9600型蒸気機関車 1913~1925の間に770両製造 全国に40両保存 全機紹介します。

主要諸元

 全長 16.51m 全高 3.81m 総重量 94.5t 水槽 17㎥ 石炭庫 7.t 先・従輪径 838mm 動輪径 1245mm 最大出力 980ps 最高速度 65km/h

 製造所 川崎重工兵庫工場・汽車製造大阪工場・国鉄小倉工場



9608号機  場所 東京都青梅市勝沼 青梅鉄道公園内

車暦 1914川崎重工・・神戸局・・1933加茂~1946吹田~1958竜華~1962大宮 廃車 保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類はシリンダー圧力計を欠くがその他は完備 室内良好 足回りも整備されて、新しい屋根の下で良好な状態で保存さ

    れている。*前方に8620号機                                              撮影日2008/05/15・2010/05/05

* 左クロスヘッド・ソケットの9608に重なるように29677もしくは39677の元印がありますが、分厚い塗装の為に確実ではありませんが29677号機は

陸軍に供出されており、39677号機は1947年当時本機と同じ吹田機関区に配属されており、鷹取工場で転用された可能性はあります。2012/04/28

* 本機が1955(S30)年当時、吹田機関区に所属し東海道本線・山陽本線で活躍していた頃、僚機には9642・19629・

 19654・19660・19664・19690・19692・29628・39605・69653・69677号機も所属していた。同機関区には8620

 型機4両・D51型機19両・D52型機34両・D62型機6両も配属されており、特にD52型機は集中配属されていた。その後各機

 は各地に転配属された。本機以外ではD51-297・385・663・684号機、D52-1・136・138・468号機が各地で静態保存

 されている。余談ですが最重量機であったD62型機についてはD52-1号機で記載します。


* 本機が1960(S35)年当時、竜華機関区に所属し関西本線等で活躍していた頃、僚機には29628号機も所属していた。同

 機関区には8620型機18両・C10型機2両・C11型機4両・C58型機9両も配属されていた。その後各機は転配属し、さらにDL化

 により廃車・解体の経過をたどった。本機以外で静態保存された機は無い。








9625号機  場所  岩手県宮古市磯鶏SL公園

車暦 1914川崎重工 東京局・・?・・1933酒田~1947横手~1955青森~1973廃車  1976保存開始

状態 塗装は普通 外装諸装備完備・ロッド・主軸・車輪等に油が注されて整備されている。運転室内の諸計器類は暖房用圧力計を欠くが他は完備・操作系統、電気系

    統の機器も完全で、運転室内も良好である。公園内に屋根付きで保存されており、近くの管理されている方に鍵を開けて頂き撮影する事ができた。国鉄OBの方

    が定期的に点検整備されているとの事でした。すぐ近くの磯鶏駅を発車する各車輌の響を懐かしんで聞いているであろうか。全国保存の9600型機の中で最良の

    部に位置付けられる保存機である。                                                        撮影日 2009/08/09

* 再訪しました。今回の震災で亡くなられた宮古市の方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様にお見舞い申し上げます。震災では機体

の動輪下部まで津波が押し寄せたと管理人さんが言われておられました。一日も早く地域が復旧され元の生活に戻られます事を祈念しております。                                                                                    撮影日 2011/11/01

* 本機が1955(S30)年当時、青森機関区に所属し東北本線・奥羽本線等で活躍していた頃、僚機には9631・9647・96609665・9667・19602・19652・296

21・29654・29660・29682・29689・39661・39662・39663・49637・49642・69602・69635・69678号機も所属していた。また、同機関区にはC51型機

19両・8620型機2両・D50型機3両・D51型機15両も配属されており、大所帯の機関区の状況を呈していた。その後各機は転配属されたが本機以外ではD51-158

・428号機
が各地で静態保存されている。

* 1965(S40)年になると9600型機は16両・C11型機1両・C60型機11両・C61型機8両・D51型機20両に交代所属していた。その後各機はDL化に伴い各地に

転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC60-1号機・D51-113・158号機が各地で静態保存されている。

* 本機が廃車直前の1972(S47)年には9665・19602・29601・29652・49637・49642・69635号機・D51-762号機に減少配属となっており、その後DL化

に伴い各機は廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD51-762号機が青森県八戸市で静態保存されている。本機が由縁の薄い当地に保存された経緯は不詳

である。








9628号機  場所 富山県富山市桜木町本丸 富山城址公園内

車暦 1914川崎重工・・東京局・・1933松本~1947高山~1950富山~1964福井~1969富山第一 廃車・保存開始

状態 塗装は退色し各所に錆び・腐食進行 前後ライト球・前・左プレート欠 他の外装諸装備良好 運転室窓ガラス欠 室内の諸計器類の多くが文字盤のみで針欠、両

    水面計も外枠のみ、運転室は鉄格子で遮断されているものの、室内は荒廃状態 屋外に屋根付きで保存されているが全体的には荒廃状態であり、早急の整備が

    必要な機である。                                                                  撮影日2007/09/11

