D51-158号機~195号機を紹介します。
D51-158号機 場所 大阪府茨木市沢良宜東町 SL公園内
車暦 1939日本車輌 1939青森~一ノ関~尻内~1968紀伊田辺~1971亀山~1973米子~1974浜田 廃車 1982保存開始
状態 塗装は普通だが錆が浮き始めており、上部に粉塵堆積 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 定期的に整備と公開がされている。保存状態は普通で
ある。 撮影日 20070/5/18・2008/06/13
* 今年最後の公開日で再再訪してみました。 変わらない状態でした。左第三サイドロッド油ツボにD51903の刻印があります。D51-903号機は1972に中
津川機関区で廃車となっており、両機が同一機関区に所属していた記録は無く、どの段階で転用されたのか経緯は不詳である。 撮影日 2009/11/28
* その後、整備が行われロッド等の磨きだしがされたようですが、部分的な磨きあげに留まっているようです。前回確認できなかった右 第一サイドロッド油壷に
D5168の刻印が認められました。D51-158号機は1976年に追分機関区で廃車後、岩手県雫石町「小岩井農園」内で静態保存されています。本機への転用の
経緯は不詳です。 撮影日 2011/01/29
* 本機が青森~一ノ関~尻内(八戸)機関区に所属していた頃は、テンダーに重油タンク燃焼装置を装着していた。
* 本機が紀伊田辺機関区時代には鷹取工場式集煙装置を装着していた。
* 本機が1955(S30)年当時、青森機関区に所属し東北本線・奥羽本線で活躍していた頃、僚機にはD51-107・161・186416・427・428・462・464・474・489・
494・752・756・1093号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・9600型機22両・d50型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以
外ではD51-428号機が東京都大田区で、9667号機が茨城県高萩市で静態保存されている。
* 本機が1972(S47)年当時、亀山機関区似所属し関西本線等で活躍していた頃、同型機としてD51-145・178・254・497499・703・718・794・799・848の各機
も配属されていたが、DL化に伴い順次廃車・解体の道をたどった。D51-254号機は東京都杉並区で、499号機は三重県津市で、718号機は愛知県一宮市でそれ
ぞれ静態保存されている。
D51-159号機 場所 北海道岩内郡岩内町宮園 運動公園内
車暦 1939日本車輌 1939青森~1948尻内~1959池田~1968倶知安~1974 廃車・保存開始
状態 塗装は良好 左プレート・後部ライト球・ガラス・清缶剤挿入装置欠 プレートはレプリカ 運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類の大半を損失し、室内荒廃状態 屋外
に屋根付きで保存されているが、保存状態は荒廃気味である。 撮影日2007/07/18
* 再訪してみました。屋根の下で変わらない状態ですが、各部位に錆や腐食・汚濁雫が目立ち始めています。運転室の復元整備と併せて整備が求められてい
ます。分厚い塗装の為に本機の刻印確認は僅かな場所のみでした。 撮影日 2011/07/28
* デフレクター先端部カット・コの字型先端部手すり(左)・LP403大型ライト前後装着 1970国鉄苗穂工場改装
* 本機が1955(S30)年当時、尻内(現八戸)機関区に所属し東北本線で活躍していた頃、僚機にはD51-31・340・345・358・377・378・426・471・553・757・
762・870・883・884・1012号機も所属していた。同機関区には8620型機14両D50型機3両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51
-345号機が兵庫県揖保郡太子町、762号機が青森県八戸市で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、倶知安機関区に所属し函館本線で活躍していた頃、僚機にはD51-149・804・857号機も所属していた。また9600型機6両も配属され
ていた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどり、廃車後本機以外では79615号機が北海道虻田郡倶知安町で静態保存されている。
D51-165号機 場所 富山県南砺市福光 福光公園内
車暦 1939日本車輌 1939大宮~1940水戸~1962平~1964池田~1966鷲別~1973遠軽~1976岩見沢第一廃車 1977保存開始
