「SL整備記録 NO-14 大山正風」

                         D51-300号機整備状況

*2014/09/13に整備が始まる前の状況(上段は2009・下段は2010撮影時)、2014段階は更に塗装は退色し、錆と腐食が進行しロッド廻りも醜い状態

 となっていた。見るも無残な状態と化しており現地は殿町児童公園であるが地元の子供達からは「お化け機関車」と呼ばれ保護者の方々からも危険であり立ち

入らないようにという指示もあり、地域の地域の方々からは市当局に対して、整備が出来ないのであれば撤去して欲しいとの要望が出されており、現況からは解

体の恐れが十分に予想された。この状態を憂いた村野哲郎氏は何とか整備が出来ないものかと関係諸団体に連絡を取ったのが今回の整備の契機となった。


 同じく、本機の状態を憂いておられた厚狭出身で長野県飯田市在住の伊藤氏や上記の村野氏が連携され、地域活動として出来ないか市当局とも交渉し、地域

の整備活動の一環として予算化を組む事になり整備活動に幾ばくかの援助が出る事になりました。整備の方法等に関して村野氏は北九州市の入江氏に相談さ

れ、入江氏から整備に関わるメンバーに参加依頼の回状が回り、私も内子町のC12-231号機の整備中でしたが、内子町の了解を得て今回に整備に急遽参加

する事にしました。

*2014/09/13よりボランティア活動として本機の整備が始まりました。09/13~15の整備作業には地元山陽小野田市の村野氏を始め、光市の奈良山氏・山

口市の加藤氏を始め山口県下の諸氏が参集しました。また長野県伊藤氏・大阪府竹内氏も遠路参加されました。15日にはほぼ運転室までのランボードより上部

の荒ケレンが終わり、前部自動連結器・前端梁~デフ~蒸気ドームまでの部位の錆止め剤を塗り作業を終了しました。

 今回、錆止め剤にはEM活性剤を添加し二重の錆止め対策をしました。今後蒸気機関車の整備の参考になるかと思います。私が現在整備しております愛媛県内

子駅前のC12-231号機にも使用しております。ランボードより下の動輪~ロッド等は今後も地元の方の作業で打刻ケレンをしていただく予定です。09/20~23

ではさらに県外からの応援もあり、運転室~テンダーのケレン作業を行い、錆止め剤を塗布し余裕があれば一部本塗りも予定されています。


*09/14段階のケレン終了箇所と現況

09/15のケレン・錆止め剤塗布作業

09/20の作業状況 
 後半の作業が始まりました。東京(やまてつ氏)・千葉(河本氏)・静岡(玉井氏)・岐阜(長縄氏)・三重(野呂氏)の各氏がが来られ、入江氏の所属する「直方汽車

倶楽部」の強力な助っ人も参加され、彼らの指導のもと整備作業が急速に進行し始めました。様々な部位がケレンされ、さらに錆止め剤が塗布されて行きました。

地元の方や小中学生も作業に参加し一緒に汗を流しました。お昼には地元殿町婦人会(間違っていましたらお許しください。)の皆さんによる焚き出しが参加者に

振る舞われました。(20日はカレーライス・21日はおにぎりとトン汁で大変美味しく戴きました。)破損していた前灯のレンズの代用品としガラス製鍋蓋が応用されて

取り付けられました。

*09/21の作業状況
 本日も小・中学生の参加を得てテンダー部のケレン及び塗装が行われました。大人は左右のランボード下及び動輪・ロッド等の打刻及びケレン作業を行いました。

かなり作業がはかどりました。
作業終了時の夕刻に前灯の電球(40W)が点灯されました。

*今まで分厚い塗料の下に隠れていた各部位の刻印がケレンにより明らかになりました。左サイドを紹介します。

*左スライドバーにはD52444の刻印がありました。D52-444号機は1966年に小郡機関区で廃車となっていますが、1949年以降小郡機関区に所属してい

ますので、本機が厚狭機関区に配属後か同機の廃車後に広島工場で転用されたのでしょう。次に左第四動輪には(右も同じ)
D51655の刻印がありました。

 D51-655号機は1972年に横手機関区で廃車になっていますが、1944~50年にかけては広島・柳井機関区に所属しており、本機は1946年には柳井機関

区に配属されておりこの時期の転用でしょうか。さらに左第一サイドロッドスモールエンドツバには
D51103の刻印があります。D51-103号機は1971年に長門

機関区で廃車後岩国市で静態保存されています。1967年には厚狭機関区に同僚機として配属されており、この頃に広島工場で転用されたと思われます。


*09/22の作業状況
 午前中に右サイドのケレンの続行と仕上げ、右サイドの最終確認、運転室の部分的整備・テンダー前面(石炭取り出し口を含む)のケレンを行い。作業完了部位