* 再訪してみましたがやはり荒廃のままでした。撮影日 2010/05/01

* さらに荒廃が進み立ち入り禁止措置が取られていました。今後の対応が危惧されます。 撮影日 2011/10/27

* 本機が1955(S30)年当時、富山機関区に所属し北陸線等で活躍していた頃、僚機には19648・19638・29699号機も所属していた。同機関区にはC11型機

両・C12型機1両・C51型機4両・C57型機3両・D50型機7両・D51型機12両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外では19648号機が

岐阜県高山市
で、C57-30・144号機、D51-86・607号機が各地で静態保存されている。


* 本機が1969(S44)年当時、富山第一機関区に所属し北陸本線・高山本線で活躍していた頃、僚機には19648・1968329627・29687・69673・79627・

79639号機も所属していた。同機関区にはC11型機2両・D51型機7両も配属されていた。その後DL化に伴い、各機は転配属、廃車解体の経過をたどった。








9633号機  場所 京都府京都市下京区 京都鉄道博物館

車暦 1914川崎重工・・東京局・・1933松本~1938上諏訪~1940甲府~1941富山~室蘭~1945倶知安~1955小樽築港~1972梅小路~1979廃車~静態保存

状態 塗装は普通 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 常時整備されて普段は扇形展示場の定位置に良好な状態で保存されている。            

                                                     撮影日2007/5/18・2008/6/13・2010/01/30・2010/06/12

* 確認できた刻印のほとんどが本機のものでしたが、一部刻印の打ち直しがあり、元印が想像できますがいずれも明確な状態ではなく推定の範囲です。左

右のクロスヘッド下部クランクには
69633の刻印がありますがその下部に69660の元印が認められます。69660号機は1975年に滝川機関区で廃車で

すが、1933年から長万部機関区に所属していますのでその段階で69633号機に転用されたのでしょうか。
69633号機
は1975年に池田機関区で廃車で

すが1935~1955年まで野付牛(北見)機関区に所属していますのでこの間に本機に再転用転用されたのでしょう。また左結びリンクには
59633と読めま

す。さらに下に
59610の元印が認められます。59610号機は1975年に岩見沢第一機関区で廃車ですが、1924年から追分機関区に所属しているのでこ

の間に
59633号機に転用されたのでしょうか、そして59633が事実ならば、非常に貴重な結びリンクと言えます。何故なら59633号機は1925年岡山機関

区~1927年小樽築港機関区~1933年富山機関区と遍歴し、その後陸軍に供出され中国大陸に渡り活躍、1945年終戦により中国に接収された後中国国

鉄として役割を終えた機関車であり、この刻印が本来のものであれば、供出前に本機に転用された事になります。補足撮影 2010/07/25

* 本機が1955(S30)年当時、小樽築港機関区に所属し函館本線で活躍していた頃、僚機では9644・9654・9661・2967539612・49652・69656・69690・

69692号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・C12型機3両・C51型機5両・C57型機13両・D51型機19両も配属されていた。その後各機は各地に転配

属された。本機以外ではC12-6・38・64号機、C57-57・135・201号機、D51-483・943号機が各地で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)当時になると、僚機は9661・29601・29675・39612・69659・89615号機に交代所属していたが、9600型機は本線での運用は無く構内

入れ替え業務を担当していた。同機関区にはC12型機3両(入れ替え)C62型機6両・D51型機38両も配属されていたが、DL化は目前に迫っており、その後各機は転配

属、廃車・解体の経過をたどった。本機とともにC62-2号機は京都鉄道博物館で現役で活躍している。また、C62-3・D51-59・70・231・286・333・485・

565・1149号機
がそれぞれ各地で静態保存されている。








9643号機  場所 北海道札幌市東区 サッポロビール園内

車暦 1914川崎重工・・神戸局・・1933亀山~1941旭川~1948用途廃止・・1949日曹炭鉱手塩鉱業所~廃車・保存開始?

状態 塗装は良好 外装諸装備良好 運転室窓ガラス欠・室内は右シリンダー圧力計・給水ポンプ圧力計以外の各圧力計を欠く、両水面計も外枠のみ 足回りも油が

    拭かれて整備され、屋外保存であるが保存状態は良好である。                              撮影日2007/07/14

* 再訪してみました。変わらない状態で保存されています。分厚い塗装のために確認できた刻印は皆無でした。 撮影日2011/07/23

* 本機が1945(S20)年当時、旭川機関区に所属し函館本線・石北本線・富良野線で戦後の混乱期に人々の希望を載せて活躍していた頃、僚機には19605・

19620・19668・29634・39688・39696・49631・49653・49665・49686・49695・69649号機も所属していた。同機関区にはC51型機12両も配属さ

れていた。その後各機は道内各地に転配属となり、やがてDL化によりさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外はすべて解体処分されている。

* 本機は用途廃止後日曹炭鉱手塩鉱業所に払い下げられ、同鉱業所が閉山する1972年まで、専用線で石炭運送の業務を行なっていた。どの時点で当地に静態

保存されたかの経緯は不詳である。








9645号機  場所 北海道深川市多度志 「多度志農場」内

車暦 1914川崎重工・・神戸局・・1933上諏訪~1935遠軽~1941白滝~1949函館~1957旭川~1960深川~1960夕張鉄道譲渡~1969廃車 1971北炭真谷地鉱業譲渡

    ~廃車・保存開始?