状態 塗装は良好 後部ライト(外枠のみ)・清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類は速度計のみ完備、後は文字盤のみ(上部圧力計は他の機器を
流用置換)両水面計は外枠のみ 室内良好 屋外に屋根付きで保存されており、足回りも整備され良好な状態である。 撮影日2007/09/11
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。 撮影日 2010/05/01
* 排雪板の左側にD51355の溶接棒による手書きの機番号がありました。D51-355号機は1970年に岩見沢第一機関区で廃車になっています。廃車後本
機に転用されたのでしょう。 撮影日 2011/10/26
* デフレクター先端部カット・コの字型先端部手すり(左)・LP403大型ライト前後装着 国鉄苗穂工場改装
* 本機が1955(S30)年当時、水戸機関区に所属し常磐線等で活躍していた頃、僚機にはD51-72・74・94・363・402・411・447・515・594・629・640・641・
648・651・742・786・806・807・873・896・898・913・915・1029・1041・1068・1085・1086・1090・1103・1104・1118・1149号機も所属しており、敦賀
機関区に次ぐD51型機保有台数であり、同機関区にはC57型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-402号機が長野県飯
田市、515号機が茨城県水戸市、1085号機が和歌山県有田郡有田川町、1149号機が滋賀県犬上郡多賀町で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、鷲別機関区に所属し室蘭本線・日高線で活躍していた頃、僚機にはD51-55・83・190・295・444・472・560・596・629・741・764・
814・894・896・929・947・1052・1071・1098号機も所属していた。その後DL化により各機は道央・道北へ転配属、廃車・解体の経過をたどった。D51-444号機
は北海道北見市、560号機は北海道室蘭市、565号機は北海道常呂郡佐呂間町、947号機は北海道亀田郡七飯町→神奈川県足柄下郡箱根町→栃木県宇都
宮市、1052号機は北海道千歳市でそれぞれ静態保存されている。764号機は大阪府吹田市で静態保存されていたが、その後解体処分された。
* 本機が1975(S50)年当時、岩見沢機関区に所属していた頃、僚機にはD51-59・70・146・260・566・684・953・10851149号機も所属していた。既に本線で
の運用はほとんど無く、全機機関区内で駐機の状態であった。その後全機廃車となった。廃車後、幸運にも全機保存される事になり、本機以外ではD51-59号機は長野
県上伊那郡辰野町、70号機は茨城県つくば市、146号機は静岡県静岡市→真岡鉄道SL96館、260号機は富山県滑川市、566号機は北海道赤平市、684号
機は東京都東村山市、953号機は北海道虻田郡豊浦町、1085号機は和歌山県有田郡有田川町、1149号機は滋賀県犬上郡多賀町で、それぞれ静態保存され
ている。由縁の薄い当地に本機が保存された経緯は不詳である。
D51-170号機 場所 熊本県人吉市矢岳町 JR矢岳駅SL記念館
車暦 1939日本車輌 1939静岡~1945人吉~1972廃車・保存開始
状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 メイン・サイドロッド・主軸に油が注され整備を受け、今にも走り出しそうな良好な状態で、記念館内に
保存されている。 *集煙装置・重油タンク装着 撮影日2007/09/05
* 本機の特色は何と言っても集煙装置であり、その所謂座布団型(敦賀機関区型)であり、重油タンクを備えた重装備であり、肥薩線の急勾配を単機・重連で猛煙を上げ
て駆動していた当時が想像されます。
* 再訪してみました。今回は時間に余裕がありましたので、足回りの刻印等の撮影ができました。足回りを観察すると、先輪は車軸ツバの刻印では左右が反対
に取り付けられています。また、左側クロスヘッドの上蓋部はD51341の刻印が、左リターンクランクにはD51889の刻印、右側の第二サイドロッド油ツボには
D5181の刻印が、またリターンクランクはD5123の刻印がある事が判明しました。D51-123号機は1967年に南延岡・D51-81号機は1968年に熊本・D51
-341号機は1970年に南延岡で廃車になっており、小倉工場か鹿児島工場で転用されたと思われます。D51-889号機は1972年に新見機関区で廃車となり、
総社市の石原公園で静態保存されている。同機は1951~1966まで熊本~人吉~吉松の各機関区に所属しており、その間に鹿児島工場で転用されたものと思
