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D51型蒸気機関車 401号機~499号機の20両を紹介します。



D51-401号機  場所 長野県須坂市小山 市立動物園内

車暦 1940日本車輌・・名古屋局・・1948長町~1968大館~1971木曽福島~1973廃車・保存開始

状態 塗装は普通 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内給水ポンプ用圧力計欠 他の計器類・操作系統機器良好 室内良好 屋外に保存されているが、

    ロッド・主軸に油が拭かれて整備されており、良好な状態で保存されている。 *国鉄長野工場式集煙装置装着  撮影日 2008/09/122・010/06/19

* 再訪してみました。前回と異なり金網で遮断されてはいますが運転席が見られるようになっていました。本機の刻印は元々小さく、磨き出されていた動輪・ロッド

類もフィルム保護剤が風化し判読し難い状態になっていました。残念ながら動輪にはL・R以外の刻印はありませんでしたが、各部位には刻印が残されていました。

左第三サイドロッド油壷には
D51883の刻印がありました。D51-883号機は1968年に尻内(八戸)機関区で廃車になっています。本機が大館機関区に所属し

ていた間か廃車後に盛岡工場で本機に転用されたのでしょう。刻印の場所から撮影できませんでしたが肉眼目視では、右第一サイドロッド油ツボに
D51800・第

二サイドロッド油ツボには
D511007の刻印があり、第三サイドロッド油ツボにはD5167の刻印が読み取れました。51-800号機は1972年に亀山機関区で廃

車・
D51-1007号機は1973年に奈良機関区で廃車・D51-67号機は1968年に酒田機関区で廃車になっており、廃車後本機に転用されたのでしょう。しかし、

D51-800・1007号機との接点は無くどういう経緯で転用されたかは不明です。撮影日2011/05/26

* 本機が1955(S30)年当時、長町機関区に所属し東北本線等で活躍していた頃、僚機にはD51-39・42・43・61・183・233・344・354・452・453・455・456・

457・563・614・625・626・692・796・869・900・1064・1073・1114・1136号機も所属していた。同機関区には9600型機9両も配属されていた。その後各機は

各地に転配属された。本機以外ではD51-452号機が東京都青梅市青梅筒同公園、453号機が千葉県柏市で静態保存されている。

* 本機が1968(S43)当時、大館機関区に所属し奥羽本線・花輪線で活躍していた頃、同型のD51-32・105・106・107・169・432・456・493・525・554・579・68

5・705・773・819・871・905・1079の18両が所属していたが、その後各地に転配属となり、1970以降順次廃車・解体の道をたどり、幸運にも保存されたのは本機のみ

である。

 * 本機が1973(S48)年当時、木曽福島機関区に所属し中央西線で活躍していた頃、僚機としてD51-152・172・192351・775・893・903・921・1001の各機も配

属されていた。その後DL/電化に伴い廃車となったが、172号機は長野県松本市で、351号機は長野県木曽郡南木曽町で、775号機は長野県木曽JR木曽福島駅

前で、921号機は長野県長野市篠ノ井で、1001号機は長野県千曲市
でそれぞれ静態保存されている。本機は1968以降、大館・木曽福島機関区と渡り歩いたにもか

かわらず、保存された強運な蒸気機関車である。D51-1001号機は保存の声も虚しく体育館新設の為のスペース確保(正当な理由とは言えない現状ですが)の為2017

年に
解体処分された








D51-402号機  場所 長野県飯田市扇町 児童公園内

車暦 1940日本車輌 1940米原~1943水戸~1958中津川~1972廃車・保存開始

状態 塗装は普通だが錆び・剥離進行 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室右窓枠・ガラス欠 室内計器はシリンダー・缶・暖房用圧力計は完備 他は文字

    盤・針欠状態 両水面計も外枠のみ ブレーキ制動弁・操作・電気系統機器の損失も多く荒廃状態 屋外保存であるが全体的には荒廃状態である。         
                                                                                   撮影日2007/08/18・2009/10/12

