D51型蒸気機関車 1001号機~1149号機の10両を紹介します。
D51-1001号機 場所 長野県千曲市杭瀬下2丁目 千曲市体育館前(2017/09解体処分)
車暦 1944三菱重工 1944長岡~1948坂町~1955長岡第一~1968新津~1972木曽福島~1973廃車・保存開始
状態 塗装は普通 後部ライト球・ガラス欠 他の外装諸装備良好 運転室内両水面計・暖房用圧力計欠 他の計器類は装着するも針・全欠 制動筒上部損壊 屋外に保存
され足回りは整備されているが、保存状態は普通である。 *国鉄長野工場式集煙装置装着 ・かまぼこ型砂箱装着 撮影日 2007/08/17・2008/09/12
* 再再訪してみました。変わらない状態で保存されていますが各所の錆と腐食が進行しています。運転室内の復元整備と再塗装が望まれます。火室はゴミ類が
堆積しており好ましい状態とは言えません。12月にはイルミネーションで飾られます。 左右の前踏み板には溶接棒による手書きの1001機番号があります。
撮影日2009/12/05・2011/05/26
* 本機は2017/09に解体処分されました。その理由は新体育館建設の為にという事ですが、元々敷地の端に保存されており建設の邪魔にはならない筈ですが、
解体処分となりました。保存を望む声も上がりましたが却下され、貴重な戦後型のD51型機が姿を消しました。長野県は保存機関車が多い故か解体しても・・・とい
う安易な行政の判断が見え隠れします。 2017/010
* 本機が1955(S30)年当時、長岡第一機関区に所属し上越本線等で活躍していた頃、僚機にはD51-28・82・260・290324・325・396・431・443・609・932・
1001・1107号機も所属していた。同機関区には9600型機7両・C11型機2両・D50型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-
609号機が千葉県成田市で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、新津機関区に所属し羽越本線・白新線で活躍していた頃、僚機にはD51-163・443・512・513・611・810・1031号機も所属していた。
また、同機関区にはC57型機14両、赤谷線担当のC11-245・269号機も配属されていた。1969年にはD51型機は16両配属されており、同機関区もDL化の波は間近に
せまっていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。D51-512号機は新潟県新発田市、513号機は東京都板橋区、C11-245号機は神奈川県藤
沢市で静態保存されている。
* 本機は1972(S47)年10/3に羽越本線、坂町~新津間の定期旅客列車を「さよなら運転」として牽引した後、木曽福島機関区に移動した。
*本機が1973(S48)年当時、木曽福島機関区に所属し中央西線で活躍していた頃、僚機としてD51-152・172・192351・401・522・775・893・903・921の各機
も配属されていた。その後電化に伴い全機廃車となったが、172号機は長野県松本市、351号機は長野県木曽郡南木曽町、402号機は長野県飯田市、775号機は
長野県木曽郡JR木曽福島駅前、921号機は長野県長野市篠ノ井で、それぞれ静態保存されている。
D51-1013号機 場所 大阪府大阪市西区九条南3 共永興業株式会社本社
車歴 1944三菱重工三原・・?・・1946亀山~1962奈良~1972廃車
状態 機関車本体は解体されたが、動輪一式が保存されている。動輪・ロッド類も磨きあげられ刻印も明確である。
* 最初の2枚は1967/3/24に藤田憲一氏が参宮線宮川駅で撮影されたD51-1013号機である。写真では戦中型のカマボコ型砂箱ドームは当然で、鷹取型
集煙装置・缶上部に重油タンクを装着した重装備である事が判る。
* 1013号機の刻印を撮影しました。他機からの転用が認められました。左第四動輪にはD511012が、左第三サイドロッド油ツボ・右第一サイドロッド油ツボ
にはD51530が右第四動輪・右従輪軸座ツバにはD51301があります。三機とも本機の配属地域と異なっており、どの時点で転用されたかは不詳です。
撮影日2010/10/30
D51-1032号機 場所 大分県由布市湯布院町岩下コレクション敷地内(2019/03移設)
車暦 1944三菱重工三原 1944門司~1956南延岡~1974廃車 1975保存開始
状態 塗装は退色し各所に錆び・腐食進行 汽笛・左右・後プレート・後部ライトガラス欠(後安全弁上部?) 運転室窓ガラス欠 鉄格子 室内速度計・給水ポンプ圧力計
(針欠)以外全欠 室内荒廃状態 屋外に保存されているが、近年の整備はされておらず全体的には荒廃状態である。 *変形砂箱装着 撮影日2008/07/11
