D51-18号機整備状況「D5118きれいプロジェクト」 場所 山口県宇部市則貞3 常磐公園                

* 再再訪してみました。分厚い塗装の為に明確に確認できた刻印はありませんでした。 再整備前の状態   撮影日 2010/12/18


* 笠岡市の井笠鉄道記念館の整備の目途が一応ついたのと、10月までの間に余裕が出ましたので、北九州市の入江氏と相談し、本機の「D5118きれいプロ

ジェクト」に参加者応募してお手伝いをと思い、現況視察に久しぶりに現地を訪れました。プロジェクトメンバーによりケレンが一部進行しており、来る09/17~19・

22・24~25の集中整備が行われる事になっています。現時点での状況は以下の通りです。

 最初に整備の経緯ですが、宇部市の地域ボランティア活動グループの代表「藤永徹也」氏は現役時代の本機を知るSLファンで、常盤公園に静態保存された後

の本機の有り様に危惧され、整備の為の資金を積み立てておられました、そして恩田校区こども委員会がD51-18をきれいにしようプロジェクトが立ちあげられ

、宇部市民の方々の募金活動や宇部市からの助成金を得て、「D5118きれいプロジェクト」が正式に発足しました。

 整備にあたっては私も参加しましたD51-300の「殿町公園デゴイチ応援隊」に整備に関する問い合わせがあり、メンバーの村野・国光氏等が300整備の実態

を説明され、5月の第二土曜日を整備日としてプロジェクトメンバーが少しづつ動輪等の打刻ケレンをされておられました。

2016/09/03

 本格的な整備を開始するにあたり、D51-300メンバーとプロジェクトメンバー・事務局との整備打ち合わせ会を本日行い、具体的な整備計画と方法等につい

て共通解を得る機会を設けました。AM9:00~初協議には本機の作業統括部長の中尾博氏を始め、恩田校区こども員会の代表者の方々や藤永氏、石川事務

局長、教育委員会の担当者も参加されました。D51-300整備メンバーからは北九州市入江氏、山陽小野田市村野氏・宇部市岡崎氏がそして帰省されていた

飯田市の伊東氏が来られ、2年振りの再会でした。

 現状の進捗状況と機体の腐食状況等を確認し。今後の参加人員を考慮しながら(子供達の参加)整備の手順を話し合い、サンダーケレン・打刻ケレン・バーナ

ー焼却処理の3部を同時進行し、先頭部・機体ランボード上部(前方から)・テンダー従輪部・テンダー側面から作業を開始する方針を固めました。特に多くの小学

生の参加が見込まれるので、小学生や幼稚園児の作業は機体本体下部・テンダー下部・安全なテンダー石炭庫内に限り、金槌による打刻ケレン・錆止め剤塗布

・黒本塗りを「プロジェクト」メンバーの指導の元で行う事、プロジェクトメンバー・一般参加の方はボランティア整備メンバーの指導の元で作業を行う事、全員安全

面の確保の為、ヘルメット・ゴーグル・防塵メガネを常時着用する事等を確認しました、


 私はお昼休みを利用し子供達や一般の参加者を対象に「D51-18学習会」を開催する事にしました。ハードですが楽しい作業になりそうです。機材等の手配・

準備も整いつつあり、村野氏によりますとJR西日本の方の参加もあるとの事で、来る09/17から本格的な整備が行われます。整備に関心のある方は是非ご協

力をいただければと思います。次回は2016/09/17を予定しております。前半の集中整備の全容を紹介できるかと思います。
 


* 2016/09/17 天候 晴れ後曇り
 本日から集中整備が始まりました。AM9:00~最初の打ち合わせを行いました。実行委長さん・中尾整備部長さん・担当責任者村野さん・石川事務局長さん

等から挨拶がありそれぞれ自己紹介をしました。遠く堺市の竹内氏も参加され300・三次以来の2年振りの再会でした。それぞれの部位をサンダーケレン・打刻

ケレン・バーナー剥ぎ取り作業を行いました。親子連れの参加も二組あり本日の作業従事者は25名でした。私は煙室扉部のケレンを行いました。明日の天候が

雨の予報が出ていますので各部位ケレン終了箇所から錆止め剤を塗り、最後に雨天対策のブルーシートで機体前部を覆い作業は終了しました。

* 2016/09/18 天候 雨
 今日は台風16号の影響を受けて終日雨が降り続く中での作業でした。機体左右を10mのブルーシートで覆い左缶胴被・右ランボード下部のケレンを行いまし

た。本日は16名の参加者が有り、午前中には一組の親子が参加されていました。私は右シリンダー被等の箇所のケレンを行いました。

* 2016/09/19 天候 曇り時々雨
 本日も雨の影響を受けましたが降雨の隙間に作業を継続しました。 先端部・コンプレッサー部・従輪部・テンダー左側面・同従台車をれぞれの方法でケレンし

ました。また腐食して穴の開いている箇所を新しく鉄板で補修する為に切断しました。私は右先輪上部・担バネ部位をケレンしました。本日の整備参加者は親子

連れを含め24名でした。
最後に明日の雨と風対策を行い本日の作業をおえました。竹内氏は大阪に戻られましたお疲れさまでした。

* 2016/09/20 天候 曇り後晴れ 
終日強風台風の影響で風が強くなり覆っていたブルーシートが一部外れましたが、整備には支障はありませんでした。午前中は私の一人作業で左先輪上部・担

バネ・右ランボード蹴上がり部をケレン、午後から岡崎氏が来られ右デフ外側をケレンしていただきました。

* 2016/09/21 天候 晴れ
 午前中は私の一人作業でフロントグリル・右ランボード蹴上がり部の斜格子板・先輪内部のケレン・午後から岡崎氏は右缶胴被のケレン作業を行いました。両

日とも作業に集中していた為に写真撮影を忘却しておりました。

* 2016/09/22 天候 曇り時々晴れ
 本日の午前中はJR西日本「山口地域鉄道部」(津和野~宇部新川間)18名の皆さんが応援に駆け付けていただきました。中には山口号の現役の機関士さん

や新山口駅の車輛係の方もおられました。一斉にケレン作業を手伝って頂き午前中にはかなりの箇所のケレンがお蔭さまで捗りました。

 午後からは遠路東京から「やまえつ」氏が来られました。厚狭D51-300以来の再会でした。午後からはケレン終了箇所に錆止め剤を塗布しました。私は右

第一動輪内部の担バネ・台枠等をケレンしました。本日は今回最多の48名の参加者がありました。

* 2016/09/23 天候 晴れ
 本日は「やまてつ」さん・岡崎さん・私の三人作業でした。大谷さんは破穴のパテ埋め作業、岡崎さんは右缶胴被下半分のケレン、私はテンダー自動連結器・

右第一動輪部内担バネ・台枠等のケレンを行いました。

* 2016/09/24 天候 晴れ
 本日は右サイドを中心にケレン作業を行いました。汽笛が10月の最終日に鳴らす為に取り外され磨き出されました。私は運転室天井部のケレンを行いました。

本日の整備参加者は16名でした。

 

* 2016/09/25 天候 曇り時々小雨
 本日は前半集中整備の最終日です。残すテンダー後部・右側面上部・右ランボード等のケレンを行うと共に、大きく穴の空いた箇所の鉄板張り替えを溶接専門

の方にお越しいただき作業をしていただきました。私は右前方ランボード及び油ポンプ蓋等のケレンを行いました。夕刻までに予定していた作業を終了し前半の

整備活動を終えました。本日の作業参加者は24名でした。今回も様々な方々の御協力を得てこの整備活動が行われています。

 10/1・2、10/8~10と後半の作業が続きます。一人でも多くの方々の御協力をお願いしたいと思います。作業的には塗装を中心とした内容になりますので、

興味・関心をお持ちの方の参加をお待ちしております。事務局まで御連絡ください。私も10/8~10には再び参加したいと思います。
                                                             

* 2016/09/25の段階で動輪・ロッド等の部位にはD51-18の刻印が見られますがケレン途中の部位もあり、最終判断は10/10にしたいと思います。しか

し、他のD51型機と比較するに刻印の箇所は少ない部類に所属します。各地の静態保存機の観察結果、刻印に関しては製造会社により打刻総数に差があるよ

うに思えます。

 他機の刻印に関しては左右先輪・軸ツバには
D52-370の刻印が確認されました。D52-370号機は1965年に柳井機関区で廃車になっており、廃車後

に転用されたと考えられます。右第一動輪には
D51-372の刻印がありました。D51-372号機は1971年に長門機関区で廃車になっており廃車後本機に

転用されたと思われます。左第一動輪は第一サイドロッドの油壷で隠れていますが、同様と考えられます。左右のリターンクランクには
D51-176の刻印があり

ました。
D51-176号機は1946~1962の間、門司関区に配属(右にはKKの刻印)されており、その間に交換されたと思われます。なおD51-176号機

大分県日田市JR日田駅北西の公園敷地内に静態保存されています。

* 右従輪軸ツバには
D51-217の刻印がありました。D51-217号機は1969年に豊岡機関区で廃車になっておりますが、本機との関連機関区に所属し

た事は無く、廃車後後藤工場~広島工場への部品提供があったと思われます。                                    2016/10/11

