計器類は装着しており室内良好 屋外に屋根
付きで保存されているが保存状態は良好である。
* 分厚い塗装のために明確な刻印は皆無ですが、217を示す微かな刻印は数か所に存在します。 撮影日2011/10/27
* 本機が1955(S30)年当時、名古屋機関区に所属し武豊線等で活躍していた頃、僚機にはC11-17・25・33・215・219・220・221・238・252・265・
272・377・378号機も所属していた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC11-265号機が愛知県半田市JR半田駅東で静態保存されて
いる。
* 本機が1965(S40)年当時、七尾機関区に所属し氷見線で活躍していた頃、同機関区のC11型機は本機のみであった。同機関区にはC56型機4両・C58
型機8両が配属されていた。本機は七尾機関区で廃車となり現地に保存された。本機以外ではC56-124号機が長野県安曇野市で静態保管されている。
C11-218号機 場所 大阪府堺市向陵西町 民芸料理店「はや」
車暦 1941日本車輌 1941広島~1942苗穂~1943深川~1949牛鞠内~1954中湧別~1955渚滑~1959岩見沢~
1968苫小牧~1973釧路~1975廃車・保存開始?
状態 塗装は退色気味 煙室扉ハンドル? 他の外装諸装備良好 運転室内は両水面計欠 各計器類針欠 操作・電気系統機器は
良好 屋外保存であるが最近の整備はされていない 保存状態は普通である。
* 再訪してみました。経営者も変わり放置された状態で動輪や各ロッドも錆で覆われ、刻印の確認が難しい状況になっています。運転室内部もさらに
荒廃の一途をたどっています。刻印は確認できた範囲では本機の番号でした。 撮影日 2008/04/12・2011/01/08
* 本機が1955(S30)年当時、旭川機関区渚滑支区に所属し名寄本線等で活躍していた頃、僚機にはC11-81・132・172号機も所属していた。同機関区
には8620型機6両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。
* 本機が1960(S35)年当時、岩見沢機関区に所属し函館本線・室蘭本線で活躍していた頃、僚機にはC11-128・134・181号機も所属していた。同機関
区には9600型機11両・D50型機5両・D51型機22両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外では49616・59609号機・D51
-6・11・47・916号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、追分機関区苫小牧支区に所属し室蘭本線・日高本線・千歳線で活躍していた頃、僚機にはC11-176・183・206・207・209
・210・218号機も所属していた。また構内入れ替え担当として19603・19674・29603・79613号機も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の
経過をたどった。C11-209号機は北海道標津郡中標津町、210号機は青森県上北郡野辺地町で静態保存されている。
* 本機が1974(S49)年当時釧路機関区に所属し、標津線等で活躍していた頃両機にC11-93・133・134・172・224・274・364号機も所属していた。同
機関区には釧網本線を担当するC58型機14両も配属されていた。既に根室本線はDD化されており、各機はその後廃車・解体の経過をたどり、133号機は北
海道苫小牧市、224号機は北海道標津郡標津町で静態保存されている。C58型機は33・48・98・139・418号機が各地で静態保存されている。
C11-224号機 場所 北海道標津郡標津町南一条 標津町公民館前
車暦 1941日本車輌 1941大湊~1974釧路~1975廃車・保存開始
状態 塗装は退色し各所に汚濁雫 汽笛欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類の多くが損失し室内荒廃状態 屋外保存であるが、最近の整備は見られ
ず荒廃状態である。
* 再訪してみました。相変わらず整備されていない状態でした。 撮影日2007/07/18・2009/08/12
* 塗装も退色が進行し各部位に錆と汚濁雫が目立ち始めました。そろそろ整備が求められます。 撮影日 2011/7/25
* 本機は保存会の皆さんの活動で機体の整備が行われ、2017/08/06に現在地から200m程離れた旧標津線の転車台引き込み線上に移動しま
した。機体内部に駆動モーターを内蔵し駆動輪車軸を回転させ走行するシステムを取り入れられています。その様子は保存会FB等で公開されています。
* 「コバQ」さんが移転後の2017/10に訪問された際の状況です。本機の駆動方式は圧縮空気による動態と異なり、動輪車軸に歯車を装着し電動モーターで回
転駆動する形態です。
* 本機が1955(S30)年当時、大湊機関区に所属し大湊線で活躍していた頃、僚機にはC11-168・214・223・224・225・232・256・267号機も所属して
いた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC11-167号機が青森県青森市で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、青森機関区大湊管理所に所属し大湊線で活躍していた頃、僚機にはC11-167・215・225号機も配属されていた。その後各
機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。
* 本機が1974(S49)年当時釧路機関区に所属し、標津線等で活躍していた頃両機にC11-93・133・134・172・218・274・364号機も所属していた。同
機関区には釧網本線を担当するC58型機14両も配属されていた。既に根室本線はDL化されており、各機はその後廃車・解体の経過をたどり、133号機は北
海道苫小牧市、218号機は遠く離れた大阪府堺市で、静態保存されている。C58型機は33・48・98・139・418号機が各地で静態保存されている。ち
なみに本機は日本最東端に保存されている静態保存機である。
C11-227号機 場所 静岡県島田市金谷 大井川鉄道
車暦 1942日本車輌 1942苗穂~1969苫小牧~1974釧路~1975廃車・・譲渡 大井川鉄道~(休車扱い?)
