C57型蒸気機関車 1937~1946の間に201両製造 全国に31両保存 全機を紹介します。

主要諸元

 全長 20.28m 全高 3.94m 総重量 115.5t 水槽 12㎥ 石炭庫 17.t 先・従輪径 860mm 動輪径 1750mm

 最大出力 1.290ps 最高速度 110km/h

 製造所 川崎重工兵庫工場・汽車製造大阪工場・日立製作所笠戸工場・三菱重工業神戸造船所


C57-1号機  場所 京都府京都市下京区 京都鉄道博物館車館(JR小郡車両所常駐)

車暦 1937川崎車輌 1937水戸~1939宇都宮~1949千葉~1954新津~1972梅小路~動態保存 1979~SL山口号運転開始~

状態 塗装は良好 清缶剤挿入装置? 外装諸装備良好 運転室内諸計器類完備 動態保存で最良の状態で整備されており、毎年5~11月の間、山口線でSL山口

    号として活躍 期間中は小郡の車輌所に駐機 運転終了後点検整備のため梅小路に戻る。 2018からはD51-200号機運用されるので状況は?                     (下り 仁保駅 撮影日2007/5/19)

                   (上り 篠目駅 撮影日2007/05/19)                 (上り 篠目駅 撮影日2007/05/19)

                    (上り 地福駅 撮影日2007/07/28)                 (津和野駅転車台 撮影日2007/07/28)

                               (下り 篠目駅 上り地福駅・徳佐駅   撮影日2008/08/23・24)

                               C57・C56重連(上り篠目・徳佐 下り篠目 撮影日 2010/08/08

C57・C56重連

    
篠目駅(下り) 2010/08/08撮影            地福駅(下り) 2008/08/23撮影            徳佐駅(下り) 2010/08/08撮影

  
篠目駅(上り)2010/08/23撮影             篠目駅(上り)2010/08/08撮影


* 久しぶりに津和野駅等で刻印を中心に撮影しましたが、動態運転をしているのでばい煙や油膜が付着していて鮮明に刻印を撮影出来ない箇所と、時

間が数分なため動輪の刻印の確認は出来ませんでしたが、先輪は左右第一・第二とも
C5716の刻印がありました。C57-16号機は1968年に名古屋

機関区で廃車になっており転用の経緯は不詳である。その他の刻印は確認できた範囲では本機のものでした。梅小路に戻った時かシーズン初めに撮影

を試みたいと思います。                                                      撮影日 2010/08/08

* 新年に入り梅小路に戻っている本機を撮影に出かけましたが、ご覧のようにテンダーと分離され点検修理中でした。刻印の撮影は出来ませんでし

たが、運転室内を撮影できましたので掲載します。またの機会を待ちます。                      撮影日 2011/01/15

*本年度の「SL北びわこ号」運転に合わせて梅小路や北陸本線の虎姫駅~河毛駅へ出かけました。NHKの大河ドラマの関係か「江・浅井三姉妹博覧会」

のプレートを付けた本機が疾走していました。残雪の中を走るC57機も味わい深いものがあります。しかしSLに架線はやはり似合わないです。 
                                                       撮影日 2011/02/05・06 02/12・13

  
  
梅小路・「北びわこ号」仕上げ 2011/02/05撮影   北陸本線・河毛駅手前 2011/02/06撮影


* 本機が1955(S30)年当時、新津機関区所属し信越本線・磐越西線で活躍していた僚機にはC57-2・186・188号機も所属していた。同機関区には

8620型機2両・9600型機3両・C51型機9両・D51型機15両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-186号機が

東京都小金井市
で、D51-512・513号機が静態保存されている。

* 本機が1969(S44)年には僚機はC57-18・35・69・84・92・166・167・172・179・180・185・189号機に交代所属していた。またC11-245・

269号機も所属していた。その後各機は転配属・廃車・解体の道をたどったが、本機は山口線で復活運転・180号機は磐越西線で復活運転、189号機

遠く京都府与謝郡与謝野町C11-245号機は神奈川県藤沢市で静態保存されている。


* 1971(S46)年には僚機はC57-19・103・167・181号機に減ったが、9600型機5両・D51型機16両が配属されていた。DL化に伴いその後各機は転

