C56型蒸気機関車 1935~1939の間に160両製造 全国に21両保存 全機を紹介します。
主要諸元
全長 14.32m 全高 3.90m 総重量 65.5t 水槽 10? 石炭庫 5.t 先・従輪径 860mm 動輪径 1400mm 最大出力 592ps
最高速度 75km/h
製造所 川崎重工兵庫工場・汽車製造大阪工場・日立製作所笠戸工場・三菱重工業神戸造船所
C56-111号機 場所 兵庫県宝塚市雲雀丘4丁目 雲雀丘学園内
車暦 1937三菱重工 1937木次~1955飯山~1971長野~1973吉松~1974 廃車 1975保存開始
状態 塗装は良好だが上部に粉塵堆積 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 足回りもきれいに整備され屋内に良好な状態で保存されている。 撮影日2007/04/12
* 雲雀ガ丘学園内にはD51-688号機の動輪も保存展示されている。
* 本機が1955(S30)年当時、飯山機関区に所属し飯山線で活躍していた頃、僚機にはC56-94・96・126・129・131号機も所属していた。また同機関区に
はC12型機1両も配属されていた。その後各機は転配属された。本機以外ではC56-94号機が長野県大町市、96号機が長野県南牧村、126号機が山梨
県北杜市、129号機が長野県飯山市、131号機が島根県松江市で、またC12-199号機が長野県塩尻市奈良井でそれぞれ静態保存されている。同一
機関区に在籍した全車両が静態保存 されいるのは飯山機関区だけであり、非常に珍しい状況である。
* 本機が1965(S40)年当時では僚機はC56-94・96・101・109・129・131号機に交代所属していた。各機はその後転配属されたが、本機以外ではC56-
101号機が長野県佐久市で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、長野運転所に所属していた頃、僚機にはC56-109・129・131号機も所属していた。また、 18688・88623・D51-172号
機も配属されていた。DL化に伴いその後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。D51-172号機は長野県松本市で静態保存されている。
* 本機は1972(S47)3/19に飯山線、長野~飯山間の「さよなら列車」を僚機の129号機と重連で牽引した後、吉松機関区に 移動した。
* 本機が1973(S48)年当時、吉松機関区に所属し湯前線・山野線・宮之城線で活躍していた頃、僚機にはC56-91・92・ 135号機も所属していた。また、吉
都線担当のC55-52・57、肥薩線担当のC57-124・151・154・182号機、D51-453・536・589・606・1038号機も配属されていた。各機はその後、廃車
・解体の経過をたどるが、C56-92号機は鹿児島県出水市で、135号機は兵庫県加東市で、またC55-52号機は吉松機関区の所在した鹿児島県姶良郡
湧水町JR吉松駅で、D51-453号機は遠く千葉県柏市でそれぞれ静態保存されている。本機が由縁の薄い当地に保存された経緯は不詳である。
C56-124号機 場所 長野県安曇野市明科中川手 明科公民館前
車暦 1938三菱重工 1938麻里布~1939備後十日町~1942七尾~1975木曽福島 廃車 1976保存開始
状態 塗装は普通 左プレート欠 他の外装諸装備良好 運転室内諸計器類完備 足回りもきれいに整備され屋外保存であるが、保存状態は良好である。 撮影日2007/08/17・2008/09/12
* 本機は1973(S48)9/30に七尾線、七尾~穴水間で行なわれたさよなら運転「おくのと号」の栄誉ある牽引を、C11-328 号機と重連牽引で果たし、19
74(S49)年4/2の七尾線貨物牽引を最後に木曽福島機関区に配属となり、1975年に廃車となった。
C56-126号機 場所 山梨県北杜市小淵沢町 小淵沢小学校内
車暦 1938三菱重工 1938岩見沢~1939深川~1941吉松~1949南延岡~1951飯山~1965松本~1971上諏訪~1973浜田~1975廃車・保存開始
状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室内は両水面計のガラス管を残し、諸計器類全欠 操作系統機器も欠 荒廃状態屋外保存であるが保存状態
は普通である。 撮影日2007/08/18
