8620型蒸気機関車 1914~1929の間に672両製造 全国に24両保存 全機を紹介します。
主要諸元
全長 16.76m 全高 3.78m 総重量 83.3t 水槽 12.1㎥ 石炭庫 3.t 先輪径 965mm 動輪径 1600mm
最大出力 759ps 最高速度 95km/h
製造所 川崎重工兵庫工場・汽車製造大阪工場・日本車両名古屋工場・日立製作所笠戸工場・三菱重工業三原工場
8620号機 場所 東京都青梅市勝沼 青梅鉄道公園内
車暦 1914汽車製造 1914鳥栖~1922若松~1933若松~1942松山~1958廃車 1962~青梅鉄道公園
状態 塗装は良好 外装諸装備・運転室内の諸計器類はシリンダー圧力計を欠くがその他は完備 室内良好 整備された状態で新しい屋根の下で保存されており
保存状態は良好である。 *後部に9608号機
* 再訪しました。今回は刻印等の撮影をしてみました。 先輪軸に8624の刻印があります。8624号機は1959年に国鉄鷹取工場で廃車となっている
が、両機は1935年に高松機関区に所属していた記録があるので、このころに 転用されたのでしょうか。 撮影日 2008/05/15・2010/05/05
* 本機は他の8620型機がまだ第一線で活躍している1958年に早々と廃車になり、開設された青梅鉄道公園に移送された。
* 本機は廃車となる直前の1957(S32)年当時、所属していた松山機関区では予讃線で活躍していた。僚機には28630・38631・38632・38653・48652・
48653・48680・48681・58623・58638・68692号機も所属していた。また同機関区にはC58型機8両も配属されていた。各機はその後転配属、さらに廃車
・解体の経過をたどったが、58623号機は愛知県豊川市、68692号機は徳島県徳島市で静態保存されている。またC58-33号機も北海道斜里郡清里町で静
態保存されているが松山機関区時代はまだ標準デフを装着していた。
8630号機 場所 京都府京都市下京区 梅小路蒸気機関車館
車暦 1914汽車製造 1914大宮~1926千葉~1930成田~1934安房北条~1939日立太子~1952平~1970弘前~1972梅小路
状態 塗装は普通 外装諸装備・運転室内諸装備は各計器類・操作系統機器・電気系統機器完備 室内良好 常時整備されて普段は扇形展示場の定位置に保
存されているが、順番にSLスチーム号として活躍する時もある。 撮影日2007/03/23・2008/06/13・2010/06/12
* 8630号機の先輪車軸ツバに8627号機のが転用されています。また左エキセントリックロッドの軸ツバに8670の元印があります。8627号機は
1958年に三次機関区で廃車となり、8670号機は1957年に新小岩機関区で廃車となっており、両機と本機が同一地方・機関区に所属した時期は無
く、いつ何処で転用されたかは不明である。 撮影日 2010/06/12
* 本機が1967(S42)年当時、平機関区所属し常磐線で活躍していた頃、僚機には8697・58660・78676・88631号機も所属していた。また9600型機6両
・C57型機5両・C62型機7両・D51型機12両も配属されていた。その後DL/電化に伴い各機はさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではD51-
194号機が島根県鹿足郡津和野町、946号機が福島県いわき市で静態保存されている。本機は1970/3/21・22の常磐線、水戸~高萩間のさよなら列車の
牽引を後補のD51-946号機と共に牽引する栄誉を果たした後、弘前機関区に配属になった。
* 本機が1971(S46)年当時、弘前機関区に所属していた頃僚機には28622・68658号機も所属していた。既に奥羽本線での運用は無く、構内入れ替え業務を
担当していた。同機関区には奥羽本線担当のD51型機14両も配属されていた。その後、各機は転配属、廃車・解体の経過をたどり、D51-923号機が遠く福岡県
久留米市で静態保存されている。
* 本機は最後に、1972/8/11に五能線でのお別れ運転・同10月に黒石~弘前間の貨物列車を牽引し、梅小路蒸気機関車館に動態保存された幸運機である。
28651号機 場所 福井県大野市朝日 穴馬民族会館
車暦 1919汽車製造・・?・・1933和歌山~1947浜田~1955多治見~1961米原~1964松本~1965福井~1973廃車・保存開始?