配属、廃車・解体の経過をたどった。C57-19号機は新潟県新潟市で静態保存されており、9646・D51-512・609・1001号機も各地で静態保存さ

れている。


* 本機は1972(S47)年8/27に磐越西線、新津~日出谷間の「さよなら列車」を牽引後、梅小路機関区に移動した。

* 本機に関しましては別掲載の「SL山口号」もご覧ください。







C57-5号機  場所 兵庫県姫路市御立 御立交通公園内


車暦 1937川崎車輌 1937梅小路~1938鷹取~1939宮原~1942姫路~1944金沢~1964福知山~1966梅小路~1971豊岡~1972浜田~1974廃車 

    1975保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備完備 運転室内は柵内のため未確認(上部各圧力計は確認) 足回りもきれいに整備され屋外保存であるが、保存状態は良好

    である。定期的に保存会が整備と公開をされている。     撮影日2007/05/182008/12/13

* 鉄道記念日に合わせた公開日に訪れました。念願の運転室内も撮影できました。室内は各圧力計・水面計・操作系統機器電気系統機器も完全であ

り、窯の内部も大変きれいな状態でした。残念ながら足回りやロッド等は分厚く塗装されており、刻印
の判読可能箇所は僅かでしたが、シリンダー周りは

きれいな状態でした。                                                           撮影日2010/10/11

* 本機が1955(S30)年当時、金沢機関区に所属し北陸本線で活躍していた頃、僚機にはC57-15・16・17・33・34・39・45・46・52・75・76・89・90・94

・95・97・103・113・136・137・143号機も所属していた。同機関区には8620型機5両D50型機2両・D51型機10両・E10型機5両も配属されていた。その後各

機は各地に転配属された。本機以外ではC57-46号機が福島県福島市76号機が広島県三原市95号機が長崎県諫早市で、またD51-222・823号

が静態保存されている。

* 本機が1965(S40)年当時、福知山機関区に所属し山陰本線等で活躍していた頃、僚機のC57-10・11・36・41・58・8587・93・・128・152号機も所属して

いた。同機関区にはC11型機4両・C58型機3両・D51型機15両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外では

C57-11号機が兵庫県豊岡市128号機が滋賀県大津市で静態保存されている。またC11-40号機・C58-56号機・D51-25・499・860・895号機も各

地で静態保存されている。C58-87号機は沖縄県今帰仁村で静態保存されていたが、残念ながら
2005/6に解体された。

* 本機が1971(S46)年当時、梅小路機関区に所属し奈良線等で活躍していた頃、僚機にはC57-15・39・89・127・190号機も所属していた。その後DL化に伴

い本機以外は廃車・解体の経過をたどった。

* 本機は1971(S46)年4/25に山陰本線、京都~園部間の「さよなら列車」、及び翌日の定期列車を牽引したのを最後に休車扱いになり、1974年に廃車となり

1975年に由縁のある当地に保存された。









C57-7号機  場所 和歌山県田辺市湊 会津児童公園内


車暦 1937川崎車輌 1937広島局~1945門司~1957山田~1961伊勢~1964亀山~1970紀伊田辺~1973廃車 1975保存開始

状態 塗装はやや退色 外装諸装備良好 運転室内は長年の粉塵が堆積しているが、右水面計・制動弁を欠くものの、大半の計器類が備わっている。 屋外に

屋根付きで保存されており、保存状態は普通である。 *重油タンク装着                                撮影日2007/11/09

* 何度も分厚い塗装が繰り返されているので確認できた刻印は僅かでした。   撮影日 2011/01/22

* 本機が1955(S30)年当時、門司港機関区に所属し筑豊本線等で活躍していた頃、僚機にはC57-6・8・9・10・11・12・19・60・65・66・109・190号機

も所属していた。同機関区にはC12型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-11号機が兵庫県豊岡市19号機

新潟県新潟市、66号機が東京都大田区で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時紀伊田辺機関区に所属し紀勢本線で活躍していた頃、僚機にはC57-56・61・160号機も所属していた。また同機関区にはC58

型機10両・D51型機6両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後本機以外ではC57-56号機が京都府木津川市160