* 再訪してみました。塗装は剥げ落ち各所に錆と腐食が進行しており、コンプレッサーやシリンダー部は特に腐食し穴が開いてる状態です。早急の整備が必要な
状態になっています。唯一刻印が確認できたのは左右の結びリンクだけでした。湯布院は観光地としても知られており、散策ロードの横に保存されていますので観
光面においても醜態をさらしている状況は好ましくありません。荒廃している運転室は別としても機体全体の再塗装ぐらいはしてもよいのでは・・・市当局の判断次第
でしょうか。 撮影日 2011/05/01
* 本機に関しては解体の方向で行政当局が動いているという情報があります。玖珠町の29612号機のような復活が見られるか、成り行きが心配されます。
2017/12
* 本機の解体が危惧されておりましたが、由布市でモーターサイクルを中心に「私設岩下博物館」を経営されている岩下氏が保存の意思を表明され、2019/
03に中央公園から、同氏の岩下コレクション敷地内に移設されました。今後順次整備復元が行われると伺っております。その状況は近々「D51-1032号機訪
問記」で紹介する予定です。
* 本機が1955(S30)年当時、門司機関区に所属し筑豊本線等で活躍していた頃、僚機にはD51-18・30・44・199・206・275・280・537・661・699・790・871・
875・881・899・918・949・1021・1038・1042・1150・1155・1157号機が所属していた。同機関区には8620型機7両・9600型機21両さらにEF10型機が16両
導入されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-18号機が山口県宇部市、206号機が佐賀県佐賀市で静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時、南延岡機関区に所属し、日豊本線で活躍していた頃、僚機にはD51-9・12・46・176・361・456・482・485・505・541・567・714・
871・923・1036・1095・1122・1151号機も所属していた。また8620型機2両C12型機2両も配属されていた。しかし、DL化に伴い1973年以降各機は、廃車・解体の
経過をたどった。廃車後D51-276号機は大分県日田市、485号機は宮崎県延岡市、541号機は宮崎県日向市、714号機は鹿児島県鹿児島市、923号機は
福岡県久留米市、78626号機は福岡県遠賀郡遠賀町にと、それぞれ由縁のある九州各地に静態保存されている。
D51-1052号機 場所 北海道千歳市上長都 キリンビール千歳工場
車暦 1944日立笠戸工場 1944新鶴見~国府津~1945高崎第一~1947大宮~1955倶知安~追分~1967鷲別~1973遠軽~1975旭川 廃車・保存開始
状態 塗装は良好 後部ライト・清缶剤挿入装置欠 運転室内は長年の粉塵が堆積しているものの、諸計器類は完備しており室内良好 屋外に屋根付きで保存されており、
足回りもきれいに整備を受け、良好な状態である。 撮影日2007/7/18
* 4年ぶりの再訪です。相変わらずきれいに整備された状態で保存されています。分厚い塗装の為に確認できた刻印の個所は僅かでした。 撮影日 2011/07/23
* デフレクター先端カット・コの字型先端部手すり(左)・LP403大型ライト前装着 国鉄苗穂工場改装
* 本機が1955(S30)年当時、倶知安機関区に所属し函館本線で活躍していた頃、僚機にはD51-804・857号機も所属していた。同機関区には9600型機4両・D50
型機5両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。
* 本機が1971(S46)年当時、鷲別機関区に所属し室蘭本線・日高線で活躍していた頃、僚機にはD51-165・444・560・565・764・947・1052号機も所属していた。
その後DL化に伴い各機は道央・道北へ転配属、廃車・解体の経過をたどった。D51-165号機は富山県南砺市、444号機は北海道北見市、560号機は北海道室蘭
市、565号機は北海道常呂郡佐呂間町、764号機は大阪府吹田市(その後解体処分)、947号機は北海道亀田郡七飯町→神奈川県足柄下郡箱根町→栃木県
宇都宮市でそれぞれ静態保存されている。
D51-1072号機 場所 兵庫県神戸市相生町2丁目 JR神戸駅北
車暦 1944汽車製造 1945岩見沢~1947旭川~新得~1966池田~1967五稜郭~1971滝川~1976追分 廃車 1978保存開始
状態 塗装は良好 外装諸装備良好 運転室内諸計器類完備 室内プラ板遮断・良好 屋外に保存されているが保存状態は普通である。2007/8の段階では塗装の剥脱が
激しく荒れていたが、その後ボランティアの方が一人で徐々に再塗装され、2008/6段階では運転室の外側を残すのみで大変きれいな状態になっている。 半年以上を