* 年末を迎え機体正面・左側にクリスマスのイルミネーションが施されていました。分厚い塗装が幾重にされ、錆びとヒビで刻印の確認は3箇所のみでした。特に

機体の変化はありませんでした。                                                         撮影日 2010/12/11

* 1968年長野工場にて長野工場式集煙装置を装着した。

* 本機が1955(S30)年当時、水戸機関区に所属し常磐線等で活躍していた頃、僚機にはD51-72・74・94・165・363・411・447・515・594・629・640・641・64

8・651・742・786・806・807・873・896・898・913・915・1029・1041・1068・1085・1086・1090・1103・1104・1118・1149号機も所属しており、敦賀機関

区に次ぐD51型機保有台数であり、同機関区にはC57型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-165号機が富山県南砺市、

515号機が茨城県水戸市、1085号機が和歌山県有田郡有田川町、1149号機が滋賀県犬上郡多賀町
で静態保存されている。

* 本機が1972(S47)年当時、中津川機関区に所属し中央西線で活躍していた頃、僚機としてD51-101・125・200・238245・549・688・777・827・849・893・9

03の各機も配属されていた。その後電化に伴い廃車となったが、101号機は静岡県島田市で、125号機は千葉県船橋市で、200号機は京都鉄道博物館でSLスチー

ム号~SL山口号
として動態保存、238号機は長野県木曽郡木祖村、245号機は長野県埴科郡坂城町、549号機は長野県長野市、688号機愛知県岡崎市、77

7号機は愛知県刈谷市で、849号機は愛知県豊田市
でそれぞれ静態保存されている。









D51-403号機  場所 滋賀県栗東市手原3丁目 稲荷公園内

車暦 1940日本車輌 1940新津~1942直江津~1944長岡~1950長野~1966紀伊田辺~1968奈良~1973廃車 1974保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 メイン・サイドロッド・主軸に油が注されて整備され、屋外に屋根付きで良好な状態で保存されている。 

    *重油タンク装着          撮影日2007/08/16・2008/09/17

* 再再訪して見ました。相変わらずの状態でしたが、塗装がやや色あせし始めていました。  撮影日 2009/10/24

 左右の先輪軸ツバにはD51249の刻印がありました。D51-249号機は1970年に稲沢第一機関区で廃車になっています。またシリンダーの空気弁は

C5544
の刻印がありましたが左右反対に装着されています。C5544号機は1966年に和田山機関支区で廃車となっており、両機とも本機との接点が無く転

用の経緯は不詳です。                                                        撮影日 2010/07/17


* 1953年長野工場にて缶上部に重油タンク・1968年鷹取工場にて集煙装置装着。

* 本機が1955(S30)年当時、長野機関区に所属し信越本線等で活躍していた頃、僚機にはD51-96・160・323・390・405・407・501・550・636・736・782・

785・1026号機が所属していた。同機関区には8620型機4両・D50型機17両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-96号機が

群馬県安中市、405号機が千葉県松戸市
で静態保存されている。

* 本機が1969(S44)年当時、奈良運転所に所属し関西本線・奈良線・桜井線・片町線で活躍していた頃、僚機にはD51-211・253・463・614・625・654・691・

832・835・882・885・934・940・1007・1013・1054号機も所属していた。また、C11型機4両、C58型機10両も配属されていた。機関車の移動が激しく1973年に

はD51-254・463・499・614・831・882・885・906・934・940・944・1007・1045・1054号機に代わっている。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解