号機が奈良県生駒郡三郷町
で、またC58-231・D51-158・469・930号機も各地で静態保存されている。
 
* 本機は1972(S47)年/10/14・15に東京南鉄道管理局が企画した「鉄道100年」行事の催しとして東海道本線(汐留~東横浜間)を走行している。さらに、

1973(S48)9/9の紀勢線、和歌山~紀伊田辺間の「さよならSL南紀号」を牽引する栄誉を果たした後、廃車となり現地に静態保存された。さよなら運転のプレー

トを今も付けている。









C57-11号機  場所 兵庫県豊岡市立野町 豊岡市中央公園内

車暦 1937汽車製造 1937小郡~1945門司港~1956米子~1957豊岡~1962福知山~1972廃車・保存開始

状態 塗装は普通だが全体の汚れが目立つ 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備良好 運転室内は速度計・両ブレーキ・シリンダー圧力計欠 ブレーキハン

    ドル欠 他の操作・電気系統機器は良好 屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は普通である。*門鉄デフレクターK7型装着・1954国鉄小倉工場                                                                                            撮影日2007/07/12

* 再訪してみました。相変わらず良好な状態で保存されています。 動輪・ロッド等は何度も分厚く塗装されていますので確認できた刻印は僅かでした。                                                                         撮影日 2010/12/04

* 本機が1955(S30)年当時、門司港機関区に所属し筑豊本線等で活躍していた頃、僚機にはC57-6・7・8・9・10・12・19・60・65・66・109・190号機

も所属していた。同機関区にはC12型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-7号機が和歌山県田辺市19号機

が新潟県新潟市、66号機が東京都大田区
で静態保存されている。

* 本機が1963(S38)年当時、福知山機関区に所属し山陰本線・福知山線で活躍していた頃、僚機としてC57-58・87・93・128の各機も所属していた。その

後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。128号機は滋賀県大津市で静態保存されている。また、87号機は沖縄県今帰仁村で静態保存されていたが、

005/6に残念ながら
解体されてしまった。

* 本機が1971(S46)年当時、豊岡機関区に所属し山陰線で活躍していた頃、僚機にはC57-23・34・46・52・93・94・95113・137・156・189号機も所

属していた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC57-46号機は福島県福島市95号機は長崎県諫早市

、156号機は島根県益田市189号機は京都府与謝郡与謝野町でそれぞれ静態保存されている。本機は豊岡機関区が所在した当地に保存された幸運機で

ある。C57-87号機沖縄県今帰仁村で静態保存されていたが、2005/6に残念ながら
解体された。またC57-128号機も千葉県野田市で静態保存さ

れていたが1996/10に
解体された。








C57-19号機  場所 新潟県新潟市中央区女池 鳥屋野児童公園内(現・新津鉄道資料館)

車暦 1938川崎車輌 1938小郡~1941下関~1949門司港~1956秋田~1962酒田~1971新津~1972 廃車・保存開始

状態 塗装は厚塗り状態 前後プレート欠 左はレプリカ 他の外装諸装備良好 運転室内は速度計・両ブレーキ圧力計・両水面計欠(上部各圧力計は文字

    盤を残す) 操作・電気系統機器は良好 屋外に屋根付きで保存されているが、全体的には荒廃状態である。  撮影日2007/09/16 

* さらに荒廃が進み早急に整備が必要な状況になっています。数か所に刻印が残されていました。撮影日2011/11/2
* 本機はその後新津鉄道資料館への移設が決まり2013/06/19に移設され、その後整備が行われた模様です。 2013/08/12
* 2015/05/02 三次市での48650号機の整備をしておりましたが、西条市の四国鉄道文化館(C57-44)との関係で訪問しました。

* 綺麗に塗装はされておりますが、前塗装を完全に落とさずに上塗りをされているので、刻印はやはり判読が難しい状態には変わらないのと、運転室内

は未整備で制動党筒や逆転ハンドルは取り外され、各圧力計も以前の状態のままで、JR関連施設の蒸気機関車としては今一つ疑問を持たざるを得ない

状況かと思われます。できたら完全な修復を願いたいものです。                                          2015/05/03