   機体左サイドの刻印

    機体右サイドの刻印

* D51-18号機 刻印等一覧表  
 表中 
NNは国鉄長野 KKは同小倉 KGは同鹿児島 HSは同広島 HMは浜松工場を示す。シは昭和 赤数字は他機

左サイド 部      位 右サイド
E73801X 自動連結器胴ナックルピン横 ------
シ12-10 自動連結器胴ナックルピン横 ------
シ36-3 自動連結器胴ナックル上部 ------
NO17 自動連結器胴下部 ------
L D52 370 先輪・ボス R D52 370
L D52 370 先輪・軸ツバ R D52 370
住友ロゴ W91094 シ44-10 HSシ46-2 先輪タイヤ 左6.1cm 右6.1cm 住友ロゴ W91946 シ44-3 TW HSシ46-2
O260 KK37-8 KG43-9 先輪担バネ・バネ鞍 O18?KK38-12 KG39-4 KG43?
D51 18 ピストン・尻棒案内油壷 D51 18
D 51 18 排水弁・開閉棒 D 51 18
L D51 18 シリンダー被・後蓋 R D51 18
L D51 18 合併テコ R D51 18 K.K 34.5
L D51 18 結びリンク R D51 18
スライドバー 後端 R D51 7??(不確定)
L ??1 ?8 クロスヘッド・ソケット R D51 ?8
L D51 18 クロスヘッド・コッター R D51 18
??? 第一動輪・ボス R4 D51 372
??? 第一動輪・軸ツバ シ31-3(HS)33 70T
222B シ14-12 第一動輪・輪心
L1 C57 82 第一動輪内側 軸箱守控  R1 C57 82
第一動輪内側 軸箱守控下部位 D51 124
W82071 D シ43-8 T124 HSシ44-3 第一動輪タイヤ 左4.3cm 右4.2cm 住ロゴ W82071 D シ43-8 HS シ44-3
D 51 18 加減リンク軸座 -----
R55458L 加減リンク軸座下部 E553192
L D51 18 加減リンク体・後面 R D51 18
D-51 ??? モーションプレート D-51 10 R
L D51 18 逆転軸腕・軸座 R D51 18
L D51 18 釣りリンク R D51 18
L D51 18 偏心棒 R D51 18
L2 D51 18 第二動輪・ボス R2 D51 18
KK L2 D51-18 第二動輪・軸ツバ
W72099 D シ42-10 T124 KGシ42-12 第二動輪タイヤ 左4.2cm 右4.2cm W72099 D シ42-10 T124 KGシ42-12
E547321 シ10-10 住 第二動輪・輪心 シ10 本機最古年
L2 C57 82 第ニ動輪内側 軸箱守控 R2 C57 82
L3 D51 18 第二サイドロッド・前油壷 R2 D51 18
第三動輪・輪心 3001 シ15-2
L3 C57 82 第三動輪内側 軸箱守控 R3 C57 82
W83021 D シ43-8 T124 HSシ44-3 第三動輪タイヤ 左4.0cm 右4.0cm W32068 シ43-8 T331 HS44-3
L D51 176 リターンクランク R D51 176  KK
シ13  8  HM メインロッド NN43.4 D51 42.3 04.1 43.9KG
L D51 18 メインロッド・ビッグエンド油壷 R D51 18
第三サイドロッド・後油壷 R4 D51 18
広工 47-2-9(最終点検日) コンプレッサー
広工 NO615 調圧器
L4 D51 18 第四動輪 R4 D51 18
E54700T シ10-10 住友ロゴ 第四動輪・輪心 シ10 本機最古年
ロゴ W71981 D シ42-10 T124KGシ42-12 第四動輪タイヤ 左4.0cm 右4.0cm ロゴ W72099 D シ42-10 T124 KGシ42-12
L D51 18 イコライザー釣合梁受 R D51 18
E54741L D51 6.7 イコライザー 
タービン発電機 GTA 13
給水ポンプ 広工 NO388 47-1-13(最終点検)
従輪タイヤ 左6.1cm 右6.1cm
従輪軸ツバ R D51-217
L D51 18 従台車バネ守
テンダー部
W91216 シ44-3 TW HSシ46-1 第一従輪タイヤ 左6.1cm 右6.1cm シ44-4 TW HSシ46-1
------- 第一従輪・軸ツバ シ39-8
住友ロゴ A323 シ38-1 TW 第二従輪タイヤ 左4.8cm 右4.8cm 住友ロゴ R25231 シ38-2 TW
シ40-8 20464 第二従輪・軸ツバ シ40-2 112 551-9
W61095 シ41-10 TW KGシ42-4 第三従輪タイヤ 左4.0cm 右4.0cm 住ロゴ W1194 シ41-10 TW KGシ42-1
12 TE285A シ29-8 第三従輪・軸ツバ 1131
シ26-3 住友ロゴ ワ N 1622TW 第四従輪タイヤ 左2.7Cm 右2.9cm G28 11?
12 14422-2 シ39-5 第四従輪・軸ツバ シ39-7 HM 1178
シ38-10 63E429 後部自動連結器 胴上面 -------
シ31?? 56E1?? 後部自動連結器 ナックル上面 -------
       運転室内
製造番号 218151 製造年 44 1 警報器(BZ21形)電圧32v 種別3S 京三製作所
No 490704 昭和39年3月製造 車内警報表示器 S形 電圧24v 京三製作所
No458443 型式JSP-42 昭和39年2月製造 車内警報確認押ボタン 京三製作所
No484360 型式JSA-62M 昭和39年5月製造 車内警報器 S形 電圧32v 種類 京三製作所
製造番号 109  製造年月 39 1 発電機切換スイッチ SH273 三信電機製作所
製造番号 5832 昭和44年1月 制動筒イカムスイッチ 日本エアーブレーキ


* 各タイヤに関しては先輪・テンダー第一従輪はHS(広島工場)でシ46-1・2月に交換されており、タイヤ外側で6.1cmの計測値でかなり分厚く、従輪はケ

レン出来てないので部品刻印は未確認ですが、タイヤ厚は6.1cmであり同様に広島工場での交換と思われます。新品のタイヤを履き10カ月後のシ47-12月

に廃車になった事が伺えます。また動輪タイヤに関しては第三・第四動輪が第一・第二と比較するに摩耗しており、空転現象が起きていた可能性は高く、また
KG

(鹿児島)
の刻印が残されている事も本機の歴史を証明しており、先輪担バネバネ鞍にKK(小倉)KG(鹿児島)の併記も貴重な証明と思われます。

 目測ではテンダーが少し後部に下がっている様に思えました。テンダー従輪が第一~第四にかけてタイヤの厚みが減じており、特に第四は余りにもすり減って

おり、テンダーが後部に傾く要因となっていると思われます。各地の静態保存機のテンダー従輪を確認しておりますが、これほど酷使されたタイヤは初見でした。
                           2016/09/28
* 刻印に関しては各部品番号以外の本機を示すD5118の刻印個所は全体的に少ない機体と言えます。私の整備したC5744・C12231は細部に亘り刻印

だらけでしたし、それはD51300・48650に関しても同様でしたので本機の特性かとも思われます。また右スライドバーの
D517?は70番台であった場合の

候補機は1946門司~出水~南延岡~1971熊本廃車のD5179のみが該当します。700番台は700・714・715・716・730・732・743・748・753・76

8・771・783・788・790・798と該当機が多く存在し検討もつきません。我々に想像の楽しさを残してくれていると思います。   2016/10/11追記


* 2016/10/02
 10/01の作業状況です。本日の整備作業に参加された皆さんお疲れさまでした。鉄板張り替えの部位のパテ調整や未ケレン部位のケレン作業が進み、天気

にも恵まれ錆止め剤の塗布が順調に進んでいるようです。写真は「D5118きれいプロジェクト」様より転載させていただきました。


* 2016/10/03
 10/02の作業状況です。テンダーの石炭取り出し部・石炭庫内のケレンが行われ錆止め剤の塗布作業が行われています。子供たちが大活躍で機体下部や