状態 塗装は普通 外装諸装備は完備 運転室内は未確認 機関庫に入っておりEL機の牽引で入れ替え作業をしていた。 撮影日 2009/05/08
撮影日 2009/05/06・2011/5/3・4
入れ替え作業 2009/05/06撮影 福用~家山間 2011/05/03撮影 千頭駅到着 2011/05/04撮影
* 本機が1955(S30)年当時、苗穂機関区に所属し函館本線・千歳線で活躍していた頃、僚機にはC11-82・109・115・201・208・228号機も所属いた同機関区
にはC12型機2両・C51型機4両・C56型機8両・C58型機10両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC12-2号機・C58-407
・414号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1972(47)年当時、苫小牧機関区に所属し室蘭本線・日高本線・千歳線で活躍していた頃、僚機にはC11-176・183・206・207・209・210・218
号機も所属していた。同機関区には9600型機2両も配属されていた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC11
-218号機が大阪府堺市向陵町で静態保存されている。
C11-244号機 場所 福島県河沼郡柳津町 JR会津柳津駅
車暦 1943日本車輌 1943大館~1955秋田~1967青森~1969会津若松~1973廃車 1974保存開始
状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室内諸計器類はブレーキハンドル以外は完備 室内は粉塵堆積と退色が見られるが良好 屋外に屋根付きで保存さ
れており、足回りも整備されている。 保存状態は良好である。
* 再訪してみました。退色していた機体は再塗装されておりました。喜多方C11-63・坂下C58-215・只見C58-244号機も再塗装されており、いずれも
坂下町の森川 卓氏らのメンバーの作業で蘇えっているようです。撮影日 2007/09/12・2010/05/01
* 機体全体が黒く塗られていますので刻印の確認は難しい状態です。メインやサイドロッドに製造番号が打ってあるのはよく見かけますが、本機のよう
に主連棒の外側側面に刻印があるのは珍しい形態かと思われます。撮影日 2011/10/28
* 本機が1955(S30)年当時、秋田機関区に所属し男鹿線・奥羽本線・羽越本線で活躍していた頃、僚機にはC11-20・102・141・142・144・204・239・
240号機も所属していた。同機関区には8620型機5両・C51型機6両・C55型機4両・C57型機4両・D51型機14両も配属されていた。その後各機は各地に
転配属された。本機以外ではD51-923が福岡県久留米市で静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時、会津若松機関区に所属し会津線・只見線・日中線で活躍していた頃、僚機にはC11-19・80・192・197・199・248・252・
254・289・312・372の各機、C58-16・354号機も所属していた。DL化に伴いその後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどるが、C11-80号機は遠く
岡山県津山市、254号機は福島県南会津郡JR田島駅、312号機は静岡県島田市大井川鉄道で動態保存、372号機は秋田県北秋田市で静態保存
されている。
C11-245号機 場所 神奈川県藤沢市鵠沼海岸通り6丁目 鵠沼運動公園内
車暦 1943日本車輌 ・・?・・1949新発田~1961新津~1963会津若松~1969新津~小牛田~1974廃車 1976保存開始
状態 塗装は良好 外装諸装備完備 運転室内諸計器類完備 室内良好 屋外に屋根付きで保存されているが、ロッド・主軸等に油が注されており整備が行き届
いている。屋外に保存されているC11型機の中では最良の状態で保存されている。
* 再訪してみました。左公式サイドはプラットホームに接しているので動輪やロッドの撮影は困難でしたが、何とか刻印は撮影することができました。
左先輪にD5119の刻印がありました。D51-19号機は1969年に秋田機関区で廃車になっています。本機が新通機関区に所属している頃に転用さ
れたのでしょうか。他の刻印は確認できた範囲では本機の番号でした。 撮影日 2008/09/17・2011/02/26
* 本機が1955(S30)年当時、新潟機関区新発田駐機所に所属し白新線等で活躍していた頃、僚機にはC11-269・334号機も所属していた。
* 本機が1969(S44)年当時、新津機関区に所属し白新線で活躍していた頃、僚機にはC11-269号機も所属していた。同機関区には羽越本線を担当する
9600型機4両・C57型機14両・D51型機16両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD51-512
号機が新潟県新発田市で静態保存されている。
C11-254号機 場所 福島県南会津郡南会津町田島 JR田島駅西
車暦 1944日本車輌 1944福知山~1945佐々~1964佐賀~1965佐々~1966早岐~1973会津若松~1975廃車 保存開始
状態 塗装は普通 後部プレート欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類完備 室内良好 屋外に保存されているが、足回りも整備を受けており保存状態
は良好である。*門鉄デフレクターK7タイプ装着・国鉄小倉工場 1966 撮影日 2008/09/15
