D52型蒸気機関車 1945~1946の間に285両製造 全国に7両保存されています。

主要諸元

 全長 21.1m 全高 3.98m 総重量 136.8t 水槽 25㎥ 石炭庫 12.t 先・従輪径 860mm 動輪径 1400mm 最大出力 1.949ps 最高速度 75km/h

 製造所 川崎重工兵庫工場・汽車製造大阪工場・日立製作所笠戸工場・三菱重工業三原工場・国鉄鷹取・浜松工場



D52-1号機  場所 広島県広島市東区 JR貨物広島車輌所


車暦 1943鉄道省浜松工場 1943浜松~1944稲沢~1954吹田~1956小郡~1966廃車 1967保存開始

状態 塗装は普通 後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類・操作系統機器・電気系統機器完備 室内良好 屋外保存であるが足回りは整備されている。保

   存状態は普通である。                                                                撮影日2007/07/27

* JR広島車両所の貨物祭りに出向きました。雨天の影響と分厚い塗装の為、刻印の判読が難しい状況でした。判読できたのは数箇所でしたが、左先輪には

D5212の刻印が読み取れました。D52-12号機は1964年に糸崎機関区で廃車となっていますが、1956~糸崎・広島・小郡に配属されており本機も同一地域

で活躍していたので、この間に交換転用されたのでしょう。                                         撮影日 2010/10/24

* 1954年に国鉄鷹取工場で集煙装置装着

* 本機が1955(S30)年当時、吹田機関区に所属し東海道本線等で活躍していた頃、僚機にはD52-4・43・56・57・58・109・115・130・136・137・138・142・148

・149・198・202・203・204・224・225・229・232・235・340・362・363365・373・376・404・405・423・468号機も所属していた。吹田機関機はD52型機34両

という集中配属されており、同機関区には8620型機4両・9600型機12両・D51型機19両・D62型機6両も配属されており、まさに重量機の集結状況を呈していたその後各

機は各地に転配属された。本機以外ではD52-136号機が静岡県沼津市、235号機が神奈川県相模原市、468号機が京都鉄道博物館で、また9608号機・D51

-297・385・663・684号機
が各地で静態保存されている。

* 本機が1966(S41)年当時、小郡機関区に所属していた頃、僚機のD52型機は22両配属されていた。しかし、DL化の影響で本線運用は構内入れ替え業務を含め7両で、

残りは休車扱いであった。本機が稼動していたかは不明である。

* 同所内には廃車となり解体されたD51-214号機の動輪も保存展示されている。

* 余談ではあるが、ここでD62型機について触れておきたい。1955年当時D52型機より改造(国鉄浜松工場で1D1の軸数から1D2のバークシャー方式)された20両のD

62型機は、稲沢第一機関区に5両・米原機関区に9両・吹田機関区に6両配属され、東海道本線・山陽本線で運用されていた。その後姫路までが電化されたので、1958年に

全機休車となったが、東北地方への運用が決まり全機一ノ関機関区に集中配属され、盛岡まで電化される間活躍した。その後盛岡以北での運用も検討されたが。稼働率が悪

い状態が続き、1966/10で全機廃車となった。一ノ関機関区時代はヘッドライトはシールドビーム2灯方式を取り、独特のスタイルであった。国鉄蒸気機関車で最大の重量を

誇ったD62型機であるが、全機廃車となり残念ながら保存された機体が無いのが実に惜しまれる。

              *藤田憲一氏が一ノ関機関区時代のD62型機の貴重な写真を写しておられるのでそれを紹介しておきます。








D52-70号機  場所 神奈川県足柄上郡山北町 JR山北駅北交通公園

車暦 1944川崎車輌 1944下関~1945小郡~1946新鶴見~1951国府津~1968廃車 1970保存開始

状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室内は金網で遮断されている。上部の圧力計は完備しているが、暖房・給水の各計器は復元されたものであろうか。両水面計は芯

    のガラス管は欠き外枠のみ、ブレーキ圧力計欠、制動筒上部は欠損しブレーキ弁等が欠 その他室内は良好である。 屋外に屋根付きで保存されており、足回りもきれいに整備を受け、良好な状態である。                                   
                                                                     撮影日2007/10/22