かけて作業を続行されたこの方(高等学校の先生とお聞きしてます。)の熱意と努力に敬意を表します。
*かまぼこ型砂箱装着 撮影日 2007/08/16・2008/06/13・2009/11/14
* 1年近くかけて綺麗に塗装された本機です。刻印が薄い為に確認できた刻印は少ない方でした。 撮影日 2011/1/15
* デフレクター先端カット・(本来はLP403大型ライト装着) 国鉄苗穂工場改装
* 本機が1955(S30)年当時、新得機関区に所属し根室本線で活躍していた頃、僚機にはD51-136・137・221・314・574・811・864・1069・1120・1153・1160
号機も所属していた。同機関区には9600型機2両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。
* 本機が1973(S48)年当時、滝川機関区に所属し根室本線・歌志内線で活躍していた頃、僚機にはD51-38・68・95・96・297・397・483・561・578・603・663・
1051・1086・1101・1127号機も所属していた。また19674・49606・49642・59613・59669・59694・69658・69660号機も配属されていた。しかし、DL化により
各機はその後転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後D51-68号機は岩手県岩手郡雫石町、95号機は北海道上川郡新得町、96号機は群馬県安中市、297
号機は北海道滝川市、397号機は北海道士別市、483号機は長野県安曇野市、561号機は群馬県利根郡川場村、663号機は青森県十和田市、684号機は東
京都東村山市で、それぞれ静態保存されている。
* 本機が1975(S50)年当時、追分機関区に所属していた頃、僚機にはD51-286・333・345・349・397・565・828・842・916・1119号機も所属していたが本線で
の運用は無く全機休車扱いで機関区に駐機の状態であった。1975年に333・842号機が廃車、1976年度末には全機廃車となった。廃車後D51-286号機は北海道小
樽市、333号機は北海道白老郡白老町、345号機は兵庫県揖保郡太子町、349号機は長野県岡谷市、565号機は北海道常呂郡佐呂間町、828号機は香川県
高松市→兵庫県淡路市、(2017/04解体処分)842号機は岡山県倉敷市、916号機は群馬県前橋市、1119号機は神奈川県厚木市でそれぞれ静態保存されている。
D51-1085号機 場所 和歌山県有田郡有田川町 有田川鉄道公園
(JR藤並駅南から移転)
車暦 1944日本車輌 1944姫路~新鶴見~1948平~1949水戸~1964五稜郭~1967池田~1969長万部~1971岩見沢~1976廃車 1977保存開始
状態 塗装は普通 後部ライト・清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内は暖房用圧力計欠 他の諸計器類は完備 しかし、制動・操作・電気系統機器も完備
長年の粉塵が堆積し室内の汚れが目立つ 屋外に屋根付きで保存されているが、保存状態は普通である。*かまぼこ型砂箱装着 撮影日 2007/11/09
* 再訪問してみました。整備されておらず荒れるに任せ、蔓が機体に巻きついていました。平成22年までに別の場所に移転するとの掲示がしてありました。建設
課に伺いますと同町徳田 旧有田川鉄道金屋駅跡地に建設中の「鉄道公園」に移転するそうで、本体は来年1月、公園完成は3月の予定で、塗装等の整備も行う予
定だそうです。移転と同時に機体の整備が行われC56-149号機のように蘇える事を期待したいものです。 撮影日 2009/11/15
* 有田川鉄道公園がオープンしたので再再訪してみました。公園西側の入り口正面に屋外施設と共に移転されておりました。残念ながら移転のみであり、車体の
塗装や窓枠・窓ガラスは旧状のままであり、運転室内はネットで覆われていました。今度はは左側の撮影が難しい状態になっていました。移転を機に機関車本体の
塗装等の整備がされれば良いのですが、公園内の動態保存キハ5800型の状態と対照的でした。ロッド等の塗装も剥げかけており刻印の確認も難しい状態です。
確認できた範囲内では全て本機の番号でした。左右のリターンクランクの刻印が縦に打たれています。他の1000番代の各機のリターンクランクは横印ですので珍
しいです。 撮影日 2010/3/27・2011/1/22
* デフレクター先端カット・コの字型先端部手すり(左)・LP403大型ライト前装着 国鉄苗穂工場改装
* 本機が1955(S30)年当時、水戸機関区に所属し常磐線等で活躍していた頃、僚機にはD51-72・74・94・165・363・402・411・447・594・629・640・641・64
