D51型蒸気機関車 916号機~954号機の10両を紹介します。
D51-916号機 場所 群馬県前橋市西方貝町5丁目 前橋こども公園内
車暦 1943日本車輌 1943糸崎~1948函館~追分~1949新得~1954岩見沢~1968小樽築港~1973名寄~1974追分~1976廃車・保存開始
状態 塗装は普通 煙室扉ハンドル・清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室はアクリル板で遮断 室内の諸計器類は完備 制動・操作・電気系統機器も良好
屋外に屋根付きで保存されているが、最近の整備は受けてない模様 保存状態は普通である。*かまぼこ型砂箱装着
* 再訪して見ました。変わらない状態で保存されていました。 撮影日 2007/10/19・2009/10/11
* 全体的に塗装が劣化し各部位に錆が浮き始めています。ロッド等も錆が浮き出て刻印の確認が難しい箇所もあります。左心向棒にはD51292の元印があり
ます。D51292号機は1973年に岩見沢第一機関区で廃車になっており、廃車後転用されたのでしょう。同じく右向棒にはD51923の元印があります。
D51923号機は1972年に追分機関区で廃車になっていますが、1950年以降長万部~滝川~追分に配属されておりますのでその間か廃車後転用されたので
しょう。右リターンクランクに亀裂が入っています。 左サイドはプラットホームのため撮影困難です。撮影日 2011/09/24
* 本機が1955(S30)年当時岩見沢機関区に所属し室蘭本線・幌内戦・万字線で活躍していた頃、僚機にはD51-11・13・15・16・26・33・47・48・53・85・99・117・
118・120・126・342・929号機が所属していた。同機関区には9600型機10両・C51型機5両・D50型機13両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本
機以外ではD51-11号機が北海道札幌市、47号機は北海道岩見沢市、118号機は埼玉県所沢市、49616号機静岡県川根本町で静態保存されている。
* デフレクター先端カット・コの字型先端部手すり(左)・LP403大型ライト前後装着 国鉄苗穂工場改装
* 本機が1973(S48)年当時、小樽築港機関区に所属し函館本線で活躍していた頃、僚機にはD51-54・59・63・64・70・88・138・193・219・231・287・353・443・
454・465・598・600・662・713・744・756・887・908・943・1023・1057・1078・1149号機も所属していた。また、9661・19650・29601・29675・39612・39
615号機・C12-6・38・64・225号機・C62-3号機も配属されており、合計40両という大所帯であった。しかし、DL化・電化は直前に迫っており、各機はその後転配属、廃車
・解体の経過をたどった。廃車後、D51-59号機は長野県上伊那郡辰野町、70号機は茨城県つくば市、231号機は東京都台東区上野公園、943号機は静岡県富
士市、1149号機は兵庫県神戸市中央区でそれぞれ静態保存されている。なお本機は追分機関区へ移動した。
* 本機が1975(S50)年当時、追分機関区に所属していた頃、僚機にはD51-286・333・345・349・397・565・828・842・1072・1119号機も所属していたが、既に
本線での運用は無く全機機関区内で駐機の状態であった。333・842号機は1975年に廃車になり、1976年度末で全機廃車となった。廃車後本機以外ではD51-286号機
は北海道小樽市、333号機は北海道白老郡白老町、345号機は兵庫県揖保郡太子町、349号機は長野県岡谷市、397号機は北海道士別市、565号機は北海道
常呂郡佐呂間町、828号機は香川県高松市→兵庫県淡路市(2017/04解体処分)、842号機は岡山県倉敷市、1072号機は神戸市中央区、1119号機は神奈
川県厚木市でそれぞれ静態保存されている。*本機が由縁の薄い当地へ保存された経緯は不詳である。
D51-917号機 場所 岡山県岡山市幸町 下石井公園内
車暦 1943日本車輌 1943函館~1945五稜郭~盛岡~1968浜田~1971新見~1972廃車・保存開始
状態 塗装は良好 煙室扉ハンドル・後部ライト球・ガラス欠 他の外装諸装備良好(プレートはレプリカ) 運転室窓枠・ガラス欠 室内は空気・ブレーキ圧力計・水面計欠
他の計器類は装着するも針・ガラス欠 制動弁欠 屋外保存であるが足回りも整備されている。公園整備に伴い場所を少し移転し整備された。保存状態は普通である。
撮影日2008/04/22