状態 塗装は退色 外装諸装備良好 後部プレート欠 運転室内諸計器類良好 近年の整備は受けてない模様 屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は
普通である。 撮影日2008/3/23
* 再訪してみました。変わらない状態で保存されていました。撮影日 2011/05/26
* 本機が1955(S30)年当時、多治見機関区に所属し高山本線等で活躍していた頃、僚機には28676号機も所属していた。同機関区にはD50型機2両・D51
型機6両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-2号機は岡山県津山市で・209号機は長野県伊那市で・849号は愛知
県豊田市が静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、福井機関区に所属していた頃、僚機には58680号機も所属していた。また、D51型機5両も配属されていたが、既に北陸本線での
運用は無くDL化により、全機構内入れ替え業務を担当していた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。58680号機は遠く千葉県茂原市で、D51-
607号機は福井県福井市、775号機は長野県木曽郡木曽町JR木曽福島駅前で静態保存されている。本機は1961(S36)5/31福塩線で旅客列車を牽引し
た後米原機関区に移動した。
48624号機 場所 北海道河東郡音更町大通6丁目 大通り公園内
車暦 1921川崎造船所・・?・・1933帯広~1935釧路~1945池田~1949帯広~1964廃車 1965保存開始
状態 塗装は良好 後部ライト・運転室窓ガラス欠 他の外装諸装備良好 カットモデルのため、各所で左半分が見られるようになっている。屋外に屋根付きで保存
されており、保存状態は良好である。 撮影日2007/7/17
* 4年ぶりの再訪です。変わらない状態で保存されています。土崎・鹿児島のカットボディのような大規模では無いので無残さは余り感じないですね。刻印は
各所に残っていますが、6機16箇所に転用されていますので今までとは違う説明をしたいと思います。38667の刻印は左コッター・右 尻棒案内・スベリ棒
前部取り付け基部・シリンダー後蓋にあります。38667号機は1965年に釧路機関区で廃車、1949年以降本機と帯広機関区に配属されていましたのでそ
の間の転用でしょうか。58671の刻印は左右先輪軸ツバ・左右第一・第三動輪軸ツバにあります。(おそらく確認できない左右の第二動輪軸ツバも可能性大
・8620型は車輪そのものより軸ツバへの刻印が見られるので基本的には動輪と解釈しても良いかと思います。)58671号機は1958年に帯広機関区池田
支区で廃車ですので、廃車後本機に転用されたのでしょう。58672の刻印が左ソケットにあります。58672号機は1961年に釧路機関区で廃車ですので廃
車後転用でしょうか。58674の刻印は左リターンクランクにあります。58674号機は1959年に深川機関区で廃車、廃車後のてんようでしょう。68678の
刻印が左右第二サイドロッド油壷・右心向棒にあります。68678号機は1971年に盛岡機関区で廃車ですが1964年以降釧路~帯広機関区に配属されて
いましたのでこの間の転用でしょう。78670の刻印が右リターンクランクにあります。6が明確でないのですが8620型の型番表記からは78670に該当しま
す。78670号機は1963年に北見機関区で廃車になっており、廃車後の転用でしょう。これだけ転用部位が多いのは長野県安曇野市のD51-483号機と対
比できます。 撮影日 2011/7/24
* 大通り公園内には解体されたC11-176号機の第三動輪も保存展示されている。C11-176号機の第一動輪は上士幌町・
第二動輪は広尾町に保存展示されている。
* 1960(S35)年当時、本機が帯広機関支区に所属し根室本線で活躍していた頃、僚機には28562・38667・58630・6866668672・78657号機も所属して
いた。その後各機は転配属しさらにDL化により廃車・解体の経過をたどった。静態保存されたのは本機のみである。
48640号機 場所 旧 青森県西津軽郡鯵ヶ沢町 現 弘南鉄道新里駅内
車暦 1921汽車製造・・仙台局・・1931会津若松~1939盛岡~1962秋田~1965弘前~1973廃車・保存開始
状態 塗装は厚塗り状態 ヘッドライトはシールドビーム・後部灯は欠外枠のみ、他の外装諸装備は良好・運転室窓ガラス欠 室内諸計器類は速度計の文字盤を
残す以外は外形のみ、操作系統のブレーキハンドル等も欠いており、室内はやや荒廃状態である。屋外保存であるが全体的には保存状態は普通である。
