D51-10号機訪問記


D51-10号機  場所 福岡県直方市頓野「直方汽車倶楽部」敷地内

車暦 1936川崎車輌 1936鳥栖~1968直方~1973廃車 1974保存開始

状態 塗装は厚塗りだが各所に剥離 前後ライトガラス・球・清缶剤挿入装置・排煙室扉ハンドル欠 全プレートレプリカ 運転室

  窓枠・ガラス欠 室内計器類良好 屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は普通である。
                                                      撮影日 2007/5/31・2008/12/7

* 分厚い塗装のために確認できた刻印は皆無でした。 撮影日 2011/05/02

* 「直方汽車倶楽部」の敷地に移管された本機はこれから整備・修復をするために3分割(機体上部・下部・テンダー)された状態
 で、静態保存の線路上と作業台の上に保管されています。 2017/05/06・7にはその状況が一般公開されました。今後汽車倶
 楽部では毎月第三日曜日を整備・修復作業日とし2年位の歳月をかけて、本機を29612号機同様に新規製造箇所も含めた修復
 作業が行われる予定です。
* その第一回の整備作業が2017/05/21に行われました、これまでの汽車倶楽部で行われてきた整備・修復作業は汽車倶楽
 部のメンバーおよび会員限定の作業でしたが、今回から江口代表のお取り払いにより、部外者の参加も認めて頂けるようになり
 ました。そこで、私も参加させて頂きました。D51-300やD51-18のメンバーとも半年ぶりの再会でした。今回は先ず機体本体下
 部や缶胴被・煙室扉を江口代表の陣頭指揮の元、整備作業をおこないました。私は、右足・腰を痛めており座椅子での作業となり、
 皆さんにはご迷惑をおかけしましたが、左コンプレッサー取り付けアーム~外火室側板をハンマー打刻・サンダーでケレンをしまし
 たが、本機の塗装はかなり分厚く1mm越す塗布面もあり、かなり手強い相手でした。夕刻には作業を終わり参加者の記念撮影
 をして終了しました。ケレン箇所は屋外作業ですので、直ちに江口代表により、赤色錆止め剤が吹き付けられました。

* 整備・修復作業は始まった段階で有り、恐らく2年以内に整備完了では無いかと想像されます。観察させて頂きましたが腐食の
 激しい場所や運転室天井の崩落も予測されかなり厳しい整備・修復作業が「直方汽車倶楽部」の主力メンバーにより行われると
 思います。私も体力が快復すれば、今後も機会を得て参加させて頂きたいと思っております。
* 整備が始まったばかりであり、分厚い塗装の下部には必ず刻印が存在すると思われます。おそらく他機の刻印もあるのでは無
 いかと思われ今後の整備進捗が待たれます。運転室左側面(右は欠落しており確認不能)には全検の文字が微かに残っており、
 
44-7 小倉工と判読できました。4の上や7の下部の数字は判読不能でしたが、車歴表の1969(シ44)-08-06全検(鳥栖
 機関区在籍時)と合致しており、貴重な資料と思われます。今後の整備に大いに期待したいと思います。

                       * 1段目・4段目の右端写真は入江氏のFBから転載させていただきました。 2017/05/31

* 2017/07/15 「関門海峡-めかり駅」のEF30連結のオハフ33-客車カフェ(かんもん号)で、下関(唐戸)から連絡船で関門
 海峡を渡ってきた、入江・村上・小林・村野の各氏と合流し、客車内(台車上)に陣取りしばし各自・各地の鉄の熱い想い出や情報
 交換を関門海峡を行き来する船舶を眺めながら、閉店まじかまで楽しく談合・・最終のトロッコ列車に記念館前まで乗車し門司港駅
 で散会、本当に楽しい一時で明日の作業の鋭気を養いました。