* 3年ぶりの再訪です。変わらない状態でしたが右コンプレッサーの上部位のタガが外れかけていました。右結びリンクにC11245の刻印がありました。
C11-245号機は1974年に小牛田機関区で廃車後神奈川県藤沢市で静態保存されています。本機が九州の早岐機関区から会津若松機関区に配属
された同時期に245号機も配属され、1年後には小牛田機関区に移動していますので、かなり短い期間内での転用と考えられます。
撮影日2011/10/28
* 門鉄デフレクターを装着しているC11型保存機は、本機とC11-257・260号機である。3機とも門鉄デフの標準型であるK7型を装着しており、国鉄小倉工場
で1965~1966にかけて装着されたものである。
* 本機が1965(S40)年当時、佐々機関区に所属し松浦線で活躍していた頃、両機にはC11-161・165・257・259・260・282・283・284・285・336号機
の各機も所属していた。その後DL化により各機は転配属された。本機以外ではC11-257号機が福岡県糟屋郡須恵町、259号機が佐賀県武雄市、260
号機が福岡県中間市で静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時、会津若松機関区に所属し会津線・只見線・日中線で活躍していた頃、僚機にはC11-19・80・192・197・199・244・248・252
・289・312・372の各機、C58-16・354号機も所属していたその後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどるが、C11-80号機は遠く岡山県津山市、24
4号機は福島県鹿沼郡柳津町、312号機は静岡県島田市大井川鉄道で動態保存、372号機は秋田県北秋田市で静態保存されている。
C11-257号機 場所 福岡県糟屋郡須恵町 皿山歴史民族資料館
車暦 1944日本車輌・・?・・1949佐々~1971早岐~1973熊本~1974行橋 廃車・保存開始
状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室内諸計器類はブレーキ圧力計以外は装着するも針欠 左水面計欠 右水面計はガラス管のみ 足回りは整備され
ており、屋外保存であるが保存状態は普通である。 撮影日 2007/12/15
*門鉄デフレクターK7タイプ装着・国鉄小倉工場1966 振動防止のステー2列装着
* 再訪してみました。やや塗装が退色気味で汚濁が目立ち始めていました。撮影日 2010/3/14
* 分厚い塗装のために確認できた刻印は皆無でした。撮影日 2011/4/30
* 本機が1965(S40)年当時、佐々機関区に所属し松浦線で活躍していた頃、両機にはC11-161・165・257・259・260・282・283・284・285・336号機
の各機も所属していた。その後DL化により各機は転配属された。本機以外ではC11-254号機が福島県南会津郡JR田島駅、259号機が佐賀県武雄市、
260号機が福岡県中間市で静態保存されている。
* 1973(S48)年当時、本機が熊本機関区に所属し三角線で活躍している頃、僚機にはC11-48・61・62・86・174・191・196・259・260の各機が所属し
ており、高森線担当のC12型機3両・豊肥本線を担当する9600型機8両も配属されていた。各機はその後DL化に伴い廃車・解体の経過をたどったが、C11-61
号機は福岡県八女郡黒木町、190号機は静岡県島田市大井川鉄道で動態保存、191号機は宮崎県宮崎市で静態保存されている。
C11-259号機 場所 佐賀県武雄市武雄町 東児童公園内
車暦 1944日本車輌 1944佐々~1945早岐~佐々~1971早岐~門司~1972熊本~1974廃車・保存開始
状態 塗装は退色し各所で錆び・腐食進行 後部ライト球・ガラス欠 全プレートレプリカ 外装諸装備は装着 運転室内はシ
リンダー・缶圧力計は装着するが(針欠) 諸計器類の大半が損失し室内荒廃状態 屋外に屋根付きで保存されており、最
近の整備もされておらず荒廃状態である。 撮影日2007/06/01
* 右下の写真は1967/11/08 佐々機関区にて 藤田憲一氏撮影
*右中の写真は1967/11/08 佐々機関区にて 藤田憲一氏撮影
* 再訪してみました。状態は変わりませんが運転室内の各所の床が腐食しかなり危険な状態でした。 撮影日 2007/05/31・2009/10/17
* 左先輪にC12281の刻印がありました。C12-281号機は1961年に若松工場で廃車になっています。廃車後本機に転用されたのでしょうか。 撮影日 2011/05/01
* その後、本機は「直方汽車倶楽部」により定期的なメンテナンスを受け、きれいな整備状態で保存されている。
* 本機が1965(S40)年当時、佐々機関区に所属し松浦線で活躍していた頃、両機にはC11-161・165・257・259・260・282・283・284・285・336号機
の各機も所属していた。その後DL化により各機は転配属された。本機以外ではC11-254号機が福島県南会津郡JR田島駅、257号機が福岡県糟屋郡須
恵町、259号機が佐賀県武雄市で静態保存されている。
* 1973(S48)年当時、本機が熊本機関区に所属し三角線で活躍している頃、僚機にはC11-48・61・62・86・174・190・191・196・257・259・の各機が
所属しており、高森線担当のC12型機3両・豊肥本線を担当する9600型機8両も配属されていた。各機はその後DL化に伴い廃車・解体の経緯をたどったが、
C11-61号機は福岡県八女郡黒木町、190号機は静岡県島田市大井川鉄道で動態保存、191号機は宮崎県宮崎市で静態保存されている。
C11-265号機 場所 愛知県半田市 JR半田駅北側広場