* 再訪して見ました。変わらない状態で保存されていました。 撮影日 2009/10/12
* 錆と汚濁滴が進行していました。3か所に刻印が認められます。 撮影日 2011/05/27
* C56型保存機の中で集煙装置を装着しているのは本機のみであるが、他機と比較すると形状が異なり、少しいびつな感じが する集煙装置である。1947年
当時松本機関区に所属していたC56-113号機の集煙装置が類似する形態であろう。
* 本機が1955(S30)年当時、飯山機関区に所属し飯山線で活躍していた頃、僚機にはC56-94・96・111・129・131号機も所属していた。また同機関区
にはC12型機1両も配属されていた。その後各機は転配属された。本機以外ではC56-94号機が長野県大町市、96号機が長野県南牧村、111号機が
兵庫県宝塚市、129号機が長野県飯山市、131号機が島根県松江市で、またC12-199号機が長野県塩尻市奈良井でそれぞれ静態保存されている。
同一機関区に在籍した全車両が静態保存されいるのは飯山機関区だけであり、非常に珍しい状況である。
* 本機が1971(S46)年当時、上諏訪機関区に所属し中央本線で活躍していた頃、僚機にはC56-94・96・101・102・160 号機も所属していた。また構
内入れ替え業務のC12型機3両・休車中ではあるがC50型機3両も配属されていた。DL/電化により各機はその後さらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。
本機以外ではC56-101号機が長野県佐久市で静態保存、160号機が京都鉄道博物館で動態保存、またC12-66・67・171号機が各地で静態保存
されている。
* 本機は1974(S49)/11/5の三江北線・三次~江津間の「さよなら列車」の牽引を果たした後、廃車となり1975年に当地に運ばれて静態保存された。
C56-129号機 場所 長野県飯山市南町 児童公園内
車暦 1938日立笠戸工場 1938盛岡~1941釜石~1943中込~1951飯山~1971長野~1973 廃車・保存開始
状態 塗装は退色し各所に剥落・錆び・腐食が目立つ 煙室扉ハンドル・前後・左プレート欠 他の外装諸装備は装着 運転室窓ガラス欠 室内は速度計・
缶圧力計は完備するが、他の計器類は文字盤のみや針が欠 水面計右欠 左はガラス破損 操作系統のハンドルや制御弁欠 釜焚口の蓋欠
室内天井スライド蓋欠 運転室内はかなり荒廃状態である。屋外に保存されているが最近整備された形跡も無く、全体としては荒廃状態にある。
早急の整備が急がれる機である。 撮影日 2008/09/12
* 再訪してみましたが雪対策だと思うのですが、ブルーシートで覆われていました。雪対策以外の理由であるならば心配です。条件の良い時期
に撮影したいと思いますが、かなり荒廃状態なので心配でもあります。 撮影日 2010/12/12
* やはり機体の各所に腐食と錆びが進行しています。運転室内も荒れた状態で早急の整備が望まれます。撮影日 2011/05/26
* 「コバQ」さんが2013/07に訪問された際の状況です。
* 本機が1955(S30)年当時、飯山機関区に所属し飯山線で活躍していた頃、僚機にはC56-94・96・111・126・131号機も所属していた。また同機関区
にはC12型機1両も配属されていた。その後各機は転配属された。本機以外ではC56-94号機が長野県大町市、96号機が長野県南牧村、111号機が
兵庫県宝塚市、126号機が山梨県北杜市、131号機が島根県松江市で、またC12-199号機が長野県塩尻市奈良井でそれぞれ静態保存されている。
同一機関区に在籍した全車両が静態保存されいるのは飯山機関区だけであり、非常に珍しい状況である。本機は飯山機関区の所在した当地に静態保存された。
* 本機が1965(S40)年当時では僚機はC56-94・96・101・109・111・131号機に交代所属していた。各機はその後転配属されたが本機以外ではC56-
101号機が長野県佐久市で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、長野運転所に所属していた頃、僚機にはC56-109・111・131号機も所属していた。また、18688・88623・D51-172号
機も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。D51-172号機は長野県松本市で静態保存されている。