* 「コバQ」さんが2017-09に訪問された際の状況です。運転室内もかなり整備されており、解体された長崎市の
C57-100号機の両水面計カバーが本機に

転用されていました。他の100号機の部品はどうなったのでしょうか?鹿児島市の解体された
D51-714号機の際には部品提供を求めましたが、ほんの一部の

みD51-592号機に利用された(未確認)ようですが、整備する上で欠損している各部品を補う事は至難の状態となっており、各解体される機体の部品を一括して

保存する組織がJRの中にあれば非常に心強いのですが・・・・・

* 本機が1955(S30)年当時、門司港機関区に所属し筑豊本線等で活躍していた頃、僚機にはC57-6・7・8・9・10・11・12・60・65・66・109・190号機も所

属していた。同機関区にはC12型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-7号機が和歌山県田辺市11号機が兵庫

県豊岡市
66号機が東京都大田区で静態保存されている。

* 本機が1965(S40)年当時、酒田機関区に所属し奥羽本線・陸羽西線で活躍していた頃、僚機のC57-18・24・35・43・69・81・84・103・107・156・179・

181号機も所属していた。同機関区には9600型機4両・C11型機3両・D51型機22両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-

156号機
島根県益田市で、またD51-101・103・724号機が各地で静態保存されている。


* 本機が1971(S46)年当時、新津機関区に所属し信越本線・磐越西線で活躍していた頃、僚機はC57-1・103・167・181号機も所属していた。9600型機5両

・D51型機16両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外では9646・D51-512・609・1001号機が各

地で静態保存されている。









C57-26号機  場所 埼玉県行田市本丸 行田市役所プール横

車暦 1938川崎車輌 1938名古屋局・・1941浜松~1945宇都宮~1955名古屋~1956伊勢山田~1964亀山~1971廃車 1972保存開始

状態 塗装は普通だが汽笛・安全弁まで黒塗り状態 外装諸装備完備 運転室内諸計器類完備 操作・電気系統機器完備しており良好であるが室内は長年

    の粉塵が堆積している。右プレートはレプリカ? 足回りも整備されており屋外保存であるが保存状態は良好である。撮影日2007/10/18・2010/05/04

* 明確に判別できた本機の刻印は右ビッグエンド油壷の刻印のみでした。 撮影日 2011/09/24

* 本機が1955(S30)年当時、宇都宮機関区に所属し東北本線等で活躍していた頃、僚機にはC57-14・50・59・70・8283・84・85・98・108・138・163号

機も所属していた。同機関区にはC12型機2両・C50型機3両・D51型機18両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-110

号機が和歌山県橋本市
で、D51-469・745・769号機が静態保存されている。

* 本機が1960(S35)年当時、伊勢山田機関区に所属し、参宮線等で活躍していた頃、僚機にはC57-7・98・110・121・145190号機も所属していた。同機関

区にはC11型機4両・C51型機7両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-7号機が和歌山県田辺市で、C51-5号機が埼玉

県大宮鉄道博物館
で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、亀山機関区に所属し、関西本線・参宮線等で活躍していた頃、僚機にはC57-110・121・145146・148・198号機も所属してい

た。また同機関区にはC50型機2両・C58型機3両・D51型機11両も配属されていた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。C57

ー148号機は大阪市西区
で、またC50-154・C58-51・353・D51-718号機も各地で静態保存されている。本機が由縁の薄い当地に保存された経緯は

不詳である
C57-198号機は千葉県君津市で静態保存されていたが、2003/06に残念ながら解体されてしまった。








C57-30号機  場所 静岡県富士市今井3丁目 元吉原小学校

車暦 1938川崎車輌 1938名古屋局・・1941浜松~1945尾久~1949金沢~1955富山~1968名古屋~1969廃車1970保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備・室内良好 メイン・サイドロッドをはじめ主軸や足回りに油が注され、完全な整備を受けた状態であり、