* 最終工事が終わり、屋根が付き足回りもきれいに整備され、油が注入されていました。 撮影日2008/10/09
* 分厚い塗装のために確認できた刻印は左右のリターンクランクのみでした。 撮影日 2011/06/18
*本機が1955(S30)年当時、盛岡機関区に所属し東北本線で活躍していた頃、僚機にはD51-19・41・64・134・218・231234・283・284・307・327・356・357
・458・460・461・463・525・568・598・656・715・719・779・854・866・901号機も所属していた。同機関区には8620型機9両・C57型機14両C58型機2両も配
属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-231号機が東京都台東区で48640号機、C60-1号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1967(S42)年当時、盛岡機関区で活躍していた頃は箱型ドームで、テンダーに重油タンク装置を装着していた。
* 本機が1971(S46)年当時、新見機関区で活躍していた頃、まだ同機関区にはD51-195・409・422・428・481・488・774・837・838・889・の各機も所属してい
た。その後DL化に伴い各期はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後、本機以外ではD51-195号機は鳥取県米子市、409号機は滋賀県湖南市→岐阜
県美濃加茂市、422号機は広島県尾道市、428号機は東京都大田区、488号機は島根県安来市、774号機は島根県出雲市、837号機は長野県駒ヶ根市、83
8号機は岡山県新見市、889号機は岡山県総社市で、それぞれ静態保存されており、新見機関区に所属したD51型機で新見機関区や浜田機関区で廃車となった機関車
の静態保存率は意外と高い。1970年代にはDL化は当然、急速な電化により蒸気機関車の用途は途絶え、各地で廃車となっていたが同時にSL保存の運動も展開されていた
時代を象徴している事象であろう。
D51-921号機 場所 長野県長野市篠ノ井 篠ノ井支所
車暦 1943川崎車輌 1943高崎~1946高崎第二~1952木曽福島~1972廃車・保存開始
状態 塗装は普通だが部分的に腐食箇所あり 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内鉄格子遮断 暖房用・空気・ブレーキ圧力計欠 他の諸計器類良好
制動弁欠 他の操作・電気系統機器は良好 屋外保存であるが、足回りは整備されており保存状態は普通である。*国鉄長野工場式集煙装置装着
撮影日 2007/08/17
* 再再訪してみました。運転室内部が鉄格子で遮断されていました。分厚い塗装の為に動輪の刻印は確認できませんでした。またロッド等の刻印も明確なものは
5か所のみでした。 撮影日 2010/12/12
* 本機が1955(S30)年当時、木曽福島機関区に所属し中央本線(西)で活躍していた頃、僚機にはD51-62・81・326・781787・793・820・862号機も所属していた。
その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-787号機が長野県佐久郡御代田町、793号機が滋賀県長浜市、862号機が東京都町田市で静態保存され
ている。
*本機が1973(S48)年当時になると、僚機はD51-152・172・192・351・401・522・775・893・903・1001号機に交代配属されていた。その後電化に伴い各機廃車
となったが、本機以外ではD51-172号機は長野県松本市で、351号機は長野県木曽郡南木曽町で、401号機は長野県須坂市で、775号機は長野県木曽郡JR
木曽福島駅前で、1001号機は長野県千曲市(2017解体処分)でそれぞれ静態保存されている。
D51-923号機 場所 福岡県久留米市櫛原 市立鳥類センター内
車暦 1943川崎車輌・・?・・1948酒田~1955秋田~1968横手~1971弘前~1972南延岡~1974廃車・保存開始
状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室内は両水面計ブレーキ圧力計を除き 他の諸計器類損失 制動弁欠 他の操作系統機器一部欠 室内荒廃気味 屋外に屋根
付きで保存されており、足回りもきれいに整備され保存状態は良好である。
* 本機が秋田~横手~弘前機関区に所属していた頃は、テンダーに重油タンク燃焼装置を装着していた。
* 本機が1955(S30)年当時、秋田機関区に所属し東北本線等で活躍していた頃、僚機にはD51-228・276・305・406・434・705・1006・1066・1070・1071・