* 弘南鉄道新里駅内に移転・整備されましたので再々訪問してきました。綺麗に整備されていましたが運転室内は旧情と変わらない状態でした。左先輪軸ツバには
R18685の刻印が、右先輪軸ツバにはL78685の刻印が、右第三動輪軸ツバには18699の刻印が認められました。18699号機と本機は同じ仙台機関区配属でした
から転用はあったのでしょうが、18685号機と78685号機は遠く九州管内配属で接点もありませんので、転用の経緯は不明です。 撮影日2013/10/06
* 本機が1955(S30)年当時、盛岡機関区に所属し東北本線等で活躍していた頃、僚機には28621・28624・28667・38656・38688・38695・38698・486
33・48640・68635号機も所属していた。同機関区にはC57型機14両・C58型機2両・C60型機7両・D51型機29両も配属されており、東北最大の蒸気機関車を
保有する機関区であった。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではC60-2号機・D51-231・565・917号機が各地で静態保存されている。
* 本機が1965(S40)年当時、秋田機関区に所属し奥羽本線等で活躍していた頃、僚機には58698・88632号機も所属していた。同機関区には9600型機3両・C
11型機9両・C57型機2両・D51型機15両も配属されていた。その後DL化に伴い各機はさらに各地へ転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC11-2
44号機が福島県鹿沼郡JR柳津駅前で静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時、五能線管理所(弘前)に所属し五能線で活躍していた頃、僚機には28683・28667・68620・68656・88651号機も所属していた。
また、(東能代)には28620・28688・58633・58666・58698号機も配属されていた。その後、DL化に伴い各機は転配属・廃車となり、本機以外は解体の経過をた
どった。
48647号機 場所 宮崎県西臼杵郡高千穂町下野 トンネル駅橋梁上
車暦 1921汽車製造・・名古屋局・・1933出水~1947伊万里~1961早岐~1973人吉 廃車 1975矢岳駅保管 現地保存?
状態 塗装は普通 外装諸装備完備 運転室内は橋梁上にあるため未確認 外見では整備されている模様である。屋外に保存されており、保存状態は普通であ
る。門鉄デフレクター・K7型1961小倉工場装着装着 撮影日2007/9/6
* 再訪してみました。やはり屋外保存のため塗装の剥離(テンダー等)や劣化、汚濁雫が目立つようになっていました。運転席内部は長年の粉塵が堆積
していましたが、給水圧力計と右水面計以外は装備しており、操作系統機器・電気系統機器も完備していました。 分厚い塗装のために刻印は確認でき
ませんでした。 撮影日 2007/09/06・2010/04/24・2011/04/28
* 本機が1955(S30)年当時、伊万里機関支区に所属し筑肥線・松浦線で活躍していた頃、僚機には48645・48646・48676・58642・58695・58696・
58697号機も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。
* 本機が1971(S46)年当時、早岐機関区に所属し長崎本線・佐世保線で活躍していた頃、僚機には28627・28629・48676・48695・58648・58697号
機も所属していた。他に9600型機2両、大村線・松浦線担当のC11型機11両、さらにC57型機6両・D51型機5両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は
転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外ではC11-254・257・259・260号機・C57-175号機・D51-225号機が各地で静態保存されている。
48650号機 場所 広島県三次市三次町 文化会館
車暦 1921汽車製造・・名古屋局・・1933金沢~1947津和野~1949下関~1961三次~1971芸備線管理所廃車 1972保存開始
状態 塗装は退色し各所に錆び進行 後部ライト欠 他の外装諸装備良好 運転室内は給水用・暖房用圧力計を欠くが、その他の諸計器類・操作系統機器は装着
しており、室内は良好。 屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は普通であるが、最近の整備はされてない模様である。 撮影日2007/7/25
* 再訪してみました。やはり塗装の退色が進んでいるようです。 撮影日 2010/04/03