* 2017/07/16 第三回の整備作業に参加しました。第二回の整備段階で作業足場が組まれており、ナメクジ蒸気ドームと缶
 胴被のケレン・錆止めが行われておりました。作業当日は日よけのブルーシートはあるもの灼熱の炎天下の元、入江・村上・小林・
 中尾・奈良山の各氏はナメクジ蒸気ドームの続きと缶胴被のケレン作業を終日されました。本当に御苦労さまでした。私はやはり
 左足に支障を来たしておりますので、皆さんにお断りをして第一回同様機体下部に潜り込み、火室前部、缶胴受、コンプレッサ―・
 給水ポンプ受け梁内側を座ってケレン作業を行い、午後からは足場に寄りかかりながら、左第一元空気溜りと繰り出し管のケレン
 作業を行いました。夕刻にはケレン後の各部位を江口代表が錆止め剤を塗布し、本日の作業を終了しました。昼食時には複製され
 た形式入りの10号機のプレートと車輛プレートが披露されましたが、目映いばかりのプレートが整備完了時の機体に取り付けられ
 る様子が伺え感動的でした。 回毎の作業の進捗により10号機の雰囲気も変わりつつあり、今後の成果が期待されます。
  最後の写真は「めかり駅」EF30の前で入江・村上・村野氏と小林氏撮影です。            2017/07/17

* 2017/08/20 第四回の整備作業に参加しました。本日も晴天で無風であり灼熱の作業現場でした。江口代表を始め入江・
 小林・姫野氏ら6人・山口県からは村野・中尾・奈良山氏の3人、計10名の参加でした。皆さん缶胴被の左右・キャブ左側面~天
 井部を分担し猛暑の中ケレン作業をされました。私はやはり上部には参加できませんので、右第二空気溜と繰出管・火室右側板
 部をケレンしました。機体上部構造では運転室の右前面・側面~天井部・ランボード裏面を残してはおりますが、次回でほぼケレン
 終了が見えてきました。
  重ね塗りした分厚い塗装に各部位とも悩まされましたが、金槌による手打・サンダーは元よりエアハンマー・ハツリ、中尾氏が持
 参された特殊削平工具等を駆使してかなり早いスピードで作業は進展しています。皆さん本当に熱い中でお疲れさまでした。 
                                                                    2017/08/21

* 2017/11/18・19  第5回の整備に参加しました。9・10月は雨天の為中止となり、今回も18日は午後からの作業になりま
 した。江口代表を始め入江・姫野・中尾・村野氏等9名で作業、皆さんは足場に上がり運転室右側面や缶胴被右側面残りを、私は
 前端梁左右解放テコの溶接部を切断し、テコを引き上げましたがビクともせずナックルの可動は後回しにして、座らせて頂き前端
 梁と自動連結器のケレンを行いました。
  夕刻からは汽車倶楽部の慰労会がありました。本来は10号機の前でという計画でしたが、天候の関係で車庫内でバーベーキュ
 ーがあり、SL談議に花が咲き楽しい一時でした。宿泊組は「「直方いこいの村」に場所を移動し遅くまで飲み明かした方も・・・私は
 前日「中津道の駅」で車中泊でしたので、ゆっくりと休ませていただきました。有り難うございました。
  19日は村上・小林氏も合流され総勢13名でケレンが強風と寒波襲来の寒さの中で行われました。皆さんは運転室両サイドの続
 き、煙室扉下部の修復・後端梁・従台車の左右バネ守・担バネ・左ビッグエンド・リターンクランク等のケレンを、私は昨日に続き前
 端梁と自動連結器のケレンと磨き出しを行いました。途中で村上氏がナックル可動の為にジャッキでナックルピンを持ちあげ、火炙
 りとオイル注入で可動化を試み、少し左右に動くようになりましたので、今後が楽しみです。ナックル上部には住友ロゴ・シ32-1・
 E62965S・大鐵工業ロゴの刻印が、側面にはMT1・480の部品刻印が、胴ナックルピン部位にはE82726K・T586の部品刻
 印がありました。小林氏がケレンされていた左メインロッドビッツグエンド部位にはD51-10の刻印が見られましたが、油壷の側面
 にはD51の刻印しか無くこれも今後の課題かと思われます。村野氏がケレンされていた右従台車バネ守梁には13K?90の部品
 刻印がありました。宇部の18号機の時は整備の作業に追われ、詳細なケレン確認ができないまま塗装をしてしまいましたので、
 10号機の場合は今後の足回り各部位のケレンにより初期のD51型の状況が確認できるかと、今後のケレン作業が期待されます。
  機体上部で残す部位は運転室内は別として、運転室天井外鑿となりましたが、天井部位の補強を確実にしてからの作業となり、
 次回からは動輪やロッド等の足回・台枠内部がケレン・整備の中心となりそうです。作業終了後、江口代表が丁寧に錆止め剤を塗
 布され二日間の作業は終了しました。皆さん寒い中お疲れ様でした。                      2017/11/20