足回りり、テンダー足回り等細かい部位に錆止め剤を塗ってくれました。前灯にはガラスも装着され、汽笛もピカピカに磨き出されています。おそらく08は残りの

部分的ケレンと錆止め剤塗布が行われ、09~10で黒本塗装が行われる見込みです。また汽笛もボンベを使い汽笛を鳴らす予定と伺っております。いよいよ整

備作業も最終段階になりました。08は最後の整備作業が、09~10には機体が赤から黒に変貌し本機が当地に保存された時(現役時代よりも美しい)の機体に

蘇ります。御協力いただけます方々の御参加をお待ちしております。
                                写真は「D5118きれいプロジェクト」様より転載させていただきました。

                                                  *次回は2016/10/08~10の整備状況をお伝えしたいと思います。

* 2016/10/8  天候は曇り後雨
 早朝にときわ公園現場に到着し整備機材を搬入し、整備状況を確認し先ずテンダー右各従輪軸箱内の軸ツバを確認しました。第四従輪軸ツバにシ39-7・

HM(浜松)の刻印がありました。また機体右従輪軸ツバには
D51217の刻印がありました。D51-217号機は1969年に豊岡機関区で廃車になっています

が、本機との接点が無く転用の経緯は不詳ですが廃車後後藤工場~広島工場に渡り転用されたものと思われます。また左メインロッドにはシ13 HM(浜松)

の刻印が確認できました。右スライドバー後端のD51?は刻印が浅く判読が難しく
が微かに読み取れましたが、7以降の存在は否定できません。7が確実だ

としても
D51-7号機は北海道に配属され1971年に滝川機関区で廃車になっており、その間一度も北海道から離れた事はありませんので、先ずD517は否

定的です。従って70番台か700番台の可能性があります。確認出来た内容は上記の「刻印等一覧表」に訂正・追加してあります。

 大阪堺市の竹内氏が再訪されてしばし歓談、テンダー標識灯(埋め込み型)を持参していただきました。私もテンダー後灯・運転室内の計器類等を持参しまし

たので、最終的にはかなり往時の状況に戻るのでは無いかと思います。

 本日の作業参加者は子ども達3人を含め20名でした。作業的にはケレン未実施の部位のケレンとテンダー下部の錆止め剤未塗装の部位への塗装が主でし

たが、午後からは雨天候になりブルーシートの下での作業になりました。私は竹内氏と二人で左第一~第三動輪部の缶胴被側~下部・ランボード下部のケレン

を行いましたが、サンダーが届かない部位は、手延べ棒先のタガネでコツコツ打刻して落す作業に終日追われました。

* 2016/10/9 天候は曇り後晴れ
 本日はいつものプロジェクトメンバーに国光氏・横浜から富田氏・津和野町から上田氏・午後は福岡から手嶋氏が参加され子どもたち17人を含め42名の参加

者がありました。作業的にはテンダー左側面~後部~右側面・機体左側面のロッド以外の部位(動輪も含め)~機体先頭部と下部は子ども達が上部やランボード

以上は大人たちが黒本塗りをして行きました。機体右側面は錆止め未塗装部分の塗装や磨き出し作業が行われ、右も左も活気あふれる作業現場となりました。

特に子ども達は大活躍でしたが、お母さんの中には一人でテンダー左側面を塗りあげる方もおられました。

 私は相変わらず機体右第一~第三動輪部位のランボード下部・缶胴被側~下部のケレン作業をを終日行いました。ケレン終了次第富田氏が錆止め剤を塗布

する流れ作業でした。缶胴被下部に関しては機体台枠内への進入を試みましたが、前方からは先輪先台車の釣合梁・第四動輪下部からは制動軸及び制動引棒

と床面との高さが無く(長年の落ち葉等の堆積)進入は不可能でした。また進入できてもD51型は缶胴被下部には送油管が2本配置されており、腕を使う空間ペ

ースが極端に狭いため諦めて可能な限りの手延べ棒での作業となりました。夕刻には運転室を除き右側面・前面の黒塗り塗装がほぼ完了の状態になりました。

明日は天候も晴れの予定なので良い結果が予想できます。

* 2016/10/9余談
 本日は天候にも恵まれ作業も捗りましたので、これまでの苦労をそして今後の活動を祈念して「慰労会」が行われました。「D51きれいプロジェクト」メンバーを

始め今回の整備に参加した各地の整備メンバーを含め総勢37名がが顔を揃えました。会は順調に整備が進み明日を残すのみとなりましたので、皆さん最初か

ら笑顔で準備の事から苦労した事等ここに至る種々の話題がそこそこで始まり、整備メンバーの遠隔地からの自己紹介やプロジェクトメンバーの自己紹介へと進

み、時の過ぎるのを忘れ愉快で有意義な慰労会となりました。これでD51-18号機は安寧の日々を過ごす事になるでしょう。整備メンバーは宿泊所で石川事務

局長さんが経営される「ときわ湖畔ユースホステル」に席を移し整備に関する種々の話しや情報交換を行いこれまた有意義な時間を送り一日を終えました。

* 2016/10/10 天候は晴れ(快晴)
 本日は整備最終日です。昨日の約束である二日酔いで役に立たない者は「池に放り投げる・!!」
一人も該当せず集合しました。いよいよ最後の整備作業が始

まりました。昨日中尾統括部長が切り取った運転室天井右側面と左側側面の最終パテ塗りを手嶋氏がされ、乾き次第黒本塗り作業が行われ、最後まで残ってい

た運転室天井部も黒塗り態勢が整い、テンダー石炭庫内を始め車体右側面の黒本塗装が一斉に行われました。本日はこの整備が始まって以来の子ども達20人

を含め最終的に80人の参加者が有りました。私は運転室左床下の複雑な大小の銅配管の磨き出しと、同右床下の銅管とコンプレッサー周囲の銅細管・調圧器

の再磨出しを行いました。コンプレッサーのプレートにはN0-240の刻印と47-2-9の最終点検表記がありました。また調圧器には広工NO-615の刻印が

ありました。15時過ぎにはテンダー石炭庫内の一部を除き(錆止め剤未塗装)機体本体の大半の黒塗りが終わり、中尾統括部長がガンスプレーで錆止め剤残存

部位の潰し作業を行い、最後に覆われていたロッド等の覆いが除去され布で奇麗に拭きとり作業が行われ、16時30分には予定していた作業行程を終了しました。

最後に撮影した完成記念写真には全員が笑顔で映っており今回の整備が大成功で有った事を表しています。

* 「D5118きれいプロジェクト」に参加して
 今回のプロジェクトは大成功でした。その大きな要素は当初の「恩田地区こども委員会」からの提言が地域を巻き込みプロジェクトに発展した事にあると思いま

す。そして中尾統括部長さんの周到な準備や石川事務局長さんの手腕による広範囲への働きかけが合体し、大きな渦を巻き起こしたと考えられます。厚狭のD5

1-300の場合はもちろん地域の御協力はありましたが、整備の主力はやはり全国の整備メンバーが300の解体の危機を防ぐために「よし!何とかしなくては」と

の思いで各地から15名のメンバーが集結し整備に当たりました。もちろん地元厚狭小学校の5年生を中心とした小学生が参加し金槌でのケレン作業や塗装を手

伝ってくれた事も特異なケースです。この整備ケースは全国的にも珍しい形態であり、我々整備メンバーとしても整備の歴史に記録と記憶に残る活動で有ったと自

負しております。

 今回の活動はこれを上回ったケースと言えます。プロジェクトメンバーは元より、子供委員会の小学生の皆さんや保護者の方々・宇部市民の方々・報道により知

り駆け付けてくれた下関の小学生・当日「ときわ公園」に来場された親子連れの飛び入り参加等が今回の象徴であり、最終日には80名の参加者がありました。現

役のJR職員の方々の応援もありました。石川事務局長さんによりますと、整備に参加した人員の延べ人数は408人を上るそうで、見学に来られた方はカウントで

きない程になります。我々整備メンバーの参加協力が今回もありましたが、こんなに多くの地域の方々の参加を得て整備が行われたのは私も驚きであり、二年前

に私も参加して広島県三次市で行っていた48650号機整備(現在整備は再開されているようですが)とは根本的に最初から何かが異なっております。整備者と地

域が一体となった整備が最も望ましい形と思います。今回は整備に参加させて頂き気持ちよく活動ができました。今回の「D51きれいプロジェクト」は更により望ま

しい整備歴史のページを開く事になり記録と記憶に残る整備活動であったと確信いたします。

 今回の整備に大きく寄与していたのが300メンバーであった入江・村上・岡崎・村野氏等が整備行程で時間を費やす、動輪やロッド等の足回りをプロジェクトメン

バーと共に事前にケレン・磨き出しをされていた事に尽きると思います。本機との子供頃の記憶が残る村野氏にとっては感慨深い日々であったと思われます。同じ

整備メンバーとして彼らに万雷の拍手を送りたいと思います。本当にお疲れさまでした。

 私は参加するものの殆ど細部のケレンに終始し、機材は持参したものの錆止め塗布・本黒塗装は皆さんにお任せしてしまい、一度も参加する事無く、大してお役

に立てなかったと反省するばかりです。ただ子どもたちに持参したボイラーやピストン部の模型を使い、機関車の走る仕組みを4回程説明する機会を得た事は良

かったかなと思っております。

 D5118に関しては来る11/27(日曜日)16時より、完成お披露目会を予定しております。そのためにまだ整備途中の運転室内の整備は続行されます。300の

時は私は内子町のC12231を整備中でしたので、その完成を見届ける事が出来ず残念でしたが、今回はD5118の完成を見届けたいと思いますので、時間を見

つけて今後も運転室内の整備に御協力したいと思っております。皆様方も是非完成した18号機の機体をご覧になって頂きたいと思います。前灯・後灯・尾灯の点

灯、運転室内の諸計器類の状況、火室内の様子、そして汽笛も鳴らす事を予定しております。お越しをお待ちいたしております。
                                                             2016/10/11 愛媛のkaze(大山)