* 数か所に刻印が残されていました。左右の先輪軸ツバには28699の刻印がありました。28699号機は1967年に和歌山機関区で廃車になっていま
すが本機との接点は無く、廃車後に転用されたと思われます。 撮影日 2011/06/12
* 本機は2015年に整備されましたその様子は48650号機整備状況でご覧ください。
* 本機が1955(S30)年当時、下関機関区に所属し山陽本線・山陰本線で活躍していた頃、僚機には8639・8667・48651・68630・68695・68697号機も所
属していた。同機関区にはC59型機20両・D51型機9両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外ではD51-768・813号機が静態保存
されている。
* 本機が1966(S41)年当時、三次機関区に所属し芸備線・三江線・福塩線で活躍していた頃、僚機には28638・28683・58622・78633・78675・88651の6
機も三次機関区に配属されて活躍していた。その後各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外では78675号機は奈良県五條市で静態保存されている。
また、三次機関区にはC58-27・34・49・60・61・63・64・92・146・147・196・226・257・323・345・399の各機が所属しており、輸送の主力を占めていた。
C58-49号機は静岡県掛川市で静態保存されている。
* 本機は1970(S45)/12/9に福塩線・東福山~三次間の貨物列車を牽引後、小郡機関区に移動になりその後廃車となったが三次機関区が所在した当地に保存さ
れた。
48696号機 場所 福岡県大牟田市昭和町 市立動物園内
車暦 1922日立製作所 1922三田尻~1927南延岡~1932鹿児島~1947大分~1950鹿児島~1973廃車・保存開始
状態 塗装は普通だが部分的に腐食進行 前プレート欠 前後ライト級・ガラス欠 他の外装諸装備は装着 運転室内諸計器類は全て損失し操作系統機器も欠
運転室内は荒廃状態 運転席は右サイドに変更 屋外保存であり保存状態は普通である。 撮影日2007/9/5
* 右下の写真は、1967/11/09 鹿児島機関区にて 藤田憲一氏撮影
* 再撮影 2010/3/13 変わらぬ状態で保存されています。
* 本機が1955(S30)年当時、鹿児島機関区に所属し鹿児島本線で活躍していた頃、僚機には48674号機も所属していた。同機関区には9600型機6両・C57型
機11両・C61型機6両も配属されていた。その後各機は各地に転配属された。本機以外では29657号機・C57-119号機が静態保存されている。
* 本機が1971(S46)年当時には僚機は48674・48679号機も所属していた。その後8620型機は構内入れ替え業務に従事した。同機関区には日豊線担当のC
57型機6両・指宿枕崎線担当のC12型機3両・他にC56型機2両・C61型機2両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった
が同時期の僚機の中で保存されているのは本機だけである。
58623号機 場所 愛知県豊川市穂ノ原町 日本車輌内
車暦 1922日本車輌・・名古屋局・・1934正明市~1947松山~1964小松島~1970廃車・保存開始
状態 塗装はやや退色気味 外装諸装備は完備 運転室内は未確認 屋外に屋根付きで保存されており、保存状態は普通である。個人公開は申請しても不許可 撮影日2007/8/29
* 本機が1957(S32)年当時、松山機関区に所属し予讃線で活躍していた頃、僚機には8620・28630・38631・38632・38653・48652・48653・48680・
48681・58638・68692号機も所属していた。また同機関区にはC58型機8両も配属されていた。各機はその後転配属、さらに廃車・解体の経過をたどったが、
8620号機は東京都青梅市青梅鉄道公園、68692号機は徳島県徳島市で静態保存されている。
* 本機が松山機関区より小松島機関区に移動した1965(S40)年当時、僚機には38622・58685・68631・68692号機も所属していた。また同機関区にはC11
型機2両・C12型機2両・C58型機9両も配属されていた。その後各機はDL化に伴いさらに転配属、廃車・解体の経過をたどった。本機以外では58685号機が香
川県JR多度津駅東で静態保存されている。またC12-163号機・C58-33号機も各地で静態保存されている。
58629号機 場所 北海道苫前郡羽幌町南6条3 勤労青年ホーム
車暦 1922日立笠戸工場 1922高崎~1932千葉~1933深川~1935恵比島~1955中湧別~1959廃車
1959羽幌炭鉱鉄道譲渡~1970 廃車・保存開始?