車暦 1944日本車輌 1944中津川~1950名古屋~1969稲沢~1970廃車 1971保存開始
状態 塗装は普通 全プレートはレプリカ 他の外装諸装備良好 運転室内圧力計は確認 屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は普通である。
*かまぼこ型ドーム(前)装着
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていますが塗装の退色が進行しています。右 クロスヘッドの上蓋部(油壷)の塗装が剥がされて刻印が
確認できた以外は、分厚い塗装のために確定できませんでした。塗装の下には本来の刻印が隠れているようです。
撮影日 2008/03/23・2011/02/26
* 運転室内の諸計器類は完備しており、火室内もきれいな状態でした。久世氏らが時間をかけて整備された様子が伺えます。2012/8/26
* 本機が1967(S42)年当時、名古屋機関区に所属して武豊線で活躍していた頃、僚機にはC11-219・272・377号機も所属していた。また、同機関区には
C57型機9両も配属されていた。その後各機はDL化に伴いさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC57-30号機が静岡県富士市、139
号機が名古屋市で静態保存されている。
* 本機は1970(S45)6/30武豊線での「さよなら列車」を牽引した後、廃車となり1971に現地に静態保存された。
C11-270号機 場所 大分県玖珠郡玖珠町 三島公園内
車暦 1944日本車輌・・?・・1949東小倉~1955直方~1971大分 廃車・保存開始
状態 塗装は退色し各所に錆び・剥離・腐食進行 汽笛欠 諸装備も欠 運転室内は諸計器類は外形のみで、僅かに速度計とシリンダー・暖房用圧力計が文字盤
を(針欠)残しており、両水面計・操作系統機器も損失しており、完全荒廃状態 屋外保存であるが何年も整備されず放置状態であり、保存蒸気機関車ワースト5
に位置する。早急の対策が必要な機である。*かまぼこ型ドーム装着 撮影日2007/06/01
* 右端の写真は1967/11/12 直方機関区にて 藤田憲一氏撮影
* 再訪してみました。以前は荒れ果てた本機でしたが、2009/4に再塗装され上屋根もつけられ見違えるようになっていました。運転室の状態は窓枠・
ガラスの欠損はそのままでしたが、内部も黒く吹き付け塗装がされて各部位が色分けされていました。これでしばらくは良い状態を保つ事でしょう。豊
後森機関庫と併せて鉄道遺産として利用する計画はあるそうです。 撮影日 2010/05/22
* 分厚い塗装のために確認できた刻印は皆無でした。変わらない保存状態でした。撮影日 2011/05/01
* 本機が1965(S40)年当時、直方機関区に所属し田川線・日田彦山線で活躍していた頃、両機のC11-196・258・302号機も所属していた。同機関区
には9600型機24両・D50型機7両・D60型機13両も所属しており、盛んに煙を上げて疾走している光景がみられた。やがてDL化に追われ各機は各地に
転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD50-140・D60-27・46号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、大分機関区に所属し九大本線・豊肥線で活躍していた頃、同機関区には8620型2両・C57型機1両・C58型機7両・D60型
機2両が配属されていた。DL化に伴いその後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどり、本機以外では58689号機が大分県豊後大野市で静態保存され
ていたが、その後解体処分された。、C58-112号機が鹿児島県志布志市で静態保存されている。
* 近くの豊後森駅東の旧扇形機関庫を訪問しました。全国で残っているのは梅小路の扇形機関庫と豊後森の機関庫だけです。豊後森機関区の中枢
施設として1934に建設され、九大線の基幹基地として運用された。 撮影日 2010/05/22
* 扇形機関庫の西側には2014~2015にかけて「直方汽車倶楽部」で完全に修理・修復整備された29612号機が2015/06/12に移転され静態
保存された。毎月保存会会員の方々で定期的な整備が行われている。
C11-275号機 場所 栃木県大田原市美原3丁目 旧交通公園内
車暦 1944日本車輌 1945浜川崎~1949茅ヶ崎~1961浜川崎~1967米沢~1971小牛田 廃車・保存開始
状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室内は缶圧力計・両水面計欠・速度計・シリンダー・暖房用計針欠 最近の整備はされておらず屋外保存であるが、保存
状態は普通である。 *かまぼこ型ドーム装着 撮影日 2007/10/20* 右上の写真は1967/09/19 米沢機関区にて 藤田憲一氏撮影
* 再訪してみました。煙室扉のハンドルが盗難?塗装の退色や腐食が進行しており、運転室内もさらに荒廃が進んでおり今後の成り行きが心配される
機体の状態でした。 撮影日 2010/05/04
* 唯一、右心向棒(ラジアス・ロッド)に本機の刻印が残っていました。 撮影日 2011/9/24
* 本機が1965(S40)年当時、浜川崎機関区に所属し横浜線・横須賀線・根岸線などで活躍していた頃、僚機にはC11-35・85・105・106・112・170・205
・276・281・290・321・339・356・381号機の各機も所属していた。またC12型機2両も配属されていた。同機関区は早い段階で電化されたので1966年以
