C55型蒸気機関車 1935~1937の間に62両製造 全国に4両保存されています。

主要諸元

 全長 20.28m 全高 3.94m 総重量 113t 水槽 12㎥ 石炭庫 17.t 先・従輪径 860mm 動輪径 1750mm 最大出力 1.211ps 

 最高速度 110km/h

 製造所 川崎重工兵庫工場・汽車製造大阪工場・日立製作所笠戸工場・三菱重工業神戸造船所


C55-1号機  場所 京都府京都市下京区 京都鉄道博物館

車暦 1935川崎車輌 1935小樽築港~1940苗穂~小樽築港~下富良野~1943小樽築港~1947旭川~1958室蘭~1968旭川~1971梅小路~1978廃車保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内は両空気圧力計・暖房用圧力計欠 他の計器類は完備 室内良好 常時整備されて扇形展示場の定位置に良好な状態

 で保存展示されている。                                                  撮影日2007/09/17・2008/10/09・2010/02/20

* 鉄道記念日のイベントの一貫で、扇形展示場から転車台南に特別展示をしていました。やはりオープン展示の方がどの角度か

 らも見れて良いですね。                                           撮影日 2008/10/09

* 先輪の第一輪にはC57140の刻印が、第二輪はC5755の刻印があります。C57-140号機は1969年に岩見沢機関区で廃車、本機は当時

 旭川機関区に所属しており、1971年に梅小路機関区に送られる段階で苗穂工場で転用されたものと考えられる。
C57-55号機は1969年に佐倉

 機関区で廃車となっており、転用の経緯は不明である。他にもピン軸座に
C57の刻印があり、C57型機からの転用がありそうである。 
                                                              撮影日2010/02/20・2011/11/17

* 本機が1955(S30)年当時、旭川機関区に所属し宗谷本線で活躍していた頃、僚機にはC55-16・17・30・31・32・42・43・47・48・49・50・59号機も

 所属していた。同機関区には8620型機2両・9600型機10両・C11型機1両・D51型機17両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以

 外ではC55-50号機が北海道小樽市で、D51-311・398・828・953・954号機が各地で静態保存されている。

 * 本機が1968(S43)年当時、再び旭川機関区で活躍していた頃、僚機にはC55-43・47・48・50号機も所属していた。1971(S46)年には僚機はC55

 -30・47・49・50号機に交代しており、石北本線・富良野線担当の29634・29669・39631・39636・39637・39655・49665・49686・59635・596

 59・79610・79666号機、また宗谷本線貨物担当のD51-167・252・399・660・663・828・952・953・954・1008・1009・1090・1101号機も配属

 されていた。その後各機は、転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD51-663号機が青森県十和田市で静態保存されている。









C55-50号機  場所 北海道小樽市手宮1丁目 小樽鉄道記念館

車暦 1937汽車製造 1937仙台~1947青森~1950会津若松~1955旭川~1974廃車 1976保存開始

状態 塗装は普通 清缶剤挿入装置欠 他の外装諸装備・運転室内諸計器類完備 室内良好 屋外に保存されており、保存状態は普通である。                                                                                                 撮影日2007/07/14

* 再訪して見ました。                                          撮影日 2009/8/14

* まず、小樽総合博物館(旧鉄道記念館)に苦言を呈したい。屋外の保存機の扱いがズサンである一言に尽きると思いす。確かに屋内やミニSLは

 よく整備されていますが、屋外保存機はこの場所に設定され既に30数年、その後塗装はされた機体はあるようですが、SL機(C12-6・C55-50)

