蘇った29612号機
29612号機 場所 大分県玖珠町旧豊後森機関区扇形駐機場前
車暦 1919汽車製造 1919鳥栖~1924直方~1933浦上~1935長崎~1940浦上~1949門司~1955西唐津~1974廃車 1975保存開始
状態 塗装は退色気味で汚濁雫 剥離 プレートはレプリカ 他の外装諸装備良好 運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類多数損失しやや荒廃状態 屋外に保
存されているが保存状態は普通である。 撮影日2007/12/15
* 分厚い塗装も錆が浮き確認できた刻印は皆無でした。更に腐食が進行しており心配な機体です。 撮影日 2011/05/01
* 解体が危惧されていた本機ですが、大分県玖珠町の扇形車庫に移転が決まりました。しかし玖珠町での受け入れ環境が揃うまで直方市の「直方汽車倶楽部」
管轄下で整備をして正式な移転に備える事になりました。私も保存陳情を出した一人ですが、保存を願う多くの方の思いが良い結果となりました。 2014/04/12
* 本機は平成26(2014)年4月10~11の間に、旧静態保存場所であった福岡県粕屋郡志免町志免メインパークから、福岡県直方市頓野「直方汽車倶楽部」
へ本体上下・テンダーに3分割され運ばれました。玖珠町からの依頼をうけた直方汽車倶楽部で荒廃した機体の修復・整備作業が順次おこなわる事になっておりま
す。同年11月2日に行われたD51-225号機の整備完成披露会に参加させて頂いた際に、本機の状況を拝見させていただきました。入江氏の説明ではかなりの
部位に腐食が見られ、煙室扉は崩壊の恐れがあるそうで、修理というより新たに製作しなくてはならない部位があるとの事で、直方汽車倶楽部の皆さんのこれから
の整備が容易では無い事を物がたっておりました。非公開でしたので写真撮影は控えさせていただきました。
その後平成27(2015)年6月8日まで汽車倶楽部での整備作業が行われ、同6月12日に旧豊後森機関区扇形駐機場・転車台の前の特設線路上に静態保存さ
れました。この間の様子は玖珠町観光協会のHPに直方汽車倶楽部での整備の繊細な活動状況が紹介されております。(http:kusumachi.jp/pg247.html)
* 本機との再会は6年振りとなりました。あの朽ち果てようとしていた29612号機が、旧豊後森機関区扇形駐機場の前で眩しく光輝いていました。ここまで復元・
整備(修理と云うより新規製造と評するのが適切かと)された、直方汽車倶楽部の江口代表を中心に入江・村上氏をはじめとする整備主力メンバーの方々・汽車倶
楽部会員の皆さんの整備にかけたご苦労と情熱の結果を目の前にして、感嘆すると共に称賛の言葉を同じ整備に関わる者として贈ります。また本機を愛する皆さん
が毎月第一日曜日に保守・点検・清掃活動をされておられることも素晴らしい事と思います。その様子を思い浮かべながら拝見させていただきました。
* 刻印等の一覧は別表に示しておりますが、まだ各所に残っているものと思われます。9600型機の刻印は薄い例が多く見られ、塗装により判読できない例が多
々見られます。本機の場合も屋外での保存で有り磨き出しと異なり苦労された事と思われます。刻印から見られる顕著な例は右第一サイドロッド油壷(左)に19600
の刻印が認められました。19600号機は1966年に後藤寺機関区で廃車になっております。廃車後小倉(KK)工場で転用されたものと思われます。また本機は1
971(昭和46)年4-27に小倉工場で全般検査を受けその後おそらく中間検査を受けた後に1974(昭和49)年に休車扱いとなり行橋機関区で廃車になっておりま
す。左リターンクランク・同軸ツバ・テンダー左右第一従輪担バネ胴締にシ46-4の刻印が全検をシ48-4はその後の中間検査を示すかと思われます。本機の各動輪
には製造年のシ44-8~46-9の刻印があります。新品のタイヤをはめたまま、さほど走行する事無く廃車になったと思われます。なおタイヤ取り付けの工場確認刻
印(シ46・KK)は確認されませんでした。
* 29612号機刻印等一覧表
本体 左サイド | 刻印等の番号 |
尻棒案内 | L 29612 |
シリンダー被第一覗き穴蓋 | L1 29612 |
シリンダー被第二覗き穴蓋 | L2 29612 |
合併テコ | L 29612 |
結びリンク | L 29612 |
クロスヘッドソケット | L 29612 |