* 本機は1972(S47)3/19に飯山線、長野~飯山間の「さよなら列車」を僚機の111号機と重連で牽引した後廃車となり、1973年に当地に静態保存された。
C56-131号機 場所 島根県松江市学園南1丁目 北公園内
車暦 1938日立製作所 1938会津若松~1941釜石~1943中込~1944白山~1953新潟~1954坂町~飯山~1967長野~
1973浜田~1975廃車・保存開始
状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室内は両水面計ガラス管欠 速度計・缶圧力計針欠 操作・電気系統機器は良好屋外保存であり保存状態は普通である。 撮影日2007/07/25
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されています。汚泥雫が目立ち始めています。刻印は分厚い塗装の為に確認できるものはありませんでした。 撮影日 2009/10/31・2010/12/4
* 本機が1955(S30)年当時、飯山機関区に所属し飯山線で活躍していた頃、僚機にはC56-94・96・111・126・129号機も所属していた。また同機関区
にはC12型機1両も配属されていた。その後各機は転配属された。本機以外ではC56-94号機は長野県大町市、96号機が長野県南牧村、111号機が
兵庫県宝塚市、126号機が山梨県北杜市、129号機が長野県飯山市で、またC12-199号機が長野県塩尻市奈良井でそれぞれ静態保存されている。
同一機関区に在籍した全車両が静態保存されているのは飯山機関区だけであり、非常に珍しい状況である。
* 本機が1965(S40)年当時では僚機はC56-94・96・101・109・111・129・号機に交代所属していた。各機はその後転配属されたが、本機以外ではC56
-101号機が長野県佐久市で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、長野運転所に所属していた頃、僚機にはC56-109・111・129号機も所属していた。また、 18688・88623・D51-172号
機も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。D51-172号機は長野県松本市で静態保存されている。
C56-135号機 場所 兵庫県加東市下滝野 播磨中央公園内
車暦 1938日立笠戸工場 1938門司港~1941広島~1943木次~1964浜田~米子~1969宮崎~1973吉松 廃車 1975保存開始
状態 塗装は良好 汽笛欠 他の外装諸装備良好 運転室内はシリンダー・缶圧力計・両水面計外枠欠 他の諸計器類・操作系統・電気系統機器良好 足回り
も整備され、屋外に保存されているが、保存状態は良好である。 撮影 日2007/05/26
*冬枯れで、荒樫や橡の枯れ葉が機関車の各部に溜まっているのも季節感があります。 撮影日 2008/12/13
* 動輪や足回りは分厚く塗装されており、刻印の確認はできませんでしたが、左右のクロスヘッドのコッタ―と左合併テコにC56135の刻印を確認し
ました。 撮影日 2010/10/17
* 本機が1955(S30)年当時、木次機関区に所属し木次線で活躍していた頃、僚機にはC56-98・104・105・106・107・108・109・110・127・136・155
号機も所属していた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC56-98号機が京都市右京区、106号機が広島県府中市、108号機が島根県雲
南市、110号機が埼玉県草加市でそれぞれ静態保存されている。
* 本機が1973(S48)年当時、吉松機関区に所属し湯前線・山野線・宮之城線で活躍していた頃、僚機にはC56-91・92・111号機も所属していた。また、吉都
線担当のC55-52・57、肥薩線担当のC57-124・151・154・182号機、D51-453・536・589・606・1038号機も配属されていた。各機はその後転配属、
廃車・解体の経過をたどるが、C56-92号機は鹿児島県出水市、111号機は兵庫県宝塚市、135号機は兵庫県加東市、またC55-52号機は吉松機関
区の所在した鹿児島県姶良郡湧水町JR吉松駅で、D51-453号機は遠く千葉県柏市でそれぞれ静態保存されている。本機が由縁の薄い当地に保存された経
緯は不詳である。C56-91号機は鹿児島県西表市で静態保存されていたが、1995/07に残念ながら解体された。