体の経過をたどった。D51-211号機は兵庫県神戸市市、254号機は東京都杉並区、499号機は三重県津市、691号機は奈良県天理市、831号機は三重県

伊賀市、882号機は大阪府茨木市、885号機は埼玉県深谷市
で静態保存されている。









D51-405号機  場所 千葉県松戸市小金原1丁目 ユーカリ交通公園内

車暦 1940日本車輌 1940新津~1944坂町~長岡~1950長野~1966津和野~1973山口線管理所 廃車 1974保存開始

状態 塗装は良好であるが、汽笛・安全弁・車輪まで黒塗り状態 後部ライト・プレート欠 他の外装諸装備良好 運転室内は速度計・右水面計を除き諸計器欠 制動・操作・

    電気系統機器は良好  屋外に屋根付きで保存されており、足回りもきれいに整備され良好な状態である。 撮影日 2007/10/21・2009/05/03

* 分厚い塗装が繰り返されていますので。確認できた刻印は皆無でした。 撮影日 2011/09/25

* 1950年に長野工場で集煙装置・1958年に同工場で長野デフレクターN2型装着。

* 本機のデフレクターはいわゆる小工式デフと呼称されるものであるが、さらに正確には長野工場式デフレクター(デフレクター前縁から直下に支持棒が取り付けられてい

る。デフの形が平行四辺形ではなく、小倉工場のK4型に近い)であり、同様なデフはN1型(D51-135・136・405)・N2型(D51-62・95・109・197・281・324・396・405

・473・501・708・735・824・862号機)にも見られ
る。

* 本機が1955(S30)年当時、長野機関区に所属し信越本線・篠ノ井線で活躍していた頃、僚機にはD51-96・160・323・390・403・407・501・550・636・736・

782・785・1026号機も所属していた。また同機関区には8620型機4両・D50型機17両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-96

号機が群馬県安中市、403号機が滋賀県栗東市
でそれぞれ静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、山口線管理所津和野運転支区に所属し山口線で活躍していた頃、僚機にはD51-194・278・407・550・581・612・720・753・1025

・1041号機も所属していた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後、本機以外ではD51-194号機が山口県鹿足郡津和野町720

号機が広島県安芸区
で静態保存されている。









D51-408号機  場所 神奈川県川崎市多摩区 生田青少年科学館

車暦 1940日本車輌  1940富山~1942広島第一~1950国府津~1951新鶴見~1954品川~1958田端~1962大宮~1969新鶴見~1970廃車 1971保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 運転室内は見る事はできるが、アクリル板で遮断されており立ち入りは出来ない。足回りもきれいに

    整備され、屋外保存であるが保存状態は良好である。 撮影日2008/05/15

*「コバQ」さんが2014/10に訪問された際の状況です。

* 本機が1955(S30)年当時、品川機関区に所属し東海道本線等で活躍していた頃、僚機にはD51-83・112・188・292・533号機も所属していた。同機関区には

8620型機11両・C58型機3両も配属されていた。その後各機は電化に伴い各地に転配属された。

* 本機が1969(S44)年当時、新鶴見機関区に所属していた頃、僚機としてはD51-188・207・451・533・558・646・652・653・723・774・786・791・810・

844・920の各機も所属していた。既に東海道本線はDL化・電化が進み、各機は品鶴線・高島線や各駅構内の入れ替え担当をしており、機関区内で駐機する機関車も増

加していた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後、本機以外ではD51-451号機は東京都昭島市で、774号機は遠く離れた島根県出雲市