 はロッド等には錆が浮き上がり刻印の確認もままならない状態であり、部分的には腐食により穴があき錆や汚泥雫が目立ち始めています。入場料

 金を客から取る以上、各機が最高の状態であって欲しいと思うのは贅沢でしょうか?C55-50号機も訪れた時は運転室屋根部位の塗装・整備中で

 運転室への立ち入りはできませんでしたが、整備後が待たれます。

* 両側にプラットホームがあるために、機体下部の撮影は不可能です。ロッド等は錆が浮き出し茶色に変色し、目視・レンズを通しても刻印の確認が

 難しい状態です。それでも各部位に刻印は確認できました。ただし、動輪の確認はできませんでした。確実なC5550の刻印は左心向棒軸座・逆転

 軸腕軸座・右加減リンク耳軸軸座に存在します。次にC55の次の2桁を丁寧に(執拗と言うか)打ち消した部位が左はソケットを始め7箇所・右は結び

 リンクを始め6箇所にあり、意図的な行為と判断せざるを得ません。次に左右の弁心棒案内に
C5530の刻印があります。またC55?0⇒C5530

 と理解できる刻印が左右で
5箇所ありました。C55??はC5530と判断して構わないかと思います。C55-30号機は1975年に旭川機関区で廃車

 になっています。本機と同時期に旭川機関区で活動しています。1955年に本機が会津若松機関区から旭川機関区に配属後の転用か、本機が1974

 年に旭川機関区で廃車後小樽鉄道記念館に静態保存される時点で転用し、
13箇所の目立つ部位にある30を意図的に打ち消した可能性が高いと判

 断されます。その理由が何だったのかは当時の苗穂工場の整備担当の方にしか解らず、その真意の確認は不可能でしょう。C55型機の北海道にお

 ける配置は別紙に示しています。当時11機が配属されていましたがC55-2号機は1945年に大分機関区に転属しており、本機を除いた9機は??

 に該当しますが、最後の
0は30号機しか無く、自動的にC55-30号機となります。                      撮影日 2011/7/28

北海道におけるC55型機の配置表
  C55-1号機
1935小樽築港⇒1940苗穂⇒1941下富良野⇒1942富良野⇒1945小樽築港⇒1949旭川⇒1958室蘭⇒
1968⇒旭川⇒1971梅小路⇒1973梅小路廃車
  C55-2号機
1935小樽築港⇒1941下富良野⇒1945大分⇒1958宮崎⇒1964吉松⇒1968吉松廃車
  C55-16号機
1935札幌局⇒1941下富良野⇒1945小樽築港⇒1949旭川⇒1969旭川廃車
  C55-17号機
1935札幌局⇒1941旭川⇒1945小樽築港⇒1949旭川⇒1968旭川廃車
  C55-30号機
1936製造・?・1941小樽築港⇒1945大分?⇒小樽築港⇒1955旭川⇒1958室蘭⇒1968旭川⇒1975旭川廃車
  C55-31号機
1936製造・?・1941小樽築港⇒1955旭川⇒1962室蘭⇒1967室蘭廃車
  C55-32号機
1936製造・?・1941小樽築港⇒1955旭川⇒小樽築港⇒旭川⇒1962室蘭⇒1969室蘭廃車
  C55-42号機
1937名古屋局⇒1941小樽築港⇒1949旭川⇒1965苗穂⇒1968苗穂
  C55-50号機
1937仙台⇒1945仙台⇒1950会津若⇒1955旭川1974旭川廃車
  C55-59号機
1937小樽築港⇒1949旭川⇒1947小樽築港⇒1949旭川⇒1968旭川廃車

* 上記の事情からある疑問が湧き上がりました。大分市のC55-53号機のように実際は46号機であるのに号機番号・製造番号プレートを付け換え

 て保存しており、本機も果たして本当にC55-50号機であるのか?という疑問です。C55-50を示す刻印は僅か3箇所であり、打ち消した箇所は13

 箇所にものぼり、C55-30と思われる刻印は7箇所にあります。機号・製造番号プレートは簡単に付け換えられますが、各部位は分解する以外転用

 は難しく、安易に刻印を改定・改ざんした方が簡単であり、本機は元々はC55-30号機では無かったのでしょうか?この解決はロッド等が昔の如く磨

 き出されるか、保存にかかわった方の証言かと思われます。北海道でHPをご覧の方々、この疑問を解決していただけないでしょうか?