C56-139号機 場所 神奈川県横浜市本牧神奈川臨海鉄道本牧構内
車歴 1938日立笠戸工場 1938仙台局管内~1941幌延~1943備後十日市~1944白山~1947津山~1953鹿児島~1954横浜~1965廃車
廃車後東京都国分寺市の「中央鉄道学園」で教材機として利用されていたが、学園閉鎖後神奈川臨海鉄道に譲渡された。その後一般公開はされていなかったが、「横浜
ポニークラブ」やボランティアの方々が同機を長年にわたり、清掃・整備活動をされ動態機同様に仕上げ最近は一般公開も行われている。
状態 塗装は良好 外装諸装備完備 運転室内の諸計器類も完備しており、完全な復元状態で屋内に保存されている。
* この度同機を長年にわたり整備されてきた横浜市在住の佐藤邦弘氏(C57-44・C12-231の整備にお手伝い頂きました。)のご配慮で、知友の「コバQ」さんと本牧
を訪れ撮影させて頂きました。見事な整備状態で今後の整備の参考にさせて頂きます。 撮影日2013/11/30
* 機体の細部に至るまで完全に磨き上げられており、佐藤氏を始めポニークラブの方々の技量と労苦に感服しました。S56型保存機の中で最良の整備状況かと
思います。ご苦労様でございました。 各部位の刻印の大半は本機の番号でしたが、左リターンクランクにLC1224の刻印が認められました。C12-24号機は19
64年に大井工場で廃車になっていますが、1955年国府津機関区~1959大井工場に配属されており、この間に大井工場か大宮工場で転用されたものと思われ
ます。末尾の刻印が重なっているために240番台の各機の車歴を確認しますと、C12-247号機が1955横浜~1959大宮工場~1962大井工場廃車の経歴を
持っており、247号機の可能性もあります。右テンダー第一・第二従輪の軸ツバにはC56140の刻印がありました。C56-140号機は1961年に鹿児島機関区で
廃車になっていますが、11943年備後十日市(三次)~と1953年鹿児島~の両時期に本機と共に配属されておりますので、早い時期なら広島工場で、遅い時期な
ら鹿児島工場で転用されたものと思われます。
* 「コバQ」さんが本機のイベント等で撮影されていたものです。
C56-144号機 場所 長野県小諸市古城 懐古園北駐車場
車暦 1938日立笠戸工場 1938深川~1943中込~1972吉松~中込~1973 廃車・保存開始
状態 塗装は良好 前ライト欠 他の外装諸装備完備 運転室内の諸計器類完備 ブレーキハンドル欠 他の操作・電気系統機器良好、室内には長年の粉塵
が堆積している。屋外保存であるが足回りも整備を受け、良好な状態で保存されている。 撮影日2007/08/18
* 再訪してみました。落葉して撮影が幾分撮影し易い状態でした。 撮影日 2009/12/05
* 再再訪です。分厚い塗装の為確認できた刻印は僅かでした。 撮影日 2010/12/12
* 本機が1955(S30)年当時、中込機関区に所属し小海線で活躍していた頃、僚機にはC56-100・128・132・143・149150・159号機も所属していた。
その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC56-149号機が山梨県北杜市、150号機が長野県北安曇郡白馬村で静態保存されている。C56-
159号機は石川県法宝達志水町で静態保存されていたが、1995/07に残念ながら解体された。
* 本機が1969(S44)年当時では僚機は、C56-94・149・150・159号機に交代所属していた。DL化に伴い各機はその後転配属、廃車・解体の経過をたど
るが、C56-94号機は長野県大町市で静態保存されている。
C56-149号機 場所 山梨県北杜市大泉町JR清里駅前(旧 美しが森ファーム)
車暦 1938三菱重工神戸造船所 1938米沢~1941釜石~1943中込~1973木曽福島 廃車・保存開始
状態 塗装は退色剥脱し、全体が錆びに覆われ各所に腐食が進行 全プレート・前後ライトのガラス・球・煙室扉ハンドル汽笛欠 運転室窓枠ガラス欠 室内の諸計
器類は両ブレーキ圧力計を除き全て欠 水面計は外枠のみで操作系の各ハンドル・制御弁・釜焚口扉も失われており、完全に荒廃状態である。ロッドをはじ
め足回りも錆びに覆われ、このまま土に化すのでは無いかと思われ、説明版の風化が時の移り変わりを寂しく物語っており、全国保存機ワースト3に位置づけ
られる機であり、このまま放置されなす術もないのか悲しくさせる状態である。 撮影日 2008/09/12