状態 塗装は普通だがやや退色気味。外装諸装備は完備しており運転室内の諸計器類は暖房用圧力計を欠くが他は完備、操作系統機器も完全であり、運転室内は

    良好である。屋外に屋根付きで保存されており保存状態は良好である。                               撮影日2009/08/10

* 再訪しました。農場は閉鎖されていますが周囲は手入れされており、塗装は退色が目立ち始めましたが屋根付きなのでしばらくは安心でしょうか。左先輪

に39603か39605の刻印があります。両機とも1919年に神戸局管内に配属されていますので、本機が1915年に神戸局管内に配属後転用されたのでし

ょうか。なお
39603号機は1933年に陸軍に供出されています。左 第二サイドロッド油壷には9645の刻印の4の上に1がありますが定かではありません。

右スベリ棒基部には
29621の刻印があります。29621号機は1972年に青森機関区で廃車になっていますが、本機が1933年に上諏訪機関区に所属し

ていた頃、本機は長野機関区に配属されていますのでこの頃に転用されたのでしょうか。

 右リターンクランクには
9624の刻印がありますが24の刻印が96と比較して大きく、9624号機は所属機関区も異なり譲渡後に24を加えた可能性が高い

です。その他の部位に24の刻印が認められますが。9645号機が1960年に深川機関区で廃車後、夕張鉄道に譲渡されさらに1969年に再廃車後、1971

年に北炭真谷炭鉱専用機として譲渡以後の刻印と考えられます。なお北炭真谷炭鉱線は夕張市の沼ノ沢~真谷間4,4kmの専用線ですが、1987年の閉山

まで使用されていました。本機は1977年に廃車になったとされています。撮影日 2011/07/26

* 本機が1945(S20)年当時、北見機関区白滝支区に所属していた頃、僚機の39635・49699号機も配属されていた。

* 本機が1955(S30)年当時、函館機関区に所属し函館本線等で活躍していた頃、僚機には9695・9698・19619・19665

 19675・29601・29638・39655・49601・59619・59658号機も所属していた。同機関区にはD51型機26両も配属されていた。その後各機は各地に転配属

された。本機以外では29638号機が北海道旭川市で、またD51-286・333・397・560・561号機が各地で静態保存されている。 本機がいつの時点で同所

に保存されたかの経緯は不詳である。








9646号機  場所 長野県長野市豊野町下田中 中央公民館


車暦 1914川崎重工・・神戸局・・1933長野~1945直江津~1947米沢~1955直江津~1971新津~1972長野 廃車 保存開始

状態 塗装は退色し汚濁雫・錆び・腐食進行 後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室内は速度計は完全 他の圧力計は針を欠く 左水面計外枠欠 他の操作・

    電気系統機器良好 屋外に保存されているが、保存状態は普通である。運転室内のカラフル塗装と外形の塗装状態との差がある。    

     *撮影後日 再塗装され外観はきれいになっている。
       撮影日2007/08/17

                                 きれいに整備された9646号機 2007/10に整備された。  再撮影日 2008/09/12

* 再再訪してみました。変わらない状態で保存されています。何度も塗装されていますので刻印の確認箇所は僅かでした。
                                                          撮影日2010/12/12

* 本機が1955(S30)年当時、直江津機関区に所属し北陸本線・信越本線で活躍していた頃、僚機には9648・29691号機も所属していた。同機関区にはC12型

機3両・C51型機7両・C57型機5両・D50型機9両・D51型機7両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC51-239号機・C57-

189号機・D51-296・486号機
が各地で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年に新津機関区に所属していた当時、休車中ではあったが僚機に9632・39658・39697・4969069677号機も配属されており、年度内は

構内入れ替え業務などで稼動していた。その後、DL化に伴い転配属、廃車、解体の道をたどった。9632号機は山形県酒田市で静態保存されていたが、2007/7

残念ながら
解体されてしまった。当時同機関区に所属していたC57型機14両の中で、C57-1・180号機は現在も現役で走行している。(山口号・磐越物語号)