* D5118号機の刻印を年号順に並べてみました。まだ運転室内の諸計器類の確認ができておりませんが、確認でき次第追加したいと思います。整備メンバー

から私の刻印のこだわりについて、整備とは直接関係無いじゃないかとも言われるのですが、私は機関車個体の歴史を別の角度から証明できたらと思っています。

 もちろん車歴表で確認はできますが、その機関車を整備された当時の国鉄各工場で日々の点検や中間検査・定期検査・修理等で御苦労され活躍された整備士

の方々の一端が刻印に表されていると考えております。また車歴表とは異なった事実も出て参ります。既に廃車になった別の機関車の部品を引き継ぎ更に走り続

け、幸運にも静態保存された各SLたちには、その歴史が刻まれています。それを発見し明らかにする事も整備の一環と考えております。

                             D51-18号機 年号順刻印一覧表

年号・刻印 部      位 配属機関区等 管轄工場
シ10-10  1935 E547321 シ10-10 住 左 第二動輪・輪心 製造前 住友
シ10-10  E54700T シ10-10 住友ロゴ 左 第四動輪・輪心 製造前 住友
シ12-10  1937 シ12-10 自動連結器胴ナックルピン横 長町 郡山
シ13-8   1938 シ13  8  HM 左 メインロッド 長町 郡山
シ14-12  1939 222B シ14-12 左 第一動輪・輪心 長町 郡山
シ26-3   1946 シ26-3 住友ロゴ ワ N 1622TW テ左 第四従輪タイヤ タイヤ厚2.7cm  門司 小倉
シ29-8   1954 12 TE285A シ29-8 テ左 第三従輪・軸ツバ 門司 小倉
シ31-3   1956 シ31-3(HS)33 70T 右 第一動輪・軸ツバ 門司 小倉
シ31-? シ31?? 56E1?? 後部自動連結器 ナックル上面 門司 小倉
シ34-5   1959 R D51 18 K.K 34.5 右 合併テコ 門司 小倉
シ36-3   1961 シ36-3 自動連結器胴ナックル上部 門司 小倉
シ38-1   1963 住友ロゴ A323 シ38-1 TW テ左 第二従輪タイヤ タイヤ厚4.8cm  出水 鹿児島
シ38-2 住友ロゴ R25231 シ38-2 TW テ右 第二従輪タイヤ タイヤ厚4.8cm 出水 鹿児島
シ38-10 シ38-10 63E429 後部自動連結器 胴上面 出水 鹿児島
シ39-10  1964 製造年月 39 1 運転室 発電機切換えスイッチ 出水 鹿児島
シ39-2 昭和39年2月製造 運転室 車内警報確認押ボタン 出水 鹿児島
シ39-3 昭和39年3月製造 運転室 車内警報表示器 出水 鹿児島
シ39-4   O18?KK38-12 KG39-4 KG43? 右 先輪担バネ鞍 門司?・出水 小倉・鹿児島
シ39-4   昭和39年4月製造 テンダー下部S型車上子接続箱 出水 鹿児島
シ39-5 12 14422-2 シ39-5 テ左 第四従輪・軸ツバ 出水 鹿児島
シ39-5 昭和39年5月製造 運転室 車内警報器 出水 鹿児島
シ39-7 シ39-7 HM 1178 テ右 第四従輪・軸ツバ 出水 鹿児島
シ39-8 シ39-8 テ右 第一従輪・軸ツバ 出水 鹿児島
シ39-10 昭和39年10月製造月 テンダー下部ATS車上子接続箱 出水 鹿児島
シ40-2   1965 シ40-2 112 551-9 テ右 第二従輪・軸ツバ 出水 鹿児島
シ40-8 シ40-8 20464 テ左 第二従輪・軸ツバ 出水 鹿児島
シ41-9-13 1966 左 コンプレッサー 出水 鹿児島
シ41-10-13  右 給水ポンプ 出水 鹿児島
シ42-1-16 右 給水ポンプ 出水 鹿児島
シ42-1   1967 住ロゴ W1194 シ41-10 TW KGシ42-1 テ右 第三従輪タイヤ タイヤ厚4.0cm  吉松 鹿児島
シ42-4 W61095 シ41-10 TW KGシ42-4 テ左 第三従輪タイヤ タイヤ厚4.0cm  吉松 鹿児島
シ42-12 W72099 D シ42-10 T124 KGシ42-12 左 第二動輪タイヤ タイヤ厚4.2cm  吉松 鹿児島
シ42-12 W72099 D シ42-10 T124 KGシ42-12 右 第二動輪タイヤ タイヤ厚4.2cm 吉松 鹿児島
シ42-12 ロゴ W71981 D シ42-10 T124KGシ42-12 左 第四動輪タイヤ タイヤ厚4.0cm  吉松 鹿児島
シ42-12 ロゴ W72099 D シ42-10 T124KGシ42-12 右 第四動輪タイヤ タイヤ厚4.0cm 吉松 鹿児島
シ43-6-30 1968 左 コンプレッサー 吉松 鹿児島
シ43-9    O260 KK37-8 KG43-9 左 先輪担バネ鞍 門司?・熊本 小倉・鹿児島
シ43-9 NN43.4 D51 42.3 04.1 43.9KG 右 メインロッド 吉松 鹿児島
シ44-1   1969 製造年月 44 1 運転室 警報器 吉松 鹿児島
シ44-1   昭和44年1月 運転室 制動筒イカムスイッチ 吉松 鹿児島
シ44-2-7 右 給水ポンプ 吉松 鹿児島
シ44-3   W82071 D シ43-8 T124 HSシ44-3 左 第一動輪タイヤ タイヤ厚4.3cm  吉松・厚狭? 鹿児島・広島?
シ44-3 住ロゴ W82071 D シ43-8 HS シ44-3 右 第一動輪タイヤ タイヤ厚4.2cm 吉松・厚狭? 鹿児島・広島?
シ44-3 W83021 D シ43-8 T124 HSシ44-3 左 第三動輪タイヤ タイヤ厚4.0cm  吉松・厚狭? 鹿児島・広島?
シ44-3 W32068 シ43-8 T331 HS44-3 右 第三動輪タイヤ タイヤ厚4.0cm 吉松・厚狭? 鹿児島・広島?
シ44-7-9 左 コンプレッサー 吉松・厚狭? 鹿児島・広島?
シ45-3-3 右 給水ポンプ 吉松・厚狭? 鹿児島・広島?
シ45-7-30 1970 右 給水ポンプ 吉松・厚狭? 鹿児島・広島?
シ46-1   1971 W91216 シ44-3 TW HSシ46-1 テ左 第一従輪タイヤ タイヤ厚6.1cm  厚狭 広島
シ46-1 シ44-4 TW HSシ46-1 テ右 第一従輪タイヤ タイヤ厚6.1cm 厚狭 広島
シ46-2 住友ロゴ W91094 シ44-10 HSシ46-2 左 先輪タイヤ タイヤ厚6.1cm  厚狭 広島
シ46-2 住友ロゴ W91946 シ44-3 TW HSシ46-2 右 先輪タイヤ タイヤ厚6.1cm 厚狭 広島
シ46-4-13 右 給水ポンプ 厚狭 広島
シ47-1-13 広工 NO388 47-1-13(最終点検日) 右 給水ポンプ 厚狭 広島
シ47-2-9 1972 広工 NO240 47-2-9(最終点検日) 左 コンプレッサー 厚狭 広島