静態保存されている。









D51-409号機  場所 岐阜県美濃加茂市蜂屋町「kkヤマザキマザック美濃加茂製作所内 
                                   
旧 滋賀県湖南市平松 JR甲西駅前

車暦 1940日本車輌 1940富山~1942静岡~1944広島第一~1948岡山~1954新見~1973浜田~1975廃車 1976保存開始

状態 塗装は退色し各所に錆び・剥離進行 後部ライト球・ガラス欠 他の外装諸装備良好 運転室内圧力計・水面計欠他の計器は良好 屋外に屋根付きで保存されてい

     るが、荒廃気味である。プレートはレプリカ?                                      撮影日2007/08/16

* 駅前の駐車場拡大のため同機の撤去・移転が計画され、移転先を公募するという市の方針でその成り行きが心配されましたが、移転先がどうやら決まり解体

 の危機は脱した模様です。都市計画課の話では移転先が決定したら公表し、工事は秋口からの予定だそうです。保存がきまり何よりの事です。2008/07


* 移転先は岐阜県美濃加茂市へ 工作機械メーカーに落札されたようです。 博物館を作る予定とか仔細は解かりません。

* 2008/09/04にテンダー部が移送 09/24に本体が美濃加茂市の「ヤマザキ マザック」に移送されるそうです

* 中津川市の帰りに美濃加茂市に移転した本機の様子を見てきました。事前にヤマザキマザックに伺いますと「非公開であるが道路から見ることは出来る」との

事でした。確かに立ち入り見学も不可で博物館構想も何時の事やら分らないそうで、当分は現状の状態で保存されるかと思います。会社入り口の右側(北)で西に

向けて屋根付きで保存されていました。立ち入れないので双眼鏡で覗くと、綺麗に塗装されており前面・左シリンダー・左デフレクター・テンダー部各所の塗装剥落

箇所や錆びは完全に修復されており、煙突の金モール・細銅管が新調されていました。メイン、サイドロッドやクロスヘッドの錆びもほとんど除去されておりました。

プレートは新調されたのではないでしょうか?(遠いのでよく判りません)敷地外からなら・・・・だろうと、望遠レンズで撮影してみました。甲西駅前と比較すると一目

瞭然で良い状態と思いますが、かつては公共の場に保存され自由に見ることができていた物であり、入札で落札し個人(会社)の所有となった事は理解できますが、

非公開で立ち入り禁止と言うのは少々疑問に思うのですが、解体を免れ保存されている事を思えば・・・・博物館の完成を気長に待つしか方法はないのでしょうか?

同じく移転と言えば箱根から栃木県宇都宮市三和テッキに保存されたD51-947号機は定期的に一般公開されており企業の体質の違いでしょうか?・・・保存公

開の在り方についてはやはり疑問が残りますね。
 撮影日 2009/4/26・2009/10/12

* 本機が1966(S41)年に新見機関区に所属していた時期、新見機関区は山陰地方の拠点機関区であり、新見以西の地域を受け持ち所属するD51型機関車も多く、本機

をはじめD51-216・220・236・256・329・376・386・392・422・438・481・488・490・524・651・665・677・746・797・838・861・877・937・1061の計25

両が勢ぞろいしていた。しかし、DL化に伴いその後各機は各地に転配属になり、1970年以降次第に廃車・解体の道をたどり、幸運にも保存されることになったのは本機・42

2・481・488・838の5機であり、本機以外では、481号機は福井県南条郡南越前町、422号機は広島県尾道市・488号機は島根県安来市、838号機は岡山県

新見市井倉洞
でそれぞれ静態保存されて今日に到っている。









D51-422号機  場所 広島県尾道市古浜町 古浜児童公園内

車暦 1940日本車輌・・新潟局・・1943長岡~1946岡山~1960米子~1962新見~1971廃車 1972保存開始

状態 塗装は普通だが各所に錆び・腐食進行 外装諸装備完備 運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類の多くを損失し荒廃状態 屋外保存であるが、海が目の前にあり塩

    害もありロッド等に錆が浮き始めており、早急の整備が必要な機であり保存状態は荒廃状態といえる。      撮影日2007/07/27

* 1961年後藤工場にて集煙装置装着 1967年撮影の藤田氏の写真からも解る。

* 再訪してみました。変わらない状態で塗装の劣化と各部位に錆が出始めています。唯一、左結びリンクに刻印が確認できる。  撮影日 2009/11/01

* D51-300号機が整備されたので山陽筋で最も状態が悪く、整備を早急に必要とするのは本機である。 2014/01

* 本機が1955(S30)年当時、岡山機関区に所属し山陽本線で活躍していた頃、僚機にはD51-319・410・429・430・437・442・578・586・697・746・753・80

0・805・837・842号機も所属していた。同機関区には9600型機3両・C50型機7両・C59型機11両・D50型機6両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。

本機以外ではD51-837号機が長野県駒ヶ根市、842号機が岡山県倉敷市で静態保存されている。

 
* 本機が1968(S43)年当時、新見機関区に所属し伯備線・芸備線・姫新線で活躍していた頃、僚機にはD51-216・220・236・256・329・376・386・392・409・4

38・481・488・490・524・651・665・677・746・797・838・861・877・9371061号機も所属していた。また、C58-172・174・175・186・199・208・247・262