降各機は関東以北に転配属された。その後各機は廃車・解体の経過をたどり、保存されたのは本機のみである。
* 本機が1967(S42)年当時、米沢機関区に所属し米坂線で活躍していた頃、僚機にはC11-135・246・325号機も所属していた。同機関区には9600型機
4両・C57型機8両も配属されていた。その後各機はDL化により、転配属・廃車・解体の経過をたどった。本機以外では39685号機が埼玉県さいたま市で静態
保存されている。
C11-292号機 場所 東京都港区新橋2丁目 JR新橋駅西口前広場
車暦 1945日本車輌 1945姫路~1946姫路第一~1972品川 廃車・保存開始
状態 塗装は良好 外装諸装備完備 運転室内はガラスが曇っており未確認 屋外保存であるが、足回りも整備されており良好な状態で保存されている。毎年冬季
にはイルミネーションで飾られる。*かまぼこ型ドーム装着 撮影日 2008/5/1 * 右上の写真は1967/12/14 姫路駅にて 藤田憲一氏撮影
* 再訪してみました。恒例のクリスマスイルミネーションの工事で左公式サイトの部分撮影は出来ませんでしたが、普段は 閉じられている運転席の扉が
作業の為空いており、上部の圧力計を確認する事ができました。速度計・水面計も装着されており、運転席内部は整備されている模様です。右サイド刻
印の中で右先輪はどうやら三段階のようで各車歴から判断するとD51449が一番目の刻印である可能性があります。元印の刻印は4と1が判読できま
す。左先輪の確認が出来ていませんので、更に検討の余地があります。次に右加減リンク耳軸軸座にはC11294の刻印があります。C11-294号機
は1971年に行橋機関区で廃車になっていますが本機との接点は無く、転用の経緯は不明です。完成した2010バージョンのイルミネーションを翌日の
夜に撮影できました。私の記憶では直方市のD51-225号機と長野県辰野町のD51-59号機も飾られていましたが、本機のように毎年工夫を凝らした
都会的な様子は素晴らしく、これも幸運な機関車でしょうか。左側面にSPACE TRAINとありゴダイゴの「銀河鉄道999」の曲が流れ、汽笛も時折鳴っ
ていました。 撮影日 2010/11/21・22
* 再再訪しました。植栽で下部の撮影に若干支障をきたしましたが刻印の撮影はできました。左クロスヘッドソケットにはC11199の刻印がありました。
C11-199号機は1974年に会津若松機関区で廃車になっていますが、1958~1961年には姫路第一機関区に配属されていますのでこの間に転用
されたのでしょう。さて、問題の左先輪ですがD51491の刻印があります。9だけが無訂正と思われます。D51-491号機は1970年に出水機関区で
廃車になっています。1958年に隣の岡山機関区に所属しており、この間か廃車後に転用されたのでしょうか。改めて右先輪を観察しますとやはりD51
491とD51449と判読できます。D51-449号機は1968年に木曽福島機関区で廃車になっています。右先輪はD51449⇒D51491⇒C11292、
左先輪はD51491⇒C11292と転用されたのでしょうか。 撮影日 2011/9/27
* 「コバQ」さんが2015/03に訪問された際の状況です。
* JR新橋駅にはC58-425号機の動輪も保存展示されている。
* 本機が1964年(S39)年当時、姫路第一機関区に所属し、姫新線・赤穂線で活躍していた頃、僚機にはC11-159・177・178・222・252・278・311・331
・362号機も所属していた。支線以外では姫路駅での入れ替え業務も行なっていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどるが、C11-311号機は兵
庫県西宮市、331号機は兵庫県加古川市で静態保存されている。本機は保存のために品川機関区に配属されその後新橋駅前に静態保存された。
* 1971(S46)年には僚機はC11-177・178・179・278・305・311・331・345・363号機に変遷していた。その後本機は品川機関区に移動した。
C11-296号機 場所 愛知県幡豆郡幡豆町東幡豆 「愛知子供の国」
車暦 1945日本車輌・・?・・1949高岡~1971大垣~1973 廃車・保存開始
状態 塗装は厚塗り状態 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 屋外保存であるが足回りも整備を受け、良好な状態で保存されている。
*かまぼこ型ドーム装着 * 右下の写真は1972/02/11 大垣機関区にて 藤田憲一氏撮影
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。確認できた刻印は左右とも数か所でした。撮影日 2008/03/23・2011/02/27
* 本機が1965(S40)年当時、高岡機関区に所属し、氷見線・城端線等で活躍していた頃、両機のC11-・147・262・264・274・295・303・306・307号機
も所属していた。また8620型機4両も配属されていたがDL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。保存されたのは本機のみである。
* 本機が1971(S46)年当時、大垣機関区(電車区)に配属されて樽見線で活躍していた頃、僚機にはC11-154・155・355・358・377号機も所属していた。
DL/電化にその後各機は廃車・解体の経過をたどり、本機以外ではC11-155号機が岐阜県大垣市で静態保存されている。
C11-304号機 場所 埼玉県蕨市南町2丁目 大荒田交通公園内
車暦 1945日本車輌・・?・・1949茅ヶ崎~甲府~1960大宮工場~1961茅ヶ崎~1970大井工場 廃車 保存開始
