C59型蒸気機関車 1941~1947の間に174両製造 全国に3両保存されています。
主要諸元
全長 21.57m 全高 3.98m 総重量 134.6t 水槽 25㎥ 石炭庫 10.t 先・従輪径 860mm 動輪径 1750mm 最大出力 1.702ps
最高速度 110km/h
製造所 川崎重工兵庫工場・汽車製造大阪工場・日立製作所笠戸工場
C59-1号機 場所 福岡県北九州市門司区 九州鉄道記念館
車暦 1941汽車製造 1941名古屋~1953姫路第二~1956門司港~1962熊本~1965廃車 2003~九州鉄道記念館
状態 塗装は極上の磨き上げ 外装諸装備・運転室内諸計器類はシリンダー圧力計以外完備 室内良好 屋外に屋根付きで保存されているが、全国の保存機の中
でここまで磨き上げた蒸気機関車は無い。その余りにも美しい状態に感嘆。 撮影日2007/05/31
* 再訪してみました。相変わらず美しい状態でした。左サイトは車輪もロッドも海風の影響を受けて油引きをしても錆が浮いていました。刻印は全て本機の
番号でした。 撮影日 2010/03/14
* 本機が1955(S30)年当時、姫路第二機関区に所属し山陽本線で活躍していた頃、僚機にはC59-7・13・25・26・2830・36・37・60・71・75・89・90・
101・102・103・116・176・179・180・182・184型機も所属しており、姫路第二機関 区にはC59型機が23両集中配属されていた。その後各機は各地に転
配属された。
* 本機が廃車になった1965(S40)年当時、熊本機関区に所属していたC59同型機はC59-30・31・74・95・104・119121・124・129・131の各機であり、
C59型機の所属数としては多い方である。しかし1965以降順次廃車・解体の道をたどりC59型全174両でも保存されたのは僅かに3機のみである。
* 本機は1965(S40)年9/30に鹿児島本線、博多~熊本間の「さよなら列車・みずほ」を牽引した後、廃車になり国鉄小倉工場で保管されていたが、2003年
に整備し直されて九州鉄道記念館に保存展示された経緯を持つ。
C59-161号機 場所 広島県広島市基町 こども科学館前
車暦 1946日立笠戸工場 1946下関~1958広島第二~1962下関~1964糸崎~1970廃車 1971保存開始
状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室窓枠・ガラス欠 室内両水面計欠 その他の諸計器類は外形のみ装着 操作系統機器も損失 室内は荒廃気味
屋外保存であるが保存状態は普通である。 撮影日2007/08/04
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。 撮影日 2010/3/14
* 刻印は何一つ残されていません。全国で僅か3機のC59型機の中では最も保存状態が悪いのが本機です。中国地方最大の都市であり、かつて広島
第一・第二機関区を配した都市でもあり、世界的に著名な広島市の保存機としては何とかならないのかという願いがあります。このまま放置し朽ち果てる
過程をたどるのでしょうか? 撮影日 2011/06/12
* 最近本機はD51-18号機の整備にも参加されたF氏らのボランティア活動で再塗装されています。 2018/01
* 本機が1955(S30)年当時、下関機関区に所属し山陽本線で活躍していた頃、僚機にはC59-72・91・97・99・123・131132・157・158・159・160・161
・162・163・171・183・187・192・193・194号機も所属していた。同機関区には8620型機6両・D51型機9両も配属されていた。その後各機は各地に転配属さ
れた。本機以外ではD51-768・813号機が静態保存されている。
* 本機が1969(S44年)当時、糸崎機関区に所属し呉線で活躍していた頃、僚機C59-162・164・166・190号機も所属していた。また、C62型機8両・D51型
機8両も所属していたが、電化により各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。C59-164号機は京都鉄道博物館で、C62-17号機は愛知県名古屋市で
静態保存されている。C59-166号機は大阪府吹田市JR西日本研修センターで静態保存されていたが、2006/9に事情により解体されてしまった。
* 本機は1970(S45)年9/30に呉線、糸崎~広島間の「さよなら列車(急行・安芸号)」を牽引した後、廃車となり当地に保存された。
C59-164号機 場所 京都府京都市下京区 京都鉄道博物館
車暦 1946日立笠戸工場 1946梅小路~1950糸崎~1971奈良~1972梅小路~1979廃車 静態保存
状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 操作・電気系統機器も完備 室内良好 常時整備され扇形展示場の定位置に良好な状態で保存されている。 撮影日2007/5/18・2010/01/30
* 左第一動輪にはC6249の元印が判読されます。C62-49号機は1968に平機関区で廃車となっており、転用の経緯は不詳です。また左第三動輪には
C591162の元印が存在する。 C59-162号機は1970年に糸崎機関区で廃車となっている。また特筆すべきことは、第一先輪と第二先輪が入れ替わっ
ている。また、第一先輪軸ツバにはC59108・第二先輪軸軸ツバにはC59106の刻印が認められる。C59-106号機は1963年に糸崎機関区で廃車にな
っている。本機が1950年に糸崎機関区で先輪をスポーク車輪に交換した時期にC59-106号機も糸崎機関区に配属されており、この時期に交換転用された
可能性が高い。C59-108号機は1963年に門司港機関区で廃車になっているが、1948年から本機と同時に梅小路機関区に配属されており、この間に交換
された可能性が高い。また、左スベリ棒後端部にはC571?またはC571?4の元印も存在しC57型機からの転用が伺われる。車歴からはC57104~194
には該当せず、C57-15号機が1971年に梅小路機関区で廃車になっており、その可能性が大である。また、右ソケットにはC59175の元印、左第三動輪
にはC59162の元印が認められる。C59-175号機は1966年にC59-162号機は1970年に糸崎機関区で廃車になっているが、両機とも本機と同時期
に配属されており糸崎機関区時代に転用されたのであろう。さらに新たに右第三動輪にはC6219の元印、更にC59182の旧印の存在が伺われる。
C59-182号機は1961年に福島第一機関区で廃車、C62-19号機は1964年に仙台機関区で廃車になっており、その後本機に転用されたのでしょうか 撮影日 2010/01/30
* 本機が1955(S30)年当時、糸崎機関区に所属し呉線で活躍していた頃、僚機C59-22・29・52・55・66・76・105・106・111・122・177・195号機も所
属していた。同機関区には8620型機3両・D51型機10両・D52型機9両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-481号機
が静態保存されている。
* 本機が1969(S44)年には僚機はC59-161・162・164・166・190号機に交代所属していた。また、C62型機8両・D51型機8両も所属していたが、電化に
より各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。C59-161号機は広島県広島市で、C62-17号機は愛知県名古屋市で静態保存されている。C59-166
号機は大阪府吹田市JR西日本研修センターで静態保存されていたが、2006/9に事情により解体されてしまった。
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