281・293・314・360・403号機などが所属する大所帯であった。これは新見機関区が福知山以西の中国地方を受け持ち、山陰・山陽間の十字路であり伯備線・姫新線・

芸備線さらに津山線や因美線も運用範囲であったからである。その後、DL化により各機は主にさらに西部の三次・長門・浜田機関区に移動し、順次廃車解体の道をたどった

。この中で静態保存された幸運機はD51-409号機(滋賀県JR甲西駅前→岐阜県美濃加茂市へ)、481号機は福井県南条郡南越前町、488号機は島根県安来

市、838号機は岡山県新見市井倉洞
でそれぞれ保存されている。

* 広島県内の保存機の中で最も状態が悪く、早急に整備や対策を講じなくてはならないのが本機であり、他の県内の保存機と比較すれば一目瞭然であります。海

の近くの屋外保存という形態はその悪化を促進させています。しかし、同機には行政側の対策も地域の関心も、保存会も無く少なからず放置されている状態である

事には変わりは無い状況です。同じ広島県三次市の48650号機は本機と比較するに、緊急な状態ではないが整備されました。私も行き掛り上整備に参加して手伝

いをしましたが、緊急性も無く行政からの依頼でもなく奇妙な形の整備であったと思います。確かに整備する事で機体はきれいになり、地域の方々の関心も集め、テ

ンダー台車が86型と96型をつなぎ合わせて作り替えた(小倉工場)という驚嘆する事例の確認も出来ましたが、果たして48650号機は整備する必要があったのか

?未だにその答えは見いだせておりません。行政側との間に整備に関する意識の共通理解は得られないまま整備が先行した感は残りました。やはり、整備は個人の

思い付きでは無く、地域の方々が行政当局との綿密な連携により整備されるのが相応しい形態と思います。(D51-300・D51-18号機の整備例が好事例)できれ

ば本機も地域の方々の声が上がり、行政が対応する形に進む事を切に願うものです。そういう事になれば私も再び「しまなみ海道」を渡り、お手伝いに参りたいと思い

ます。                                                                                 2017/02









D51-426号機  場所  埼玉県さいたま市大宮区 鉄道博物館

車暦 1940日本車輌 1940追分~函館~1945尻内~1968厚狭~1972廃車  保存開始?

状態 機関車の前頭部のみである。塗装は良好でヘッドライトが点灯する。鉄道博物館入り口のモニュメントとしての顔である。

* 本機が1955(S30)年当時、尻内(現八戸)機関区に所属し東北本線で活躍していた頃、僚機にはD51-31・159・340・358・377・378・471・553・757・762・

870・883・884・1012号機も所属していた。同機関区には8620型機14両・D50型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-

159号機が北海道岩内郡岩内町、762号機が青森県八戸市
で静態保存されている。

* 本機が1968年当時、厚狭機関区に所属し山陽本線で活躍していた頃、僚機にはD51-300・470・716・730・780・796・808・830・927・1091号機も所属して

いた。1971年にはD51型機は23両に増加し、長門機関区と並びD51型機の集結機関区であった。その後DL/電化により、各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたど

った。本機以外ではD51-300号機が山口県山陽小野田市、470号機が岐阜県岐阜市で静態保存されている。









D51-428号機  場所 東京都大田区南雪谷5丁目 東調布公園内

車暦 1940日本車輌 1940青森~1955長町~1967新庄~1968秋田~1971新見~1972廃車 1973保存開始

状態 塗装は良好 後部ライト欠(外枠のみ) 他の外装諸装備良好 運転室内両水面計・左ブレーキ圧力計欠 他の計器類は装着するも文字盤・針欠 足回りは整備され

    ており屋外保存であるが、保存状態は普通である。                                     撮影日2008/05/15

* 再訪しましたが、東日本大震災により地盤が下がった影響で、立ち入り禁止となっていました。 撮影日2011/09/27

* 本機が1955(S30)年当時、青森機関区に所属し東北本線・奥羽本線で活躍していた頃、僚機にはD51-107・155・161・186・416・427・462・464・474・489

・494・752・756・1093号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・9600型機22両・d50型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機