われます。
* この集煙装置は国鉄鷹取工場式以前の段階で、敦賀機関区で考案された大型集煙装置(1963福知山機関区D51-867号機・山口市静態保存のD60-1号機)に類
似している。しかし本機は1945以降人吉機関区からの移動は無く、国鉄鹿児島工場か熊本工場での装着が考えられる。D51型機で敦賀工場式大型集煙装置を装着してい
たのは、D51-177・178・191・247・321・322・362・379・545・572・687・700・707・867・890・1058・1151号機であるが、集煙装置の付け替えをしており、廃
車時まで装着していたかは定かでは無い。1969(S44)年当時、人吉機関区には本機以外ではD51-545・572687・700・890・1058・1151号機が所属しており、大
型集煙装置と缶上部に重油タンクを装着した重装備であった。
* 本機が1971(S46)年当時、人吉機関区に所属し肥薩線で活躍していた頃、僚機にはD51-477・545・572・587・668・687・890・1058・1151号機も所属してい
た。また同機関区には8620型機2両・C57型機7両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は順次、廃車・解体の経過をたどり、本機以外ではC57-100・186号機が
静態保存されている。
* 本機は1972(S47)4/4に肥薩線、人吉~吉松間の「さよなら列車」を僚機のD51-687号機と重連で牽引した後、廃車となり、現地に静態保存された。僚機の687号
機は1972/11に人吉機関区で廃車になっている。
D51-172号機 場所 長野県松本市笹賀 大久保原公園内
車暦 1939日本車輌 1939敦賀~1940静岡~1949上諏訪~1964松本~長野~1972木曽福島~1973廃車・保存開始
状態 塗装は普通 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室窓枠・ガラス欠 室内左ブレーキ・暖房用圧力計・両水面計外枠のみ 制動筒上部欠損 他の計器類
は装着 屋外に保存されており、保存状態は普通である。 撮影日2007/8/1
* 本機が上諏訪機関区時代~には缶上部に重油タンク・長野工場式集煙装置を装着していた。
*本機が1955(S30)年当時、上諏訪機関区に所属し中央(東)線等で活躍していた頃、僚機にはD51-1・22・29・40・155174・383・412・473・477・521・587・
824号機が所属していた。同機関区にはC12型機3両・D50型機2両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-1号機が京都鉄道博
物館、155号機が長野県塩尻市、824号機が長野県諏訪市でC12-66・171号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、長野機関区に所属していた頃、飯山線担当のC56型機4両・8620型機2両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・
解体の経過をたどり、本機以外ではC56-111・129・131号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時、木曽福島機関区に所属し中央西線で活躍していた頃、僚機としてD51-152・192・351401・775・893・903・921・1001の各機も配
属されていた。その後電化に伴い廃車となったが、351号機は長野県木曽郡南木曽町で、401号機は長野県須坂市で、775号機は木曽福島機関区の所在したJR
木曽福島駅前で、921号機は長野県長野市篠ノ井で、1001号機は長野県千曲市でそれぞれ静態保存されていたが2017年に解体された。
D51-176号機 場所 大分県日田市元町 JR日田駅北公園内
車暦 1939日立笠戸工場 1939米原~1942岡山~1944糸崎~1950正明市~津和野~1952熊本~1970南延岡~1974廃車・保存開始 2005/9現地移転
状態 塗装はやや退色し汚濁雫・錆びが浮き始めている。外装諸装備良好 運転室内未確認(上部各圧力計は確認) 新しい公園整備に伴い移転保存されているが、整備
を受けた様子は見られない。屋外保存であり保存状態は普通である。
撮影日2007/09/05・2008/07/11
* 再訪してみました。相変わらずきれいな状態で保存されていました。 撮影日 2010/05/04
* 先輪ですが判読し難いのですが、私にはD51422と読めます。ならばD51-422号機は1960米子~1961新見~1971廃車となっており、本機が1955
~浜田機関区に所属し廃車になる間に後藤工場で転用された可能性があるのでは無いでしょうか?