* 再訪してみました。今回は時間に余裕がありましたので刻印等細部の撮影ができました。相変わらずきれいな状態で保存されており、D52型機では最良の状態

では無いでしょうか。足回りも完全に磨きだされており、各部位の刻印も明瞭でした。右すべり棒の先端には
D511024の刻印があり、左すべり棒の同所は意図的

に完全に削り取られていました。
D51-1024号機は1970年に出水機関区で廃車になっており1947年当時、両機が新鶴見機関区に所属していた事があり、その

間に交換転用されたのでしょうか? 右メインロッドの油ツボ部には元印のD52
419の刻印がありました。D52-419号機は1961年に沼津機関区で廃車になって

います。転用の経緯は不詳である。                  撮影日 2010/06/19


* 本機は2016/12~2017/04にかけて、圧縮動態化工事がなされ、機体の整備と軌道が約12m延長された。2018秋に完成し一般公開された。2017/11

* 本機が1955(S30)年当時、国府津機関区に所属し御殿場線で活躍していた頃、僚機にはD52-62・72・234・335・417422号機も所属していた。同機関区にはC

12型機5両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD52-72号機が静岡県御殿場市で、C12-85号機が埼玉県和光市で静態保存されている。

* 本機が1967(S42)年当時では僚機はD52-72・76・101・335・403号機に交代所属していた。その後DL化により各機は廃車・解体の経過をたどった。本機以外では

D52-403号機が神奈川県平塚市で静態保存されている。









D52-72号機  場所 静岡県御殿場市川島田 湯沢平公園内 現在はJR御殿場駅前

車暦 1944川崎車輌 1944下関~1946新鶴見~1954国府津~1968廃車 1980保存開始

状態 塗装は普通だが各所に錆び進行 外装諸装備完備 運転室内は柵内にあるため未確認(上部圧力計・水面計は確認) 屋外に屋根付きで保存されており、保存状態

    は普通である。                  撮影日2007/08/29

* 移転し整備された本機を訪問しました。駅前東側に周囲も整備されて保存されています。塗装状態は変わりませんが運転室へも立ち入りができるようになって

いました。鉄格子の枠も変わりませんが暖房用圧力計と速度計の針が損じています。他の圧力計機器・操作系統・電気系統機器は装着してありました。分厚い塗

装のため確認できた刻印はありませんでした。                                             撮影日 2011/02/26

* 本機が1955(S30)年当時、国府津機関区に所属し御殿場線で活躍していた頃、僚機にはD52-62・70・234・335・417422号機も所属していた。同機関区にはC

12型機5両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD52-70神奈川県足柄上郡山北町、C12-85号機が埼玉県和光市で静態保存さ

れている。

* 本機が1967(S42)年当時では、僚機はD52-70・76・101・335・403号機に交代所属していた。その後DL化により各機は廃車・解体の経過をたどった。本機以外で

403号機が神奈川県平塚市で静態保存されている。









D52-136号機  場所 静岡県沼津市高沢町8丁目 高沢公園内


車暦 1944汽車製造 1944稲沢~1953吹田~1960五稜郭~1973廃車・保存開始

状態 塗装は普通だが上部に粉塵堆積 汽笛・後部プレート欠 前プレートはレプリカ 安全弁? 他の外装諸装備は装着 運転室金網遮断 室内諸計器類は両水面計欠 

    その他は一応装着良好(上部6圧力計配置) 屋外に屋根付きで保存されているが、最近の整備はされた形跡は無く、保存状態は良いとは言えない状態である。   
                                                                                   撮影日2007/08/29

* 再訪してみました。塗装の劣化が進んでいるようです。運転室内部は長年の粉塵が堆積していました。撮影日 2009/05/05

* 分厚い塗装のために右ソケットに微かに刻印が残存していました。  撮影日 2011/02/26

* 本機が1955(S30)年当時、吹田機関区に所属し東海道本線等で活躍していた頃、僚機にはD52-1・4・43・56・57・58・109・115・130・137・138・142・148・