    今にも走り出す感じである。塗装も最近のアクリル塗装では無く、従来のカーボンブラックで塗装されている。2006/10に新駅舎完成と共に機関車も国鉄

    OBの方を中心に整備され、良好な状態で保存されている。各地の学校保存の各機のなかでは最良の状態である。C57では大阪市のC57-148号機

    非 常に美しく整備されているが、本C57-30号機もそれに劣らない状態であり、児童に見守られて余生を送る幸運な機である。撮影日 2008/09/16

* 再訪してみました。相変わらず整備された状態で保存されています。確認できた範囲で刻印は全て本機の番号でした。 撮影日 2011/09/28

* 本機が1955(S30)年当時、富山機関区に所属し北陸本線で活躍していた頃、僚機にはC57-23・144号機も所属していた同機関区には9600型機4両・

C51型機4両・D50型機7両・D51型機12両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-144号機が北海道岩見沢市で、ま

9628・19648号機、D51-86・607号機が静態保存されている。

* 本機が1967(S42)年当時、名古屋機関区に所属し東海道本線・関西本線等で活躍していた頃、僚機にはC57-14・16・3262・80・83・102・139号機も

所属していた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC57-139号機が名古屋市港区JR東海「リニア・鉄道館」で静態保存されて

いる。









C57-44号機  場所 愛媛県西条市朝日町 西条市民公園内(現在は四国鉄道文化館南館)

車暦 1938三菱重工神戸造船所 1938高崎~1943尾久~1947仙台~1958小樽築港~1965室蘭~1969岩見沢~1976廃車・保存開始

状態 塗装は普通 清缶剤挿入装置・後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室は鉄格子遮断 室内の諸計器類はシリンダー・暖房用圧力計欠 両水面計

    ガラス管欠 他は外形文字盤は残しているが、針はすべて欠 室内は長年の粉塵が堆積している 屋外に屋根・プラットホーム付きで保存されているが、

    保存状態は普通である。(*四国にC57型機の配属・走行例は無い)  撮影日2007/05/21・2009/10/29

* 足回りやロッド等は分厚く何度も塗装されているので、刻印の判別は難しく微かに残存している箇所はあるが、明確に識別できるのは左メインロッド

のビッグエンド油ツボと右第一サイドロッドのスモールエンド軸座ツバぐらいである。                 2009/10/29


* 本機に関しては西条市より本機を西条鉄道文化館・南館に移設するに当たり整備依頼があり、私が2013/11/01~2014/07/10の間整備・修

 復をいたしました。その状況は「C57-44号機整備記録1~6」に記載しておりますのでご覧ください。
     2014/07/31

* C57-44号機の特色はテンダーの後部ライトの取り付け位置でしょう。普通はテンダー最後部の中央上端にありますが、本機は石炭庫隔壁後部中央に取り付けら

れています。同様な形態は同型の57・135・144・186の各機にも見られます。テンダー後部には後部灯取り付け金具や配線用シールド管が残っており、国鉄工場での改

装かと考えられます。各機とも北海道で活躍しており、国鉄苗穂工場では無いでしょうか。

* この疑問に対して(やまてつ)さんに問い合わせましたら同様のご教示を得ました。(2008/11/9)

* 本機が1964(S39)年当時、小樽築港機関区に所属し函館本線で活躍していた頃、僚機のC57-3・50・57・64・91・104・118・135・138・142・149・177

・193・194・197・200・201号機も所属していた。また同機関区には9600型機11両・C12型機3両・C62型機6両・D51型機13両も配属されていた。その後各機

は道内各地に転配属された。本機以外ではC57-201号機が北海道旭川市で、C12-6・38・64号機・C62-2・3号機・D51-70・345・483・943号機

各地でそれぞれ静態保存されている。

* 本機が1973(S48)年当時、岩見沢機関区に所属し函館本線・室蘭本線・幌内線・万字線などで活躍していた頃、僚機としてC57-38・57・104・135・144・

149号機も所属していた。1975以降順次廃車となり解体されたが、57号機は東京都世田谷区で、135号機は埼玉県さいたま市鉄道博物館で、144号機は

北海道岩見沢市
で静態保存されている。本機がC57型機の配属・走行例が無く、由縁の薄い当地への保存経緯には当時の十河国鉄総裁の尽力があったと記録に

掲載されている。









C57-46号機  場所 福島県福島市桜木町 児童文化センター

車暦 1938川崎車輌 1938名古屋局・・1941米原~1945金沢~1965豊岡~1972廃車 1973保存開始

状態 塗装は厚塗りでカラフル 外装諸装備・運転室内は速度計・シリンダー・缶圧力計は完備・他の圧力計は文字盤欠 室内良好で各計器・配管毎にカラフル

    に塗られている。屋外に保存されているが、保存状態は良好である。撮影日2007/09/12・2010/05/02

* 本機が1955(S30)年当時、金沢機関区に所属し北陸本線で活躍していた頃、僚機にはC57-5・15・16・17・33・34・39・45・52・75・76・89・90・94・95