* 本機は1971/11に鉄道100年の映画に登場するために新津機関区から横浜機関区に移送され撮影に使われた。その後長野機関区に配属された後廃車となった。








9667号機  場所 茨城県高萩市高浜町 勤労青少年ホーム

車暦 1915川崎重工 1915浜松~1923敦賀~1927糸魚川~1937富山~1943高山~1946青森~1971青森廃車 1972保存開始

状態 塗装は厚塗りだが各所に腐食進行 外装諸装備良好 運転室内諸計器類良好(給水ポンプ圧力計文字盤欠) 屋外保存であるが足回りも整備されている。保存

  状態は普通である。       撮影日2007/10/20      * 右下の写真は 1967/09/20 青森駅にて 藤田憲一氏撮影

* 再訪してみました。塗装状態はまずまずですが各部位に剥落箇所が見られ始めています。最近の整備はやはりされていないようでした。足回り等も分厚く

重ね塗りをされているので刻印を確認する事はできませんでした。運転室内部は長年の粉塵が堆積し全体に薄汚れた状態でしたが、給水ポンプ圧力計以外

の諸計器類は完備しています。火室内はきれいな状態でした。                              撮影日 2010/11/22

* 本機が1955(S30)年当時、青森機関区に所属し東北本線・奥羽本線で活躍していた頃、僚機には9625・9631・9647・9660・9665・19602・19617・196

52・29621・29654・29660・29682・29689・39661・39662・39663・49637・49642・69602・69635・69678号機も所属していた。同機関区には862

0型機2両・C51型機19両・D50型機3両・D51型機15両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-158・428号機が静態保存

されている。

* 本機が1971(S46)年当時では、僚機は9625・9631・9665・19602・19652・29621・29652・39663・39664・49637・69635・49642・69602・696

88号機に交代所属していた。しかし、本線での運用は既に無く全機構内入れ替え業務を担当していた。同機関区にはC61型機6両・D51型機19両も配属されていた。

やがて構内業務もDDに代わり、その後全機廃車・解体の経過をたどり静態保存されたのは本機のみである。
本機が由縁の薄い当地に保存された経緯は不詳である。








9687号機  場所 埼玉県川口市西青木 児童文化センター


車暦 1915川崎重工・・東京局・・1929高崎~1947五稜郭~1961函館~1965大宮~1969廃車 1970保存開始

状態 塗装は退色し各所に錆び・腐食進行 外装諸装備完備 運転室内諸計器類は速度計・両シリンダー圧力計・暖房用圧力計・両水面計中芯欠、操作系統各レバ

    ー欠 他の計器類も外形文字盤のみで 室内はかなり荒廃状態 屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は普通である。  撮影日2008/05/12

*再訪してみました。変わらない状態ですが退色が進行しています。 撮影日2010/05/05

* 刻印は残されていませんでした。施設の封鎖に伴い解体処分される構想が出されているそうです。 撮影日 2011/9/27

* 本機が1955(S30)年当時、五稜郭機関区に所属し函館本線で活躍していた頃、僚機には9616・19670・29603・4967149674・49698・79666号機も所

属していた。同機関区にはD51型機11両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外では49671号機が栃木県真岡市で、D51-68・70・

566号機
が各地で静態保存されている。

* 本機が1969(S44)年当時、大宮機関区に所属していた頃、僚機には9684・29669・29680・29683・29697・49613・59669・59674・69636・69670・

79658・79665の各機も所属されていた。また、D51型機7両も配属されていた。しかし、大宮機関区内は既にDL化・電化が進んでおり、僅かに川越線と近隣主要駅

構内の入れ替え業務を担当するぐらいで、機関区内に駐機することが多かった。その後各機は廃車・解体の経過をたどった。廃車後、本機以外ではD51-148号機

は埼玉県熊谷市で408号機は神奈川県川崎市多摩区、516号機は神奈川県横浜市で静態保存されている


* 本機は1969(S44)年9/30に八高線での「さよなら列車」をD51-261号機と重連で牽引した後、廃車となり当地に保存された。








19633号機  場所 福岡県北九州市若松区 JR若松駅西

車暦 1917川崎重工・・中部局・・1933中津川~1947宮地~1955若松~1973廃車・保存開始

状態 塗装は退色し各所に錆び・汚濁雫・腐食進行 ヘッドライト欠 他の外装諸装備良好 運転室内・窓鉄格子遮断 室内の諸計器類は左水面計の外枠があるのみで、

    諸計器類全てを損失し、室内荒廃状態である。テンダー後部破損 屋外保存であるが荒廃気味である。   撮影日2007/05/03    

                                             *右下の写真は 1967/03/28 若松機関区にて 藤田憲一氏撮影

* 再訪してみました。やはり劣化が進み各所の腐食・汚濁が顕著であり、このままでは崩壊の危機にと思われる酷い状態になりつつあります。若松機関区

で最後まで働いた本機ですので、何とか修復・整備が行われないものでしょうか?  撮影日 2010/03/14

* 分厚い塗装も錆が浮き確認刻印は皆無でした。さらに腐食が進行してます。 撮影日 2011/05/0

* 本機が1955(S30)年当時、若松機関区に所属し筑豊本線等で活躍していた頃、僚機には9640・9678・9681・19634・19636・29670・29692・49621