以外ではD51-155号機が長野県塩尻市で、9667号機が茨城県高萩市で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、新見機関区で活躍していた頃、まだ同機関区にはD51-195・409・422・481・488・774837・838・889・917の各機も所属していた。

その後各機はDL化に伴いさらに各地に転配属、廃車・解体の経過をたどった。D51-195号機は鳥取県米子市で、409号機は滋賀県湖南市→岐阜県美濃加茂市、

422号機は広島県尾道市、481号機は福井県南条郡南越前町、488号機は島根県安来市、774号機は島根県出雲市、837号機は長野県駒ヶ根市、838号

機は岡山県新見市、889号機は岡山県総社市で、917号機は岡山県岡山市
でそれぞれ静態保存されており、新見機関区に所属したD51型機で新見機関区や浜田機

関区で廃車となった機関車の静態保存率は意外と高い。









D51-444号機  場所 北海道北見北進町5丁目 SL広場

車暦 1940汽車製造 1940長岡~1951酒田~1960小樽築港~鷲別~1973北見~1975滝川~1976廃車・保存開始

状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室内諸計器類良好 屋外保存であるが足回りは整備されている。保存状態は普通である。  *前部にC58-119号機                                                                                            撮影日2007/07/16 


* 4年ぶりの再訪問です。分厚い塗装のため明確に確認できた刻印は僅かでした。右ソケットにD51598の刻印があります。D51-598号機は1974年に岩見

沢第一機関区で廃車になっています。1968年に小樽築港機関区に配属後転用されたのでしょう。             撮影日 2011/07/25

* デフレクター先端部カット・コの字型先端部手すり(左)・LP403大型ライト前後装着 国鉄苗穂工場改装

* 本機が1957(S32)年当時、酒田機関区に所属し羽越本線で活躍していた頃、僚機にはD51-38・67・80・195・248・261・487・576・681・907・931・933・

1005・1007・1077・1098・1101・1133・1154号機も所属していた。同機関区には9600型機3両・C11型機3両・C51型機8両も配属されていた。その後各機は各

地に転配属された。本機以外ではD51-195号機が鳥取県米子市で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、鷲別機関区に所属し室蘭本線・日高線で活躍していた頃、僚機にはD51-165・560・565・764・947・1052号機も所属していた。その

DL化に伴い各機は道央・道北へ転配属、廃車・解体の経過をたどった。D51-165号機は富山県南砺市、560号機は北海道室蘭市、565号機は北海道常呂郡佐

呂間町、764号機は大阪府吹田市、947号機は北海道亀田郡七飯町→神奈川県足柄下郡箱根町、1052号機は北海道千歳市
でそれぞれ静態保存されている。

D51-764号機はその後
解体処分された。

* 本機が1974(S49)年当時北見機関区に所属し石北本線などで活躍していた頃、僚機にはD51-943・1008・1150号機・C58-33・98・331・390・395・418号機

らも所属していた。その後1975年に相次いで廃車となったが、C58-33号機は道内斜里郡清里町で、C58-98号機は道内深川市で静態保存されている。








D51-451号機  場所 東京都昭島市東町5丁目 昭和公園内

車暦 1940汽車製造・・東京局・・1948白河~1949宇都宮~1955白河~1967新鶴見~1970廃車 1971保存開始

状態 塗装は退色し各所に錆び・腐食進行 後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室窓ガラス・左水面計欠 他の計器類は装着するも外形のみで文字盤・針欠 屋外

    保存であるが整備はされておらず保存状態は荒廃気味である。  撮影日2007/10/18

* 再訪してみました。変わらない状態でしたが公開が中止されていました。 撮影日 2010/05/05・2013/04/20

* 本機が1955(S30)年当時、白河機関区に所属し東北本線で活躍していた頃、僚機にはD51-75・113・194・509・580646・770・816号機が所属していた。同

機関区にはC12型機3両・C61型機12両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-75号機が新潟県上越市、113号機が青森県三

沢市、194号機が島根県鹿足郡津和野町で、C61-19号機が鹿児島県霧島市
で静態保存されている。

* 本機が1969(S44)年当時、新鶴見機関区に所属していた頃、僚機としてはD51-188・207・408・533・558・646・652・653・723・774・786・791・810・844