*2017/12/17 本年度最後の整備活動に参加しました。中津の道の駅で寝過ごし朝の打ち合わせに遅参しましたので、煙
 室内から登場する中尾さんの「サンタクロース」を拝見できなかったのが実に残念でした。(入江氏のFBで拝見) 給水加熱器
 と蒸気溜に錆止め剤を塗布するために、ナメクジドームの吊り上げが予定されており、村上氏が固定ボルトの除去作業を残りの
 10名はそれぞれ分散してケレン作業を行いました。寒波厳しく更に強力な送風機の元で皆さん鼻水を啜りあげながらの作業で
 した。
  昼前にクレーンで先ずナメクジ後端のカバーが吊り上げられ、蒸気溜りが露出しました。SL各機の蒸気ドーム内の蒸気溜りと
 さほどの違いは無い様に見えます。次に前方の煙突以降のカバーが吊り上げられ給水加熱器が露出しました。これは私も初体
 験でやはりナメクジ由縁の部位ですのでその大きさや構造に興奮を覚えました。
  本日の作業で明らかになった刻印関係は以下の通りです。左クロスヘッド部位の油壷基盤上部に珍しくD5110の刻印が、ま
 た結びリンクの定位置にD5110の刻印が見られました。左第四動輪部ではカウンターウェイトに打ち出しのA?D 3(逆転?)
 4の刻印がありました。ボックス動輪の輪心にはF1 3925 シ11-1 AD34の刻印が認められました。カウンターウェイトと同
 一の可能性が考えられます。また動輪ボスにはL4 D5110の刻印が、軸ツバにはL4 シ29.9 KK D5110 22192-2の
 刻印が、タイヤには住友ロゴ W91750 D シ44-5 KK シ44-7の刻印が認められました。左イコライザーにもD5110の刻
 印がありました。
  私が担当した左先輪部ではシリンダー前蓋部と尻棒案内油壷にL D5110の刻印が、先輪・輪体にはL D51236 シ14-3
 KYの刻印が、同じく右先輪・輪体にも D51236 シ14-3 KYの刻印がありました。右軸ツバには45?89 シ13-10の刻印
 が、さらに左タイヤにはW8210 シ43-8 KK シ44-6の刻印がありました。

  ここで、課題と云うか疑問点を述べたいと思います。もちろんまだ整備が完了しておりませんので、新たな事実が確認され次第
 加筆・訂正したいと思います。先ずD51-236号機は1939年シ14-03-31に国鉄郡山工場(略称KY)で製造され、そのまま福
 島機関区に所属し、1961年シ36に新見機関区に配属されそのまま1970年シ45-05-19に廃車になっております。九州に配
 属された記録はありません。また本機は1936年シ11-03-29に川崎重工で製造され同04-26に鳥栖機関区に所属し、1972
 年シ47に直方機関区に配属された後1973年シ48-09-10に廃車になっており本州に渡った記録は無く、両機とも移動経歴は
 少なくかつ両機の接点は見当たりません。236号機の廃車はシ45-05であり、本機の左先輪・第四動輪のタイヤにはKKシ-44
 -6・KKシ-44-7
とありますので、236号機の廃車後の転用はあり得ない事になります。