1106・1152・1161号機も所属していた。同機関区には8620型機5両・C11型機9両・C51型機6両・C55型機4両・C57型機4両も配属されていた。その後各機は各地
に転配属された。本機以外ではC11-244号機が福島県鹿沼郡JR会津柳津駅前で静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時、南延岡機関区に所属し、日豊本線で活躍していた頃、僚機にはD51-9・12・46・176・361・456・482・485・505・541・567・714・
871・1032・1036・1095・1122・1151号機も所属していた。また8620型機2両C12型機2両も配属されていた。しかし、DL化により1973年以降各機は、廃車・解体
の経過をたどった。廃車後D51-176号機は大分県日田市、485号機は宮崎県延岡市、541号機は宮崎県日向市、923号機は福岡県久留米市、1032号機は
大分県湯布院市、78626号機は福岡県遠賀郡遠賀町にと、それぞれ由縁のある九州各地に静態保存されている。
D51-930号機 場所 和歌山県岩出市根来 根来SL公園
車暦 1943川崎車輌 1943米原~1955敦賀~1963金沢~1964上諏訪~1965亀山~1967紀伊田辺~1972廃車 1973海南市保存・・・2003現地移転保存~
状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 制動・操作・電気系統機器も完備 室内良好 メイン・サイドロッド・主軸に油が注されきれいに整備され、屋外に屋
根付きで保存されており、保存状態は良好 *国鉄鷹取工場式集煙装置・重油タンク装着
* 再訪してみました。相変わらずきれいに整備された状態でした。日曜日なので保存会の方が整備をされておられました。特別に煙室扉を開けていただき撮影す
る事ができました。 撮影日 2007/08/28・2009/11/15
* 各部位の刻印の中で、左釣りリンクにC58347の刻印、左第三動輪にD51789の刻印、右すべり棒にD51761の刻印がありました。C58-347号機は19
70年に陸石線管理所で廃車となっており、D51-789号機は1972年に秋田機関区で廃車、D51-761号機は主に中国地方で所属し1970年に新見機関区で
廃車となっており、3機とも本機と共通する所属機関区の記録も無く、いつ何処で転用されたのかは不明である。
* 本機が1955(S30)年当時、敦賀機関区に所属し北陸本線で活躍していた頃、僚機にはD51-110・168・177・178・180・191・245・246・247・249・278・281
・288・289・298・299・321・322・349・362・379・526・581・582・584613・618・644・685・707・731・789・819・822・829・1126号機も所属しており、D51
型機の保有台数では敦賀機関区が最大であった。同機関区には8620型機5両・C58型機13両も配属されており、北陸最大の機関区を呈していた。その後各機は各地に転
配属された。本機以外ではD51-245号機が長野県埴科郡坂城町、349号機が長野県岡谷市で、C58-171号機が福井県小浜市、322号機が静岡県三島市で
静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、紀伊田辺機関区に所属し紀勢本線で活躍していた頃、僚機にはD51-158・442・469・800879号機も所属していた。同機関区にはC57
型機4両・C58型機10両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後本機以外ではD51-158号機が大阪府茨木市、46
9号機が大阪府高石市で、C57-7・56・160号機・C58-231号機も各地で静態保存されている。
* 本機が廃車となる1972(S46)年当時の紀伊田辺機関区には、同型機のD51-442・879号機も配属されていた。
D51-943号機 場所 静岡県富士市入山瀬7丁目 交通公園内
車暦 1944川崎車輌 1944長万部~1945追分~1948岩見沢~1949小樽築港~1973北見~1975滝川~1976 廃車 1977保存開始
状態 塗装は普通だが厚塗り 後部ライト・前ライト球・ガラス欠 他の外装諸装備良好 動輪・ロッド類は磨き出されて油が塗布されて良い状態であるが、運転室内は窓ガラ
ス欠 室内諸計器類の大半を損失し荒廃状態 屋外に屋根付きで保存されているが、運転室内の復元整備が望まれる。 撮影日2007/08/29・2008/09/16