 今回の整備で一応確認できた範囲で有り、台枠内部や細部にはまだまだ刻印は残されていると思います。車歴表の移動記載日と刻印とで疑問点も見られま

す。シ37-11-5には熊本機関区に移動と車歴表には記載されておりますが、先輪右の担バネ鞍には
KK38-12とあり、左はKK37-8との相違点は何故

なのか?熊本機関区に移動したものの小倉工場で整備検査を受けたのでしょうか。また厚狭機関区への移動はシ45-10-14と記載されておりますが、左右

の第一・第三動輪タイヤにはシ44-3の刻印が明確に残っており、日にちを打ち間違える事は考え難く本機の厚狭機関区への移動はシ44年3月の可能性も充

分考えられると思われます。

 さらに大発見は左第二・第四動輪の輪心にはシ10年の打刻があり、製造以来ずっと稼動してきた最古参の部品である事が判明し、本当に御苦労様と声を掛け

てやりたいものです。                                                                2016/10/16

                            次回は運転室内の整備を紹介できたらと思います。(日時は未定です。)

*2016/10/22 天候 終日小雨
 本日は運転室内の整備を行いました。元々の計画では今回の集中整備ではそこまで手が回らないだろうから、運転室内は次の機会にと云う事でしたが、09/

22に「山口地域鉄道部」の18名の方々が応援に駆け付けて頂きました。そこで、急遽予定を変更し5名程の方に運転室内のケレンと一部磨き出しをして頂きま

した。その後は村上氏を中心に運転室内の整備を継続して行いました。10/10の最終日までに、天井部スライド換気窓の開閉、単弁・自動弁の可動化、焚き口

炉の開閉、私が持参した排水弁コックの取り付け(特に炊き口炉の開閉の為に錆ついたピストン部の分解をしていただきました。)最終日には外側火室天井板・

後板の一部はケレン後錆止め剤塗布の状態でした。作業は中尾氏・村野氏・岡崎氏と私の4名で行いました。岡崎氏が左・私が右・村野氏が後部と分担し天井

板のケレンを行いました。その後私が火室内に入り内部の火格子等の確認をいたしました。

 本機はアーチ管付きレンガアーチであり、左後端が欠落していましたが、その部分は内部に崩落(恐らく下方からの人為的圧力)して残存していました。また、火

室の左右下端には灰が堆積しており、火格子奥部にはガラス化した石炭殻が十数個存在していました。(燃焼済みの石炭殻は私が整備したC57-44号機に次い

で二番目の確認例・三番目は愛媛県八幡浜市に79642号機となります)

*2016/10/23 天候 曇り後時々晴れ
 本日は昨日に引き続き運転室内のケレンと砲金部や銅細管の第一次磨き出しを行いました。作業は中尾氏・岡崎氏・。私の3名が行いました。一応天井板の

ケレンを終了し運転席周りのATS警報器・配電盤等、蒸気箱の各バルブ等のケレン・磨き出しを行いました。各表示プレートの年号等については刻印・年号順

刻印一覧表に追加しました。

                     * 次回も運転室内の整備について紹介したいと思います。 2016/10/24
* 2016/11/01
 テンダー尾灯の製作を試みています。大阪・堺市の竹内氏が現場に再来された際に、本機の尾灯に使えないかとDDの赤色尾灯2個を提供していただきました。

先ず、穴に差し込めないかと10/22に本体の切断を試みましたが、テンダー取り付け部穴の直径が16cmと16.2cmであり、切断箇所で直径に合わせると本

体を2cm削らなくてはならず、サンダーではとても均一に削る事は難しくガラスを外して応用する事にしました。テンダー本体に貼り付けとネジ止めして違和感の

無い範囲で装着出来ないかと挑戦してみました。

 先ず、アルミ合板で外径19cm・内径16.5cmの円形板にくり抜き、円形赤ガラスを貼り付け自作した止め金で固定し本体を作成、次に小型LEDのマウントを

深さに合わせて、縦置き・横置き両方の木製基盤を作成しました。軽い材質ですので接着で取り付け可能かと思います。

 本機テンダー後部には標識灯(懸架方式)と本体くり抜き型の丸型尾灯による二系統の赤色表示装置があります。本来は解放テコ上部・左右のL型懸架装置

に標識灯を差しこみます。L型懸架を上下に二段配置している場合や3個の場合もあります。また丸型尾灯だけの場合もあります。全国に静態保存されている

173両(現在は169両)D51型蒸気機関車のテンダーにもその形態が見られます。

 173両の中で二系統の表示装着を持つのは8・10・18・45・51・103・170・176・194・206・222・225・244・405・469・481・485・488・541・

592・714・1032・1142の各機です。保存機のみのデータですからその信憑性は?ですが、51・469・481は広島以東ですが、103・194・405・592は

厚狭機関区を含め広島工場管轄下の機関区に所属、それ以外は全て小倉・鹿児島工場管轄下の機関区に所属しており、16/23(69%)から二系統表示装着

は九州型と言えるのでは無いでしょうか。同じように9660型機にも共通的に見られます。また、243・300・385・395・453・470・720・768・813に見られ

る尾灯形式の共通点は1967年代に中国地方西部の各機関区に所属しており、尾灯形式は広島工場での造作と考えられます。ちなみに写真資料は機体前面を

撮した写真が大半であり、テンダー後部を撮影したものは限られているが、D51型17枚・9600型28枚・C11型30枚の尾灯・懸架型の写真・映像資料が見られ

、いずれも九州在籍機である。

     D51静態保存機・テンダー尾灯比較対照表
(標識灯・懸架は実際に装着している。)

番号 形態 形態 番号 形態 形態 番号 形態 形態
1 懸架 272 懸架 688 丸型 特種
2 丸型 特種 286 懸架 691 懸架
6 懸架 296 懸架 714 懸架 尾灯*解体
8 懸架 尾灯 297 懸架 718 標識灯・懸架
10 懸架 尾灯 300 尾灯 720 尾灯
11 懸架 303 懸架・丸型 724 丸型 特種
14 懸架 311 標識灯・懸架 735 標識灯・懸架
18 懸架 尾灯 312 懸架 737 丸型 特種
25 懸架 上下ダブル 320 標識灯・懸架 745 標識灯・懸架
47 懸架 333 懸架 762 標識灯・懸架
51 懸架 尾灯 337 懸架 764 丸型 特種*解体
59 標識灯・懸架 345 懸架 768 尾灯
66 標識灯・懸架 上下ダブル 349 懸架 769 懸架
68 不明 351 標識灯・懸架 774 懸架
70 懸架 370 懸架 775 懸架
75 懸架・丸型 385 尾灯 777 懸架
86 懸架 395 尾灯 787 懸架
89 標識灯・懸架 397 懸架 792 懸架
95 懸架 398 懸架 793 懸架
96 不明 401 標識灯・懸架 813 尾灯
101 懸架 402 懸架 822 懸架
103 懸架 尾灯 403 標識灯・懸架 823 懸架
113 懸架 405 懸架 尾灯 824 懸架
118 懸架 408 懸架 827 懸架
125 懸架? 409 懸架 828 懸架
140 標識灯・懸架 422 懸架 831 懸架
146 懸架 428 懸架 837 懸架
155 懸架 444 懸架 838 標識灯・懸架
157 懸架 *解体 451 懸架 842 懸架
158 懸架・丸型 452 懸架 849 懸架
159 懸架 453 尾灯 853 懸架
165 懸架 469 懸架 尾灯 859 懸架
170 懸架 尾灯 470 尾灯 860 懸架
172 懸架 481 懸架 尾灯 862 懸架
176 懸架 尾灯 483 懸架 882 懸架
187 不明 485 懸架 尾灯 885 懸架
194 懸架 尾灯 486 懸架 889 懸架 尾灯
195 懸架 488 懸架 尾灯 892 懸架
200 標識灯・懸架 498 標識灯・懸架 赤反射板 895 懸架
201 懸架 499 懸架 916 懸架
206 懸架 尾灯 502 尾灯1 懸架2 917 懸架
209 懸架 512 懸架 921 標識灯・懸架
211 懸架 513 懸架 923 懸架
222 懸架 尾灯 515 懸架 930 標識灯・懸架
225 懸架 尾灯 516 懸架 943 懸架
231 懸架 522 懸架 946 懸架
232 懸架 上下ダブル 541 懸架 尾灯 947 懸架
237 懸架 549 標識灯・懸架 953 懸架
238 標識灯・懸架 560 尾灯1 懸架2 954 標識灯・懸架
243 尾灯 561 懸架 1001 標識灯・懸架
244 懸架 尾灯 565 懸架 1032 懸架 尾灯
245 懸架 566 懸架 1052 懸架
254 懸架 592 懸架 尾灯 1072 懸架
260 不明 607 懸架 1085 標識灯・懸架
264 標識灯・懸架 上下ダブル 609 懸架 1108 懸架 上下ダブル
266 標識灯・懸架 620 懸架 *解体 1119 懸架
270 懸架 663 懸架 1142 懸架 尾灯
684 懸架 1149 懸架