・49693・69614・69627・69632・69634・79600・79668号機も所属していた。同機関区には8620型機8両・C51型機9両も配属されていた。その後各機は

各地に転配属された。

* 本機が廃車となる1973(S48)年当時所属していた若松機関区には、8620型-28627・38629・38634・58654・88622・9600型-29670・49654・496

93・69646号機らも所属しており、最後の煙を室木線・香月線などでなびかせていた。その後DL化に伴い全機廃車になり本機以外は解体の経過をたどった。









19648号機  場所  岐阜県高山市昭和町 ポッポ公園内

車暦 1917川崎重工・・中部局・・1933直江津~1947高山~1950富山~1970廃車・保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備完備 運転室内諸計器類完備 操作・電気系統機器も完備 室内良好 屋外に屋根付きで保存されており、足回りもきれいに整備され、

     良好な状態である。                                                        撮影日2008/03/22

* 変わらない状態で保存されていました。96型機では珍しく全ての動輪に刻印が残っていました。撮影日 2011/05/26

* 本機が1955(S30)年当時、富山機関区に所属し北陸線等で活躍していた頃、僚機には9628・19638・29699号機も所属していた。同機関区にはC11型機2両

・C12型機1両・C51型機4両・C57型機3両・D50型機7両・D51型機12両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外では9628号機が富山

県富山
市で、C57-30・144号機、D51-86・607号機が各地で静態保存されている。

* 本機が1969(S44)年当時、富山第一機関区に所属し北陸本線・高山本線で活躍していた頃、僚機には9628・1968329627・29687・69673・79627・796

39号機も所属していた。同機関区にはC11型機2両・D51型機7両も配属されていた。その後DL化に伴い、各機は転配属、廃車解体の経過をたどった。本機以外では

D51-607号機が福井県福井市
で静態保存されている。










19671号機  場所 北海道帯広市愛国町 旧愛国駅

車暦 1918川崎重工 1918追分~1940長万部~1943室蘭~1945追分~1972帯広~1975廃車・保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 操作・電気系統機器も完備 室内良好 屋外に保存されているが、メイン・サイドロッド・主軸等の足回りにも

    油が注されており、良好な状態である。撮影日当日は老人クラブの方が整備をされていた。        撮影日 2007/07/17

* 再訪して見ました。相変わらず綺麗に整備されていました。                        撮影日 2009/08/13

* 係りの方に遠く四国から来ましたと伝えたら、運転室内の撮影を許可していただきました。運転室内は各計器類は完備しており、よく整備されていました。

月一度保存会と老人クラブの方々が整備されておられるそうです。左右合併テコ軸座ピンツバに
39670の刻印がありました。39670号機は1975年に帯

広機関区で廃車になっていますが、1967年以降帯広機関区に配属されていますので廃車までの間に転用されたのでしょう。右第二サイド油壷には元印があ

りますが明確に読み取れず、車歴から判断すると
2965739667と考えられますが確定ではありません。 撮影日 2011/07/24

* 本機が1955(S30)年当時、追分機関区に所属し室蘭本線・石勝線等で活躍していた頃、僚機には19608・19672・19673・19674・29633号機も所属してい

た。同機関区にはD50型機11両・D51型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-6・59号機が静態保存されている。


* 本機が1971(S46)年当時になると、僚機は19672・19673号機に交代所属していたが、本線での運用は既に無く、全機構内の入れ替え業務を担当していた。ま

たD51型機22両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD51-345・349・842・1119号機が各地で静態保存され

ている。

* 本機は1975(S50)/5/3に広尾線、帯広~広尾間で行なわれた「お別れ列車」を岩見沢機関区の9654号機と共に重連運転で牽引する栄誉を果たした後廃車とな

り、現地に静態保存された。現在も老人クラブ・国鉄OBの方々に点検・整備を受けている幸運な機である。









29611号機  場所 佐賀県杵島郡大町町 道の駅

車暦 1918汽車製造 1919鳥栖~1924直方~1971若松~1973後藤寺 廃車・保存開始

状態 塗装は退色し各所に錆び・腐食進行 前後ライト球・ガラス欠 プレート欠 レプリカ 他の外装諸装備は装着 運転室窓枠・ガラス欠 室内の諸計器類の大半は

    文字盤のみで針損失 両水面計も外枠のみで室内荒廃状態 座席も損壊 屋外に屋根付きで保存されているが、荒廃状態である。  撮影日2007/06/01

* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。  撮影日 2010/3/13

* 数か所に刻印が残存していました。火室の模擬石炭(石)が無ければよいのですが。撮影日 2011/05/01

* 本機が1955(S30)年当時、直方機関区に所属し筑豊本線等で活躍していた頃、僚機には9641・9699・19659・19680・29636・29695・39601・39620

・39625・39627・39633・39638・39642・39659・49602・49618・49619・49627・49638・49664・59630・59679・69610・69613・69659・796

35・79652・79669号機も所属していた。また同機関区には8620型機2両・D50型機9両・D60型機12両・C11型機8両も配属されており、9600型機の配備総数