* 再再訪しました。変わらない状況で保存されています。左右合併テコ・左釣りリンク腕・左偏心棒の各ピンツバにD51942の刻印があります。D51-942号機
は1973年に長万部機関区で廃車になっています。廃車後か同じ北海道内で所属しており早い段階で苗場工場で転用されたのでしょうか。左リターンクランクには
D52138の元印があります。D52-138号機は1972年に五稜郭機関区で廃車になっていますが、廃車後か五稜郭機関区配属の1960年以降に転用されたの
でしょう。右心向棒にはD52418の刻印があります。D52-418号機は1965年に五稜郭機関区で廃車になっており廃車後転用されたのでしょう。また右ビッグエ
ンド油壷にも元印がありましたが判読不能でした。 撮影日 2010/02/27
* デフレクター先端カット・コの字型先端部手すり(左)・LP403大型ライト前後装着 国鉄苗穂工場改装
* 本機が1955(S30)年当時、小樽築港機関区に所属し函館本線で活躍していた頃、僚機にはD51-138・149・163・202219・277・295・419・439・465・483・
492・600・622・638・659・662・887号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・9600型機10両・C12型機3両・C51型機5両・C57型機13両も配属されて
いた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-483号機が長野県安曇野市で、9633号機・C12-6・38・64号機・C57-57・135・201号機が
各地で静態保存されている。
* 本機が1970(S45)当時になると、僚機はD51-24・54・59・64・70・84・138・193・219・231・286・287・320・333・353・454・465・598・600・659・662
・713・744・756・913・916・1023・1057・1078・1149号機に交代所属していた。また9600型機6両・C12型機4両・C62型機2両も配属されていた。その後DL化に
伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD51-59号機が長野県上伊那郡辰野町、70号機が茨城県つくば市、231号機が東京都台東区、
286号機が北海道小樽市、333号機が北海道白老郡JR白老駅北、916号機が群馬県前橋市、1149号機が滋賀県犬上郡多賀町で静態保存されている。また、
C62-2号機は京都鉄道博物館でSLスチーム号として活躍している。C62-3号機は廃車後「にせこ号」の復活運転をした後、国鉄苗穂工場に静態保存された。
* 本機が1973(S48)年当時になると、僚機はD51-54・59・63・64・70・88・138・193・219・231・287・353・443・454・465・598・600・662・713・744・756
・887・908・916・1023・1057・1078・1149号機に交代所属していた。また、9661・19650・29601・29675・39612・39615号機・C12-6・38・64・225号機・C
62-3号機も配属されており、合計40両という大所帯であった。しかし、DL化・電化は直前に迫っており、各機はその後転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後、D51
-943号機は静岡県富士市で静態保存されている。*本機が由縁の薄い当地に保存された経緯は不詳である。
D51-946号機 場所 福島県いわき市常磐湯本町 いわき市石炭化石館
車暦 1944川崎車輌 1946新鶴見~1957田端~1958水戸~1968平~1970廃車 保存開始
状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 ロッドをはじめ足回りも整備されており、屋外保存であるが、保存状態は良好である。 撮影日 2008/09/14
* 再訪してみました。変わらない状態で屋外に静態保存されています。唯一右クロスヘッド上蓋部に刻印がありました。
撮影日2011/09/25
* 本機が1955(S30)年当時、新鶴見機関区に所属し横須賀線等で活躍していた頃、僚機にはD51-558・627・628・652・653・676・791・810・844・920・105
1号機も所属していた。同機関区には9600型機7両・D50型機2両・C50型機5両も配属されていたが、既にEF13型機21両・EF15型機19両も配属されており、電化によ