を午後からコンプレッサー・電動塗装器を使い錆止め剤を塗布(EM活性剤添加)しました。夕刻、本機の整備の発起人である厚狭出身で長野県飯田市在住の伊藤

智庸氏に先頭の煙室扉の本黒塗りをお願いしました。

 万感の思いを込めて丁寧に刷毛で塗られ、夕日を浴びた伊藤氏の感慨深い表情は感動的でした。お手伝いをして良かったと思う瞬間でした。テンダー右側も黒塗

りされ作業は終了しました。明日は小中学生や地域の方々のご協力と賛同者の総力で総仕上げし完成を見る予定です。残念ながら私は愛媛県内子町のC12-

231号機の整備中であり戻らざるを得ません。明日の様子は整備責任者である入江氏から送付される写真を掲載させていただきます。本機の整備に当たられた皆

さん御苦労さまでした。お疲れ様でした。

*本日の作業光景と右サイドの刻印等を紹介します。お前は写真ばかり撮影していたのか?と思われそうですが、もちろん作業光景は作業の合間に撮影しましたが

、その他の写真は作業開始日の早朝に撮影したものである事を敢えて付記しておきます。私は300号機の全てを紹介したいと思っていましたので私のHPに準じて

構成しております。

* 右サイドでは右スライドバーにD51407の刻印がありました。D51-407号機は1972年に山口線管理所(津和野)で廃車になっています。1961年以降津

和野機関区に所属していますので、この間に転用されたのでしょう。また、右従輪軸ツバには
D52118の刻印がありました。D52-118号機は1964年に瀬野機

関区で廃車になっておりますので、廃車後の転用と思われます

* テンダー従台車の写真の整理ができましたので掲載します。

* 左第一従台車・第二従輪軸ツバにはD51694の刻印がありました。D51-694号機は1972年に浜田機関区で廃車になっていますが、1958年~鳥取機

関区~1970米子機関区に配属されていますのでその間に後藤工場か広島工場で転用されたのでしょう。右第一従台車第二従輪軸箱蓋には
D51324の刻印が

ありました。
D51-324号機は1973年に酒田機関区で廃車になっています。転用された時期ですが本機が1943~44年にかけて坂町機関区・長岡機関区に配

属されていた頃と思われますが、かなり早い時期での転用でしょう。さらに右第二従台車第二従輪軸箱蓋には逆さですが
D51257の刻印がありました。

 D51-257号機は1946年に廃車になっています。これはD51-257号機が1945年に日立製作所笠戸工場で修理中に連合軍側の攻撃により被災したため

であり、廃車前での本機との接点はありませんので、廃車後(台帳上は熊本機関区・実車は笠戸工場か)本機が1946年に柳井機関区に配属後転用されたと考え

られます。いずれにしろ戦災で被害に遭い廃車になった部品が転用されていた具体例の確認は、静態保存機では本機が初めてであり貴重な存在であると言えます。

 本機の刻印等を一覧表にしましたので参考資料として掲示いたします。(2017/02/21) 今回の整備は一人一人がハードな役割を担っていましたので、ケレン

作業や子供たちへの配慮や指導もあり記録を取る時間的余裕もありませんでしたので、撮影した写真をもとに構成しております。もちろん撮影しなかった部位もあり

ますのでご了承ください。
特筆すべき点としてはコンプレッサー・給水ポンプの点検表示板から廃車の直前まで広島工場で点検されていた事が解ります。

                   D51-300号機 刻印等一覧表 HM(浜松工場)TT(鷹取工場)HS(広島工場)NN(長野工場)を示す。