* C55-50と30の刻印の件についてご教示をお願いしましたら北海道の「どさんこ」さんから50号機と30号機の入れ替え保存や刻印の訂正等につ

 いて詳しく教えていただきました。やはり保存の際に事情があったようです。最終的には50号機であり、逆に30号機を装っていた時代があり、刻印の

 打ち消しは50を消した痕跡のようです。しかし、C55-30号機は1974/11にC55-50号機は1975/02に廃車になった前後関係からと、明確に30

 の刻印もありますのでやはり部分的には転用されたのかもしれません。「どさんこ」さん「やまてつ」さん「寅」さんご教示ありがとうございました。
                                                                           2011/09/29
* 「コバQ」さんが2013/09に訪問された際の状況です。

* 本機が1955(S30)年当時、旭川機関区に所属し宗谷本線等で活躍していた頃、僚機にはC55-1・16・17・30・31・32・4243・47・48・49・59号機の各

 機も所属していた。同機関区には8620型機2両・9600型機10両・C11型機1両・D51型機17両も配属されていた。その後各機は道内各地に転配属していっ

 た。本機以外ではC55-1号機が京都鉄道博物館で、D51-311・398・828・953・954号機がそれぞれ各地で静態保存されている。


* 1973(S48)年当時になると、僚機にはC55-30・47号機に交代所属していた。また、宗谷本線貨物担当のD51-828・952・953・954・1116号機、石

 北本線・富良野線担当の9600-29669・39636・39737・49626・49686・59635・59659・69692・79610号機も配属されていた。その後各機は転配

 属、廃車・解体の経過をたどった。








C55-52号機  場所 鹿児島県姶良郡湧水町 JR吉松駅北側


車暦 1937汽車製造 1937山陽方面~1939鳥栖~1945大分~1964宮崎~1968若松~1974鹿児島~1975廃車・保存開始

状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内諸計器類完備・室内良好 メイン・サイドロッド・主軸等の足回りに油が注されており屋外に屋根付きで保存されて

    おり、保存状態は良好である。 *門鉄デフレクターK6型装着・1953国鉄小倉工場           撮影日 2007/09/05・2008/07/11

* 刻印撮影のために再再訪しました。左右第一先輪にはC57169の刻印、C57-169号機は1974年に宮崎機関区で廃車になっています。左右第

 二先輪には
C5760の刻印、C57-60号機は1971年に鹿児島機関区で廃車。左リターンクランクにはC5551の刻印、C55-51号機は1971年に

 若松機関区で廃車。右リターンクランクには
C5545の元印、C55-45号機は1967年に宮崎機関区で廃車、左右の第二動輪にはC558の刻印があ

 りました。
C55-8号機は1967年に宮崎機関区で廃車になっています。本機が1945年4月~1964年10月まで大分機関区に所属していた時期に

 これらの5機も相前後して所属していますので大分機関区時代に転用されたものと思われます。それ以外の可能性としては同じ九州管内の各機関区に

 配属されていますので順次転用されたのでしょう。その他の部位の刻印は本機の番号でした。運転室火室内部も大変きれいな状態を保っています。                                                                                撮影日 2011/04/29

* JR吉松駅前には解体された8620型ー48674号機の動輪が保存展示されている。

* 本機が1955(S30)年当時、大分機関区に所属し日豊本線・久大線・豊肥線で活躍していた頃、僚機にはC55-2・4・5・6・8・11・12・13・14・26・27・

 28・29・33・34・35・37・46・51・53・54・57号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・9600型機1両・C51型機1両・C58型機19両・D60型

 機10両も配属されていた。C55型機の配置数は最大であった。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC55-53号機が大分県大分市で、また

 C58-48・112・277号機、D60-61号機が各地で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、若松機関区に所属し筑豊本線等で活躍していた頃、僚機にはC55-19・46・51・53・57号機も所属していた。また、8620

 型機5両・9600型機7両・D50型機2両・D51型機3両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後本機以外