・920の各機も所属していた。既に東海道本線はDL化・電化が進み、各機は品鶴線・高島線や各駅構内の入れ替え担当をしており、機関区内で駐機する機関車も増加してい

た。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後、本機以外ではD51-408号機は神奈川県川崎市多摩区で、774号機が遠く離れた島根県出雲市

静態保存されている。








D51-452号機  場所 東京都青梅市勝沼 青梅鉄道公園内


車暦 1940汽車製造 1940原ノ町~1950長町~1966一ノ関~青森~1967竜華~1972廃車・保存開始

状態 塗装は良好 後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類完備 室内良好 足回りもきれいに整備され屋外保存であるが良好な状態で保存されている。                                                                                撮影日 2007/10/18・2008/05/15

* 再再訪してみました。部厚い塗装の為刻印の判別が難しい状態でしたが、左右の先輪にD51457の刻印が認められました。D51-457号機は1973年に青

森機関区で廃車ですが、1966年には本機と共に一ノ関機関区に配属されていましたので、この頃に郡山工場で転用されたのでしょう。また、左シリンダー前蓋に

D51692の刻印が確認されました。D51-692号機は1972年に長門機関区で廃車ですが、やはり1966年当時一ノ関機関区に配属されていましたので同様

に転用されたものと思われます。                                                撮影日 2010/05/05

* 本機が1955(S30)年当時、長町機関区に所属し東北本線等で活躍していた頃、僚機にはD51-39・42・43・61・183・233・344・354・401・453・455・456・4

57・563・614・625・626・692・796・869・900・1064・1073・1114・1136号機も所属していた。同機関区には9600型機9両も配属されていた。その後各機は各地

に転配属された。本機以外ではD51-401号機が長野県須坂市、453号機が千葉県柏市で静態保存されている。


* 1967年に国鉄鷹取工場にて集煙装置・缶上部に重油タンク装着。

* 本機が1971(S46)年当時、竜華機関区に所属し関西本線で活躍していた頃、僚機にはD51-178・302・393・703・1045号機も所属していた。また、C58型機7両

も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。

* 本機は1971(S46)11/28 関西本線の「さよなら柳生号」の牽引を果たした後、廃車となりその後青梅鉄道公園に静態保存機として搬送された。







D51-453号機  場所 千葉県柏市明原3丁目 柏西口第一公園内

車暦 1940汽車製造 1940原ノ町~1948一ノ関~1949長町~1966一ノ関~新庄~1968鹿児島~出水~1970吉松~1974 廃車・保存開始

状態 塗装は退色し各所に錆び・腐食進行 外装諸装備完備 運転室内暖房用圧力計・両水面計欠 他の計器類は装着するも針欠 制動・操作・電気系統機器良好 屋外

     に保存されているが、最近の整備は見られず汚濁雫が目立ち始めている。  撮影日2007/10/21

*再訪してみました。変わらない状態で保存されています。     撮影日 2009/05/03・2011/09/25

* 本機が1955(S30)年当時、長町機関区に所属し東北本線・常磐線で活躍していた頃、僚機にはD51-39・42・43・61・183・233・344・354・401・452・455・

456・457・563・614・625・626・692・796・869・900・1064・1073・1114・1136号機も所属していた。同機関区には9600型機9両も配属されていた。その後各

機は各地に転配属された。本機以外ではD51-401号機が長野県須坂市で、452号機が東京都青梅市鉄道公園で静態保存されている

* 本機が1973(S48)年当時、吉松機関区に所属し肥薩線で活躍していた頃、僚機にはD51-536・589・606・1038号機も所属していた。また、吉都線担当のC55型

機2両・C57型機4両、湯前線・山野線担当のC56型機3両も配属されていた。DL化に伴い1973年以降各機は、廃車・解体の経過をたどった。本機以外では、C55-2・C

56-111・135・C57-151号機
が各地で静態保存されている。当地に由縁の薄い本機が保存された経緯は不詳である。


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