機体 本体・台枠・動輪・ロッド等
左サイド 部位 右サイド
先輪・輪体
70573 シ18-4 先輪・軸ツバ
L D51300 尻棒案内・油壷 R D51300
L D51300 シリンダー前扉 R D51300
L D51300 弁心棒案内 R D51300
L D51300 弁心棒案内・油壷 R D51300
L D51300 クロスヘッド部・油壷基盤上面 R D51300
L D51300 クロスヘッド部・ソケット R D51300
L D51300 クロスヘッド部・コッター R D51300
L D513?? クロスヘッド・菊座ナット
L D51300 合併テコ R D51300
L D51300 合併テコピンツバ
L D51300 結びリンク R D51300
L D51300 結びリンク・ピンツバ
L D51300 心向棒 R D51300
L D52444 スライドバー・後端 R D51407 NN40?X
L D51300 加減リンク・油壷 R D51300
L D51300 加減リンク・中軸座 R D51300
L D51300 釣りリンク R D51300
L D51300 釣りリンク・腕 R D51300
逆転軸腕
第一動輪・カウンターウエイト
第一動輪・輪心
L1 D51300 第一動輪・ボス R1 D51300
第一動輪・軸ツバ シ39-11(HS)59
HM 35 8  D51 2 35 第一サイドロッド
D51103 第一サイド・スモールエンドツバ
L2 D51300 第二動輪・ボス R2 D51300
シ14 7  23139  シ14 1 第二動輪・軸ツバ
第二サイドロッド・油壷 R D51300
L D51300 エキセントリック・ロッド(偏心棒) R D51300
L D51300 メインロッド・ビッグエンド油壷 R3 D51300
L D51300 リターンクランク R D51300
L3 D51300 第三動輪・ボス R3 D51300
シ 36-7 65E1591-6 第三動輪・軸ツバ
HS 12 6 第三サイドロッド
L D51300 第三サイドロッド・油壷 R D51300
広工 NO7 43-5-26 44-12-26 46-5-10 左 コンプレッサー プレート 47-2-25 47-8-15(最終)48-12に廃車
右 給水ポンプ・プレート 広工 NO573 45-5-11 46-2-? 47-2-5(最終)
L1 D51655 第四動輪・ボス R1 D51655
シ30-6 45458 4 70T シ31-6 第四動輪・軸ツバ 85T
従輪・軸ツバ D52118
L D51300 イコライザー R2 D51300
C 77 HS 35-8 テンダー 第一従輪・バネ鞍
テンダー 第一従輪・軸箱蓋 R4 D51300
シ27-3 0C1 777A 12 シ27-6 テンダー 第一従輪・軸ツバ 217
テンダー 第二従輪・バネ鞍 C65 HS 36-2 39-6
テンダー 第二従輪・軸箱蓋 R4 D51324
TT 1133 D51694 テンダー 第二従輪・軸ツバ L4 12 23396 シ14-8  シ16-3(TT)
HS 43 11 テンダー 第三従輪・バネ鞍 C786
L2 D51300  テンダー 第三従輪・軸箱蓋
12 HE34  シ45-8 テンダー 第三従輪・軸ツバ シ46-12 HS 2749
テンダー 第四従輪・バネ鞍 C785 TT43 10Z
L4 D51300 テンダー 第四従輪・軸箱蓋 L4 D51257
12HC1  シ45-4 テンダー 第四従輪・軸ツバ シ46-12 HS 2750