・97・103・113・136・137・143号機も所属していた。同機関区には8620型機5両D50型機2両・D51型機10両・E10型機5両も配属されていた。その後各機は

各地に転配属された。本機以外ではC57-5号機が兵庫県姫路市76号機が広島県三原市95号機が長崎県諫早市で、またD51-222・823号機が静

態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、豊岡機関区に所属し山陰本線で活躍していた頃、僚機にはC57-11・23・34・52・93・94・95113・137・156・189号機も所属

していた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後本機以外ではC57-11号機は兵庫県豊岡市95号機は長崎県諫早市

156号機は島根県益田市189号機は京都府与謝郡与謝野町でそれぞれ静態保存されている。C57-93号機は兵庫県朝来市で静態保存されていたが199

8/8
に残念ながら
解体された

* 本機が由縁の薄い当地に保存された経緯は不詳である。







C57-56号機  場所 京都府木津川市加茂町里 加茂小学校裏

車暦 1938川崎車輌 1938小郡~1939糸崎~1945高崎第~1952奈良~1967和歌山~1971紀伊田辺廃車 1972保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備完備 運転室窓ガラス欠 運転室内の諸計器類は全て欠損しており、制動筒も上部が破壊されている。電気系統機器も損失

    しており室内は完全に荒廃している。窯内部に関しては状態を保っている。足回りも整備され屋外に屋根付きで保存されており、最近塗装されており保

    存状態は良好である。 撮影日2008/03/01・2009/11/28        * 右下の写真は1967/09/07 和歌山機関区にて 藤田憲一氏撮影

* 分厚い塗装の為に明確に確認できた刻印はかぎられていました。右側は関西本線に接しているため動輪やロッド等の全体撮影は無理な状態です。                                                                               撮影日 2011/01/15

* 本機が1955(S30)年当時、奈良機関区に所属し関西本線・奈良線で活躍していた頃、僚機にはC57-79・120・146147・148号機も所属していた。同機

関区には8620型機3両・C11型機7両・C51型機9両・C58型機4両・D51型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-

148号機
大阪市西区で、またC51-5号機・C58-51・212・354号機・D51-211・691号機が各地で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、紀伊田辺機関区に所属し紀勢本線で活躍していた頃、僚機にはC57-7・61・160号機も所属していた。また同機関区にはC58型

機10両・D51型機6両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後本機以外ではC57-7号機が和歌山県田辺市160号機

奈良県生駒郡三郷町で、またC58-231・D51-158・469・930号機も各地で静態保存されている。









C57-57号機  場所 東京都世田谷区大蔵4丁目 区立大蔵運動公園内


車暦 1938川崎車輌 1938大阪局・・1941宮原~1945岡山~1949金沢~1954小樽築港~1971苗穂~1974岩見沢  1976廃車・保存開始

状態 塗装は普通だがテンダー部に錆び 前ライト球・後部ライト・清缶剤挿入装置欠 プレートはレプリカ 運転室内はアクリル板で遮断、諸計器類は全て損失

    し荒廃状態 屋外保存であるが保存状態は良いとは言えない。     撮影日2008/05/14

* 再訪問してみました。状況は変わらず荒廃の一途をたどっています。何とか整備されないものでしょうか、同じ都内でも葛飾区のD51-502号機のよ

うに綺麗に塗装され蘇えっている機体もあるのですから・・ 撮影日 2010/11/20

* 「コバQ」さんが2013/01に訪問された際の状況です。

* 本機が1955(S30)年当時、小樽築港機関区に所属し函館本線で活躍していた頃、僚機にはC57-3・64・91・104・118・135・141・142・149・177・