* 朗報です。この幽鬼に満ちた本機がこの度きれいに塗装、復元され清里駅前で保存展示される事になり、工事はほぼ終了段階という状況です。
美しく返り咲いた機体を是非ともご覧になっていただきたいと思います。機会があれば再訪いたします。 2009/09/07 愛媛のkaze
JR清里駅前広場に移転されたC56-149号機
* 清里駅に接しており、朝日を浴びて美しく輝いていました。あの荒廃していた同機とは思えない程の復元状態であり、外回りに修復しきれなかった個所
はありましたが、運転室内は速度計・両ブレーキ圧力計・両水面計はそのままでしたが、シリンダー・缶・暖房用圧力計、ブレーキハンドルは復元整備され、
輝いていました。本当に幸運な本機であり、他の憂慮する機の良い手本となることを期待します。整備・修復に従事された皆様お疲れ様でした。
撮影日 2009/10/12・2010/06/19
* 復元整備に費やされた努力は大変なものだったと想像されます。ただ時間に限りがあったようで錆を完全に取り去らず塗装をされたので旧美しが森
ファーム時代に確認できていた刻印が判別し難い状態になっている事は残念ですが、あの幽鬼とも思える状態からの復帰ですので贅沢は言えないと思い
ます。動輪は右第一・第二動輪のみ確認できました。元々は全動輪確認できていました。左右の先輪にはC5877の刻印があります。C58-77号機は
1969年に遠江二俣機関区で廃車になっており、廃車後本機に転用されたのでしょう。右 第一サイドロッド軸座ツバには元印がありますが判読不能です。 撮影日 2011/05/27
* 本機が1955(S30)年当時、中込機関区に所属し小海線で活躍していた頃、僚機にはC56-100・128・132・143・144150・159号機も所属していた。
その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC56-144号機が長野県小諸市、150号機が長野県北安曇郡白馬村で静態保存されている。C56-
159号機は石川県法宝達志水町で静態保存されていたが、1995/07に残念ながら解体された。
* 本機が 1969(S44)年当時には僚機は、C56-94・144・150・159号機に交代所属していた。DL化に伴い各機はその後さらに転配属、廃車・解体の経
過をたどるが、C56-94号機は長野県大町市で静態保存されている。
C56-150号機 場所 長野県北安曇郡白馬村倉下 倉下スポーツレジャーランド内
車暦 1938三菱重工神戸造船所 1938米沢~1939釜石~1941中込~1972上諏訪~1973浜田~1975廃車 1976保存開始
状態 塗装は退色し全体に錆が浮き始めている。外装は煙室扉ハンドル・前・右プレート・前後ライト球・ガラス欠 運転室窓枠ガラス欠 室内は速度計・両水
面計欠 他の圧力計は文字盤のみで針欠、制動ハンドルや各バルブも失われており荒廃状態ロッドやピストンにも錆が浮き、両シリンダー部の腐食が
激しく、右側は腐食欠落している。ここ数年来整備は受けておらず、こにまま土と化す状態であり、かつては自然の中でその雄姿を見せていたかと思う
と実に残念である。 撮影日 2008/09/12
* 二年ぶりの再訪です。やはり松林の中に朽ち果てた姿を残していました。右シリンダー下部の損壊状態は増していました。運転室内には松の落ち葉
が堆積しており、なんとも無残な状況を呈しています。唯一無傷な場所は火室内部のようです。同じく林の中で鉄の残骸と化していたC56-149号機は見
事に蘇えり清里駅前に輝いていますし、遠く九州の霧島市のC56-99号機は来年度には薩摩川内市のレジャー施設でこれまた蘇える予定です。近くの
大町市のC56-94号機も綺麗に塗装されています。本機も蘇える事は無いのでしょうかこのまま土に化すには見るに忍びないものがあります。早い段階
で手入れや塗装の繰り返しもされていない為か、確かに錆びや汚れはありますが動輪・ロッド等の足回りには本機の刻印が明確に確認されました。元々
は綺麗に整備されて静態保存されていたのでしょう。返す返すも残念な状態です。左右の先輪にはD511020の刻印がありました。また左先輪にはさら
にD5118の刻印も認められます。D51-18号機は1972年に厚狭機関区で廃車となり、その後宇部市で静態保存されています。D51-1020号機は
1971年に亀山機関区で廃車となっていますが、両機とも本機との共通する地域や機関区に所属した車歴は無くどういう経緯で転用されたのかは不詳で