8・651・742・786・806・807・873・896・898・913・915・1029・1041・1068・1086・1090・1103・1104・1118・1149号機も所属しており、敦賀機関区に次ぐ
D51型機保有台数であり、同機関区にはC57型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-165号機が富山県南砺市、1149号
機が滋賀県犬上郡多賀町で静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時、岩見沢第一機関区に所属し室蘭本線・幌内戦・万字線で活躍していた頃、僚機にはD51-11・13・15・47・53・85・118・260・277・292
・328・331・332・394・414・423・439・467・562・566・737・765・811・855・872・915・1056・1118・1120・1160号機も所属しており、9600型機8両・C57型
機6両も配属されており、45両の大所帯であった。しかし、DL化の波は避けきれず、各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。D51-11号機は北海道札幌市、47号機
は北海道岩見沢市、118号機は埼玉県所沢市、737号機は和歌山県有田郡湯浅町、でそれぞれ静態保存されている。
* 1975(S50)年には、僚機はD51-59・70・146・165・260・566・684・953・1149号機に減少していた。既に本線での運用はほとんど無く、全機機関区内で駐機の
状態であった。その後全機廃車となった。廃車後、幸運にも全機保存される事になり、本機以外ではD51-59号機は長野県上伊那郡辰野町、70号機は茨城県つくば市、
146号機は静岡県静岡市→真岡鉄道SL96館、165号機は富山県南砺市、260号機は富山県滑川市、566号機は北海道赤平市、684号機は東京都東村山市、
953号機は北海道虻田郡豊浦町で、それぞれ静態保存されている。由縁の薄い当地に本機が保存された経緯は不詳である。
D51-1108号機 場所 宮城県宮城郡利府町 JR東日本仙台車輌所
車暦 1944 日本車輌・・?・・1948新津~1955大館~1957弘前~1970青森~1971会津若松~1972磐越線管理所 廃車 1976保存開始
状態 塗装は普通だが各所に汚濁雫 外装諸装備・運転室内諸計器類は速度計を除き完備 制動・操作・電気系統機器も完備室内良好 屋外保存であるが最近の整備は
された形跡はない。JRの車輌所の保存としてはいかがなものか放置に近い状態である。撮影日2007/09/13
* 再訪してみました。相変わらず状態で保存されていました。3機種が3重連の圧巻ですが、保存の在り方には疑問を感じます。JRの展示としては余りにも工夫
の無い状態でしょうか、他の地方自治体が少ない予算措置ながら保存を維持している事を考えると、JR東日本は現状をどのように把握しているのでしょうか!現在
動態運転している498号機の部品用として置いているかに思えます。現在は立ち入りも禁止され敷地外から眺めるだけになっているようです。
撮影日 2010/05/03
* かまぼこ型砂箱・LP403大型ライト前後装着 * 本機が大館機関区時代の頃、テンダーに重油タンク燃焼装置を装着
* 本機が1955(S30)年当時、大館機関区に所属し奥羽本線・花輪線で活躍していた頃、僚機にはD51-229・369・554・773・778・801・812・909・1043・1098・
1122号機も所属していた。同機関区には8620型機5両・C11型機5両・C12型機2両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。
* 本機が1971(S46)年当時、青森機関区に所属し東北本線で活躍していた頃、僚機にはD51-1・113・166・197・232・281・296・427・563・580・688・729・78
6・810・854・873・876号機も所属していたがDL化が目前に控えており、休車扱いの機が増えていた。同機関区にはC61型機が運用されており6両配属、9600型機は15
両配置されていたが本線での運用は無く、全機構内入れ替え業務を担当していた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後本機以外ではD51-1号機が
京都鉄道博物館、113号機が青森県三沢市、232号機が秋田県秋田市、296号機が東京都府中市、688号機が愛知県岡崎市、762号機が青森県八戸市で、ま
た9667号機・C61-2・18・19・20号機が各地で静態保存されている。
D51-1119号機 場所 神奈川県厚木市森の里1丁目 若宮公園内