200・201号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・9600型機10両・C12型機3両・C51型機5両・D51型機19両も配属されていた。その後各機は

各地に転配属された。本機以外ではC57-135号機が埼玉県さいたま市鉄道博物館201号機が北海道旭川市で、また9633号機・C12-6・38・64

号機・D51-483・943号機
が各地で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、苗穂機関区に所属し千歳線・札沼線で活躍していた頃、僚機にはC57-29・38・91・138・177号機も所属していた。1973

(S48)には僚機はC57-6・87・91・147号機に交代しており、同機関区にはC11-99・177号機、さらにC58-393・414・415・416・419・421・425号

機も所属していた。その後各機は転配属・廃車・解体の道をたどった。C58-414号機は三重県亀山市で静態保存されている。本機が由縁の薄い当地へ保存

された経緯は不詳である。C57-87号機は沖縄県今帰仁村で静態保存されていたが、2005/06に残念ながら
解体された。








C57-66号機  場所 東京都大田区大森北 新井西児童交通公園内

車暦 1938川崎車輌 1938梅小路~1939宮原~1945門司~1958大分~1968宮崎~1974廃車 1974保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備完備 運転室内給水ポンプ圧力計・両水面計欠 他の計器類針欠 速度計は丸型が付いている 操作・電気系統機器は良好

 ロッド・主軸には油の注入有り 屋外保存であり保存状態は普通である。 最近TV「バラのない花屋」に登場    撮影日2008/05/12

* 再訪してみました。変わらない状態でしたが分厚い塗装の為に、刻印が微かに判読できたのは僅か三箇所でした。以前はモーターで動輪が動くよ

うになっていたようですが、現在はその面影も無く、塗装も錆びや剥落が見え始めています。運転室内の各計器類の復元整備を含め、早急の対応が

必要になっています。                                                             撮影日 2010/11/21

* 本機が1955(S30)年当時、門司港機関区に所属し筑豊本線等で活躍していた頃、僚機にはC57-6・7・8・9・10・11・12・19・60・65・109・190号機も

所属していた。同機関区にはC12型機8両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-7号機が和歌山県田辺市11号機が

兵庫県豊岡
市、19号機が新潟県新潟市で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、宮崎機関区に所属し日豊本線で活躍していた頃、僚機にはC57-4・36・49・109・112・115116・117・176・178・187・

191・192・196・199号機と17両のC57型機が勢揃いしていた。また妻線を担当するC56-92・135号機も所属していた。1973(S48)年に廃車になる直前

には、僚機にはC57-65・89・107・112・113・117・155・187・192・196・199号機に交代していた。その後各機は廃車・解体の道をたどった。本機以外で

C56-135号機が兵庫県加東市静態保存されている。本機が由縁の薄い当地に保存された経緯は不詳である。









C57-76号機  場所 広島県三原市糸崎町 三菱重工業三原製作所

車暦 1938三菱重工神戸造船所 1938名古屋局・・1941金沢~1964米子~1972浜田~1973新見 廃車 保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 定期的に整備を受けて、屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は良好である。

     (速度計に丸型が装着されている。)              撮影日2007/07/27

* 4年ぶりの再訪です。左シリンダー部空気弁と第一覗き穴蓋の二箇所のみに明確な刻印がありました。長年の粉塵が運転室内にも見られました。

そろそろ整備が必要かと思われます。                                              撮影日 2011/11/09

* 本機が1955(S30)年当時、金沢機関区に所属し北陸本線で活躍していた頃、僚機にはC57-5・15・16・17・33・34・39・45・46・52・75・89・90・94・

95・97・103・113・136・137・143号機も所属していた。同機関区には8620型機5両D50型機2両・D51型機10両・E10型機5両も配属されていた。その後

各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-5号機が兵庫県姫路市46号機が福島県福島市95号機が長崎県諫早市で、またD51-222・823

号機
が静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、米子機関区に所属し山陰本線で活躍していた頃、僚機にはC57-101・108号機も所属していた。同機関区には境線・伯備線担

当のC11型機8両・本線担当の8620型機4両・本線貨物担当のD51型機15両も配属されていた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外