149・198・202・203・204・224・225・229・232・235・340・362・363・365・373・376・404・405・423・468号機も所属していた。吹田機関機はD52型機34両

という集中配属されており、同機関区には8620型機4両・9600型機12両・D51型機19両・D62型機6両も配属されており、まさに重量機の集結状況を呈していた。その後

各機は各地に転配属された。本機以外ではD52-1号機が広島市東区市、235号機が神奈川県相模原市、468号機が京都鉄道博物館で、また9608号機・D51-

297・385
663・684号機が各地で静態保存されている。

* 本機が1967(S42)年当時、五稜郭機関区に所属し函館本線で活躍していた頃、僚機にはD52-56・138・201・202・217・235・400・404・414・468号機も所属

していた。1967年当時D52型機が稼動し配属されていたのは、五稜郭機関区と国府津機関区であった。その後DL化により各機は廃車・解体の経過をたどった。









D52-235号機  場所 神奈川県相模原市鹿沼台2丁目 鹿沼公園内

車暦 1946川崎車輌 1946新鶴見~1952稲沢~1953吹田~1956姫路第一~1960五稜郭~1972廃車 保存開始?

状態 塗装は退色 前プレート・清缶剤挿入装置欠 運転室内給水ポンプ・暖房用圧力計欠 他の計器類は装着 屋外保存であるが最近の整備を受けた形跡は無く、保存

    状態は普通である。

「やまてつ」さんの資料では本機はD52-138号機ではないかとされていたが、最近のロッドの刻印の確認により一応235号機とされた。   撮影日2007/10/17

* 2008/8/23・24に保存会の方々による整備作業が行なわれ、前面プレート(レプリカ)の取り付けや、ロッド等の各部位の磨き上げがされ、きれいな状態になっているそうです。

* 再訪してみました。きれいになったD52-235号機               撮影日 2008/9/16・2010/9/12

* 右ビッグエンドの油ツボの刻印には明らかに元印の痕跡を打ち消しが認められますが、元印の判読は不能でした。また右弁心棒案内部にD5223?の刻印が

ありますが5が存在するのか今一つ判別できません。これが
D5223ならば1948年にC6223に改造される前のD52-23号機の弁心棒案内と言う事になります。                                                                              撮影日 2010/09/12

* 本機が1955(S30)年当時、吹田機関区に所属し東海道本線等で活躍していた頃、僚機にはD52-1・4・43・56・57・58・109・115・130・136・137・138・142・

148・149・198・202・203・204・224・225・229・232・340・362・363・365・373・376・404・405・423・468号機も所属していた。吹田機関機はD52型機34両

という集中配属されており、同機関区には8620型機4両・9600型機12両・D51型機19両・D62型機6両も配属されており、まさに重量機の集結状況を呈していた。その後

各機は各地に転配属された。本機以外ではD52-1号機が広島市東区、136号機が静岡県沼津市、468号機が京都鉄道博物館で、また9608号機・D51-297・

385・663・684号機
が各地で静態保存されている。

* 本機が1967(S42)年当時、五稜郭機関区に所属し函館本線で活躍していた頃、僚機にはD52-56・136・138・201・202・217・400・404・414・468号機も所属

していた。1967年当時D52型機が稼動し配属されていたのは、五稜郭機関区と国府津機関区であった。その後DL化により各機は廃車・解体の経過をたどった。









D52-403号機  場所 神奈川県平塚市浅間町 文化センター

車暦 1945日立笠戸工場 1945静岡~1949浜松~1951米原~1955岡山~1956沼津~1960国府津~1968廃車 1969保存開始

状態 塗装は普通 後部ライト・清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室は金網で遮断 運転室内は制御レバーを欠くが、その他の諸計器類は良好 屋外に屋根

    付きで保存されており、保存状態は普通である。      撮影日2007/10/22

* 再訪してみました。変わらぬ状態で保存されていました。  撮影日 2010/09/12

* 二箇所に刻印が残されていました。撮影日 2011/9/28 

* 本機が1955(S30)年当時、米原機関区に所属し北陸本線・東海道本線で活躍していた頃、僚機にはD52-55・223・378379・382・383・403・415・416・418・