は九州第一の機関区であった。その後各機は各地に転配属された。本機以外では49627号機が福岡市東区D50-140号機が京都鉄道博物、C11-131号

機が福岡県直方市、270号機が大分県玖珠町
でそれぞれ静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、若松機関区に所属し、筑豊線で活躍していた頃、僚機には19633・19636・29670・2969249654・69646号機も所属していた。

その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどり、本機は後藤寺機関区に移動した。19633号機は福岡県北九州市JR若松駅西で静態保存されている。

* 本機が1973(S48)年当時、後藤寺機関区に所属し後藤寺線・糸田線で活躍していた頃、僚機には29602・29608・3968149618・49675・49679・59681

69686・79600号機が所属していたが、その後各機廃車・解体の経緯をたどり、静態保存されたのは本機のみである。さらに後藤寺機関区は廃止され、糸田線も廃線

となった。









29612号機  場所 福岡県糟屋郡志免町 志免メインパーク内

車暦 1919汽車製造 1919鳥栖~1924直方~1933浦上~1935長崎~1940浦上~1949門司~1955西唐津~1974廃車
                                                               1975保存開始
状態 塗装は退色気味で汚濁雫 剥離 プレートはレプリカ 他の外装諸装備良好 運転室窓枠・ガラス欠 室内諸計器類

  多数損失しやや荒廃状態 屋外に保存されているが保存状態は普通である。            撮影日2007/12/15

* 分厚い塗装も錆が浮き確認できた刻印は皆無でした。更に腐食が進行しており心配な機体です。 撮影日 2011/05/01

*その後、本機の解体が決定されたが、北九州市の入江氏が保存に向けて奔走され、新しい保存地を大分県豊後森駅構内に残る扇形駐機場付近へと玖珠町

と協議し、同機を「直方汽車倶楽部」で整備・修復する事が決まり、本機は解体を免れた。直方汽車倶楽部で整備修復された同機は2015/06に移設された。

豊後森での様子は「蘇った29612号機で」で詳しく紹介しております。

* 本機が1955(S30)年当時、西唐津機関区に所属し唐津線・筑肥線で活躍していた頃、僚機には19656・19688・2960029656・29659・39640号機も所属

していた。同機関区には8620型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外では78626号機が福岡県遠賀郡遠賀町で静態保存されて

いる。


* 本機が1973(S48)年当時、行橋機関区に所属し田川線などで活躍していた頃、僚機には19626・39638・39639・39682・49619・59647・59684・69614

・69615・69642・79657・79668の9600型機が所属していた。また、C11型機6両が配属されていたが各機はDL化に伴い、順次廃車・解体の経緯をたどった。59

647号機は福岡県直方市頓野で、59684号機は福岡県田川市で、C11-195号機は香川県東かがわ市
で静態保存されている。その後行橋機関区は廃止された。









29622号機  場所 新潟県新潟市中央区女池蓮潟東 県立自然科学館

車暦 1918川崎重工 1918長野~1938直江津~1941新庄~横手~1954坂町~1974深川~1976岩見沢第一 廃車・保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 操作・電気系統機器も完備室内良好 足回りも整備され屋外保存であるが、保存状態は良好である。                                                                                            撮影日2007/09/16

* 再訪しました。相変わらずきれいな状態で保存されていました。 撮影日 2010/05/01

* 分厚い塗装のために本機の刻印は皆無でした。 撮影日 2011/11/02

* 本機が1969(S44)年当時、坂町機関区に所属し羽越本線・米坂線で活躍していた頃、僚機には29629・39672・3968549681・59661・59683・79633号機

が所属しており、D51型機4両も配属されていた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経緯をたどるが、39685号機は埼玉県さいたま市、D51-

735号機は
坂町機関区が所在した村上市荒川町で静態保存されている。その後、本機は北海道深川機関区に移動し坂町機関区は廃止された。


* 本機が1973(S48)年当時、深川機関区に所属し留萌本線で活躍していた頃、僚機には19605・19609・39696・4961659614号機が所属していた。また、D51

型機7両・D61型機2両が配属されていた。その後各機は順次、廃車・解体の経過をたどった。49616号機は静岡県榛原郡大井川鉄道千頭駅、59614号機は北海

道小樽市
で、D51-86号機は静岡県浜松市でそれぞれ静態保存されている。









29638号機  場所 北海道旭川市神居町神居古漂 神居古漂公園内

車暦 1918鉄道省小倉工場・・西部局・・1933大館~1947函館~1955倶知安~1957苗穂~1968名寄~1969 廃車・保存開始

状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室鉄格子遮断 諸計器類は全欠 操作系統機器も欠 室内は荒廃状態である 屋外保存であり保存状態は普通である。後部