       D51・写真資料によるテンダー尾灯比較対照表

番号 形態 形態 番号 形態 形態 番号 形態 形態
42 懸架 尾灯 397 標識灯・懸架 774 標識灯・懸架
45 懸架 尾灯 400 標識灯・懸架 783 懸架 尾灯
70 標識灯・懸架 409 標識灯・懸架 785 標識灯・懸架
87 標識灯・懸架 懸架3個 451 標識灯・懸架 790 懸架 尾灯
93 懸架 尾灯 489 標識灯・懸架 懸架3個 798 尾灯
96 標識灯・懸架 492 標識灯・懸架 831 標識灯・懸架
110 標識灯・懸架 507 標識灯・懸架 834 懸架 尾灯
154 標識灯・懸架 565 標識灯・懸架 849 標識灯・懸架
185 標識灯・懸架 571 標識灯・懸架 864 標識灯・懸架
193 標識灯・懸架 575 標識灯・懸架 875 懸架 尾灯
207 懸架 尾灯 589 懸架 尾灯 880 懸架 尾灯
215 懸架 尾灯 599 標識灯・懸架 918 懸架 尾灯
234 標識灯・懸架 631 標識灯・懸架 938 標識灯・懸架 懸架3個
239 尾灯 641 標識灯・懸架 949 懸架 尾灯
312 標識灯・懸架 700 標識灯・懸架 1005 標識灯・懸架
333 標識灯・懸架 707 標識灯・懸架 1061 標識灯・懸架
373 標識灯・懸架 708 標識灯・懸架 上下ダブル 1062 懸架 尾灯
374 標識灯・懸架 744 標識灯・懸架 1065 標識灯・懸架
375 懸架 尾灯 755 標識灯・懸架 1141 懸架 尾灯
382 懸架 尾灯 770 標識灯・懸架 1153 標識灯・懸架


* 2016/11/03~06では、テンダー尾灯取り付け・火室内整備と照明装置・運転室内磨き出しと照明装置・各計器類や操作系統機器の表示等の整備作業

を行う予定です。                                                                   2016/11/01


* 2016/11/03 天候 晴れ
 早朝に現場に到着、朝日の射す薄青空に宇部石炭記念館の展望タワーが輝き、本機の先頭部に晩秋の日差しが当たる中常盤湖畔をしばらく散歩しました。

本日の作業は中尾・村野・小倉各氏と私の4名でした。村野氏は運転室天井部の塗装、小倉氏は汽笛の整備、中尾氏は全体の後片づけを中心に作業が展開さ

れました。これに先立ち、10/23以降に中尾・岡崎両氏により、運転室内の警報器等のカバーや配管・銅管・給水ポンプ圧力計等が取り外され事前に塗装・磨

き出しがされ、室内整備がし易い状態にして頂いていました。

 私は製作した尾灯マウントを取り付ける為に穴下部に木材を当てマウントを強力な接着剤で固定しました。次に仮配線を行い、ドリル穿孔と接着剤で本体を固

定しました。次に火室内の清掃を行い小さなゴミ除去し、アーチ式耐火煉瓦奥部の確認をした後火格子の左右に杭を打ち込み20W棒状蛍光灯照明装置を取り

付けました。また残存していた石炭殻を集め表示をしました。最後に運転室後面の左右に連結したLED40W相当の照明を取り付け本日の作業は終了しましたた

が、日没が早くなり照明無しでは作業が出来ない状態になりました。

* 2016/11/04 天候 晴れ時々曇り
 本日の作業者は中尾・岡崎氏・私の3名でした。岡崎氏は取り外していた警報器や配電盤ボックス・給水ポンプ圧力計等の取り付け作業を、私は終日運転室内

の塗装及び磨き出し作業に終始しました。
* 2016/11/05
 本日の作業者は岡崎・小倉・私の3名でしたが、昼から米田君が参加し取り外した計器類の塗装をしていただきました。本日も引き続き運転室内の整備(各計

器類の仮取り付け)と磨き出し作業を行いました。電機配線を依頼していた業者の方が来られ、前灯・後灯・尾灯の一元配線が完了しテンダー右の作業用戸袋

内に電源ボックスを置き、全てを集中制御できるようになりました。運転室内と火室内照明も接続の予定です。

 午後には久保田宇部市長さんが散策の途中に本機を見に来られました。

* 2016/11/6 天候 曇り
 本日の作業は者は岡崎氏・私の2名でした。岡崎氏は天井部の塗装と運転室内細部の塗装手直しを私は計器類や操作系統機器の表示を行いました。表示

確認後計器類は再び取り外し11/27に再度取り付ける予定です。当日は午後の4時から「D51きれいにプロジェクト」に参加された方々を中心に完成セレモニ

ーが行われます。完成した本機の姿を是非ご覧頂きたいと思います。当日参加された方には餅やクッキーが配られると伺っております。運転室の左右の窓は中

尾氏が目下製作中で当日にはお披露目される予定です。なお、当日は発電機で対応しますが、将来的には公園内の照明から分岐し100V変換装置で電源を確

保するか、テンダーに100W対応のソーラー発電機セットを設置し対応する方向です。今後もより良い環境で本機が地域の発展に寄与する事と確信しております。

  私が持参したLP402後灯も安住の地を得て、D51-18号機の未来を前灯と共に明るく照らしているかに思えます。これで、D51-18号機に関する私の整

備の役割は終えさせて頂きます。ご覧いただき有り難うございました。本機の整備の事が宇部市民の方々や機関車整備を希望されます皆様にお役に立てれば幸

いに存じます。11/27のセレモニーへの参加は未定ですが、参加できましたらその様子はお知らせしたいと思います。 2016/11/07 愛媛のKAZE 大山

* 2016/11/27
  完成セレモニー前日までに中尾統括部長・岡崎氏・プロジェクトメンバーにより、機体下部の線路内に堆積していた枯葉や土砂、ケレン整備で生じた塗料片等

がきれいに清掃されていました。その作業にも小学生が終日参加していたようです。コンクリート製の枕木と敷かれた砂利が露出し保存当初の状態に戻されまし

た。

 完成セレモニー当日ですが朝からあいにくの小雨模様でしたが、午後には天候回復が期待され式は予定通り開会されました。それに先立ち中尾・岡崎両氏と

私で、諸計器類の取り付け銅配管の固定、表示類の最終掲示を行いました。本日までに中尾統括部長が左右の窓を製作されガラスの入った光景はやはり絵に

なりまた。火室外底部が赤色に塗られこれも一段と際立ちました。ブレーキ筒の銘板が磨き出されましたがHS・部品番号のみで年代の表記はありませんでした。

 運転室内に全検・中間検査表入れがありますが、もちろん整備表は失われております。全国的にも静態保存機に各検査表が残存する事は無かったのですが、

2013/5に愛知県あま市のD51-827号機の簡易整備をした時に機関車検査表が存在しており、下にボイラー検査表がさらに隠れており驚愕した覚えがあり

ます。おそらく唯一残存する検査表と思われます。その書式を拝借し本機用の検査表を作成してみました。年・月の判断はコンプレッサー・給水ポンプは蒸気機関

車の基幹部位であり、必ず中間検査(2年)・全般検査(4年)で点検されています。両者ともHS(広島工場の)最終点検年月日が残っており、それより遡る検査日

も判明しております。それに主要な部位(メインロッド)等の検査日・検査日が集中している各部位の刻印をランダムに組み合わせて、2年・4年の範疇で年月を想

定しました。日は任意に選択しております。想像で作成した検査表で、工場長の押印も当然ありませんが設定した年は合致するかと思います。参考品として提示し

ております。

D5118号       蒸気機関車検査表
全 般 検 査      昭和39年 8月 20日    鹿児島工場
ボイラ水圧検査 14.0kg/
最高使用圧力 15.0kg/㎠
検 査 施 行 検  査  種  別  施 行・箇 所
昭和39年  8月 20日 全般検査(A) 鹿児島工場
昭和40年  8月 23日          中間検査(B) 鹿児島工場
昭和42年 12月 23日 全般検査(A) 鹿児島工場
昭和43年  9月 28日          中間検査(B) 鹿児島工場
昭和45年  7月 30日 全般検査(A) 広島工場
昭和46年  4月 13日          中間検査(B) 広島工場