す。左先輪はD51-18→D51-1020→C56-150と変遷した事が伺えます。火室の内部は綺麗な状態でした。運転室内の諸計器類は他の静態保存機
に流用されているとの事で、本来の本機の姿に戻る事を願うばかりです。 撮影日 2010/12/11
* 本機が1955(S30)年当時、中込機関区に所属し小海線で活躍していた頃、僚機にはC56-100・128・132・143・144・149・159号機も所属していた。
その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC56-144号機が長野県小諸市、149号機が山梨県北杜市で静態保存されている。C56-159号機
は石川県法宝達志水町で静態保存されていたが、1995/07に残念ながら解体された。
* 本機が1969(S44)年当時、中込機関区に所属し小海線で活躍していた頃、僚機にはC56-94・144・149・159号機も所属 していた。各機はその後転配
属、廃車・解体の経過をたどるが、廃車後本機以外ではC56-94号機は長野県大町市で静態保存されている。
* 本機は1972(S47)10/1の小海線、小淵沢~中込間、12/4の中込~小諸間の「さよなら列車」を牽引後、浜田機関区に移動した。
C56-160号機 場所 京都府京都市下京区 京都鉄道博物館館
車暦 1939川崎車輌 1939静内~1940室蘭~静内~1942苗穂~備後十日町~1943白山~1945備後十日町~1947津山~1948岡山~1949小郡~1953鹿児島
~1954横浜~1965上諏訪~1972七尾~梅小路 以後動態保存~
状態 塗装は普通 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 常時整備を受け普段は扇形展示場の定位置に保存されているが、SL琵琶湖号・SL山口
号(C57-1との重連)などで活躍する時もある。保存各機の中でこれほど北海道~九州の各地を走り抜けた機関車は無い。
撮影日 2007/05/18・2008/06/13・2008/09/17
* 本機が1955(S30)年当時、横浜機関区に所属し横浜線等で活躍していた頃、僚機にはC56-139・142・146・148号機も所属していた。同機関区には
8620型機6両・C12型機3両・C58型機7両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC12-29号機が埼玉県さいたま市で静態
保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、上諏訪機関区に所属し中央本線で活躍していた頃、僚機にはC56-94・96・101・102・126・号機も所属していた。また構内
入れ替え業務のC12型機3両・休車中ではあるがC50型機3両も配属されていた。DL/電化により各機はその後さらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本
機以外ではC56-94号機が長野県大町市、96号機が長野県南佐久郡南牧村、101号機が長野県佐久市、126号機が山梨県北杜市で、またC12-
66・67・171号機が各地で静態保存されている
* 本機が綺麗に整備されているとの情報で出かけましたが、整備も終わり遠くの引き込み線に駐機していました。撮影が難しく双眼鏡で確認しました。刻
印は既に確認済みの右サイドと同じく、先輪・心向棒・クロスヘッド上蓋・ソケット・コッター・合併テコ・結びリンク・釣りリンク・加減リンク・偏心棒・リターンク
ランク・ビッグエンド油ツボ・各サイドロッド油ツボ・第二・第三動輪・各軸ツバにありました。先輪にはC58107の刻印、第一サイドロッド油ツボにはC5694
の刻印がありました。C58-107号機は1970年に尻内(現八戸)機関区で廃車になっていますが、移動配属の多い本機と重なる機関区は有りませんので
転用の経緯は判りません。C56-94号機は1973年に長野機関区で廃車になり長野県大町市で静態保存されていますが、1937年から白山機関区に配
属され、本機も1943年から1945年まで所属していましたのでその間に交換転用されたのでしょう。またの機会に刻印の撮影にチャレンジします。 撮影日2011/01/15
C12251の刻印がありました。C12-251号機は1967年に甲府機関区で廃車にな
っています。本機が1965年から上諏訪機関区に所属している間に、長野工場で転用されたのでしょうか。 撮影日 2011/01/29