状態 塗装は普通であるが部分的に錆び進行 外装諸装備完備 運転室内(上部圧力計は確認)未確認 屋外に保存されており、保存状態は普通である。
*かまぼこ型ドーム装着 撮影日 2007/05/12
* 再訪してみました。左右共に明確な刻印はありませんでした。 撮影日 2011/9/27
* 本機が1961(S36)年当時、再び茅ヶ崎機関区に所属し相模線・根岸線等で活躍していた頃、僚機の170・277・325・326号機も所属していた。同機関区
にはC12型機3両・C50型機4両も配属されていた。その後各機は転配属されたが保存されているのは本機のみである。
C11-311号機 場所 兵庫県西宮市甲子園町 月見里公園内
車暦 1946日本車輌 1946備後十日町~1948広島第二~1949岡山~1951姫路第一~1972梅小路~1976 廃車・保存開始
状態 塗装は退色気味で上部に粉塵堆積 外装諸装備完備 運転室内は柵内にあるため未確認(上部圧力計は確認) 震災までは定期的にOBの方が整備され
ていたとのこと 屋外に屋根付きで保存されており状態は普通である。
*かまぼこ型ドーム装着 撮影日 2008/3/1
* 再訪してみました。昨年、柵上部に覆いがされているとの情報でしたが、機関車本体にはこれといった変化はありませんでした。足回りやロッド等は分
厚く塗装されているのと長年の錆が浮き上がり、刻印の大半は判読不能でしたが一部判読できました。右クロスヘッドのソケットにはC11314の元印が
あります。C11-314号機は1957年から姫路第一機関区に所属し1968年に廃車となっています。両機は同時期に同機関区で活躍しており、廃車後
鷹取工場で転用されたのでしょう。また、右加減リンクの耳軸軸座にはC11308の元印がありました。C11-308号機は1966年に早岐機関区で廃車
になっており、転用の経緯は不詳です。 2010/10/11
* 本機が1964年(S39)年当時、姫路第一機関区に所属し、姫新線・赤穂線で活躍していた頃、僚機にはC11-159・177・178・222・252・278・292・331
・362号機も所属していた。支線以外では姫路駅での入れ替え業務も行なっていた。その後各機はDL/電化に伴いさらに転配属、廃車・解体の経過をたどるが、
C11-292号機は東京都港区JR新橋駅前、331号機は兵庫県加古川市で静態保存されている。
C11-312号機 場所 静岡県島田市金谷 大井川鉄道
車暦 1946日本車輌・・仙台局・・1955仙台~1956会津若松~1975廃車・保存開始~1988大井川鉄道譲渡~2007/9運転休止
状態 写真が示すように2007年引退・廃車後、C12-208号機同様に他機の部品供給機としてあらゆる部位を提供し、2年後ではあるが運転室も除去さ
れ、唯一後部の石炭庫及び背面の後部ライトがC11-312号機であることを示している。C12-208号機とともに長年大井川鉄道で活躍した機であるが、
現役の他機のために止むを得ない措置であり、現状はただ保存し整備も行なわず荒れるに任せている保存機とは異なっており、長年ご苦労様でしたとの
想いが募る。 撮影日 2009/05/05
* 本機が1955(S30)年当時、仙台機関区に所属し仙山線・仙石線等で活躍していた頃、僚機にはC11-205・217・218・235・236・237・247・248・
249・250・251・309・313・350・351号機も所属していた。同機関区にはC57型機5両・C58型機7両・C60型機10両・C61型機15両も配属されていた。
その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC11-217号機が富山県高岡市で、218号機が大阪府堺市で、C57-44号機・C58-19号機・
342号機・363号機・C61-2号機・20号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1965(S40)年当時、会津線管理所に所属し会津線(只見線)・日中線等で活躍していた頃、僚機にはC11-64・94110・117・121・236・289・
309・323・324・351・371号機も所属していた。その後各機はDL化に伴い各地に転配属された。本機以外ではC11-64号機が京都市鉄道博物館館で
、367号機が宮城県遠田郡美里町で、372号機が秋田県北秋田市で静態保存されている。
* 本機が1972年(S47)年当時、会津若松機関区に所属し会津線(只見線)・日中線等で活躍していた頃、僚機にはC11-64178・179・199・236・244・
248・256・289・313・323・351・366号機も所属していた。同機関区にはC12型機2両・C57型機1両・C58型機3両・D51型機3両も配属されていたが、
DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC11-244号機が福島県鹿沼郡JR会津柳津駅前で、351号機が宮城県宮城
郡利府町で、C12-60・66号機・C57-46号機・C58-354号機・D51-238号機・1108号機がそれぞれ各地で静態保存されている。本機は
1975年に廃車後、三重県松阪市で静態保存されていたが、1988年に大井川鉄道に譲渡された後現役に復帰し、2007/9/8まで営業運転。その後廃車扱い
になり、他機の部品供給機として扱われている。
C11-322号機 場所 埼玉県鴻巣市中央東3丁目 東裏公園内
車暦 1946日本車輌 1946高崎第二~1949浜川崎~1951横浜~1954五日市~1961大宮工場~1969 廃車 1970保存開始
状態 塗装は退色気味で汚濁雫 外装諸装備完備 運転室内未確認(上部圧力計は確認) 屋外保存であり、保存状態は普通である。
*かまぼこ型ドーム装着 撮影日 2007/10/18