 では19633・29611号機・D50-140・D51-206号機が各地で静態保存されている。

* 本機が1973(S48)年当時、吉松機関区に所属し吉都線で活躍していた頃、僚機にはC55-57号機も所属していた。また、湯前線・山野線・宮之城線担当

 のC56-91・111・135号機、肥薩線担当のD51-453・536・589・606・1038号機も配属されていた。各機はその、廃車・解体の経過をたどるが、C56

 -111・135号機・D51-453号機
は各地で静態保存されている。








C55-53号機(46号)  場所 大分県大分市中央町 若草公園内

車暦 1937川崎車輌 1937鳥栖~1941梅小路~1945大分~1964宮崎~1968若松~1971廃車 保存開始?

状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室内ブレーキ圧力計針・水面計欠(外枠のみ) 屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は普通である。

 *プレート標記は53号であるが、「やまてつ」さんのHPでは各所に46の刻印があり、実際は46号機では無い
かとされている。

  53号機の場合製作所は三菱重工となる。
 門鉄デフレクターK6型?装着・1956国鉄小倉工場 撮影日     2007/05/31・2008/12/07

* 前回の訪問の時には無かったのですが、今回運転室内の各所に若者の落書きが多数ありました。残念です。


* 刻印の撮影のために再再訪しました。さて問題の本機ですがC5553号機を示すものは前後左右のプレートと、運転室左右に取り付けられている三

 菱神戸造船所 昭和12年 第200号の製造番号プレート
です。動輪やロッドなど主たる部位に本機を示す刻印はありません。逆にいえばC5546号機

 である証明もありません。すべて塗装の下に隠されていると思われます。逆にC5546号機である事を示す刻印は
左右の結びリンク・合併テコ・心向棒・

 偏心棒・左シリンダー部前後蓋・右シリンダー部後蓋・右クロスヘッドソケット
にあります。これだけの部位の刻印から本機が本来はC55-46号機であ

 るのが番号標識・製造番号プレートを交換して静態保存されたと言われています。自動車のように車体番号やエンジン番号が有る訳では有りませんので、

 動輪や軸ツバが磨き出されれば解決するのかも知れません。さて左右の第一先輪には
C5537の刻印がありました。C55-37号機は1968年に宮崎

 機関区で廃車に、左右の第二先輪には
C57117の刻印が、C57-117号機は1974年に宮崎機関区で廃車に、右シリンダー部前蓋にはC5512

 刻印が、
C55-12号機は1968年に若松機関区で廃車に、右ビッグエンド油壷にはC554の刻印が、C55-4号機は1967年に宮崎機関区で廃車にな

 っています。この4機は本機が1945~1962まで大分機関区に所属していた同時期にやはり大分機関区に配属されていますので、この間に転用された

 と考えられます。またC55-53号機であったとしてもやはり1945年からC55-46号機と大分機関区に配属されていますので、転用条件は同一と言う事

 になります。再度本機が整備される機会にこの問題が解決されるでしょう。前回の運転室の落書きはきれいに消されていました。                                                                                           撮影日 2011/05/02

* 「コバQ」さんが2017/05に訪問された際の状況です。

* 本機が1955(S30)年当時、大分機関区に所属し日豊本線・久大線・豊肥線で活躍していた頃、僚機にはC55-2・4・5・6・8・11・12・13・14・26・27

 ・28・29・33・34・35・37・46・51・52・54・57号機も所属していた。同機関区には8620型機2両・9600型機1両・C51型機1両・C58型機19両・D60

 型機10両も配属されていた。C55型機の配置数は最大であった。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC55-52号機が鹿児島県姶良郡J

 R吉松駅
で、またC58-48・112・277号機、D60-61号機が各地で静態保存されている。

* 本機が1971(S46)年当時、若松機関区に所属し筑豊本線等で活躍していた頃、僚機にはC55-19・46・51・52・57号機も所属していた。また、8620

 型機5両・9600型機7両・D50型機2両・D51型機3両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。廃車後本機以外

 では19633・29611号機・D50-140・D51-206号機が各地で静態保存されている。


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