* 本機が浜田機関区に所属していた当時には後藤デフレクターG5型・後藤工場式集煙装置(鷹取集煙装置と形態は同一)を装着していた。保存時において集煙装置を撤
去、標準デフに大宮工場で改装した。
* 本機が浜田機関区に移動する直前の1955(S30)年当時、姫路第一機関区に所属し山陽本線で活躍していた頃、僚機にはD51-84・154・187・203・204・262・
273・503・504・530・571・577・603・620・658・682・693・702・771・772号機も所属していた。同機関区には9600型機6両・C11型機13両・D52型機16両
も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-270号機が秋田県横手市で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、浜田機関区に所属し山陰本線で活躍していた頃、、僚機にはD51-230・322・410・437・577749・780・794・858・867・917・
1044号機も所属していた。また同機関区にはC56型機4両・C57型機5両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどり、本機は1971年度末で
廃車となった。本機以外ではD51-917号機が岡山県岡山市で、C56-98・106・110号機、C57-165号機が各地で静態保存されている。
D51-194号機 場所 山口県鹿足郡津和野町 JR津和野駅北側
車暦 1939鉄道省大宮工場 1939田端~1945白河~1949宇都宮~1950白河~1961高崎~1967広島~1968小郡~1971津和野~1973 山口線管理所廃車 1974保存開始
2005現地移転
状態 塗装は普通だが各所に汚濁雫 外装諸装備完備 運転室内諸計器類復元完備 室内良好 屋外保存であるが、足回りも整備され保存状態は良い状態である。
*国鉄長野工場式集煙装置装着 撮影日 2007/07/28・2008/10/17
* 数か所に微かに塗装の上から刻印が確認できました。 撮影日 2011/06/12
* 本機が1967(S43)当時広島機関区で活躍していた当時、同型のD51-514・518・798・1059・1105各機も所属していた。
* 本機が1955(S30)年当時、白河機関区に所属し東北本線で活躍していた頃、僚機にはD51-75・113・451・509・580646・770・816号機が所属していた。同機
関区にはC12型機3両・C61型機12両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-75号機が新潟県上越市、113号機が青森県三沢
市、451号機が東京都昭島市で、C61-19号機が鹿児島県霧島市で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、山口線管理所津和野運転支所に所属し山口線で活躍していた頃、僚機にはD51-278・407・550・581・612・720・753・1025号機
も所属していた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどり、廃車後本機以外ではD51-405号機が千葉県松戸市、720号機が広島県安芸区
で静態保存されている。
* 本機は1973(S48)9/30 山口線、小郡~津和野間の「さよなら列車」を牽引した後、1974年に廃車となり津和野運転支所の所在した当地に静態保存された。その後
2005年に修復・整備され現在地に移転した。
D51-195号機 場所 鳥取県米子市西町 湊山公園内
車暦 1939鉄道省大宮工場・・東京局・・1948酒田~1960横手~1971東能代~1972新見~1973米子 廃車 1975保存開始
状態 塗装は普通 汽笛・清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内シリンダー・缶圧力計欠 速度計・他の圧力計
針欠 操作・電気系統機器は良好 屋外に保存されており、保存状態は普通である。 撮影日2007/07/25
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていましたが汚濁滴とさびが浮き始めたいました。分厚い塗装と錆びの為に確認できた刻印はありませんでした。 撮影日 2009/10/31・2010/12/4
* 本機が1955(S30)年当時、酒田機関区に所属し羽越本線・陸羽西線で活躍していた頃、僚機にはD51-38・67・80・248・261・487・576・681・907・931・933
・1005・1007・1077・1098・1101・1133・1154号機も所属していた。同機関区には9600型機3両・C11型機3両・C51型機9両も配属されていた。その後各機は各
地に転配属された。
* 本機が1971(S46)年当時、新見機関区に所属し伯備線・姫新線で活躍していた頃、僚機にはD51-・409・422・428・481・488・774・837・838・889・917の各
機も所属していた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後409号機は滋賀県湖南市→岐阜県美濃加茂市、422号機は広島県
尾道市、428号機は東京都大田区、481号機は福井県南条郡南越前町、488号機は島根県安来市、774号機は島根県出雲市、837号機は長野県駒ヶ根市、
838号機は岡山県新見市、889号機は岡山県総社市、917号機は岡山県岡山市でそれぞれ静態保存されており、新見機関区に所属したD51型機で新見機関区や
浜田機関区で廃車となった機関車の静態保存率は意外と高い。1970年代にはDL化は当然、急速な電化により蒸気機関車の絶え、各地で廃車となっていたが同時にSL保
存の運動も展開されていた時代を象徴している事象であろうか。
トップページへ