    にC57-201号機さらにD51-6号機と大自然の中、あたかも3重連の様子は圧巻である。撮影日2007/07/15

*再訪しました。夕暮れ時で余り良い条件ではありませんでした。               撮影日 2009/8/10

* 動輪の刻印は確認できませんでしたが、ロッド等各部位の刻印は確認できた範囲で本機の番号でした。撮影日 2011/07/27

* 本機が倶知安機関区に移動となる直前の1955(S30)年当時、函館機関区に所属し函館本線で活躍していた頃、僚機には9645・9695・9698・19619・19665

・19675・29601・39655・39656・49601・59619・59658号機もしょぞくしていた。同機関区にはD51型機26両もはいぞくされており、北の大地に玄関口として賑

わっていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-286・333・397・560・561号機が各地で静態保存されている。

* 本機が廃車となる1969(S44)年当時、名寄機関区には僚機には29601・29688・39630・39677・39687・4964449648・49669・49670・49672・596

01・59604・59618・59691・69618号機が所属しており、最後の煙を名寄の大地にになびかせていた。同機関区にはD51型機7両も所属していたが、すでにDD機も

配属されており、DL化は正に目前に迫っており、各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった
本機以外では59601号機が北海道名寄市でD51-14号機が

千葉県流山市、337号機が北海道上川郡和寒町
で静態保存されている。









29657号機  場所 新潟県魚沼市西名新田 守門温泉ランド

車暦 1919川崎造船所 1919早岐~1944鳥栖~1947佐賀~1949西唐津~1950鹿児島~1957富山~1964金沢~1966高山~1967稲沢第一~1971旭川~北見

    1975滝川~1976 廃車・保存開始

状態 塗装は厚塗り 外装諸装備完備 運転室内は両ブレーキ圧力計・操作系統機器以外の諸計器類、電気系統機器も欠損しており、室内は荒廃状態である。屋外

    保存であるが足回りも一応整備されており、保存状態は普通である。撮影日2007/09/12

* 再訪してみましたが、退色・腐食が進行しておりシリンダー周りは崩壊が始まっていました。 汚濁滴も激しく前回と比較して荒廃が目立ちました。このまま

ではどうなるのか不安を感じました。                                                 撮影日2010/05/01

* 「やまてつ」さん達が修理されて4年が経過しましたが、やはり豪雪地帯であるためか雪による浸食や腐食は意外と進行しており、右デフレクターは大きく

歪んでおりますし、シリンダー下部も腐食が著しい状態でした。テンダー台車の左右のバネに
9677の刻印がありました。バネの転用では無くテンダーそのも

のを交換したのでしょうか。ちなみに
9677号機は1959年に大宮機関区で廃車後1961年に陸上自衛隊津田沼に101建設隊で使用後廃車されました。本

機とも接点がなく廃車後テンダーごと転用されたのでしょう。                                 撮影日 2011/10/27

* 本機が1955(S30)年当時、鹿児島機関区に所属し鹿児島本線・肥薩線等で活躍していた頃、僚機には49654・49681・59636・59652・79608号機も所属し

ていた。同機関区には8620型機2両・C57型機11両・C61型機6両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外では48696号機・C57-

119号機
が静態保存されている。

* 本機が1973(S48)年当時、北見機関区に所属し石北本線・池北線で活躍していた頃、僚機には29694・39635・39666749671・69624・79667号機が所

属していた。またC58型機7両、D51型機7両が配属されていた。DL化に伴い各機はその後順次廃車・解体の道をたどり、北見機関区も廃止されてしまった。49671

号機は栃木県真岡市で、C58-82・390・395号機、D51-157・312号機
は各地で静態保存されている。本機は九州~北陸~名古屋~北海道と移動を重ね

廃車となったが、由縁の薄い当地へ保存された経緯は不詳である。









39628号機  場所 北海道紋別郡滝上町元町 滝上町郷土館

車暦 1919川崎重工・・札幌局・・1924黒松内~1927函館~1933稚内~1961留萌~1971深川~1973名寄~1975 廃車・保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 足回りもきれいに整備されて館内に良好な状態で保存されている。前方に除雪車があるため正面

    の撮影が困難である。                                               撮影日2007/07/15・2009/08/11

* 前々回は時間が無く、前回は休刊日なので外から目視でした。今回訪れますと郷土館は閉館しており、特別な公開期間も設定しないとの事でした。この郷

土館には滝上町の開墾の歴史・民俗資料・黒曜石の縄文時代の石器類が合わて展示してあります。私は考古学もしておりますので大変興味ある貴重な資料

でしたので実に残念です。今後も開館の予定はないとの事で資料館を訪れる予定の方は御留意ください。外から撮影を試みましたが、窓ガラスが湾曲しており

内部に埃がありピント調整が難しく、ご覧のような写真となった事にご容赦ください。目視では左サイドの各部位に39628の刻印が認められます。                                                                                    撮影日 2011/07/26

* 2014/05に「コバQ」さんが訪問時の状況です。

* 本機が1955(S30)年当時、稚内機関区に所属し宗谷本線で活躍していた頃、僚機には19616・19687・29607・2961329631・29634・39602・39687・