* 本機は残念ながら2009/6/16以降現地において解体処分されてしましました。北海道再訪の計画に入れていたので実に残念な結果となりました。
北海道函館市の高坂忠様にお伺いすると、以前に撮影している写真があるとの事で、今般当HPに写真を借用し掲載させていただくことができました。
以下に掲載する写真は高坂氏が2007/7/29に撮影されたものであり、* 右下の解体中の写真は、羽幌町のホームページより転載したものである。
* 写真を見る限りにおいて、各所に錆びや腐食が見られ特にシリンダー部は著しい腐食が見られる。しかし、整備をすればまだ当分は保存可能であると思われるが、
今回解体処分となり残念な結果となっている。長野県のC56-149号機があの幽鬼にさらされた状態から見事に甦り、清里駅前に今般保存展示された例を思うと、他
に方法が無かったのか憂うばかりである。
* 本機が1955(S30)年当時、中湧別駐機所に所属し湧網線で活躍していた頃、僚機には28659・68644・78670・88647号機も所属していた。本機以外はそ
の後DL化に伴い転配属、廃車・解体の経過をたどった。
58654号機 場所 熊本県熊本市JR九州
車暦 1922日立笠戸工場 1922浦上~1926若松~吉松~1932鹿児島~1939豊後森~1943鳥栖~1945吉塚~1949西唐津~1964若松~1968熊本~人吉~
1975人吉廃車 1975矢岳駅鉄道館保存開始~ 1988車籍復活~豊肥線SL-阿蘇BOYで活躍~2005廃止・・・・・2009/4/25~SL人吉号で復活(熊本~人吉間)
状態 塗装は良好で各部位とも磨きあげられている。外装諸装備は完備 運転室内の諸計器類も完備 動態運転に備え完全な状態で整備されている。運転士の
方のお話では豊肥線立野のような急勾配が無いので、缶に無理が無く当分の間運転状況に支障を来す事は無いそうです。 撮影日 2009/5/22・23
* 人吉駅で再撮影しました。左先輪の軸ツバの5865と4の間には元印が存在した可能性があります。 撮影日2011/4/29
* 1960年ころ69600号機から門鉄デフK7型を譲渡装着
* 本機が1955(S30)年当時、西唐津機関区に所属し唐津線・筑肥線で活躍していた当時、僚機には28679・28691・38642・38631・58690・58694・
78626号機も所属していた。同機関区には9600型機7両・C12型機1両も所属していた。その後各機は各地に転配属となった。本機以外では78626号機が
福岡県遠賀郡遠賀町で29612号機が福岡県糟屋郡志免町でその後大分県玖珠町豊後森駅扇形駐車場前に移転静態保存されている。
* 本機が1965(S40)年当時、若松機関区に所属し筑豊本線等で活躍していた頃、僚機には38628・38634・38669・48675・48694・58650号機も所属
していた。また同機関区には9600型機9両・C55型機7両・D50型機5両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は転配属、廃車・解体の経過をたどった。本
機以外では19633号機が北九州市JR若松駅西で保存されている。
* 本機が1972(S47)年当時、人吉機関区に所属し肥薩線・湯前線で活躍していた頃、僚機には38633・48647号機も所属し
ていた。また、、同機関区にはC57型機7両・D51型機2両も配属されていた。その後DL化に伴い各機は廃車・解体の経過をたど
った。本機以外では48647号機が宮崎県西臼杵郡高千穂町で、C57ー100・186号機が各地で静態保存されている。
* 本機は1975(S48)/3/10の湯前線最終列車を牽引後廃車となり、矢岳駅SL鉄道館に保存された。
*本機に関しては別記載「SL人吉号」をご覧ください。
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