* 以上で私が撮影したD51-300号機に関する記録は終了いたしますが、最後に2014/09/23の最終日に入江氏が撮影された写真を紹介するとともに、今後

の課題を提言させて頂き整備記録を一応閉じさせて頂きますが、今後本機の運転室等の整備活動が行われば本ページを再開いたします。

  D51-300号機は私のHPでも紹介しておりますが(整備後の現状追加と整備が早急に必要なリストからは削除します。)山陽筋では最も醜くて幽鬼せまる状況

でありました。地域・地元から市当局には「保存が出来ないにならば撤去を」という請願も出され、解体の危機が迫っておりました。地元厚狭小学校を卒業された長野

県飯田市在住の伊藤智庸氏がそれを危惧され、地元の鉄道愛好家の村野哲郎氏らと連絡を取られました。村野氏は市当局・シルバー人材センター・地元自治会・町

内会との数度にわたる会合や交渉をされ整備予算確保の見通しを付けられ、実際の整備はどうするか整備仲間に相談をかけられました。その動きに先頭となって対

応されたのが北九州市の入江高亘氏でした。同氏の整備参加の呼びかけで今回これだけの名のある整備メンバーが集まったのは初めてのケースではないでしょう

か?そして消耗品の購入や参加者の宿泊先確保等々、献身的なご活躍をされました。D51-300号機が蘇ったのも一重に両氏の真摯なお取組みの結果と存じます

。大変お世話になり御礼申し上げます。

 そして、前半・後半に全国から参加していただきました整備仲間の皆さん!お疲れさまでした。そして有り難うございました。天候にも恵まれましたがハードなスケジ

ュールを物ともせず、素晴らしい結果を残していただきました。皆さんと共に喜びを分かち合いたいですね。この整備に何よりも今後の見通しとして期待できる事は、

前半はさほどでもありませんでしたが、新聞やTVで整備活動が紹介されますと地域の小中学生・一般の方々が応援に駆けつけてくださいました。入江氏の記録では

後半では合わせて55人の小中学生の皆さん・保護者の方23人がお手伝いをしていただきました。これもD51-300号機に関しては明るい未来と存じます。

 それでは今後に関して提言させていただきます。今回の整備で解体・撤去という状態は消滅しましたが、同機の保存に関して市当局の姿勢には今一つ積極的な関

与は無いのではと思わざるをえません。「業者に発注したら1千万もかかる費用が、全国の物好きな整備ボランティアのおかげで数十万円で済んだわい。やれやれ

!」でしょうか。確かに私たち整備仲間は全国の危機に瀕した静態保存蒸気機関車の修理・修繕をボランティアで行っております。今回は運が良かったのでしょうか・

・・?ここまで放置された行政責任(市へ貸与)はどうお考えなのか、行政当局のトップに聞いて見たいものです(答は歴然としていますが)他県では市町村レベルでも

現在も蒸気機関車を丁寧に保存し活用している例もあります。是非そういう事例を御参考にされます事をお勧めします。

 さて、外観は奇麗になりましたが今後の課題は山積しております。自由に運転席に入れることから運転室内は荒れるに任せた状態(盗難と破壊)各圧力計は本体

は残存していますが文字盤・針・ガラスは欠如、両水面計は完全に盗難、操作系統機器、電気系統機器もかなり損失しています。何よりも左右の窓・ガラスが損失し

ています。これらを復元することは不可能ではありませんが、現状のオープン状態では復元しても盗難や破壊されるのでは整備の意味・意義がありません。これを地

域の方々や市当局が今後を見据えてどう対応されるかが最大の課題であり問題であると言えます。その解決策が見つかり運転室を再整備する方向が確定されます

のなら再びボランティアとして整備活動に参加することはやぶさかではございません。地元山口TVの取材の中でも述べさせて「私たちの活動を土台にして、地域の方

が最後は仕上げるのが最も望ましい形」頂きましたが、今後の地域の皆様方の活動がより活発で具体的に進行されます事を最後に祈念いたしております。
                                                                                  2014/09/27 愛媛のKAZE  大山

2014/12/14
 09/27以降地元の整備メンバーの方々の作業は継続され、テンダー石炭庫内の塗装、運転室内のケレン・整備、地元企業の協力で左右の座席の復元等がされ