車暦 1944日本車輌 1944平~1949新鶴見~1954大宮~1958稲沢第一~1959高山~1962鷲別~1967追分~1976廃車1983保存開始
状態 塗装は良好 清缶剤挿入装置欠(前プレート?) 他の外装諸装備良好 運転室内は柵内のため未確認(上部圧力計・水面計は確認) 屋外に屋根付きで保存され
ており、保存状態は普通である。 *ギースルエゼクター煙突・かまぼこ型砂箱装着 撮影日 2007/10/22
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。金網越しの刻印撮影のためお見苦しい点はご容赦ください。右合併テコにD52418の元印と抹消
線が認められます。D52-418号機は1964年に五稜郭機関区に配属され、1965年に廃車になっていますので苗穂工場で交換転用されたのでしょう。また、右
結びリンクには92の元印が読み取れます。これがD51192を示すのなら、1973年に中津川機関区で廃車になりその後三重県長島町の温泉ランドで静態保存
後解体処分されたD51-192号機の結びリンクである事になります。 撮影日 2010/09/12
* デフレクター先端カット・コの字型先端部手すり(左)・LP403大型ライト前後装着 国鉄苗穂工場改装
* 1968年当時このギースルエゼクター煙突を装着していたのはD51-117・120・232・252・276・315・343・345・349・
371・391・457・570・605・711・725・733・742・842・942・952・953・1037・1119の各機であるが廃車時まで装着していたかは定かでは無い。
* 本機が1955(S30)年当時、大宮機関区に所属し東北本線・高崎線等で活躍していた頃、僚機にはD51-140・472・532647・703・914・1040・1053・1059・11
19号機も所属していた。同機関区には9600型機12両・C50型機3両・D50型機4両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-140号が
埼玉県熊谷市で静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時追分機関区に所属し、室蘭本線・夕張線・石勝線などで活躍していた頃、僚機にはD51-117・120・226・241・285・286・308・320・333
・343・345・349・357・399・413・492・539・605・711・733・767・842・1042号機も所属していた。また19672・19673・39697号機も配属されていた。その後各
機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。D51-286号機は北海道小樽市、333号機は北海道白老郡白老町、345号機は兵庫県揖保郡太子町、349号機は長野
県岡谷市、842号機は岡山県倉敷市で静態保存されている。
* 本機が1975(S50)年当時、追分機関区に所属していた頃、僚機にはD51-286・333・345・349・397・565・828・842・916・1072号機も所属していたが本線での
運用は無く全機休車扱いで機関区に駐機の状態であった。1975年に333・842号機が廃車、1976年度末には全機廃車となった。廃車後D51-397号機は北海道士別市
、565号機は北海道常呂郡佐呂間町、828号機は香川県高松市→兵庫県淡路市、(2017/04解体処分)842号機は岡山県倉敷市、916号機は群馬県前橋市、10
72号機は神戸市中央区でそれぞれ静態保存されている。
D51-1142号機 場所 長崎県佐世保市熊野町 交通公園内
車暦 1944川崎車輌・・?・・1948熊本~人吉~1955南延岡~1971廃車 1972保存開始
状態 塗装は良好 外装諸装備完備(プレートはレプリカ?) 運転室内諸計器類はシリンダー・給水・暖房用圧力計は完備 他は文字盤・針欠 制動・操作・電気系統機器は
良好 室内良好 屋外に屋根付きで保存されているが、メイン・サイドロッド・主軸にも油が注されて整備され、良好な状態である。 撮影日2007/06/11
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。 撮影日 2010/3/13
* 分厚い塗装のために明確に本機を示す刻印はありませんでした。撮影日 2011/04/30
* 本機が1955(S30)年当時、南延岡機関区に所属し日豊本線で活躍していた当時、僚機にはD51-9・12・23・93・485・880・1035・1036・1081・1141号機も所
属していた。同機関区には8620型機3両・C12型機4両・D50型機1両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。