 さてPM4時から完成セレモニーが開会されましたが、小雨にも関わらず朝から数十人の訪問があり私も20数名の小学生グループに機関車について説明を急

遽いたしました。雨も止み多くの方々を迎え開会されました。見覚えのある小学生が沢山参加していました。顔をまっくろにしたK君の顔を思いだしました。実行委

員長の挨拶に始まり、JR関係各位の紹介と進み我々ボランティア整備メンバーも紹介されました。そして整備に参加してくれた恩田小学校6年生の伊藤君の挨拶

では「きれいになったデコイチを見てほしい、これからも見守りたい」と心強い言葉がありました。その後汽笛がならされ、続いて中尾統括部長や私の作業及び機

関車の簡単な説明を行い、最後に最後まで熱心に整備作業を続けられた岡崎整備担当が思いを込めて、前灯・後灯・尾灯・室内灯・火室灯の点灯ボタンを押し開

会行事を終え、80名を越す出席者は機関車の周囲・運転室内を見学、前灯や機体を背景に記念撮影、プロジェクトメンバーが用意された赤白餅と機関車型クッ

キーが配布されました。きれいになった本機の周囲は驚きと笑顔で溢れそこかしこでこの整備の結果が評価されており、我々整備メンバーもほっと安堵の思いで

一杯でした。

 さらに、常盤公園の行事に合わせて機体がライトアップされ夕闇が迫る空を背景に、本機が鮮やかに浮か上がり多くの方が去りがたい様子が伺えました。最後

に「D5118きれいプロジェクト」メンバーが会としての今後の活動の打ち合わせを行い、お開きとなりました。

 今回は「恩田こども委員会」からの発想から渦が巻き起こり様々な団体がこれに協賛・強力をし「藤永」氏の善意の出資金や募金を元に活動計画が立案され、

宇部市教育委員会の御援助もいただき、この整備が成立したという全国的にも希な、価値ある活動であったと評価されます。今後の各地の整備活動の好事例と

なると言えます。今回、私も参加させていただき「なめくじ初期型」の本機の整備はまた一つ学ばさせていただきました。改めて本活動を計画樹立に寄与された村

野氏・統括部長の中尾氏・整備の牽引者であった直方汽車倶楽部の入江・村上両氏、さらに縁の下の力持ちとして細かな御配慮をしていただいた石川事務局長

さん、共に整備に携わっつたボランティア整備メンバー・「D5118きれいにしょうプロジェクト」の皆さん方に感謝の意を表したいと思います。「御苦労さまでした!」

「お疲れ様!」そして「やったね!」・・また、どこかでお会いしましょう。

*2016/11/28
 明けた翌朝は快晴でした。28日付けの山口新聞に完成セレモニ―の記事が掲載されていました。朝日を浴びる機体の撮影をして通いなれた「常盤公園」を後

にしました。そして石川事務局長さんを山口市小郡矢足の「其中庵」に御案内しました。其中庵は私の父大山澄太が敬愛した俳句の上では師匠であり、その人生

としては兄であった自由律俳人「種田山頭火」が一時期住みかとした庵で、現在はきれいに復元され文化遺産として継承されています。

 父は昭和の初期に山頭火の元を何度も訪れ俳句の作風が似ている事から、歳は離れていても旧知の中となり、山頭火の死後「乞食坊主」と揶揄されていた山

頭火を「放浪の俳人」として世に出した人間であります。私も「其中庵」再建後何度か父と訪れていましたが、訪問もこれが最後になるかと思い山頭火と父の足跡

を目に焼き付けてきました。休憩所に庵前の草むらで二人並んで寝ころんで語らっている山頭火と父の写真は、当時の二人の仲をそのまま表しております。石川

事務局長さんも山頭火の魅力を感じられており、父から聞かされている山頭火の話などをしばしお話して、再び宇部へお送りしてしばし歓談して宇部を後にしまし

た。これで私の整備を含めた宇部への旅は終わりを迎えました。

 以後、「D51-18号機」に関する情報が入りましたら、このページで御紹介したいと思います。

* D51-18号機の総括
 D51型」蒸気機関車は1936年~1945年までに1,115両が製造されました。その内で1~85・91~100までが初期型と称され、煙突から蒸気溜までを覆

って流線化したいわゆる「なめくじ型」として知られます。大量に生産され四国以外の(土讃線は一時期運用例)幹線を貨物牽引機関車として運用されました。廃

車後169両が現在も全国各地に静態保存されており、内2両は動態保存です。

 初期型のD51型で静態保存されているのは、1・2・6・8・10・11・14・18・25・47・51・59・66・68・70・75・95・96の各機18両で、ここでは本機以外の

17両を現状比較対象として記述してみます。

                        
                        D51初期型保存状態比較表

D51- 1 保存場所 京都市下京区 「京都鉄道博物館」 旧「梅小路蒸気機関車館」名称変更
保存状態 ロッドも磨き出されており良好、運転室は整備されて無く立ち入り不可、特別公開無し。
D51- 2 保存場所 岡山県津山市「つやま学びの鉄道館」
保存状態 移転時に部分的再塗装、触れず一般公開も無い。運用面で問題あり、ただ置いてるだけである。
D51- 6 保存場所 北海道旭川市「神居古潭駅」跡
保存状態 触れるが低柵で立ち入り規制、運転室内荒れ気味仕切り立ち入り禁止。塗装の劣化が進んでいる。
D51- 8 保存場所 兵庫県尼崎市「大物公園」
保存状態 高柵で立ち入り規制、ロッドは錆びているが良好。指定日公開・定期的な整備あり。
D51-10 保存場所 大分県行橋市「市民会館」
保存状態 低柵で立ち入り規制。全体的に荒廃気味で腐食・退色が目立つ、解体免れ直方汽車倶楽部へ
D51-11 保存場所 北海道札幌市「農試公園」
保存状態 低柵があるが規制は無い、運転室立ち入り不可、運転室はやや荒廃気味、一般公開日無し。
D51-14 保存場所 千葉県流山市「流山市総合運動公園・体育館横」
保存状態 高柵で立ち入り禁止規制、塗装の劣化が進む、運転室内状況把握不能、公開制度無く放置状態
D51-25 保存場所 兵庫県三田市「はじかみ池公園」
保存状態 低柵で立ち入り規制。ロッド等は磨き出され良好、運転室内立ち入り不可、一般公開日設定無し
D51-47 保存場所 北海道岩見沢市「みなみ公園」              保存整備状態第一位
保存状態 自由に触れ、運転室内も規制なし保存状態良好、静態保存の好例である。市民の意識の高さあり。
D51-51 保存場所 京都市右京区「19世紀記念館」
保存状態 触れるが運転室内は特別申請し許可制。状態は良好だが運転室内バルブ損失が惜しい。
D51-59 保存場所 長野県辰野町「荒神山スポーツ公園」
保存状態 触れるが低柵で立ち入り規制、運転室内は計器類は失われており荒廃気味。
D51-66 保存場所 京都府精華町「川西小学校」  学校内での有り様、教育委員会は学校はPTAは何を思うのか?
保存状態 柵規制で立ち入り禁止、全体的に荒廃し無残な姿を学校内で子供たちに見せている↑
D51-68 保存場所 岩手県雫石町「小岩井農場」かつてはSLホテルとして運用していたが現在は?
保存状態 自由に触れるが、運転室内は仕切りで規制している。保存状態は良好。
D51-70 保存場所 茨城県つくば市「さくら交通公園」            保存整備状態第ニ位
保存状態 自由に運転室内外全て触れ、計器類の損失も無い良好な状態。さすが学園都市マナ―の良さが!
D51-75 保存場所 新潟県上越市「五智交通公園」
保存状態 低柵はあるが自由に入れる状態、運転室内は整備はされて無いが状態は良好。
D51-96 保存場所 群馬県安中市「碓氷峠鉄道文化むら」
保存状態 外は自由に触れる、ロッド等に錆が目立つが塗装は普通、運転室は指定日に一般公開、室内良好