  これはあくまでも推測の範囲ですが、私が整備に参加した三次市の48650号機は車歴では九州に在籍した記録はありません
 が、九州型の片手解放テコを装着しております。またテンダ-台枠は86型と96型を接合して再製造されており各所にKKの刻印
 や九州在籍13両の転用部位が見られました。その時期は48650号機が下関機関区に所属していた頃と考えられます。下関機
 関区とKK(小倉工場)は距離的にも近く、本来の広島工場より小倉工場の方が何かと好都合であったと思われます。しかし236
 号機
は新見機関区所属であり、中間~全般検査はGT(後藤工場)で行われるのが本来であり、何故10号機に転用されたのか
 不思議と云えば不思議なのですが、48650号機では本来のHS(広島工場)以外に、GT・TK(鷹取工場)を示す刻印があり、部
 品に関しては近くの他工場からの融通があったと思われますが、タイヤのKKシ-44-6・KKシ-44-7が示す様に廃車後の転用
 は考えられません。
  236号機は新見機関区配属ですから山陰線を走り下関まで走行していた事は充分伺えます。本来の後藤工場での中間・全般
 検査がヤードの関係等で出来ず、規模の大きいKK(小倉工場)で検査していた際に、偶然か意図的かは判別できませんが転用
 されたのではと想像を逞しくしております。重ねて、整備が進み他の部位からの刻印発見で上記と異なる事実が出れば直ちに訂
 正いたします。                                                        
  整備作業は我々が右サイドに移動し、江口代表がいつもの如くお一人で我々がケレンした部位に錆止め剤を塗布され本年度の
 作業は終了しました。参加された皆さん寒い中で本当に御苦労さま・お疲れ様でした。        2017/12/18

* 2018/01/21 平成30年になり新年最初の整備活動に参加しました。いつものメンバーの皆さんもお元気で新しい年を迎え
 られました様で何よりでした。大寒を迎えましたが福岡地方は暖かい一日でした。それでも日差しを求め、皆さん右サイドや運転
 室内に陣取り整備作業を行いました。私は前回に続き右先輪部のケレンを行いました。ケレンの結果右シリンダー部前蓋と尻棒
 案内油壷にD5110の刻印が、また尻棒支えには逆転でしたが6 20 ニ?の打ち出し刻印がありました。右先輪には前回確
 認してはいましたが、輪体にシ14-3KY・軸ツバにはシ13-10 45 8?9の刻印がありました。 またタイヤには住友ロゴに続
 きT72041 シ43-8 TW KKシ44-6の刻印が確認されました。
  入江氏がケレンされた左第一動輪クロスヘッド部位では、ソケット・コッター、結びリンク、合併テコにD5110の刻印が確認され
 ました。特筆すべきはスライドバー(滑り棒)前端側面に不鮮明ですが、
D511021の刻印が検出されました。D51-1021号機
 は1973年に小倉工場で廃車になっていまが、ずっと門司機関区に在籍しておりましたのでその間に本機に転用されたのでしょう。
  他の皆さんがケレンされた箇所では右第四動輪のボックス輪心(輪体)にはT72041 シ43-8 KKシ44-6の個体識別番号
 刻印が、また同タイヤには住友ロゴに続き、W91747 D シ44-6 T124 KK シ44-7の刻印が検出されました。また第三
 動輪のボックス輪心(輪体)にはE21218 シ11-1 HC10の個体識別番号刻印が検出されました。どうやら第一・第二動輪の
 同箇所にも存在するようで有り、左右の全動輪に存在する可能性も出てきましたので、次回整備が待たれます。
  皆さんは私が刻印にこだわる事を不思議にお思いかと存じます。私は元々は考古学を専攻しておりました。当時の(現在も)発
 掘調査は学術調査より行政発掘に追われ、とにかく記録して記録保存が優先されたものでした。発見と言う手法に関しては共通
 しておりますが、行政発掘は記録に留めた後は跡かたも無く消滅(破壊)されます。保存機関車は解体されない限り存続はします
 が、整備してケレンしない限り刻印や識別番号は検出できません。その機関車がどういう歴史をでどういう過程を通して今保存さ
 れているか、できたら明らかにしたいと思っておりまして刻印や他機の刻印さらに個体識別番号(俗に言うDNA)にこだわってお
 ります。右の第二サイドロッドにはNN(長野工場)の刻印も検出されております。これらについては、次回に参加出来ましたら更
 に詳しくお伝えできるかと楽しみにしております。                              2018/01/22 