ました。そして本日本機のお披露目会がありました。私は参加したいのはやまやまですが、西条C57-44号機の定期メンテナンスと掃除会と重なりましたので、残

念ながら欠席いたしました。今回の立役者である北九州市の入江氏からその様子と写真を送っていただきましたので紹介したいと思います。簡単にお披露目会の様

子を紹介します。厚狭市長の挨拶の後、厚狭小学校児童代表の挨拶があり自分たちが参加した事、何が自分たちにできるのか、私たちと共に金槌で旧塗料を叩き

落とし、ケレンや磨きを手伝い、塗装を行いピカピカになった機関車に感動し、私達や地域の方に感謝し、今後は自分たちが機関車を守る決意を述べました。

 私も教職の身でありましたので「学校は地域と共にある」事は教育理念であり、それは愛媛でも山口でも同じであり、児童が自主的に行動できるように指導された

厚狭小の安重先生のお力が根底にあります。私たちも全国のあちこちに依頼を受けたら出向きますが、今回の様に児童の皆さんが活躍してくれたのは初めてであ

り、今後の整備の在り方としても高く評価できるものと思います。本機の前面プレートは図書館蔵のプレートからのレプリカですが、残り3枚は厚狭小学校5年生の児

童の皆さんが作成してくれた手作りの木製プレートです。(実に良く出来ています。児童の皆さん御苦労さまそして有り難う!)それを本日自分たちで取り付けました。

おそらくこのプレートがある限り児童の皆さんの思い出と誇りになるでしょう。何よりも児童の皆さんや地域の方々の意識が高まったことが今後の本機の将来を見据

えていると直感いたしました。

 まだまだ完璧な状態では無く特に運転室内の整備に関しましては保存の在り方を含め検討する余地を残しております。私も微力ではありますが、今後も300号機

を支援して参る所存です。一応この時点でHPは一時停止いたしますが、その後の動向がありましたら再開いたします。     
愛媛のkaze 大山

入江氏から送られてきた厚狭小学校5年生の代表挨拶を掲載します。

 大山様

今日の児童代表あいさつは、感動でした。以下、安重先生から戴きました。

  この公園は 「汽車の公園」と呼ばれていましたが、ぼろぼろの機関車は「おばけ列車」とも言われていて ここで遊ぶ人はいませんでした

   9月 この殿町児童公園のD51300の修復作業が始まると知りました。小学生にもできることがあると聞き私たちは作業に参加しました。

  日本各地から修復に来られた方々が優しく作業の仕方を教えてくださいました。 金づちで、ぼろぼろになった車体をたたきさびを落としました。

  まだ暑さの残る9月 ひたすら金づちをたたきました。黙々と作業をされる方々はかっこよく横で一緒に作業すると誇らしい気持ちになりました。

  さびが落ちると下地のペンキを塗りました。すると見たことのない赤茶色の機関車になりました。 赤茶色の機関車はなんだかおしゃれに見えました。

  そうして最後に赤茶色のペンキの上に 黒のペンキを塗っていきました。大きな大きな機関車ですが次第にたくさんの人が作業に参加するようになり

  みるみる仕上がっていきました。きれいになっていく機関車を見るのはとてもうれしかったです。

  そして9月の終わり 機関車は黒くぴかぴかに光っていました。たった7日間で 「おばけ列車」は見事に甦ったのです。

   10月 1学期から厚狭のまちづくりについて学習していた私たち5年生は厚狭のまちの魅力を発見するスタンプラリーを行いました。1学期には

 この殿町児童公園がポイントになるとは思ってもいませんでした。 石炭や石灰石を積んで地球46.5周分を走り日本の発展に力を発揮した機関車の

 あるこの殿町児童公園は厚狭の自慢のポイントになりました。厚狭のまちにはこの機関車が活躍した時代の建物が残り歴史や文化を感じるポイントが

  たくさんあることが分かりました。 そして今日私たち5年生99名が作ったナンバープレートが設置されました。

   「誰かのために、何かのために」これは私たち厚狭小5年生の合言葉です。一人ひとりが自分にできることはないかと考えるのです。

 このD51300の修復はまさに「誰かのために、何かのために」と思った人が集まって実現したのだと思います。このぴかぴかの機関車は私たちの

 自慢です。 私たちはこれからも 自分たちにできることは何かを考えぴかぴかの機関車を守っていきます。
  日本各地から修復作業に来て下さった皆さんほんとうにありがとうございました。            厚狭小学校 5年生一同 

* 本当に子供たちの真心ある言葉は私たちの心を揺らします。あの時の5年生は早くも中学生になりました。当時子供たちを指導された安重先生も厚狭小にはお

られませんが、今も厚狭小学校の5年生は学校行事の一環として本機の周辺の環境整備を続けてくれています。そして村野氏も機会ある毎にメンテナンスをされて

おります。我々「整備・修理・治し」鉄が起こした行動が、地域の大人や子供たちの心に、地域の活性化に影響を与えたとするならば、これほど嬉しくて栄誉ある事は

無いかと思います。こういう動きが全国の保存機の整備の在り方に繫がる事を願って止みません。        2018/03 追記 
                               

                                                トップページへ