る運用影響が出始めていた。その後1970年までは同機関区にD51型機は配属されていた。1970(S45)年には11両のD51型機が配置されていた。
* 本機が1968(S43)年当時、平機関区に所属し常磐線で活躍していた頃はテンダーに重油タンク装置を装着していた。また僚機にはD51-112・194・248・307・313
・381・389・557・914・946号機も所属していた。その後のDL化により各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD51-194号機が遠く島根県鹿足郡
津和野町で静態保存されている。
* 本機は1970/3/21・22に常磐線、水戸~高萩間の「さよなら列車」を、梅小路蒸気機関車館で動態保存されている8630号機の後補機として牽引し、最後の華を飾った
後廃車となった幸運な機である。
D51-947号機 場所 神奈川県足柄下郡箱根町ふるさと収蔵館(現 栃木県宇都宮市三和テッキKK)
車暦 1944川崎車輌・・広島局・・1944多治見~1949名古屋~1966鷲別~1971廃車・保存開始 2005現地移転、修復展示
状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 制動・操作・電気系統機器も完備 運転室内良好 足回りもきれいに整備されて良好な状態で保存されている。収
蔵庫が狭いので全体写真を撮影する事ができなかった。 撮影日 2008/11/01
* 本機が三和テッキKK宇都宮工場に移転して本格的な整備が行われました。三和テッキKKさんでは定期的に一般公開をしてSLファンの要望に応えています。美
濃加茂市のマザックとは明らかにSLに対する理念が異なっています。なお公開は応募制となっていますので、詳細は三和テッキKK総務課までお問合せください。
* 箱根では判らなかった他機刻印が明確になりました。左右の第一・第二・第四動輪にはD51363の刻印がありました。D51-363号機は1970年に五稜郭機
関区で廃車になっています。本機は1966年から鷲別機関区に配属されていますので、これ以降に苗穂工場で転用されたのでしょう。なお左第一・第二動輪の軸ツ
バにはシ30 KYの刻印がありました。363号機は1955(シ30)年当時は水戸~盛岡機関区ですから、KY(郡山)が当然であり、動輪・軸ツバ共に363号機となり
ます。左結びリンクにはD51913の刻印があります。D51-913号機は1972年に小樽築港機関区で廃車ですが、1965年~深川~旭川機関区ですので、この間
に苗穂工場での転用でしょう。左リターンクランクにはD51947の刻印がありました。D51-947号機は1971年に鷲別機関区で廃車ですが、1966以降鷲別機関
区に所属していますのでやはり穂工場で転用されたのでしょう。右リターンクランクにはD5150?の刻印がありました。他の500番台で該当するのは509号機と思
われます。D51-509号機は1972年に追分機関区で廃車ですが、1966年~鷲別~ですのでこの間に苗穂工場で転用されたのでしょう。他にも元印のある部位
が数か所ありましたが、判読不能でした。とにかく綺麗に磨き出されており素晴らし環境の元でこれからも保存される幸運機と言えます。 2013/07/12
* デフレクター先端カット・コの字型先端部手すり(左)・(本来はLP403大型ライト) 国鉄苗穂工場改装
* 本機が1955(S30)年当時、名古屋機関区に所属し東海道本線等で活躍していた頃、僚機にはD51-201・551・686・689・821・825・826号機も所属していた。同
機関区にはC50型機2両・C11型機14両・C55型機5両・C57型機4両・C59型機5両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-201号
機が愛知県蒲郡市で、C11-217・265号機、C57-139号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、鷲別機関区に所属し室蘭本線・日高線で活躍していた頃、僚機にはD51-165・444・560・565764・1052号機も所属していた。その後本
機は鷲別機関区で廃車となったが、DL化に伴い各機は道央・道北へ転配属、廃車・解体の経過をたどった。D51-165号機は富山県南砺市、444号機は北海道北見市、
560号機は北海道室蘭市、565号機は北海道常呂郡佐呂間町、764号機は大阪府吹田市(その後解体処分)、1052号機は北海道千歳市でそれぞれ静態保存さ
れている。
D51-953号機 場所 北海道虻田郡豊浦町船見町 中央公民館
車暦 1941汽車製造 胆振炭鉱鉄道~1944伊達紋別~1949名寄~1952旭川~1974岩見沢~1976 廃車 保存開始?