* 2018/02/18 整備作業に参加しました。今回は一日で最大の17人の参加者が各地からあり、例の如く分担して作業を行いました。
 主力は機体内部の内側や加減リンク体等のケレン・運転室天井部の未ケレン部位に取り掛かりました。私は右シリンダー後蓋=第一動輪
 部位のケレンを行いました。防府から参加の米田さんが私に代わり、機体内部の第一動輪軸箱守控の刻印を確認し撮影して貰いました。
  彼は宇部のD51-18号機の同部位の刻印を確認した経験があり、左右の軸箱守控えにD5146の刻印を発見してくれました。D5146号
 機
は1973年に南延岡機関区で廃車になっていますが、1937~鳥栖~68早岐等の機関区に所属しておりました。また右軸箱にはD5?
 (多分1)482の刻印がありました。D51482号機は1974年に南延岡機関区で廃車になっていますが、1940~熊本機関区に在籍して
 おり、両機とも小倉工場での全検時に転用された可能性は高く、第二~第四動輪の同部位の刻印の確認が待たれます。ケレンの結果各部
 位にはそれぞれD5110の刻印が検出されています。次回は全動輪のボス・輪心・タイヤ等の刻印の確認ができればと思います。

* 2018/03/18 福岡直方地方は春の陽気で整備作業は汗ばむ程の陽気でした。本日は缶本体を乗せるために台枠内を中心に作業が展開されま
 した。皆さん第一~第四動輪の車軸にまたがり左右の担バネやバネ釣りリンク~動輪軸箱・軸箱守控等をケレンされました。中尾氏は運転室内部・私
 は右第二動輪部・第三動輪部下半分と前回ケレン作業はされていたのですが、一月後にはやはり錆が浮き上がっていましたので、再ケレンをしました。
  今回も米田さんに内部に潜っていただき動輪軸箱・守控の刻印確認をしていただきました。やはり第二左右・第三右の軸箱守控えには第一動輪部と同
 様に
D5146の刻印がありましたが、第四は守控が薄く刻印の確認はできませんでした。四名の皆さんが左右の担バネやバネ釣りリンクをケレンされた
 結果、左右とも1~8にD5110の刻印がありました。右サイドでは第一サイドロッド前後の油壷・ビッグエンドの受金・クサビ・リターンクランク・エキセント
 リックロッド等にRD5110の刻印が認められました。右第一サイドロッドの磨き出しをされていた入江氏がロッド凹部にシ40 7 KKの刻印を検出されま
 した。凹部の刻印は29612号機にも見られましたが、これでNN(長野工場)からシ39 10に出荷され小倉工場でシ40 7に取り付けられたことが明確
 になりました。恐らく左サイドも同様かと思われます。 
  動輪関係では残すところ左第一~第二動輪とメイン~第一サイドロッドが未ケレンとなっています。作業が終わりに近づいたころテンダー各従輪の軸箱
 をケレンしていたメンバー最年少で今春高校生になるY君から他機の刻印があるとの報告がありました。次回に確認したいと思います。
2018/03/19

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