* 再訪してみました。塗装は退色し各部位に錆や汚濁滴が目立ち始めています。左右クロスヘッド・ソケットにC11205の刻印があります。C11-205
号機は1971年に大館機関区で廃車になっています。同機が1955年に五日市機関区に配属後に転用されたのでしょう。 撮影日 2011/9/26
* 「コバQ」さんが2013/06に訪問された際の状況です。
* 本機が1955(S30)年当時、武蔵五日市機関区に所属していた頃、僚機のC11-67・276・319号機も所属していた。また同機関区にはC10型機3両も配属
されていた。やがてDL化に伴い全機転配属され、保存されているのは本機のみである。
* 本機は1961年以降大宮機関区内に駐機され、本線での運用はないまま廃車された。
C11-325号機 場所 栃木県真岡市 真岡鉄道
車暦 1946日本車輌・・東京局・・1955茅ヶ崎~1967米沢~1972廃車・保存開始~1998真岡鉄道~
状態 車庫の外から見る限り塗装は良好 外装諸装備完備、メイン・サイドロッド・主軸に油が注され良好な状態で動態運転に備えていると思われる。
(JRのイベントに貸し出されている。) 撮影日2009/8/16
* 真岡駅の構内には車庫内のSLも見る事ができると表示されていたが、一向にシャッターが上がらず(15日は開放)、遠くから来たので上げてもらえないか
と申し込んだが、曖昧な返事に終始し、盆であり他にも多数の家族も見学に来ていたが、結局何ら対応もされず、車庫の窓ガラス越しに主軸・ロッド・返りクラ
ンクのナンバーを撮影するに過ぎず、掲載している最初の3枚は真岡鉄道発売の絵葉書を転載した。ファンに対してもう少し親切な対応は出来ないものだろ
うか、真岡鉄道に苦言を呈したい。
* 本機が1955(S30)年当時、茅ヶ崎機関区に所属し相模線等で活躍していた頃、僚機にはC11-39・170・205・277・281・289・290・304
・318・320・326・354・356号機も所属していた。同機関区にはC12型機2両・C50型機4両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。
本機以外ではC11-304号機が埼玉県蕨市で静態保存されている。
* 1965(S40)年の相模線管理所では僚機はC11-277・304・319・326号機に減少配属となっていた。当時8620型機3両C50型機2両が配
属されていた。その後DL・電化により各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。
C11-331号機 場所 兵庫県加古川市加古川町 鶴林公園内
車暦 1946日本車輌 1946山田~1949長崎~1955姫路第一~1972姫路 廃車・保存開始
状態 塗装は良好 汽笛欠 他の外装諸装備良好 運転室内は柵内のため未確認(双眼鏡で上部圧力計は確認) 屋外保
存であるが、足回りに油が注がれており保存状態は良好である。*振動防止ステー2列装着 撮影日 2007/5/26・2008/12/13
* 再再訪してみました。お寺の工事で元の保存場所から東へ50m程そのままの状態で移動していました。確認できた
範囲で刻印は本機の番号でした。 撮影日 2011/1/22
* 本機が1964年(S39)年当時、姫路第一機関区に所属し、姫新線・赤穂線で活躍していた頃、僚機にはC11-159・177・178・222・252・278・292
・311・362号機も所属していた。支線以外では姫路駅での入れ替え業務も行なっていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどるが、C11-292
号機は東京都港区JR新橋駅前、311号機は兵庫県西宮市で静態保存されている。姫路機関区で廃車となった各機の中で保存されているのは本機のみ
である。
* 本機は1972(S47)9/30に播但線・姫路~寺前間で行なわれた「さよなら列車」を僚機のC11-363号機と前後で牽引した後、廃車となり加古川機関区
所属のC11型機保存要望に対する代替機として当地に保存された経緯を持つ。
C11-351号機 場所 宮城県宮城郡利府町 JR東日本仙台車輌所
車暦 1946日本車輌・・仙台局・・1949仙台~1964会津若松~1972 廃車 1976保存開始
状態 塗装は退色し各所に汚濁雫 外装諸装備完備 運転室内は未確認 JR車輌所に保存されている状態としては整備がなされておらず、ただ単に置いている
状況であり感心できない。他の機も同じである。*前方にC58-365号機 撮影日2007/9/13
* 再訪してみました。相変わらずの状態ですが、三脚を使い何とか運転室内の状況が確認できました。速度計欠 制動筒上部欠 他の諸計器類や
バルブ等は完備しているようです。他の車両同様に内部公開してもらいたいですね 撮影日 2010/05/03
* 本機が1965(S40)年当時会津線管理所に所属し、会津線等で活躍していた頃、両機のC11-64・94・110・117・121・236・289・309・312・323・324
・371号機も所属していた。各機はその後転配属となったが本機以外ではC11-64号機が京都市鉄道博物館館で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、会津若松機関区に所属し会津線・只見線・日中線で活躍していた頃、僚機にはC11-64・235・236・244・248・256・289・
312・313・323・366号機も所属していた。また磐越西線を担当するC58型機2両・D51型機3両も配属されていた。その後各機はDL化に伴い転配属、廃車・解
体の経過をたどった。244号機が福島県鹿沼郡JR会津柳津駅、D51-238号機が長野県木曽郡木祖村で静態保存されて
いる。