59603・59648・59688・59689・69648・79617号機も所属していた。その後各機は各地に転配属された。


* 本機が1971(S46)年当時、深川機関区に所属し函館本線・留萌本線で活躍していた頃、僚機には19605・19609・29626・39696・49616・59612・59614

・59615号機も所属していた。またD51型機7両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機は名寄機関区に移動した。

49616号機はその後大井川鉄道で活躍した後、静岡県榛原郡川根本町千頭駅で、59614号機は北海道小樽市で静態保存されている。

* 本機が1973(S48)年当時、名寄機関区に所属し宗谷本線・名寄線で活躍していた頃、僚機には19640・39631・3963439677・39679・39687・49644・

49648・49649・49651・59691・79642の各機が所属しており、D51型機7両も配属されていた。その後各機は順次、廃車・解体の経緯をたどった。79642号機

は遠く愛媛県八幡浜市で静態保存
されている。また、D51-14・337号機も各地で静態保存されている。さらに本機が廃車となる1975(S50)年当時には、僚機は

19661・29613・29675・39655・49603・49644・49651・59691号機に代わっていた。その後全機廃車となり静態保存されたのは本機のみである。また、名寄

機関区は廃止となり、名寄本線・深名線も廃線となった。









39685号機  場所 埼玉県さいたま市中央区 中央区役所前

車暦 1920川崎重工 1920大里~1927鹿児島~1933大分~1955坂町~1967米沢~1971廃車 1972保存開始

状態 塗装は厚塗りだが各所に錆び・腐食進行 外装諸装備完備 運転室内の諸計器類の大半が損失し 室内荒廃状態 屋外保存であり、全体的に保存状態は良い

    とは言えない状態である。                                        撮影日2007/10/17 

* 再訪してみました。分厚い塗装のために確認できた刻印は皆無でした。 撮影日 2011/9/27

* 本機は2015に解体の話が急浮上し、保存を願う全国のSLファンの願いも虚しく、
2016/09から解体工事が始まりました。外観的には解体しなくてはな

らない要素は無く、最初から解体ありきの「さいたま市」の行政姿勢だったと言えます。理由は付けられていますが我々SLを整備している者には「不可解な理由

付け」だと判定できます。また貴重な鉄道文化遺産が消滅してしまいました。

* 本機が1955(S30)年当時、坂町機関区に所属し羽越本線・米坂線で活躍していた頃、僚機には29622・29629・3965839672・59663・79633後浮きも所

属しており、同機関区にはD51型機6両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外では29622号機が新潟県新潟市で静態保存されている。

* 本機が1969(S44)年当時になると、僚機は29622・29629・39672・49681・59661・59683・79633号機に交代所属しており、D51型機4両も配属されて

いた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどるが、本機以外ではD51-735号機坂町機関区が所在した村上市荒川町で静態保存され

ている。その後、坂町機関区は廃止された。本機が由縁の薄い当地に保存された経緯は不詳である。









49600号機  場所 北海道上川郡美瑛町中町3丁目 中町公園内

車暦 1920川崎重工・・名古屋局・・1933稲沢~1938福井~1939多治見~金沢~富山~1941多治見~1942大館~1944品川~1945大宮~函館~1947岩見沢~

    1949深川~1961遠軽~1975廃車 1976保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備は良好で足回りは整備されている。運転室窓ガラス欠 室内諸計器類・操作系統機器の大半が損失しており、運転室内は荒廃状態

    と言える。屋外に屋根付きで保存されおり、外形は良好な状態である。                           撮影日2007/07/15

* 再訪して見ました。相変わらずの状態で保存されていました。                撮影日 2009/08/10

* 訪れますと公園一帯が整備されつつあり本機の周囲も舗装等の工事が行われそうでした。荒廃している運転室内の復元整備や、機体の再塗装の予定は

無いとの事でした。分厚い塗装の為に明確な本機の刻印は僅かでした。左リターンクランクには
29694の刻印がありました。29694号機は1975年に北見

機関区で廃車になっています。本機が1947年に岩見沢機関区に配属後に転用されたのでしょう。          撮影日 2011/07/27

* 本機が1955(S30)年当時、深川機関区に所属し函館本線・留萌本線等で活躍していた頃、僚機には19605・19609・29615・29626・29642・49622・496

72・59604・59614・59655・59695号機も所属していた。その後各機は各地に転配属された。本機以外では59614号機が北海道小樽市で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、遠軽機関区に所属し石北本線・名寄本線などで活躍していた頃、僚機には29681・49626・49634・49651・49666・49673・496

99・69620・69625・69644号機も所属していた。またD51-309・311・425・484・859・897・1074号機も所属していた。DL化に伴いその後各機は転配属・廃車

・解体の道をたどった。また、その後名寄本線も廃止となった。69644号機は北海道紋別市で、D51-311号機は北海道北見市で、859号機は北海道紋別郡遠

町で静態保存されている。


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