状態 塗装は普通 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内未確認(上部圧力計は確認) 屋外保存であるが保存状態は普通である。 同機は解体が決定され
ていたが、保存会の方が2004から修理・復元をされ今日に到っています。保存会の方の熱意と努力に敬意を表します。今年も作業をされるそうです。
*ギースルエゼクター煙突装着 撮影日 2007/07/18
* 4年ぶりの再訪です。一応の整備完了状態と見受けました。運転室内の両水面計は外枠のみでしょうか。刻印も数か所でしたが残存していました。本機の二度に
渡る整備には「やまてつ」さんの本機に対する大いなる愛情と貢献がそこかしこに伺われます。 撮影日 2011/07/28・2013/10/07
* デフレクター先端カット・コの字型先端部手すり(左)・LP403大型ライト前後装着 国鉄苗穂工場改装
* 本機が1955(S30)年当時、旭川機関区に所属し函館本線・宗谷本線・石北本線・富良野線で活躍していた頃、僚機にはD51-167・311・347・399・484・511・54
3・608・660・738・828・952・954・1008・1009号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・9600型機10両・C11・C12型機各1両・C55型機13両も配属さ
れていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-311号機が北海道北見市、828号機が兵庫県淡路市(2017/04解体処分)954号機が北海道
富良野市で、C55-1・50号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時旭川機関区に所属し、宗谷本線・石北本線・富良野線で活躍していた頃、僚機にはD51-828・952・954・1116号機も所属していた。また
、C55型機3両・9600型機9両も配属されていた。しかし、DL化により各機転配属、廃車・解体の経過をたどった。C55-50号機は北海道小樽市で静態保存されている。
* 本機が1975(S50)年当時、岩見沢第一機関区に所属していた頃、僚機にはD51-59・70・146・165・260・566・684・1085・1149号機も所属していた。既に本
線での運用はほとんど無く、全機機関区内で駐機の状態であった。その後全機廃車となった。廃車後、幸運にも全機保存される事になり、本機以外ではD51-59号機は長
野県上伊那郡辰野町、70号機は茨城県つくば市、146号機は静岡県静岡市→真岡鉄道SL96館、165号機は富山県南砺市、260号機は富山県滑川市、566
号機は北海道赤平市、684号機は東京都東村山市、1085号機は和歌山県有田郡有田川町、1149号機は滋賀県犬上郡多賀町で、それぞれ静態保存されている。
* 本機は1975(S50)12/13に室蘭本線、室蘭~岩見沢間において、本線運用のD51型蒸気機関車牽引の最終列車224レを牽引する大役を果たして、SLの歴史に幕を
引いた記念機関車である。その後廃車となり現地に静態保存された。SL最後の運用は1975/12/24に夕張線、夕張~追分間の6788レを牽引したD51-241号機が
最後とされる。
D51-954号機 場所 北海道富良野市弥生町 富良野文化会館
車暦 1943日立製作所 胆振炭鉱鉄道~1944伊達紋別~1949名寄~1952旭川~1975廃車 保存開始?
状態 塗装は普通 後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類良好 屋外保存であるが、足回りに油が注されきれいに整備され、良好な状態である。
* 再訪してみました。前回と比較しますと動輪・ロッド等が完全に磨き出されており、運転室内の諸計器類も完全に復元整備されており、本機の説明板も新設され
ていました。屋外保存ですが大変良い状態で保存されていました。右側は敷地が狭く動輪の撮影は適いませんでしたが各部位は撮影できました。左右全動輪と右
第三サイドロッド油壷にD5105の刻印がありました。これは胆振縦貫鉄道時代の刻印で1944年に国鉄が買収した段階でD51954に改番しています。また右ソ
ケットにはD51054の刻印がありました。0と9の打ち間違いかとも思われますが、明確に0でありD51型機の100番までの各号機の刻印に0表示は無く、054の
刻印は非常に不可解な刻印となります。 撮影日 2007/07/17・2011/07/22
* デフレクター先端カット・コの字型先端部手すり(左)・LP403大型ライト前後装着 国鉄苗穂工場改装
* 本機が1955(S30)年当時、旭川機関区に所属し函館本線・宗谷本線・石北本線・富良野線で活躍していた頃、僚機にはD51-167・311・347・399・484・511・54
3・608・660・738・828・952・954・1008・1009号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・9600型機10両・C11・C12型機各1両・C55型機13両も配属さ
れていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-311号機が北海道北見市、828号機が兵庫県淡路市、(2017/04解体処分)953号機が北海
道虻田郡豊浦町で、C55-1・50号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1972(S47)年当時になると、僚機はD51-167・252・660・738・828・952・953・954・1008・1009・1090・1116号機に交代所属していた。また、C55
型機3両・9600型機9両も配属されていた。しかし、DL化により各機はその後順、廃車・解体の経過をたどった。C55-50号機は北海道小樽市で静態保存されている。
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