C11-367号機 場所 宮城県遠田郡美里町桜木町 小牛田公園内
車暦 1946日本車輌・・仙台局・・1949小牛田~1973 廃車・保存開始
状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室内は缶圧力計・暖房用圧力計・シリンダー圧力計右・制動レバー欠 水面計は外枠のみ屋外に保存されており、保存
状態は普通である。 撮影日200709/13
* 4年ぶりの再訪ですが変わらない状態で保存されています。明確な刻印はありませんでした。 撮影日 2011/10/29
* 本機が1955(S30)年当時、小牛田機関区に所属し、石巻線で活躍していた頃、僚機にはC11-114・366・368・369号機も所属していた。同機関区には
8620型機2両・C12型機2両・C58型機11両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC11-368号機が東京都中野区で、
C58-114号機が宮城県大崎市で静態保存されている。
* 本機が1972(S47)年当時では僚機はC11-117・237・276・350・363・366・368・369・372号機に交代所属しており、陸羽東線を担当していたC58-
19・114・122・228・328・356号機も配属されていた。その後DL化により、各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。C11-372号機は秋田県北秋田
市で静態保存されている。117号機は遠く高知県中村市で静態保存されていたが、残念ながら1989/8に解体されてしまった。記載しているC58型機は全機各
地で静態保存されている。本機は24年間小牛田機関区で従事した機関車であり、小牛田機関区の所在した当地に保存された。
C11-368号機 場所 東京都中野区中野2丁目 中野文化センター
車暦 1946日本車輌・・仙台局・・1949小牛田~1972廃車・保存開始
状態 塗装は普通 前後ライト球欠 全プレートレプリカ 他の外装諸装備良好 運転室内の諸計器類の大半を損失し室内荒廃状態 屋外に屋根付きで保存さ
れており、保存状態は普通である。 撮影日2008/05/15・2010/11/21
* 右下最後の写真は1967/9/22に藤田憲一氏が小牛田駅で撮影されたものである。
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。運転室内部の復元整備がされないものでしょうか。
* 本機が1972(S47)年当時では、僚機はC11-117・237・276・350・363・366・367・369・372号機に交代所属しており、陸羽東線を担当していたC58
-19・114・122・228・328・356号機も配属されていた。その後DL化により、各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。C11-372号機は秋田県北秋
田市で静態保存されている。117号機は遠く高知県中村市で静態保存されていたが、残念ながら1989/8に解体されてしまった。記載しているC58型機は全機
各地で静態保存されている。本機が由縁の薄い当地に保存された経緯は不詳である。
C11-372号機 場所 秋田県北秋田市花園町 児童公園
車暦 1947日本車輌 1947小牛田~1955会津若松~1962陸石線管理所~1972米沢~1973弘前~1974廃車 保存開始
状態 塗装は退色し各所に錆び・汚濁雫 汽笛・ヘッドライト・後部ライト球・ガラス欠 他の外装諸装備は装着 運転室内は両水面計欠 他の諸計器類は装着
するも外形のみで針欠 屋外に保存されており最近の整備の形跡は無く、全体的には荒廃状態である。 撮影日 2007/9/15
* 再訪してみました。塗装の退色と腐食が進んでいました。 撮影日 2010/05/02
* 確認できた刻印は皆無でした。腐食が更に進行しており早急に整備が必要な状態になっています。 撮影日 2011/11/01
* 本機が1969(S44)年当時、陸石線管理所(小牛田)に所属し、石巻線で活躍していた頃、僚機にはC11-117・237・276・350・363・366・367・368
369号機も所属しており、陸羽東線を担当していたC58-19・114・122・228・328・356号機も配属されていた。その後DL化により、各機は転配属、廃車・
解体の経過をたどった。C11-367号機は小牛田機関区の所在した宮城県遠田郡美里町、368号機は東京都中野区で静態保存されている。117号機
は遠く高知県中村氏で静態保存されていたが、残念ながら1989/8に解体されてしまった。記載しているC58型機は全機各地で静態保存されている。
* 本機が1972(S47)年当時、小牛田機関区から米沢機関区に移動し、米坂線を担当し活躍していた頃、僚機にはC11-204・240・325・359号機も所属し
ていた。また奥羽本線担当の59634・79607号機も配属されていた。その後DL化により各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機と359号機は弘前
機関区へ、59634号機は遠く九州の後藤寺機関区へ移動、その後静態保存され、現在は九州鉄道記念館に静態保存されている。
* 本機が弘前機関区に移動した1973(S48)年当時、同機関区には8630・28622・28688・68620・68657・D51-232・242・1108号機も配属されて
いた。その後各機は廃車・解体の経過をたどった。本機以外では、8630・D51-232・1108号機が各地で静態保存されている。
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