451・466号機も所属していた。同機関区には8620型機7両・C59型機13両・D62型機9両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。

* 本機が1967(S42)年当時、国府津機関区に所属し御殿場線で活躍していた頃、僚機にはD52-70・72・76・101・335号機も所属していた。その後DL化により各機

は廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD52-70号機が神奈川県愛柄上郡山北町、72号機が静岡県御殿場市で静態保存されている。









D52-468号機  場所 京都府京都市下京区 京都鉄道博物館

車暦 1946三菱重工 1946沼津~1954吹田~1956姫路~1960五稜郭~1972梅小路~1979廃車~静態保存

状態 塗装は良好 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類完備 室内良好 常時整備されて扇形展示場の定位置に良好な状態で保存されている。 
                                                     撮影日2007/05/18・2008/03/23・2009/03/242010/01/30

* 刻印の大半は本機のものであるが、左右の先輪にはD6212の元印認められ、左第一サイドロッド・第二サイドロッド油ツボにはD52149の元印がありまし

た。D52-149号機は1966年に小郡機関区で廃車になっていますが、1953年から吹田機関区に所属していますのでそれ以降に鷹取工場で転用されたのでしょ

う。左右の逆転軸腕軸座には
D5214の刻印があります。D51-14号機は1966年に広島機関区で廃車になっています。廃車後の転用でしょうか。左第二サイドロ

ッド軸ツバのD52468の8の下に
がありD52462の可能性が大です。D52-462号機は1966年に一関機関区で廃車になっており、廃車後の転用でしょうか。

左第二サイドロッド油壷(右)には
D52344の元印があります。D52-344号機は1964年に一関機関区で廃車ですが転用の経緯は不詳です。さらに、左第三動

輪には
D5289の刻印があります。D52-89号機は1965年に五稜郭機関区で廃車になっており、本機が五稜郭機関区に所属していた間に転用されたのでしょう。

また、右ビッグエンドの油ツボ部にはD52468の刻印の下に薄く元の刻印の
D511101が読み取れます。D62-12号機は1966年に一ノ関機関区でD51-1101

号機
は1973年に木曽福島機関区で廃車となっている。転用の経緯は不詳です。さらに右第二サイドロッド油ツボ(左)にはD??710と読み取れます。710の機番

を示すのはD51-710号機
しかありません。D51-710号機は1976年に追分機関区で廃車ですが、1966年から五稜郭機関区に所属していますので転用の機会

は充分認められます。                                                               撮影日 2010/07/25


* イベントで機体が前進した結果、左第三動輪にD5289の刻印がある事が判明した。D52-89号機は1965年に五稜郭機関区で廃車になっているが、本機も

1960年から五稜郭機関区に所属しており、廃車後本機に転用されたのでしょう。                            撮影日 2011/01/8

* 本機が1955(S30)年当時、吹田機関区に所属し東海道本線等で活躍していた頃、僚機にはD52-1・4・43・56・57・58・109・115・130・136・137・138・142・

148・149・198・202・203・204・224・225・229・232・235・340・362・363365・373・376・404・405・423号機も所属していた。吹田機関機はD52型機34両

という集中配属されており、同機関区には8620型機4両・9600型機12両・D51型機19両・D62型機6両も配属されており、まさに重量機の集結状況を呈していた。その後

各機は各地に転配属された。本機以外ではD52-1号機が広島市東区、136号機が静岡県沼津市、235号機が神奈川県相模原市で、また9608号機・D51-29

7・385・663・684号機
が各地で静態保存されている。

* 本機が1967(S42)年当時、五稜郭機関区に所属し函館本線で活躍していた頃、僚機にはD52-56・136・138・201・202・217・235・400・404・414号機も所属

していた。1967年当時D52型機が稼動し配属されていたのは、五稜郭機関区と国府津機関区であった。その後DL化により各機は廃車・解体の経過をたどった。


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