では
C11-75・D51-303・620号機が各地で静態保存されている。本機は1972年に浜田機関区を最後に糸崎駅に保管されたが、書類上は新見機関区扱

いとなって
いた。三菱重工三原製作所への静態保管はしばらくしてからであったとされる。







C57-95号機  場所 長崎県諫早市宇部町 県立総合運動公園内

車暦 1939日立笠戸工場 1939名古屋~1945金沢~1964富山~1965豊岡~1972人吉~1973宮崎~1974鹿児島~1975廃車・保存開始

状態 塗装は普通 前後ライト球欠 他の外装諸装備良好 運転室内は上部4圧力計欠 速度計・両ブレーキ圧力計は文字盤・針・ガラス欠 両水面計は外枠

    のみ 操作・電気系統機器は良好 足回りも整備され屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は良好である。   撮影日2007/06/01

* 分厚い塗装のため確認できた刻印は皆無でした。撮影日 2011/04/29

* 「コバQ」さんが2015/05に訪問された際の状況です。

* 本機が1955(S30)年当時、金沢機関区に所属し北陸本線で活躍していた頃、僚機にはC57-5・15・16・17・33・34・39・45・46・52・75・76・89・90・

94・97・103・113・136・137・143号機も所属していた。同機関区には8620型機5両D50型機2両・D51型機10両・E10型機5両も配属されていた。その後

各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-5号機が兵庫県姫路市46号機が福島県福島市76号機が広島県三原市で、またD51-222・823

号機
が静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、豊岡機関区に所属し山陰線で活躍していた頃、僚機にはC57-11・23・34・46・52・93・94・113・137・156・189号機も所

属していた。その後DL化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後本機以外ではC57-11号機は兵庫県豊岡市46号機は福島県

福島市
156号機は島根県益田市189号機は京都府与謝郡与謝野町でそれぞれ静態保存されている。






513


C57-100号機  場所 長崎県長崎市賑町3丁目 中央公園内(2017/04解体処分)

車暦 1939日立笠戸工場 1939姫路~1940宮原~1942宇都宮~1943白河~1945高崎第一~1953鳥栖~1965早岐~1968人吉~1973廃車・保存開始

状態 塗装は退色し各所に錆が浮く ヘッドライト欠 後部ライト球・ガラス欠 全プレートレプリカ 他の外装諸装備は装着運転室内諸計器類の損失多く

    室内荒廃気味 屋外保存であるが全体的には荒廃気味である。 *門鉄デフレクターK7型装着・1954国鉄小倉工場  撮影日 2007/06/01

* 塗装も剥げ落ち錆が浮き始めていた本機ですが、きれいに再塗装されていました。確認できた刻印は皆無でした。 運転室内の復元整備がされれば

さらに望ましいのですが・・                                                       撮影日 2011/04/30

* 本機は2017/04に解体されてしまいました。保存を望む声も多々あったのですが、長崎市はその声に耳を傾けることなく解体を強行しました。解体

予算よりはるかに安価で整備・修復する手立てはあり、私ども整備メンバーの提案も聞き入れる事はありませんでした。意地でも解体優先した長崎市の思

惑はどこにあったのでしょうか?2016/09に解体されてしまった埼玉県さいたま市の39685号機も同様ですが、保存機の悲劇が今後も続くのでしょうか?                                                                                    2017/05

* 本機が1955(S30)年当時、鳥栖機関区に所属し鹿児島本線・長崎本線で活躍していた頃、僚機にはD57-27・72・111153・154・155・156・157・158・

159・174・175号機も所属していた。同機関区には8620型機4両・9600型機5両・C11型機4両・C55型機4両・D50型機7両・D51型機18両も配属されていた。

その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC57-156号機が島根県益田市175号機が宮崎県宮崎市で、またD51-8・10・225号機が各地で静

態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、人吉機関区に所属し肥薩線で活躍していた頃、僚機にはC57-9・37・48・130・169・186号機も所属していた。また同機関区

には8620型機2両・D51型機10両も配属されていた。各機はその後転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後本機以外ではC57-186号機が東京都小

金井市
で、58654号機が熊本市JR九州で動態保存D51-170号機が熊本県人吉市JR矢岳駅で静態保存されている。


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