第一動輪・タイヤ | W92688 D シ44-11 T109 |
釣りリンク 内・外 | L 29612 |
釣りリンク腕軸ツバ | L 29612 |
第二動輪・軸ツバ | L2 29612 シ41.41.K.K |
第二動輪・タイヤ | W12553 D シ44-8?T109 |
第三動輪・タイヤ | W92682 D シ44-11 T109 |
メインロッド | シ.30.4.K.K |
リターンクランク | L 29612 シ46.4 KK? |
リターンクランク・軸ツバ | シ.46.4 K.K |
メインロッド | 9600以外判読不能 |
第二サイドロッド | 9600以外判読不能 |
テンダー 左サイド | |
第一従輪・担バネ胴締 | ??43 kk39-12 kk32-2 |
第一従輪・軸ツバ | シ32-12 32E1486?3 シ33-5kk |
第二従輪・担バネ胴締 | kk以外判読不能 |
第二従輪・軸ツバ | 判読不能 |
第三従輪・担バネ胴締 | |
第三従輪・軸ツバ | kk48-4 kk49 C593 kk43-4-Z |
自動連結器胴上部 | シ45-4 69E823 |
自動連結器ナックル | シ44-8 492602? |
本体右サイド | |
尻棒案内 | 判読不能 |
シリンダー被第一覗き穴蓋 | R1 29612 |
シリンダー被第二覗き穴蓋 | R2 29612 |
合併テコ | R 29612 |
結びリンク | R 29612 |
クロスヘッドソケット | 判読不能 |
第一動輪・タイヤ | W?2837 D シ44-11 T109 |
釣りリンク 内・外 | R 29612 |
釣りリンク腕軸ツバ | R 29612 |
メインロッド | シ. 30.4..K.K |
第二動輪・タイヤ | W1262? D シ44-9 T109 |
第一サイドロッド油壷(左) | R2 19600 |
リターンクランク | 確認不可能 |
リターンクランク・軸ツバ | 判読不能 |
第三動輪・タイヤ | W12299 D シ46-8 T109 |
第三サイドロッド | シ. 34.3.K.K |
第四動輪タイヤ | W12624 D シ46-9 T109 |
テンダー右サイド | |
第一従輪・担バネ胴締 | kk48-4 kk49 C237 kk48-4-Z |
第一従輪・軸ツバ | B12K |
第二従輪・担バネ胴締 | kk39-8 |
第二従輪・軸ツバ | P 5.3.K |
第三従輪・担バネ胴締 | kk48-4 kk42-3 C585 kk46-4-Z |
第三従輪・軸ツバ | S5190B-39 シ39-4 |
* 最後に、本機は1918年に汽車製造大阪工場で製造され、1919年には鳥栖機関区に配属されたのを最初に、直方~浦上~西唐津~行橋と転属した歴史を
持ちます。当初鳥栖機関区に所属していたのであるから久大本線を走行し、豊後森機関区でも点検を受けていたのでしょうか。また直方機関区に所属していた頃は
筑豊本線を走行していたのでしょう。その直方の地で「直方汽車倶楽部」という機関車整備のスペシャリスト集団の情熱の元、解体という窮地を免れ当地に見事に蘇
ったというのも本機の運命なのでしょう。
長崎市のC57-100号機や鹿児島市のD51-714号機のように、行政当局の「解体ありき」の措置により、SLファンの願いも虚しく消え去った事を思うと、幸運で
あったと言えます。大分県湯布院市のD51-1032号機も解体の危機が迫っているようです。福岡県行橋市のD51-10号機は解体の危機をやはり「直方汽車倶楽
部」により修復・整備されようとしています。ご当地玖珠町のように本機を解体から救って新たなる観光のシンボルとして活用された手法は高く評価されるべきと思い
ます。
* 本機に取ってこの旧豊後森機関区の跡地は正に安住の地と言えるでしょう。転車台に乗り方向転換し背後の扇形駐機場に後退して行く姿が充分想像できます。
また、豊後森駅を発車する上り・下りの各DL車の汽笛やすぐ横の久大本線を走る列車の走行音を聞きながら、はるか昔の自分の姿に思いを馳せているのでしょう
か、機関士や助手の思い、貨物であれ客車であれ牽引した全ての物や人々の思いを込めて、また、託された19600号機の分も含め、当地でその歴史を伝える最
後の役目を果たす幸運を感じているでしょうか。 2017/05/24 愛媛のKAZE
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