* 本機が1971(S46)年当時になると、僚機はD51-9・12・176・485・541・949・1032・1035・1036・1081・1141号機に交代所属していた。また、8620型機3両
・C12型機2両も配属されていた。その後各機はDL化に伴い廃車・解体の経過をたどった。廃車後本機以外ではD51-176号機が大分県日田市、485号機が宮崎県延
岡市、541号機が宮崎県日向市、1032号機が大分県湯布院市、78626号機が福岡県遠賀郡遠賀町でといずれも由縁の深い九州各地に静態保存されている。
D51-1149号機 場所 滋賀県犬上郡多賀町 旧ハイウェイパーク跡地
車暦 1944川崎車輌 1944水戸~1965池田~1968小樽築港~1973岩見沢~1976廃車・保存開始
状態 塗装は退色し各所に剥離・錆び・腐食進行 汽笛・清缶剤挿入装置欠 後部ライト欠 プレートはすべてレプリカで営業用のイミテーション 他の外装諸装備装着 運転
室右窓枠・ガラス欠 室内は左水面計心管と11個のバルブを残し、諸計器類操作系統・電気系統機器等を全欠し室内完全な荒廃状態 屋外に保存されているが、保
存というより放置であり荒廃状態である。プレートはSLホテル時代の999を装着しているが、機体は1149号機である。*かまぼこ型砂箱装着
撮影日 2007/08/16・2008/09/17
* 滋賀県で唯一荒廃している本機であり近畿圏でも和歌山県湯浅町のD51737、同那智勝浦町のC58353と並ぶ状態であり、荒廃の一途をたどっている。撮影
した時には近くの敷地一帯が開発整備されつつあり、本機の行く末が懸念される。荒廃の割には塗装の上からでは有るが刻印が残っていた。左先輪にはD5159の
刻印がありました。D51-59号機は本機と同じ1976年に岩見沢機関区で廃車になっています。1948~1973年の間に追分・北見機関区に所属していますのでそ
の間に転用されたのでしょう。右第三動輪にはD51251の刻印があります。D51-251号機は1949年に新鶴見機関区で廃車になっており、廃車後本機が水戸機
関区に所属していた間に転用されたのでしょう。 撮影日 2011/05/20
* 現在の本機の状況は周辺が整備されており、本機のみポツンと取り残されている状況である。 2016/11
* デフレクター先端カット・(本来はLP403大型ライト装着) 国鉄苗穂工場改装
* 本機が1955(S30)年当時、水戸機関区に所属し常磐線等で活躍していた頃、僚機にはD51-72・74・94・165・363・402・411・447・594・629・640・641・648
・651・742・786・806・807・873・896・898・913・915・1029・1041・1068・1086・1090・1103・1104・1118・1149号機も所属しており、敦賀機関区に次ぐD5
1型機保有台数であり、同機関区にはC57型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-165号機が富山県南砺市で静態保存され
ている。
* 本機が1973(S48)年当時、小樽築港機関区に所属し函館本線で活躍していた頃、僚機にはD51-54・59・63・64・70・88・138・193・219・231・287・353・443
・454・465・598・600・662・713・744・756・887・908・943・1023・1057・1078・号機も所属していた。また、9661・19650・29601・29675・39612・39615
号機・C12-6・38・64・225号機・C62-3号機も配属されており、合計40両という大所帯であった。しかし、DL化・電化は直前に迫っており、各機はその後転配属、廃車・解
体の経過をたどった。廃車後、231号機は東京都台東区上野公園、916号機は群馬県前橋市、943号機は静岡県富士市でそれぞれ静態保存されている。また、本機・
59・70号機は岩見沢第一機関区に移動した。
* 本機が1975(S50)年当時、岩見沢機関区に所属していた頃、僚機にはD51-59・70・146・165・260・566・684・953・1085号機も所属していた。既に本線での運
用はほとんど無く、全機機関区内で駐機の状態であった。その後全機廃車となった。廃車後、幸運にも全機保存される事になり、本機以外ではD51-59号機は長野県上伊那
郡辰野町、70号機は茨城県つくば市、146号機は静岡県静岡市→真岡鉄道SL96館165号機は富山県南砺市、260号機は富山県滑川市、566号機は北海道赤
平市、684号機は東京都東村山市、953号機は北海道虻田郡豊浦町、1085号機は和歌山県有田郡有田川町で、それぞれ静態保存されている。由縁の薄い当地に本
機が保存された経緯は不詳である。
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