 この表のD51初期型機を位置づけるならば、塗装・ロッドの磨き出しで評価すればD51-1ですが、残念ながら運転室内は未整備で有りさらに入室出来ないと

なれば評価外であり、2号機はさらに評価は低くなります。自由に触れて運天室にも入れて計器類も揃っており、塗装状態もそれなりに保っているとなると茨城県

つくば市「さくら公園」の70号機となります。次は、北海道岩見沢市の47号機でしょうか

 では本機のランクは・・・整備前は低評価でしたが整備後は70号機に次いで高い評価を得ると思われます。しかし70号機は公園が夕刻には遮蔽されセキュリ

ティが完全であるので同一基準にはならないかと、そうすると47号機はオープン公園でセキュリティもありません。それでも現状を保ち地域に愛され、整備も継続

されています。本機は「常盤公園」内ですが計器類は盗まれて無くなっております。今回それらを全て復元しました。今回完成セレモニー時には装着しておりますが

、常時は外して保管しております。ここに70号機との違いが存在するかと、本来は整備をして磨きあげたのですから1位にしたいのですが、やはり整備を続け機関

車を守ってきた岩見沢市民に敬意を表し第一位は47号機にいたします。計器類を装着しても盗まれる事がなければ間違いなく本機18号機がD51初期型では最

も素晴らしい機関車の状態で有ると言えます。今後のメンテナンス整備も含め、宇部市民の皆様方の本機への愛情が変らず続く事を願います。

 次に本機を整備する事により判明した三点お知らせしたいと思います。一つはテンダー(炭水車)の傾きです。僅かながら後方が北側(公園入り口方向・尾灯側)

に下がっております。これは炭水車の台枠の8個(片面4個)の車輪の機関車側が一番車輪の幅が分厚く、次第に減少し、最後部の車輪の厚みは半分ぐらいに減


っています。これは自動車ならタイヤのスリップサインが出ている事で、タイヤ交換をしなければ車検には通りません。しかし、本機の廃車が決まっていたのでその

まま使用していた事が解ります。一番分厚い車輪は昭和46年1月廃車の1年11カ月前に交換しています。

 二つは、本機に残る確認された刻印は一覧表に示しましたが、最初に工場刻印についてですが、本機が最初に配置された長町(仙台)機関区を管轄する郡山工

場(KO)は流石に検出されませんでしたが、その後の転属した門司機関区を管轄する小倉工場(KK)~熊本・出水・吉松機関区を管轄する鹿児島工場(KG)~最

後の厚狭機関区を管轄する広島工場(HS)は各部位に確認され、本機が所属した確証が得られました。一つだけ長町機関区時代のメインロッドに浜松工場(HM

がありました。同所にはシ13の刻印があり、製造後2年であり、汽車製造で取り付けられた可能性も高いと思われます。メインロッドに関しては各地の静態保存機

にはHM・NN(長野工場)の刻印が検出されております。

 三つは他機の刻印がある部品です、機関車は全般・中間検査の時に破損したり不良品を交換しますが、部品は限られています。そこで既に廃車・解体された機

関車の共通部品と入れ替えます。もしくは検査の時に隣のヤード(機関車を整備する場所)に入っていた違う機関車の部品を先に使ってしまう場合もあります。86

20・C11・12・56・57・58・59・61・62・9600・D50・51・52・60も全て共通部品を使っています。そこで今回の整備で確認されたのはD52-370(左右先輪

の軸ツバ)・D51-372(左右の第一動輪)・D51-176(左右・のリターンクランク・D51-217(右従輪軸ツバ)がありました。これらは塗装しないで磨き出しを

していますので探してみてください。特に左右の動輪が他機の動輪を付けて走っていたのは驚きですね、それからD51-176号機は現在も大分県日田市JR日田

駅北側の公園内に静態保存されています。そのリターンクランクに本機のD51-18があれば、まさしく一緒に整備を隣で受けていた事になります。面白いですね、

同じ時期に同じ地域で走っていた機関車との交換が多いのが実態です。D51-176号機以外は廃車・解体されてしまい、存在しません、しかし、本機に交換され

た部品は本機と共に走り続け最後に静態保存されているのです。

 解体された機関車の部品と共に本機はいろいろな思いを(運転していた機関士さん・助士さん、貨物専用の時は何を運んだのでしょうか、時には客車も引っ張っ

たでしょうか、何人乗せたのか、赤ちゃん・子供・中高生・若い男女・お年寄り・人々の嬉しい事も悲しい事も・楽しい会話も・辛い涙も)乗せて、様々なその時代の

人々と、日本の経済発展の基礎となる様々な物資を運んだ本機は歴史の生き証人でもあります。どうか、これからも本機を大切に愛して頂きたい事を最後に願い

、D51-18号機に関わる記載を終了させていただきます。有り難うございました。                       愛媛のKAZE  大山

* 2017/01/29
 2016/11/27の完成セレモニーをもって「51-18をきれいにするプロジェクト」は当初に予定されていた諸活動を、滞りなく見事に終了されました。本当にメ

ンバーの方々がそれぞれの役割を果たされ、一致団結の結果と思います。このような整備保存活動は全国的にも珍しい形態で有り、今後の各地の静態保存機

関車の整備の在り方の指標となるものと確信いたします。

 さて、その後メンバーの方々でこの整備されたD51-18号機を、どのように活用し保存活動を継続するかが協議されました。その結果、新たにD51-18(と

きわ号)保存会を結成され、今後も毎月第四日曜日にメンバーや市民の方々の自由参加で、機関車周辺の清掃や今回の整備では時間不足で未実施の部位の

整備、本機を含めた蒸気機関車の歴史や構造等の勉強会等を行って行く事が決定され、活動が再開されております。宇部市民の方々や近隣市町村を始め、蒸

気機関車に興味・関心のある方の御参加をお待ちしております。私も機会があれば再び訪れたいと思います。

 さて、その整備再開の1月の段階で保存会メンバーの米田直人さんから、大発見の報告がされております。それはC57-82号の刻印の発見です。整備終

了まじかに私は機体本体下部への進入を試みました。勿論整備が主目的ですが、機体下部にも隠されている刻印があります。しかし、機体と線路床との間に長

年の落ち葉や土砂が堆積しており、機体下部への潜り込みの経験のある私にも不可能でした。(C57-44・C12-231・48650は機体下部も整備完了)セレモ

ニー時には中尾氏やメンバーが綺麗に除去されておりましたので、今後の整備に期待が持てましたが、私の参加もここ迄であり、今後の保存会の方々の整備活

動に託す事になりました。

 米田さんが機体下部に潜り内部を視認しましたところ、予想通り内部は錆に覆われ静態保存時のままで残されておりました。そして第三動輪の軸箱守控にC57

-82の
刻印が認められたという事です。以下の写真は米田さんから送付された写真を許可を頂き、転載いたしました。また刻印は第一~第三動輪の左右同所に

も存在するという大発見であり、さらに写真を送付していただいて追加転載させて頂きます。刻印デ―タにも追記いたします。

 C57-82号機は1955鳥栖~1957大分~1967~鹿児島に在籍し、1972に鹿児島機関区で廃車になっております。本機は1962熊本~1963出水~19

66年吉松機関区に在籍し1970年に厚狭機関区に転出しております。同機は1968/04に鹿児島工場で全検を受けておりますので、この時に同機から本機へと

転用された可能性が大であると言えます。いずれにしろ6箇所の確認は本機整備上の刻印確認では最大の発見と言えます。改めて発見して頂いた米田さんに感謝

です。

* 2017/01/31
 D51-18(ときわ号)保存会メンバーの米田さんに、発見されたC5782の刻印の撮影をお願いしましたら早速再度機体下部に潜り込んで撮影をして頂き写真

を転送して頂きましたので、全て紹介したいと思います。鮮明な内部写真を見る限り、動輪車軸は常時回転していた訳であり、錆はありますが油煙の混じる粉塵の

付着はさほどは有りませんでしたが、左右とも軸箱や軸箱守控等には分厚い(推定1cm近く)油煙を含む粘りの強い固形粉塵が付着している事が認められます。

部分的にケレンして頂き刻印を再確認して頂きました。

 間違いなく、第一~第三動輪の左右軸箱守控にC5782の刻印が認められました。さらに特筆すべき事は第一動輪右軸箱守控のさらに下部位にLD36836の

部品番号?とD51124の打ち出し刻印が認められました。D51-124号機は1938年に東京局管内で供用されていますが、配属機関区に関しては記載が無く

判然しません。18号機は1936年に長町(仙台)機関区に配属されており1946年には下関機関区に異動しておりますので、明確な接点を伺う事はできません。

本機が下関機関区に配属されるまでの10年間に124号機が宇都宮機関区等に配属されており、全検のヤードの関係で郡山工場で検査を受けていたとするなら

ば、転用の可能性を否定はできないと思われますが、124号機からの転用の経緯は不詳です。

 今後も18号機の機体下部のケレン・整備が行われば他にも刻印は確認されると思われます。C5744号機もそうでしたが、機体下部は油煙で凝固した固い粉

塵が付着しており、ジェットタガネでも除去出来ず、金槌と鑿で叩き割る手作業でしたので、今後かなり時間を費やす事になるかと思いますが、今後の整備に期待

したいと思います。米田さんには今後も整備に関しては連絡をいただくようお願いしてありますので、今後も紹介をさせていただく予定です。


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